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4.襲撃

 それから数日。私は屋敷でシロやクロを手伝ったり、ご主人様に読み書きを習いながら過ごした。勉強してみると楽しくて、随分とたくさんの文字を読めるようになったし、すっかり屋敷での暮らしに慣れてきていた。

 そんなある日。


「買い物に行きたい?」

「ええ。シュティレも一緒に」

 眉根を寄せて新聞から顔を上げたご主人様に、人型のクロは大きく頷いた。

「え?」

 これには私も驚いて、思わず食器を拭く手を止めた。

「おまえはいいが……シュティレは…」

「あら!そうは仰いますけど、ご主人様。シュティレを屋敷に連れてきてから、まだ一度も外へ連れ出していないじゃないですか。たまには気晴らしもさせませんと」

 クロは一歩も引かない。

「ク、クロ…」

 私はクロのエプンドレスの裾を軽く摘んでは引いた。

 元々、あまり外に出してもらったことはない。部屋の中に一日中一人なんてことは、慣れすぎているくらいで、別に嫌だとも思わない。しかも今は家の中の仕事があるし、ここへ来る前に比べたら天国だ。これ以上は望まない……。

「アンタは、ちょっと黙ってなさい」

 しかし、私の想いをクロは邪険に振り払う。

「それに、単純に私が、荷物持ちを欲しているんです。どうせご主人様は、私の買い物なんかには付き合っては下さらないんでしょ?」

「それはおまえが、なんだかんだと買う予定の無かったものを増やすからだ」

「仕方がないでしょう?行ってみて初めて分かることも、ありますもの」

「あ、あの…」

 睨み合う二人をなんとか宥めようとするが、今度はシロに止められた。

 シロは私を手招きして少しクロやご主人様から距離を取ると、小声で「いつもああだから、気にしないで」と言った。

「いつも?」

「そう!クロとご主人様の口喧嘩なんて、しょっちゅうだよ。時々意見が食い違うんだよね」

「……でも、クロは使い魔だよね?ご主人様の言ったことには逆らえないんじゃないの?」

「クロは、ちょっと訳が違うみたいなんだ。大体のことは、確かにご主人様の命令があれば逆らえないんだけど、ご主人様のほうが折れることもあるんだ。……ボクには、無理な芸当だけど」

「そうなんだ…」

 クロはご主人様との付き合いがシロより長いと聞いたけど、一体どれくらいの付き合いなのだろう?

 確かに、睨み合う二人を見ていると、主従というよりは、対等な関係に見えなくもない。

「さて。今日はどっちが勝つかな?」

 シロはどこか楽しそうに見ている。私は自分の話でもあるので、そんなに気楽にはしていられないが、確かにどちらが勝つのか、興味はあった。


 「……分かった。ただし、気をつけろよ」

 やがてご主人様が溜め息交じりに言うと、クロはにっこり微笑んだ。

「私を誰だと思っておいでですか?もちろん、心得ておりますわ!お任せ下さい」

 すっかり気分を良くしたクロは、優雅にお辞儀をして見せると、私に向き直った。

「さ!そうと決まったら、早速行くわよ!」

「わっ!ちょ、ちょっと待って!」

 クロに手を引かれて、私は二階へと上がる。

「今日はクロの勝ちですね!ご主人様」

「……うるさい」

 背後でシロとご主人様の声がする。ご主人様の不貞腐れたような声がなんだか可笑しくて、私の頬は自然に緩んだ。

 

 それから数分後、私はクロと共に屋敷を出て、町に下りた。私の瞳や髪は特徴的だから隠したほうがいいとのクロの提案により、私はローブのフードを被って顔を隠した。クロも、いつものエプロンドレスではなく、クリーム色のワンピースに着替えている。

