16.
今朝の通学路でも、マスターは着流しで私を待っていた。
「おはよう、伊勢佐木さん。
はいこれ、お弁当」
受け取った巾着袋は、なんだかどっしりと重たい。
「なんか、量が増えてない?」
「清水さんと荒川さんの分が入ってるからね。
そんなに多くはないけど、おかずを奪い合ってたらバランスが崩れるよ」
ああ、そんなことまで気を使ってくれるのか。
「ありがとう。
――ねぇマスター、今日は定休日なんだよね?」
「そうだけど?
お店に来ても、神社が待ってるだけだよ?」
「いえ! そういうことなら、神社の掃除でもしようかと思って!」
マスターがクスリと笑った。
「そんなこと、気にしなくていいのに。
君たちは学生なんだから、勉強に専念しなさい。
掃除ならやってくれる人がいるから、大丈夫だよ」
「え? そうなの? どんな人?」
「地主さんの家の人間だよ。
元々は神主だった家系だね。
そのうち会うこともあるんじゃないかな。
――それじゃあね、伊勢佐木さん」
そう言ってマスターはお店の方向に向かって歩いて行ってしまった。
私もずっしりと重たい巾着袋を手に下げて、学校へ向かった。
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「うわー! 煮物じゃん! それにこれ、西京漬け?」
自分の分の重箱を開けた早苗が感激のあまり声を上げていた。
中には色とりどりの野菜の煮物と焼き魚が入っていた。
重箱には丁寧に付箋紙で名前が書いてあったので、これは早苗向けの料理ということだろう。
歩美もそっと重箱を開けた。
中にはシーザーサラダとスモークサーモン、チーズが入ってるみたい。
「一人一人、中身が違うのね。
――朝陽のは?」
私も三段重ねの重箱を開けてみる。
一段目は豆ごはん。
二段目がイチゴとほうれん草のサラダに卵焼きとかき揚げ。
三段目はなんとゼリーが詰まっていた。この香りは、レモンかな?
私たちは春の味を楽しみながらお昼の時間を過ごしていく。
「それでさ、この重箱を返しに行くついでに、神社の掃除をしに行こうと思うんだけど」
歩美がサラダをつつきながら応える。
「でも、『そこまでしなくていい』って言われたんでしょ?
別に重箱を返して帰って来ればいいんじゃない?」
早苗はもう煮物を半分くらい食べてしまったみたいだ。
「朝陽がやりたいっていうなら、私たちはつきあってもいいよ」
私も豆ごはんを口に運びながら考えてみる。
マスターの迷惑になっちゃうかなー。
でも朽ちた神社ってのも、なんだか寂しいし。
なんであそこは手入れをしてないんだろう?
「――よし、じゃあ放課後はみんなで掃除をしに行こう!
ゴミ拾いくらいなら、できると思うし!」
道具は現地で足りないものを確認して、商店街で買ってこようという話になった。
****
学校帰りに、喫茶店までの道を歩いて行く。
いつもならそろそろ看板が見える頃だけど、そこには何もない。
代わりに一台の自転車が止まっていた。
あれ? 誰か来てるのかな?
喫茶店があるはずの場所には、寂れて朽ちた神社がある。
そして境内でほうきがけをする、若い男性の姿があった。
髪は短くて、作務衣を着てるみたいだ。
おそるおそる近づいて、声をかけてみる。
「あのー、何をしてるんですか?」
男性がこちらに振り返って、明るい笑顔で応える。
「見ればわかるだろ?
境内の掃除だよ。
嬢ちゃんたち、高校生? 潮原高校か?」
私たちはおずおずとうなずいた。
「マスターにお弁当箱を返しに来たんですけど……」
男性は納得したようにうなずいた。
「ああ、君らが新しいバイトか。
小金井さんから聞いてるよ。
その巾着袋、小金井さんのだろ?
