5.ルーツを探して
喉が渇いたので階下に下りてキッチンに向かうと、シロが食事の支度をしていた。
「あ、ご主人様!紅茶でも淹れましょうか?」
「いや。水でいい」
「分かりました」
シロはコップに水を注いで渡してくれる。それを受け取って一気に飲み干した。
「ハァー」
一仕事を終えた気分だ。何だか疲れた。
そんな俺の様子を見て、シロは笑う。
「お疲れ様でした。……でも、あんな"芝居"打つ必要、ありました?あれがなくても、シュティレなら大丈夫だと思いますけど…」
「まあ、念の為な。シュティレの様子なら、確かに必要なかったかもしれないが、あの男爵がシュティレに執着して探していたのは耳に入っていたし、始末するにもいい機会だったってだけだ」
「そうですか……でも、後でバレたら、シュティレは怒るんじゃ……」
「たとえそうでも、"信用して欲しくてやったことだ"とでも言えば納得するだろ。大体、今回のことが茶番でも本当でも、シュティレにとってはマイナスにはならない。どちらにしたって、"おまえが必要だ"と言われているに過ぎない。奴隷のように生きてきた奴にとって、必要とされることは何よりも嬉しいことだからな」
「本当にご主人様はお人が悪い……もうちょっと、真っ直ぐに人にぶつかってみてもいいと思いますよ」
「おまえは正直過ぎるんだ。本当、なんでおまえみたいなやつが、あんなに攻撃力が高いのかね……逆に心配だ」
「正直者だからこそ、ではなくて?」
そのとき、クロがキッチンに入ってきた。俺の肩にポンと跳び乗る。
「…重い」
「レディに対して重いとは失礼な!なら、椅子にでも掛ければよろしいではありませんか。そうしたら、膝の上に乗ります」
「わかった」
どうしたって俺の上に乗っていたいらしいので、諦めて椅子に座ると、クロは膝の上で満足そうにする。
「シロは単細胞だから、多くを考えられません。だから、攻撃に集中出来るというだけのことですわ」
「単細胞…」
シロはそれを聞いてしょんぼりする。それがなんだか面白かったが、「ま、それはシロの良さでもある。そんなに落ち込むな」とフォローしておいた。すると現金なもので、「はい!」とシロは嬉しそうに尻尾を振った。
「まあ、私は楽しかったから良いですけど。ご主人様に牙を向くなんて……とは思いましたけど、おかげでシュティレのご主人様に対する忠誠心は上がったようですし、やった甲斐がありましたわ」
「バカ言え。おまえ、結構本気で命を取りに来てただろ」
「まさか!…あれぐらいしないと、シュティレは信じてくれないでしょ?あの子、ウィス・フォンスなだけあって、勘も鋭いようですから、中途半端なことをしたら、茶番だと気づかれたかもしれませんし…」
甘えるように俺の腕に体を擦り付けながら、クロは澄ました顔で言う。
今回のからくりは、俺の家を男爵にバラし、わざと出掛けて、男爵が家に来るように仕向ける。家に来た男爵にシュティレを襲わせ、それを待ち伏せていた俺が助けて、信頼を得るというものだった。ただ、シュティレが意外にも俺の行動を改めさせようとしてきたので、逆上したフリをして、クロを呼んで一芝居打った……というわけだが、実際、クロがあの場で語ったことには嘘はない。クロは元々、俺の祖母の使い魔だった。肺の病を抱えていた祖母が、自分が死んだら俺に付くように命じた為に、俺の使い魔でいるだけだ。使い魔は本来、そうした命令でも無い限りは別の主人を持ったりしない。ましてやクロは、祖母の使い魔であったことを誇りに思っていて、祖母が死んだら自分も死ぬつもりだったらしい。今でも恐らく、クロは俺より祖母に対する忠義で動いている。俺が仕えるに値しない主人だと見限れば、迷いなく俺を殺すだろう。
「…シュティレをどう見る?」
訊くと、クロは耳を動かした。
クロは人の心の内を見通す力があるから、クロには嘘はつけないが、他人の本心を知るのに役立っているのだ。
