ムスト
意外な事に、と言って良いのか、グールは私達の前に再び現れた。
新しい仲間なのだから、喜ぶべきところなのだが、私は何故か重たい気持ちになった。
もし見間違いでないのなら、このグールは目覚めし者を殺した事になる。
何の躊躇もなく、平然とだ。
相手が目覚めし者だと知らずにバトルに突入したとしても、私の呼びかけにワイトが反応した時点で気付いた筈だ。
気付かなかったのか、止められなかったのか。
止められなかった後悔のようなものは、目の前のグールからは微塵も感じられない。だとすれば、気付かないまま同胞を手にかけてしまったという事か。
それならばグールに非はない。なのに、何故私はこんなに彼を恐ろしく感じているのだろう。
「話トハ、ナンダ」
グールが話しかけてきた。説明をするのは、今や守護者である私の仕事だ。私は気持ちを切り替えて、今までノアがしてきた事をなぞった。
「気が付いたらこの世界にいた。それまでの記憶はない。違う?」
「……」
無言を肯定と見做して、私は先を続けた。
「自我が生まれたモンスター。私達は目覚まし者と呼んでいる。この世界の事はどれほど知っている?」
「……」
今度の無言は否定と捉えた。もう好きに進めよう。
「ここは人間によって作られた世界、ゲームの中だよ。さっきいたような『人間』がプレイヤーで、私達は雑魚モンスター。モンスターはプレイヤーの糧となる為に作られた存在で、知能も自我も持ち合わせていない。でもたまに自我に目覚める個体が生まれる。それが私達『目覚めし者』だよ」
一気に説明した。が、グールは無言を貫いている。
その瞳は、警戒しているというより、値踏みしていると言った方が近い気がした。
「……やられる為に作られたのだから、私達は圧倒的に弱者なの。だからこうやって、仲間と身を寄せ合って、知識と力を合わせて何とか生き抜いている。貴方が生きたいと願うなら、私達の仲間になる事を薦める」
「ソレハ何ダ?」
「え?」
脈絡もなく、グールが徐ろに私の胸を辺りを指さした。
話聞いてたかな! 今勧誘したんだけど!
グールが指し示しているのは、私の首から下げられたマザーハウスの鍵だった。
「ソレダケ妙ダ。ソレハ何ダ」
「これは……目覚めし者の源泉というか、何というか。うーん、代々の守護者に継承されてきた物で、とにかく私の命より大切な物だよ」
「……源泉。力ノ源」
私の命より、と言った事が気に食わなかったのか、ブランとシャモアが眉を顰めた。
「えっと。話を続けて良いかな。仲間になったら、幾つかの掟に従って貰う事になるけど、一人で行動するより確実に生きていきやすいと思うよ」
グールは無言のままだ。
長い沈黙に痺れを切らしたように、モスが腕を組んで口を開いた。
「で、仲間になるでござるか? 仲間になるなら、まだ話は続くでござる。心配しなくても貴殿一人を守るくらいの力は、持ち合わせているでござるよ」
グールは、蔑むような目をモスに向けた。
「プレイヤート共ニイルヨウナ、裏切リ者ノ仲間ニハナラナイ」
もしかするとグールは、目覚めてから時間が経っているのかもしれない。そうでなければ、ここまでの恨みを抱く事はないだろう。
きっと辛い日々だったのだろう。もう少し早く見つけてあげれていれば、と胸が痛んだ。
「プレイヤーを恨むな。これは掟の一つなのよ。ここは彼らが作った世界なんだから、神を恨んでも虚しいだけでしょ」
「恥ヲ知レ」
「でも仲間にならないと、その内消滅してしまうよ」
あれ。これ言葉にしたら脅迫みたいだ。
でもマザーハウスに行かなければ、自我は保てない。そらは伝えておくべき事だ。
「そうだぞー。仲間になれなくても少なくとも暫くは、一緒に行動した方がいいぞ。一人だと、すぐに死んじまうぞ?」
「一日で良いから、一緒に行動しない? そうしたら消滅を避ける事が出来るから」
