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2.静寂(シュティレ)

 やっぱり歩けなかった私は、シロというイタチに託されて、シロに横抱きにされながら階段を登った。フカフカの毛皮が心地良くて、つい眠たくなってしまう。

「綺麗にしてもらって良かったねぇ!服も良く似合っているよ」

 シロは人懐っこい性格なのか、よく話しかけてきた。

 シロの言葉に釣られて、ちらりと、自分の服装を確認する。淡いグリーンのワンピースに白いタイツ。ブラウンのベルトシューズ。ワンピースの裾にはフリルがついている。背中まで伸びる灰色の髪はきちんと櫛を通されてサラサラしていて、頭にはワンピースの色と同じグリーンのリボンがついたカチューシャが載っていた。町中で見掛ける、お金持ちのお嬢様のような服装に、なんとも居心地の悪さを感じた。

 そんな様子を感じたのか、シロが首を傾げる。

「もしかして……気に入らなかった?もう少し大人っぽいほうが好みだったかな?」

 不安そうなシロの顔が堪らなくて、慌てて首を横に振って否定する。

「違う。……初めて…だから……こういうの……」

「そっか!…でも、他に着たいものがあったら教えてね。ボク、なんでも作ってあげるよ!」

「つく…る?」

「うんっ!この服はねぇ~、ボクの魔法で作ったんだよ!ボク、お裁縫は出来ないけど、材料さえあれば、形を変化させる魔法で作ることが出来るんだ♪」

 世界は広しと言えど、そんな魔法も、ましてや使い魔も知らなかった。今までのご主人様達の住処や地域は様々だったので、色々な人や魔法を見てきたつもりだったけれど……。それで段々、今の状況が全て夢なのではないかと思えてくる。

 

 やがて階段を登りきり、シロは正面にある大きな両開きの扉がある部屋を横に逸れて、更にその奥にある部屋の前に立った。

「ご主人様〜!連れてきましたよ」

 シロがそう声を掛けると、ドアが開いて、ご主人様が顔を出した。私を見るなり、驚いた顔をする。

「おまえ…何だか人形みたいだな……シロの作った服のせいか?」

「かわいいでしょ?クロも丁寧に櫛を通していたし、かわいらしくしてあげないと勿体ないと思って」

 シロがどこか誇らしげに言う。それに「そうか」と苦笑して、ご主人様はシロに手を差し出した。

「ご苦労。後は俺が引き受ける」

「はい」

 ご主人様はシロから私を受け取ると、私をベッドに座らせた。

「じゃあ、何かあったら、また呼んで下さいね!」

 シロは尻尾を振りながら部屋から出ようとする。

「あ……ありが、とう…」

 その背中に小さく声を掛けると、シロは一瞬振り返っては、瞳をキラキラさせながら前足を振ってから、部屋のドアを閉めて出て行った。

「動物は好きか?」

 ご主人様はそう言いながら、私の隣に腰掛ける。好きか嫌いかと訊かれると、好きかもしれない……少なくとも、人に対するよりは緊張しない……。そう思って頷いて見せると、ご主人様は表情を和らげた。

「そうか。なら、ここにいる間はあの二匹を頼るといい。俺と違って、愛想良く世話してくれるだろうよ」

 返答に困って黙ってしまうが、ご主人様は対して気にする様子もなく、「さて」と仕切り直した。

「おまえは、自分がどういう存在か分かっているか?」

「……私は、魔力が人より多くて強い……だから、強くなりたい人は、私の魔力を欲しがる……私は、魔力をあげる代わりに、食事と寝床を貰って、います…」

 

 現在、近隣の国々では、魔法使いが及ぼす影響力が話題になっていて、今や魔法の優劣で社会的地位が変わるまでになっていた。

 ただ、魔法使いに成れる者は少ないし、魔力量は生まれた時から大体決まっていて、修行で僅かに増やすことも出来るが、それにも限界がある。他人から貰うことも出来なくはないが、魔力のある人間は魔力を取られると、最悪死に至る……。

 しかし、遥か昔。無限に魔力を蓄える事が出来て、他人に渡しても魔力の減らない魔法使いがいたという伝説があった。力の泉(ウィス・フォンス)と呼ばれていたその魔法使いは、人類で初めて魔法使いになった人物らしい。

 

 ――私と同じだ。

 

