42.宵闇のウェスペル
現れた"親戚"だという人物は、アダムの予想に反して、かなりおどおどした印象を受ける青年だった。細身の体にそばかすの浮いた顔で、グリーンの瞳に、大きな眼鏡を掛けている。ウェスペル家の特徴である暗い紫色の髪色ではなく、癖のある茶髪だった。
「は、はじめまして。僕はネイサン・ゲーテと言います。先代のクリスティアーネ様の妹の、リリーの孫にあたります…」
「リリーの……」
アダムは、昔聞いた家系図の記憶を思い起こす。
魔力のなかったクリスティアーネの一つ下の妹リリーは、結婚を期にウェスペル家とは関わりがなくなっていた。リリーの嫁ぎ先の家族については詳しくは伝わっておらず、リリーがどこでどんな暮らしをしていたのか、アダムは聞いたことがなかった。
「リリーには、三人の子どもが居たそうね。あなたは――次男のマリクの息子ね」
クロはネイサンに紅茶を出しながら、面白そうにネイサンの顔を覗き込んだ。ネイサンは人見知りなのか、「は、はい」と上擦った声で返事をしながら、近づくクロから、さり気なく距離を取った。
「見た所、君からは魔力を感じないが……よくここに来られたな」
「そ、それは……これを、使ったんです」
ネイサンは、自分の鞄から、古びた羅針盤を取り出してアダムに手渡した。
「まあ!懐かしい…」
羅針盤を見たクロは瞳を輝かせる。
「なんだ?これ」
アダムが訊けば、クロは「リリーが家を離れる時に、花嫁道具の一部で持たせたものです。この家の位置を教えてくれる魔法具ですよ」と答えた。
「そんなものがあったのか…」
それはかなり危険なのではないかと、アダムは首を捻る。魔力のないネイサンが使えるくらいだから、誰にでも使えてしまうのではないか。それなら、魔力でこの家を隠しても無意味だ。
「ええ。ですが、ウェスペルの血を継ぐ者しか扱えませんよ。そういうふうに、出来ています」
アダムの疑問を察したように、クロは言う。
「そうか……それなら、大丈夫そうだな。――それで?何の用なんだ?」
アダムが再びネイサンに目を向けると、ネイサンはビクリと体を震わせる。アダムは威圧したつもりはなかったが、どうやらネイサンはかなり臆病な性格のようだ。
「え、えっと……僕の姉を、助けて欲しくて……」
「姉?」
「はい……」
ネイサンは俯き加減で小さく頷いた。
ネイサンは二十歳になったばかり。彼の家は、リィン国の中でも端の方――ルベール帝国との国境の近くにあるミューゼという町にあった。楽器の産地で有名な場所で、特にヴァイオリンの工房が目立つ。定期的に音楽の祭典も開かれている音楽の町だった。
そんな町の様子に影響されて、ネイサンの家族も音楽に携わる仕事をしていた。ネイサンの父はヴァイオリン作りの職人で、母はピアニストだった。ネイサンより三つ上の姉は、舞台女優をしている。国中に名の知れた有名な劇団に所属していて、主演も任される売れっ子だった。ネイサンは父に倣ってヴァイオリン工房で働いている。
「姉の歌声はまるで天女のようで、それはそれは見事でした…」
余程自慢の姉なのか、姉の話をするネイサンは、幾分か声に張りがあった。
「だけど……一ヶ月程前から、悪夢に魘されるようになったんです…」
眠っていると、決まって同じ夢を見るという。
夢の中、いつもの劇場で歌っていると、急に周りの一切の音が止まり、そうして自分も声が出ていないことに気づく。すると辺りが真っ暗な闇に沈んで、立っていたはずの舞台も消失した。
物凄く不安になって、その場から離れようと駆け出すが、暗闇が続くばかりでどこへも行けない。
すると、遠くのほうに灯りが灯って、そちらへ向かおうとしたら、灯りのほうから何かがこちらへ向かって歩いて来た。黒い靄のような姿をして、それは嗄れた声で話す。
