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宵闇に捧ぐスノードロップ  作者: 空色 理
第四部

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45/47

45.主従の絆

 ヒュルルー……ヒュルルー……

 

 地面の木の葉を巻き上げながら、旋風が天に上る。かと思えば、急に風が消失して、巻き上げられた木の葉は再び地面にばらけた。

 

「……」

 

 そんな様子を、木の上から見るともなく見ている者がいた。猫のような……犬のような……動物の形をしているが、その姿は蜃気楼のように揺らめいていて、大きさも形も、はっきりしない。


 ――『疾風のウェルテクス』

 

 いつからだったか、人は彼をそう呼んだ。それに影響されて、周囲の動物や魔物も、そう呼ぶようになったので、彼は自分の名として覚えることにしていた。

(前の『バケモノ』よりはマシかな…)

 角や牙の生えた者や、毒々しい色味の魔物など、自分よりもバケモノに近い連中からもバケモノと呼ばれていたので、なんとなく気分が悪かったから、名付け親には感謝していた。

(とは言っても、誰も会話してくれないけど…)

 近づけば、ウェルテクスの周りを渦巻く風に体を切り裂かれて絶命してしまう。そこにウェルテクスの意思はないに等しい。たまにはウェルテクスの意思で、任意の場所に風を起こすことや斬ることも出来るが、大抵は制御不能だ。

 それで勝手に近づいてきた者が斬り刻まれてしまって、それを見た者が、ウェルテクスは血も涙もないバケモノだと騒ぎ立てた。

 それで住処を変えながら、初めは説明して誤解を解こうとしていたのだが、失敗を繰り返すうち、諦めがついていた。

(どうせ、誰もボクと関わりたいなんて思ってないんだし…)

 ウェルテクスはそれから毎日、縄張りと決めたこの木の周辺を見回り、近づく者を追い払うか刻むかして過ごした。自分がどんな存在で、何を思っているのか……それを説明するのが億劫になって、一人で居れば悩みも辛さも存在しないことに気付いてからというもの、ウェルテクスの日々はシンプルになった。


 生まれたくて生まれたのでは、きっとない。

 楽しいも悲しいもない。ただ、生きている。

 

 魔物は、超自然的に発生する魔力が具現化したような生き物だ。親も無ければ、番うこともない。食べて寝ることはあれど、寿命を迎えて死ぬことはない。何の生産性も、役割も持たない。ある意味で、最も自由な存在だった。

 もしかしたら魔物は、世界からすれば異物で、必要の無い存在なのかもしれない。

(でも……生きている)

 たとえ、誰にも望まれていなくても。楽しみと呼べるものが、何もなくても……。

 

 ――そうして今日も、そんな風に一日が過ぎ去ると思っていた。

 

 「おまえが、『ウェルテクス』か?」

 

 ふと、木の下から声がした。

「!」

 ウェルテクスは、久しぶりに驚いた。意表を突かれたと言ってもいい。

 いつもは、こんなに近づかれるまで気が付かないなんてことは、無かった。縄張りに一歩でも入れば、匂いや気配に気づいて、すぐに風を起こしていたから。

(確かにぼーっとしていたけれど…)

 匂いすら感じないのは、可怪しい……。

「誰だ?」

 それで興味を持って話し掛ければ、相手は被っていたフードを取った。

(人間…)

 まだ若い男だ。黒に近い深い紫色の髪をした男。

「俺の名前はアダム・ウェスペル。おまえを殺せば、賞金が貰えると聞いてな」

 妙な話だと思った。

 なにせウェルテクスは、ここに来た者を刻んでいるだけで、縄張りからは出ていないし、積極的に人間を襲ったりしたことはなかったからだ。

(ああ……そういえば…) 

 前にも、勝負を挑みに来た人間が何人かいた。その全ては、すぐに肉塊へと変わったので、特に印象に残っていなかったが、"ウェルテクスを倒す"というのが、今人間の間で流行っているのだろうか?それとも、ここにウェルテクスが居るせいで、先に行けず、この道の先の森を開拓出来ないと嘆いているのだろうか?人間は、開拓するのが好きだから。

