39.罪の告白
――アダムが呪いを解く数分前。
「ったく!やってられっか!」
クラウスは悪態をつきながら、屋敷を飛び出した。
呪いを受けるなんて危険な真似など出来ない。そもそも、ガスパール程の魔法使いが無理なら、クラウスにも無理だと、ディオン家を追われたところを拾ってもらった恩など、かなぐり捨てて逃げ出した。
幸い、誰も追って来る様子がない。
「……そうだ。俺には、無理だ…」
クラウスはアダムと同じ、魔法使いの旧家五つのうちの一つであるディオン家の、四兄弟の中の二番目という生まれだが、一族の中で一番魔法が出来なかった。それで魔法を磨けるようにと魔法学校に入れられていたのだ。
「……生きていれば、またチャンスはあるさ…」
魔法使いとしてのプライドが無いわけではないが、背負うものがない分、より自分の命が最優先だというのが、クラウスの信条だった。
この件で後ろ盾は無くしたが、何か別の方法で生きていこうと、クラウスは考えながら庭を抜けて正門へ向かった。
「……あれ?」
しかしその時、急に正門の前に小柄な人が突然現れたのを目撃した。暗い中必死に目を凝らして、誰だろうと注視してみて、それがシュティレである事に気がついた。
「なんで来たんだ?……いや、待てよ……これは、チャンスじゃないか?」
アダムは恐らく、呪いを解いているか、ヒースと交渉中だろう。ただでさえ狙われているシュティレを、屋敷に呼ぶとは考えにくいし、そうなればシュティレは独断でここへ来たことになる。そして、シュティレはクラウスがアダムの使役魔法から解放されたことを知らない。なら、自然に話が出来るわけだ。
(上手く騙せれば、ウィス・フォンスは俺の物だ!)
クラウスは、ゆっくりと正門に向かい、「そこで何をしてるんだい?シュティレ」と声を掛けた。
予想通りシュティレは、驚いて飛び上がった。
「クラウスさん!」
「駄目じゃないか。こんな所へ来たら……アダムに怒られるよ」
「……ごめんなさい……ご主人様の魔力に揺らぎがあったので、心配で……」
「ああ…そっか」
それはクラウスが麻痺する毒を盛ったからだろう。
(そういえば、クロやシロは飛んで来ないな……なんでだ?)
今更ながら気になったが、今はあまりこの場所で長話は良くない。
「とにかく、こっちへ…」
クラウスはそう言ってシュティレを正門から少し離れた林の中へ誘った。
「クラウスさん。ご主人様は、大丈夫なのですか?」
「大丈夫。アダムは今、大事な話をしているところだから、邪魔しちゃいけないよ」
クラウスは、不安そうなシュティレを宥めようと優しく言っては、シュティレの肩に手を置いた。
「そう…ですか…」
幾らかホッとした様子のシュティレは、少し目元が和らいだ。
(…あれ……なんか、よく見ると可愛いなこの子…)
今更ながら、そんなシュティレの視線がずっとアダムに向いていることが、クラウスには妬ましかった。
「そうだシュティレ。俺、ちょっとアダムにお使いを頼まれてね。遠出になるんだけど……手伝ってくれないかな?」
「え?私が、ですか?」
「ああ。このままだと君、勝手に来たことがアダムにバレて、怒られるんじゃない?黙っていてあげるからさ、代わりに手伝ってよ」
クラウスはシュティレの手を握る。
「え…えっと……」
確かに、アダムにここへ来たことがバレるのは時間の問題だ。クロには送り出してもらったが、アダムにはなんと言われるか怖い部分もあった。しかし、だからと言って悪事を隠すような真似はしたくないと、シュティレは思う。
「ほら、アダムに見つかる前に、早く!」
「っ!?」
思いの外強い力で手を引かれ、シュティレは違和感を感じた。クラウスは何を急いでいるのだろう?
