3.シロとクロとご主人様
シャーッ!と物音がして私は目が覚めた。
「…っう」
太陽の光が目に染みる。今の音はどうやら、カーテンを開けた音だったらしい。目を細めていると、「起きた?」と若い女の人の声がした。ゆっくり目を開けると、ボブ・ショートヘアの瞳の大きな少女と目が合った。
「…ク…ロ?」
名前を呼ぶと、クロは僅かに目尻を下げて、口角を上げた。
「そうよ。アンタの様子を見に来たの。アンタ、丸二日は寝ていたわよ」
「…二日も…?」
自分の感覚では数時間のつもりだったので驚いた。体を起こしてみると、少しフラッとしたが、具合は悪くないようだ。
「まったく……ご主人様のベッドを占領した挙げ句に二日も起きないなんて……何度か死んでいるんじゃないかと思ったわよ」
クロは迷惑そうに言っていたが、言外に心配しているように感じられて、思わず頬が緩む。
(クロは素直じゃないんだな)
「ちょっと!何笑ってるの?起きたなら、ご飯を食べなさい」
クロはそう言って、さっさと布団を引っ剥がした。
「はい。顔を洗って、これに着替えて。……手伝いはいる?」
「大丈夫。一人で出来る」
ベッドから下りて、ボウルに入っている水で顔を洗うと、クロは私の髪色に似たグレーのワンピースを渡して来た。
今日の服は、全体的にゆったりとしたデザインで、袖は肘までの長さ、丈は足首まである。胴の辺りに、黒い革で出来たコルセットを巻くようになっていた。靴は動きやすさを重視したのか、特に特徴のない踝丈の革靴だ。
「これ、シロが?」
訊いてみると、クロは困ったように笑った。
「そ。アンタが来てから、より服作りにハマったらしくてね。それもシロが作ったものよ。まったく、世話好きよね……ほら!髪を梳いてあげるから、そこに座って」
クロは私を、二人掛けのソファーに導いて座らせると、丁寧にブラッシングをしてくれた。こういう仕事が好きなのか、機嫌が良さそうに小さく鼻歌を歌いながら、髪を梳いてくれる。
(クロも、とても世話焼きだと思うけどな…)
思ったけど、クロの場合はそれを言うと怒りそうなので黙っておく。
「これで、よし!……さあ、行くわよ」
髪を梳き終わると、クロは私の手を引いて部屋を出て、階段を下りる。下りて正面はエントランスで、右手に進むとキッチンになっていた。流しや竈の向かいには四人がけのテーブルがあって、竈の前では、シロが鍋からスープをよそっている。テーブル席では、ご主人様がパンを食べているところだった。
「あ、シュティレ!起きられたんだね!」
シロは嬉しそうに尻尾を振って、近づいてきた。
「うん。あの……服、ありがとう」
お礼を言うと、シロの瞳は更に輝いた。
「どういたしまして。着心地は大丈夫?」
「うん。楽だし、動きやすいよ」
「よかった!」
嬉しそうなシロに釣られて、つい頬が緩む。
「ほらほら!そんなことはいいから、ご主人様に挨拶なさい」
クロが促して、私は慌ててご主人様に向き直る。
「あの……おはようございます。おかげで、よく休めました。ありがとうございました」
そう言って頭を下げると、ご主人様は苦笑する。
「畏まらなくていい。ここに座れ」
ご主人様はそう言って、隣の椅子を差した。言われた通りに腰掛けると、私の向かいにクロも座って、「ご主人様!新入りに甘すぎます!シュティレも私たちと同じ道具なら、きちんと躾ないといけないと思います」と捲し立てた。
「…別におまえにも厳しくしたことはないだろ。なんだ?やきもちか?」
「っう……違います!私はただ、道具としての心得を気にしたまでです!」
(図星だったんだな…)
そう思ったが、もちろん言わない。
「クロはご主人様が大好きだもんねぇ〜。この前なんて、ご主人様のベッドをシュティレが使ってるって聞いて、羨ましいって…」
「だぁあー!!シロ!それ以上言ったら、アンタの喉笛、噛み切るからねっ!」
クロは顔を真っ赤にして席を立ってシロに掴みかかると、シロの首を絞めてグラグラと揺らす。
「うぐぅ……グロ、ぐるじいぃ〜」
「こら、二人とも。食事中は静かに」
ご主人様が呆れた様子で言うと、クロは「し、失礼しました」と言っては、パッとシロから離れた。