「くだらない…」

 自分には関係ない事柄に、勝手に巻き込まれている気がして、ウェルテクスは、だんだん腹が立ってきた。

(面倒だ。さっさと刻んでしまおう…)

 そう思ってウェルテクスは風の刃を複数、アダムに向かって放ったが、不思議なことに、アダムの数十センチ手前で風の刃は軌道を変えて、あらぬ方向へと飛んでいく。

「いきなり攻撃とは、噂通りのようだな。会話くらい、出来ないのか?」

 アダムは首を左右に振って、困り顔をする。

「――消えろ」

 会話など無意味だ――とウェルテクスは思う。今までだって、誰もウェルテクスの言葉を、まともに聞いてはくれなかった。

 それでもう一度風を起こしたが、またしてもアダムに届く前に軌道が変わった。

「まあ、そんなに早まるなよ。おまえ、俺の使い魔になる気はないか?」

「ツカイ…マ?」

 耳馴れない言葉に困惑するウェルテクスを前に、アダムは口の端を上げて笑みを作る。

「使い魔っていうのは、俺の道具ってことさ。俺の命令に従って動く。おまえが風を自由に使うのと同じ。俺がおまえを使うんだ」

「……」

 使われるのはよく分からない感覚だが、アダムの言うことを聞かなければならない立場というのは、ウェルテクスにはなんとなく理解出来、それ故にその生き方は不自由な印象を受けた。

 それで瞳を細めていると、アダムの笑顔は少し鋭くなった。

「とはいえ、今のおまえの状況は、俺の使い魔になるか、死ぬかの二択なんだがな」

「死ぬ?ボクが?」

「想像がつかないか?」

 アダムの言う通りだった。ウェルテクスは生まれてから一度も、命の危機というものに陥ったことはない。誰かに傷つけられたことも、追い詰められたこともない。なんなら、触れられたことすらない。

 特に、数多いる生き物の中で、一番力がないと言っても過言ではない人間に、ウェルテクスを追い詰められるわけがないと思った。

「まあ、やってみれば分かるさ」

 次の瞬間、アダムの手から金色に輝く鎖が複数伸びて、ウェルテクスの首や四肢に巻き付いた。

「なんだ?これ…」

 藻掻いても外れない。そればかりか、藻掻く程により強く巻き付いてきた。鎖が食い込むと、圧迫感と共に肌をヒリヒリとした感覚が襲う。味わいたくない、嫌な感覚だ。本能的に、このヒリヒリとした感覚を長時間味わうべきでないと思った。

(ひょっとして……これは、"痛み"?)

 体の防衛本能の一つ。怪我をしたり、命の危険が迫ると感じる感覚……ウェルテクスに刻まれて苦しむ他者が見せていた反応に、近い物のような気がした。

 生まれて初めて感じる感覚に、ウェルテクスは状況も忘れて呆けていた。

「あまり暴れると、四肢がもげるぞ」

 流石にもげるのは困るので、ウェルテクスは藻掻くのは止めた。

「よしよし。いい子だ。……では、このまま俺の使い魔になってくれるなら、鎖を解いてやろう」

 ――誰が。

 そうウェルテクスが思ったと同時に、体に衝撃が走った。左肩に熱さとヒリヒリとした感覚がして、それが心臓の鼓動に合わせるように脈打った。更には、その箇所から赤い液体が流れ出る。非常に不快で、呼吸が浅くなる。この感覚は危険だと、本能が教えた。

「っ!?…斬ら、れた…?」

 理解が追いつかなかったが、熱さを感じた左肩を見ると、それはウェルテクスが風で斬りつけた時に、相手に現れていた傷によく似た状態だった。

(このままじゃマズイ……逃げないと…ッ!?)

