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9.学友の来訪

 「へぇー!結構いいところに住んでるじゃん!」

 そうエントランスで大きな声がして、私は驚いて部屋から出た。ゆっくりと階段を降りながら注意を向けると、そこにはご主人様と……知らない男の人が立っていた。明るい金髪に明るい茶の瞳をした男の人は、ご主人様より頭半分ほど背が高い。

「うるさい…騒ぐな」

 ご主人様はそんな男の人を睨みつけたが、男の人は全く堪えた様子がない。屋敷の中をしきりに見渡しては、「すごい!」とか「いいなぁ!」という言葉を連発している。まるではしゃぐ子どものようだ。

(誰なんだろう?)

 このまま下りて行くべきか悩んで、階段の途中で止まっていると、ふと男の人の視線がこちらに向いた。

「…あ」

 男の人は驚いたように動きを止めたし、私もなんと反応してよいか分からなくて、動けなくなった。

「……大丈夫だ。来い」

 見兼ねたようにご主人様が手招きする。それでようやく私の足は動き出し、エントランスまで下りて行った。

「…え~っと?この子は?」

 男の人が動揺しながらご主人様を見ると、「訳あって家で預かっている」と、ご主人様は単調に言った。

「……預かってるって…」

(…え?)

 男の人はまだ困惑していたし、私はなんとか口には出さなかったけれど驚いた。"預かっている"という説明は正しくない筈だ。

「……アダムの、かの…」

「違う」

 男の人が何か言いかけたが、ご主人様は言い終わる前に否定した。男の人はなんと言いたかったんだろう?

「じゃあ、よ…」

「違う」

「ま、まさか!むす…」

「そんな訳あるか」

「だ、だよね~……びっくりした…」

 またしても男の人の言葉を、ご主人様は遮り続ける。私は話についていけずに、ぼんやりとその場にいることしか出来ない。

「もういいだろ。俺はきちんと生きてるし、暮らしに困っている訳でもない。分かったらさっさと帰れ」

「そういう訳にもいかないよ!ちゃんと説明されるまで帰らないからな!せめて家族ぐらい紹介しろよ。この子の他にも、あと二つ気配があるぞ」

(あと二つ…)

 おそらくはシロとクロのことだろう。そういえば、いつもならご主人様が帰ればすぐに出てきそうなのに、今日は現れない。やっぱり、知らない人がいるから警戒しているんだろうか?

(それにしても…)

 この人からも魔力を感じる。なかなか魔力量が多いようだが、普段のご主人様のように調節出来るのか、注意して見ないと、一見しただけではまるで魔力のない人のように見える。それに、屋敷の中にいる生き物の気配と数を正確に言い当てるなんて、只者じゃない気がする……。

「…ん?……ああ、僕が誰か分からなくて困るよね。ごめん。僕はジャスパー。ジャスパー・ウィットマン。アダムとは、魔法学校時代からの友人なんだ。今は魔法省で働いてるんだよ」

 私の不安に気づいたように、男の人は自己紹介してはにっこり笑って、胸元についたブローチを見せるように、ジャケットの襟を軽く摘んだ。

「……シュティレ…です」

 ご主人様が屋敷の中に入れているし、友人というのは嘘ではないような気がするのでとりあえず名乗ったが、まだ警戒は解けない。

 こういう親しみやすそうな人間ほど信用ならないものだ。表ではニコニコ笑っているのに、人目の無いところでは平気で酷いことをする……そういう人間は多い。むしろ、他人をいたぶる為に、わざと近づきやすい人格を演じていたりする。