「うぅ…酷い目にあった……はい、シュティレ。どうぞ」
「ありがとう」
シロは首を擦りながら、パンとスープをトレイに載せて運び、私の前に並べてくれた。礼は言ったものの、食べて良いのか迷っていると、「気にしないで食べろ」と横からご主人様が声を掛けてきた。
「…はい」
それでゆっくり食べてみると、「おいしい…」思わず声が洩れた。後は脇目も振らずに黙々と食べる。
考えてみれば、残飯でも腐りかけでもない食べ物を食べたのは、本当に久し振りだった。
「…あ…」
ふと、周りが静かなことに気がついて顔を上げると、クロもシロもご主人様も、手を止めてじっと私を見ていた。
「ご、ごめんなさい…」
恥ずかしい……よほどがっついて食べていたのだろう。顔が熱い。
「気にするな」
「そうだよ!おかわり、いっぱいあるからね♪」
ご主人様とシロが言って、クロもフッと笑った。
「まあ、苦労したんだろうし、今日くらいは大目に見てあげてもいいわ」
「……はい」
俯きながらも返事をすると、まずご主人様が食事を再開し、クロもシロも食事を食べ始めた。
「クロ。今日は人型のままで食べるの?」
クロの隣で食べていたシロが、不思議そうにクロを見ている。
「…ええ。練習してるの」
澄ましたように言いながら、クロはナイフとフォークを使って魚を食べている。多少手元が危なっかしいが、上手に食べられているクロを見て、シロは目を丸くする。
「すごいね!ボクには使えないから…」
そう言うシロは、手掴みでゆっくりとソーセージを食べている。フワフワの前足で持って、少しずつ上品に食べる様子は、とても可愛らしい。
「まあね。シロも人に変身できればいいんだろうけどね」
「無理だよ。クロほど魔力はないもん」
「シュティレにもらえば?」
「えっ?」
「え…」
シロと私の言葉が重なった。
「…それは状況による。今は駄目だ」
ご主人様が言うと、「ご、ごめんなさい!出過ぎたことを言いました」と、クロが血の気の引いた顔で言う。
ご主人様は別に怒っている様子はなく、のんびりと紅茶を飲んでいる。
しかし紅茶を飲み終えると、「シュティレはまだ自分の魔力の使い方を定めていない。いつ使うかは俺が決める。……シュティレ。食べ終わったら、俺の部屋に来い」と言って席を立った。そのまま二階に上がっていく。
しばしの沈黙。クロは落ち込んだ様に俯いていたし、シロも少し考え込むようにしていた。
「…あ、あの…」
なんとか空気を変えようと声を上げると、ガタン!と音を立ててクロが立ち上がった。
「…ごめんシロ。片付けお願い」
クロは俯いて小さな声で言うと、キッチンを後にした。エントランスに差し掛かったところでクロは黒猫の姿になって、玄関の下の方にある猫用の通用口から、外に出て行った。
(クロ。大丈夫かな…)
直接怒られたわけではないが、恐らくはご主人様を差し置いて、シロに提案したことを悪い事だと感じたんだろうと思った。私もよく、自分の気持ちや意見を言うとお仕置きされたものだ。
「あの様子だと、しばらく戻って来ないな……やれやれ」
シロはパパッと食事を終えると席を立つ。
「片付け、手伝うよ」
私も一緒に立ち上がったが、シロは首を横に振った。
「大丈夫。シュティレはご主人様に呼ばれているんだから、早く行かないと」そう言ってシロは、手早く食器を流しに運んでは洗い始めた。確かに慣れているようで手際が良い。ぽっと出の自分が居たほうが効率が下がるかもしれない……。
「わかった。ごちそうさまでした」
「うん!また後でね」
シロは笑って前足を振ってくれる。私もキッチンを離れ、二階へと向かった。
「…ご主人様。シュティレです」
ご主人様の部屋の前で声を掛けると、「入れ」と声がする。それで部屋に入ると、ご主人様はソファーに腰掛け、新聞を読んでいた。私の姿をみとめると、「ここに座れ」と、自身の隣を指差した。
「はい」
大人しく隣に腰掛けると、「シロとクロだが、あいつらにあまり気を許し過ぎるな」と唐突に言われた。
「え?」
よく分からなくて首を傾げると、ご主人様は私のほうを向いた。
