38.復讐の行方
「本当に、大丈夫?」
水晶を見てからというもの、シュティレは落ち着かない。更にタイミングがいいのか悪いのか、アダムの魔力に"揺らぎ"があった。魔力は体が不調だったり、怪我をしていたりすれば揺らぐ。揺らぐ前に、アダムからクロへ念話があり、"クラウスが何かしてくるらしいが、黙っていてくれ"と言われてあった。
(黙っていてくれって言われてもね…)
「大丈夫よ。ご主人様がそう言ってたもの」
そうシュティレに返しながら、正直クロも、そしてシロも少なからず動揺している。シュティレが水晶で見たように、死んでしまう可能性は低いが、魔力が揺らぐ以上、何かあったのは明白だ。心配するなというのは無理な話だった。
まだアダムの魔力は不安定だ。最初に揺らいでから三十分は経っている。まだ念話も届かない。
「アダムも、もう少し説明してくれても良くない?」
ジャスパーが腕を組んで言うと、「それ、もっとご主人様に言ってあげてください!」とシロが便乗した。
「それに、アダムにしては珍しくない?これってつまり、自分を囮に使ってるってことよね?アダムは、ジノン卿に捕まりたくなくて隠れてたんじゃないの?」
「そのはずなんですけど…」
ミアの問いに、クロは言い淀む。
始め、ジノン卿の狙いはアダムの研究だった。研究資料だけでも回収して、研究を完成させるつもりだったようだ。しかし、研究資料は魔法学校の教師マレクの元に保管されていたものの、封印が解かれた様子がなかった。つまり、誰も研究資料を見ていないのだ。
(それは、封印を解けなかったと言うより、解くより手っ取り早いものを見つけたということなのかも…)
どうにかして、シュティレの存在がジノン卿の耳に入り、所有者がアダムだと知れた。それは遅かれ早かれ分かる事ではあったから、ミアの言う通り、 今までのように隠れていれば良いだけなのだ。
ではなぜ、わざわざ決着をつけに行ったのか……。
「しつこいからじゃない?ダキア国のマリアさんの家にクラウスを寄越したりしたし、ジャスパーさんやミアさんも巻き込んだでしょ?逃げても無駄だって言われてるみたいだよね」と、シロが珍しく口を挟む。
「そうね」
頷きながら、クロは内心で別の答えを持っていた。
(シュティレのことだから…よね)
思えばアダムの中でのシュティレの立ち位置は、最初から特別だった。境遇が似ているというところから、そうなることは分かっていたが、何よりシュティレは、アダムより心が強かった。絶望しながらも、希望を求めることを諦めなかった。それはアダムがシュティレに与えたものの影響も大きいのだが、アダムはまだそれを認めきれてはいない。
しかし、シュティレがアダムに真摯に向き合い続けるおかげで、ようやくアダムの心の壁に風穴が空きつつあるのだ。アダムの中でシュティレの存在が、大きくなっている。だからこそ、シュティレの邪魔をする者を放って置けない。
少し前まで、自分を守ることに必死だったアダムが、今はシュティレの未来の為に動いているのだと、クロは分析していた。しかしそれを今、口にすることは出来ない。言ってしまえば、シュティレはますます自分を責める。そうなれば、魔力が暴走するかもしれない……。
(さて……どうしましょうか…)
家までもが、シュティレを焚き付けるのだから、油断は出来ない。シュティレは、もう以前のように魔力の使い方を知らないわけじゃない。その気になればどんな魔法も使える。
「まあ、本当に危なかったら、またボクが飛んで行きますよ♪」
クロが悩んでいると、シロが楽観的に言って、場の空間が少し和む。
気にしていても仕方がない、いつでも動けるようにしていようと話し合って、この話題は終了した。
こういうときのシロは、緩衝材として役に立っている。"根拠は分からないが、何とかなりそう"と思えてしまう安心感を生む力が、シロにはあった。意図的か無意識かは分からないが……と、クロが思っていたら、シロが一瞬クロを見た。
(これでいい?)
そうしてクロの頭に、シロの心の声が流れ込んできた。
(たまにはシロも気を回せるのね…)
驚いた反面、感心して、クロはシロに笑顔を向ける。するとシロは嬉しそうに尻尾を振った。
しかし――
――水晶の通りになってしまうわよ……。
「ッ!?」
その頃シュティレには、家の声が聞こえていた。
――アダムを倒したければ、魔法はいらないもの。
(やめて!私には、どうにも出来ない…)
――そう?あなたの魔力は、誰にも負けないのに?