 ウェルテクスが身を捩って逃げようとすると、鎖から無数の棘が生えて、ウェルテクスの体を突き刺した。

「ギャウッ!!」

 思わず声が漏れる程の衝撃に、ウェルテクスはバランスを崩して、木から落下する。受け身も取れずに地面に叩きつけられて、口から血泡を吹いた。

「まだ抵抗するか?死んでしまうぞ?」

「グゥウゥ〜……ギャッ!」

 ウェルテクスがアダムを睨むと、今度は右肩に切り傷が出来て、ウェルテクスは悲鳴を上げた。

(イタイ…イタイ…イタイッ!)

 早く痛みから逃れたい……ウェルテクスの思考は、そこに集約されていた。

 何とかアダムから離れようと体を起こそうとすれば、首に巻き付いた鎖が強く締り、呼吸が出来なくなった。

「俺のものになれ。そうすれば、もう痛めつけたりしない」

「……ぅう……」

 このままでは、命が尽きてしまう……そんな気がした。

(……死に…たく、ない……)

 生きていることに何の楽しみもなかったが、それでも、命の危機に見舞われ、初めて命が有限であることを悟り、生きることへの執着が顔を出した。生きていられるなら何でもしようと、そう言ってしまいたくなるほど、自分の命が惜しくて堪らなかった。

(ボクは今まで、他の生き物に、こんな気持ちを味あわせていたのか……)

 助けてくれ、見逃してくれと言った者も居たはずだった。

 今更ながら、後悔する。こんな恐怖と痛みを、ただ縄張りに入ったというだけで、相手に与えたのだ。 

 ウェルテクス自身を受け入れてくれる者は、なかなか現れなかったが、だからといって斬り刻む必要などないのだ。

(ごめんなさい…)

 ウェルテクスの目から、熱い液体が流れた。それは透明で、血ではない。口に入れば、しょっぱかった。

「苦しいだろ?俺のものになると言え。そうでなければ、俺はおまえを殺さなくてはならない」

 アダムがウェルテクスの顔の傍に膝をついて、もう一度服従を迫る。しかし、その声音は先程よりも静かで、どこか優しい響きがした。

「…っが、」

 ウェルテクスは声を出そうにも、首を締め付けられているせいで、不可能だった。

「ああ。すまない。そのままでは話せないな」

 アダムがそう言うと、首に巻かれていた鎖が外れた。

「ゲホゲホッ!」

 ウェルテクスは、一気に呼吸が楽になった反動でむせ込む。むせながらも、アダムから目を逸らさない。ウェルテクスがそうする意図が分かっているように、アダムもまた、ウェルテクスの瞳をじっと見つめていた。

「――な…る……ツカ…イ、マに……なる…」

 ウェルテクスがそう言うと、アダムの瞳は緩やかなアーチを描いて笑った。

「ありがとう。ウェルテクス。契約成立だな」

 アダムがそっとウェルテクスの頭に触れる。ゆっくりと前後に動かして撫でた。

「……」

 他者に触れられたのは初めてだったが、不快ではなかった。むしろ、心地良い……。それで大人しく目を閉じていると、ウェルテクスの体を不意に温かい空気が包み込んだ。それまであった傷口からの痛みが、急速に引いていく。それに驚いて目を開けると、両肩にあった傷が塞がっており、血も止まっていた。 

「治療はしたが、まだ急には動くなよ。体が受けたダメージはまだ回復していないから」

「……」

「なんだ?急に口が利けなくなったか?」

「……ありがとう」

 ウェルテクスが小さく呟くと、アダムの表情は明るくなる。

「礼には及ばない。元々俺がつけた傷だ。それに、おまえは俺の使い魔になった。使い魔の体調管理は、俺の仕事だ」

 アダムは言いながら服のポケットから黒い紐のような物を取り出す。それをウェルテクスの首に近づけた。

「!」

 また首を絞められるのかと警戒するウェルテクスに、「大丈夫。これはおまえを傷付けるものではないよ」と言いながら、そっと首に巻いた。

「この蝶ネクタイは、俺の使い魔になった証しだ。これがある限り、俺がおまえの主人であることは絶対だ。俺の命令には逆らえない。……だが、俺はおまえの嫌がることはしない。命令を聞いてもらった分、見返りに欲しい物をやろう。俺の魔力でもいいし、何か物でもいい。そうやって双方にとって損のない関係を築くことを約束しよう」