 町は人も店も多くて、賑やかだ。油断していたら、迷子になるかもしれない。

 「うん。あの店がいいかしらね」

 クロは私の手を引いて、迷いなくどんどん進む。

 クロが向かった店は、髪飾りやネックレスなどの装飾品を売っている店だった。

「クロ、飾りものが欲しかったの?」

 尋ねるとクロは首を振る。

「私じゃなくて、アンタのよ」

「…え?」

「アンタに使っていた櫛は私のだし、ちゃんとアンタ用に誂えないと!ご主人様達じゃあ、そういう気は回らないからね。残念ながら…」

「……ありがとう」

 素直にお礼を言うと、クロは照れたように顔を赤くした。

「言っとくけど、私の櫛を使われるのが迷惑だから、買いに来たんだからね!さっさと選んで帰るわよ」

 そう捨て台詞のように捲し立てて、クロは商品棚に目を向ける。けれどその顔は、口調とは裏腹に真剣だ。あれこれと手にとっては戻すを繰り返している。

(クロは本当に優しいな…)

 クロに心の中で感謝しつつ、自分も商品棚に目を向けた。

 一言に櫛と言っても、大きさも色も様々で、そこから一つを選び取るのはすごく難しく思えた。

「あら!これ、かわいいんじゃない?」

 私が櫛を眺めていると、クロはどこからかリボンを持ってくる。柔らかいレースで出来た赤いリボンだ。

「そうだね」

 私が同意すると、クロはその後もあれこれと髪飾りやらイヤリングやらを持ってきては、私に合わせ始めた。

「うーん……みんなかわいくて、迷うわね……どれが好き?」

「……えっと…」

 そうは言われても、こういうものを選んだりつけたりした経験がないので、なんとも言えない……。

 困る私を見て、クロは溜め息をついた。

「アンタの境遇は聞いていたつもりだったけど、これはなかなかね……いい?好きなものは直感で選ぶのよ。なんとなく興味を惹かれて、目を向けてしまうものが、好きなもの。この中に、そういうものはないかしら?」

(なんとなく、興味を惹かれるもの…)

 クロに言われたことを反芻しながら、改めてクロが持ってきてくれたものを眺める。

「…これ…かな…」

 深い青に紫が混じった本体の上に金箔が散りばめられ、まるで夜空に星が瞬いているかのような輝きを放つ櫛を、手に取った。

(なんだか、ご主人様に似てる…)

「ふ~ん……なんか、ご主人様の色みたいね」

「っ!」

 私の思っていることと同じことを言うクロに驚いてクロを見ると、クロは目元を優しく細めた。

「アンタ、ご主人様とは上手くやっていけそうね。――ご主人様は、あんな感じだけど寂しがり屋だから、支えてあげてね」

「え?」

 なぜ、そんな事を私に言うんだろう?分からなくて訊こうとしたら、クロはサッと私から視線を反らして、「櫛はそれでいいとして、リボンはやっぱり、これね!ついでだから、髪飾りも買いましょ!」と、矢継ぎ早に言っては、パッと品物を選んで、会計に向かった。

 

 そのあとは服に使えそうな布をいくつかと、食材を買ってから、屋敷に戻った。

 「はい。シロ。これはアンタに」

 クロはシロに布と、本を渡した。

「え?本?」

 シロは不思議そうに本を見る。

「それはカタログよ。色んな服が載っているから、それを見て勉強なさい」

「うわぁ!ありがとう!」

 シロは目を輝かせながらカタログのページをめくる。

「シュティレ。気晴らしにはなったのか?」

 ご主人様は私の顔を覗き込んだ。

「はい。櫛や髪飾りを買ってもらいました」

「そうか……よかったな」

 ご主人様は私の頭を撫でる。少し恥ずかしくて俯いていると、「俺は少し出てくる。いい子にしてろよ」と言ってご主人様は外へ出て行った。

「どこ行くんだろう?」

 思わず口に出すと、「さあね。いつもどこへ行くかは言わないんだ」とシロが答えた。

「さて!私は昼寝してくるから。後はよろしく」

 クロはサッと部屋に戻る。クロは少し動くと、昼寝をしに行くことが多い。やっぱり、猫だからだろうか。

「ならボクは、カタログを読んでいよーっと!……シュティレはどうする?」

「私は、花壇を見てくる」

「シュティレは花が好きだね。でも、日差しが強いから、ちゃんと帽子被るんだよ?」

「うん」

 