「ご主人様も分かっているでしょう?あの子は金の卵です。境遇故に控えめにしていますけど、それさえなければ、優秀な魔法使いになれますね。案外意志の強いところがありますから、こうと決めたら、真っ直ぐ進むでしょう。今はご主人様や私達が優しくしているので、素直に慕って役立とうとしてくれてますから、このまま優しくしてあげれば、他所になびくことはないでしょうけど……注意して下さいよ。あの子は、あなたよりずっと強い魔法使いになれます。間違っても、魔法の使い方を教えたりしちゃ、駄目ですからね」
「分かってる」
けれど、いくらこちらが教えなくても、その気になれば独学でも魔法は使えてしまう。それは仕方がないとしても、刃向かって来ないように、心だけは握っていないといけない。結局人は、感情に忠実な生き物だ。理屈では分かっていても、情には逆らえない。
(いっそのこと、俺の女にしてしまおうか…)
「それは、慎重になったほうがいいですよ。男女の情は厄介です。相手を絡め取るつもりが、逆にこちらが絡め取られることもあります。それに……シュティレに手を出すなら、トラブルにならないように、シュティレ以外の女性と好い仲にはなれませんけど、いいんですか?」
「いちいち心を読むな。言われなくても分かっている……別に恋人なんて要らない」
「要らないからこそ、厄介なんですよ。ご主人様のほうこそ、本気になったらどうするんですか」
「そんなバカな…」
「でも、ご主人様。シュティレのこと、気に入ってますよね?なんか優しいし……」と、シロまで会話に入ってきた。
「あのな……優しいのはあいつに抵抗なく魔力を渡させるためであって…」
「えー!シュティレのこと、好きじゃないんですか?可愛くて、いい子じゃないですか〜!」
シロはショック!と言わんばかりに、両前足で頬を挟んで叫んだ。
「騒ぐな。うるさい……」
シロの匙加減の好きや嫌いは単純だ。食べ物の好みのような、直感的な感覚だ。その匙加減で言うなら、俺はシュティレが好きではないということになってしまうのだが、それを言うとややこしいので、言うのは止めておこう。クロはともかく、シロには駆け引きなどという難しい話は分かるまい。
「とにかく、おまえらはこれからもシュティレと仲良くしてやってくれ」
「はーい!」
「承知致しました」
良い返事をする使い魔たちだったが、二匹の想いはそれぞれだろう。全く、扱いの難しい連中だ。しかし、能力は申し分ないから厄介なのだが……。
(シュティレも、ただの従順な奴隷ではなくなってきたし、いよいよ大変かもな…)
シュティレの場合は、俺が蒔いた種かもしれないが。
(早いところ、シュティレの本名を調べないとな…)
本名を縛れば、簡単には逆らえない。しかし、シュティレと関係を深め、自分で思い出させて、俺に教えさせるのもありかもしれない……。
(当面の目標は、それだな)
「後でシュティレと話してくるか…」
呟くと、「なんなら、今度は二人で町に行ってみてはいかがです?シュティレの生まれた地域の目星はついているんでしょ?」とクロが言う。
「なんで二人でなんて…」
「いいじゃないですか!仲良くなるチャンスですよ!」と、シロも便乗した。
「チャンスってなんだ…」
何故か瞳を輝かせる二匹に戸惑う。いつもは滅多に意見が合わない二匹が、なぜだか同じ熱量の期待を抱いている気がする……。
「おまえら、シュティレのことが好きなのか?」
何の気なしに訊くと、「ええ。ご主人様より可愛いですもの」「はい!ご主人様やクロと同じくらい、大好きです!」と即答してきやがった。
「……勝手にしろ」
些か気分が悪くなったがまあ、道具同士、結束が固いに越したことはない。
そう思って口を閉じると、「あら、ご主人様が拗ねたわ」とクロが言い出し、「うわぁ~!ごめんなさい!でもボク、ご主人様達と"同じくらい"って言ったんですよ!ご主人様"より"なんて言ってませんからね〜!ご機嫌直して下さい」とシロは俺の肩を揉み出した。肩が凝るなんて言ったことはなかったんだが……。
クロを睨むが、クロは素知らぬ顔で、ふわぁ〜と欠伸をしていた。
どれくらい眠ったんだろう?
