孤立
翌日、魔法学園に向かう馬車はまるで牢獄のように感じられた。
ソレイユローズを物理的に傷つける。そんなことができるわけない。しかし、やらなければならない。
体が引き裂かれそうな気分だ。
誰かに相談したい。クリアストーン王子の優しい眼差しを脳裏から追い払う。誰にも相談などできはしない。
馬車が学園に着いてしまった。私は馬車を降り、教室に向かう。どんな顔をしてソレイユローズに会えばいいのかも分からない。
だが、運命の采配なのか、私の少し前をソレイユローズが歩いているではないか。そうか、私は成すべきことを成さねばならないのだな。
ソレイユローズは危なげない足取りで歩いている。入学した頃の、ハイヒールに慣れない様子のソレイユローズとは別人のようだ。生徒会に身を置くうちに、貴族的な優雅さも身に着け始めている。よくぞここまで成長してくれたものだ。
ソレイユローズは私より身長が低く、歩幅も短い。自然とソレイユローズとの距離が縮まっていく。ソレイユローズに朝の挨拶をするには十分なくらい近づいた。
しかし私はソレイユローズに声を掛けることができなかった。私が妙に緊張して声を掛けるのを躊躇っていたということもあるが、ソレイユローズが小石を踏み付けて転んだのだ。
「きゃっ」
短い悲鳴を上げて転んだソレイユローズに、私は咄嗟に駆け寄った。
「ソレイユローズ、大丈夫?」
いつものソレイユローズなら、おそらく「大丈夫」と答えて笑顔を見せてくれる。そしたら朝の挨拶を交わして教室に向かおう。
しかしソレイユローズは、困惑したような表情で言い放ったのだ。
「何をなさるんですか、ヴィラネッタ様」
えっ。どういうこと。
周りの生徒達が私達を見ている。どこをどう見ても、私がソレイユローズに何かして、ソレイユローズが転んでいるようにしか見えないだろう。
ソレイユローズは、周囲の視線に気づいた素振りをすると、すぐに立ち上がり、自分が今言ったことを否定した。
「小石を踏んで、転んでしまいましたわ、ヴィラネッタ様」
ソレイユローズが笑みを浮かべる。しかし、私が今まで見てきたソレイユローズの笑顔ではない。確かにソレイユローズの顔は笑っている。しかし、彼女の目は笑っていない。
「ひっ」
私は思わず後退ってしまった。
誰なんだ。私の目の前にいるこの女は誰なんだ。私の知っているソレイユローズじゃない。
「授業に遅れますので、失礼します、ヴィラネッタ様」
そう言って微笑むソレイユローズは、いつものソレイユローズだった。
いや、いつものソレイユローズなら、「一緒に教室に参りましょう」とか言ってくれたんじゃないの?
違うな。人の信頼を失うというのはこういうことだ。ソレイユローズは私に対して心底失望してしまったんだろう。無理もないことだ。表面上は今まで通りの態度を取り繕ってくれているだけだ。
ただ、でも、私は何もしてないのに、ソレイユローズが勝手に転んだだけだよね?
ソレイユローズが別人に入れ替わってしまったなんてことはありえないだろう。私は気を取り直して教室に向かった。
ソレイユローズとは離れた席だ。先に席に着いていたソレイユローズの隣に座る度胸は私にはなかった。なるべくソレイユローズが視界に入らない席を選んだ。
午前の授業が半ばまで進み、休憩時間にそれは起こった。ソレイユローズの教科書が紛失したのだ。
「あっ、私の教科書がない。確かに持ってきたのに」
ことさらに大声で慌てるソレイユローズ。なんだか彼女らしくない振る舞いだと思っていたら、その火の粉が私に降りかかってきた。
同級生によってソレイユローズの教科書の捜索が行われ、男生徒が発見に至った。私が座っている席の足下の床に、ソレイユローズの教科書は落ちていた。
「こんなところに落ちていたよ」
男生徒が教科書を掲げると、同級生の視線が一斉に私に集まった。嘘でしょ。さっき私が床を見たときは、何も落ちていなかったのに。
私はそう反論しようとして気づいた。これはどう反論しようと、私のせいにされるのではないだろうか。
さっきの男生徒が隠し持っていた教科書を床から拾い上げた振りをした可能性もあるが、気がつけば男生徒はソレイユローズを囲む生徒達の中に溶け込んでおり、誰だったのかすら分からない。