 なぜ、私がそうなったのかは分からない。一説には、変わった色の私の瞳が、魔力の根源ではないかと言う人もいた。

 両親や親戚にも、私と同じような人はいなかったと言われ、私がなぜこういうふうな産まれ方をしたのかは、誰にも分からなかった。

 赤ん坊の頃には常人の三倍の魔力量だと言われ、五歳になる頃には、十倍に……。

 それで貴族に目をつけられた。

 生活に困窮していた両親は大金に目が眩んで私を手放した。けれど、他にも幼い弟妹がいたし、私を売ったこと自体には恨みはない。もともと、"魔物の子ではないか?"と周囲の人に気味悪がられていたし。

 ――むしろ、その後の十数年のほうが辛かった。

 

 魔力を相手に渡すには、直に触れる必要があった。手を繋ぐのもいいが、それよりも強い接触……噛んだり、血を飲んだりすることでより多くの魔力を引き出せた。血を抜くのは流石に生命に関わるので、もっぱら私の所有者達は、腕に噛み付いて魔力を吸っていることが多かった。泣こうが喚こうが関係ない……私は、"道具"だった。

 所有者と他者が私の奪い合いを始めて、私は所有者がコロコロと変わった。時には、私の存在そのものが混乱を招くとして、殺されそうになったこともある。

 

(この人は、いつまで私のご主人様かな……)

 今の所、手荒なことはしてこないし、世話をしてくれた。使い魔の二匹も好意的だったし、従順にしていれば、いくらかいい暮らしが出来るかもしれない……。

 私の表情に何を見たのか、ご主人様は苦笑する。

「すっかり奴隷だな……まあいい。これからは俺がおまえの主人だ。俺の言うことには従って貰う。いいな?」

 過去に何度も繰り返された問い。端っからこちらの答など求めていないのに、なぜ人は、確認するのだろうか?

「……はい」

 機械的に頷くと、ご主人様は小さな石のついたチョーカーを取り出した。それを私の首に付ける。

「ところで、おまえ、名前は?」

「…なま…え…?」

 思い出せなかった。貴族に買われてから後は、一度も人に呼ばれた事はない。そうしているうちに、いつしか忘れてしまった……。

 困っていると、ご主人様は「うーん…」と顎の下に指を置いて考え出した。

「名前が分からないなら、仮名をつけるか……本当なら、本名のほうが効力が強いんだがな……仕方がない。なら、おまえの名前は……"静寂(シュティレ)"にしよう」

「…シュ…ティレ…?」

 首を傾げていると、ご主人様が人差し指を、首のチョーカーに付いている石に当てた。ほんのり石が熱を持ったが、すぐに元の温度に戻る。

「そのチョーカーは自力では外せない。それを付けている限りは俺はおまえの居場所が分かるし、名を呼んでした命令には背けなくなる。…おまえは歯向かって来そうにないが、一応な」

 フッと笑ってご主人様は指を離す。

「……シュティレ…」

 状況はどうであれ、ひとまず名前を貰えたことが嬉しくて、小さく自分の名前を口に出してみた。

「よし。名前も決めたし、ここからが本題だが…」

 ご主人様が言うと、私は反射的に腕を伸ばして、ご主人様の顔の前に差し出した。長袖だったので、肘まで袖を捲る。しかし、ご主人様は首を横に振った。

「違う。今はおまえから魔力は貰わない。第一、俺はそんなに魔力が必要じゃないしな」

 どういう意味だろうかと少し考えたが、ご主人様を見ているうちに分かった。ご主人様は、私程ではないが、かなり魔力の高いほうなのだ。

 私の表情を見て言わんとすることを察したのか、ご主人様は微笑んだ。

「分かったろ?俺は別に魔力を回復したい訳じゃない。ただ、おまえの魔力を回復してやろうと思ったのさ」

「…え?」

「自覚がないかもしれないが、おまえの今の症状は、魔力量が減ったことによるものだ。おまえの魔力は無限に増えるが、ある程度減れば、回復も必要なのは普通の魔法使いと一緒だ。元の魔力が高い分、魔力欠乏症になるラインも人より低い数値になるから、気づかれにくいだろう。魔力は休めば徐々に回復するものだが、その様子だとここ最近、ろくに休みのないまま、魔力を渡していたんだろう。だから、回復が追いつかず、体を動かせなくなった…」

 ご主人様は一旦言葉を切ると、右手を私の顔に伸ばした。頬に触れられて、思わず体が強張ったが、「大丈夫。痛めつけたりはしない」と言われて、少し緊張が解けた。

「魔力を渡すには接触が必要だが、その方法は何も噛むだけじゃない。手を繋ぐとかハグをするような軽い接触で充分だし、なんなら……キスでもいい。こちらは噛むのと対して変わらない量を短時間に渡せるな。ただ、事前にどちらが魔力を吸うのか決めておかないと、お互いに魔力を吸ってしまって、意味がなくなる」

(どちらが吸うかなんて、調整出来るものなの?)

