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「愛人は何人作ってもらっても構わない」
「……は?」
目まぐるしい一日だった。
この日のために限りある予算内で、なるべく豪華に仕立てられた伝統装束に二人して身を包むと、まずは国民へのお披露目に数時間。それから神殿での由緒ある婚姻式。休む間もなく臣下との対談に、近隣諸国を招いた小規模ながらも格式高い晩餐会。すべての行事をつつがなく終えると、日は沈むどころかとっくに跨いでいた。結局、二人きりでゆっくりと会話する時間もなかった。
いつもより長い時間をかけて湯あみを終える。事前に、従者には「アドリアを執務室に待機させておくように」と伝えてある。寝室ではなく? と純粋に聞き返した、隣に居た若いメイドに苦笑して、ひらひらと手を振って湯殿へと向かったのだ。そういった誤解を招かぬように執務室に呼んだのである。
寝間着で面会するわけにはいかないので、薄化粧に、わざわざ簡易的なドレスに身を包んだまま廊下を突き進む。湯を浴びる前に話し合ってもよかったのだが、こってりとした厚化粧と、潮風を浴び続けた長髪、体を強く締め付ける正装衣装から一刻も早く逃れたかったのだから許してほしい。執務室の扉を開ければ、ソファの上で姿勢を正していたアドリアは勢いよく振り返った。どうやら、言われるがままに静かに待っていたらしい。二人だけの空間は、いやに静けさがうるさい。
余計な会話は入らないだろうと、開口一番、最初に伝えるべき内容を伝えることにしたのだ。アドリアは私の言葉にぽかんと口を開けて呆けたが、とくには気にせずに、向かいのソファに腰かけながらつらつらと繋げる。
「次代の玉座に着く王太子は既にいる。妹の子、つまり姪だな。だから子はいらん。相手を泣かせることのない恋であれば好きにしろ。嗚呼、貴殿と愛人の子は、我が国の法で王族を名乗ることは許されぬからそのつもりで。また、万が一子が生まれれば、その子の養育費はお前が捻出する必要がある。国費からは一文も出さん。その辺りは考えておくように」
「……」
「あとは……」
「ま、待て。別に俺……私は、愛人を作るつもりは、ない」
指折り数えて注意事項を告げようとしたが、唐突に静止の声が入ってしまった。顔を上げて見ると、アドリアはこめかみに手を当て、苦い顔を浮かべている。思わず首を傾げた。
「遠慮することは無い。貧乏小国に来てくれただけでも御の字だ」
「……貴方は、私ではなく、金が目当て、ですよね」
明け透けな問いかけは、疑いの色は無く、事実の確認作業のようであった。
「まあ、包み隠さず言うとそうだ。だが、だからといって貴殿を蔑ろにする気は起きん。好きに生きればいい。国に害をなしたり誰かを傷つけないのであれば限りなく自由だ。とはいえ、こんな小国ではできることも限られているだろうがな」
「私の悪評は聞き及んでいるでしょう。それなのに自由を与えるのは、失礼ながら浅慮ではありませんか」
こちらを蔑み、愚弄する言葉を選ぶくせに、表情に浮かぶのは自嘲だけだ。ちぐはぐな態度そのものは奇妙に映った。彼の態度そのものに、失礼さは浮かび上がってこない。だからこそこちらも、ハリボテの言い訳などは用意せず、素直な心の内を明かす。
「だとして……貴殿が噂通りの好色家で、幾人の女人を泣かせたとしても、女たちには悪いがこちらに金銭をもたらしてくれたのは間違いなく貴殿だ。そういう意味では、貴殿を無下に扱う理由もない……とはいえ」
アドリアは、拳を震えるほど固く握りしめていた。怒りでも悔しさでもない、巨大な感情に付ける名前を、私が知ることはできない。
「本当に浮名を流した好き者なのか、噂で判断はできん。事実は自分の目で見て通すことにする。よって、言葉の通り好きにするがよい」
「貴方ご自身のお気持ちはどうなんです。こんな男とくだらない婚姻を結ぶことになったんですよ」
「よりよい国を作る。それが我が使命。そのためにはなんだってしよう」
まったく、臣下と似たような心配を、本日夫になったばかりの男に正面切って言われるとは。初対面の印象だけで判断つけるわけではないが、この王子様、どうやら随分と訳アリであることが察せられる。
そもそも、アドリアが初めに膝を折ったその時から、噂の真偽を疑っていたのだ。彼の出身国、シュナゼルという、女当主の存在しない国で育った男が首を垂れるのは、そう簡単なことでは無いだろう。だが彼はすんなりと、国の主である私に躊躇もせず従順に礼儀を通したのだ。
アドリアは私の宣言に、目を細めた。
「……貴方には感謝しているんです。だから、できる限りのことをしたい」
「感謝? 金目当ての婚姻であることを自他国に隠さず、貴殿の尊厳や自尊心を傷つけたのにか?」
「そんなもの、俺にはもとよりありませんから」
月明りに照らされたアドリアの、顔色はいっそう青白い。
(この国の陽ざしはシュナゼルよりも熱く強く、肌を焦がす。白い肌が、きれいな小麦色に焼けるほど、城の外を歩き、南国の日差しを浴びてくれるだろうか)
ぼんやりと視線を彼の肌に滑らせていると、アドリアはこちらに手を差し伸べた。なにかを求めるようにも、差し出すようにも見て取れる。綺麗な掌だ。今朝、玉座の間にて、こちらから手を差し出し握手を交わした時とは違う。自らの意志で、差し出されたその手。
「既に支度金を手に入れた時点で用は済んだかもしれませんが、もしも私に、なにか追加で求めるとするならば――何をお求めになりますか、チュリ陛下」
「金だ。金はあるほどいいからな」
失礼極まりない要望だろう。彼自身に価値をちっとも見出していないとも取れる要求だ。だがここで、変に取り繕う選択はすべきではないだろう。
アドリアは、にっこりと笑みを浮かべた。
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