(……)
確かにそうだ。と、シュティレは一瞬考える。
アダムに貰った杖のおかげで、魔法のコントロールは出来るようになった。今ならきっと、ワープだって使える。
(でも……)
アダムが考えていることが分からない中で動いていいとは思えない。クロやシロの言うように待っていればいい。クロがいる限り、アダムは死にはしないのだから……。
――あなたのせいで起きている騒動なのに、隠れていて、本当にいいの?
「!」
家は、クロやシロが飲み込んだ言葉を容赦なくシュティレに浴びせかける。
――あなたさえいなければ、アダムはこんな無茶はしなかった。
(分かってる。だけど…)
――アダムだって万能じゃない。だから、隠れていたのに、あなたのせいで死んでもいいの?
(ご主人様は死なない!クロがいる限りは)
――使役魔法を解かれたらどうするの?
(……え?)
――魔法を打ち消す魔法だって、存在するのよ?
(……たとえそうでも、大丈夫。ご主人様だって、クロだって、色々考えてるはずだもの)
そもそも、家の言葉を聞くなとクロは言った。アダムが危ないと言うなら、どうしてクロやシロにそれを言わないのか?きっと家にとってアダムは、そこまで重要ではないのだ。
シュティレは必死にそう思って、家の言葉を聞くまいとした。それで諦めたのか、家はそれから何も言わなくなった。
「シュティレ。大丈夫?顔色悪いよ?」
その時、シロが優しくシュティレの肩を抱く。
そのフワフワした前足の感触に、シュティレは少し癒やされた。
「……ごめんね。大丈夫だから…」
「大丈夫じゃないでしょ?……また、家が何か言ってるの?」
「――うん」
「ここ、当主以外には結構ドライなのかな?」
ジャスパーが周りを見ながら言う。
「そうですね。機嫌を損ねると、追い出されます。今は私が居るので、してこないと思いますけど」
「クロは凄いねぇ~」
「伊達にウェスペルの使い魔やってませんからね。――シュティレ」
「はい?」
「夕食も終えたし、部屋で休むといいわ。……シロ。添い寝してあげて」
「いいよ!」
「いや、私は…うわっ!?」
大丈夫と言おうとしたシュティレを、シロは抱き上げる。
「シュティレ、青い顔してる。家のことはクロに任せて。また具合が悪くなっちゃう前に、ちゃんと休まなきゃ……だよね?クロ?」
「ええ。そろそろ黙らせるわ」
クロは厳しい表情で天井を睨む。
「僕らにも出来ることがあったら言って。協力するよ。ねえ?ミア」
「もちろん」
意気込むジャスパーとミアに、クロは優しい笑みを浮かべる。
「ありがとう」
シロはそのままシュティレを部屋へ運ぶ。
「ごめ…」
「ごめんじゃないよ」
シロに強い調子で言われて、シュティレは驚いて言葉を飲み込んだ。
「不安なのは当たり前だよ。ボクらの大事なご主人様のことだもの。でも、ご主人様は強いから、大丈夫」
「……本当に?」
まだ揺れるシュティレの瞳を見つめながら、シロはしばし悩む。いくら自分やクロが慰めようが、シュティレはアダムの姿を見ないことには安心出来ないだろうというのは分かっている。
家の目的は分からない。だが、アダムやシュティレの邪魔をするなら、刻むしかない――。しかしそれにしても、アダムの許可が要る。
(ご主人様はこういう時、どうしていたっけ…)
シュティレが元気のない時、アダムがどうしていたかを考える。
「本当だよ。ご主人様はお友達を作るのが上手だからね。今頃、ヒースの屋敷の妖精と協力してるかもよ」
「妖…精?」
「うん♪あの屋敷、花の妖精が何匹か居たからね。ご主人様は庭師のフリをしていたし、きっと上手く使ってるよ。だから、ボクらを呼ばないんだと思う」
「そう…」
「だから、心配しないでおやすみ」
言いながらシロは、シュティレの頭を撫でる。
「〜♪」
そうして、子守唄を口ずさんだ。
シロは音楽が好きだ。
アダムと出会った頃、どうしても殺気の消えないシロを今のように穏やかに変えたのは、アダムのピアノの演奏だったくらいだ。
だから、アダムはシロに歌う魔法をたくさん教えた。
そんなシロの子守唄は、シュティレの耳に心地良く響いて、すぐに眠りに誘った。
「最近、寝不足気味だったもんね…」
眠った後も、シロはシュティレの頭をしばらく撫で続けた。隈の浮いた寝顔を見ながら、シロは胸が苦しくなる。
邪魔者は全て刻んでしまえばいいと、シロは思っていたが、それだけでは敵が増えるばかりだと教わってから、いつ刻むのか判断出来なくなった。
(人間は難しいね…)
それでも、もっと知りたいと、傍に居させて欲しいと願うほど、魅力的な存在だ。
「ご主人様がいない分、ボクが守ってあげるからね…」
何か夢を見たのか、シュティレの目から涙が零れる。その涙を、シロは舌で舐め取った。