 魔力は言わば血のようなものだ。流れ出はするが、逆流することはない。ましてや、流れを止めるなんて……。

「信じられないか?ちょっとしたコツがあるんだが、まあ、これは後で教える。……俺は噛まれるのは嫌だから、キスでどうだ?そのほうが短時間で済む。手を握ったりハグをする程度じゃ、何時間掛かるかわからないからな……それとも、ファーストキスは、初恋の人にでも取っておきたいか?」

 どこか冗談めいてご主人様が言う。

 "キス"というと、他人の頬や口に口をつける行為のことだろうか?挨拶だったり、親しい人同士がしているのを見たことがある……いずれにしても、私にそれをしようという人は居なかった。取っておきたいとか言えるほど、私には身近なものじゃないと思う。

「……キスで…いいです…」 

 ご主人様の意図が分からなかったけれど、ご主人様がそうしたいなら、私に拒否権はない。

「本当に自我が無いんだな……冗談のつもりだったんだが……でもまあ、おまえがいいならいいか。やったことはないが、キスで魔力を渡せるのは事実だし…」

 ご主人様は私の反応を楽しむように笑うと、ゆっくり顔を寄せてきた。反射的に目を閉じると、やがて唇に柔らかい感触が当たった。

「っ!?」

 唇が触れ合った瞬間、その柔らかさと共に魔力が流れ込んでくるのを感じた。陽光のような暖かい空気で、体が温まるような感覚――いつもは自分がそれを抜かれているので、体が寒くなる一方だったけど、今は違う……なんとも言えない幸福感がある。――しばしその感覚に酔っていると、スッと唇が離れた。

「……もっとッ!!」

 唐突に暖かさが消えて、そうなると途端に体が冷えた気がした。

 私は無意識にご主人様の肩に手を乗せて伸び上がると、再び唇を重ねた。

(もっと!もっと欲しい…)

 本能のような、抗いがたい欲求に、頭が真っ白になった。ただひたすらに、魔力を吸う。

 ご主人様は始めはそのまま受け入れてくれていたが、不意に私の肩に手を置くと、グッと押し留め、顔を離した。それでもキスをしようと藻掻いていると、「…シュティレ」と名を呼ばれた。

「っ!!」

 呼ばれた瞬間、まるで体が石にでもなったかのように強張り、動けなくなった。

「止めろ。これ以上は駄目だ」

「――はい」

 唐突に欲求が落ち着いて、心が鎮まった。鎮まってみると、自分はなんてことをしたのだろうと、恥ずかしくなって、俯く。「……ごめんなさい…」と自然と謝罪が口をついた。

 魔力を貰ったことなんてなかったし、こんなに満たされるものだと思わなかったから、つい夢中になってしまった……。何か、罰があるだろうか……。

 しかし、ご主人様は笑っている。

「いや、いい。思ったより随分と情熱的だったが……まあ、それだけ魔力が足りなかったということか。それにしてもおまえ、吸い取るほうに専念すれば、この世界を思い通りに出来るぞ」

「え?」

「今まで辛かったろう?……世の中に復讐したくないか?」

「…そ、そんなこと……」

「今のを使えば簡単だ。色仕掛けで近づいて魔力を吸う。……おまえの魔力の器は大きい。相手の魔力を吸い尽くしても、収めきれるはずだ。それでも多すぎた時は、俺に魔力をくれればいい……どうだ?いい取引だろ?」

 ご主人様の目が妖しく光る。

(この人は……)

 悪い人だ。何かとんでもないことを考えている……けれど、名前を縛られている以上、私に抵抗する術はない。どうあっても、ご主人様の考えに従うしかないんだ。

「…フフ……そんな顔をするな。強制はしない。ただ、そういうやり方があるとだけ、言っておこう」

「…はい」

 一応頷くと、ご主人様も満足そうに頷いた。

「ところで、調子はどうだ?さっきより幾分か顔色が良くなった気がするが」

 そういえば、気怠さが消えている。もう、寒くもない。

「良くなりました……あ、あの……ご主人様は、大丈夫ですか?」

 噛み付いてはいないので痛くはなかったとは思うけど、魔力を抜かれたあとはとても疲れてしまうはずだ。

 ふと気になって聞くと、ご主人様は目を細めた。

「なんだ?心配してくれるのか。健気な奴だな。……ああ、大丈夫だよ。ちゃんと渡す量は加減したから。おまえにとっては、まだ充分ではないが、あと数日は魔力を使わずに休めば、大丈夫だろう」