 シロに言われた通りにフードを被って庭に出る。レンガの敷かれた道の先には、長四角の花壇が複数並んでいて、それらを見られる位置に、ベンチが置いてあった。少し行くと四阿もある。そんな庭を散歩するのが、私の最近の日課だ。

「あ、昨日は蕾だったのに、もう咲いてる」

 こういう小さな発見が、また楽しい。花も生き物だという実感が湧いて、なんだか花が愛しく思えた。

 そんな花達を一通り見て歩き、伸びた雑草を抜きながら過ごした。

「さて。そろそろ入ろうかな」

 少し日が傾いてきたので、屋敷の中に戻ろうと歩いていると、

「あれ?」

 正門の側に、人が立っているのが見えた。背格好からして、男の人のようだ。

(ご主人様のお客様かな?)

 そう思いながら近づくと、足音で気づいたのか、男の人がこちらを向いた。男の人は私を見とめると、一瞬驚いた顔をしてから、にんまりと笑った。

「!」

 思わず足が止まる。その顔に、私は見覚えがあった。

(ご主人様…)

 今のご主人様になる前にご主人様だった男の人だ。熊のような、厳つい顔の男の人……。

「どうして…」

 呟くと、元ご主人様は嬉しそうに近寄ってきた。

「よお!おまえ、随分といい暮らしをしてるんだなぁ?――おっと!逃げるなよ」

 踵を返して庭に向かって走ると、元ご主人様も追ってきた。逃げながら後悔する。元ご主人様が正門にいたから反対方向に逃げてしまったが、庭に逃げても行き止まりだ。なんとかして、屋敷の中に戻ったほうが良かったのに……。

 案の定すぐに追いつかれ、腕を掴まれる。 

「俺の顔を忘れたのか?かれこれ三年は可愛がってやっていただろう?」

「シロー!!ク…んぐっ!」

 シロとクロを呼ぼうとしたが、口を塞がれ、地面に押し倒された。

「助けを呼ぼうとしても無駄だ。アイツは出掛けてるんだろ?さっき町で見掛けたぞ」

「!?」

 ご主人様が出掛けたのを見計らって来たということだろうか?何をしに来たんだろう?

「俺はおまえがいないと、魔力量を維持出来ないからな。困ってたんだ。せっかく魔法の腕を買われて、男爵にまでなったのに、魔法が使えなくなったら、どうなるか……だから、おまえには戻ってきてもらわないと困るんだよ」

「ん~~!!」

 そんなこと、知らない。

 今のご主人様は、この屋敷のご主人様だ。この人じゃない――。

 私は元ご主人様の手を振り解こうと藻掻くが、元ご主人様はビクともしなかった。

「おまえ、ちょっと見ないうちに生意気になったな。前は人形みたいに大人しかったのに……ちょっと痛い目に遭わないと、俺への忠誠心は思い出せないか?」

「!!」

 元ご主人様が拳を振り上げるのを見て、私は動きを止めた。

 殴られる……殴られると痛い……それに、この人は私が気絶するまで殴る人だ。抵抗しないほうがいい。大人しくしていれば、さほど長くは殴られずに済む――だけど……

(……ご主人様)

 嫌な時は抗えと、ご主人様は言った。目を離さないから、傷つけられる前に助けるとも……だから、ここで屈しちゃいけない。

「よぉし。いい子だ。まずは家までワープするから、魔力を寄越せ」

 私が抵抗しなくなったことで安心した元ご主人様は、私の口から手を離し、拘束を緩めた。

 私は、すかさず体を捻って暴れる。

「おわっ!?」

 油断していた元ご主人様は突然のことで反応が遅れ、バランスを崩して横倒しになる。その隙に私は起き上がって、屋敷の玄関目掛けて駆け出した。しかし――

「痛っ!」

 どうやら倒された時にぶつけたようで、右足首に痛みがあった。思うように走れずに、すぐ元ご主人様に追いつかれてしまう。

「待てっ!!」

「いやっ!!」

 元ご主人様に腕を掴まれ、なんとか振り解こうとしていると――

 

