追放
午後の授業に集中できるわけもなく、私はただ今日という一日が早く過ぎることを祈るしかなかった。
しかし、今日が過ぎればなんだというのだ。今日と同じ、いや、もっとひどい明日が来るだけではないのか。
悪役令嬢として覚悟を決めていたつもりだったが、私は私がこんなに打たれ弱いとは思っていなかった。もう無理だ。逃げ出したい。
ようやく午後の授業が終わった。私は逃げ出すように教室を出た。
王立魔法学園の校舎中央の吹き抜けの階段を半ばまで降りたとき、階段下の廊下を、白の制服を身にまとったクリアストーン王子が歩いているのが見えた。
ああ、クリアストーン王子、私の婚約者。私の生涯は、この人のためにある。この人に全て話してしまおう。悪役令嬢なんてもういい。
「王子」
クリアストーン王子に掛けようとした私の声は、誰かの悲鳴によって遮られた。
私の横を、つまり階段を、誰かが転がり落ちていく。黄色い制服を着た女生徒だ。女生徒は階段下まで転がり落ちると、クリアストーン王子の数メートル先に仰向けに横たわった。
事件としては、完璧なタイミングだ。
この場に居合わせた多くの生徒が、女生徒を見て、そして私を見た。
まるで時が止まったかのような空間の中を誰よりも早く動いたのはエメラルドだ。彼はクリアストーン王子が女生徒に駆け寄ろうとするのを制し、倒れた女生徒に近づく。そして険しい表情で倒れた女性を目視で検め、武器などを所持していないことを確認して、クリアストーン王子に目配せした。
女生徒は、そう、もちろん、ソレイユローズだ。
ソレイユローズに駆け寄ったクリアストーン王子は、彼女に怪我がないことを確認し、射抜くような視線を私に向けた。階段には今、私しかいない。つまり、そういうことだ。
「ヴィラネッタ」
愛しいクリアストーン王子が私の名を口にする。その声にかつて満ちていた愛情は全く感じられない。
クリアストーン王子とエメラルドに抱え起こされるソレイユローズの美しい顔が私に向けられた。
ソレイユローズの表情は、彼女の美しさに相応しからぬ、邪悪で、相手を見下すような笑みだった。
「ヴィラネッタ、お前が彼女を突き落としたのか!!」
クリアストーン王子の氷のような言葉が私に刺さる。
「違う」
私は何もしていない。彼女が勝手に階段を転がり落ちたのだ。しかし、私の釈明を遮り、王子は畳み掛けるように言った。
「お前がソレイユローズのことをよく思っていないと気づいていたが、まさか階段から突き落とすとは。見損なったぞ。婚約は解消する。この学園から、いや、この国から出ていけ!!」
どくん。
私の心臓が跳ね上がる。
まさか、そんなことが。そんなことって。
悪役令嬢として追放されるのが私の目的だったけど、こんな形じゃない。
「待ってください、ヴィラネッタ様は私を突き落としてなんかいません!!」
そう叫んだのはソレイユローズだった。その頬は涙に濡れており、先程の邪悪な表情は微塵も残さず消え去っている。
この平民女、何ていう変わり身の早さなのか。自分ですっ転んでおいて、さらに涙で同情を買って私を追い詰めようという算段か。
クリアストーン王子は改めて彼女に怪我がないのを確認し、安堵に胸を撫で下ろしたようだ。王子は私に向けていたものとは別人のような温かい眼差しをソレイユローズに向けた。
「ソレイユローズ、あのような者を庇う必要はない。それとももしや、弱みでも握られて脅されているのかい?」
ソレイユローズは大きく頭を振った。
「いいえ、いいえ、決してそんなことはありません。私が勝手に転んだだけなのです」
ソレイユローズは涙ながらに事実を訴えると、両手で顔を覆って肩を震わせた。
そのソレイユローズが、指の隙間から私の様子を伺っている。その表情は、まさに邪悪そのものだった。
そうか。私の悪役令嬢としての任務は終わりなんだな。まさか、私の意思を超えて、こんな風に陥れられるとは思わなかった。
気がつけば、この場には全校生徒ではないかと思えるほど人が集まっていた。
王子に支えられながら、ソレイユローズが立ち上がる。そして怪我がないことを観衆に示すように手を挙げ、そして優雅にお辞儀をした。
万雷の拍手。王子も観衆に手を振って応えている。
私の居場所はもうない。私はこの場を離れることにした。誰にも取り押さえられることなく、私は逃げ出すことに成功した。
中庭まで逃げたところで、背後から声を掛けられた。
「どこに行くつもりかな、ヴィラネッタ様よ」
振り返ると、エメラルド・ガーディスがそこに立っていた。王子の姿はない。
王子の護衛であるエメラルドが、王子の側を離れるなんて。いや、それほどの事態ということか。
騎士団候補生のエメラルドから逃げおおせる自信などない。私は観念した。
「王子が生徒会室で待ってるってよ」
エメラルドはそう言い残し、踵を返して去って行く。私が逃げるとは考えないのか。いや、逃げたところでどうにもならないのは自明だ。
私は生徒会室に向かった。