 勘の良い人だし、私も警戒している空気が出ているのが分かっただろうに、ジャスパーさんはまだ楽しそうに笑っている。

「シュティレちゃんか……素敵な名前だね。いくつなの?…ってこれはマズイか。女性に年齢は訊くものじゃないね」

 心配になってご主人様をちらりと見ると、ご主人様は僅かに頷いた。それからジャスパーさんに向き直る。

「……わかった。事情を教えたら、帰るんだな?」

「ん?…ああ。"僕が納得出来たら"ね」

 ジャスパーさんは笑顔のままだが、"僕が納得出来たら"という部分を、いやに強調して言っているように聞こえた。

「ハァー……まったく……おまえ、そんなにねちっこい奴だったか?」

「僕だって意地悪したくて言ってるんじゃないよ。誰かさんが十年も音信不通だからでしょ!」

「分かった、分かった」

「僕がどれだけ心配したか!」

「分かったから……俺が悪かったよ」

「……分かってるなら、いいけど」

 ご主人様が謝ると、ジャスパーさんは大人しく口を閉じた。


 それからご主人様たちは応接間に移動し、私は茶菓子を取りにキッチンへと向かった。

「あれ?シロ、いたんだ」

 キッチンにはシロがいて、お湯を沸かしているところだった。

「うん!お客さんが来てるからと思って、お茶を淹れるところだよ。シュティレもそう?」

「うん」

「じゃあ、棚からシフォンケーキを出して、切り分けてくれる?」

「分かった」

 今日は朝から甘い香りがしていたけど、これを焼いていた匂いだったらしい。

 なるべく潰さないように気をつけながら、ふわふわのシフォンケーキを切り分けると、「いい香りね」と黒猫のクロが入ってきた。

「クロも来たの?」

 普段から調理担当なシロだけならまだしも、クロまでやって来たのを見ると、いよいよ不思議だった。なぜ、さっきはご主人様の出迎えに現れなかったんだろう?

「ご主人様があの友人をどうするか決めかねている様だったからね。敵ならばすぐに排除出来るように、潜んでいたのよ」

 クロは私の疑問を見透かしたように得意気に答える。それにシロも頷いて、「でも、シュティレを紹介していたし、大丈夫じゃないかな?」と言った。

「……道具とは言われなかったけど…?」

 そう呟くと、クロは「それは、そうよ!」と声を張り上げた。

「あなたを道具として紹介したら、ウィス・フォンスだって言ってるようなものでしょ!」

「そう…なの?」

「そうよ!あなたはどう見ても人間だし、人間が人間を"道具"なんて呼んだらおかしいでしょ?それに相手はご主人様と同じ魔法使い。それも、魔法学校を卒業してるのよ?魔法学校って言ったら、魔法使いの中でも一握りの人間しか入れない名門なんだから!それだけ力のある魔法使いなのよ」

「クロ、しーっ!…声が大きいよ」

「あら、失礼。ついね」

 シロに嗜められて、クロは声のボリュームを下げた。

「とにかく、ご主人様にも言われたかもしれないけど、あなたは希少な存在なんだから、軽々しく正体を明かしちゃダメ。……分かったわね?」

「うん」

 私が頷くと、安心したようにクロは目元を和らげる。

「よし!お茶も入ったし、みんなで持っていこう♪」

「なんで、みんなで行かなきゃならないのよ!変でしょ」

「いいから、いいから!」

 シロに半ば押されるようにして、私たちは一緒に応接間に向かった。

 シロはドアをノックして、「ご主人様。お茶をお持ちしました♪」と明るく言った。「入れ」というご主人様の声がしたのでドアを開けて入ると、ジャスパーさんは驚いて目を丸くしていた。少女と猫と、でっかいイタチ……私も逆の立場なら、同じ反応をしたと思う。

 しかし、ジャスパーさんが驚いたのはほんの一瞬で、すぐに破顔した。

「へぇー!猫の使い魔はよく見るけど、イタチは知らなかったな〜!それに、人間程の大きさなんてすごいな!やっぱり正統な魔法使いの生まれは、やることが違うんだなぁー!」