――おまえの声が欲しい。くれるなら、ここから出してあげるよ……。
早く出たいのは事実だが、"声を渡す"という行為に言い知れぬ不安を感じて、首を振って拒絶した。すると黒い靄は小刻みに震えて消えていった。そこで、目が覚める。
その夢を見たあとは決まって眠れずに、睡眠不足になっていた。最近では昼間にもうたた寝をしてしまい、そこでも黒い靄の夢を見るのだという。
このまま眠れないのは困るので、町の教会の神父に悪魔祓いを頼んだが、効果はなかった。
「しかも、昨日の夢では、黒い靄に長い手足が生えていて、人間のように見えたそうなんです……お婆ちゃんに相談したら、"悪魔か魔物なら、本邸にある初代の手記に、名前があるかもしれない"と言われて……それで、見せてもらえないかと思って……」
悪魔にしろ魔物にしろ、名前さえ分かれば対処のしようがあると、リリーは判断したのだ。
「初代の手記……そういえば、見たことあるような…」
書斎にあったような気がするとアダムが思っていると、「何だか面白そうな話をしてるじゃないか」と、ジャスパーが嬉々としてやってきた。
「引っ込んでろ。おまえには関係ない」
アダムが冷たくあしらうが、ジャスパーは引かない。
「確かに僕には関係ないかもだけど、アダム……これはチャンスだろ」
「チャンス?」
「そうだ。これを期に、真っ当に生きろよ。これは立派な人助けだっ!」
「は、はあ…」
ジャスパーの熱量に押されるアダムを尻目に、クロはネイサンと勝手に話を進めていた。
「見せるのは良いですが、仮に黒い靄の正体が何某かの魔物や悪魔だと分かったところで、あなたには対処出来るのですか?」
「……いいえ……」
「では、他のご家族は?」
「……うちの親も、他の伯父さん達も従兄弟達にも、魔法使いはいない…です…」
責められたように感じたのか、ネイサンの声はどんどん小さくなって行った。
「ふむ……やはり、ここは出番ですね。ご主人様」
「お!クロちゃんと意見が合った!」
「あのな、おまえたち……」
クロとジャスパーが何だか妙な笑みを浮かべてアダムを見る。
「ごめんなさい……ウェスペルを継いでもいない分家が、良くないですよね。こういうの……」
ネイサンはすっかり気落ちして床を見つめてしまった。
(畜生……)
アダムは自分でも気づいていなかったが、弱い立場の者に弱いようだ。簡単に突っぱねることが出来ない……。
「――分かった。俺が行けば良いんだろ?」
アダムが絞り出すような声音で言えば、クロやジャスパーは快哉を叫んだ。
「言っておくが、必ずしもなんとか出来るとは言い切れないからな!」
「は、はい!ありがとうございます!」
ぶっきらぼうに言うアダムに対して、ネイサンはアダムの手を握りながら、泣き笑いを浮かべていた。
※
「で、なんでおまえらまでついて来るんだ?」
アダムとクロに加えて、ジャスパーとミアも同行していた。
「いやぁ~、お手並み拝見……というか、伝説の五家の力を見たくなったというか……」とジャスパー。
「ほら、ネイサン君のお姉さん、体調悪いんでしょ?医療魔法でサポート出来るんじゃないかなってさ」とミア。
お尋ね者はアダムだけだが、ジャスパーやミアも追われている可能性があるので、皆多少の変装はしている。それでも大所帯では目立ってしまいかねない。せっかく、目立つシュティレとシロを置いてきたのに、これではあまり意味はなかったかたもしれないと、アダムは溜め息をついた。
「なんかすみません…」
と、ネイサンはひたすらに恐縮している。
一行は、乗合馬車でミューゼを目指していた。
ミューゼはウェスペルの本邸から南西に進んだ先にある。道中に町や村などを五つ程挟んでおり、馬車では約二日は掛かる位置にある。