「俺が……なんだって?」
その時、正門の方からアダムの声がした。二人が驚いて振り返ると、息を切らせながら、アダムがゆっくりと近づいて来る所だった。
「クラウス……俺の道具になんの用だ?」
そう言うアダムの声はいつもより低く、瞳は鋭く細められている。月明かりに照らされて輝きを増したように見える金の瞳は、肉食獣のような威圧感を生んで、クラウスの動きを封じた。
「あ、いや……その……」
答えに詰まるクラウスを、アダムは突き飛ばす。
「おまえなんかに、シュティレは扱えない…」
アダムはどこからか短剣を取り出しては、クラウスに向けた。
「ヒッ!」
「ご、ご主人様!!」
慌ててシュティレがアダムの腕を掴むと、アダムはシュティレを睨んだ。
「おまえも、なんで来た?俺は呼んでないぞ」
「ごめんなさい……ご主人様が、心配で…」
「揺らぎの心配をするなと、クロには伝えたが、聞いてなかったのか?」
「いいえ……聞いていました…」
「なら、なんで来たんだ?……ったく……後で覚えてろよ」
「……ごめんなさい…」
シュティレはただ謝ることしか出来ない。アダムは再びクラウスに目を向けた。
「さて、おまえの処分だが…」
「わ、悪かった!だから、殺さないでくれ!」
わなわなと震えて命乞いをするクラウスを、アダムは冷ややかな目で見下ろした。
「おまえ、どさくさに紛れてシュティレを連れて行こうとしていたな。また追ってこないように、殺しておいたほうがいいか…」
「ご主人様!止めて下さい!なにも殺さなくても」
シュティレは必死にアダムの右手を掴んで押さえた。
「……こういう奴が、後で障害になったりするんだ」
「また来ても、ご主人様の敵にはならないでしょ?私ももう、クラウスさんに惑わされたりしませんから、今回だけは、見逃して下さいませんか?」
「シュティレ…」
アダムは呆れたように息を吐いては、「おまえは、本当によく言うようになったな……ただ大人しく俺に従っていれば良いものを…」と言っては、右手を下ろした。
「ご主人様……ありがとうございます!」
それでシュティレは満面の笑みを浮かべた。
「勘違いするな。疲れているから、面倒になっただけだ」
「ご主人様〜〜!!」
その時、背後から妙に明るい声が聞こえて来た。アダムとシュティレが振り返ると、強い風と共に、白いイタチが現れた。その背には、黒猫を乗せている。
「おまえたちまで何しに来た?呼んでないぞ!」
アダムは再び怒るが、二匹は特に気にしていなかった。
「今さっき、また魔力が揺らぎましたよね!心配すぎて、待ってられません!」
「シュティレに先に行かれてしまいましたし、追ってきたのです。私の居ないところで、命を削るような真似はしないで下さい。驚きます」
「どいつもこいつも…」
「はい!まず、帰りましょう!」
アダムの小言を遮って、シロはアダムの腕を引く。
「罰なら、帰ってから受けますから」と、クロはアダムの肩に乗った。
「……分かった。帰るぞ」
アダムは怒りが冷めない様子だったが、シュティレの手を取ると、ワープした。
「俺は無視か?」
一人取り残されたクラウスは、安堵した反面、非常に惨めな気分を味わっていた。
結局、アダムに掻き乱されただけだった。反撃出来なかった自分を情けなく思いながら、
「いつもいつも、俺の邪魔をしやがって!」
自分の人生に定期的に関わってきては、クラウスの周りを荒らして過ぎ去って行くアダムという存在に、憎悪が芽生えた。
「あいつの大事な物を壊してやる!」
――散々コケにされたツケは払ってもらおう。
クラウスは、自分の周りで起こることに、他者の責任を考えずにいられない性格をしていた。彼に降りかかる不幸は他者が齎したもので、自分は常に被害者だった。
彼の思考はいつも、被害者にならない為に力をつけるのではなく、被害に遭わない場所へ行くことに集約される。だから結局、全てはアダムのせいなのだ。