「そうでしょ!ちなみに、シフォンケーキはボクが作りました♪」

 褒められて気を良くしたシロは、ドン!と胸を叩いてみせる。

「…シロ。調子に乗るな」

「わわ!……ごめんなさい」

 ご主人様に言われてシロは少し、しゅんとする。

「アダムは十年でちょっと辛気臭くなったと思ったけど、かわいい使い魔がいるから、案外そうでもないのかな?良かった」

「おまえも、勝手な解釈はするな」

 疲れたように眉間に手をやりながら言うご主人様を、ジャスパーさんはニコニコと眺める。

「違うの?てっきりかわいい仲間たちと楽しく隠遁生活してるのかと思ったんだけど…」

「……やることがあるから、集めた使い魔だ。それ以上でも、それ以下でもない」

「"やること"……ね」

 そこでジャスパーさんは少し顔に影を落とした。

「まあ、僕なんかより頭のいい君なら、何某か考えがあるんだろうけど……僕のような昔馴染みと縁を切ってまで、することなの?」

「ああ」

「……手伝わせてはもらえない?」

「おまえには無理だ」

「――そっか。分かった。じゃあ、訊かない。訊かないけど……」

 そこでジャスパーさんは、ニヤリと笑う。

「時々遊びに来るからね!」

「……却下」

「いや!"遊びに来る"って言ったの。却下とかないから」

「…ここは俺の家だぞ」

「そうだね~……でも、君がなんと言っても、他のみんなはどうかな?今度はちゃんと手土産持って来るからさ、また来てもいいよね?」

 ジャスパーさんは私たちを振り返る。クロはプイッとそっぽを向いたが、シロはニコニコして、「いつでも、どうぞ!」と言った。

「……えっと…」

 私はなんと答えたらよいか分からずに視線を彷徨わせることしか出来なかった。

「シュティレ。無理して答えなくていい」

「…はい」

 ご主人様に言われて、ホッと力が抜けた。

「ほら!イタチくんはいいって言ってくれたよ」

 ジャスパーは勝ち誇ったように言ったが、ご主人様は呆れたように溜め息をついた。

「こいつは人懐っこいんだよ。敵意がなければ大体懐く。だから、数には入らないぞ」

「ケチ!」

 ジャスパーさんはそう言っては、シフォンケーキを食べ始めた。

 

 ジャスパーさんはティータイムの後、結局屋敷の各部屋を見て回ってから、帰っていった。

「ご主人様にもお友達が居たんですね!」

「まあな…」

 シロがニコニコ言うのに、ご主人様は静かに返す。

「結局、何も訊かないで行ってくれましたね」

 クロが意外そうに言う。しかし、ご主人様は首を横に振った。

「あいつはあんな感じだが馬鹿じゃないし、魔法使いとしての能力も高い。――見つかりたくない相手だったんだがな…」

「じゃあ、消せば良かったのでは?」

 クロの一言で、緊張が走る。私もシロも、ご主人様を見つめた。しかし、ご主人様は特に気にしたふうもなく、「……誰でも消せばいいってもんじゃない」と静かに言った。その瞳は、どこか遠くを見ているようで、なんとなく声を掛けずらかった。

 

 

 それからというもの、ジャスパーさんは度々屋敷に遊びにやって来た。

 たまたま近くを通ったとか、仕事が休みだったからとか、何かと理由をつけては、手土産にお菓子を持って現れた。邪険にするご主人様やクロのことも気にせずに、好きなように一人で話して、満足すると帰っていく。

 いつの間にか私は、ジャスパーさんがどこに住んでいて、どんな仕事をしていて、どんな食べ物が好きなのかなど、覚えるつもりがなくても覚えてしまった。ご主人様も諦めて何も言わなくなり、ジャスパーさんが来るようになってから一月が経つ頃には、クロとも話をするようになっていた。