 そうしてアダムは、蝶ネクタイに触れる。アダムが触れた箇所から、蝶ネクタイはじんわりと温かくなった。

「もう一度訊く。ウェルテクス。おまえは、俺の使い魔になってくれるか?」

「うん。……なる」

「なら、新しい名前をやる。これからおまえの名前は『シロ』だ」

「……シロ…」

「よろしくな。シロ」

 名前を復唱すると、何だか一瞬体が重くなったような感覚に捕らわれたが、ウェルテクスはあまり不快には思わなかった。

 その様子にホッとしたようにアダムは蝶ネクタイから手を離すと、ウェルテクスの頭を撫でた。

(……あれ?)

 普段なら、体の周りを強い風が渦巻いていて、誰もウェルテクスに触れることが出来なかった。しかし今は、その風が収まっていて、実体がはっきりとしていた。アダムに縛られているからだろうかと思いながら、ウェルテクスはアダムの手に擦り寄った。

(触ってもらうのって、こんなに気持ちいいんだ…)

 

 こうして『疾風のウェルテクス』は、アダムの使い魔の『シロ』になった。


 アダムはシロに衣食住を与え、力の使い方を教えた。慣れないうちは窮屈に感じることもあったし、使い魔の先輩の『クロ』とはよく喧嘩になったけれど、慣れてしまえば、アダムとクロが、シロの居場所になった。

 一人でいた頃には無かった、考えたり気を使ったり、我慢したりする窮屈な生活だったが、その不自由さを厭わないほどに満ち足りている。

 アダムは言葉通り、シロが不快に感じることはけしてしなかったし、色々なことを教えてくれた。正しく働けば、必ずご褒美があった。それとは別にしても、他者と関わる事でしか得られない、何か温かい感覚が、シロを満たしていった。アダムの元で、心のままに生きた。

 シロは不自由であり、また自由だった。

 

 そして、それとは対象的に、アダムはどこか不自由そうだった。

 人目を気にして移動するし、命を狙われることもあった。だから、シロが必要だったと、クロは言う。

(それなら、ボクがご主人様を自由にしてあげよう)

 道を阻む者は吹き飛ばし、襲って来るなら斬り刻む……己の力を他者の為に使う時、それは言い表し難い快感を伴うと共に、今までにないくらい精度の高い技となった。

「この力は、ご主人様の為に…」

 そう思う時にはいつも、シロは誰よりも速く、誰よりも鋭い刃となった。

 

 これこそが、シロが生まれた理由だと、シロはようやく、自身を誇りに思ったのだった。

 ――時間は少し巻き戻り、アダムがクラウスに魔法薬を掛けられたのと同時刻。フォクス領の商店街にて。

 

 「……ん?」

 日は傾いて夕暮れ時。アダムがなかなか呼ばないので、フォクスの屋敷に戻ってみようかと話していた矢先、クロは妙な感覚に、一瞬足を止めた。それはシロも同じで、急に足を止めた二匹に驚いて、シュティレも止まった。