それから一時間後。
「………」
シュティレは、体を起こした。傍らには、シロが眠っている。シロを起こさないようにゆっくりとベッドから出て、外套を羽織った。
(ごめんね。シロ…)
心の中で詫びると、シュティレは部屋を出る。他の者にも見つからないよう、ゆっくりと玄関に向かい、外へ出た。
「……すぅ……」
深く息を吸っては吐いて、集中する。
(ジノン卿の屋敷は……)
一度地図で見た情景を思い出す。道順さえ分かっていれば、仮に手前の町に着いてしまっても迷わずに済む。
シュティレは、アダムの所へワープするつもりだった。
無茶をしているのは分かっている。ただ、胸騒ぎが治まらないのだ。アダムの魔力はまだ不安定だ。
使役魔法を解く魔法がある――家のその言葉が、ずっと引っ掛かっていた。
ヒースの所には、ガスパールという魔法使いも居るし、なんならヒースも魔法が使える。クラウスだって裏切るかもしれない。そんな所では、明らかにアダムのほうが劣勢だ。だからこそ、自分が行くことで意表を突くことが出来るのではと思った。
(今の私なら、一緒に戦える)
もう一度深呼吸して、ネックレスに触れる。すると、その中に圧縮して隠してあったシュティレの杖が姿を現した。
「シュティレ?」
「っ!?」
その時、背後から声がして驚いて振り返った。
「ご、ご主人様?!」
シュティレの背後には、アダムが立っていた。
「……夢…じゃ、ないですよね?」
信じられなくてシュティレが呆けていると、アダムは顔を顰めた。
「そんな訳ないだろ。なんなら、触ってみるか?」
アダムはシュティレに手を差し伸べる。シュティレが恐る恐るその手を取ると、アダムはぐっと腕を引いてシュティレを抱き寄せる。
「おまえ、どこに行こうとしていた?」
「……ご主人様の、所へ…」
「俺は呼んでないぞ」
「ごめんなさい…」
シュティレが謝れば、アダムは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「おまえ、謝ればいいと思っているだろ?」
「い、いいえ!」
「ったく……とにかく、家に戻るぞ」
「はい…」
手を引かれるままついて行きかけて、シュティレはふと違和感を覚えた。
何か……何かが可怪しい……何が……と集中してみて気がついた。
「…あっ!」
思わず声が洩れると、アダムも足を止めて振り返った。どうした?と首を傾げる。
(……間違いない。この感じは……)
アダムから感じる魔力の気配が、良く知る別の魔力にひどく似ていた。
(いつも一緒に居たから、ちゃんと見たことはなかったけど、今なら分かる。これは……クロだ)
アダムから発する魔力の気配は、抑えられてはいるが、クロのものだった。
シュティレが気づいたのが分かったのか、アダムは悲しげに顔を歪めてごめんと謝った。それと同時に溶けるように姿がぼやけて、いつもの少女の姿へと変わった。
「……やっぱり、シュティレには分かっちゃうのね」
「ごめん…」
クロがどうしてアダムに変身したりしたのか、その理由がよく分かって、シュティレは居た堪れなくなる。しかし、それでも……。
「行くの?」
クロがこれまでシュティレが見たこともないほど、小さく弱く呟いた。
「うん。みんなが、私を守ってくれたから、だから、今度は私の番だよ」
「ご主人様なら、きっと自分で決着をつけられると思う。それでも、行くの?」
「うん。私がちゃんと話してジノン卿を拒絶すれば、ご主人様だけを悪者にしなくて済むもの」
捕まえさえすれば、誰の言う事でも聞いていた弱い道具はもう居ないと、宣言することが出来れば、状況は変わる気がした。しかしそれは、今度はシュティレ自身が、矢面に立つことと同義だ。大多数の命が掛かった戦争に加担しないと宣言することは、人類の敵と見なされる行為でもある。自分達の道具にならないなら殺そうという動きが加速するかもしれない……。
(それでもいい…)
シュティレにとって救世主だったアダムの影に隠れて、一人被害者であるかのように思われるくらいなら、アダムと同様に、悪人だと罵られたほうがましだった。
アダムが今、シュティレの為に動いていると言うのなら、シュティレはアダムの為に動きたい……まだ自信はないけれど、その気になれば出来る力があると、シュティレは自分を奮い立たせた。
「……あなたは本当に、ご主人様だけを見てくれるのね…」
クロはどこか諦めるように、または嬉しそうに言った。
「ここで行かせたら、ご主人様から大目玉でしょうけど……いいわ。何か困ったら、呼びなさい。あなたの声は、いつだって聞き漏らさないから」
「ありがとう」
シュティレが微笑むと、クロはシュティレの手を握った。
