36.隠れ家にて
「ウィットマン君。一体、何の話を…」
バンッ!!
その時、ヒースの言葉に被るようにして、大きな音と共に両開きの窓が大きく開いて、部屋の中に台風と見紛うほどの突風が吹き荒れた。あまりの強風に、皆立っていることが出来ずに倒れ込む。
「何なんだ!一体ッ!」
「ヒース様!魔力の気配を感じます!頭を抱えて伏せていて下さい!」
目を開けることも難しい強風の中で、ガスパールはそれでも立ち上がって、右手を翳す。すると瞬時に長い杖が現れる。ガスパールは杖を握ると、それを窓に向かって突きつけた。
「ウェスペルか!」
と、半ば叫ぶようにガスパールは言った。
「ハズレです」
どこからともなく声がする。
「なんだ、これ?」
そして、ジャスパーが状況を理解するまでに、周りでは様々なことが同時に起こった。
まず、ガスパールの杖が真っ二つに折れて吹き飛ばされ、ガスパール自身も腕を負傷し、血を流して倒れた。
それと同時にミアの首輪が外れる。
ヒースは風圧で動けない中、呪文を唱えようとしていたが、口元を何者かに押さえつけられているようで、発声できなかった。
「うわぁ?!」
「きゃあ!」
そして、ジャスパーとミアは風の生み出す渦に捕らわれ、そのまま窓の外へ運ばれた。同時に強風も治まる。
後には、呆然と窓の外を眺めるヒースが取り残されるのみになった。
「――やられたな…」
ヒースは悔しげに顔を歪めて呟いた。
※
気がつくと、ジャスパーとミアは小さな家の前に立っていた。
「ここは……」
「一応、ウェスペル家の本邸です」
「え?」
驚くジャスパーの横には、大きな白いイタチが二足で立っていた。
「シロ!」
「お久しぶりですね。ジャスパーさん」
事の始まりは、アダムがクラウスを使役した時まで遡る。
それからアダムはクラウスを通して、ジノン邸に潜入。約二ヶ月間、邸の内部や人間模様を観察していた。
その後、クラウスからガスパールの思惑(ミアを使役して研究させることを脅しに、ジャスパーをアダム探しの人員に加えようとすること)を聞きつけた。
クラウスにジャスパーを迎えに行かせ、アダムの味方になり得ると思った場合のみ、助けに入る合図を教えるように指示した。
合図は邸内にいる花の精経由でアダムの耳に伝えられ、アダムの命令でシロが動いたというわけだ。
シロに説明を受け、二人は驚きを隠せない。
「……アダム、何で助けてくれたんだろう?」
ミアが呟くと、シロは黒目を楽しそうにクルクルと動かした。
「たぶん、『友達』だからじゃないですか?巻き込みたくなかったんですよ」
「そういえば、肝心のアダムはどこなんだい?」
ジャスパーは訊きながら周囲を見るが、アダムが近くにいる様子はない。
「ご主人様なら、まだジノンさんの邸ですよ。まだ正体がバレていないので、ジノンさんの寝首を搔くタイミングを図っているんじゃないですかね」
その時、家の中から人型のクロが姿を現して、シロの背中を強めに叩く。
「ちょっとシロ!いつまでお客様を立たせておくつもり?…さあ、お二人とも。立ち話もなんですから、ひとまず中へどうぞ」
「ありがとう」
「お邪魔します」
家の中は花や花柄の調度品で溢れている。家全体に魔力の気配がするのが、二人には分かった。
「流石は魔法使いの家って感じね…」
ミアが感心した様に呟くと、「お久しぶりです」と、ティーセットの載った盆を手にしたシュティレが現れた。
「シュティレちゃん!元気だった?」
ジャスパーが驚いて声を上げれば、シュティレは穏やかに微笑んだ。
その自然な様子に、ジャスパーは胸を痛める。
(やっぱりシュティレちゃんは…)
アダムが好きなのだろうとジャスパーは思った。
そして、シュティレが身綺麗にしている様子からも、アダムもシュティレを大事にしているのが分かった。