「クロ、シロ?どうしたの?」

「うーん……なんか、変な感じがするんだよね……体が、軽い?みたいな……」

「え?」

「まさか――!!シロっ!ご主人様の魔力を探ってみて!」

「え、な、なに?」

 クロの剣幕に驚いてシロは固まる。そのシロの服の襟を掴んで、「いいから!早くっ!」とクロは怒鳴った。

「わ、分かったから」

 驚きながらシロは魔力を集中させる。しかしすぐに、目を見開いた。

「……わから…ない……」

 そう言って放心するように立ち尽くす。

 それを見て、クロの表情は険しくなる。

「まずい……シロ。嗅覚でご主人様を探せる?」

「うん!やってみる!」

 シロも真剣な表情で風の匂いを嗅いだ。

「あ、あの……どうした、の?」

 シュティレが恐る恐るクロに尋ねると、クロは険しい顔のままシュティレを見つめた。

「ご主人様の魔力が弱まったの。集中すれば、あなたにも分かるわ。使役の鎖が、緩んだ筈よ」

「え!?」

 言われて、シュティレも集中してみたが、元々使役魔法の力を感じたことは少なかったので、シュティレには分からなかった。

「見つけたっ!!二人とも、ボクに掴まって!」 

 シロは叫び、クロとシュティレを抱き寄せる。

「走るよ!」

 シロの言葉を合図に竜巻のような暴風が起こり、目を開けていられない風圧の中、シロが駆けた。

 シュティレは、いつの間にかイタチの姿に戻っていたシロから落ちないように、必死にしがみついていた。けれど、なぜだか、落ちそうにないくらいというか、全身が風に包まれて、そのまま運ばれているような感覚を感じ、理解が追い付かなかった。

(ご主人様…)

 何があったか分からないが、どうか無事であってほしいと、暴風の中、シュティレは祈った。

 

           ※ 

 

 轟々と、今の天候ではあり得ない程の突風が迫り、それはクラウスを数メートル吹き飛ばして、アダムの手前で急停止した。

「うわっ!」

 クラウスはなんとか受け身を取りながら、まだ笑顔を貼り付けたまま、突風の止まった先を見た。

 やがて風の中から、二つの影が現れる。一つはシュティレ。もう一つは――

(ダンタリオン……)

 アダムは朧気な視界で、その者を捉える。

 男とも女ともつかぬ顔を複数持ち、長身な体は一つで、背には鳥のような翼が生えている。その体の周りを、黒い靄が渦巻いていた。

「……え……ク…ロ…?」

 シュティレが目を見開いて固まった。

 その異形の生き物は、シュティレに一瞬視線を向けると、すぐに溶けるように姿を変えた。黒いボブ・ショートヘアの、大きな黒目の十五、六歳に見える少女だ。しかし、シュティレの見慣れたその姿は、今はどこか禍々しい気配を纏っていて、気軽に声を掛けるのが躊躇われた。

「……グルルルゥ〜」

「!」

 更に、唸り声はすれど、シロの姿が見当たらない。相変わらず強い風が渦巻いているだけだ。

「……シュ…ティレ……」

 ふと名を呼ばれて、シュティレはハッと地面に目を向けた。

「ご主人様!」

 そこには、胸から血を流して倒れるアダムの姿があって、シュティレは慌ててアダムの体を抱き起こした。

「……悪…い。しくじった……逃げろ」

「え?」

「今の、俺には……あいつら、を、縛る力が、ない……襲われる前…に、逃げ…ろ……」

「そうだよ。こっちへおいで。シュティレ。君のことは、俺が面倒を見てあげよう」

 クラウスが立ち上がり、シュティレに手を伸ばす。シュティレは、離れないという意思表示のように、アダムを抱える腕に力を込めて、クラウスを睨んだ。

「あなたが、ご主人様を、こんな目に…」

「君だって、無理矢理アダムに従わされていたんだろう?これで、自由になれるよ。俺なら、君を使役なんてしない。対等に扱ってあげるから……だから、おいで」

 クラウスは、一歩シュティレに近づいた。

 

 グオオォオオオー!!!

 

 その瞬間、獣の咆哮が空気を割いた。

 その勢いに、シュティレの腕を掴もうとしたクラウスは驚いて動きを止めた。

 辺りに吹き荒れていた暴風は、渦巻きながら一箇所に纏まり、朧気に獣の姿を縁取る。逆巻く暴風はそのままに、赤く光る三白眼が、クラウスを睨んだ。

「お、おい……敵を間違えているぞ!おまえの敵は、アダム・ウェスペルだろ!ずっとおまえに首輪をつけていた」

「アダム……ウェスペル……」

 獣は、地の底から響くような低い声で名を復唱し、シュティレとアダムの方を向いた。

「っ!…シ、シロ!あなた、シロよね!私よ!シュティレだよ!アダム様は、あなたのご主人様でしょう!敵じゃないよ!」

 暴風に声が掻き消されないように、シュティレは声を張り上げる。

 シロに届いたのかどうかは分からないが、シロは威嚇する様に唸りながら、ゆっくりと近づいて来る。

「……離せ」

 その時、アダムが小さく呟いた。

「で、でも!」

 シロは鎖が緩んだ衝撃で混乱しているようだ。シュティレという、高い魔力の持ち主が近くにいる為に攻撃して来ないだけではないかと、シュティレも思っていた。だから、今アダムから離れたら、アダムはシロに八つ裂きにされてしまうかもしれないと、不安だった。