「ご主人様は、まだ一向に認めては下さらないけど……私も、シロも、何があっても絶対にご主人様とシュティレの味方だから……信じて」
「うん。信じてる」
シュティレが力強く頷くと、クロは名残惜しそうにしながらも、シュティレから手を離した。
それを合図に、シュティレはクロの前から姿を消した。
「――追わなくていいの?」
ふと、クロの背後から声がした。クロが振り返ると、そこには不安そうなシロが立っていた。
「今追っても、シュティレの気持ちは変わらない。あの子も、成長してるのよ。あの子なりに、大切なものを守ろうとしている…」
「ボクだって、ご主人様とシュティレを守りたいのに…」
「そうね……だから、私たちもいつでも行けるように、準備しないとね。……こっそり行くわよ」
クロが言うと、シロの瞳が輝いた。
「うん!」
(これは、後で全員、お仕置きだわ……)
内心溜め息をつきながらも、お仕置き程度で済むなら、易いものだと、クロは思った。
――遡ること一時間前。ヒースの屋敷のヒースの部屋にて。
アダムは、椅子に体を縛り付けられた状態で、ヒースとガスパールに対峙していた。クラウスも、アダムの逃げ場を塞ぐように戸口に控えている。
「まさかこんなに近くに居たとはね……ウィットマン夫妻を攫ったのも、君かね?」
「ええ。その事に関しては、そこのクラウスも一枚噛んでますよ」
麻痺の効果が薄れて、アダムはだいぶ普通に会話が出来るようになっていた。それでもまだ、手足の感覚が鈍い。
アダムがちらりとクラウスに目を向けると、ヒースとガスパールもクラウスに目を向けた。クラウスは肩を竦める。
「だが、そのクラウスに、君は捕らわれたわけだね」
ガスパールが面白そうに言って、アダムは苦笑いをする。
「そうですね。……ところでその腕、大丈夫ですか?」
ガスパールは右腕に包帯を巻いて、三角巾で吊っている状態だった。
その自分の腕に一瞬目を向けて、ガスパールは片眉を上げる。気分を害されたようだが、アダムの挑発には乗って来ない。それをアダムは残念そうに見つめた。
「ところで、話を戻すが、君はここで何をしているのかな?かれこれ二ヶ月は居た事になるが…」とヒースは言う。
「あなたに話があったのですが、普通に会いに来ては、あなたの私兵か憲兵に取り押さえられそうだったので、機会を見ていたんですよ」
「君は犯罪者の疑いがあるからね。確かにそうだったかもしれない。……だが、君を犯罪者として捕らえるより前に、話さなければならないことは私にもあった。良い機会だったよ」
「では、今は憲兵に引き渡さずに、対話して下さると?」
「ああ。しかし、君の返答次第では、すぐに憲兵に引き渡すかもしれないが」
そう言うヒースの瞳は鋭い。けれどアダムはそれに怯むことなく、その瞳を見つめ返した。
「単刀直入に言おう。君はウィス・フォンスを連れているね?」
「ええ。それが?」
「その力を、リィン国の為に役立てる気はないかね?もし、力を貸してくれるなら、君の罪を不問にしよう。ウィス・フォンスが心配なら、君共々、この屋敷で匿ってあげよう」
「ヒース様、それは…」
ガスパールが口を挟むが、ヒースがガスパールを睨むと、口を噤んだ。
「おや。そんな大きな約束をして大丈夫なのですか?」
「ああ。国の為なら致し方ない。最初は煙たがられるだろうが、君は優秀な魔法使いだし、すぐに実力は知れる。そうなれば、文句を言う者も居まい」
「どうでしょう?確かに、実力は申し分ない自信はありますが、俺も彼女も、国の為に死ぬつもりはありませんよ」
「ほう……あくまで自由で居たいと?」
「ええ。そもそも俺は、魔法を戦争に使うこと自体反対です。魔法は確かに人々の暮らしを豊かにする手段ではありますが、それで殺し合うのは、魔法の趣旨に反します。そのことにより生まれる歪みのほうが、恐ろしいです」
「君たち古の魔法使いは、いつもそういう言い方をするが、ならばなぜ、攻撃に転じる魔法が存在するんだね?使う必要があったからではないのかね?」
ヒースの問いに、アダムは小さく頷いた。
「確かにそうです。攻撃の魔法は、人を襲う魔物に対抗する手段として、編み出されたものです。しかし、それを乱用していては、大地が疲弊します。そうなると、人がまともに暮らせなくなるほどの災害が起きるでしょう。ましてやウィス・フォンスとなれば、戦争にすらなりません。一人で辺り一帯を滅ぼすことも可能だ。……そんな力を、本当にお求めで?」
「逆に問おう。ウィス・フォンスほどの逸材を、使わずしてどうする?才能は活かすべきではないかね?」
「それは本人次第でしょう。彼女は、使いたくないと言っています」
「――それは、おまえが言わせたんだろう?」
ふと、クラウスが口を挟む。
