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宵闇に捧ぐスノードロップ  作者: 空色 理
第三部

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40/47

40.天邪鬼

 翌朝。シュティレは憂鬱な気分でベッドから起き上がった。声を出してみようと口を開けたが、相変わらず空気の洩れるような音しか出ない。

(せっかくご主人様が帰ってきたのに…)

 怒らせてしまった……しばらくは話しかけてもらえないかもしれない。

(なんで私はいつも、辛抱出来ないんだろう…)

 昔は、お仕置きされても悲鳴を飲み込めるだけ我慢強かったのに、最近はアダムのことになると弱いと、シュティレは感じていた。

(それだけ、ご主人様の存在が大きいってことなんだろうけど…) 

 ふと、アダムと触れ合った夜を思い出して、シュティレの顔の温度が一気に上がった。

 

 コンコンコン。

 

「!?」

 その時、ドアをノックする音がして、「シュティレ。起きてるか?」とアダムの声がした。

 タイミングが良すぎて驚きながら、大慌てで髪を撫でつけて、寝間着の上からカーディガンを羽織った。ドタバタと物音をさせながら、少しだけドアを開けて、隙間から顔を覗かせた。

「おはよう」

 そう穏やかに微笑むアダムに、シュティレはお辞儀を返す。声を出せないのがもどかしい。

「少しは反省したか?」

 問われて、シュティレは何度も頷いた。

(ご主人様とお話しできないなんて、嫌だ…)

「本当か?おまえは嘘はつかないが、少々感情的になりすぎるからなぁ〜」

 アダムは勿体ぶるように言っては、シュティレの頬に手を伸ばす。

「せっかく久しぶりに会ったのだから、優しくしてやりたかったのに……本当におまえは、せっかちだな」

 頬を撫でられたのが久しぶりだったからか、それだけでシュティレは真っ赤になってしまう。それをアダムは、からかうような笑みで見つめながら、「まあ、今回は大目に見てやるか。俺も心配をかけていたし…」そう言って、聞き取れないくらい小さな声で何事かを呟いた。

「ほら。声を出してみろ」 

「……ご主人様」

 声が出せて、シュティレはほっと息を吐く。

「改めておはよう。シュティレ」

「おはようございます。ご主人様。あの……クロとシロは?」

「あいつらはまだ仕置中だ」

「そんな……私が悪かったのに…」

「あいつらはすぐ調子に乗るからな。いい薬になるだろう。……それより、"家"のことをなんとかしないとな」

 言われて、シュティレの顔が曇る。

「ごめんなさい……クロにも、無視しろと言われていたのに、ご主人様の名前を出されて、我慢できなくて……」

 シュティレが俯いてしまうと、アダムはシュティレの頭を撫でる。

「俺を心配してくれるのは嬉しいが、おまえは自分自身のことをもっと大事にしろ。おまえを狙う者は多い。もちろん俺が守るが、万が一俺のいない時に大事があっては困るから、ちゃんと自衛することも覚えてろ」

「はい」

「よし。……まずは腹ごしらえだな」

「分かりました。頑張って作りますね」

「……手伝おうか?」

「え?」

 アダムが珍しい事を言うので、シュティレは一瞬これは夢なのでないかという感覚になった。

「なんだ。その顔は?」

「い、いえ!嬉しいです。…ありがとうございます」

 シュティレが慌てて言えば、「シロを閉じ込めてしまったからな。おまえだけだと大変だろ?」と何だか早口に言いながら、アダムは踵を返して階段を降りていく。

(ひょっとして……照れてる?)

 シュティレは顔がニヤつくのを堪えながら、アダムに続いた。

 しかし、キッチンに行くと、既にミアとジャスパーの姿があった。アダムとシュティレに気がついて、二人は笑顔を見せる。

「おはよう!お世話になりっぱなしも悪いから、ご飯作ろうと思って……迷惑だったかな?」

 ミアが言えば、「いいや。助かる」とアダムは穏やかに言う。それを受けて、ミアは嬉しそうにした。

「あ……そういえばアダム。久しぶりね」

「そうだな。……元気そうでなにより」

 話題には上がれど、二人は会話する機会がなかったが、ミアが聞いた様子によると、アダムはもっと暗いイメージだった。それはジャスパーが冷たいと評価していたからだが、今会話した様子だと、だいぶ学生時代の雰囲気に近いものを感じて、ミアは安心した。