「いいんだ……いつかは、こうなる、運命だ…」

「ご主人様…」

 (どうして、ご主人様…)

 なぜ、諦めてしまうのか?正気であれば、契約が無くても、シロはアダムを襲ったりしない。それだけの絆があったはずだと、シュティレは叫びたかった。けれど、込み上げる涙と嗚咽が邪魔をして、声が出ない。代わりに、治癒の魔法で、アダムの胸の傷口を塞いだ。

(こんな……こんな最期なんて……)

「ごしゅ―ッ!」

 シロに語り掛けるよう、アダムを説得しようと声を絞り出そうとしたシュティレは、急に体を起こしたアダムによって、横へと突き飛ばされた。

 その瞬間、シロが唸りながらアダムに突進してきた。一瞬にしてアダムは、風の渦に巻き込まれる。

「ご主人様ぁーー!!」

 シュティレの悲鳴が、虚しく辺りにこだました。

 

          ※

 

 「――ん?……ここ、は……?」

 何の音も聞こえない静寂の中、暖かい空気が頬を撫でる感覚がして、アダムは目を開けた。

「ああ、良かった。死んでなかったですね」

 明るい声がして、そちらに目を向けると、白いイタチ――シロが黒目をくるんと動かしていた。

 シロの周りを風が周り、風で出来た繭のような中に、シロとアダムが浮かんでいるという状況だった。

「……なぜ、俺を喰わない?」

 使役は解けている筈だと、アダムは思う。目線をシロの首……いつも蝶ネクタイが付いていた箇所に向けた。蝶ネクタイは、シロを縛っていた首輪だった。それが、今は付いていない……。シロをアダムに縛り付けていた鎖は、もう無いのだ。

「遠慮なく、喰って良いぞ。ただ、心臓はクロにやる事になっているから、それ以外で頼む」 

 アダムが言えば、シロはアダムに更に近づいた。

「――嫌だなぁ〜。ご主人様。ボクが、本気でご主人様を食べちゃうと思ってるんですか?前にも言ったじゃないですか。ボクは、ご主人様と一緒に居たいだけですよ。今までも、これからも……使役魔法が解けた今なら、信じてくれますよね?」

「シロ……なぜ……」

 困惑するアダムを、シロは抱きしめる。

「簡単ですよ。ボクは、ご主人様が好きなんです。きっと、"かぞく"ってやつです。だから、ボクがご主人様を……アダム・ウェスペルを裏切ることは、絶対にありません」

「だから……なんで、そこまで……」

 アダムはシロの毛皮に顔を埋めながら、小さな声で呟いた。

「ご主人様が、ボクに居場所をくれたからですよ。だから、お返しです。――ご主人様。もう一度、ボクを使い魔にして下さい。ご主人様が縛ってくれていないと、風の調節が上手く出来なくて……」

「――分かった」

 (もう、認めよう…)

 シロが、自分に向けている感情を。

 ずっとアダムが欲しかったもの……貰えないものとして諦めていた、この世界では当たり前に溢れているけれど、恐らくは最も大切にされている感情――愛。

 欲しかったのに、アダムがずっと拒絶していた感情だ。

(認めてしまえば、きっと俺は、今より弱くなる……)

 けれど、一人ではないと思うことが出来れば、きっとただ弱くなるだけでは終わらない。

「風の化身ウェルテクス……汝の欲する物を与える代わりに、我の武器として、我に忠誠を誓え。汝は、何を欲する?」

 魔法を使えなくする薬の効果が切れたのを感じて、アダムは呪文を唱えた。

「ボクは、あなたと、生涯共にあることを望みます。あなたの命が尽きるその時まで、お傍に置いて下さい」

 シロは至極真面目に答え、アダムの前に跪く。

(俺が欲しいというなら、やろう)