ただ、今回のクラウスは、逃げるだけではなかった。彼なりに、自分の不幸に決着をつけようと考え直したのだ。その方法は最悪なものだが、クラウスにとっては、アダムを排除することで人生が拓けると希望を見出した……奇しくもそれは、十年前に復讐を決意したアダムの思考回路によく似ている。
クラウスはそれから、暗い笑顔を浮かべながら、ジノン卿の屋敷を後にした。
※
「さて…おまえたち。説明してもらおうか?」
ソファーに腕を組んで座るアダムの向かい側に、シロ、クロ、シュティレは横並びに立たされていた。
「お留守番は毎度のことですけど、今回はご主人様がたった一人で敵の縄張りにいた状況だったので、不安だったんです。シュティレが行かなきゃ、ボクが行ってたかもしれません」
怒られているのに、シロはかえって堂々としていた。
「つまり、俺が悪いと?」
「「はい」」
シロとクロの声が重なった。シュティレは答えられずに俯いている。
「ほう……」
アダムの瞳は鋭く細められ、二匹を睨みつける。二匹も負けじと、目を逸らさない。
「いつも言っていますが、ご主人様はもう少し私たちの心労も考えて下さい。特に、シュティレの負担はもう少し軽減出来ませんか?今回は、シュティレが家に唆されて水晶を見たことが始まりなんですから…」
「……水晶?」
アダムは今度はシュティレに目を向けた。シュティレは俯きながらも、「……当主の部屋と呼ばれていた部屋にあった水晶です…」と小さな声で答えた。
「なるほど……それで、俺が危ないと知らされたのか?」
「……ご主人様が……剣で刺されている…のが映って……」
その時の気持ちを思い出したのか、シュティレの声は震えた。ぽたりと、床に透明な雫が落ちる。
「……シュティレ」
流石にこれ以上怒る気力を削がれてしまい、アダムは、シュティレに手を伸ばす。頭に触れると、優しく撫でた。そうすると、更に雫が落ちて来た。
「分かったから泣くな。ほら」
アダムがハンカチを手渡して、シュティレはそれを受け取ると「すみません」と涙声で謝っては、涙を拭いた。
「あの水晶は、俺でも上手く制御出来ない。おまえが見たのも、幻だろう。水晶はたまにそうやって虚像を見せて、からかってくるんだ。家もそう。必ずしも真実を話しているとは限らない。家そのものが動くことは出来ないから、余計に口が達者なんだ。あまり真に受けるな」
「ごめんなさい…」
シュティレは顔を伏せたまま謝り続ける。
「今回は、シュティレは悪くないですよ。支えきれなかった私やシロのせいです。罰するなら、私たち二匹だけに…」
クロがそう言って頭を下げると、シロもそれに倣った。シュティレは弾かれたように顔を上げて、涙で腫らした目をアダムに向けた。
「二匹は悪くないです!私が、言いつけを守れなかっただけです。罰は、私に!」
そんなやりとりを、ジャスパーとミアが、柱の影から覗いていた。なお責めるつもりかと、非難の目をアダムに向けている。
「――はぁー……やれやれ…」
アダムは大きな溜め息をつくと、髪を掻き上げる。
「言いつけを守っていないのは、おまえたちなのに、何故俺が悪いような空気になるのかね……まったく……」
心底疲れたような表情で、アダムは軽く首を振る。
「――俺を心配してのことだったというのは、信じてやろう。ただ、それでも道具の分際で、命令無しに勝手に動いたことは許し難い……よって、お前ら二匹は、しばらく自由意思での行動を禁ずる。外に出さないし、俺の目の届く範囲に居てもらう」
今までアダムは、必要な時に使い魔を呼び寄せるだけで、後は好きにさせていた。外に散歩や買い物に行こうが特に干渉していなかった。
「そうそう。檻にでも、入れておこうか」
アダムがパチンと指を鳴らすと、シロとクロはそれぞれ、黒い檻の中に囚われた。二匹は驚きながら、すごく嫌そうな顔をする。