「アダムこそ。……昨日は聞きそびれたけど、復讐はもういいの?」

 するとアダムはなんだか困ったように眉尻を下げる。

「もういいというか……俺やシュティレが囚われずに、ミアが無事なら、わざわざ手を打たなくてもいいと考えただけだ。現段階では、ヒースは追わないと言っているから」

「そう……良かった。何が何でも殺してやろうって思ってるんじゃなくて」

「そもそも、敵討ちとは違うしな。……確かに両親はヒースの息の掛かった連中に殺されたが、敵を討とうと思えるほど、俺には両親への情がない。それでも実行犯たる貴族や先生を殺したのは、単純に俺が原因で両親が死んだことに対する証拠隠しのようなものさ…」

 "復讐"と言えば、さもアダム自身が被害者だと思わせる事が出来るが、家族が大切なら、そもそも研究など諦めてさっさと渡してしまえば良かっただけのこと。それを自分のプライドを優先した結果両親が巻き込まれ、それを恨みに思ったふりをして、祖母を手に掛けてまでクロを使い魔にしたのは、保身に走った結果で、誰の為でもなかった。完全にヒース達を悪だと言うには、アダムは穢れ過ぎていた。

「ご主人様…」

 アダムの背後から、シュティレがそっとアダムの服の裾を掴む。アダムがシュティレに顔を向ければ、"そんなことを言わないで欲しい"と、シュティレの顔は言っていた。

「いいんだよ。本当のことだ」

 世間はアダムを悪だと言うだろう。アダムだってそう思っている。しかし、シュティレや使い魔達はそれでもアダムを赦そうとする。なら、アダムがすべきは、罪は認めながら、味方の顔がこれ以上曇らないように努めることだ。ただ、罪を償おうと憲兵に身を委ねるのは、まだ得策ではない。

(今捕まっても、きっと殺されない…)

 表向きは処刑するかも知れないが、リィン国が戦争に集中して力を求めている今は、アダムやシュティレは貴重な戦力だ。逃げ場を奪われ、使われるに違いない。ヒースがアダムと交渉してきたことが、その証拠に思えた。

 だから今は、シュティレが自由に生きられるように手を尽くす……それがアダムの出した答えだった。

(俺が居なくても、大丈夫なように…)

 しかし、そんなことを言えばシュティレは、捨てられるのではと勘違いして不安に思うだろう。だから、言葉にはしない。

「アダムにも、大事なものが出来たみたいだね!」

 ふと、ジャスパーが嬉しそうに言った。

「そんなんじゃない…」

 しかし結局、アダムはなかなか素直になれなかった。

「またまた〜!照れちゃって〜」

 それでジャスパーがおどけた様子でアダムに肩を回す。「やめろ!」とアダムが吠えてもお構いなし。引き剥がそうとするアダムの腕を躱しては、ジャスパーはなお絡む。

「アダム。チェスやろう!」

「やらない」

「良いじゃんか!もう復讐とかしないんでしょ?暇じゃん」

「暇じゃない!」

 

「シュティレちゃん。"子ども"は放っておいて、ご飯作っちゃおう」

「え?あ、はい」

 じゃれ合う男二人を余所に、ミアはシュティレを促して料理に取り掛かる。手分けして野菜を刻んで、昨夜寝かせておいたパンの生地を出しては、竈で焼いていく。

「……ありがとうね。シュティレちゃん」

「え?」

 急にお礼を言われて、驚いたシュティレの手は止まる。

「アダムを、助けてくれて」

「いや、助けたなんて……私のほうが、ご主人様から助けてもらったんです。――ご主人様は最初から、優しい人でした。優しいから、苦しんでいるんだと思います」

「そうかもね……だけど、シュティレちゃんの存在は大きいと、私は思うな。シュティレちゃんのお陰で、アダムは持ち堪えてるんだと思うよ」

 口で言うほど他者を捨てられていないが、基本的には他者に壁を作っている……アダムにはいつも、中途半端な印象を受ける。けれど、それを肯定して愛したのが、使い魔達でありシュティレだった。だからアダムは、まだ光を失わずにいる。

「それでもやっぱり、私はただ、恩返しをしているだけです。ご主人様がくれたから、私もあげたくなったんです。あとはご主人様が、自分が優しい人間だと認められたら、いいんですけど…」