体を起こして窓の外を見ると、すっかり辺りは暗くなっていた。月明かりを頼りに部屋の外へ出ると、廊下は蝋燭の灯りに照らされていた。階下からは、シロやクロの声がする。行ってみようと歩き出すと、隣のご主人様の部屋のドアが開いて、ご主人様が顔を出した。
「起きたのか」
「はい」
「なら、食事をして来い。さっきからシロがソワソワしていたぞ」
「分かりました」
「終わったら話があるから、俺の部屋に来い」
「はい」
ご主人様に向かって軽く頭を下げてから、階段を下りる。キッチンへ行くと、シロと猫の姿のクロがいた。
「あ!シュティレ!おはよう」
「おはよう」
いつも出会うと、すごく嬉しそうに出迎えてくれるシロが可愛くて、つい釣られて笑顔になってしまう。一瞬、昼間の出来事が嘘だったのではないかと思った。
「体は、大丈夫?……襲われて、びっくりしたよね?」
(やっぱり、夢じゃない…か)
シロが私を助ける為とはいえ、元ご主人様を瞬殺したのも、ご主人様が私の首を絞めたのも、それをクロが咎めたのも、全部。本当にあったことなんだ――
「ご、ごめん!……ボクのこと…怖い?」
私が暗い顔でもしていたのか、シロが不安そうに言う。それで私は慌てて首を横に振って否定した。
「ううん。…シロは、私を助けてくれただけだから……ちょっとびっくりしたけど、怖くないよ。……助けてくれて、ありがとう」そう言って笑ってみせると、シロはホッと胸を撫で下ろした。
「よかったぁ~。嫌われたらどうしようかと思ったよ…」
「アンタは大袈裟ね」
そうクロは呆れたように言っては、「さあ、シュティレ。ごはんを食べて」と、私をテーブルに誘う。
「うん」
頷いて席に着くと、シロがパンやシチューを並べてくれる。毎度思うけれど、よくあのフワフワの前足で料理が出来るものだ。
私が料理を食べ始めると、シロもクロも、安心したようにそれぞれのことをし始めた。シロは食器の片付け、クロは自分の餌皿に入っているミルクを飲んだ。
「……あ。……そう言えば、クロ」
食べながらふと思いついて、クロに声をかけると、クロは餌皿から顔を上げた。
「何?」
「ご主人様の名前って、"アダム"って言うの?」
「ええ。そうよ」
「……ご主人様のこと、名前で呼んだら……ダメかな?」
私が訊いた瞬間、シロもクロも目を丸くして固まった。
「や、やっぱりダメだよね!ごめん!忘れて…」
慌てて言葉を取り消すと、シロとクロは顔を見合わせた。
「……いや、いいんじゃないかな?」
「ええ。"名前で呼ぶな"と言われたことはないし…」
「……え?」
二匹の反応に驚いていると、クロが私を見て目を細めた。
「シュティレは、ご主人様を今までのご主人様と同列に扱いたくないのよね?」
「!?」
私はクロに、そういう話をしただろうか?確かに、そうなんだけども……。
「うわぁ~!それって、シュティレにとってご主人様は特別ってこと?なんかいいなぁ~!」
シロが楽しそうに尻尾を激しく振った。
「試しに呼んでみたら?面白い反応が見られるかもしれないわよ」
「…う、うん…」
自分で言い出したことだが、なんだか緊張してきた。
「大丈夫だよ。もし怒られたら、ボクも一緒に怒られてあげるから」
シロがニコニコして言う。それに「…よろしく」と返すと、シロは嬉しそうにした。
食後、ご主人様の部屋のドアをノックすると、すぐに「入れ」と返答があった。
「失礼します」
部屋に入ると、椅子を勧められる。座ると、「疲れていないか?」と優しい声で訊かれた。
「大丈夫です」
「そうか。なら、相談なんだが…」
「相談?」
「ああ。……おまえ、自分の本名を思い出したくないか?」
「本名……」
