苦悩
ソレイユローズの態度の変化は、お茶会の翌朝には表れていた。
王立魔法学園に登校した私はいつものように教室でソレイユローズに挨拶をした。
「おはようソレイユローズ、昨日のお茶会は楽しんでいただけたかしら」
ソレイユローズがいかに私を嫌っていようが、いつもなら肯定的な社交辞令がその口から発せられるはずだ。
だが違った。
ソレイユローズは私の顔をしばし見つめていたが、その切れ長の美しい目に涙が溜まって、そしてぽろぽろと零れ落ちた。
ソレイユローズの突然の涙に私は動揺を隠せなかった。「貴族ことば」を使ってもいないのに、なぜ泣くのか。それとも、ここに来て今までの「貴族ことば」の効果が表れてきたのか。
そんな私の様子に気づいたのか、ソレイユローズは取り繕うように言った。
「すみません、目にごみが入ったようなので、失礼します」
ソレイユローズが教室から走り去るのを見届けた私は、同級生の冷たい視線に気づいた。ああ、まるで私がソレイユローズを虐めて泣かせたみたいではないか。いや、私は悪役令嬢なんだから、それでいいと言えばいいんだけど。
授業開始間際に教室に戻って来たソレイユローズは、私の隣ではなく、教室の入口に近い席に座って授業を受けた。
そしてソレイユローズが授業で私の隣に座ることはなくなった。
ソレイユローズが積極的に私に絡んでこなくなったことで、私の悪役令嬢としての任務にも少なからぬ影響が出た。ソレイユローズを「貴族ことば」で侮辱するためには、私から動いて接触の機会を持たなければならなくなったのだ。
いや、それは甘えというものだな。嫌いな相手にわざわざ話し掛けてきていたソレイユローズが奇特なだけで、歴代の悪役令嬢は避けられている相手を追い詰めるために苦心したはずだ。
改めて先代悪役令嬢の日誌を調べてこういう時の対処法を学んだほうがいいかも知れない。
昼休みになり、ソレイユローズを昼食に誘ってみたところ、これも断られてしまった。
「ソレイユローズ、今日も食堂で昼食にいたしましょう」
「すみません、今日は昨日の方々とお昼ご飯をご一緒する約束になっていまして」
ソレイユローズは申し訳なさそうにそう言い残して去って行った。
一人残された私は「影」を呼び出した。
「影」
私の近くで談笑していた男生徒の一人が私にだけ分かるように頷いて見せたのを視界の端で捉える。
「お茶会で何かありまして?」
すると先ほど首肯した男生徒が談笑相手にこんなことを言った。
「それはいつのことだい?」
男生徒は談笑しながら私に質問内容の補足を促しているようだ。
「彼女が席を外していた時です」
私は小声で条件を追加した。すると男生徒は談笑相手にこう言った。
「さすがにそこまで付いて行くことはできないだろう」
ちっ、使えないな。いや、女性が用を足すときに付いて来られるとか、私でも御免被るわけだが。
影が役に立たなかったので、私は自分で行動することにした。食堂で昼食を済ませ、ソレイユローズが一人になる機会を見計らう。
昼食を終えたソレイユローズが食堂を出たので、私はその後をつけて移動した。ソレイユローズが一人向かったのは学園の中庭だ。
ソレイユローズに話しかけようと思ったが、先を越された。ソレイユローズに話し掛けたのは白の制服を着たクリアストーン王子だ。
クリアストーン王子は昼休みになると中庭に出てきて、護衛であるエメラルド・ガーディスと他の生徒には聞かれたくない話をする。ソレイユローズと王子を初めて出会わせたのもこの中庭だった。今回はなんてタイミングの悪さだ。
私は生垣迷路に身を隠し、ソレイユローズと王子の様子を伺った。私の位置からは王子の背中しか見えないが、ソレイユローズは何やら思い詰めたような表情だ。
「ソレイユローズ、ずいぶん深刻そうだけど、何かあったのかい?」
王子の優しい問いかけに、ソレイユローズはしばし逡巡してから口を開いた。
「私、その、ヴィラネッタ様のことが、耐えられません」
おおっと。やはり、今までの「貴族ことば」の積み重ねが、ここに来て急に効いてきたということか。
ともあれ、ソレイユローズが相談相手に王子を選んでくれたのは幸いだ。この調子でソレイユローズと王子の距離が縮まれば、私の目標にも近づくだろう。
不意に胸を刺すような痛みを感じたが、私はそれに気づかないことにした。
「落ち着いてソレイユローズ。ヴィラネッタと何かあったのかい?」
王子がソレイユローズに問いかける。王子の表情は見えないが、あの優しい眼差しをソレイユローズに向けているのだろう。
私は立っているのが辛くなり、思わずしゃがみ込んでしまった。
なぜこんなに私は辛いんだろう。
いや、それよりも、ソレイユローズと王子の話を聞かなければ。
しかし、ソレイユローズのか細い声は、うまく聞き取ることができなかった。
ソレイユローズが何かを話し終えたあと、王子が憤るような声色で言った。
「なんと、ヴィラネッタがそのようなことを。いや、言われてみれば、思い当たることがいくつもある。ソレイユローズ、勇気を出して教えてくれたこと、感謝する」
ああ。悪役令嬢である私の目指すところが、今ここに結実しつつある。この私が王子とソレイユローズの共通の敵となり、二人が無事に結ばれれば、私の任務は達成だ。
私は吐き気と目眩に襲われた。
どうして、どうしてこんなにも辛いんだろう。
この日の午後の授業は全く集中できなかった。離れた席に座るソレイユローズが気になって仕方がなかった。
結局この日は体調も優れず、ソレイユローズに接触する機会もないまま帰宅することになった。校門で迎えの馬車に乗る時に、猛烈な悪寒に襲われ、思わず振り返ったが、そこにはいつもの王立魔法学園の景色が広がるばかりだった。
私は自分自身がこの世界にとって異物になってしまったような不安な気持ちになった。
屋敷に帰った私は、祖先の書架の「極秘」と書かれた棚を改めて漁り、悪役令嬢として大詰めを迎えたときに取るべき振る舞いを調べた。
それは私にとって、いや、歴代の悪役令嬢にとっても辛いものだった。
悪役令嬢として周知されたあとにやれること、それは、追放されるに足る非道な行いだ。つまり、ソレイユローズの身に危害が及ぶようなことをしなくてはならない。
うう、吐きそうだ。歴代の悪役令嬢もこんな苦しみに耐えてきたのか。
「ほんま堪忍え(勘弁してよ)」
私は「貴族ことば」で弱音を吐いた。
「貴族ことば」の本は机の上に開きっぱなしだ。ソレイユローズに避けられている今となっては「貴族ことば」の出番はもうないかも知れない。
私は「貴族ことば」の本をパラパラとめくった。これらの「貴族ことば」で、ソレイユローズをどれだけ傷つけてきただろう。そしてこれからは、彼女を言葉ではなく物理的に傷つけなければならない。
あの可愛くて優しくて頑張り屋のソレイユローズを、物理的に傷つける?
ああ、なんてことだ。なんてことだ。
視界がぼやける。
この日、私は、悪役令嬢になってから初めて泣いた。
溢れる涙を止めることはできなかった。
この時の私は、このあと待っている展開を予想だにしていなかった。