グールは頑なに首を振った。
「シナイ。タダ一ツダケ要求ガアル」
グールは見下した目のまま、それでも願いを口にした。
「名ガホシイ」
「名前?」
意外な要求だった。本来なら名付けは仲間になった後に行うものなのだけど。でも名前があればフレンド登録が出来る。そうすれば今後も連絡を取り合う事が可能だ。今は無理でも、いずれマザーハウスに連れて行けるかも知れない。
私はリディスに視線で頷いた。
リディスは呆れたようにため息を吐くと、少し考えてから口を開いた。
「ムスト。黒いという意味よ」
ムスト、と自分の名前を確かめるように呟いた。
そして顔を上げると、私に近づいてきて、手を差し伸べてきた。
別れの握手なのだろう。
唯我独尊のように振る舞っていたムストにしては、意外に思いながらも、喧嘩別れしなくて済んだ事に胸を撫で下ろした。
私は握手に応じようと手を伸ばした。
バキィッ
次の瞬間、強く後ろに引き寄せられた。
「え?」
気づけば私はシャモアに肩を抱かれていて、その前に立ちはだかるようにモスがいた。モスに相対しているムストの腕は、あり得ない方向に曲がっていた。
「え?」
いつの間にかバトルフィールドに入っていた。
「手癖が悪い」
「殺気がダダ漏れでござるよ」
睨みつけるモスの正面で、ムストが肩をすくめた。
一体何が、と思う私の耳に、シャモアの奥歯を噛み締めるような声が聞こえた。
「鍵を奪おうとした」
鍵を……。
たったこれだけの会話で、この鍵の重要性を認識して奪おうとしてきたのか。
グールは地面に唾を吐くと、一気に私に向かって距離を詰めてきた。
来ると分かっていれば、わたしがノーマルモンスターに負ける要素はない。
私は攻撃を躱すと、そのまま宙に飛んだ。
ムストの手が届かない、上空五メートルくらいの位置から見下ろす。
「無駄だよ。ムストに私達は倒せない」
「で、ござるよ!」
モスの蹴りがムストの腹に当たる。骨の砕ける鈍い音が響いた。
「モス止めて! 殺しちゃダメだよ!」
「いや、やった方がいい。そいつ、生きてちゃダメ」
シャモアがムストに向かって鋼鎖を投げた。私は慌てて短剣を投げて鋼鎖の軌道を変えながら叫んだ。
「駄目! 目覚めし者の殺し合いは認めない!」
「他人に害をなす為に生きている、そんな奴もいる」
「それでも手を汚す必要はない!」
「アオも見た筈」
「見たよ!」
見間違いだと思いたかったけど、もうこうなってしまっては確定だ。ムストは敢えて目覚めし者を殺したんだ。おそらくは、他のモンスターよりも倒しやすいという理由で。いや、もしかすれば自分に恭順しなかったからなのかもしれない。
ムストはもうボロボロだ。なのに瞳には燃えるように憎悪の炎が渦巻いていた。
「ムスト」
私はムストの前に降り立つと、ポーションを一つ置いた。
「回復薬だよ。今後必要になったら使うと良い。……三ヶ月後のこの時間、魔女の噴水で会おう。ムストの消滅を防ぐ為だ。私達が憎くても、必ず来て欲しい」
それだけ言うと、私は踵を返した。
背後でムストの動く気配がした。
ポーションを掴み、回復したそのままに私の背後に躍りかかろうとしている。
今まで私は漠然と、目覚めし者は全て善良だと信じてきた。プレイヤーにしたってそうだ。
生物の本質は善なのだと、馬鹿みたいにそう思ってきた。
争う事があっても、それは認識の違いや単なる生存競争で、そこには善も悪もないのだと。
ムストは悪なのだろうか。
分からない。ただ私達にとっては善良な存在ではないというのは確かだと思えた。
背後にムストの殺気が襲ってくる。
ああ、もう。
……切ないな。
ムストの手が届くより前に、私は小さく呟いた。
「脱兎」
訪れた絶対時間の静寂。
私は空を見上げる。
深く昏い夜空に輝く星の金色の輝きが、ノアの瞳のようだと思った。




