43.
二人きりで静まり返ったコテージのリビング。
これは人間なら、お母さんが危惧した『万が一』の危機っ?!
……だけど、相手は神様だしなぁ。
神様の『特別』って、なんなんだろう?
私はマスターの胸を押しのけながら告げる。
「ねぇマスター、ちょっと離れて。
真面目に話したいことがあるんだけど」
「……何かな」
マスターは捨てられた子犬のような目で私を見てきた。
――くっ?! その目は反則だと思うんだけど?!
「あ、あのね! 急に距離を詰められても、私は困っちゃうの!
それに、マスターの気持ちも全然わかんないし!
どうしていいか、わからないんだよ!」
「……『辰巳』」
「え? 何か言った?」
「僕のこと、『辰巳』って呼んで。
プライベートでは、名前で呼んで欲しい」
そんな、懇願するような目で言われましても~~~~?!
でも、そう呼ばないと話が進まない気がする……。
「じゃ、じゃあ辰巳!
お願いだから、いつもの辰巳に戻って!」
マスターは悲しげな瞳を見せたあと、コクリと頷いた。
すっと立ち上がって私に告げる。
「コーヒー、入れるよ。
ちょっと待ってて」
マスターがキッチンに向かっていった。
キッチンでお湯が沸く音がする――なんでもう沸騰してるの?
遠くからふわりとコーヒーの香りがリビングまで漂ってきた。
マスターがリビングに戻ってくると、カップを二つ持ってソファに座った。
私の前に、カップが置かれる。
「ごめんね、ちょっと舞い上がってた。
朝陽さんは、今まで通りマスターでいいから」
「~~~~?! その、なんで『舞い上がる』のか、聞いていいかな?!」
マスターはマグカップを見つめながら応える。
「……朝陽さんを独り占めしてもいいのかなって。
そう思ったら、もう止まらなくなっちゃって」
ボッと音がしそうなほど顔が熱くなった。
私もカップを手に持ち、コーヒーを一口飲んで気持ちを落ち着かせる。
「あのさ、それってどういう意味なのかな?
ほら、マスターって神様じゃん?
人間と違うから、どう受け取って良いか、わかんないんだ」
マスターが自分のカップに口をつけて、一息ついた。
「……人間の場合と、同じと考えていいよ。僕の場合はね。
潮原で信仰されてるうちに、僕の愛はそういう『形』に変質したんだ」
――今、『愛』って言った。
私の手が震えて、カップがカタカタと音を鳴らす。
波紋が生まれるコーヒーの水面を見つめながら、私は言葉を口に乗せる。
「マスターの気持ち、ハッキリ聞かせて」
秒針の音が一回なる間に、心臓の音が四かい聞こえる。
それが十回繰り返される頃、マスターが私に告げる。
「僕は、朝陽さんを愛してるんだ。
とても大切な存在だと思ってる。
この世で何よりも」
私はおそるおそるマスターを盗み見た。
マスターはこちらを見つめ、寂しそうな顔で微笑んでいた。
「――なんで、そんなに寂しそうなんですか?」
「だって、朝陽さんは僕の愛を受け止められない――そう考えてるんでしょう?
僕もそれを無理強いする気はないから。
だからこの話は、ここでおしまいなんだ」
私はガチャンとカップを乱暴にテーブルに置いてマスターに振り向いた。
「勝手に終わらせないで!
まだ、まだわからないじゃない!
私は子供だから、恋愛とかわからないけど!
でもマスターの気持ちは、その、嬉しいと……思う、から」
最後の方は、マスターの目を見れなかった。
あまりに幸せそうな微笑みに、気持ちが負けてしまいそうだったから。
気持ちが負けて、状況に流されて――とか、そういうの、よくないと思うし。
マスターが私の手を握った――私の肩が、ビクンと跳ねる。
「ありがとう、朝陽さん。
その気持ちだけで、僕はもう充分だから。
だから無理をしないで」
「……無理じゃないよ。
ただ、『もう少しゆっくり距離を詰めて』って、言いたいだけだから」
「……本当に?」
私は黙ってうなずいた。
「じゃあ、また『朝陽』って呼んでいいかな」
私はまた黙ってうなずいた。
「……じゃあ、『辰巳』って呼んでくれる?」
「それは……頑張るけど、期待はしないで」
マスターが「わかった」と言って立ち上がった。
「そろそろ遅くなるよ。
僕らも最後の温泉に入ろうか」
私はうつむいたままうなずいて、自分の部屋に戻った。
****
翌朝、最後の朝食を食べた私たちは、午前八時にコテージ前に集合した。
浜崎のお爺さんがみんなに告げる。
「それでは、忘れ物はないな?