授業が始まったため追及されることはなかったが、何かがおかしい。
昼休みになり、私は一人で食堂に向かう。もうソレイユローズとともに食事をすることは叶わないだろう。
その途中、ソレイユローズを噂する声が耳に入ってきた。
「聖女ソレイユローズが夜な夜な男の部屋に出入りしているって噂が流れているらしい」
「聖女が成績を上げるために教師に媚を売っていると言い触らしている者がいるらしい」
どこの愚か者がそんな噂を流しているのか。あのソレイユローズがそんなことをするわけがないではないか。
食堂に着き、フロア担当に席まで案内してもらうと、ビュッフェで食べ物を取ってきたソレイユローズとすれ違った。相変わらずちょっと多すぎる食べ物を取っているところが彼女らしい。
そのソレイユローズが、私とすれ違いざまに転んだ。
ソレイユローズは床に散らばった食べ物を自ら拾い集めている。彼女はトマトソースを使った料理によって制服を汚してしまったことも気づいていないようだ。
食堂の係員が到着して清掃を引き継ぐと、ソレイユローズは深々と頭を下げて言った。
「せっかく作っていただいた料理を、私の不注意で、すみません」
あくまでも自分のせいと言うソレイユローズ。すると、居合わせた者達の視線は私に集まった。いや、そうなるよな。
「あの、代わりの制服を」
私が予備の制服の提供を申し出るより先に、何人かの女生徒がソレイユローズを取り囲んでしまった。
「ソレイユローズ、大丈夫?」
「もう、ドジなんだから」
「私の予備の制服を貸してあげますわ」
そうして、ソレイユローズはあっという間に食堂から連れられて出て行ってしまった。
あとには言い訳すら許されない私だけが残された。
私は愕然としていた。
私は見たのだ。去り際のソレイユローズの顔を。
あの優しいソレイユローズとは思えない、残酷な笑みを湛えた彼女を。
私はソレイユローズを誤解していたのか。彼女は聖女なんかじゃない。とんでもない悪女だ。
そして、その悪女が私を全力で貶めようとしている。
悪役令嬢として努めてきた私だが、私が望んだ以上の形で悪役令嬢にされていく。
何だこれは。何なんだ。
食事をする気も失せた私は食堂を出た。
廊下に出ると、またもやソレイユローズに関する噂話が聞こえてきた。
「聖女ソレイユローズの才能と人気に嫉妬して貶めようとしている者がいるらしい」
「貴族が聖女に嫉妬など、恥ずべきことだろう」
「しっ。ご本人の登場だ」
何てことだ。どうやらソレイユローズに関する悪い噂の出所は私のようだ。これは気づかなかった。
ソレイユローズが私を貶めようとしている。いや、この期に及んでだが、私には信じられない。何かの間違いだ。間違いであってほしい。
「影」
私は「影」に呼びかけた。しかし、「影」らしき動作をする者が見当たらない。
「影?」
私は周囲を見回す。
もしや、「影」がいなくなっている?
私は高所から落下するような恐怖を覚えた。
私は孤立している。
悪役令嬢がこんなに辛いなんて。もう嫌だ。全てぶち撒けて逃げ出したい。
クリアストーン王子の優しい表情が脳裏に浮かぶ。どうしても消し去ることができない。
クリアストーン王子に会いたい。全部話してしまいたい。
私は中庭に向かった。
せめてクリアストーン王子の顔を見たかった。
クリアストーン王子は、いつものようにエメラルド・ガーディスと一緒だ。背中を見せて何かを話している二人に私は近づく。
「あのような者が私の婚約者とは、虫酸が走る」
「そう言いますな。あれでも公爵家の令嬢です」
私は雷に打たれたように動けなくなった。二人のその会話を聞いて、どんな顔で話し掛けろというのか。
エメラルド・ガーディスが私の気配に気づき、王子に目配せしたようだ。王子が振り返って私を見る。
王子はいつもの笑顔で言った。
「ヴィラネッタではないか。何か私に用かい?」
王子の笑顔はいつもの優しい笑顔だ。一点の曇りもない。
「いえ、あの」
私は声を出すこともできなかった。唇が震えるばかりで、何も出てきはしない。
「用がないなら私はもう行くよ。ヴィラネッタも午後の授業に遅れぬようにな」
王子の優しい態度が、むしろ私を責め苛む。
私はこの悪役令嬢をやり遂げることができるのか。
胸が痛い。誰か助けて。