町に入る前には通る関所を、変装のお陰で掻い潜る。どの関所でも、思ったよりチェックは厳しくない。商人はともかく、ただの旅人はあまり警戒されていなかった。関所の兵士達の表情にあまり覇気が感じられないのも、チェックが軽い理由かもしれなかった。
「……隣国の領地を取ったって報じてたけど、実際はそこまで手放しで喜べる状況じゃなかったのかな?」
「さあな…」
ジャスパーが小声で言うのに、返事をしながらアダムは、本当にヒースは見逃してくれるつもりらしいと安堵していた。
戦争が激化しているなら、確かに犯罪者一人を追っている時間も余裕もない。魔法使いも徴用されているが、だからと言って一般兵士が戦場に出ていないわけでは無いのだ。この辺りの関所を任されている兵士達も、いつ戦場に駆り出されるかと気を揉んでいるのかもしれない……。
(くだらない…)
殺し合ってまで争うことに、何の意味があるのか。
世界を救ったというウィス・フォンスがこの現状を見たら、なんと言うのだろうと、アダムは少し考えた。
ミューゼは、あちらこちらから音楽の聞こえる賑やかな町だった。
「シロが、喜びそうなところですね」とクロが言って、そういえば、シュティレもピアノが好きだったとアダムは思い出した。
「僕の家は、こちらです」
町のメインストリートから外れて、少し狭い路地へ入ると、途端に木材やニスの香りが強くなった。楽器の工房や修理屋の看板を掲げた店が連なる中、その中の一つに入って行く。
「ただいま」
ネイサンが家の奥に声をかけると、「おかえり」とスラリと背の高い女性が現れた。目鼻立ちのはっきりした美人で、目元がネイサンに似ている。ただ、顔色が良くない。色白と言うより、青白いに近い。よく見れば、目の下に隈も浮いていた。
「姉さん!ダメじゃないか。休んでいないと!」
「ごめんなさい…でも、眠るとまたあの夢を見そうで怖くて……それにしても、お客さん?」
ネイサンの様子から、この女性が件の姉であるようだ。
「ああ。この人達は、姉さんの悪夢を何とかしようと来てくれたんだ。……皆さん、こちらが姉のエレオノーラです」
ネイサンが興奮気味に話すと、エレオノーラは顔を顰めた。
「まさか、あなたが連れてきたの?四日も家を開けていたと思ったら……」
「だって、姉さん辛そうだったから……このままじゃ、死んじゃうよ!」
「ネイサン…」
「ネイサンの心配は最もだと思いますよ。見た所、確かにこれ以上猶予はなさそうだ……あ、僕はジャスパー・ウィットマンと言います。こちらのアダムの友人です。アダム・ウェスペルの」
ジャスパーがわざとらしく説明しては、家の入り口で、作りかけの吊るされたヴァイオリンを見ていたアダムを引っ張って来た。
「ウェスペル…?」
エレオノーラは驚いた様子でアダムを凝視する。それでアダムは仕方なく、「はじめまして」と頭を下げた。
「では、あなたなら、私の悪夢に現れる者の正体がわかるのですか?」
「確証はありませんが、努力します」
アダムが答えると、エレオノーラの表情が少し柔らかくなった。
それから一行はネイサンの両親にも引き合わされて、涙ながらにエレオノーラのことを頼まれてしまった。
「さて……それでは、まずはエレオノーラさんに眠ってもらいましょう。――集中したいので、俺と……念のためミアで、エレオノーラさんの様子を見ていきます。他の方は部屋の外でお待ち頂きたいのですが、それでも宜しいですか?」
やりにくそうに、それでもアダムは丁寧に説明する。
皆が頷いたのを確認して、アダムはエレオノーラを促した。エレオノーラは自分のベッドに横になると、すぐに寝息を立て始める。
「かなり無理をしていたみたいね…」
ミアは心配そうに呟いた。
「そうだな…」
「それで?どうやって炙り出すの?」
