夫婦円満
妊娠五ヶ月。お腹の膨らみが、誰の目にも明らかになってきた。
以前のような強烈なつわりは収まったが、代わりに私の心には、言いようのない重圧がのしかかっていた。この小さな命は、私と優太の愛の証。けれど、世間やアキラの目には「夫婦の絆の結晶」として映る。
そんな中、私の生活に一番の「異変」が起きたのは、アキラの変化だった。
いつからだろう。彼は、夜遅くまでゲームをすることをやめた。
帰宅するなり、「体調はどうだ」「何が食べたい?」と、私の体調を気遣うようになった。以前の彼なら考えられないことだ。あんなにソファを占領していた男が、今は私のために少し高価な栄養価の高い食材を買ってきたり、娘の習い事の送迎を代わってくれたりする。
「お腹、出てきたな。……元気か?」
ある夜、リビングで寛いでいた時、アキラはそっと私の膨らんだお腹に手を添えた。
彼の掌から伝わる体温が、まるで電流のように私の背筋を駆け巡る。
「……うん。元気に動いてるよ」
私は顔を引きつらせないよう、必死で微笑んだ。
アキラのその手は、かつてないほど優しく、どこか慈しむような響きさえ帯びている。彼にとって、この子供は待ち望んだ「自分の子」だ。だからこそ、この献身は、彼自身が私に対して抱いている信頼の証なのだ。
けれど、私にとってその優しさは、何よりも恐ろしい「拷問」だった。
優太の子供だと知ったら、彼はどんな顔をするのだろう。
私のお腹に宿るこの赤ん坊は、彼が軽蔑し、無視してきた「家庭」の象徴ではなく、その家庭を裏切った「汚点」そのものなのだ。
なのに、アキラはそれを知らない。
彼が父親としての自覚を深めれば深めるほど、私の犯した罪の重さが、物理的な重さとなってのしかかってくる。
「ユキ、最近無理してないか? 仕事もほどほどにしなよ。俺の稼ぎで十分だろ」
彼の言葉は、以前なら喉から手が出るほど欲しかった「甘い言葉」だ。しかし今の私には、それが逃げ場を塞ぐ鍵のように聞こえる。
もう、この家から逃げ出すことはできない。経済的に依存し、彼という「良き父親」のイメージを完遂させ、この嘘を一生かけて正当化し続けなければならない。
私は優太への想いを、心の奥底に深く、深く封印した。
優太はもう過去の人。そう自分に言い聞かせる。今、私の夫として、そしてこの子の父親として振る舞うアキラを裏切ることは、もう許されない。
「……ありがとう、アキラ。あなたと、この子のためなら、何でもできるわ」
私は優太への想いを殺し、その空っぽになった心の中に、アキラへの感謝(という名の演技)を詰め込んだ。
私は、この優しい夫を、死ぬまで騙し続ける。
この温かな家庭という名の舞台で、私が妊娠を演じきったように、今度は「幸せな妊婦」という完璧な役を演じきるのだ。
アキラの手が、再びお腹を撫でる。
私はその温かみに耐えながら、心の中で静かに叫んだ。
(ねえ、優太……ごめんね。この子は、彼の子として生きるの)
皮肉なことに、不倫という「罪」が、私たちの冷え切った夫婦関係を、かつてないほど「円満」にしてしまっていた。