「ヒース様。ウェスペル家もディオン家と同じく魔法使いの旧家ですが、ウェスペル家が影で何と呼ばれていたのか、ご存知ですか?」
「ああ。確か、嘘つきや詐欺師のような呼ばれ方をしていたな」ヒースがそう答えると、クラウスは嬉しそうに頷いた。
「そうです。こいつの家系は、人を操るのが得意です。きっとウィス・フォンスも、上手く洗脳されたのでしょう。こいつとの対話は無意味です。長く話せば話すほど、こいつの思う壺です」
「ふむ……」
ヒースはそう唸ったきり、しばし黙り込む。
「……そういえば」
沈黙を破ったのは、アダムだった。
「リディアお嬢様のご病気のことですが…」
「ん?リディア?」
ヒースは思いもよらない名前を聞いて、頭の処理が追いつかずに、しばし固まった。
「あれはただの病気ではありませんね。ガスパールさんもクラウスも気づかないのが不思議だったのですが、あれは誰かが掛けた呪いです」
「呪い?」
驚くヒースの後ろで、ガスパールが僅かに顔を曇らせる。アダムはそれを見逃さなかった。眉を下げて悲しげな表情をすると、「ええ。呪いです。常に生気を吸われている……だから抵抗力が弱って、すぐに感染症に罹るのです」と説明した。
「――ガスパール。知っていたのか?」
話題の効果は抜群で、ヒースの注目は即座にガスパールへと移った。
「いいえ……呪いとは思っておりませんでした」
「つまり、気づかなかったと?」
「はい…」
「では、ウェスペル君はなぜ気づいた?」
「呪いには、独特の気配があるのです。空気の歪み……と言いますか、どこか不自然な感覚です。俺もまだ半信半疑なので、確認が必要なのですが……クラウスに頼んで、調べるための小道具をリディアお嬢様の寝室に仕込ませています。それを、取りに行かせてもらっても?」
「なら、クラウスに取ってこさせよう。……行けるな?」
「はい!」
クラウスは慌てた様子で部屋を出ていき、ややあって、一輪の花を持ってきた。
「これは……妖精花か?」
ガスパールが驚いた声を出し、「これが…」とヒースも興味を持った。
「魔力が宿る花だと聞いているが……」
「そうです。これでリディアお嬢様に注がれた呪い……つまり魔力をこれに移すことが出来れば楽だったのですが……クラウス。リディアお嬢様の様子はどうだった?」
「う〜ん……眠られていたからな……顔色は悪く無さそうだったが……」
「魔力の気配は?」
「まだ、していた」
リディアは元々魔力を持たない。そのリディアから魔力を感じたということは、何某かの魔法を掛けられているということだ。
「ガスパールさん。何の呪いか、分かりますか?」
アダムに言われて、ガスパールは妖精花を注意深く観察した。
「……遅効性の、死の呪い……かと思うが、これは……」
定期的に掛け直されている――そう言おうとして、ガスパールは言葉を飲み込んだ。それが可能な人物は誰なのかと考えてみる。
「どうしたんだ?」とヒースがガスパールの顔を覗き込む。
「今なお、定期的に呪いを掛け直されているので、効力が上がっているようです。呪い自体は気づかれないほど弱いのに、定期的に掛け直すことによってより強い呪いに変化したのでしょう。……俺なら呪いを術者に返せますが、やりましょうか?その代わり、俺とウィス・フォンスを自由にするという条件をつけさせて頂きますが」
「ふむ……」
ヒースは厳しい表情で自分の顎に指を充てる。
(娘の命か、ウィス・フォンスかを選べということか…)
そうやって交渉材料を見つける為に正体を隠して潜入していたのだと思い至って、ヒースはアダム・ウェスペルという男を評価し直していた。
(逃げてばかりの臆病者かと思いきや、勝負を持ち掛けてくるとは……余程ウィス・フォンスを取られたくなかったのだな)
そこまでされると、俄然ウィス・フォンスの少女に興味が湧いたが、ウィス・フォンスの扱い次第でアダムの地雷を踏みかねないことを念頭に置くと、安易な答えを出すわけにはいかない。
「呪いの性質さえ分かれば、呪い返しは誰にでも出来る。私は専門外だが、ガスパールなら出来るだろう。ウェスペル君の力を借りるまでもない」
「……本当にそうでしょうか?今まで何年にも渡って呪われていたのに、誰も呪いの存在に気づかなかった……この呪いは、見かけより厄介かもしれませんよ?」
「そんなもの、やってみなければ分からない。ガスパール。解いてみよ」
たかだか二ヶ月居ただけで呪いを理解した風の物言いが気に食わなくて、ヒースはガスパールに命令する。ただ、ガスパールの反応は鈍かった。
「……はい」
「どうした?まさか、出来ないと言うつもりか?」
「…い、いえ…」
「なら、迷うことはないな」
それから、皆でリディアの部屋へ向かった。
アダムは腕を後ろ手に縛られたまま、クラウスに連行される。