「あいつ、素直じゃないもんね…」

「たぶん、照れ屋さんなんですよ」

「そっか……当主だったお祖母さんに厳しくされたせいで、褒められ慣れてないのかもね。以外と、褒めたら伸びる子なのかも…」

「ああ!それで、お礼を言ったら照れるんですね」

 シュティレは瞳を輝かせる。

「きっとそうだわ!」 

 

「……」

 シュティレとミアの会話が聞こえて、アダムは顔を顰める。

 結局ジャスパーの押しに負け、二人はリビングでチェス盤を広げていた。

「シュティレちゃん。本当に良い子だよな……おまえには勿体無い!」

 ジャスパーはふざけて言ったが、言われたアダムは、表情から感情が消えた。

「……安心しろ。シュティレを縛ることはもう、しない」

「へ?」

「もう、"俺のものだ"と言わない。あいつには、あいつの人生を生きてもらう」

「……急にどうした?」

「シュティレは復讐に使う道具だった。だが、もう復讐しないなら、シュティレを縛る必要がない。それに、俺は縛られたくないのに、シュティレには従うことを強要している……そういうのはもう、止めようと思う。シュティレの人生をシュティレに返す。それが俺に出来るせめてもの償いだ」

「なんでそんな話になるんだよ……シュティレちゃんは、おまえのこと…」

「だからだよ。シュティレの目が、俺に真っ直ぐ向いているから……だから、目を覚まさせてやらないといけない…」

「いや、待て待て!なんでそうする必要があるんだよ!シュティレちゃんがおまえを見てくれているなら、それを受け入れて大事にしてやれよ。……シュティレちゃんに対して、気持ちがないわけじゃないんだろ?」

「……俺じゃ、駄目だ。俺みたいな人間じゃ、シュティレは幸せになれない…」

「シュティレちゃんが幸せかどうかを決めるのは、シュティレちゃんだろ。あの子は、俺やミアがどんなに言っても、おまえの傍がいいと言い切った子だぞ。あの子にそこまで言わせておいて、なんでおまえが逃げるんだよ!」

「逃げてるんじゃない」

「逃げてるだろ!自分が他人を信用出来ないから、手放しでおまえを受け入れてくれる、シュティレちゃんみたいな存在が怖いだけだ」

 ジャスパーの言葉を反射的に否定しようとしたアダムはしかし、そうはせずに項垂れた。そうして小さく「そうかもしれない…」と呟いた。

「……シュティレを大事に思うほど、自分の穢れが目について、苦しい。この手でシュティレを不幸にしている気がして、恐ろしくなる……」

 とても小さく、弱々しくアダムは語る。ジャスパーは、そんなアダムの姿を初めて見た。

 アダムは、シュティレを都合良く使う為にシュティレに優しくしていた筈だった。狙い通り、シュティレはアダムの従順な道具になったが、それ以上にシュティレはアダムを愛した。それは、シュティレの側だけの話かと思っていたジャスパーだが、どうやらそれは誤りだったようだ。アダムも、シュティレを愛しているのだ。だからこそ、自分の穢れを気にするのだろう。

「俺だってたまに怖くなるよ。ミアを守りきれるだろうか?俺は本当にミアにとって最良の男なんだろうかって、ミアを愛すれば愛するほど、そう思うことがある……でも、その答えはいつも、ミアがくれるから。おまえがシュティレちゃんを想って足踏みするなら、その答えはシュティレちゃんが持ってるよ」

 アダムが心の内を話してくれるのが嬉しくて、ジャスパーは真摯に語った。けれど、アダムの表情は晴れない。

「……俺は人を愛する資格がない。こればかりは、シュティレがなんと言っても変わらない。だから、シュティレには、早く自分の強さを自覚してもらって、一人でどこへでも行けるようになってもらわないと……俺以外に、もっと釣り合う相手を探してもらわないと困る…」

(これは……相当だな…)

 アダムは自分に価値がないと誤認しているようだ。実際罪も犯しているから当然と言えば当然なのだが――

(シュティレちゃんは確かに、優しくしてくれたから惚れたのかもしれないけど……それはきっかけに過ぎないし、アダムが何を思って何をしているか分からないほど、無知でもないと思うけどな……それでもアダムの傍を選んでる筈なんだけど、今アダムにそれを言っても無駄か…)

 心の壁を取り払ったように見えたアダムも、まだ肝心な所が閉ざされたままなようだ。――或いは、分かっていて閉ざしているのか……。

(いやぁ……なんか、アダム、面倒くさくない?)