「悪魔祓いの儀式が効果なかったということは、悪夢を見せてる奴は、エレオノーラに取り憑いているわけではないんだろう。それか、常に入ってはいないのか……そうなら、罠を張れば捕まるかもしれない」
アダムは言いながら床に紙を広げ、紙の上に魔法陣を描き始めた。
「犯人は、何だと思う?」
「ただの魔物に、こんな回りくどいことは出来ないだろうから、悪魔だと思うが…」
「だけど、悪魔祓いは効かなかったって…」
「神父がマヌケだったのか、強い悪魔だったか……いずれにしても、見てみれば分かる」
言いながらアダムは魔法陣を描き終え、魔法陣をエレオノーラの体の上に載せた。
少しの間、エレオノーラは静かな寝息を立てていたものの、やがてその顔が、不快感を感じたように歪む。
「現れたようね」と、ミアの表情も引き締まる。
アダムが小さな声で呪文を唱えると、魔法陣は赤く輝き始めた。やがて低い唸り声のようなものが聞こえ始め、陣の中央に黒い靄が現れた。
「姿が判然としないな…」
「名前を聞いてみたら?」
「悪魔は精霊と違って名乗りたがらないんだ。名で縛ることが出来るから」
「ああ、そっか……じゃあ、どうするの?」
「交渉してみるしかないな。話す中で何の悪魔か分かれば、使役魔法の出番さ」
「なるほど…」
二人が話す間、陣の上の靄は炎のように揺らめいたり、膨らんだり縮んだりと、大きさを変えたりしていた。まるで、必死に陣から逃れようとしているかのようだ。
「俺の名はアダム。強引に捕まえて申し訳ないが、少し話を聞いてもらえないか?」
アダムが黒い靄に話しかけると、黒い靄は動きを止めた。けれど、何も語る様子はない。
「エレオノーラの声が欲しいそうだな?何に使うんだ?」
靄は再び暴れ始める。ビリッと音がしたかと思えば、魔法陣を描いた紙の端に切れ込みが入った。
それを見るや、ミアが咄嗟に紙に触った。集中するように目を閉じ、そうすると破れた部分が修復した。
魔法陣が少しでも傷つくと、魔法陣の効果が無くなってしまうため、ミアが自分の魔力を陣に流し込んで補強したのだ。
「助かる」
「気にしないで。だけど、いつまで保つか分からないからね」
「分かってる」
アダムは、答えながら考えた。
追い払うだけなら簡単だが、また戻って来る可能性がある。二度とエレオノーラに近づかないようにするには、エレオノーラに執着する理由を知る必要がある――
「ご主人様。ちょっとぬるいんじゃありませんこと?」
突然クロの声がして、アダムとミアは驚いて戸口を振り返った。そこには、黒猫が行儀良く座っている。
「"ぬるい"ってなんだ?」
やや不機嫌そうにアダムが返せば、黒猫は瞳を細める。
「もっと確実な方法があるでしょう?陣に捕らえることが出来たのなら、後は言うことを聞かせるだけです」
「そんなことは分かっている」
「本当ですか?その割には、あまり覇気を感じませんね……アダム様の本気は、そんなものではないでしょう?そんな、ちんけな魔法では、悪魔には勝てませんよ」
黒猫の瞳は、責めるように、または期待するようにアダムを見つめる。
アダムは俯いて、一度大きな溜め息をついた後に、「――分かった」と低い声で呟いた。再び上げた顔には、厳しい表情が浮かんでいる。
クロとアダムの間に、張り詰めるような緊張が走り始めて、ミアは無意識に姿勢を正した。
(何?この感じ…)
まるで、アダムとクロの立場が逆転したような様子に、ミアは困惑しつつも、すぐに理解した。
(アダムがクロを使役しているんじゃない……クロが、アダムを主人にしているんだ)
ウェスペル家が始まって以来、使い魔であり続けた『クローディア』。その本性は、名のある悪魔だと伝わっている。