「そう…ですか」

「さて。魔力の調整だが」

「はい」

「おまえ、他人の魔力量が分かるだろ?それと同じように自分に集中して魔力量を測れ。そのうえで、流れる魔力を体の中心に集めるイメージをする。集めることが出来たら、自分で魔力量を好きな時に好きな量を流せるようになる」

「…」

 一度目を閉じてから再び開け、集中する。そうすると、あらゆるものから発する、煙のように揺らめいている"気"を、よりはっきりと感じた。どういう仕組みかは分からないけれど、たぶん、生きている証なのだと思う。生きている者には、量は様々だが、こんなふうに気が放出されている。体を薄く覆うようなのが普通で、魔力と呼ばれる程に気が高いのは、勢いのある炎のように大きな気に感じる……私は生まれつき、気の量が目に見えていた。

(不思議だ…)

 ご主人様は最初、魔力量が多いと思ったが、今は見えない程に僅かしか放っていない……いや、更に集中すれば、体の中心に、濃度の高い気が渦を巻いているのが分かる……これが、魔力を調整している状態なのだろうか?

 反対に自分は、部屋中に放出しているかのように大きく気が見える。

(体の中心に集めるイメージ…)

 ご主人様の様子を参考に、頭の中で自分の力を集めるイメージをしてみると、徐々に周りに放出していた気が集まってきた。やがて、心臓の辺りで留まった。

(…苦しい…)

 気の量が多いからか、重苦しい感覚がする。このまま留めて置くのは、なかなかに難しい。

「上出来だ。魔力量が多いから、慣れるまで大変だろうが、調子のいい時に練習してみろ。それが出来れば、意図的に魔力を流したり、流れないように止めることも出来る。今は、無理をするな」

 不意にご主人様の声が聞こえて、言われた通り力を抜くと、気はまた元のように放出された。

「はぁ…」

 目を閉じてから、ゆっくり息を吐いて目を開けると、ご主人様と目が合った。

「!?」

 ご主人様は、フッと笑うと、私の腰に手を回して、私の体を引き寄せた。再び顔の距離が近くなる。

「魔力の調整が出来たご褒美に……いいことをしようか」

「いいこと?」

 ご主人様の手がさりげなく胸元に回され、ワンピースのボタンを外される。

「ご、ご主人様っ!?」

「……怖いか?」

「はい…」

「痛くはしないよ。大丈夫だから…」

 服をはだけられて、ベッドに押し倒される。

「ご、ご主人…様……何を?」

 いきなり服を脱がせるなんて……何をする気だろう?怖い……だけど――抵抗するのは……もっと怖い。抵抗したら、殴られるだろうか?首を絞められるだろうか?

(痛くはしないって言ってた…)

 このご主人様にはまだ、痛いことはされていない。なら、その言葉を信じていいかもしれない……。

 

「……フフ」

 

 少し考えた末に、抵抗せずに目を閉じて横を向き、じっとしていると、ご主人様の笑い声がした。驚いて目を開ける。

「何をされると思った?」

「え…」

 答えられずに戸惑っていると、ご主人様は楽しそうに「俺はおまえの噛み跡を消してやろうと思っただけだ。……犯されると思ったか?」と訊いては私の体を撫でた。

「?」

 よく分からなくて黙っていると、ご主人様は更に可笑しそうに笑みを深くする。

「そういう発想はないか……悪かった。……でもまあ、犯してみるのも面白そうだが、他人がつけた傷痕があるのは正直萎えるからな……それを治すのと……もう少し肉付きが良くないとな。ちゃんと食わせてもらってないんだろ?今にも折れそうじゃないか。これなら、小柄な少年と言ってもバレなさそうだ」