 好きなら好きで良いじゃないかと、ジャスパーは叫び出したくなった。人が人を愛するのに、条件や理由が必要なわけがないと、ジャスパーは思っている。それでも色々な事情があるのは分かる。分かるがなんで――

「なんでおまえはいつもそう、天邪鬼なんだよ!」

 他者が自分を理解せずに利用するのが嫌だと反抗したかと思えば、理解し、愛してくれている人からも逃げる。自由になりたいと言うが、自由は孤独とは違う。孤独は不幸だ。なぜ、自分で自分を追い詰める真似をするのか……。

 ジャスパーが叫べば、ミアとシュティレが驚いた様子でこちらを振り返った。

「ご、ごめん。なんでもない…」

 ジャスパーが謝れば、二人はまた料理に集中し、アダムも「ほら、並べたぞ」と、話をチェスにすり替えた。

「……わかった」

 それでジャスパーは諦めてチェスに集中した。

(天邪鬼…か…)

 対するアダムは、ジャスパーに言われた言葉を思い返して、苦笑する。自分でもそう思わなくもないが、だからと言って簡単に割り切れないのが苦しいところだ。

(俺はいつだって、強がっているだけだからな)

 シュティレの為だから離れると言いながらも、シュティレを求める自分がいるのも分かっている。

 それでも、自分の気持ちを優先してシュティレを闇に引きずり込むよりも、シュティレが自分の力で幸せに生きている様子を遠目に見ることのほうが、正しいように感じただけだ。シュティレが大切だというなら、正しいことをすべきだと思う。

 シュティレが、アダムのようにつまらない人生を送らないように……アダムが今思うのは、そんな願いだった。 

 

           ※

 

 朝食の後、アダムとシュティレは"当主の部屋"にやって来ていた。

「実を言うと、俺はこの中に入ったことがない」 

「え?そうなんですか?」

 驚くシュティレに、アダムは苦笑する。

「おまえには話していないと思うが、俺はウェスペル家の家督を継いだ訳じゃないんだ。この部屋は当主が使う部屋だから、そうじゃない人間には鍵すら開けられない」

「……私が来た時には開いていました…」

「それは家がおまえを招いたからだな」

「今は、入れるでしょうか?」

「たぶん…」

 言いながらアダムが錠前に手を掛けると、錠前は簡単に外れた。

「へぇー。入れてくれるのか?」


 ――アダムが当主になってくれるの?

 

 その時、家の声が響く。シュティレは、アダムにも聞こえただろうかと確認しようとアダムを見たが、アダムは目を大きく見開いて、固まっていた。

「ご主人様?どうしたんですか?」

 シュティレがそっとアダムの腕に触れると、アダムはすっと表情を険しくする。「――クロ」と、低い声で使い魔を呼んだ。すると、瞬時に黒猫が姿を現す。

「どうしたんです?ご主人様?」

「……おまえ、家の声を聞いたことがあるか?」

「?……いいえ。私には、聞こえたことはありません。会話を試みましたが、応えてくれませんでした」

「……そうか……なら、驚くぞ」

「?」

 

 ――あら?私の声、変かしら?

 

「こ、これは!!」

 クロも驚いて言葉を失った。

「ご主人様…あの…」

 シュティレが控えめに声を掛けると、アダムはやっとシュティレに目を向けた。

「この声は……お祖母様の声なんだ」

「え?」

「……随分ふざけた事をするんだな。家」

 アダムが天井を睨みつけると、どこからか笑い声が聞こえて来た。

 

 ――喋るという芸当が出来そうだと思ったら嬉しくて……でも、知っての通り私はただの家だから声帯なんてない。だから、テレパシーになってしまうわけだけど……一番記憶に新しい、クリスティアーネの声を使ったまでよ。他意はないわ。

 

「そうか。なら、いいが……今まで話さなかったのは何故だ?」

 

 ――悪魔や魔物と会話するのは癪だし、アダムは私と話したくなさそうだったから……シュティレなら、いいかなって思ったの。

 

「では、シュティレにわざわざ水晶を見せたのは何だ?シュティレをどうしたい?」


 ――シュティレなら、アダムの妻になってくれるんじゃないかと思ったのよ。だから、声を掛けてみた。

 

 家の言葉には悪意は感じない。純粋な善意で言っているような……そんな明るい声だった。ただ、それを聞いた者の反応は様々だ。シュティレは目を丸くするし、クロは逆に目を閉じて首を振った。アダムからは、表情が消えた。

 

