1.新しいご主人様
ドカッ!!……ガンッ!!
部屋の向こうから、何かがぶつかったり、倒れたり、壊れたりするような音が響く。そして、時折怒号のような男の人の声。それに応えるような、こちらは静かな低い声……怒号を上げている声には、聞き覚えがある。
(……ご主人様…)
名前は知らない。私を使っているから、そう呼んでいる。
私を使う人間をご主人様と呼ぶことで、呼ばれた所有者はたいそう気分を良くするので、生きていく為にも、そう呼ぶ癖がついた。けれど、その言葉にそれ以上の価値はなく、何の感情も乗ってはいない……。
実際、今のご主人様が"何人目のご主人様"にあたるかは、もう覚えていなかった。
――物音が止んだ。
何やら話し声がして、閉じていた部屋のドアが開く。
「なんだ?ボロボロじゃないか」
恐らくは先程、ご主人様の声に静かに応えていた人物だろうか。聞いたことのない声だ。
「いいんだよ、これで。飯は食わせてるし、死にはしないだろ。それに、最近はちっともまともな量の魔力を出しやしない。……だから、あんたにも簡単に負けたんだ」
こちらはご主人様の声。それから、相手の笑う声がする。
「俺に負けたのは、コイツの魔力供給がなかったからって言いたいのか?それは違うな。おまえが負けたのは、俺より弱かったせいだよ。……弱いやつがいくらいい道具を使おうが、弱いんだから所詮宝の持ち腐れさ」
「…言ってくれる…」
ご主人様は不服そうな声で呟く。それで気になって、薄く目を開けてみた。
「お。起きたな。――にしてもおまえ……綺麗な目をしているな…」
私の瞳は、赤というより桃色に近い色をしているそうだ。それを綺麗と言う人もいたし、人間離れしていて気持ち悪いと言う人もいた。
大体は、後者のほうが割合が多かったように思う。
本当に綺麗かどうかは分からない。なにせ、ろくに鏡を見たことがないから、自分がどんな容姿をしているのかすら分からなかった。目で見える範囲……体つきが小枝のように細いことや、腰まで届く髪が灰色をしていることが分かっている程度だ。
たまに"綺麗"とか"かわいい"とか言って来る人も居たが、そう言う人は大体二種類に分かれている。
他人が持っていない物や変わったものを持つことで喜ぶタイプか、私を可哀想に思う人だ。
ただ、可哀想に思う人は大体他の人に悪く言われて、私のところへ来れなくなってしまう。私を逃がそうとして失敗し、それから姿が見えなくなる。
考えたくないけれど、殺されてしまったかもしれない。
私の周りは、人の死が身近だった。誰かと誰かが争って殺し合う……初めて人が殺される所を見た時はあまりの衝撃に呼吸すらも忘れたし、それからは何度もその瞬間を夢に見て睡眠不足になったけれど、周りの人間は私のことは人間ではないと思っていたようで、それからも私の目の前でも平気で殺し合っていた。
おかげでいつしか、目の前で何が起ころうが、悲鳴を上げることも苦しくなることも減って行った。
綺麗な目をしていると言った目の前の知らない男の人は、若く見えるが落ち着いているので、実際はそこそこの年齢なのかもしれなかった。
――やっぱり、知らない顔だ。
少し長めの一見すると黒に見える暗い紫色の髪の下に、金色に見える明るい色の瞳……。
こんな色の瞳は初めて見たけれど、なんだか月の光のようで、綺麗だと思った。
その瞳が、すっと細くなる。
「おまえは今から俺のものだ。いいな?」
どうやらご主人様は、この男の人に代わるらしい。では、起き上がって付いて行かなければ……。
しかし、上体を起こすのに、えらく力が要った。まるで大きな岩でも持ち上げているようだ。
自分の体は小柄で、他人と比べても軽いほうだと自覚していたが、これはどういうわけだろう?