「……最初の時みたい…」
「昔を思い出して、嫌な感じね…」
「俺が用のない時は、ずっとその中にいろ」
アダムがもう一度指を鳴らすと、二匹は檻ごと姿を消す。
「ご、ご主人様!」
シュティレが慌てて声を上げれば、アダムは落ち着けと言うように、掌を見せた。
「それぞれの部屋に檻ごと配置しただけだ。飼育動物のように、一人で檻からは出られない」
「そんな…」
「さて、おまえは…」
アダムが考え込むようにすると、シュティレはびくりと体を震わせた。
「おまえは、余計なことを喋り過ぎるからな。しばらく口を利けないようにしてやろう」
「!?」
アダムがそう言った途端、シュティレは一瞬息苦しさを覚えたが、すぐに治まった。しかし、声を出そうとしたものの、口を開けただけで、何の音も発しなかった。
シュティレは、悲しそうな目でアダムを見つめる。
「そんな顔をしても駄目だ。俺の気の済むまでそのままだ。部屋に監禁したりはしないから、安心しろ」
シュティレは悲しげな顔のまま、それでもコクンと頷いた。
「よし。良い子だ」
アダムは軽くシュティレの頭を撫でる。
「おい!アダム!」
黙っていられず、ジャスパーがアダムに迫る。
「悪いのはおまえだろ!なんで罰なんか与えるんだ」
「うるさいな。俺が、俺の道具をどう扱おうと勝手だろ。口を挟むな」
「けど、この子たちは、おまえに逆らったんじゃない。心配だっただけだ」
「俺はちゃんと定期的に連絡していたし、来るなと指示も出していた。それを破ったのだから、罰は当然だ」
「けどな…」
「感情論で物を言うな。今回はたまたま無事だったが、せっかくシュティレを諦める気になっていたヒースの所に、シュティレが現れたんだぞ。一歩間違えれば、心変わりされるところだった」
「……ジノン卿のこと、殺さなかったのか?」
ジャスパーが驚くと、アダムは苦い顔をする。
「ああ……シュティレを見逃してもらうための良い条件があったから、そちらを取った……次襲ってくるなら、今度は殺す」
「そっか……」
(シュティレちゃんのためか…)
アダムが自覚していたのかどうかは、ジャスパーには測りかねたが、少なくとも、アダムが殺すことで自分の鬱憤を晴らすこと以上に、シュティレの存在が大きかったということが分かって、嬉しい気持ちになった。
「何をニヤニヤしているんだ。とりあえず、ヒースの口から俺やシュティレを追わないと言われたが、時間が経てばどうだか分からない。ヒースでなくても、戦争に魔法使いを使いたい連中は多いし、元々シュティレが欲しい連中もいる。隠れ住むのは当分止められない。だから、おまえらも、さっさと新居を見つけろ」
「はいはい。わかってますよ〜」
ジャスパーはおどけて言いながら、スッとアダムに寄っては、「絶対に離れないからって、あまりシュティレちゃんを虐めるなよ。シュティレちゃんは、おまえのこと、本当に大切に想ってるんだからな」と耳打ちした。
「……分かってる」
アダムが低い声で答えると、ジャスパーは満足そうに頷いて、「じゃ、遅いから寝るわ。あんまり使い魔を虐めてやるなよ〜」とミアを促して部屋に戻って行った。
リビングは一気に静まり返る。
「シュティレ。おまえも休め」
「……」
シュティレはまだ不安そうだ。きっと使い魔の二匹を心配しているのだろうと、アダムは察しがついた。
「心配しなくても、数日したら出してやるさ。いいから休め。俺も疲れたから、休ませてもらう」
それでもシュティレは迷う様に視線を彷徨わせたが、口が利けないので結局諦め、おやすみなさいと言うように頭を下げて、二階の自室に下がって行った。
「さて…と……ちょっとクロと話してくるか」
アダムは地下のクロの部屋へ向かった。クロが使い魔に下された時からのクロの部屋で、長らくクロの入る檻が置いてあるだけの部屋だった。しかし、クロを縛らなくなった祖母の代の頃から、クロの部屋は、家具などの調度品の置かれた普通の部屋になっている。地下の為光源は蝋燭のみで暗いが、それに目を瞑れば過ごしやすい。