「あの二匹は、ああ見えて悪魔と呼ばれた程の魔物だ。俺が倒して、使い魔にした。魔物は隙あらば好きに暴れようとする厄介な奴らだ。今は俺との契約で抑えることが出来ているが、おまえがあの二匹に魔力を与えて強くしてしまえば、俺の魔力を凌駕する。そうなったら制御が出来ずに、俺はあの二匹に殺されるだろう。更に言うなら、おまえが自分の魔力を使いこなすことが出来れば、おまえは俺を殺すことも出来ると言うわけだ」
ご主人様の言っていることは理解できたが、そうなると疑問が生まれる。
「ただ一つ決定的なのは、俺はおまえに魔法を教えない。魔法の使い方を知らなければ、おまえは俺の支配から逃れられない。ただ、俺が見ていないところで、今までのように他人に魔力を与えることは出来てしまうから、出来れば俺の許可なく、魔力を与えないで欲しい」
「……出来れば?」
「そう。俺はおまえに頼むことしか出来ない。おまえが"シュティレ"である内は命令出来るが、シュティレは本名ではないからな。おまえが名前を思い出せば、チョーカーで制限していたことの押さえが利かなくなるだろう。ただし、おまえが俺の言うことを聞いてくれるなら、俺はおまえの生活を保障する」
縛られているようで、実はそこまでではないと言うことなのだろうか?では、私が背く可能性があるのに、側に置いている……そこまでして、私に何をして欲しいのだろう?
私が首を捻っていると、ご主人様は笑った。
「俺は昔、おまえのように周りの人間に利用されて生きてきた。俺はウィス・フォンスでは無かったが、比較的魔力が高くてな。天才ともてはやされた挙げ句に、陰謀に巻き込まれた。……俺は、俺を嵌めた奴らを許さない。そいつらに復讐する為に道具集めをしていたんだ。俺と似たように他人に弄ばれてきたおまえなら、俺の言葉を聞き入れて協力してくれると思ったのと、単純におまえの噂を聞いて、昔の俺と重ねて見ていたのもある。昔の俺が欲しかったものを、おまえには与えたいと思ったんだ」
与えたいと言いながら、"俺のものだ"と束縛する……随分と自分勝手だと思ったけれど、もしかしたら、裏切られた過去のせいで、素直に他人を信じられなくなってしまっているのだろうか?とも思った。
(私も一緒だ…)
本当は自分を認めて、対等に接してくれる関係に憧れていた。主人に仕える道具の位置だとしても、従順にしていれば、いつかは人間として扱ってくれないか、友達や家族のように思ってくれはしないかと、夢見ていた。それが夢にすぎないと理解しかけていた今だがしかし、このご主人様なら、私の願いが叶うかもしれないという期待が生まれたのも事実だ。
(もう一度だけ、信じてみてもいいかもしれない…)
「私……ご主人様に協力します」
初めて真っ直ぐにご主人様の目を見て伝えると、ご主人様は一瞬目を丸くしたが、やがて笑った。ご主人様に出会ってから、一番と言っていいほど、優しい表情をしている。
「……ありがとう」
ご主人様はそっと私に手を伸ばす。優しく頬を撫でると、顔を寄せて来た。反射的に目を閉じるが……
コン!コン!コン!
不意にノックが聞こえて、ご主人様はスッと私から離れた。
「どうした?」
「シロです。お客さまが見えてます。町長さんです」
「…分かった。今行く」
ご主人様はそう答えてから、「俺はしばらく家を空けるから、この後はシロに付いて家の仕事でもしていろ。俺が戻り次第、勉強するぞ」と私に言った。
「…勉強?」
「文字の読み書きや計算だな。分かってて損はないだろ?」
ご主人様は再び私に手を伸ばし、頭を一撫ですると、スッと顔を寄せて、頬にキスをした。
「ッ!?」
魔力を渡すわけでも、吸うわけでもない……普通のキスだった。
それで驚いて固まっていると、ご主人様は悪戯っぽい笑みを浮かべては部屋を出て行った。入れ替わりで、シロが入ってくる。
「シュティレ!一緒にお掃除しよう!……シュティレ?どうしたの?」
シロがぼーっとしている私を見て首を傾げた。それで我に返る。
「…ううん。何でもない」返事をして立ち上がる。
「そう?…じゃ、付いてきて!」
シロは嬉々とした様子で私の手を取った。
(…前みたいに、からかわれた……のかな?)