代々ウェスペルの当主は、クローディアを従えて来た。しかし裏を返せば、"クローディアに認められないと当主にはなれない"ことと同義ではないだろうか?それは結局、ウェスペル家はクローディアの物というわけだ。表向きは当主がクローディアを意のままに使っているが、クローディアは気に入らない命令は聞かない。今までのアダムとのやり取りを見ていて、ミアはどこか対等に見える関係がずっと疑問だった。
(でもきっと、ウェスペル家はそうやって魔法を守ってきたんだ…)
血の繋がりがあれば、ウィス・フォンスから託された魔法を扱える者が一族から生まれるものだが、魔力の質までは保証しきれるものではない。だからこそ、テトは滅びた。
クローディアに認められなければ当主になれないシステムは、危ういが高確率で初代に近しい力を持った者だけを当主に据えることが出来る、最も効率的な方法だったのだ。
(きっとウェスペルの初代は、誰よりもウェスペルの継承魔法を遺すことを考えていた…)
そうミアが推理する間に、動きがあった。
まず、魔法陣を描いた紙が一瞬で細かい紙切れに変貌した。
「えっ?」
ミアが目を見開いて固まる中、魔法陣から解放された黒い靄は、窓に向かって飛んで行こうとした。けれどすぐに、どこからともなく現れた金色の鎖が、黒い靄を縛り上げて再び動きを封じた。金色の鎖の端は、アダムの手に巻き付いている。
グワァァァ!!
威嚇をするように黒い靄から獣のような野太い唸り声が発せられたが、アダムが自身の手に巻き付いている鎖を強く握ると、金色の鎖が更にきつく黒い靄を縛り、黒い靄は苦悶するように身を捩った。
(……いつか、こうなるような気がしていた)
アダムは黒い靄を抑えながら、これまでのことを思い返していた。
アダムはずっと、魔法使いになりたくなかったし、ウェスペルの当主にもなりたくはなかった。けれど、幼い頃から叩き込まれた魔法は、いつの間にか手足の様に体に馴染み、ふとした時に自然と使ってしまうようになった。
そうなると、魔法を使うことで有利に立ち回れる瞬間に優越感を覚えたし、幼少の頃よりは、魔法を使うことに苦痛を感じなくなった。むしろ、他のやり方を知らないので、より魔法を使った生活になった。
保身の為にクロを欲して祖母を殺し、そのことでウェスペル家の歯車から外れたつもりでいたが、本当は違ったのだと思う。
クロを欲した時点で、アダムはウェスペル家の当主以外、何者でもなかったのだ。祖母を殺したせいで、魔法のあれこれはクロの知識頼りになった。心を隠すことは出来たが、それで精一杯で、今クロに本気で対抗されれば、勝てる保証がなかった。
そうやって、自由になるつもりが、結局はウェスペルの魔法を繋ぐ為の駒のまま、生きていた。否定した力にずっと、生かされていたのだ。
ウェスペルの継承魔法の使役は、他者の力を借りない。基本的に借りることが主流の魔法に於いて、この魔法は異質だった。自分の中にある魔力と精神力でもって、相手を服従させる魔法……故に他のどの家の継承魔法よりも難しく、魔力の質が物を言った。だから初代は、クロにウェスペルを託したのだ。
(俺は結局、自由にはなれないんだな…)
アダムは縛られていたのではなく、生まれた瞬間から、ウェスペルの部品でしかなかった。ただ、初代を継ぐ者として生かされていた。そうでない者に成る選択肢など、端から存在していないのだ。
しかし、それを悟って諦め、無機質に生きているだけでは、使役魔法を使える屈強な精神力は育たない。だからウェスペル家は、次代の当主に傷を与えて、それでも生きるという不屈の精神を育ててきたに違いない。アダムがこれまでしてきたことは全て、ウェスペルの魔法使いとして完成する為の試練だったようだ。
――そうして今、決断を迫られている。
悪魔は執念深い。ここで何も出来ずに取り逃せば、エレオノーラはおろか、アダム自身も報復で命を狙われかねない。だからこそ、中途半端に追い出すだけではいけない。