ただ、今はそんな部屋の真ん中に黒い檻があり、その中に黒猫姿のクロが入っていた。檻の真ん中で、大人しく丸くなっている。
「クロ」
アダムが呼べば、クロは顔を上げて檻の端まで寄って来た。するとアダムは、檻の前に胡座をかいて座る。
「何でしょう?」
「家がシュティレを唆したそうだが、目的は何だと思う?」
クリスティアーネを殺してクロを奪った形のアダムは、正式にウェスペルの当主になってはいない。事実上アダムが当主だが、アダムもその気はないし、故に家もアダムを認めていないので、アダムはあまり家に干渉出来ていなかった。
「さぁ?……シュティレの魔力に惹かれているのじゃないでしょうか。シュティレは魔力が高いだけでなく、ご主人様の魔力由来ですから、質が良いですしね。案外、シュティレにウェスペルを継いでほしいと思っているのでは?」
「たかが家が、そんな思考をするものか?」
「そうでなきゃ、シュティレだけに話し掛けるなんて真似はしないでしょ」
「そうだな…」
「この際、主が誰だか、明確にされては如何です?」
「主…」
クロの言いたいことが分かって、アダムは顔を顰めた。
「ご主人様を苦しめたクリスティアーネ様も、ご両親ももう居ません。ウェスペルの家系はもう、ご主人様だけと言って良い状態ですから、誰にも指図されません。それに……魔法の祖から受け継いだ魔法を安易に失わせるのも、惜しい気もしますし……」
魔法の祖ウィス・フォンスは、魔物に苦しめられた人々を救うため魔法を編み出した。その意志を継いだ五人の弟子が、現在の魔法使いの旧家の五家だった。その五家は、魔物を牽制する為に力を使い、人知れず、人々の安寧を守ってきた。五家の存在が、魔物への抑止力だった。だからこそ五家は、存続して魔法を未来に繋ぐことを信条にしていた。
「俺は……当主を名乗れる人間じゃないよ」
「何故です?クリスティアーネ様を騙して、殺したからですか?」
「それもあるが……それより前に、俺は母さんを呪っていたから…」
「え?ヘレナを?」
初めて聞く話に、クロは耳をピンと立てた。
アダムは自嘲的に笑う。
「魔法学校に入るより前だったかな……母さんに、不妊の呪いを掛けたんだ。最後まで誰にもバレなかったが……いや。お祖母様は気づいていただろうが、わざと解かないでくれたのかもな」
「……」
クロには、アダムが呪いを掛けた理由が分かる気がして、それ故に、口を挟むことが出来なかった。
そんなクロの様子に、アダムの表情が和らいだ。
「今考えたら、実に子どもっぽい理由だ。……もし俺に弟妹が居たら、より俺の心は荒んでいたかもしれないから、その可能性を潰したかった」
ウェスペル家の当主となる期待を一身に背負っていたアダム。周りは誰もがそれを当然と思っていた。ヘレナはアダムを隠れ蓑にして、アスベルと一緒にいる資格を得た。確認したことはなかったが、もしアダムの下に子を設けたいと思っていて、それが実現した場合、その子とアダムの扱い方は違うのではないか、アダム以上に愛情を注ぐのではないかと、クロでも容易に想像がついた。
「……分かります」
クロは柔らかい声音で言うと、アダムは眉尻を下げて、困ったような嬉しいような表情を浮かべた。そうなると、普段のアダムより幼く見える。この表情こそ、アダムが普段隠している本心に近いのだろうと、クロは思っていた。
(ご主人様の心はいつも、傷ついた十代の頃で止まっているのかもしれない…)
そこから先に進めていないのだという気が、クロにはしている。本来なら、それは弱い心の表れで、そんな状態の人間が悪魔であるクロや数多の魔物の中でも上位の部類だったシロを使役など出来ない筈だが、それを可能にしていることが、アダムが逸材であることの証明のようだった。