シロに手を引かれて歩きながら、ご主人様のことを考える。次に会うとき、どんな顔をして会ったらいいのか分からなくて、気持ちが落ち着かなかった。
「埃を落としてから、雑巾で水拭きをしていくよ」
シロの指示で、家中の掃除をしてまわる。
二階建ての、屋敷と呼んで相違ない広い家の中は、基本的には深い色合いのブラウンの家具や壁紙だった。それもあって、昼間でも薄暗く感じる。
掃除はエントランスから始まり、キッチンやバスルームなど、分担して行う。
「いつも、シロが掃除しているの?」
「ううん。クロと二人でしてるよ。…けど、今日のクロ、ちょっと落ち込んじゃってるから、掃除しに来ないかも…」
先程のクロの思い詰めたような表情を思い出す。
「…ご主人様はあまり気にしていなさそうだったよ?」
「ボクもそう思う……けど、クロはきっと、自分が許せないんだと思う」
「自分が?」
「うん。クロは、シュティレにやきもちを妬いたり、対抗心を持ったりしていたから……だから今日も無理をして、人型になっていたんだと思う。いつもは猫でいることがほとんどなんだよ。それでよくご主人様の膝の上で寝るの」
「ご主人様のこと、大好きなんだね」
「うん。もちろん、ボクも負けてないよ!」
ご主人様は、使い魔の二匹は隙あらば魔力を蓄えて牙を向くつもりでいると言っていたが、二匹の様子からすると信じられなかった。
「……ご主人様って、何してる人なの?」
ずっと気になっていたけれど、訊けなかったことを訊いてみる。シロは首を傾げて、困ったような顔をした。
「何って……お仕事のことだよね?そう訊かれると、答えに困るんだけど…」
「…訊いちゃいけなかった?」
私の不安をよそに、シロはふるふると首を横に振った。
「ううん!違うよ。……なんというか……ボクにもよくわからないの」
「え?」
驚いていると、シロは尻尾をペタンと地面に下ろして、申し訳なさそうにする。
「ご主人様は魔法使いとして、町の人に頼りにされていて、さっきみたいに町長さんからの依頼で畑の野菜が育ちやすいようにしたり、病気に効くお薬を作ってあげたりしてて、それでお金を貰っているけど、毎日じゃないし、なんなら、どこにも行かないで部屋や書庫に籠もっていることもある。それ以外にも出掛けて三、四日帰ってこないこともあるんだけど、何をしに行っているかは知らない。シュティレを連れてきた日だって、一週間は家を空けていたんだよ」
「そう…」
出かける時にシロやクロを連れて行くことはないのだとすると、二匹はこの家を管理する為に置いているのだろうか?
(それ、使い魔である必要あるのかな?)
よくは知らないが、魔物との契約は何か代償が必要なのではないだろうか?そうまでして契約しているのに、家事以外に役割がないなんてことがあるんだろうか?