確かに、一度貰った名前だから気にはなるが、使わないことが長かったせいで、愛着はなかった。
「……どちらでもいいです」
私が答えると、ご主人様は驚いた顔をしたが、すぐにフッと笑った。
「…なるほど……あまり気にならないか?」
「はい。五歳の頃に売られてから、呼ばれなかった名前です。自分でも忘れているくらいですし、これからはここにいるので、『シュティレ』で充分です……というか……シュティレがいいです」
「……そうか」
ご主人様は何故か私から目を逸らす。それを不思議に思っていると、「なら、おまえの故郷を見に行く必要はないか?」と訊いてきた。
(家族が元気にしているかは気にはなるけど、帰ったところで、困らせるんだろうな……)
一応、売られた訳だし、弟や妹が生まれてからというもの、私の特別さがより目立ってしまい、最後には親からも距離を置かれ気味だったので、私を見ても嬉しくはないだろう。
「はい。両親も困るでしょうし、行かなくて平気です」
余計な気を遣わせないように出来るだけ明るく答えたが、ご主人様は複雑そうな顔をする。
「わかった。ただ、おまえの生年月日は知りたいから、調べるだけ調べていいだろうか?」
「構わないですけど……なんで生年月日が必要なんですか?」
「存在証明には何かと必要なんだよ。場所や物によっては、年齢確認があるし…」
「場所や物…」
ご主人様の言葉を反芻し、その意味を徐々に理解した。理解すると、疑問が生まれた。
「…あの……私は、外に出てもいいのですか?」
「ああ。構わない。むしろ、俺はおまえを連れ歩くこともあるだろう。ただ、一人は駄目だ。必ず誰かを連れて行け。クロでもシロでも、俺でも。……言っておくが、俺は今までの主人達のように、おまえを家の中に縛ったりはしない。人間らしく、好きにすればいいと思っている。だが、俺に許可を取れ。これだけは守ってもらう」
「わかり…ました…」
なんだか信じられなくて、言葉が詰まる。
「嬉しいか?」
何かを試すようにご主人様が言う。
「はい!」
何を試されているのかを考えることもせずに返事をすると、ご主人様は笑みを深くする。
「そうかそうか。……なら、礼の代わりに魔力を寄越せ。それでおまえの生まれ故郷にワープする」
「…私の故郷は遠いのですか?」
「俺の調べが正しければ、隣国の山奥だ。…そこまで翔ぶとなると、なかなかに疲れるから、おまえの魔力を使って翔ぶことにする。だから、自動的におまえも一緒に行くことになるが、構わないな?」「はい」
「よし。なら、今日はもう遅いから、明日の朝にしよう。今日は休め」
「分かりました」
頷くと、「いい子だ」とご主人様は私の頭を撫でる。頭を撫でてもらうほど、自分は幼い子どもではないはずなので少し気恥ずかしいけど、ご主人様に褒めて貰えるのは嬉しい。それでじっとしていると、ご主人様はフッと笑った。
「…おまえも犬か猫みたいだな」
「え、そうですか?」
よく分からなくて首を傾げていると、ご主人様は更に楽しそうにしていた。
(そうだ……ご主人様の名前……)
「……あの」
「ん?どうした?」
「ア、アダム…様」
「!!――急になんだ?」
「…えっと…」
低い調子の声で問われて、萎縮してしまう。
「そう言えば、クロがご丁寧にバラしてくれてたな……まあ、いい。好きに呼べ」
ご主人様は呆れたように息を吐く。
「い、いいえ!ご主人様が嫌だと言われるなら、今まで通りでいいです……ごめんなさい…」
「名前と言うのは、魔法においても重要だ。俺がおまえに命令出来るのも、名前を縛っているからだしな…」
「……私は、ご主人様に歯向かったりしません」
「今は、そうだろうな」
(やっぱりまだ、信用されていないのかな?)