「――風の刃よ。我が呼びかけに応え、己が名の下に、我の敵を切り刻め。――ウェルテクス」

 

 不意にご主人様の静かな声が聞こえ、その瞬間、シュッ!と強い風が通り過ぎた。

 思わず目を閉じると、背後でゴロンと物音がして、私の腕を掴んでいた元ご主人様の握力を感じなくなった。

 それで不思議に思って振り返ると――

「っ!?」

 

 ――そこには、頭のない男の人が立っていた。

 

 首から盛大に血を噴き出しながら、ゆっくりと体が横倒しになる。

 頭は足元に転がっており、驚いた顔をして事切れていた。

 何が起こったのか分からずに、呼吸も忘れて呆然と立っていると、不意に体を引き寄せられる。

 体を温もりが包みこんで、ようやく息が出来た。

「遅くなってすまない。……もう、大丈夫だ」

「……ご…主人…様…っ!」

 自分を抱いているのがご主人様であると徐々に理解が追いつくと、堪えきれずに涙が溢れた。

「……シロ。始末しておけ」

(シロ…?)

 ご主人様が言ったので初めて気がついたが、元ご主人様の死体の側に、何かがいた。

 白くて、四足で立っているそれは、シロ……だった。

 しかし、一目でそうだと分からない程に強烈な殺気を放ち、毛を逆立て、目を赤く光らせては、グルグルと威嚇をするように喉を鳴らしている。前足は赤い液体で濡れていた。

 もはや獰猛な獣と化しているシロは、目にも止まらぬスピードで死体の周りを回る。そうすると死体が徐々に風化し始め、シロが止まる頃には、死体は掻き消えたように無くなっていた。

「これが、シロの正体だ。疾風と揶揄される、獰猛な魔物」

 ご主人様は言いながら、私を横抱きにして、そのまま屋敷の中へと入っていく。

「シュティレ!」

 屋敷の中へ入ると、奥から猫の姿のクロが駆けてきた。

「大丈夫?」

「…うん」

「よかった…」

 クロはそう呟くと、ピョン!と跳んで、私のお腹の上に乗ると、私の頬に頭を擦り寄せてきた。その温かくて柔らかい感触にホッとする。

 手を伸ばしてクロの背を撫でると、クロはゴロゴロと喉を鳴らした。

「クロ、一旦降りろ。シュティレを治療してくるから」

「はい」

 クロが素直に下りると、ご主人様は私を部屋まで運んでくれた。

 私をベッドに寝かせてくれる。

「さて。どこを怪我した?」

「右の足首が痛いです…」

「ふむ。……捻挫だな」

 ご主人様が私の足首に手を翳すと、じんわりと足首が温まり、やがて痛みがなくなった。前に腕の噛み跡を消してくれた魔法と同じようだ。

「他にはないか?」

 ご主人様は体のあちこちを見てくれたが、他には怪我はないようだった。

「もう。大丈夫です。ありがとうございました」

 素直にお礼を言うと、ご主人様は優しく私の頭を撫でた。

「さて。おまえを助けるのにシロを使ったから、俺はシロに見返りの魔力を渡さないといけない……代わりと言ってはなんだが、おまえの魔力を俺に寄越せ」

 助けてもらったのだから、それは当然だろう。それに私は、魔力を渡すのが仕事だ。

「分かりました」

 起き上がり腕を差し出すと、ご主人様は苦笑する。

「腕を噛まれると痛いだろう?それとも……痛いのが好きなのか?」

「い、いえ!…好きではないですけど……」

「じゃあ、これでいいだろ」

 そう言ってご主人様は、私を抱き締める。

「集中して、俺に魔力を流してみろ」

「はい」

 自分の魔力に集中し、体の中心に集める。それから、ご主人様に向けて魔力を流してみる。

「そうそう……上手だ」

 そうしてしばらく魔力を渡していると、ご主人様はスッと体を離した。

「もう、いいんですか?あんまり渡した気がしないんですけど…」

「ああ。――しかし、なるほど……さすがはウィス・フォンスだな。これはいい。……例えば、大きな魔力を必要とする魔法を使う時、おまえを側において魔力を供給してもらえばいいわけだな。下手したら、一国を落とせるかもしれない…」