私が考え込んでいると、シロはパッと顔を上げた。
「そうだ!クロなら知ってるかも!」
「クロが?」
「うん。ボクはご主人様に仕えて二年だけど、クロはボクよりも前から仕えてるみたいなんだ。人の姿になれるから、時々ご主人様と一緒に出掛けることがあるし、ボクよりもご主人様に詳しいかも!」
「私が、何だって?」
その時、背後から声がした。驚いて振り返ると、そこには黒猫の姿をしたクロがいた。
「あ、クロ!ちょうど今、君の話をしていたんだよ」
シロが嬉しそうに言うと、クロはシロを睨みつけた。
「それは分かってるわよ。私の名前が聞こえたんだから。それより、私が何?」
「シュティレがね。ご主人様が何をしてる人かって訊いてきたんだけど、ボクじゃ答えられなくて…」
クロに睨まれてもまったく気にせず、シロはニコニコと話す。クロはそれに呆れたように息を吐くと、私に目を向けた。
「ご主人様が何をしている人か知りたいって?」
「う、うん…」
クロから威圧するような空気を感じて、思わず体が強張った。
「本人から聞いてないの?」
「うん…」
「なら、私からは言えないわね」
「……」
「なんて顔してるのよ。心配しなくても、ご主人様はアンタに危害は加えないわよ。元々、道具とはいえ、生き物を雑に扱う方ではないしね。だけど……」
クロの瞳がキラリと光る。
「油断はしないことね。アンタは所詮"道具"なんだから」
言い終えると、クロはプイッと向きを変えて去っていく。
「あ、クロ!掃除手伝ってよぉー!」
慌ててシロが声を掛けるが、「人間の道具が入ったんだから、やらせればいいでしょ?私、掃除は好きじゃないしね」と、クロは振り返らずに言った。
「もう、しょうがないなぁー……シュティレ。ボクらだけでやろう」
「うん…」
なんとなく、クロの後ろ姿を目で追う。
(やっぱり、クロなら知ってるんだ。…でも)
「どうかした?」
「……私、クロに嫌われたかな?」
少なくとも今朝までは、丁寧に身支度を手伝ってくれたし、優しかった。今はなんだか、邪険にされている気がする……。
「クロは前からあんなんだよ。気まぐれなんだ。機嫌がいいと思ったら怒ったりするし……なんなら、ご主人様にも文句を言うときがあるくらいだよ」
「そうなんだ…」
「だから、あんまり気にしちゃだめだよ。ああ見えて、シュティレが自分と同じ女の子なのが嬉しかったみたいだったから」
シロはそう言って掃除を再開する。
(後で、クロとも話してみようかな…)
シロに倣って掃除をしながら、話しかけるタイミングを考えた。改まって話しかけに行くと警戒されそうだし、さりげなくがいいかもしれない。
「じゃ、気を取り直して。掃除しがてら、屋敷内を案内するね」
シロはそう言うと、胸を張った。
この屋敷は昔、金融業で財を成した男が暮らしていたそうだが、事業を拡大を期に拠点を移した為、この屋敷を手放し、ご主人様が買い取ったのだそうだ。
一階にはエントランス中央の階段より奥に、大きな食堂があるのだが、今は使われていない。一人と二匹には広すぎるので、普段は朝食の時のように、キッチンの中にテーブルを置いて食堂と兼用にしているそうだ。
「でも、食堂には暖炉もあって暖かいから、冬の寒い時とか、たまにお客さまが来る時は、食堂も使ってるよ。だから、綺麗にしとかないとね」
シロは、言いながら食堂の長いテーブルをふきんで拭いていく。一度に二十人は食事出来そうな大きなテーブルだった。食堂の壁には絵画が掛かっている。黄色のフワリとしたドレスを身にまとった女性が、キラキラしたホールで踊っている絵だった。
ご主人様は、絵が好きなんだろうか?と思っていると、「それはね、前の持ち主が置いてったやつだよ」とシロが教えてくれる。
食堂の左手奥。キッチンより後ろの位置にはバスルーム。その奥に洗濯室。逆に食堂の右手には書庫があるらしい。書庫より奥には、応接間があった。
「書庫の物は勝手に触るなって言われてるから、今は掃除しに行かない。応接間が終わったら、次は、二階ね」
応接間を掃除すると、シロについてエントランス中央の階段を上る。上ってすぐに、両開きの扉がついた部屋があった。