というか、やはりこれだけの距離感で居ても、私はおろか、クロやシロでさえも、完全には信用しておらず、一線を引いているのだろうなと思った。私からすればクロもシロも、ご主人様が心配するようなことはしないと思うのだけど……。
近いようで遠い距離を感じて寂しくなったが、そう思う自分の気持ちすらも不思議だった。自分がここまで、他人に興味を持てる人間であったことに驚く。
(ここに来て、少し変わったのかな…)
だとしたら、変えてくれたのは紛れもなくご主人様達だ。
「今だけじゃありません。私は、ご主人様が私を必要としなくなるまで、側に居ます」
分かって欲しくて、ご主人様の目を見つめるけれど、ご主人様は私に目を合わせようとはしなかった。
「……そうか。おまえは律儀な奴なんだな。純粋だとも言えるか……」
どこか自嘲するように笑うと、ご主人様は私に部屋へ戻るよう促した。それに従って部屋に退がりながら、いつかご主人様に信じて貰えるように努力しようと決意した。
※
翌日。朝食を済ませると、早速出発することになった。今日は私を知っている人に会う可能性があるので、クロの発案により、髪は束ね帽子を被った。おまけに男物の服装だったので、一見するとその辺りの町工場にいそうな青少年という出で立ちだった。
「男装も案外似合うな」
ご主人様は可笑しそうに笑ったが、「だけどそうなると…」と少し険しい顔をする。
「どうかしましたか?」
人型のクロが、何故かニヤリと笑って訊いた。
「魔力を貰うのに、手を繋ごうかと思ったんだが、男同士で手を繋ぐみたいで、なんだかな……」
(確かに…)
想像してみると、なんとも怪しい様子だが、たとえいつも通りでも、男女で手を繋いでいる光景な訳だし、人目につけば何かと噂が立ちそうではある……。
私が思ったことをクロも思ったのか、「どっちにしろ違和感しかありませんから、大丈夫でしょ。人目のない所にワープすればいいではありませんか」と言った。
「……まあ、それもそうか…」
ご主人様はそう呟いては、何かを振り払うように一度頭を振ってから、私に手を差し出した。私がその手を取ると、「それじゃあ、行くぞ。――シロ、クロ。留守は任せた」と、ご主人様は二匹を見た。
「「はい」」
二匹が揃って返事をする。
そのあと魔力が抜ける感覚がして、ご主人様が軽く目を閉じると、一瞬で景色が変わった。
「!?」
小鳥のさえずりが聞こえ、周囲は木に囲まれている。しかし、足元には草や砂利が取り除かれた道があり、どこかの山道であるのが伺えた。
「さて、着いた。この道を行けば、小さな村に出るはずだ」
ご主人様の後ろに付いて道を歩く。体感にして五分ほどで、村が見えて来た。
「見覚えはあるか?」
「……あんまり…」
「そうか。とりあえず、それとなく噂話を探るようにおまえのことを訊いて回ろう。おまえは何もしなくていいから、黙ってついてこい」
「はい」
この村は畑作を生業にしている村のようだ。季節は初夏とあって、青々した畑が広がっている。何の植物かは分からなかったけれど、見ているうち、なんだか畑の並びに見覚えがあるような気がしてきた。
畑の先には平屋の大きな建物があり、側に荷車も置いてある。中で作業をしている人達がいて、そのうち一人が顔を上げた。中年の女の人だ。
「あんれ?こんな田舎に、お客さんかね?」
声を掛けられ、ご主人様は柔和な笑みで答える。
「ええ。国の依頼で、少し調べ物をしておりまして」
「これはこれは!お役人様だったとは!」
役人とは名乗っていないが、女の人は勝手に勘違いしては恐縮する。ご主人様も訂正はせず、そのまま笑顔を絶やさない。
「調べ物だったら、役場に行ってみたらいいさね。…ほれ、あんた!案内してやんな!」
女の人が奥に声をかけると、女の人の夫だろうか?仏頂面の男の人が立ち上がった。スタスタ歩いては私達を通り過ぎる。一瞬怒っているのかと思ったが、振り返っては「……こっちだ」と言った。
「ありがとう」
ご主人様は礼を言ってついて行く。私も後に続きながら、不思議な気分だった。
(外の人と話す時は、こんな感じなんだ…)
屋敷の中のご主人様と、今のご主人様の様子が噛み合わなくて、何だか居心地が悪い。けれど私が戸惑っていては、ご主人様の邪魔になりかねないし、普通にしていないと。――
村役場は、意外と近くにあった。赤いレンガ造りの建物で閑散としている。小さな村だし、あまりたくさん人が来るわけでもないのだろう。