――では全員、バスに乗りこんでくれ」
荷物をトランクルームに預け、バスに乗りこんでいく。
行きと同じく、子供グループがバス後方、保護者グループがバス前方に座る。
行きと同じ席順で座ろうとすると、孝弘さんが私に告げる。
「おい朝陽、俺と席を交換してくれよ」
「え? いいけど、なんで?」
「細かいことを気にするなよ」
最後尾の窓際に孝弘さんが移動し、私がマスターの隣に座る。
走り出したバスの前方では、大人たちが缶ビールを開けて楽しそうにしていた。
「まだ飲むの? どれだけお酒が好きなのよ」
マスターが楽しそうに笑った。
「車の運転を気にせずにお酒を飲みながら移動する。
最近ではそういうことも、難しくなったからね」
そうなのか……。
後ろの席から早苗が私に告げる。
「ねぇ朝陽、マスターに永久就職するなら、喫茶店に就職してもいいんじゃない?」
「――まだそれは決まってないから!
でも、喫茶店に就職するのは考えてみようかな。
そうすればもっと長くマスターと一緒にいられるのは、間違いないんだし」
マスターが私の席に手を伸ばし、手を握ってきた。
「ありがとう朝陽。
君が来てくれるなら、僕も全力で頑張るよ」
私はその笑顔が眩しくて、返事もできずにうつむいた。
後ろのから孝弘さんが私に告げる。
「そうなると、その店を守れるようになるのが俺の使命ってとこだ。
今から大学入り直して、五年後に親父の下で勉強させてもらって。
十年か二十年で、たぶんそれなりの仕事はさせてもらえるんじゃねーかな」
早苗の声が聞こえる。
「だってよ? 歩美。
社長夫人の座を狙うなら、孝弘さんもありじゃない?」
「あら、早苗がなりたいなら止めないわよ?
こんなお金持ちの家に入ったら、きっと苦労するわ。
小市民は小市民らしく、もっと慎ましく行きたいところね」
孝弘さんが残念そうに告げる。
「なんだよ、遠慮すんなよ歩美。
俺は別にいつでもウェルカムだぞ?」
「だから、名前で呼び捨てるな!」
あ、それまだ続いてるんだ……。
私たちの席も明るい笑い声に包まれながら、バスは潮原を目指して走っていく。
いつしか後ろの席から声が聞こえなくなり、私もゆったりとくつろぎながら映画を見る。
私の左手はマスターの右手に捕まったまま、放してもらえそうにない。
横を見ると、優しく微笑むマスターの笑顔。
それに微笑みで応え、私はゆっくりと目を閉じた。
不思議な充足感に満たされながら、私はバスの揺れに身を任せた。
****
カランコロンとドアベルが鳴る。
今日もカウンター席から飛び降り、エントランスに駆け込んだ。
「いらっしゃ――って、なんで秀一さんが?!」
見慣れた姿の秀一さんが、ニヤリと微笑んで「よぉっ!」と告げた。
「せっかく俺のご利益を与えてやったんだ。
きちんとくっついているかを見に、遊びに来てやった。
とりあえずブレンド、頼むぜ」
「はぁ。ではお席へ――」
「いや、カウンター席でいい。
――辰巳、どうだ?
少しは俺に感謝する気になったか?」
マスターはムスッとしながら応える。
「……複雑な心境だが、今回は感謝しよう」
秀一さんの目がカウンター奥の棚に移る。
そこには民芸細工のフォトフレームが置いてあった。
「なんだ、あの時の写真か。
良い思い出になっただろう?
俺に感謝しながら、ブレンドを入れろ」
マスターは黙ってコーヒーを入れ始めた。
私はお水を秀一さんに出しつつ、尋ねる。
「いったい、いつから計算して動いてたんですか?」
「そんなもん、最初からに決まってんだろう?
これでも元は同じ神から分かれた存在。
親戚のために一肌脱いでやったんだよ」
「そうですか。暇なんですね。
こんなところまできて、大丈夫なんですか?」
「ハハハ! 分身は本殿に置いてきた。
あそこで信仰されてる限り、ここのコーヒーで充分足りる。
俺も常連になるから、よろしくな」
うげぇ、なんだかめんどくさいお客さんが増えたなぁ。
私の顔を見た秀一さんが楽しそうに笑った。
マスターもムスッとしたまま秀一さんにブレンドを出す。
秀一さんはコーヒーを一口飲んで一息ついた。
「――うん、美味い。
朝陽の味がするな。
これなら毎日、通ってやってもいい」
「そこまで来なくていいからね?!」
『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』は幻のお店。
お客さんに『宝石のような時間』を届ける喫茶店。
今日も私は笑顔で接客する。
カランコロンとドアベルが鳴り、お客さんが姿を見せる。
彼らに穏やかで楽しい時間を提供するのが、私のお仕事だ。
心からの笑顔で私は告げる。
「いらっしゃいませ!
『カフェ・ド・ビジュー・セレニテ』へようこそ!」