 ――あら?なんで怒るの?今ウェスペルを継げるのはアダムしかいない。奇跡的に分家に魔力持ちが生まれない限りは……それを抜きにしても、アダムの魔力は初代に近いし、適任だと思うわ。当主が決まったら、次は次代の当主候補が必要でしょ?人間の寿命は短いからね。

 

「……黙れ」

 

 ――シュティレはどういう訳だか、アダムに魔力が似ているけれど、そうなると相性もいいわね。きっと魔力の高い子どもが……

 

「黙れっ!!」

 

 アダムは聞いていられずに叫んだ。その勢いに、シュティレもクロもギョッとして動きを止める。

「俺はウェスペル家のことなんてどうでもいい。勝手に話を進めるな」

 

 ――私には分からないけれど、いいの?それで。だって、魔法使いの五家って、大事なんじゃないの?その中でもウェスペルって、リーダーみたいなものだったじゃない。捨てていいの?

 

 「魔法は充分に広まっただろ。もう、五家なんか要らない」

 魔物に対抗するために魔法を広めようとした初代ウィス・フォンスの意思を繋ぐために名を貰った弟子達。それぞれが継承した固有魔法もとい得意魔法は、結界のような力を発揮して、各地を護ると言われていた。当時は少なかった魔法は、今や全国に広がった。それでも、結界の役割を果たせる魔法使いがどれほど居るかは分からないから、五家が要らないとは言い切れないのだが、アダムはそこを考えないようにしていた。そもそも、結界がないと魔物が襲って来るなんて話も疑問だ。警戒するからには強い魔物なのだろうが、それに対抗できないほど人間は弱くないとも思う。


 ――そうなの?……じゃあ、私は用済み?壊す?

 

 家の声音が少し弱って、悲しさが滲む。

「ご主人様……当主にならないにしても、家をそのまま使ったりとかは、出来ないんですか?」

 そんな家に同情してシュティレが言えば、アダムは大袈裟に溜め息をついた。

「おまえな……家なんかに同情するな」

「ごめんなさい……私には、魔法使いの事は分かりませんけど……住む家は必要だし、それが魔法の家だったら、便利だなって……」

「じゃあ、おまえが家と契約しろ。元よりそのつもりだったし……俺は、どうでもいい」

「私が、契約……」

「クロ。教えてやれ」

「ちょっとご主人様!それは投げ過ぎですよ!」

 祖母の声で話す家となど、一緒に居たくないのがアダムの本音だった。ただ、それを言うとただの我儘だと思われそうで、言い出せなかっただけだった。

(クロは嬉しいかもしれないな…)

 今は亡き主の声が聞けるのだから――

「分かりました。私が契約します。家が会話するのは、私だけだと家が約束出来るなら」

 

 ――いいわよ。

 

 シュティレの言葉に、アダムは思わずシュティレを凝視した。

「この家では、ご主人様はあまり寛げないかもしれませんけど、追われる可能性がある今は、使えるものは使ったほうがいいと思います。だから、私が契約して、ご主人様に負担を掛けないようにします。――それで、いいですか?」

 シュティレの脳内には、クラウスを使役した後に熱を出したアダムがチラついていた。アダムはいつも本心を見せない。余裕のないアダムを見れたことは少ないし、これからも簡単には見せてくれないだろう。

 だからこそシュティレは、アダムが過労で倒れないように、自分も養われるだけではなく、きちんと役に立ちたかった。

 そんなシュティレの内面が覗けるクロは、シュティレを眩しそうに見つめていた。

「……わかった。任せる」

 半ば諦めたように、アダムは顔を伏せながらも、小さく呟いた。

「はい!」

 アダムに任されたシュティレは、笑顔を浮かべる。「クロ。教えてくれる?」とクロに視線を移した。

「ええ。ついてきて」

 クロに案内されてシュティレが当主の部屋に入ると、アダムも無言でついてきた。

「ここに確か魔法陣が…」

 クロは人型になると、水晶の置いてあった机の後ろの本棚から一冊の本を取り出した。パラパラとページを捲る。そうして見開きで魔法陣が描かれたページを広げた。よく見ると、魔法陣だと思った円は、名前の集まりだった。