「ここはね。ダンスホールって言うんだって。ピアノが置いてあるよ。たまに、ご主人様が弾いてるの」
「へぇ~」
ピアノというのは確か……指で白や黒の四角い所を押すと音が鳴る、"楽器"と呼ばれる物だったはず。いつか前のご主人様と街を歩いた時に見掛けた広場にもピアノがあって、ピシッとした綺麗な服を着た人が、明るい曲を弾いていたのを見掛けたことがあって、その時にピアノだと教えてもらった。
常日頃、家の中に閉じ込められていた私は、外に連れ出してもらえたことと、ピアノが奏でる曲が耳に心地良かったこともあって、ピアノに興味を持った。
(でも…)
家に戻った後、「またピアノの音が聴きたい」と言ってみたら、「勘違いするな!」と怒られては殴られた。
その時、自分がご主人様や町の人とは違う生き物だったと思い知った。その日町に連れ出したのだって、単純に出先で私の魔力を吸う必要があったからであって、けして散歩に連れ出してくれた訳ではなかった……。
ダンスホールの窓は大きく、窓の外にバルコニーがあって、ピアノはホールの左手に置いてあった。
「ピアノは、ハタキで埃を落としてね。僕は窓を拭いてくるから」
そう言ってシロは、ハタキを渡してくれる。
「……うん」
昔のことを思い出して、少し暗い気分になりながらも、言われた通りハタキを使って埃を落とす。黒い本体は、鏡のように長い髪の少女の姿を映す。一瞬誰だろうと思ってから、
「あ…私か…」
思わず苦笑する。髪を整え、素敵なワンピースを着た身綺麗な姿は、一見すると自分ではないようだ。
「えっと……たしか…」
音を出す部分がある所には、本体と同じ色の黒い蓋が被さっている。蓋の下に指を入れて蓋を持ち上げると、細い黒と互い違いになるように白いところがあった。つい興味を惹かれて白い所を指で押してみると、ピン!と澄んだ音がホールに響いた。
「っ!!」
思わず体を強張らせてシロを見るが、シロは怒る訳ではなく、ただ微笑んでいた。
「ピアノって、いい音するよね!」
「……うん」
「今度、ご主人様に弾いてもらおう!その時はシュティレも一緒にお願いしてね」
「え、私も?」
「うん!ご主人様ね、一人で頼み事をするとあんまり聞いてくれないんだけど、ボクとクロが一緒に頼んだりすると聞いてくれるんだ♪きっとご主人様は、押しに弱いんだよ」
「そうなんだ」
楽しそうに笑うシロに釣られて笑うと、シロは不意に私の手を握った。
「な、何?」
「大丈夫だよ。ご主人様もボク達も、シュティレを傷つけたり、嫌なことをしたりしない。仲間だからね。だから、そんなに緊張しなくていいよ」
「……うん。ありがとう」
胸の奥がポカポカする心地がする。それはシロの手がフワフワで温かいのもあるけれど、それだけじゃない、もっと深いところで感じる温かさだった。
(ここでなら、もっと自分の気持ちを伝えても、いいのかもしれない…)
もう、何も聞こえていないフリ、感じていないフリをしなくても、いいのかもしれない……。
ダンスホールの掃除を終えて廊下に出と、シロは今度はダンスホール左手側を指差した。隣合わせで部屋が二つ並んでいる。
「手前は僕の部屋で、隣はドレスルーム。…ボクが作った服が入ってるの」
シロは少し恥ずかしそうにモジモジしている。
「シロが作った服……見てみてもいい?」
「え?……うん。ちょっと恥ずかしいけど、いいよ」
シロはドレスルームを開けて、中を案内してくれる。色とりどりの服が、ハンガーに掛かっている。女物も男物もあった。
「もしかして、ご主人様やクロのもあるの?」
「そうだよ。これからは、シュティレの服もたくさん作らなくちゃね!好きな色とか、教えてね」
「うん…」
正直、好きな色とか、好きな物とかは考えたことがないから分からない。けれど、これからはそれをたくさん考えたほうが良さそうだ。
「ちょっと!掃除にいつまで掛かってるのよ!」
不意に後ろからクロの声が掛かる。振り返ると、人型のクロが箒を片手に立っていた。
「クロ!手伝いに来てくれたの?」
「違うわよ!私は今、庭の手入れをしてきたの。家の中くらい、アンタ達でやりなさい」
「…ごめん。シロは、私に家の中を教えてくれてたから……だから、遅いんだと思う」