「え、国を…?」

 国……というのは、町よりももっと大きい規模の話なんだろう。あちこちを転々としたせいで、自分が今、どんな町、ひいてはどんな国に所属しているのか分からなかった。

 そもそも、私は一人の人間として扱ってもらってすらいない。私が確かに存在していると分かっている人は、今までも今も、『ご主人様』だけだ。私にとって世界とは、『ご主人様』の見せてくれる範囲だけの話だった。

「にしても、おまえを欲しがっている奴は大勢いるからな。もっと気をつけないと……クロに付いて行かせたから油断していたが、ああやって前の持ち主がしつこく追ってくることもある。おまえも、自分の身を守る手段が必要だな……」

 ご主人様は少し考え込むようにする。

 その様子を見て、私は先程の光景を思い出した。

 追ってきた元ご主人様を、ご主人様の命令一つで瞬殺したシロ……あの迷いのない殺戮を行える獰猛な姿が本性だと言われても、今一つ納得出来なかった。

 もしかしたらクロも、そういう一面があるのかもしれない……。それにご主人様だって、なんの迷いもなく元ご主人様を殺す命令を出し、挙げ句死体を始末して痕跡をも消してしまった……。

(……慣れている)

 そのあまりにも当然かのような態度に流されそうになるが、そんなに簡単に人を殺して良いとは思えない。

 けれどご主人様達は、そういう世界で生きているんだろうと思う。邪魔だから殺した……きっと、それだけのことなんだろう。だけど、人を殺めたら憲兵に捕まって、牢獄に入れられてしまうのが常識であることは、私も知っている。

 本当は、世間的には、殺人はしてはいけないことなんだ。出来ればご主人様達には、罪人にはなって欲しくない……。

「……ご主人様」

「ん?」

「私……もう外へ出たりしません。一人で庭に出たりもしません。だからもう……あんなことはしないで下さい」

 私を優しく介抱してくれた手で、誰かを殺す姿なんて、見たくない……。それは私の我儘でしかないとは思うけれど、私にとってご主人様もシロもクロも、今まで出会ってきた人達のように、ただ私が生きる為の手段ではなかった。なんと言ってよいか分からないけれど、もっとご主人様達のことを知りたいし、笑っている顔を見たい……役に立ちたいと、心から思う。

「何を言い出すのかと思ったら……」

 ご主人様の目が、スッと細くなる。

 それでご主人様の纏う空気が変わったような気がして、体に緊張が走った。

「残念ながら、それは無理な相談だな。今までおまえを甘やかしていたから衝撃を受けたんだろうが、さっきの姿こそが、本当の俺達だ。別におまえに危害を加えられたからじゃなくても、平気で他人を殺せるし、そうすべきだと思っている。だからこれから、おまえの魔力を使って大量に人を殺すような真似をするかもしれないが、おまえは俺のものだから、嫌とは言わせない。……恐ろしくなったか?」

「……いいえ」

 恐ろしくはなかった。だってご主人様はいつも、私に優しかったから……。

 今までのご主人様達のほうが、よっぽど恐ろしかった。

 私を人間ではないかのように扱うのに、他の人は大切にすることが出来る。まるで害獣とペットの扱いの違いのように……。どちらも同じ命なのに、扱いを完璧に分けるその不平等さが、恐ろしかった。 

 でも、今のご主人様は違う。道具と言いながらも、ちゃんと私を人間扱いしてくれて、世話をしてくれる。教育し、ちゃんと会話をしてくれる。確かに、必要とあらば命を奪うことを厭わないのだろうけれど、少なくとも、命の価値は分かっているのだと信じられる。だからこそ、そんな温かい一面があるからこそ、これ以上命を奪ってほしくなかった。