「旦那様。何かあったのですか?こんな、大所帯で……え?あなた…は?」
普段リディアの世話を中心にしている中年のメイドのカイエは、縛られているアダムを見て驚いた。
見慣れない顔だったのもあるが、服装に見覚えがあったからだ。
「少し事情があってな。……ひょっとしたら、リディアの病気が治るかもしれんのだ」
「えぇ?!」
それきりカイエに説明なく、ヒース達はリディアの部屋に入った。
リディアは穏やかな寝息を立てていたが、その陶器のような肌は青白く、健康的とは言い難い。触れたら壊れてしまいそうな危うさを醸し出していた。
「呪いを解くには、掛けられた呪文を正確に理解して、その言葉を打ち消す言葉を呪文とするか、条件がある場合がありますが、この場合は死の呪いなので、解術の条件は無いと見て良いでしょう。呪いを退ける類の呪文は、退魔の呪文と同義とされることが多いです。今回は、その呪文を使ってみましょう」
ガスパールは言いながら、リディアの枕元に立つと、杖を構えようとして、先程折れていたことを思い出した。
「やはり杖がないと難しいか?」
ヒースが心配そうにガスパールを覗き込む。
「…いえ。魔法が使えないということは無いのですが、あまり強い魔法が使えないというだけです。問題ありません」
ガスパールはそう言って、小さな声でブツブツと呪文を唱え始めた。するとリディアの全身が白く輝き始める。
「……手並み拝見だな」
アダムが呟く。クラウスが片眉を上げてアダムを見た。その数秒後、リディアの体から黒い靄が立ち昇る。その靄が、ガスパールに纏わりついた。
「…ッう…!…く!」
ガスパールは額から大量の汗を流しながら、黒い靄から逃れようと身を捩るが、靄はガスパールに絡みついて離れない。
「これは、大丈夫なのか?」
流石のヒースも不安そうにアダムを振り返った。
「呪いに干渉すると、干渉した者に呪いの一部が移る仕掛けになっていたようですね。ガスパールさんもそれが分かっていたので、呪いを解くことを躊躇ったのでしょう」
アダムは事も無げに言ったが、その間もガスパールは苦悶の表情を浮かべている。ついには床に倒れ込んだ。
「呪いの一部が移る?では、リディアの呪いは?」
「まだ完全には解けていません。このままガスパールさんが自分に取り憑いた呪いを弾くことが出来なければ、リディアお嬢様だけでなく、ガスパールさんもお嬢様の二の舞です」
「何だと!?」
ヒースは怒りを露わにしたが、アダムはそれを煙たそうに見た。
「なんです?俺は何もしていませんよ。ガスパールさんが自分の力量を測りかねただけでしょう……あるいは、あなたが強要したせいで、呪いを受ける羽目になった。それだけです。人の話を聞かずに能力を過信するから、こんな事になるんですよ。あなたも魔法使いなら、これくらいの知識は持っているべきでしたね」
ヒースは冷笑を浮かべるアダムを睨見つけ、クラウスに視線を移す。
「!?……わ、私には、無理です!こんな厄介な呪いは解けませんっ!」
まだ何も言われてはいないのに、クラウスは甲高く叫ぶように捲し立てては、部屋を飛び出して行った。
「……」
ヒースの瞳が再びアダムに向いた。
いつの間にかガスパールは意識を失っており、室内はしんと静まり返っている。
「なんです?俺を頼りたいのですか?」
「……君に選択権は無いはずだ。ここで呪いを解かないと言うなら、すぐに憲兵に引き渡す」
「おや?俺の研究や、ウィス・フォンスはもう必要ないのですか?」
「君が捕まれば、芋蔓式に居場所は知れるだろう」
「…俺が捕まるようなことがあれば、ウィス・フォンスは、あなたの言うことに耳は貸さないと思いますよ。少々感情的で頑固なんですよ。うちの道具は」
「調教済みというわけか…」
「そんなところです。……それより、呪いのほうはいいんですか?今やリディアお嬢様だけでなく、ガスパールさんまで餌食になっていますよ。ガスパールさんは怪我もしていましたから、呪いの回りが速くなるかもしれませんね」
「……」
「そんなに、俺に借りを作るのが嫌ですか?」
訊きながら、アダムは予想通りの展開だと安心もしていた。
(そう。この男は、自分の地位を上げることにしか興味はない。国がどうだと言っているが、そんなのはきっと関係ない。自分が有益な情報を独占し、好きなように周りを操りたいだけだ)
その証拠に、娘や親友と呼んだ男が瀕死になっていようが、プライドを捨てられない――
「――分かった」
「…ん?」
ふと、ヒースが弱々しい声で言っては、床に膝をついた。
「……私が悪かった。娘とガスパールを助けてくれるなら、もう君を追ったりしない。どうか、力を貸してくれ」
「……は?」
(ヒースが……折れた?)
