第二十九話 「ギャングの崩壊」
ヘレンはミーシャとクロエの二人の娘を連れて、コルノン市中心街へと走り出していた。少しでも娘たちを治安維持兵、ゾンビの手から逃れるために。
こんなにも危機的状況であるのに、内心ヘレンは気持ちが高ぶっていた。それは母親としての大役を演じていられることに対する喜びでもあった。
母親であるにもかかわらず、ギャングに入り、天国草の中毒者になってしまった。生活のためとは言えど、毎日が後ろめたい気持ちで満ちていた。だが、それも今だけは忘れていられる。
コルノン市中央街の状況はスラム街と比べると驚くほど悲惨な状況だった。ゾンビの大群がかろうじて生きている人間を次々とゾンビに変え、ソンビの群れが至る所で肥大化していく。
本来ならここへ来るべきではないのだが、治安維持兵の方には娘たちを連れて行くことはできない。先ほどのアリアの話を信じるなら天国草を摂取していないはずの娘達はゾンビに襲われることはないのだ。それにダリスのこともある。同じ二の舞になってほしくない。
ダリスは娘たちと同じ父親ではない。ダリスだけあのベレの息子なのだ。このことは長年秘密にしてきていた。パーチェスが捕らえられた時にバラされてしまったが、今はどうでも良い。
ギャングに入ったキッカケはベレだった。スラム街で生まれたヘレンは毎日が生きることだけで精一杯だったが、明日のことを考えることができたのはベレの存在が大きかった。スラム街の生活居住区の近所に住んでいたベレは身寄りのないヘレンを密かに世話してくれていたのだ。歳もそんなに離れていないのにもかかわらず。当時名前などなかったヘレンは親しくなったベレに自分の発音に似た「ヘレン」という名前を授けてくれた。生涯生きてきてあれほど嬉しかったプレゼントはない。やがてベレが少年と呼ばれる年頃になるとベレはガルゴスのギャングメンバーになり、敵対ギャングを殺しまくった。それは生活のため。そして大切な人のために。日々感情が薄れ、冷たくなるベレを変えたいと思ったヘレンはベレと同じガルゴスに入ることになったのだ。
(ダリスもここにいたら駆けつけてくれたかも...)
そんなことを願ってしまうヘレンであったが、ここにダリスはいない。自分の子供ではないミーシャとクロエをベレが助けに来るわけもないのに。なぜならミーシャとクロエの父親であったドラッグディーラーの男はベレが殺したのだから。
「あああ...うううう...おおおあああ」
「母さん!!」
ミーシャの声にヘレンは我に返った。
通路の前方からこちらに気づいたゾンビたちが唸り声を上げながら迫ってきていた。
ヘレンはそこで立ち止まり、娘たちを隠すように両手を広げる。
「ミーシャ! クロエ! そこの酒屋に身を隠しなさい!! 酒樽の中に入っていればおそらく見つからないわ!」
「わかった! 早く母さんも一緒に」
「無理よ さっきアリアさんから聞いたでしょ 私は中毒者。 これが最後よ」
「違う! 母さんは母さんだよ!! いいから早く! ゾンビが来ちゃう!!」
「ううううう....あああ」
「後ろから!?」
ヘレン達がいる通路の反対側からもゾンビの群れがこちらに流れ始めた。
「行きなさい!!」
「母さん!! ダメ!」
「....さあ いきましょクロエ」
ミーシャが事を理解し、クロエの腕を強引に引っ張りながら酒屋の扉を足で蹴飛ばした。
「母さん....行ってきます....」
ミーシャの大人びた声をヘレンは耳で感じ取る。そして、
「いってらっしゃい...元気でね!」
喚くクロエを引っ張りながら、顔をグシャグシャにした娘たちは酒屋の中に入って行った。
「うううう....おおおお」
「ああああ....があああ」
震える声でヘレンはゾンビに語りかける。
「なんで...なんでよ」
一人になり、母親から一人の女性になったヘレン。
先ほどの勇気がそこにはなかった。
変えられないことは存在する。必ず。この運命は変えることができないのだ。
そう。
ヘレン一人では。
「重剣『薙ぎ払い』!!」
ヘレンの眼前に現れた赤髪の男が自分の身長ほどもある長いギロチン包丁を振り回し、
迫るゾンビの頭を次々と吹き飛ばした。
ヘレンの方を振り返るベレ。
「...ベレ」
「重剣『薙ぎ払い』」
後ろから迫ってきたゾンビの群れもベレは一瞬にして動かぬ死体へと変えていった。
「来てくれたのね...」
「...まあ...な」
「ダリスが連れ去られたから...もう無理かと...」
「勘違いするな...あの娘達は隠れてるんだろ 助けに来たのは中毒者だけだ」
「...ありがと」
「ギャングは崩壊した...コルノン市もな...だから俺はもうギャングのメンバーじゃねえ...パーチェスの件もなしだ」
「ありがとう!」
「同じことしか言わんのな...」
「これから...どうするの?」
「....」
ヘレンの問いかけに一瞬ベレが黙った。
とても返答に困っているように見えた。
「俺らが助かる道は一つしかない...治安維持兵のところに投降してソルジャーゲームに出る!」
「え?」
予想外の答えにヘレンは言葉が出なかった。