俺が預かっておくよ」
近づいてくる男性から思わず一歩後ずさりながら尋ねる。
「マスターの知り合いなんですか?」
「ん、なんか怖がらせちまったか?」
男性の背後から、いつもの声が聞こえる。
「ハハハ! 孝弘は不用意に近づきすぎだよ」
男性の背後に目をやると、神社の中からマスターが出てくるところだった。
着流し姿のマスターが、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
「ごめんね、伊勢佐木さん。
こいつは浜崎孝弘。朝言ってた、地主の家の子だ。
いつも掃除をしてくれる奴なんだ」
男性――浜崎さんが不満気にマスターに告げる。
「小金井さん、俺の紹介がぞんざいじゃないか?」
「そうかい? きちんと感謝を込めてるつもりだけど。
でも女の子を怖がらせるのは、ちょっといただけないかな」
「どうしろっていうんだよ。
弁当箱を受け取ろうとしただけだろ?」
マスターが浜崎さんの肩をポンと叩いた。
「まず、きちんと自己紹介をして警戒を解いてから近づきなさい。
相手が誰かもわからなきゃ、女の子が怖がっても仕方ないよ?」
浜崎さんはガシガシと頭を掻いていた。
「めんどくせー、そんな怖い人間に見えるのかね?」
「ハハハ! もう少し女子を勉強しておきなさい」
私はおそるおそる浜崎さんに告げる。
「あの、びっくりしただけで、怖いとかは思ってないですから……」
マスターが私の前に来て、巾着袋を受け取った。
「無理をしなくていいよ。
孝弘は背が高いし、いきなり近づいて来たら怖くて当たり前だ。
ちょっとガサツなのが、孝弘の悪い癖だね」
私の背中に隠れていた早苗が、マスターの前に出てきて告げる。
「お店の事情を知ってる人なんですか?」
「そうだよ?
お店の書類関係は、浜崎家の人間にやってもらってるからね。
だからあそこは書類上、浜崎家の店だ」
歩美も私の背後から出てきて、マスターに尋ねる。
「幻のお店なのに、なんで書類なんて出したんですか?」
「飲食店をするならどうしてもゴミは出るしね。
今は廃棄物の処理も面倒だし。
『それなら届け出を出して、実在することにしてしまおう』って、源三――ああ、孝弘の祖父が言ったんだ」
マスターの手の中にある巾着袋が、空気に溶けるように消えていった。
私は思わず声を出す。
「わぁ、手品みたい。
こういうのを見ると、『マスターが神様なんだな』って思えるね」
「ハハハ! そりゃあ神様だからね!
――ん? どうしたんだい?
もう用は済んだんだから、帰っていいんだよ?」
私は掃除をしてる浜崎さんの背中を見ながらマスターに告げる。
「いえ、私たちも掃除をしようかと思って。
浜崎さん一人だと、大変じゃないですか?」
「孝弘は慣れてるし、君たちには勉強があるでしょ。
学生なんだから、きちんと勉強しておきなさい」
そっか、勉強か。
最近接客が忙しくなってきて、予習の時間が削られてるし。
お店が休みの日ぐらい、勉強した方が良いのかなぁ?
頭を悩ませている私がふと気づくと、浜崎さんがスマホをいじってるようだった。
浜崎さんがこちらに振り返り、私たちに告げる。
「クソ爺が嬢ちゃんたちに会いたいとさ。
これからこっちに来るから、それまで待っててほしいんだけど」
マスターが眉をひそめて浜崎さんに振り返った。
「源三が? なにをしに?」
浜崎さんが肩をすくめた。
「俺は知らんよ。
詳しくはクソ爺に聞いてくれ。
車で移動するだろうから、すぐに着くだろ」
すぐに清掃に戻った浜崎さんの背中を見たあと、マスターを見上げて尋ねる。
「どんな人なんですか? その浜崎さんのお爺さんって」
「悪い人じゃないんだけど、孝弘と同じで気が利かない奴だったね。
変なことを考えてないといいんだけど」
気が利かない……浜崎さんって、そういう評価の人なのか。
歩美が私に告げる。
「ねぇどうする? 待たずに帰っちゃおうか」
早苗が私と歩美に告げる。
「でも、『待っててくれ』って言われてるし。
どんな人か怖いけど、悪い人じゃないなら待つべきじゃない?」
話し合ってる私たちに、マスターが告げる。
「君たちは気にせず帰りなさい。
源三には僕から説明しておくから」
私はおずおずとうなずいた。
「マスターがそう言うなら、私たちは帰りますね」
浜崎さんにも別れを告げ、私たちは神社の入り口に向かって歩きだした。
――その目の前に、黒塗りの大きな車が止まった。