 そんなジャスパーさんは――

「だいたい、おまえさ!若い女の子をずっと家の中で囲っておくのって、趣味悪いよ!」

「……シュティレは虚弱体質だから、あまり長い時間は外に出せないんだ」

「そうだとしても、日中あれだけ屋敷の中を動けるんだから、一、二時間程度なら問題ないと思うけど?」

 こんなふうに、私の在り方について、ご主人様と言い争うこともあった。

「ねぇ?シュティレちゃんも、もっと色んなところに行ってみたいよね?」

「……私は…」

 ご主人様の望むようにあればそれでいいのだけど、ジャスパーさんからすれば、私は普通の女の子とは言えない暮らしをしていて可愛そうだということらしい。

「誘導するような質問をするな。……とにかく、シュティレは色々と事情があるが、俺も何も考えていない訳じゃない。シュティレのことは、そっとしておいてくれ」

「ふ〜ん……だけどさっ!」

 口を閉じるかと思われたジャスパーさんはしかし、テーブルをバン!と叩いては、身を乗り出して向かいのご主人様を睨みつけた。

「どういう話で預かっているのか知らないけど、奴隷制が廃止になっている近年に、人間の女の子を学校にも行かせず、屋敷の中で召使いのように扱うのはどうかと思うよ!……あ、別に動物なら召使いにしていいって言ってるわけじゃないから、勘違いしないでね?」

 勢い込んで言ったジャスパーさんは、一瞬クロとシロを振り返る。けれど二匹は、特に気分を害したふうもなく「大丈夫です。私は好きで使い魔になったので」「ボクも!」と返事をする。

「そうか。良かった…」

 ジャスパーさんは安心したように目元を和らげたが、それも一瞬で、再びご主人様に厳しい目をして向き直る。

 当のご主人様は涼しい顔をして、ゆっくりと紅茶を啜った。

「……しつこい。シュティレも別に文句を言っていないのだから良いだろう。必要なことは教えてる」

「本当にそう?……何をどう選んでいいか、分からない境遇とかじゃないの?」

 そうジャスパーさんが言った瞬間、場の空気がピン!と張り詰めた心地がした。

(ジャスパーさんって、本当に勘の良い人だ…)

 ご主人様も私たちも何も言っていないのに、私が普通の暮らしをしてこなかったのではないかと疑い始めている……。

 どうするのか心配になってご主人様を見れば、ご主人様はゆっくりと口の端を上げて笑った。けれどその笑顔は、笑顔と呼ぶにはどこか冷たく、ゾッとする何かを放っていた。さすがのジャスパーさんも、これには驚いて息を呑んだ。

「…シュティレにそんなに興味があるなら、昔の誼で教えてやってもいい。どうせ、はぐらかしてもおまえは自力で調べそうだしな。……ただ、聞いたらおまえの取るべき行動は二つだ。俺に協力するか、俺と縁を切るか」

「ちょ!ちょっと待て!なんだそれ!」

 たじろぐジャスパーさんを、ご主人様は静かに見つめる。

「何も聞かずに、このままでいられるなら、それも良いが……どうする?」

「どうするって…」

 ジャスパーさんはしばらく落ち着かない様子で目線を彷徨わせ、頭を掻いたりしていた。しかし、やがて覚悟を決めたように、静かにご主人様の目を見た。

「――分かった。教えてくれ。きっと僕は、性格上知らないでいることは出来ないから、なんらかの形で答えを探すんだと思う。そして、おまえの口振りから察するに、シュティレちゃんについて話すことは、おまえが急に学校を辞めて行方をくらましたことに関係があるんだろう……だったら、友としてちゃんと知っておきたい」

「本当にいいのか?この話をすると、協力するか、縁を切るかの二択なんだぞ?」

「……ああ。おまえが何某かの覚悟を持って行動していると言うなら、僕も覚悟を決めなくちゃならないと思う。……それこそ、魔法使いが支払う対価のように」

 ご主人様は、しばしジャスパーさんの目を見つめていた。ジャスパーさんも、目を逸らすこと無く見つめ返す……。

 どれくらいそうしていたのか、やがてご主人様が一つ頷くと、「では教えよう…」と静かに話始めた。

 私も、クロもシロも、ジャスパーさんと同じようにご主人様の言葉を待った。

 思えば、明確にご主人様が何をしようとしているのか、私は分かっていなかったし、クロとシロも、この様子を見るに詳しくは聞かされてはいないようだ。

「そもそも、ジャスパー。俺が学生時代に何の研究をしていたか覚えているか?」

「ああ。確か……魔力量を増やす方法について…だったか?」

「そうだ。あの頃はど真面目に、魔法界の発展のために尽力しようとしていた。魔法の威力や使える魔法が多いほど魔法使いの価値は上がったからな。価値が上がれば、お祖母様達も、肩身の狭い思いをしなくて済むと思っていたんだ」