 アダムは、他者に利用される人生に抗う為に生きてきた。しかし、抗ったところで、何の願いも希望もなかった。そんな空っぽのアダムでも、ただ傍に居たいと言ってくれる者がいるなら、その者の為に生きよう……アダムはやっと、そう思うことが出来た。


 ――信じよう。


 信じることは、自分が無防備になるようで怖かったけれど、不思議と心が軽くなり、何かが満たされる心地がする……。

「――承服した」

 アダムが言い終わるやいなや、シロの首に、いつもの黒い蝶ネクタイが現れた。

「やっぱり、これがなくっちゃ♪」

 シロが嬉しそうに呟くと、風の繭が消失した。

 

          ※

 

 「やった!やったぞ!アダムを葬った!」

 風の繭を見て、クラウスは歓声を上げる。

「そんな……そんな……うわぁあぁあー!!」

 青い顔をしていたシュティレは、急に血相を変えて叫びながら杖を構え、クラウスを睨んだ。杖が淡く発光する。それは、何かの魔法が発動する前触れだったが……

「な、なんだ?」

 その気配は膨大かつ暴力的で、クラウスは肌がピリつくような緊張を覚えた。

 このままでは、何か途轍もない魔法が発動しそうな様子だったが、急にシュティレの視界が閉ざされて、シュティレの集中が途切れた。途端に、杖は光を失う。

「大丈夫よ。落ち着いて…」

 クロが、背後からシュティレの目を両手で隠したのだ。

「大丈夫。大丈夫……大きく息を吸って……吐いて……」

 耳元に響く、クロの優しい声音に、シュティレの激しかった呼吸も鼓動も、徐々に落ち着いていく。

「ク…ロ…?」

「そう。私よ……ご主人様は大丈夫。まだ、死んだりしていないわ。だから、気をしっかり持って。感情に、負けちゃダメ」

「……うん」

「いい子ね…」

 禍々しい気配ながら、いつも通りの様子のクロに、シュティレは安心して杖を下ろした。それを見るや、クロはシュティレの目から手を外し、シュティレの体を自分のほうに向かせて、抱きしめる。

「よし、よし…」 

 そうして、啜り泣くシュティレの背を優しく撫でる。

 クラウスはそんなクロの様子に目を剥いて、「おまえ、何でそんなに落ち着いているんだ?」と声を上げた。それに対して、クロは不快そうに眉を上げる。

「私をそこらの魔物と一緒にしないで頂けるかしら?使役魔法が解けたくらいで、暴れたりしないわ。あなたこそ、何様のつもり?」

「何様って……俺のおかげで、使役魔法が解けたんだぞ?感謝ぐらいはしてもらいたいね」

「ハッ!感謝?感謝、ねぇ〜」

 クロの嘲るような言い方に、クラウスは鼻白む。

「そうだ!おまえら魔物は所詮、邪魔にされるか使役されるかの二択だ。自由の身になったことを喜んで、さっさとアダムに仕返しして来いよ!じゃないと、全部シロにやられちまうぞ」

「私は、ただの魔物ではないと言っているでしょ。私、命令されるのが一番嫌いなの」

 クロがクラウスを睨むと、クラウスは体を押されたように倒れ込んだ。そして、クロは一瞬のうちにクラウスの側に移動して、起き上がろうとするクラウスの胸に足を載せて踏みつける。「ぐっ!」と、クラウスの苦しそうな息が漏れた。

「私がいつ、ご主人様の心臓を喰らうのかは、私次第。あなた、私に魂を掛ける覚悟はあるのかしら?私に指図していいのは、心臓を捧げる覚悟のある人間だけよ」

「……」

 クラウスは苦い顔で黙り込む。

「ないんでしょ?そんな覚悟。そんな脆弱な魂で、うちのご主人様とシロを、分かったように語らないでくれるかしら」

 