自分は夢でも見ているのかと、アダムは信じられずに、頭を下げるヒースをまじまじと見つめた。
「……俺やミアには無理やり研究をさせて、ミアを瀕死にしたくせに、娘と友は助けてくれ…?……笑えない冗談は止めて下さい」
「……一度は、魔法という力を利用すれば、私も伯爵に縁があるだけの辺境の貴族から、一時代を築く人間になれる気がしていた……だが、その結果が末娘を呪い殺され、友も…ということなら……私は、辺境伯で構わない。……私にとって必要なものは何なのか、今、はっきりと分かった…」
「――ふ……な……」
「ん?」
「ふざけるなっ!!」
アダムが叫ぶと、ジュワッ!と音がして、アダムを拘束していたロープが焼き切れた。アダムの体の周りを、炎が渦巻く。
――身内が、野望より大事だと、気づいた?
(何だそれは?そんな当たり前のことを言うようなやつだったのか?ヒースは……)
内面の烈しい感情が、アダムの魔力を借りて炎として顕現したが、それがどんな感情なのだか、アダム本人にも理解しきれなかった。
人間にとって当たり前の感覚を今更見せられたことへの怒りか、それともヒースが完全なる悪人ではなかったことへの絶望か――とにかく、今すぐこの場の全てを消し炭にしたい衝動に駆られた。
「私が憎いか?なら、私は焼いても構わない……だがもし本当に、リディアが呪いのせいで患っていると言うなら、どうか、呪いだけは解いてやってくれないか?リディアは病に倒れた五歳の頃から、一度も屋敷の外に出たことがないのだ。娘をそんなふうにしたのが、娘を王子の側室にと推した私だと言うなら、それは正当な罰だ」
纏う炎は激しさを増して、室温が急上昇していたが、
「――クソッ」
無抵抗なヒースを見て、アダムは炎を鎮めた。
――分かっていた。
二ヶ月この屋敷で過ごしてみて、ヒースが家人から慕われているのが理解出来た。きっと世の中には必要な人材なのだろう。ただ、アダムにとってはそうでなかっただけ……。
以前、ミアに復讐を持ち掛けて断られたことがあったが、使い魔を殺され、自身も長いこと意識を失う程のダメージを受けたにも関わらず、復讐をしないと言い切ったミアのことが、当時は理解出来なかったが、今は何となく理解出来る。
復讐は何も生まない……。されたことの仕返しに殺しても、何も得られはしないのだ。
(……やっぱり、俺は……)
もっと、何も見えないほど人を憎めたら良かったのに、自分はどうやら、そういう人間ではないらしいと、アダムは思った。
悪ぶって見せただけで、非情にはなりきれない。無抵抗な相手を、殺す事が出来ない。
覚悟が足りない……しかし、確かに憎み続けるのも、もう、飽きた。
(もう……いいか)
「……呪いを解いたら、俺とウィス・フォンスを追うのを止めるんだな?」
「ああ!約束する!」
アダムを見つめるヒースの瞳は、真剣そのものだった。その言葉は嘘ではないと、信じることが出来た。
「……分かった…」
アダムはリディアのベッドに近づいて、そっとリディアの額に右手を翳す。すると、先程も現れた黒い靄が、アダムの体に移って来た。
「…ウッ!」
アダムは一瞬苦しげに胸を押さえたが、脂汗を流しながら、そのままゆっくりとガスパールの傍に膝をついて、リディアの時と同じく手を翳した。するとガスパールからも黒い靄が抜き取られ、アダムの体に移る。
「ガハッ!」
アダムは床に手をついて苦しげに息を吐いた。
全身を同時に刃物で刺されているような、あるいは殴られているような……形容し難い痛みがアダムを襲う。
こんな呪いを受けながら生きているリディアが、不思議な程だ。それとも、無理やり引き剥がしたせいで、より強い呪いになったのだろうか?