「それは、僕も思ってた。自分が強い魔法使いとして国に貢献出来れば、魔法使いに対する差別も無くなるって…」

「そうだ。だから俺は、魔力を上げるための術式を考えていた。ここまでくると、魔法というより"魔術"だが……そして、その術式を作る過程として、元から魔力量の多い魔法使いについて調べていたら、面白い話を聞いた。なんでも、他人に魔力を渡しても魔力が枯渇しない人間がいると言う話だ」

 それを聞いて、ジャスパーさんは目の色を変えた。

「そんなことって…!そんなの伝説の話じゃないのか?」

「俺も始めはそう思った。だが、その人間を探す為に学校を中退して旅に出て……そうして見つけたんだ。……シュティレを」

 信じられないといった様子で、ジャスパーさんは私を見つめた。

「見つけたはいいが、能力を他人に知られるとどうなるか分からないから、俺はシュティレの保護者として、シュティレの能力を研究しつつ、側に置いている訳だ。今は魔力量を調節しているから、パッと見ただけだと分からないだろうが、解放した時の魔力量は凄まじい」

「なんでそれを学会に発表――駄目だな…」

 ジャスパーさんは、言いかけた言葉を飲み込んだ。

「学会なんかに発表したら、貴族連中が黙ってないよな……どんな扱いを受けるか…」

「そうだ。だから、シュティレの力の謎が解明出来るまでは、隠しておこうと思う」

「それがいいな……けど、一人じゃ荷が重くないか?」

「人数は少なければ少ないほうがいいだろ。どこで情報が漏れるか分からないんだから…」

「それもそうか……分かった。で?これを聞いたらする協力ってなんだ?」

「簡単だ。黙っていてくれれば良い。俺が調べるから、知らないフリをして黙っていてくれ」

「……わかった。誓ってシュティレちゃんのことは口外しない」

「頼んだ」

(――なんだろう?何か、違和感が……)

 ご主人様はどうやら、本当のことを話していないように感じた。そもそも私は"道具"であって"保護対象"じゃない……確かに他に代わりはいないので、大事にされている自覚はあるけれど……。

 確か、自由に生きる為にに復讐するとご主人様は言っていたはずだ。それが、具体的に何をどうすることなのかは分からない。けれど、恐らくは敵になり得ない、むしろ絶対的な味方に違いないジャスパーさんにも話せない内容だと言うことになる……。

 私の気持ちが表情に出ていたのか、一瞬ご主人様と目が合った。けれど目が合った瞬間、急に首についているチョーカーが締まった感覚がして、息が苦しくなってきた。どうしたのだろうと思ってみて、これはご主人様の魔法かもしれないと思った。

(余計なことを考えるな……ということですか?)

「…っうぅ…」

 どんどん締まる喉が苦しくて、頭では無駄とは分かりつつも、手は無意識にチョーカーに伸びて、なんとか外せないかと藻掻いていた。

「シュティレ!?どうしたの?」

 側にいたクロが目を丸くして、瞬時に人型になると、私の背中を擦ってくれる。しかし、すぐに状況に気がついたようで、ハッ!とご主人様に目を向けた。ご主人様はそんなクロに頷いてみせると、私達の側にやって来た。

「お、おい!シュティレちゃん、大丈夫なのか?」

 ジャスパーさんが心配そうに椅子から腰を浮かせたが、ご主人様は手の平を見せてジャスパーさんを制す。

「大丈夫。虚弱体質だと言っただろ?時々こうなるんだ……俺が部屋に運ぶから、クロ、後は頼む」そう言ってご主人様は、私を横抱きにした。ご主人様に触れられた瞬間、喉が楽になった。しばらくはゼェゼェと荒い呼吸だったが、ご主人様が階段を上がる間にだいぶ落ち着いてきた。