 その時、風の繭が消失して、アダムとシロが現れた。

「ご主人様!シロ!」

 感極まったシュティレがアダムに駆け寄れば、アダムは、そんなシュティレを抱きしめる。

「心配掛けたな」

「ご主人様…」

 シュティレはアダムの胸に顔を埋めた。

「そ、そんな……」

 クラウスは信じられないといった様子で、アダムとシロを凝視する。

「ほら。私の言った通りでしょ?」

 クロは一度クラウスの脇腹に蹴りをいれてから、身軽にジャンプして、アダムの隣に立った。

「どうします?私も、使役し直しますか?」

「ああ。……傍に、居てくれるか?クロ」

 アダムはシュティレから離れ、クロに手を差し伸べた。その、憑き物の落ちたような穏やかな笑みを見て、クロは嬉しそうに微笑む。

「やっと素直になったようですね。良いでしょう。私の全てを、あなたに預けます。上手に使ってご覧なさい」

 そう言ってクロはアダムの手を取り、その手の甲に口づけした。その瞬間、クロの首に、鈴のついた赤い革の首輪が嵌った。

「"アレ"、どうします?シュティレを欲しがってるみたいですけど?」

 そうしてクロは、嫌悪を滲ませた顔でクラウスを睨んだ。アダムは分かっているというように、一つ頷く。

「クラウス。おまえにシュティレは渡さない。シュティレは望んで俺の傍にいる、俺のものだ。諦めるなら、命は助けてやる」

「――クソ……なんで……なんで、なんでっ!なんでいつもっ!おまえはいい思いばかりするんだよっ!ふざけるなぁー!!!」

 クラウスは叫びながら、右腕を大きく左右に振った。その瞬間、空中に無数の魔法陣が生まれて、そこから剣や槍が大量に飛び出してきた。雨のように辺りに降り注ぐ。その数は、千を超えるのではないかと思われるほど、空を埋め尽くさんばかりだった。

「くそっ!なんて数だ」

 アダムは瞬時にシールドを張るが、際限なく降り注ぐ武器によってすぐに砕かれる。

「ボクにお任せを!」

 そう言ってシロが風を起こして、武器を散らす。それでも全ては飛ばせない。軌道を変え損なった武器が、向かって来る。

「……」

 それを見るや、シュティレは瞬時に杖を取り出して、トンと地面に突き立てた。

(……砕けろ)

 シュティレが念じると、降ってくる武器は一瞬動きを止めて、次の瞬間、破裂するように粉々になった。それはまだシュティレ達からは遠い位置にある物も同様で、皆一斉に細かい粒子となって、風に攫われていく。

「…う…」

 全ての武器が砕けたあと、シュティレは急な頭痛に襲われてよろめいた。すぐにアダムが抱きとめる。

「おまえ、すごいな……こんな魔法、教えてないぞ」

「イメージ…で……」

「そうか……見事だ。だが、一気に魔力を使い過ぎたろ?少し休め」

「はい…」

 

「そ、そんな……」

 その光景にクラウスは呆気にとられて、へたり込んだ。

 今の魔法で、持てる魔力の大半を使ってしまった。これ以上の魔法を使うことは不可能だ。

「覚悟しろ…」

 アダムが呟き、右手の人差し指をクラウスに向ける。魔法を使おうと意識を集中していると――

 

「おまえたち!何をやっているんだ!」

 

 突然、怒号が飛んだ。皆がそちらに目線を向けると、道の先から、こちらに向かって来る壮年の男の姿があった。シルバーの髪をバックで固め、髪色と同じ色の良く整えられた口髭を蓄えた、眼光鋭く、熊のように屈強そうな体躯をした紳士だった。

「……ラクリス家当主…」

 その紳士を見て、クラウスはポツリと呟いた。


お読み頂き、ありがとうございました。

使い魔達がずっとアダムに言っていた、"アダムが好きだから一緒に居る"という言葉を体現したエピソードでした。

シロとアダムの出会い含め、書きたいエピソードだったので、書くことが出来て良かったです。

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