謝ると、クロは軽く溜め息をつく。
「仕方ないわね……巻きで掃除するわよ。ご主人様は夕方には帰るんだから」
「そうなの?ご主人様、そんなこと言ってた?」
「言ってないけど、私には分かるの」
シロが訊くと、クロはツンとした様子で言っては、「こっちは私の部屋。シロの部屋と私の部屋は、とりあえずほっといていいわ」
クロはダンスホールの右手側の部屋を指してから、スタスタとクロの部屋を通り過ぎ、その奥にある部屋の前に立った。
(ご主人様の部屋だ)
ここなら、最初に来たので覚えている。そして、その右隣にもう一つ。
「ここは、アンタの部屋ね」
「え?」
クロはその部屋のドアを開ける。壁際にベッドがあって、隣にクローゼット、机と椅子があった。窓にはレースのカーテンが掛り、床には花柄のカーペットが敷いてある。机の上には、庭に咲いていた花だろうか?淡い黄色の花が一輪、挿してあった。
「あんたが寝ている間に用意しておいたの。どう?気に入った?」
「…うん。……すごく、素敵…」
なんとも言えない気持ちになって、上手く声が出せなかった。それでもクロに笑って見せると、「そう」と、素っ気ないながらも優しい表情で答えてくれた。
「足りないものがあったら言ってね!ご主人様に買ってもらうから」
シロもヒョコッと顔を出す。
「ちょっと!図々しいわよ。シロ」
「だって、しょうがないじゃない。ボクはお金持ってないもん」
「それは、アンタがいつまで経ってもお金の計算が出来ないからでしょ!」
「そうだけど……じゃあ、クロが買ってあげてよ」
「まあ、どうしてもって言うなら……考えてあげるわよ」
「…ふふ」
二人のやり取りが面白くて、思わず笑ってしまうと、シロとクロは一瞬私を見た後、互いの顔を見合わせて微笑んだ。それから、「シロは自分の部屋と私の部屋を掃除しなさい。私は、シュティレとご主人様の部屋を掃除するわ」とクロは私の手を引いた。
「わかった。よろしく!」
そうしてシロは自分の部屋に入って行った。
クロと分担しながら、ご主人様の部屋を掃除する。しばらく無言だったけれど、「朝は、ごめんなさい…」不意にクロが呟くように言って、私は驚いてクロを振り返る。クロは机を拭きながら俯いていた。
なんの話だろうと思っていると、
「朝はつい、ああ言ったけど……あなたが自分の魔力をどう使うかは、あなたが決めていいことよ。ご主人様は別として、私やシロに言われたからって、無理に魔力をくれたりしなくていいからね」
そう言ってクロは、黒い瞳を私に向けた。
「大丈夫。気にしてないよ」
どこか不安そうにしているクロに安心して欲しくて、なるべく明るく返すと、クロはぎこちなく笑った。
「ありがとう。……あなたは、優しいのね」
「優しいのは、みんなのほうだよ」
心底、そう思う。今まで人間としての扱いはされて来なかった私にとって、"道具"と言いながらも服や食事や部屋を与えてくれる。そして何より、私の気持ちを大事にしていいと言ってくれることが、物凄く嬉しい。
「私、みんなの役に立てるように頑張るね」
「ゆっくりでいいわよ」
そう言って笑うクロの笑顔は、すごく優しかった。
ご主人様が帰ってきたのは、クロの言う通り、夕方になってからだった。
「おかえりなさい!」
シロが出迎えに行く。少し遅れて、私も倣った。庭で出会ったのか、クロはご主人様の肩に乗っていた。ご主人様が家の中に入ると、スタッ!と床に降りる。
(クロ、もう大丈夫なのかな…)
自然にご主人様に寄り添うクロを見て、少し安心する。それと同時に、クロの心配をしている自分が不思議だった。それだけ今の自分に余裕があるということなのだろうか――。
「変わりは無さそうだな。……シュティレ」
「は、はい」
ご主人様の顔を見ると、どうしても今朝のキスのことを思い出してしまい、返事がぎこちなくなった。
「具合は悪くないか?」
ご主人様はそんな私を知ってか知らずか、穏やかに訊く。
「はい。なんともないです」
「そうか……なら、ちょっと付き合え」
ご主人様は私を手招いて、家の左手にある部屋へと向かった。小走りについていくと、ご主人様は部屋のドアを開ける。
「…わぁ…」