(従わせるか――殺すか)
従わなければ殺す――それが本来の使役魔法の使い方だ。当然、殺す為の魔法も存在する。
教会の神父は、悪魔を祓い、魔界に返すまでが限界だ。殺すことが出来るのは、魔法のみ。
『宵闇のウェスペル』……そう魔法の祖が名付けた理由は、ここにあった。
基本的には他者を助ける、調和を保つのが魔法の本質だとして、ウィス・フォンスは魔法を広めた。けれど時には、危害を加えて来る者を排除することも必要となる。そうした面も理解し、正しく魔法を使い分けることが出来た弟子が、初代ウェスペルだった。世界に希望――朝を告げた存在が『暁の女神ウィス・フォンス』。その対をなす存在として、昼と夜の境を示す、『宵闇のウェスペル』。"暁の威光を持って、闇を見つめる者"という意味らしい。
暁の威光などという、大層な理想はアダムにはない。それでも、今はアダムをおいて、この名を名乗ることが出来る人間は居ない。
(クロは、俺にウェスペルを継がせたいだけだ…)
使役魔法を使う度、アダムはそれを実感する。その事実に抗おうとして、それでもいつも、クロの思い通りになった。しかし、それが対して苦痛ではないことも自覚していて、そうなるともう、手遅れだった。どんなに見栄を張っても、アダムはただの操り人形だった。
「そんなに卑屈にならないで下さいよ」
いつの間にか、クロがアダムの右肩の上に乗っていた。
「確かにあなたは、ウェスペルを継ぐ為の存在ですが、そもそもその力は、誰にでも備わるものじゃありません。あなたは、力に選ばれたのです。謂わば、これはあなたが勝ち取った力なのですよ。もっと堂々と、存分に使えば宜しいではありませんか。もうあなたに、口煩く道を説けるような者は、居ないのですから」
「おまえ…」
従っているフリで、操っているのは誰か?とアダムがクロを睨めば、クロはアダムに体を擦り寄せる。
「それは誤解ですよ。似たようなことは前にも言ったと思いますが、あなたは、私を出し抜いて私の契約を書き換えた……そうまでして私を欲してくれたアダム様になら、ついていて損はありません。反抗したいとも思いませんよ。アダム様は、それだけの力をお持ちであると自覚して下さい。『暁の女神』が居ない今、アダム様こそが、この世で最も優れた魔法使いです。天下を取ろうが、破滅させようが、お好きになさって下さい。あなたを認めない者は踏みつけて、あなたを認め、愛する者の声を聴いて下さい。アダム様が心地良いと思う生き方で、生きて行かれることを、私は望みます」
「……」
アダムは答えず、ただ意識を目の前の黒い靄に集中した。すると、巻きついていた鎖の量が増えた。黒い靄はまだ抵抗を続けていたが、とうとう動くことが出来なくなってしまう。
「もう一度聞く。エレオノーラの声を手に入れてどうするつもりだ?答えによっては、死を覚悟してもらう」
「――オマエ如キ二、コノ俺ヲ殺セルト?」
唸り声から一変、ひび割れた声で黒い靄が言う。それを聞いたアダムは、愉しそうに笑った。
「殺せるよ。俺はアダム・ウェスペル。人間より長命で博識な悪魔なら、聞いたことがあるだろう?『宵闇のウェスペル』……俺は、それを継ぐ者だ」
――好きに使えというなら、使いこなしてみせよう。
そう思えたら、アダムの中にあった息苦しさは消え去って、思考は冴える。
初代ウェスペルには、下せない魔物も精霊も居なかったという。悪魔も勿論、例外ではない。故にウェスペルに恐怖や恨みを持つ輩も、多少存在する。初代はそうではなかったそうだが、歴代当主の何人かは、簡単に下せる為に、使い魔を酷使する者も居たようで、主人亡き後、その子孫にたまに仕返しにやって来た。それが、アダムのいい練習台だったのだ。