「とにかく、そんなふうに身内を苦しめるような人間が、堂々と当主を名乗るわけにはいかないよ」
「……私が思ったより、随分と誠実な理由ですね…」
「そうかもな――俺はひょっとしたら、魔法が嫌いじゃないのかもしれない…」
いつもより自信無さげに語るアダムが珍しいと思う反面、愛おしくて、クロは柵の隙間から前足を出すと、精一杯アダムに伸ばした。後少しでアダムの膝に触れられそうだが、無理だった。
「…っふ…」
するとふとアダムが笑う気配がして、クロは再びアダムを見上げる。
「慰めるフリなんかしても、まだ出してやらないぞ」
(フリじゃないのに…)
本当にアダムは他者の真心を信用しない。そのくせ身内に優しいのだから、天邪鬼にも程があると思うクロだった。それで諦めて、前足を引っ込める。
「そんなつもりはありません。私はこうして閉じ込められるのには慣れていますし……ですが、シロはそうではないでしょう。風の化身ですからね。本来同じ所に留め置かれるのを何より嫌う魔物でしょう?早めに出してやらないと、憔悴しますよ」
「ああ。分かっている。ただ、今回の一件の主導者に先に釘を刺しておこうと思っただけさ。俺を裏切るつもりがないのなら、勝手をするな」
「ご主人様が私に相談も無しに命を掛けるような真似をしないと、お約束下さるなら、私は素直に従います」
これだけは譲れないというように、クロはじっとアダムを見つめる。アダムもその瞳を見つめ返して、しっかり頷いた。
「分かった。無茶をするのはこれで最後だ。これからは俺の行動について、必ず共有すると約束しよう」
「ありがとうございます。では早速。家のことは、どうなさるおつもりですか?私も睨みを利かせてみましたが、あまり効果があったようには見えませんでした」
「なら……シュティレに家の主になってもらおうか」
「え…」
アダムの予想外の発言に、クロは思考が停止した。
「家がシュティレを気に入っているというなら、それを逆手に取ってシュティレが家を従えればいい。この家の魔力は長年のウェスペル家の魔力の影響で強いから、残念ながら良い隠れ家だ。周辺諸国が戦争中だから、あまり無闇に旅に出たくないし、新天地の目星がつくまでは家の世話になったほうがいい」
「えっと……いや……でも……」
アダムが主人として立つのではないのか?ウェスペル家を継ぐも継がないも自由だし、継がないから家を支配下に置けないという訳でもない。
(何だか、まるで……)
親が子に遺産を遺すような……まるでこれから先の未来をシュティレに託すような言い方に、クロは違和感が拭えない。
「それから、この家を出るまでにシュティレにもう少し魔法を教えておくとするか…」
「ちょ、ちょっと待ってください!ご主人様」
「なんだ?」
「ご主人様はこれまで、ご自分が何にも縛られずに自由に生きる手段として、私たちを従え、貴族や魔法学校の教師を手に掛けていましたよね?」
「そうだが?」
「では、道具である筈のシュティレを強化するのは何故です?」
「あいつにも……選択権があったほうが良いと思っただけだ。俺が原因で生まれたウィス・フォンスだし、俺のものでいてくれると言うのだから、出来ることは増やしてやりたい。万が一、俺の力が及ばずに、シュティレを守りきれないことがあったとしても、シュティレが自衛出来るようにしておきたい」
「……ご主人様、まさか死のうと思ったりしていませんよね?」
クロの問いに、アダムは目を見開いて固まっては、やがて吹き出して笑った。
「おまえが居るのに、どうやって死ぬんだよ。おかしなことを言うやつだな」
「ですか……まるで、シュティレに色んなものを譲るような言い方をなさるから…」
「はぁ?…自分の道具を磨けば、より俺は安全だろ?それだけだ。これからも俺が自由に生きる為に、必要な手を打っているだけさ」
