第二十八話 「国民」
「ウィル!?」
ヘレンは手の届く範囲から聞こえてきたアリアの声で我に返った。
あれは一体なんなのだ。
空中を浮遊する男性。
アリアのような翼を持っていないにも関わらず、浮遊する男は余裕な面持ちでこちらを見ている。
アリアの反応を見るに、治安維持兵なんかよりもずっと上の存在なんだろうと、スラム街で育ったヘレンでさえも理解できた。
すぐ後ろにはクロエとミーシャがいる。先程崖から落ちたパーチェスはどうやらあの男が保護したようだ。
(...良かった)
ヘレンはホッとしていた。確かにあの男はお偉いさんなのだろう。治安維持兵をまとめている男であるのなら、憎い男だ。しかし、ヘレンはあの男なら話が通じるのではないかと感じた。
ヘレンがあの男。つまり政府に聞きたかったことをぶつける。
「なっ.... なんでこのような酷いことをするのですか!? わっ 私たちはこの国の国民ですよ!」
当然の疑問だ。確かにこのコルノン市の治安は非常に悪い。他の市に行ったことなどないが、おそらくデヴォルカスの中で一番悪いだろう。今まで治安維持兵を見かけることはほとんどなかったが、この市の治安に対処するため治安維持兵が送り込まれたのなら納得だ。だが、どうしてダリスのような何も罪のない小さな男の子が捕らえられなければならないのか。こんなことあってはならない。
軍服の男がヘレンの方を向く。
「申し訳ない...とは思っている。しかし仕方がないことなのだ。この市はデヴォルカスの中で最も治安が悪い。つまり、国にとって最も不利益を被るガンなのだ。ならガンをそのまま放置するのではなく、摘出して有効利用するのは至極当然のことだろう?」
「だったらうちの子が捕まるのは何故!? まだ小さな男の子で何もしていないのに!」
「...何もしていないからだろう...」
「っ!? 子供なんだから普通でしょ! 将来のことなんか誰もわからない」
「確かにわからん。だが...この市に生まれた者の未来を予測することは簡単だ。ギャングか中毒者になるしかないだろう?」
ヘレンはすぐに反論することができなかった。なぜなら彼女はギャングのメンバーであり、同時に中毒者であるからだ。
わかっていたことだ。自分が14の頃には既に将来の夢などなかった。しかし、自分は将来を予測することはできたのだ。そしてそれは予測通りの人生であったが。
「そうしてるのはあなた達、政府の仕業でしょう」
アリアだ。
「おお...一理あるな。しかし政府というのは犠牲を受け入れることのできる組織だ。それは貴様もわかるだろう?亜人サキュバスよ」
「何も変わろうとしない政府なんて、この世には不要! さあ、さっさとウィルを返しなさい!」
「ふむ...まあ俺が言えたことではないんだが...お前は人間ではないだろ? ならばこの国の国民ではない。発言の自由はないはずだ。....まあそうだな...これからのことも考慮し、一つくらい望みを聞いてやろう。さあ、受け取れ!」
次の瞬間、男の周りを浮遊していたウィルが落下した。男が魔法を解除したのだろう。
パーチェスと先程の治安維持兵はまだ浮いている。
ヘレンは胸に手を当て、深く息を吐いた。
「ウィル!!」
しかし、それを見ていたアリアは落下するウィルをキャッチするため、階段を飛び降り、焼けた翼を羽ばたかせた。
「アリア! ダメっ! あなたは飛べないっ」
ヘレンの声が彼女に届くよりも先にアリアはウィル目掛けて落下し始めていた。
両腕を体にしっかりと密着させ、急降下したアリアは空中でなんとかウィルをキャッチすると、焼けた翼を限界まで広げ、羽ばたかせる。
しかし、それだけでは落下のスピードを殺し切れていなかった。
治安維持兵の攻撃を食らったアリアの翼はろくに風圧を生まない。
崖下付近に佇む建物に直撃し、二人は地面に転がり落ちていった。
「おおお! やるではないか! ...おい起きろ 貴様まだ任務中だ。 あそこにいる二人を連行しろ」
空中で浮遊していた男はウィルとアリアが落ちる一部始終を見守った後、同じく魔法によって浮かされていた治安維持兵の男を叩き起こした。
何が起こったのか、把握し切れていない様子だったが、すぐに目の前の上官よりもさらに上にいるはずの男の顔を見て、姿勢を正した治安維持兵はすぐに締まりのよい返事を返した。
男の魔法により、ゆっくりと地面に降ろされると、そいつは直ぐに倒れる二人の元へと向かっていく。
「さて、これで今日のタスクは終了だ。たまには国民と話すのも悪くはないな...邪魔をしたな では!」
満面の笑みをヘレンに向けてこの場を去ろうとする男。
「っちょ!? 妹を返して!」
「ん?妹? ああこいつのことか」
ヘレンの言っていることを理解しているはずなのに、わざと知らない振りをした男。
さきほど、話ができるかもと一瞬でも思った自分が恥ずかしい。
「彼女を救ってくれたことは感謝するわ 妹なの 返して」
「聞くわけなかろう...困った奴だな」
眉をへの字型に曲げ不執拗に演技をする男の顔に腹が立つ。
「彼女は私の家族なの!」
「さらばだ せいぜいゾンビにならぬことだな!」
男はパーチェスを連れたまま、崖下で身柄を拘束した治安維持兵の元に行ってしまった。
「...最悪」
話すだけ無駄のようだった。所詮自分のような者が話すことなど無理な話だったのだ。相手の意図を聞けただけでも奇跡というもの。
「お母さん...」
「ああ ミーシャごめんね。それにクロエも。私は...母親失格だわ...」
「そんなことないよ... お母さんがいなかったら私達今日まで生きてこれなかったし...」
「...ありがとう」
娘たちに不安な思いをさせてしまった。
むしろ自分が助けられている。
何をするべきだなのだろうか。
この状況ですべきことなど既に決まっているではないか。
娘たちを治安維持兵もゾンビもいない安全な場所まで連れていくこと。
それだけだ。
今度は力強くヘレンは娘たちに伝える。
「この階段を降りたら、廃墟を探して身を隠すのよ! 上はもう治安維持兵が来てるからなるべく遠くにね」
ミーシャとクロエは無言で頷いた。