 馬鹿にされているのか、心配されているのか分からない言い方に、反応に困る。

 ご主人様は、そんな私の内面を知ってか知らずか、私の顎に指を添えて、顔を正面に向けさせた。

「それと、俺の所有物なら、蹂躙されて当たり前だという顔をするな。気に入らないことは気に入らないと抗ってみせろ」

「あらが…う?」

「そうだ。おまえは誰でも扱っていい道具じゃない。おまえのような人間は希少だ。自分にプライドを持て。自分を安く見積もるのは止めろ」

「……でも…」

 抵抗しても、腕力では誰にも敵わないし、魔力はあれど、魔法の使い方を知らない……そうなったら、後は痛めつけられるだけだ。

「大丈夫。俺は極力おまえが嫌がることはしないし、おまえから目を離さない。おまえが傷つけられる前に助けてやる。……だから、それを信じて抵抗しろ。諦めるな。……いいな?」

「……はい…ご主人様」

 一体この人は、何を考えているんだろう?"助けてやる"だなんて、道具に使う言葉だろうか?道具と言うのは、壊れるまで使ったら、新しいものと取り替える……それだけの存在じゃなかったか。

 何か分かりはしないかと、妖しく輝く金の瞳を見つめたけれど、ただ不安そうな自分の顔が見えただけだった。

「よし。いい子だ」

 ご主人様は体を起こす。

「服を脱いで、体を見せてみろ」

 恥ずかしかったけど、確かに服を着たままでは噛み跡や痣は見えない……さっきも体を洗ってもらったし大丈夫と割り切って、ワンピースを脱いだ。下着は着ているとはいえ、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。ご主人様の方を見られなくて俯く。

 けれど、ご主人様は構わずに私の腕をゆっくり撫でた。まるでお湯を掛けられているように温かい。ふと私を撫でるご主人様の手を見ると、掌から淡くオレンジ色に輝く小さな粒子のようなものが出ていた。

(…魔法?)

 オレンジ色の粒子が掛けられた後の肌には、先程まであったはずの歯形が消えていた。ご主人様はそうやって、全身にくまなく粒子を当てて、私の体に残る傷や痣を消していった。

「……ふむ。こんなものかな」

 気づけば、まるで初めから傷など無かったかのような綺麗な肌になっていた。

「……ありがとうございます」

 嬉しくてご主人様に礼を言えば、ご主人様は、私に毛布を掛けてくれながら、私の頭を軽く撫でた。

「後はちゃんと食って休め。……仕事はそれからだ」

「はい…」

 仕事とは、なんなのか?次から次へと新しいことや疑問に思うことが多く、酷く疲れを感じた。こんなにあれこれ考えたのは、初めてかもしれない。

「まずは寝たほうがいいか。そのままベッドで寝てろ」

「…でも、ここはご主人様のベッドでは?」

「そうだが、おまえ一人いた所で邪魔にならない。狭ければ、ソファーで寝るからいい。そのうちおまえの部屋を用意するから、それまで使ってろ」

(ベッド……使っていいんだ)

 酷いときは自分のベッドがなく、床に毛布を敷いて寝ていたこともあった。もはやベッドは贅沢品だ。

「はい」

「…ずいぶんと嬉しそうだな」

「…あ、えっと…」

 どうやら、顔に出ていたらしい。慌てて顔に手をやって、真顔に戻そうとしていると、ご主人様が吹き出した。

「何やってんだ。いい、いい。嬉しいなら嬉しいで。俺の前では、正直でいい」

 ご主人様は私の頭にポンと手を置いてから、私から離れて立ち上がり、ベッドから下りた。

「今、クロに寝間着を持って来させるから、気の済むまで寝てろ」

 そう言い残し、部屋を出て行った。

「……優しい…のかな…?」

 ご主人様を悪い人だと感じたり、優しいと感じたり……今ひとつ、ご主人様という人が分からない。けれど、今までのご主人様は、こんなに気遣ってはくれなかったし、ご主人様の狙いはなんであれ、この状況はすごく、気分がいい……。

「一眠りしたら、頑張って働こう…」

 もしかしたら、そう思わせることで、ご主人様の都合良く私を使いたいだけかもしれないけど、あのご主人様に使われるなら、悪くないかもしれない……。

(ご主人様の名前……なんていうんだろう?)

 ベッドに体を預けて目を閉じながら思う。生まれて初めて、ご主人様の名前を知りたいと思った。ただのご主人様ではなく、ちゃんと名前を呼びたい……あの人は、『ご主人様』と一括りにしたくないと、なぜだか強く、そう思った。

お読み頂き、ありがとうございました。

使い魔達に比べて、この『ご主人様』はなかなかに掴みにくい人物ですが、そこがポイントにもなってくるので、ぜひ嫌わないでやってくれると、助かります……。

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