「……ウェスペル?」
黒い靄は小さく呟いては、これまでで一番激しく動き出した。
「クッ!」
アダムは引き倒されないように足腰に力を込めるが、黒い靄は鎖を引き千切ろうと暴れ続ける。
「アダム!?」
ミアはアダムの体を支える。
「……悪い」
「ううん。それより、なんとかなりそう?」とミアが訊けば、「あいつは、ご主人様が出した鎖から逃れられていません。勝てます。大体、敵前逃亡なんて、小物がすることです」とクロが答えた。
「ったく……手伝ってくれてもいいだろうに…」
アダムは額から汗を流しながら、クロに対して悪態をつき、鎖に流す魔力の量を増やした。
「おまえ……実体はないのか?まさか、そんな靄が本体なわけないよな?……ああ、そうか……エレオノーラの歌声は天女のようらしいし、そんな声を欲しがるなら、おまえはさぞ醜い姿ってことか。だから、綺麗なものが欲しいんだな」
「!!俺ガ、醜イ…?」
アダムが煽れば、黒い靄は気分を損ねたようで、みるみる体を変化させて行った。
「あ〜あ……安い挑発に乗っちゃって…」クロは小声で呟いて、口角を上げた。
本来の姿などを晒せば、名前も知れてしまうと、この悪魔は分かっていないようだ。
黒い靄は、大きな翼が生えた屈強な男の姿に変わったが、鎖も同時に一部変化して、手足や首に巻き付いたものが、枷に変わっていた。そのことに多少驚いた様子ながらも、「ドウダ?マダ、醜イナドト抜カスカ?」とアダムを睨む。
「人なのか鳥なのか、どちらかにしてもらいたいね。……でも、お陰で誰だか分かったぞ。『フォカロル』だろ?」
「……」
肯定も否定もしない。それが、答えのように感じたアダムは、「選べフォカロル。このまま大人しく魔界に帰るか、俺に殺されるか」と言葉を続けた。
「帰ルワケガナイダロウ!」
フォカロルが翼をしならせて風を起こす。部屋中の物が倒れ、壊れていく。そうして、アダムのほうへ飛んできた。
「!」
ミアは強く目を閉じたが、「大丈夫。シロの風に比べたら、こんなもの…」アダムが小声で言ったか言わないかで、突如としてアダムやミアの周囲が一瞬無風になった。その後、シュッ!と風の鳴る音がして、バサリと何かが落下する音が響いた。ミアが室内のあちこちに目を向けると、床に、フォカロルの翼が落ちているのが目に入った。
「あ…」
ミアが声を上げたのと、フォカロルが事態に気がついたのがほぼ同時だった。
「貴様…!!」そうフォカロルは雄叫びを上げる。すると再び辺りに強風が吹き荒れ、家具が宙を舞った。
ミアは咄嗟にエレオノーラの側へ移り、シールドの魔法を展開して、自分とエレオノーラを囲った。
アダムはそれを横目に、「もう、加減はしないからな」と言っては右手を翳す。
善人ぶって声を狙う理由を聞いていたが、相手がこちらを見下しているうちに勝敗をつけるに越したことはない。原因を殺せば、もう襲われることもないのだから……。
「若造ガ調子二ノ――があああ!?」
フォカロルについていた枷や繋がっていた鎖が無数の剣に姿を変え、一気にフォカロルの体に突き刺さる。そして追い討ちのように、フォカロルは青い炎に包まれた。辺りに熱気と焼ける匂いが充満する。
「ご主人様。あまり燃やすと、この部屋にも引火しますよ」
「分かってる」
言いながらアダムが翳していた右手を握り、拳を作ると、炎は消えて、温度が急激に下がる。真っ黒に焼け焦げたフォカロルの体に霜が降り、氷漬けになった。そうして、ゆっくりと床に倒れる。
それきり、物音は絶えた。
「……終わったの?」
ミアが恐る恐る訊くと、アダムはほっと息を吐いた。
「ああ。もう大丈夫だ」
「信じられない……悪魔を、倒したの?」