「だ、大丈夫か?」
ヒースがアダムに手を伸ばすが、「さわるな!」とアダムが睨むので、ヒースはそのまま固まった。
「今、触れば……呪いが、移る……から…」
言いながらアダムは胸を押さえて荒い呼吸を繰り返す。
(俺の命はクロの物……だから、この呪いは俺を殺せずに、術者に帰る)
――術者がクロ以上の力が無ければ……と考えて、それは難しいとアダムは思う。悪魔を負かせる魔法使いなど、そうそう居るものではない。
正直アダムは、呪いを解く呪文を知らなかった。ただ、殺す類の呪いなら、アダムには通らない筈だという仮説があった。だから、解術するふりをしてわざと自分に取り込んだのだ。アダムの読みは正しく、やがて黒い靄はアダムを離れて何処かへ消えた。
「……終わりましたよ……では、これで……」
まだ辛さの残る体を引きずって、アダムは部屋のドアに手を掛けた。
「待ってくれ。少し休んだら、どうだ?」
追いすがるヒースに、アダムは鋭い視線を向ける。
「……憲兵に捕まるのは、御免ですから…」
「いや、私は――分かった。ありがとう」
「ちなみに……呪いを掛けた人物ですが…」
「大丈夫だ。検討はついている。定期的に掛け直していたのだと言うなら、主治医が怪しい。その辺りから、繋がりのある貴族を調べるよ。きっと王室に関係のある者だろうけどね」
「そうですか……」
「――君は、これからどうするんだね?私が、憎かったのではないのか?」
「……さあね」
会話をするのが億劫で、アダムはそのまま部屋を出た。
ヒースは、本当に追って来なかった。私兵がアダムを捕らえることはなかったし、廊下で出会ったカイエには、心配された。ウエスとして過ごす間、もちろんカイエとも接点があった。帰る話をすれば、少し休んでから行けばいいと、心配性でお節介なカイエらしく言ってくれる。使用人達の間では、母親のような立ち位置の人だった。
「全く……さっきは縛り上げられていたから何事かと思いましたけど、ちゃんとお客様だったんですねぇ。旦那様も、お客様ならきちんとお見送りしなければいけないでしょうに…」と、ヒースのことを愚痴る。
カイエは、ヒースが子どもの頃からこの屋敷でメイドをしていたそうで、多少小言を言ったくらいでは咎められない立ち位置にいる古株だ。
「ありがとう。……でも、急ぐから……リディアお嬢様のこと、よろしく頼む。きっとこれからが、忙しいから…」
「それはどういう…?」
アダムはそれには答えず、屋敷のエントランスまでやって来た。
(あいつら……どうしてるかな?)
なんだか無性に、使い魔達に会いたかった。指示を出すのに念話はすれど、二ヶ月も顔を見ていない……。アダムは恐ろしくて認めきれないが、使い魔達のいる所が、自分の居場所だった。色んなものを拒絶しながら、好き勝手暴れた末に残った、最後の居場所……。
「……ん?この気配は……!!」
ふと、屋敷の外にシュティレの魔力を感じ、アダムは駆け出した。
「畜生!何しに来たんだっ!」
今この場にシュティレが居ては、ヒースの気持ちが変わりかねない……そう思うとアダムは気が気ではなかった。一瞬とはいえ呪いに蝕まれた体は、思うように動かない。足を縺れさせながら、アダムは必死で駆けた。
お読み頂き、ありがとうございました。
アダムの人生を狂わせるきっかけになった、ヒースとの決着でした。どんなふうに書くのか悩みましたが、物語が進むにつれて、ヒースとの決着の扱いが変わってきて、結局このような形になりました。
アダムの目線では宿敵でも、ヒースからすればそうではない……むしろ、世間的にはアダムの行動は非難の対象ですから、誰の視点から捉えるかで、この決着の味が変わると思います。
主役はアダム側ですが、彼らが正しいとは言い切れないという、すっきりしない感じが、この物語らしいのかなと思っています。
アダムの復讐はケリがついたようですが、なんだか、まだもう一悶着あるようなので、良ければこれからも付き合って下さると嬉しいです。