「そんな搾りカスでも、欲しいのか?」
なかなか起き上がれずに藻掻いていると、溜息混じりなご主人様――"元"ご主人様の声が言うが、"新しい"ご主人様はまたしても笑った。
「おまえは知らないようだが、コイツの魔力は簡単に枯れたりしない。使い方があるんだよ。……ま、コイツはもう俺のだから、あえて教えてやらないがな」
「チッ……さっさと行け!」
「はいはい」
新しいご主人様は、スッと私に触れては、あっという間に抱え上げた。
ちらりと、近くにいた元ご主人様の、熊のような顔を見たが、目が合うことはなかった。
そのまま新しいご主人様に抱えられて、家具が散乱した家から出る。
明るい陽射しが目に眩しくて顔を顰めると、「眩しいなら、目を瞑ってろ。でも、テレポートするから、すぐに家に着くけどな」と新しいご主人様が言った。
言われた通り目を瞑っていると、パチン!と指を鳴らすような音がして、瞼越しに感じていた陽射しの勢いが弱まったのを感じた。
それで再び目を開けてみると、そこは知らない家の中だった。
元ご主人様の家とは違い、埃っぽくなく、元ご主人様の家よりずっと広い。
「よし。着いた。まずは……風呂だな。それともおまえ、腹が減ってるか?」
新しいご主人様が私の顔を覗き込む。全体的に気怠い感覚はあったが、空腹ではないような気がしたので、首を横に振った。
それを見て、新しいご主人様は満足気に頷いた。
「うむ。言葉の意味は理解できているようだな。じゃあ、風呂行くか。……おい!コイツが着られそうな服を用意しておいてくれ」
新しいご主人様が家の奥に声を掛けると、バタバタと騒がしい足音がして、何かがこちらに走ってきた。
「……!?」
その姿を見て、思わず息を呑んだ。
――イタチ……だった。
それも、人のように二足で歩き、背丈は平均的な大人の男の人程ある。
真っ白なフカフカの毛皮に覆われ、大きな丸い黒目をクルクル動かす。首に黒い蝶ネクタイをしているのも相まって、余計に可愛らしく見えた。
嬉しいのか興奮しているのか、先の方だけ黒い尻尾が、左右に忙しなく動いている。
「うわぁ~!この子が、ご主人様の言っていた『力の泉』なんですね?」
「いいから、さっさと言われたことをするわよ!ほんとにあんたって、愚図なんだから!……ご主人様も、そういうことなら、私にお命じ下さればいいのに…」
更に別の方向……低い位置から声がして、そちらを見ると、品の良い黒猫が、こちらを見上げていた。まさか猫がしゃべったのではないだろうと思っていたら、
「なんだ。おまえ、起きてたのか。朝なら寝転がっているかと思っていたが……」
新しいご主人様は、猫に話しかけた。すると、黒猫は得意気に姿勢を正してみせた。
「どっかの誰かさんと違って、私はご主人様がお帰りになる気配を感じ取り、きちんとお出迎えにあがったのですよ」
言いながら、新しいご主人様の足に体を擦り寄せた。気のせいではなく、明らかに黒猫がしゃべっていた。
「そうか。おまえがいるなら安心だな。頼んだぞ」
「お任せ下さい」
黒猫はちょこっとお辞儀すると、隣のイタチに猫パンチをお見舞いした。
「ほら!早く行くわよ!」
「…ウッ!……分かってるから、叩かないでよ〜」
イタチは叩かれた左足を擦りながら、黒猫と一緒に家の奥へ消えた。
不思議な気持ちで、二匹の消えた方向を見つめていると、新しいご主人様は私を抱えたまま歩き出した。
真っ直ぐバスルームへ行くと、脱衣場に降ろしてくれたが、目眩がして立っていられず、床に座り込んでしまった。
「…相当体力が削れているようだな……いや、魔力が不足していると言ったほうがいいか…」
新しいご主人様はそう呟くと、私の服に手を掛けた。
元は白かったが、今はくすんでボロボロだ。ワンピースと言えば聞こえはいいが、白いシーツを継ぎ合わせて、頭や腕を出す穴を開けただけと言って良い程度の、粗末なものだった。ボタンやリボンなんてものはついていない。
新しいご主人様は、躊躇わずにそんな服を脱がせる。
脱がされる寸前、僅かに嫌悪感を感じて体が強張ったが、抵抗する気力はなかったので、結局されるがままにしていた。
「……抵抗しないのか?本当に従順だな…」
どこか呆れたように呟いては、新しいご主人様は、少し真面目な表情で、露わになった私の体を検分する。
痩せて骨が浮いていて、白い肌には所々、歯形が付いている。歯形は主に両腕に集中していて、首や足にもあったが、そちらは数が少ない。髪や服を避けなくて良いので、単純に腕のほうが噛みやすいというだけのことだ。
あとは青痣がある所もあったが、それは、魔力量が少ないと腹を立てた元ご主人様に、蹴られたり殴られたりしたせいで出来たものだろうと思う。それから火傷の痕もいくつか。
