人間不信
マサキは完全に人間不信に陥っていた。ドニニー村を離れてどこかの街に向かうのかと思えば、すぐに街道を外れて森の中へと引きこもってしまった。エメルキアがなんと言って促しても動きそうにない。
(いけません。マサキはわたしたちと違う人間なのです。人間は人間の中にいてこそ精神が安定するものなのだから)
彼女がそう思って出発をせがんでも聞く耳持たない。すでに森の奥にこもって一週間になる。ロナタルテは平然としているが、ティナレルザも思案げな面持ちだった。
「あんまり良くない傾向?」
小妖精も心配していた。
「心の整理をする時間は必要だと思ったのですが全然それっぽくなくて。それどころかあまりに普通なので不安になってしまいます」
「そうよね。むしろ、島のときより私たちにべたべただもの」
「完璧に反作用が起こっていそうです」
懇意にしていた村人が手の平を返すように態度を変えた。エメルキアたちにとってそれは常識でも、マサキにとっては極めてショッキングな事実だったのだろう。
(マサキが人の社会に混じってジノグラフの常識に染まってしまうかもしれないなんて不安に感じてたのが嘘みたい。もう、わたしたちのことしか見てないみたいに)
彼は普通に生活している。森の奥に川を見つけるとそこに陣取ってしまった。島の生活のように自給自足している。なんの不平不満も言わない。それが余計に不安を掻きたてた。
「このまま居着いちゃいそうな勢いだわ」
「それどころか、いつ島に帰ると言いだすかと思って」
「悪くはないけど」
「もっとちゃんと知って、マサキがこの世界でどう生きていくのか決めてほしいんです。それなら、どんな結果だってついていきます。でも、今の状態はあまりに中途半端で」
今、彼が触れたのは村人の態度が変わったことだけだ。王国において妖精種がどういう立ち位置でいるのか正確に自身の目で見たわけではない。ある程度容認して人間社会で生きていくのか、否定して島に戻ってしまうのか、それからでも遅くはないと思う。
「まあ、正妻のあなたがそう言うならそうなんだろうけど」
「正妻!?」
ティナレルザの言い様にびっくりする。
「違う?」
「ち、違いませんけど」
「マサキはルキを一番信頼してる。選ぶのはあなた」
信頼には自信があってもポジションには自信がない。
「このまま島に引きこもって悪いことはないわ。最悪の事態も予想されなくはないけど可能性でしかない」
「ですね。単なる杞憂であればいいんですけど」
「人間との関係性って意味でも、でしょ?」
明確に突いてくる。ティナレルザが驚くようなことを言ってきたとしても、それは絶対の正解ではない。エメルキアは心のどこかで、彼女ではマサキを幸せにはできないと感じている。やはり、人間の女性と添い遂げて子孫を遺すのが一番の幸せだと思ってしまうのだ。
「それこそ、ルキが決めることじゃないんじゃない? マサキの心なんだもの」
「はい、そのとおりですね。考えすぎだと反省してます」
「そこまでは言ってないわ」
話しながら川までやってくるとマサキは釣りをしていた。釣りあげた魚を捌いて焼いて食べている。もぐもぐしながらこっちを見てきた。
「食べる?」
「今はいいです」
「じゃあ、こっちだ」
朗らかに笑って膝を示してくる。彼女が素直に座ると温かな精気が流れてきた。髪も撫でられると、このままでいいような気分になってくる。
「マサキ」
見上げると、川に反射した陽の光が彼の瞳に映っている。村を出たばかりの頃のように、なにもかにも興味を失っている状態ではない。
(やっぱり、心の整理をつけるためにここにいるのかも)
願望も混じっている。
「やっぱ、街に行きたい?」
尋ねられる。
「いろいろと便利ですから。生地だけでなく完成品の服も手に入りますし、珍しい食べ物なんかもあります。きっと楽しいと思うんです」
「ああ、別にいいと思ってる」
「ほんとです?」
事態は変わっていた。
「でも、滞在するとしても三、四日の話だ。それくらいは商いをして宿でゆっくりしてもいい。長引くほどに君が妖精種だとバレやすくなる。それまでには街を出る」
「それだと落ち着けないのでは?」
「一つところにはな。それでいい。誰に聞くでもなく旅ガラスで世界を知るもいい」
結論を出していた。
「たびがらす?」
「そこなのかよ。ジノグラフの常識は深いぜ」
エメルキアが思っているよりもっとマサキは強かった。素晴らしい巡り会いを誰に感謝すればいいのだろう。ゼアネルヒの祈りが彼を連れてきてくれたのかもしれないと思った。
「とにかく、君が傷つくのが嫌だ。同じだけ俺も傷つく。そんな旅は求めてない」
「マサキ」
愛しさが溢れて胸にすがりつく。
「心配すんな。俺は君がいればどんなことがあろうと大丈夫だ。なんにも負けはしない。信じてくれ」
「あなたのことを疑ったことなど一度もありません」
「ありがとう。俺はこの世界がどうなっていくのか見極めてやる。そして、妖精種にとって一番いい結論を導きだす」
(愛されるというのはこんなに幸せなことなのですね。わたしはマサキと契りを結べた幸運で、これまでのすべてが報われました)
エメルキアは抱きしめられた温かさに溶けてしまいそうだった。
次回『ヘンレケの都(1)』 「マサキだって正義感をこじらせてる」