「でも、それでもやっぱり……っ!?」

 ご主人様は急に私に掴みかかると、私をベッドに押し倒した。そうして私に馬乗りになって、私の首に手を掛ける。

「……道具の分際で、俺に指図するな。優しくしているからと思ってつけ上がるなよ。――何も知らないクセに……」

「…ご、ごめんなさいっ…」

 慌てて謝ったけれど、ご主人様は手の力を緩めてはくれない。徐々に首が締まっていく。

(バカだな。私……)

 ご主人様の言う通りだ。何も知らないのに、分かった気になって、意見するなんて……。私は普通の人とは違う。けして対等になることなんてない、使われるだけの道具だって、分かっているはずなのに……。


 「…アダム。何をしているの?」

 

 そのとき急に声が掛り、ご主人様の動きが止まった。弾かれたように戸口に目を向ける。私も同じように戸口を見ると、そこには黒猫の姿があった。

(クロ…?)

 クロは咎めるような強い視線をご主人様に向けている。

「シュティレを殺す気?あなた、シュティレを道具にする以前に、助けたいと思っていたんじゃないの?そうやってあなたの過去を癒すつもりだったんでしょ?もういいのかしら?」

「……」

 ご主人様が答えずにいると、クロは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「そうよね。所詮あなたは、その程度。結局あなたを利用した奴らと一緒よ。相手を力で抑えつけて言うことを聞かせる。聞かなければ殺す……」

「……ちがう」

 ご主人様は絞り出すような声で返す。

「違わないわよ。現にあなたは、シュティレがどういうつもりであなたに訴えたのか、分かっていない……いいえ。理解するのを拒んでいると言ったほうが正しいかしら?あなたは、他人を信用するのを怖がるあまり、自分で味方を減らしているのよ。本当に信頼できる仲間が欲しければ、傷つくのを承知で信じるしかない。そこまでしなければ、本当の信用は得られない。いつか寝首を掻かれるわよ」

「……黙れ」

「私は、心の弱い主人なんて要らないわ。あなたが私に見合わないと思ったら、いつでも命を貰ってもいいって契約だったわよね?私の大好きだったご主人様の遺言もあったから、今まで尽くしてあげたけれど、もういいかしらね…」

 不意にクロの体から、黒い靄のようなものが溢れ出て、部屋中に充満する。あっという間に部屋の中は、夜のように暗くなった。

(何だろう?空気が、重い……)

 真っ暗でクロの姿が見えない中、クロの目だけが、赤色に輝いて見える。その目が、徐々にこちらに迫ってきた。

「――早合点するな。おまえにくれてやる命など無い」

 ご主人様は私から離れると、クロの瞳を睨みつける。

「フフフ……そうかしら?」

 クロの声が、部屋の中で反響する。まるでこの部屋自体が、クロの体の一部であるかのような錯覚を覚えた。

(一体、どういう状況なんだろう?)

 クロは、どうしてしまったのだろう?普段あんなにご主人様に懐いていたのが嘘のようだ。

(私が、出過ぎたことを言ったから…)

 私が余計なことを言ってご主人様の心を乱してしまったから、クロを抑えていた何かが弱まってしまったんだろうか?でも……

(クロもシロも、ご主人様が大好きだった。その気持ちって、契約云々に左右されていくものなんだろうか…)

 魔物の思考回路が人間と違うと言われてしまえばそれまでだが、ここ数日の付き合いで言うなら、クロもシロも、非常に人間に近い思考をしていたし、気持ちだって、嘘ではないと感じた。なら、この状況は恐らく、クロがご主人様の心を試しているということなのかもしれない……。

「…ご主人様」

 邪険にされるかもしれないと思ったが、言わずにはいられなかった。

「……なんだ?」

 しかしご主人様は、クロの瞳を睨みつけたまま、返事をしてくれた。そのことに安心しつつ、「クロもシロも、ご主人様のことを大好きだと言っていました。ご主人様の命を貰うなんて、きっとクロは、本気じゃないと思います。……だよね?クロ」言いながらクロを見た。