部屋の中の光景に、思わず声が洩れる。
そこは、書庫だった。
天井まで届く高さの本棚が壁にそって置かれ、本棚に入りきらずに床に積まれている本もあった。部屋の入り口から見て正面の壁には両開きの窓があり、側にテーブルと一人掛けのソファーが置かれていて、読書スペースといった様子だった。
私は学がなくて文字を読めないが、厚みや装丁も様々な本を見るたび、どんな内容が書いてあるのかいつも気になっていた。中には絵がたくさん書いてある子ども向けの本もあると聞いたことがあったので、そういった本も見てみたいと思っていた。
よほどおかしな顔でもしていたのか、ご主人様は私の反応を見て笑った。
「本に興味があるようだな。なら、覚えも良いだろう。……そうだな……文字を覚えるついでに、絵本でも読むか」
ご主人様はいくつか本を本棚から抜き出すと、私をテーブルの方へ招いた。促されるままソファーに座ると、ご主人様はテーブルに本を並べてみせる。
「まずは、これからいくか。話も単純で分かりやすいし…」
それから私は、ご主人様が読み上げてくれる内容を聞きながら、どの文字がどんな読みなのかを覚えていった。いくつかの単語を覚えたところで、ふと、部屋が暗くなってきたことに思い至った。
「よし。今日はこれくらいにしよう。そろそろ飯だと、誰か呼びに来そうだ」
そうご主人様が言うか言わずかのタイミングで、部屋のドアがノックされた。
「ご主人様〜、シュティレ〜!ごはん食べましょうよ〜」と、シロののんびりした声がする。
「ほらな」ご主人様はフッと笑った。釣られて私も笑って頷くと、ご主人様は一瞬驚いたように目を大きくした。
「おまえ、そういう顔で笑うんだな……」
「へ…変……でしたか?」
「いいや。少し、余裕が出てきたようだな」
「はい……シロもクロも、とても良くしてくれるので…」
「そうか……だが、無理はするなよ。いざって時に使い物にならなくなっては困るからな」
ご主人様はそう言って私の頭を軽く撫でる。相変わらず、優しいのか優しくないのか分からない言い方だ。
(もしかして、クロと同じなのかも…)
素直じゃないというか、気持ちを表現するのが不得手というか……優しい言葉をかける時には、必ずと言っていいほど、突き放すような言葉も使う。
ご主人様がクロと同じだと思ってみると、なんだか可愛らしい気もして、自然と頬が緩む。それを見たご主人様が怪訝そうに眉を上げた。
「何をニヤニヤしてるんだ?早く行くぞ」と、私を促して書庫を出た。
「あの……ご主人様」
「ん?」
訊いてもいいかもしれないと思って声をかけてみたら、ご主人様は振り返り、待ってくれた。
「……ご主人様は、何をしている人なんですか?」
訊くと、ご主人様は一瞬の間をおいて、やがて口の端を上げて笑う。
「仕事らしい仕事はあんまりしてない。ただ、俺が生きやすい世の中にする為に、邪魔者は排除してる。復讐とも呼べるな。それ以外のことは、復讐の後に考える……おまえには、俺の力として、役に立ってもらうから、そのつもりでいろ」
「……邪魔者を…排除…?」
「ああ。…簡単に言えば、殺すってことだな」
「っ!!」
薄々思ってはいたが、実際にご主人様の口から聞くと、恐ろしくて息が詰まった。
「そんな顔するな。実際に手を下すのは俺だ。おまえは、必要に応じて魔力をくれればいい」
ご主人様は私に手を伸ばし、人差し指で私の唇をなぞった。それでビクッと体が震える。そのまま固まっていると、ご主人様は面白そうに笑って階段を降りていった。
「……あれ?」
少し遅れてご主人様に続きながら、私はふと違和感を覚えた。
(なんで文字、教えてくれたんだろう…?)
魔法は教えないと言っていたけれど、本が読めるようになったら、魔法の呪文だって読めてしまうんじゃないだろうか?読めるということは、使えるということにもなるんじゃ……?
(やっぱり、よく…分からない……)
お読み頂き、ありがとうございました。
この物語の癒し担当はシロとクロです。作者は二匹とご主人様とシュティレがわいわいしている場面が好きですが、そればかりを書かせてもらえないのが、この物語の複雑な所のようです。ご主人様は相変わらずですし……。