「ここだ……それじゃ」
役場に着くと、案内してくれた男の人はそそくさと帰っていった。
「随分と無愛想な奴だったな」
ご主人様は苦笑いしては、役場の中に入って行った。入ってすぐに木製のカウンターがあり、分厚い眼鏡を掛けた木の枝のように細いお爺さんが静かに座って――いや。寝ていた。
「すみません」
「……」
ご主人様が声を掛けても起きない。
「すみません。訊きたいことがあるのですが」
「……」
ご主人様は声のボリュームを上げたが、それでもお爺さんは眠り続けていた。それでお爺さんの肩を叩いたり、揺すったりしながら声を掛け、ようやく「んが?」と目を開けた。
「……見ない顔じゃな……新入りかの?」
「いいえ。調査の為に来ました。少し、お話しを聞かせてもらえませんか?」
「はて?調査とな…?それはご苦労なことで…」
お爺さんは目をショボショボさせながら、眼鏡を掛け直す。
「ええ。実は、国では魔力の研究に積極的でして、主にいかにして魔力を得るかの研究をしているのです。それで……風の噂で聞いたのですが、今から十数年前。この村に、生まれながらに魔力が高かった子どもがいたというのは、本当ですか?」
ご主人様が聞くと、お爺さんは顔を顰めた。
「それは……"悪魔の子"のことかの?」
――どうしてこんなことに……まるで悪魔のようね。――
「!」
ふと、誰かの言葉を思い出し、それと同時に心臓が苦しくて、息が詰まった。思わず胸元を抑えて、後ろに下がる。
「悪魔の子…ですか」
「ああ。確か……バーマンさんちに産まれた子じゃ。桃色の瞳をした女の子で、産まれながらに魔力があったそうで、周りにあるものを浮かせたり、手を触れずに壊すほどの力があったんじゃ」
「そのようですね」
「しかし、その子はもう村にはおりませんが……?」
「ええ。知っています。貴族に目を付けられ、買われたとか……貴族も上手に隠しているので、なかなか本人には会えていないのですが……」
「あの子は、生きているのですか!」
お爺さんは椅子から立ち上がらんばかりに驚いた。その勢いにご主人様も驚いていた。
「え、ええ……死んだとは聞かないので……その子どもはどうやら、魔力を他人に供給する道具として使われているようです」
「そうですか。――なんと、恐ろしい……」
"恐ろしい"という言葉はすごく小さく、呟くように言っていたが、ご主人様や私にも聞こえていた。
「恐ろしい…とは?その子どもについて、何か知っているんですか?」
「……いや、知っている……というか……ああいうものは、世界のバランスを崩しかねない……人間では、ないのです……あんなものがいると不幸が訪れます。――余計なお世話かもしれませんが、深追いは、しないほうが良いかと思いますよ」
「ご忠告、痛み入ります。……ただ、私も仕事なので。ちなみに、その子どもの出生記録のようなものは残っていませんか?」
「ああ、確か棚に…」
呟きながらお爺さんは、後ろにある棚の中をいじり始めた。
何だか、ご主人様とお爺さんの一連のやりとりが、どこか遠く、声も遠くから聞こえる気がしていた。実際には目の前で起きていることなのに……。ずっと胸が苦しく、耳鳴りがしている……。
ここに、居たくない――。
「――か?……シュティレ?」
「…っ!?」
不意に肩を掴まれ、ご主人様の声がはっきりと聞こえた。顔を上げると、ご主人様と目が合った。
「具合が悪いのか?」
「……ちょっとだけ…」
控えめに答えると、ご主人様は首を横に振る。
「ちょっとじゃないだろ?顔が真っ青だぞ」
「……ごめんなさい…」
「あと少し、我慢しろ。記録を見たら、帰るから」
「はい。大丈夫です…」
ご主人様は背中を軽く擦ってくれる。それだけで、胸の苦しさが少し和らいだ。
「ありました。……ここです。"エマ・バーマン。568年 4月1日"となってますね」
(……エマ)
ピンとは来ないが、聞き覚えがある気がした。
「てことは、エマは現在十七ですか。――エマの家族は、まだこちらに?」
「ええ。住んでおりますよ。もう少し村の奥へ行きますと、市場があるのですが、それより先へ行った川の側に家がありますじゃ」
「ふむふむ……ありがとうございます。参考になりました。――ついでにひとつ。エマのような子どもがこの村で生まれたことは?」
「あれば、驚きません。初めてのことです。うちの村には、エマのような子はおろか、魔法の才能がある人もおりませんでしたから」
