再会
優太の子は無事に出産できた。
優太に鼻と口の型がそっくりの可愛い可愛い男の子。
家庭は体裁上の円満を保ったまま、平和に十年が過ぎた。
十年という歳月は、人の記憶を風化させるには十分な長さだと思っていた。
あの夜の背徳も、その後に抱いた胎動も、すべては穏やかな日常の泥底に沈み、二度と浮かび上がらないはずだった。
日曜の午後。穏やかな陽光が降り注ぐ公園には、平和な時間が流れていた。小学四年生になった拓也は、アキラと楽しそうにキャッチボールをしている。娘は大学進学を機に家を離れ、我が家はようやく完璧な家庭の形を整えたつもりだった。
……それが、あの一瞬で崩れ去った。
視界の端に、かつての面影を見つけた。中川優太だ。
隣には清楚な妻、そして六歳くらいの男の子。
不意に視線が絡み合い、私の心臓は凍りついた。優太が連れている男の子と、目の前で遊ぶ拓也。その二人を交互に見比べた瞬間、私は自分の血の気が引いていくのを全身で感じた。
優太と、そして息子と同じ顔だった。
誰の目にも、三人の血が繋がっていることは明らかだった。
お互いに認識してしまった為、体裁を取り繕うように軽く会釈を交わす。
「職場にいたパートさん」
優太は引きつった笑みを浮かべ、家族に私を紹介した。
優太の顔にも動揺が走り、彼が連れていた奥さんも、夫の視線と拓也の顔を交互に見て、どこか怪訝そうな、しかし鋭い疑惑を湛えた表情を浮かべていた。
アキラはどうだ。
旦那は何も気づかなかったのか、あるいは関心がなく、あまり見ていなかったのか。彼はいつものように無表情で、軽く会釈だけし、何も言わなかった。
ただ、思っていても口にしなかっただけかもしれない。
公園の帰り道、私は背筋が凍る思いだった。今頃、優太はあの女から何か問い詰められているかもしれない。
けれど、アキラはやはり、いつも通りだった。何事もなかったかのように運転し、何事もなかったかのように帰宅した。
その日の夜、すべてが終わりを迎えるとは知らずに。
寝室の灯りを消したあと、静寂の中でアキラが呟いた。
「なあ、ユキ。拓也の血液検査はできるか?」
心臓が、鼓動を止めた。
口の中の水分が全て干上がっていくのが分かった。
舌まで完全に渇いてしまい、話そうにも口が開かない。カパカパと乾燥した音だけが空気を動かす。
外の空気が、まるで冬の嵐のように私を切り刻む。
二分。それとも永遠のような時間だっただろうか。
私はようやく無理矢理に言葉を発した。
アキラの背中にそっと顔を埋め、ただ謝罪した。
「ごめんなさい。……貴方の考えの通りです」
隠すことはもう、できなかった。
アキラは怒らなかった。声すら上げなかった。
彼は無言でベッドを降り、部屋を出ていった。追いかけようとするが、彼の行動は予め決まっていたように素早い。
キッチンから包丁を持ち出す音が響く。
私が言葉を発する暇もなく、彼は真っ直ぐに拓也の寝室へ向かった。次の瞬間、寝ている息子の首が切り裂かれた。鮮血が噴き出し、飛び散った血が部屋を赤く染め上げる。
後ろで絶望の悲鳴を上げる私に、彼は向き直り、迷うことなく私の胃の辺りに深くナイフを突き立てた。
呼吸ができない。
彼はそのまま、家を飛び出していったようだ。
玄関の扉が物凄い音を響かせて耳を裂いた。
朦朧とする意識の中、私は息子を助けたい一心で床を這いずり、スマホで119を押した。
病院の白い天井が、今の私の世界だ。
息子は亡くなった。即死だった。
夫は自ら出頭したようで、今はもう檻の中だろう。
私はすべてを失った。愛する息子を、家庭を。娘も大学を退学させてしまった。
私は家族全員の人生を奪った。
……いや、違う。あの男が、アキラがすべてを奪ったのだ。
アキラが、私が不倫をしなくてもいいように家庭を支えてくれていたら。
私を女として満たしてくれていたなら、私は優太に依存しなくて済んだはずだ。私は悪くない。悪いのはすべて、この家庭を壊したあの男なのだ。
私は静かに微笑んだ。
窓ガラスに映る私の顔は、かつてないほど美しく、そして冷酷に歪んでいた。
私は悪くない。
悪いのは、私を愛さず、家庭という檻に閉じ込め、壊れるまで追い詰めた、あの男なのだから。
だって、
だって、そうですよね?
私が不倫したのは、旦那のせいですよね?
若い男の子に惹かるのは仕方ないですよね?
完