それなのに自分は、妻を人質に取られているとはいえ、アダムを売るところだった。流石にアダムが直々に出てくることはなかったとはいえ、助けられた事実は、よりジャスパーの罪悪感を膨らませていく。
つい俯いてしまったジャスパーの肩を、ポンと叩く者があった。それでジャスパーが顔を上げると、そこにはクロの姿があった。
「そんなに落ち込まなくても、ご主人様は別に気にしていないですよ」
「え…」
驚くジャスパーに、シロも頷いて見せる。
「ご主人様は照れ屋さんですからね。怒るフリはするかもしれませんけど、本当に怒ったりはしないですよ」
「アダムは、あなたたちには優しいのね…」
ミアが呟くと、「はい。とても」とシュティレも便乗する。皆、アダムが居ないことを良いことに言いたい放題である。
「まあ、アダムは別に悪人ってわけでもなかったか……というか…私たち、これからどうしよう?ジノン卿のところから逃げて来ちゃったし、また捕まるかな?」
不安そうに言うミアに、ジャスパーも腕を組んで考え出した。
「……家に戻ったら、まずいよね…」
「なら、死んだことにしません?」
ふと、シロが何でもないことのように言って、皆の視線がシロに集まった。
「ボク、前から思ってたんですけど、追い掛けて来るなら、死んじゃったと思わせて遠くに移り住めばいいだけなんじゃないかなって。海を越えた先に別の国もあるってご主人様も言ってましたし…」
現在領土争いで戦争中なのはここ、リィン国とリィン国を囲む様に存在している四つの国だった。
リィン国から見て北のダキア国とリィン国は互いに干渉していなかったが、他の三国がリィン国を狙っている状況だった。あくまで貿易相手として関税を掛けたいリィン国と、関税の発生する貿易などの縛りなしにリィン国の加工技術や魔法使いを使いたい三国との攻防戦だった。
来るものを払う程度の防戦一方だったリィン国は、その状態に辟易して、強化された魔法使いで覇権を取ることにしたというのは、先程ヒースが語った通りだ。
「死んだフリはいいにしても、どこに逃げるかが問題よね。私とジャスパーはともかく、シュティレちゃんなんかは、ここらの国じゃ、魔力探知に引っかかって注目されちゃうだろうし…あ、でも、あなたたちはこの家で暮らすんだっけ?」
ミアの問いに、クロが困った顔をする。
「この家はいい隠れ場所ではあるのですが、どうやらシュティレには色々影響があるみたいで、ご主人様は乗り気じゃないんです」
「影響?」
「はい……魅入られている…というか……声が聞こえるそうで……ねえ?シュティレ」
「はい」
シュティレはこくんと頷いた。
シュティレが前に聞いた「あなたは騙されている」という言葉……この家に来てからまた聞こえるようになったのだ。流石に不安になったシュティレがクロに相談したのだった。
「そんなの、アダムに一喝してもらえばいいんじゃないの?」
「それが、ご主人様の居るときには、しゃべらないらしんですよ」
シロも困ったように肩を竦めた。
「"らしい"ってことは、シロには聞こえないの?」
ジャスパーが訊けば、シロはこくんと頷いた。
「この家は魔力が高い分、選り好みしますから……シュティレの場合は気に入られすぎてるんでしょう。家に都合の良いように誘導されかけます。――とにかく、ヒースはご主人様が何とかするので、貴方がたは、新天地を探すべきですね。見つかるまではここで匿ってあげましょう」
クロはそう言って、胸を張る。
「なんでクロが威張るのさ」とシロがツッコむ。
「この中で一番この家のことが分かっているのは私だからに決まっているでしょ。ご主人様にだって頼まれたんだから」
「あのさ……アダムはやっぱりヒースを殺したいの?」
ジャスパーが不安そうに訊くと、皆暗い顔をする。