「では、568年かそれより前に、変わったことは?」
「……いや?とくに無かったかと……豊作や不作はありましたが、そんなものは気候の問題ですからのう」
「なるほど……分かりました。あとはこちらで調べてみます。ありがとうございました」
ご主人様は軽く頭を下げると、私を促して役場を出た。
「……本当は、おまえがウィス・フォンスとして生まれた原因が分かればと思ったんだが……まあ、おまえが確実にこの村で生まれたことが分かって良かった」
「……ごめんなさい」
(私の体調が優れないせいだ…)
余計な気を遣わせてしまっている……私は道具なのに、これじゃあ、お荷物だ……。
「シュティレ」
ご主人様は硬い声で言って、知らず知らずのうちに下を向いていた私の顔を上げさせる。
「帰るぞ」
「……はい」
ご主人様は私と手を繋ぐ。魔力を流そうとしたら、その前に景色が歪んだ。
「……えっ?」
一秒にも満たない時間で歪みがなくなったと思ったら、そこは村役場の前なんかじゃなく、ご主人様の部屋だった。
「はぁ…疲れた……慣れない話し方なんか、するもんじゃないな」
ご主人様はソファーにどっかりと腰掛ける。私が反応出来ずに立っていると、ご主人様は私の手を掴んで引いた。
「きゃっ!?」
突然のことに反応出来ずに私はバランスを崩して、ご主人様の方に倒れ込む。ご主人様はそのまま私を抱き留めて、私の帽子を脱がせて、髪を解いた。
「おまえも疲れたろ?楽にしろ」
(楽にしろって言われても……)
ご主人様の膝の上に乗って抱き合っている状態では、さすがに楽には出来ない。
「ご、ご主人様。あの……」
なんと言ったらいいのか分からずにいると、ご主人様が笑った気配がした。
「…おまえから魔力を貰わずに帰って来られたのが不思議か?」
(確かにそれも気になるけど……)
「俺だって、それくらいできる。…言ったろ?俺は元々おまえから魔力を貰わなければならない程弱くはないと。さすがに長距離のワープを往復は魔力消費が多いから、避けたかっただけだ――だから、そんなに落ち込むな」
「え?」
「自分の忘れていた過去に触れたんだ。それも、あまり良くない過去だ。よく堪えたほうだと思うぞ」
「……過去…」
「おまえは五歳で貴族に売られた。五歳なら、周りの物の名前や役割は理解できる歳だ。そんな年齢にも関わらず、おまえは名前も、故郷がどんな場所だったかも……恐らく、両親の顔も忘れていた。それは、自然に忘れたというより、おまえが意図的に思い出さないようにしていたんじゃないかと思う。そうすることで、心を守っていたんだろう」
自覚はなかったが、そうかもしれないと思った。確かに今まで、どんなに辛くても故郷や親を思い浮かべたことはなかった。恋しいとも、帰りたいとも思ったことはない……。
ご主人様は、私の髪を優しく撫でる。
「無理に思い出す事はない。おまえは、"シュティレ"でいてくれるんだろ?」
「はい」
「ならいい。……それはさておき、頑張ったご褒美がいるな。何がいい?」
「ご褒美…?」
「そうだ。働いた分の報酬は必要だろ?」
「…私、何もしてないです…」
「おまえの仕事は、俺に魔力を渡すことだ。だからおまえは、ちゃんと仕事をしたんだよ」
今ひとつピンと来なかったけど、普通の人なら、魔力を渡すことは出来ないのだから、それだけで、すごいことなんだろうか?
しかし、それよりも――
「…あの……まずは下りていいですか?……重い…ですよね?」
「別に重くはないが……?」
ご主人様はそのまま私の髪を撫で続ける。
「で、でも……」
恥ずかしくて、顔から火でも出そうだ。
「嫌か?」
「嫌…というか……恥ずかしい…です」
「フフ……そうか」
ご主人様は可笑しそうに笑っては、私を膝から下ろしてくれた。
「こっちに座れ」と、ご主人様の隣を差されたので、大人しく隣に腰掛けた。
「もう、苦しくはないか?」
「はい」
「よかった」
ご主人様は再び私の頭を撫でる。触れられると緊張するけれど、同時に安心もするのが不思議だった。その心地良さに当てられて、瞼が重くなってくる。ゆっくり目を閉じると、そこから意識が遠退いていった。――
お読み頂き、ありがとうございました。
今回は前回のネタばらしから入りました。アダムが何を考えているのか、少し見えてきたでしょうか?見れば見るほど面倒な男で、作者も困っていますが、飽きずに次回も読んで下されば、幸いです。