「まあ、悪魔と言っても、人間を困らせて遊んでいるだけのつまらない奴ですけどね。私より、弱いです」と、クロは威張るように言って、フォカロルの死体を前足で引っ掻いた。
「そうなんだ…」
精霊や使い魔の治療をすることはあれど、倒したり殺したりする魔法は、使うことも見ることも少なかったミアからすれば、別次元の話に近かった。
「上出来です。ご主人様。……コレ、食べて良いですか?」
最初からそれが狙いだったのかと、アダムは呆れながら頷いて見せる。
悪魔や精霊は、喰らえば魔力を取り込むことが出来るそうだ。
「ありがとうございます」
クロは嬉々としてフォカロルの死体に向き合った。猫の姿では、食べ切るのに時間が掛かるのではとミアは心配になったが、その瞬間、クロの姿が歪んで、黒い靄に変化した。そのままフォカロルの全身を包み込み、数秒でまた猫の姿に戻ったが、その時にはフォカロルの姿は跡形も無くなっていた。
「ご馳走様でした」と、クロは顔の周りを舌で舐めた。
「なあ、すごい音がしたけど、大丈夫か?」
部屋の外からジャスパーの声がする。
「ああ。入っていいぞ」
アダムの声に、ゆっくりドアが開いて、ジャスパーとネイサンが顔を出した。二人は部屋の様子に仰天する。そうして、こんな状況でも穏やかに眠るエレオノーラに、更に驚いていた。
※
二日後。エレオノーラはしっかり睡眠を取れたことで体調は回復し、三日後には、舞台の仕事に復帰した。
その様子を見届けて帰ろうとしたら、是非、舞台を観てほしいと、エレオノーラ本人と他家族に懇願されたアダム達は、その夜の公演を観に行くことになった。
「私、舞台なんて初めて見る!」
「僕も!」
楽しそうなウィットマン夫妻を横目に、アダムは少し考えて、「――シロとシュティレも、呼んでやろうかな…」と呟いた。その言葉に、一同は絶句する。
「ん?なんだ?」
その様子にアダムが首を傾げていると、「喜ぶと思いますよ」とクロは笑い、「逆に、呼ばないという選択肢があったのか!」とジャスパーは怒鳴り、「シュティレちゃん……可哀想…」とミアは涙ぐんだ。
「……」
アダムは仏頂面で皆に背を向け、「シロ。シュティレ」と名を呼んだ。その瞬間、アダムの目の前に、二名が召喚された。
「あれ?何か御用でしたか?」
「え?これ、召喚?私……召喚で呼ばれるの、初めてだ…」
シロとシュティレは目を丸くして周りを見ている。
「おまえら、演劇を観たくないか?」
「「えんげき?」」
二名の言葉が重なる。
「フフ…」
何のことか分からないという、その様子が可笑しくて、アダムの表情が綻んだ。それを見てシロとシュティレは顔を見合わせて、結局一緒に笑顔になった。
クロとシロは人間に変身して、皆は観劇用に身なりを整え、町の中央に位置する演劇場に足を運んだ。
「歌やお芝居ですかぁ〜。楽しみです♪」
シロは終始ウキウキしていたし、ウィットマン夫妻もソワソワと落ち着きがなかった。クロは落ち着いていたが、シュティレは緊張で口数は減って体は強張り、右手と右足が同時に出る、不思議な歩き方になっていた。
「二階席で良かった…」
アダムは、そんな珍妙な仲間達を見ながら、胸を撫で下ろした。
やがて始まった演劇は、エレオノーラが演じる精霊に恋をして身を滅ぼした王の話だったが、絹糸であつらえられた淡い色のドレスを身に纏ったエレオノーラの姿も、その歌声も、劇中の王や、悪魔フォカロルが心を奪われるのが理解できるほど、とても美しかった。
お読み頂き、ありがとうございました。
古の五家『宵闇のウェスペル』とは?というお話でした。アダムは傀儡なのか、それとも自由に生きられているのか?捉え方次第でしょうし、クロの言葉の真偽も怪しいところですが、基本的にバッドエンドが苦手なので、悪い様にはならない……と思います。
次回も読んでくれたら、嬉しいです。