「みたいですけど……放って置きたくても、追いかけてくるし、それに…」
シロはそう言ってはシュティレをチラッと見る。
「シュティレに関係があるから、余計なのかも…」
少しは体力がついたとはいえ、環境がコロコロ変わるのはストレスだ。ウィス・フォンスという状態もシュティレに負担をかけている事実がある以上、無視出来ないということだった。
そんなことをシロが語ると、シュティレは気不味そうに顔を伏せる。
「……ごめんなさい」
シュティレは言うべきではないと思ったが、黙っている事も出来ずに、結局使い慣れた言葉が口をつく。どこに居ても何をしても、結局自分は荷物にしかなっていないと、シュティレはずっと思っている。そうではないと言ってもらえるからこそ、よりその事実が辛くてもどかしい。
「そんなことを考える必要はないと、いつも言っているでしょ?」
そんなシュティレの気持ちを正確に読み取れるクロは、苛立つように言ってはシュティレの背を軽く叩く。
「考えても仕方のないことは考えないに越したことはないでしょう。ご主人様の事は、"私たち使い魔"が何とかします。……だからお二人は、早めに視界から消えて下さい」
クロの物言いに、周りは息を呑む。
「ちょ、ちょっとクロ!その言い方はちょっと…」
「そうだよ。良くないよ」
シロとシュティレが言っても、クロはジャスパーとミアを睨むように見つめている。
「――そうだね。正直、僕はアダムの味方は出来そうにない」
ジャスパーが項垂れると、クロは少し表情を和らげる。
「別にそれを咎めはしませんよ。そういうものだと思いますので……ただ、ご主人様は言葉程には割り切れていないところもあるので、今回のようなことは出来るだけ起きないようにしたいのです」
「……分かったわ」
ミアがジャスパーと軽く目配せしてから返事をする。
確かにクロの言う通り、ミアもジャスパーも、完全にアダムに味方をすることは出来ない。使い魔達のように、罪を知りながらも最も近くにいる決断はしない。ただ、昔馴染の情で関わってしまっただけだ。
(それでも、アダムは助けてくれた…)
一度は変わってしまったか、以前から他人に情がない人間だったのかと思っていたが、ひょっとしたら自分がアダムを都合の良いように解釈していただけで、本質は変わっていなかったのかもしれないと、ミアは思う。アダムも、人間全てがそうであるように、その時々に最善だと思う道を、苦悩しながら選んで生きているだけなのだ。
それを一部分だけ見たに過ぎない他人が、勝手に期待しては落胆した……友人だと豪語していた自分もまた、"他人"に過ぎない存在だったのだ。
それでもアダムは仕方なしにかもしれないが、手を差し伸べてくれた。ならばこちらも、誠意を見せなければならないだろう。
「ジノン卿に捕まらないように行く先を探すから、それまではここにご厄介になるわ。その間出来ることは協力する。行く先が見つかったら、すぐに出ていくわ。それでいい?ジャスパー」
「うん」
ミアの言葉に、ジャスパーも神妙に頷いた。
それからは、何だか穏やかな共同生活が始まった。
この家は森の中にあり、付近に川もある。庭には小さな畑もあるし、人里に下りなくても食料は豊富だった。最も、狩猟の心得があればの話だが、それにしたって今はシロがいる。鹿や猪などが食肉になった。
そして、一見小さな家に見えるが、魔法で幾らでも部屋を増やすことが可能だった。家にそれを命じることが出来るのは本来ウェスペルの当主だけだが、今は付き合いの長いクロの言葉も家は聞いてくれた。
「で、ここは探知出来ないように隠されてるんでしょ?最高の住処じゃない」
シロが取ってきた鹿を庭で捌くのを手伝いながら、ジャスパーは楽しげに言う。
「まあ、絶対じゃないですけど、実際ご主人様は十年くらいはここに居ましたからね」