「それなら……良いですけど…」
「何だよ。せっかく復讐を止めたのに、簡単に死んだらつまらないだろ?何を心配しているんだ?」
「……やりたいことが、無くなって困っていらしたのかと…」
「ああ、なるほどな……確かに、何をしようか迷ってはいるが……シュティレを使って、戦争どころじゃなくなるほど周囲を破壊してやろうか、全員の魔力を奪って、魔法使いをこの世から消してやろうか……いずれもシュティレは嫌がるかもしれないが……まあ、時間はたっぷりあるし、のんびり考えればいいさ。今は少し……休みたい」
「そうですか」
"休みたい"と話すアダムが、なんだか憑き物が落ちたように穏やかだったのが、クロにはとても印象的だった。
(もしかしたら、ご主人様は…)
やっと自分の弱さと罪を認め、それでも生きる道を探し始めたのかもしれないと、クロは感じた。いつものように、わざと悪人めいた思想を語りながら本音を隠しているが、ただ、自分の大事な物だけを抱えて生きていくことにしたのだろうという気がする。
(その様子だと、シュティレのことは受け入れたのですね…)
本当は自分もその中に入れて欲しいのだが、人間と悪魔という別種であることが、まだ障害になっているのだと思うし、それは仕方のないことだ。
(もどかしいけれど、もう少し我慢ね)
子どもの頃に犯した罪を明かしてくれただけでも、充分過ぎるのだと、クロは思うことにした。
その後、アダムは一階に戻り、階段の向かいの廊下の突き当たりにある部屋に向かった。こちらには現在二部屋あり、廊下左手にジャスパーとミアの部屋、突き当たりにシロの部屋があった。
クロの助言通り、シロの様子を見に来たのだ。
シロの部屋に入れば、こちらも檻の中で体を丸めていた。シロもすぐにアダムに気づいて顔を上げた。「ご主人様ぁ!」と柵に突進して来て、前足で柵を握る。クロの言った通り、まだ短時間にも関わらず、シロは物凄くくたびれた様子だった。
「なんだよ。まだ数分だろ?」
「うぅ〜……酷いです〜ご主人様ぁ〜!ボクが狭い所が苦手なの、知ってるくせに〜!」
「分かったから、泣くな。そもそも、おまえがクロに便乗して言いつけを破ったからだろ」
「だって……シュティレが行っちゃったから、余計に心配で……」
「まあ、その点は責められないが」
「そういえば、シュティレは、どうしたんですか?」
「一時的に話せないようにしてやった」
「えぇ!?かわいそうですよ〜。明日には解いてあげて下さい」
「それは、シュティレ次第だな」
「そんなぁ〜」
「シュティレも大事だが、おまえは俺の使い魔だろ。何よりも俺の言葉を優先しろと、初めの頃に言っただろ?忘れたか?」
「忘れてないです。忘れてないですけど……ご主人様の魔力が不安定なのは、黙っていられないです……」
「悪かったよ。今後は気をつけるから」
アダムが謝れば、シロは目を丸くした。
「……ご主人様が……謝った……」
「そうだ。謝った。だから、おまえも反省しろ」
そう言ってアダムは、檻に背を向けて部屋のドアノブに手を掛ける。
「ま、待ってください!ボク、もう、反省してますから、出してくださいよ〜!」
「フフフ……まだ、駄目だ」
「えぇ〜!」
嘆くシロを背後に、アダムは笑って部屋を出た。
「……とはいえ、料理担当不在は苦しいな……いや、シュティレにやらせればいいか」
アダムの懸念通り、背後に危機が迫ってはいるものの、今のアダムはたた、久々の使い魔達の触れ合いを楽しんでいるのだった。
お読み頂き、ありがとうございました。
ようやく使い魔達とアダムが一緒にいる様子が書けましたが、アダムは相変わらずで、一筋縄では行かない様子です。
ヒースのことは振り切れそうなのに、クラウスが何か言ってましたし……。
先の展開は作者も読み切れていないので、なんとも言えませんが、今後もお付き合い頂けたら、嬉しいです。