 「……ごめん…なさい…」

 ご主人様は怒っているだろうか?不安に駆られて謝ると、ご主人様はフッと短く息を吐いた。

「おまえの素直さは長所であり、短所だな……ジャスパーはお調子者に見えて頭の回る奴だから、小さなきっかけから真相に気がつくかもしれない……だから、おまえは人前では極力表情を変えないように努めろ」

「……はい」

 ご主人様は私を私の部屋のベッドに下ろしてくれる。何か罰があるだろうかと身構えていると、ご主人様は屈んで私と目を合わせた。

「いきなり苦しくして悪かった。ジャスパーに疑われないようにする為だったが、驚いたろ。――大丈夫。罰を与えたりなんてしないから、そんな顔するな」

「…ジャスパーさんには、本当のことは言わないんですか?」

「言わない。――言えばあいつは、全力で俺を止めようとするはずだから」

(……ってことは、やっぱり…)

 ご主人様のしようとしていることは悪いことなんだろうか?ジャスパーさんは良い人そうだし……。

 そう思っていると、ご主人様はそっと私の手に触れた。

「本当なら、ジャスパーを消したほうがいいんだろうが、あいつは本当に良い奴なんだ。いくら目的があるからと言っても、善良な人間を邪魔だからと殺すような人間にはなりたくない……中途半端で悪いな。おまえにも苦労を掛けると思うが、やることが終われば、おまえを自由にしてやる。だから、それまでは付き合って欲しい」

「……じ、ゆう…?」

 "自由"とは、実際にどういう状態を指すのか、私は今ひとつ想像が出来なかった。きっと、どこかに閉じ込められたり、誰かに命令されたりしないで、自分のしたいことをしたい時に出来ることを言うのだと思う。私も何度かは、そんな自分を想像したり、夢に見たりしたことがある。だけど――

「……自由になったら、ご主人様は……一緒にいてくれないんですか?」

 つい言ってしまってから、慌てて口を押さえた。ご主人様は不思議そうに首を傾げる。

「俺から、解放されなくてもいいのか?」

 私は少し気まずくて、答える代わりに小さく頷いた。

「……俺は、おまえを道具として使っているだけだ。優しくなんかないぞ?優しいっていうのは、ジャスパーみたいな奴のことを言う」

(そうかもしれない……だけど)

「……ここでの暮らしは、初めてのことばかりで戸惑っていて……初めて、優しくしてもらえて……これが幸せなのかなって思えたんです」

 きっと、他所を知らないからだと笑われるだろうと思う。ご主人様も本音は話してくれていないし、道具としての扱いだというのは理解しているつもりだ。それでも、シロやクロと他愛もない会話をするのは楽しいし、ご主人様も、ぶっきらぼうなようでいて、優しく気遣ってくれる。もちろん、私に利用価値があるからで、価値が無くなったらそうではなくなると思うけど……。

「なるほど。初めて優しくしてくれた相手だから、特別に感じているわけか……おまえは本当に従順だなぁ。そんなことを言われると、俺もおまえが手放せなくなりそうだ」

 ご主人様はそう言って私の頬に触れると、優しく撫でた。

「っ!」

 恥ずかしいのと、胸が苦しいのとで体を強張らせて俯いてしまう。

「……シュティレ」 

 名を呼ばれて顔をゆっくり上げると、ご主人様は優しく笑っていた。

「信じてくれて、ありがとう」

 どうしてだろう?こんなにも優しいのに、ご主人様は他人と距離を置いて、更に傷つけるようなことをする……。

(ご主人様も、迷っているのかもしれない…)

 何か言ってあげたかったが思いつかずにいると、

「明日は少し遠出をするんだ。またおまえの力を貸してくれ」とご主人様は切り替えるように言った。

「はい」

 素直に返事をすると、ご主人様の笑みは深くなった。

「いい子だ。……今は少し、おやすみ」

 ご主人様はそう言うと、私の額にキスをした。

「!」

 驚いて体がビクリと反応したが、すぐに急な眠気に襲われて、私は抗えずに目を閉じた……。

お読み頂き、ありがとうございました。

アダムやシュティレが特殊なので、ジャスパーの常識人っぷりに少しホッとしながら書いていました。

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