「ここにシュティレの名前を書くだけ。要は、家にシュティレを覚えさせればいいのよ。そうすれば、どこに居ても、家に帰って来られるから」

「そんな簡単なことでいいの?」

「ええ」

 シュティレはクロから羽根ペンとインクボトルを受け取ると、名前を書こうとして、手を止めた。

「…『シュティレ』って、本名じゃないけどいいの?」

 クロはにんまりと笑う。

「ええ。あなたが自分の名前だと認識しているもので良いのよ」

「良かった」

 シュティレは安心したように名前を書いた。クロはその間、意味ありげな視線をアダムに向けたが、アダムはそれに気づかないふりをする。

「…出来た」

 シュティレが顔を上げると、クロは本を閉じて仕舞う。

「これでシュティレは、家に命令出来るわ。ウェスペルの当主かどうかは、別問題だけど…」

 クロがチラリとアダムを見ると、またしてもアダムはそっぽを向いた。

「あの……ご主人様」

 シュティレが呼ぶと、アダムはシュティレに目を向ける。

「私、ご主人様の味方ですからね」

 シュティレはそう言ってアダムの腕を掴む。

「知ってるよ。だからどうした?」

「……置いて、行かないで下さいね」

「どこに置いて行くって言うんだ?変な心配をするな」

 アダムは笑ったが、シュティレの表情は晴れない。

「はい…」

 シュティレは返事をしながら、アダムの腕を掴む手に少し力を込めた。

 

「あの〜……取り込み中の所悪いんだけどさぁ…」 

 その時、ジャスパーが戸口から顔を覗かせた。

「なんだ?」

 アダムが応じると、ジャスパーは階下を指さした。

「シロ、そろそろ出してやったらどうだ?なんか、ずっとすすり泣きが聞こえるんだが…」

「そうか…分かった」

 アダムはくすりと笑って、部屋を出る。シュティレとクロも顔を見合わせてついて行った。

 一階に降りれば、確かに奥のシロの部屋から小さく唸るような声が聞こえて来た。

 アダムが部屋のドアを開けると、床に伏せていたシロが顔を上げた。悲しげな瞳でアダムを見つめる。

「分かった。出してやるよ」

 アダムが檻に触れると、檻は跡形も無く消え失せた。その瞬間、襲い掛かるのではないかという速さで、シロがアダムの胸に飛び込んだ。

「ッう…!」

 あまりの勢いに、アダムはシロを抱えて尻もちをついた。

「――酷いです……クロを先に出しているなんて…」

 シロは恨みがましく低い声で唸る。そうしてアダムの身体に蛇のように巻き付いた。力を込めて、アダムを締め上げるようにする。

「だから、シロは閉じ込めるべきじゃないんですよ…」

 そうクロが呟くように、その様子は、シュティレやクロが警戒するほど、敵意が見え隠れしている。それに気づかないアダムではない筈だが、アダムは苦しそうにしながらも、まだ笑みを浮かべていた。何とか腕を動かして、優しくシロの背を撫でる。

「家とのことで、クロの協力が必要だったから、出したんだ。おまえのことも、そのあと出してやるつもりだったよ」

「……本当に?」

「本当だ」

「……それなら……許します」

「ありがとう」

 アダムはそう言ってシロの背を撫で続ける。一撫で毎にシロの敵意は落ち着いて、やがてシロはすっかり脱力して、拘束を解くと、顎をアダムの膝に載せて目を閉じた。

「……ご主人様って、時々ずるいよね…」

 シュティレがアダムに聞こえないように呟いて、クロはくすりと笑った。

「ええ。あんな風に優しく撫でられて、お礼なんか言われたら、全部どうでもよくなるわよね…」

「うん」

 シュティレは何だか複雑な気分で、アダムとシロの様子を眺めていた。

 アダムはいつも、こうやって他者を絡め取る。それは単なる戦略にも取れるし、本心から出る行動にも取れる……どちらを見せられても、アダムについて行く気持ちは変わらないのだが、つい、アダムは安心出来る瞬間があるのだろうかと不安になった。

 自分達といる時くらい気を抜いて欲しいと伝え続けているが、アダムがその通りにしてくれた例はない。

 他者に虐げられすぎて、親切が恐ろしくなる気持ちは、シュティレにも分かっていたので、アダムに強く言うことが出来ないが、誰に対しても距離を取るのは、辛いことだと思う。

 アダムはシュティレに、自分を大事にしろと言ったが、シュティレは同じ言葉をアダムに返したかった。

お読み頂き、ありがとうございました。

しばらく閉じ込めておくと言っていた使い魔達を、あっさり次の日には解放してしまっているアダムです。彼は言いませんが、実は寂しかったりしたのでしょうか?本当、素直じゃないですね。

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