「やれやれ……ずいぶん雑に扱ってるなぁ〜。やっぱりあいつに使い方を教えなくて正解だった。教えてたら、大人しく渡してはくれなかっただろうな」
新しいご主人様は、私をバスタブの中に入れながら言っては、私の体を洗ってくれる。頭から爪先まで、丁寧に洗ってくれた。いつの間にお湯を溜めてあったのか、熱すぎず温すぎず、丁度良い温度で思わずウトウトしてしまう。
(最後にお風呂に入ったのはいつだろう…)
気怠くて体を起こせなくなってから数日は経っていたので、そこから入れていないとして、一週間くらいか、あるいはもっとか……。もともと、頭から水を被るくらいしかしていないから、バスタブに入ったりなんて、したことはなかったけど……。
(……どうでもいいか)
洗ってもらう感覚が心地良くて、頭がぼーっとする。石鹸の良い香りもして、それで私は、考えることは止めた。
「……おまえ、中のほうは弄られていないか?」
「?」
"中"とは、どこのことなのか分からなくて首を傾げていると、新しいご主人様は私の下腹部に手を置いて、「この中のことだ。……まあ、でも。魔法使いなら、生娘の魔力の高さは知っているはずだから、そうやすやすと奪ったりはしないか……下手をすると、魔力を取られる可能性もあるしな」
言っていることが分からないので黙っていたが、それで新しいご主人様は気を悪くするでもなく、笑っている。
「まあ!何よアンタ!自分でお風呂に入ることも出来ないの?」
突然甲高い声が聞こえたのでそちらを見ると、黒いエプロンドレスに身を包んだ十五、六歳に見える少女が、こちらを睨んでいた。
ボブ・ショートの黒い髪に、大きな黒い瞳だ。初めて見た顔だが、何故か既視感を覚えた。
「……ね、こ?」
ふと思ったことを口にすると、少女は元から大きな瞳を更に大きく見開いた。
「よく分かったな。流石は『力の泉』だ」
新しいご主人様が楽しそうに笑う。どうやら、自分の勘は当たっていたらしい。どういう訳か、先程の黒猫が、今は少女の姿をしているようだ。俗に言う動物に変身する魔法だろうか?それとも、猫が人間に化けているのだろうか?
会ったことはないが、動物の中でも、使い魔の中にはそうしたものが居るという話なら、聞いたことがある。人間の言葉を話していたし、ただの猫ではないというほうがしっくりくる。
「こいつは"クロ"。ちなみに、さっきのでかいイタチは"シロ"。二匹とも、俺の使い魔だ」
主人に紹介されて、クロはフン!と鼻を鳴らす。
「クロ。あまり怒るなよ。コイツは今弱っているから仕方がないだろ」
「それは……そうかもしれませんけど……仮にも雌が、雄の前でそんな無防備な姿を晒しているなんて……雌としてのプライドはないのかしら?と思っただけですわ」
それは一理あるかもしれないが、そうは言われても、体が上手く動かせないのだから、仕方がない。――それに、ご主人様のすることに意見したり抵抗したりすると、ろくなことが無いのは、良く知っている。殺されるまではないまでも、それに近しいくらい痛めつけられる……。
魔力を取られる時もそうだ。いくら痛いとか、止めてとか叫んでも、容赦なく肌に歯を立てられる。結局抵抗するだけ無駄なのだ。
(黙っていれば、痛みは少しで済む……)
「なら、このあとはクロが代わってくれるか?」
「もちろんですわ!主人の手を煩わせる訳には参りませんもの」
クロが腕捲くりをしてバスタブに近づいてくると、新しいご主人様は苦笑しながら離れる。
「着替えさせたら、俺の部屋に連れてこい。歩けないようなら、シロに運ばせろ」
「畏まりました」
クロは去っていく主人に丁寧にお辞儀をする。
主人が見えなくなると、クロはサッと私に向き直った。
「さて!ちゃっちゃと支度するわよ!」
手早くも優しく丁寧に洗って拭いてくれるクロに、言葉とは裏腹に思いやりを感じる。体が芯から温まるような……けれど、それは風呂のお湯の温度のせいばかりではない……そんな、久しく感じたことがなかった心地良さに、意図せず目頭が熱くなる。
「やだ、何?アンタ、泣いてるの?」
クロが迷惑そうに言ったが、その表情は言葉とは違って、慈愛に満ちている。
「…もう大丈夫よ。ご主人様なら、アンタを悪いようにはしないわ」
クロはそう言って、頭をタオルで拭くついでに、目元の涙を拭ってくれた。
お読み頂き、ありがとうございました。
今回は魔法使いがメインの、少し不穏な様子の物語となっています。正直、自分の中でも定義が難しく、どんな風にあらすじを書こうかと悩みました。
それでも筆が止まらなかったので、投稿してみたのですが……どんな物語になるのか、温かく見守ってくれたら、嬉しいです。