「……」

 クロは答えない。けれど、私はクロの目を見つめ続けた。

「クロは、私のことを助けようとしてくれたんだよね?ありがとう。でも、今のは私が悪かったの。私が、考え無しなことを言って、ご主人様を傷つけてしまった……だから、もうご主人様を責めないであげて」

 クロの棘のある言葉の裏には優しさが隠れている。出会った頃からずっとそうだった。だから、きっと今もそれと同じだ。

(私は、信じるよ)

 ご主人様が何か辛い過去があって、私にそれを重ねていること、優しくしたいのに上手く出来ないこと。クロやシロは、そんなご主人様を心から支えたいと思っていること……私が今まで見て感じてきたそんな感覚は、きっと表面だけのものじゃない。きっと見えたまま、全て真実だ。だって、私は今、今までにないくらいに満たされて、幸せな気分を味わっているのだから……表面だけの張りぼてで、こんな気分には、きっとならない。

「フフ…」

 そんな想いでクロを見つめていると、不意にクロが笑った。それはさっきの嘲るような笑いではなく、もっと優しい笑いだった。

「シュティレのほうがよっぽど心が強いみたいね……シュティレに免じて、今のはなかったことにしてあげるわ。……でもね、アダム。次はないわよ」

 クロが言うと、黒い靄はクロの中に吸い込まれるように消失して、部屋は元の様子を取り戻した。 

「安心しろ。もう……ヘマはしない」

 ご主人様が低い声で呟くと、クロは部屋を出て行った。ご主人様は疲れたようにベッドにドンと腰掛ける。

「……ご主人様。あの…」

「悪かった」

「…え」

「おまえに全ての事情を話していなかったのにも関わらず、逆上したりして……おまえはただ、俺達を心配してくれたんだよな」

「はい。……でも、出過ぎたマネでした。ご主人様には、ご主人様の考えがあるんでしょうから…」 

「いや、それにしてもだ。……俺がおまえを助けたいと思っているのは本当だ。信じられないかもしれかいが……」

「信じます」

 私がきっぱりと言い切ると、ご主人様は目を丸くした。

「おまえ、今まで散々な目に遭ってきたんだろ?なんでそんなに信じられるんだ?」

「……初めてだったからです。優しくしてもらったのも、道具だけど、まずは一人の人間としてプライドを大事にしろと言われたことも……全部が初めてで、すごく、嬉しかったから……たとえそれが、私を好きに使う為の作戦だったのだとしても、信じたいと思ったんです」

「……これはなかなかに手強い道具を持ってしまったようだな…」

 ご主人様は呟くように言っては、私を見つめた。

「私は、ご主人様を裏切ることは無いですから、安心して下さい」

 出来るだけ笑って明るく言う。

「いい顔で笑うようになったな」

 ご主人様は優しい目をしては、私の頬に触れた。

「っ!」

 軽く触れられているだけなのに、ご主人様の手が触れている辺りが、熱を持つ。

「なんだ?照れてるのか?可愛いヤツだな。――首は、痛くないか?」

「はい。平気です」

「そうか…すまない」

「もう、謝らないで下さい。私はご主人様の道具なんですから、ご主人様の好きに扱えばいいんです」

「……確かに道具だが、雑に扱いたくないんだ。上手く出来てないかもしれないが、大事にする努力をしたい。……クロの言うとおり俺は弱いから、これからも迷惑をかけるかもしれないが……付いてきてくれないか?」

「はい」

「ありがとう」

 ご主人様はホッとしたように笑うと、私の頭を撫でて、「少し休め」そう言って部屋を出て行った。

(色々あったけど、おかけで距離が縮まった気がする)

 私は何だか嬉しくなって、ベッドに横になったものの、なかなか寝付けなかった。

お読み頂き、ありがとうございました。

今回はクロやシロがどんな存在か垣間見える回でした。やっとこご主人様の名前が出ましたが、基本シュティレ目線なので、名前を呼ぶ回数は少ないかもしれませんね……。

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