その横で、解体した鹿肉に塩を振りながらクロが答えた。
「じゃあ、問題はやっぱり、シュティレちゃんへの影響か」
「そうですね。一応、"家の言うことはいい加減だから無視をしなさい"とは言ってあるのですが、あの子は素直で優しい子ですからね。どうしても気持ちを乱されがちです。乱されるとその隙をついて魔力を吸われかねませんから、私が睨みを利かせているわけなのですが……こういう場合、シロは役立たずですし…」
クロはちらりと家の中に目を向けた。
背後の窓からはキッチンの様子が窺える。シュティレとミアが何やら楽しげに話しながら、野菜を刻んでいた。その様子に安心したようにクロの目元が和らぐ。それに目聡く反応したジャスパーは、笑みを深くする。
「クロもシロも、シュティレちゃんを大事にしてるんだね」
「もちろん。可愛い妹分ですもの。……ですが、シュティレはご主人様が心配で、ふとした瞬間に顔が曇ります。その度に、私やシロに悪いと思ってわざと明るく笑おうとする……さっきはああ言いましたけど、ジャスパーさんとミアさんが居てくれて良かったと思います。いい気分転換になったようです」
「そっか。助けになれたなら、良かった」
「――ご主人様も、ヒースなんて放っておいて、早く帰って来ればいいのに…」
「…え?クロは、あんまりアダムのやる事に乗り気じゃないの?」
「……殺す必要はないと思うだけです。今回は敵が大きすぎます。ヒースはご主人様にとっては敵ですが、世間的にはそうではありませんし。そんな人物を殺してしまえば、いよいよご主人様の居場所はなくなります」
「そうだね。……アダムは、クロの話は聞いてくれないの?」
「全く聞いてくださらないわけではありませんが、こうと決めたら頑固な方ですから、好きにやらせてあげたほうが良いのです」
「確かにあいつ、人の話を聞かないよな……やっぱ、なまじ知識があって有能な魔法使いだからかな」
「そうなんでしょうね……迷いもトラウマもあって、必ずしも隙のない強靭な精神を保っているわけではないのに、隙をつく事が出来ないのです。ですが……」
そこでクロは僅かに目を細める。
「今のご主人様なら、違う答えをお持ちかもしれません」
「え?」
聞き返すジャスパーに、クロは悪戯な笑みを浮かべて見せた。
「ご主人様にも、希望が見えるようになったようですから」
「希望……そっか…」
それにジャスパーは、少し考えてから、満面の笑みを返す。
「よかった」
そう言葉にした途端に、ジャスパーの瞳から涙が一雫、転げ落ちた。
――本当に、よかった。
それは、ジャスパーの本心だった。
出来れば本当は、自分がその役目を果たしたかった。けれど、ジャスパーではアダムの心の中には踏み込めなかったばかりか、我が身可愛さに、途中で役目を投げ出した。
それでも、アダムはそんなジャスパーを責めるでもなく、助けてくれた。
その事実はジャスパーに己の不甲斐なさと共に、別の事実も教える。
それは、アダムにも他人への情があるということ。
(シュティレちゃんかな…)
クロの言い方で、ジャスパーはなんとなくそんな気がした。
ずっと檻の中に閉じ籠もって泣いていたアダムの耳に、真っ直ぐにアダムを想う、シュティレの声が届いたのかもしれない。
「人間は複雑な生き物ですからね。それこそ、良いも悪いも無いのでしょう……心のままに、どんなふうにでも変化する……時に理解し難く、それ故に他者の関心を惹きつけられてやまない、そんな生き物です」
そういうクロの眼差しは優しい。
「そんな人間の心を逆に奪って喰らうのが、私の最高の娯楽なんです。だから、あなたが自分の愚かさを嘆く必要はないのですよ。愚かさのない人間なんて、味気ないですもの」
「……ふふふ…慰めてくれてありがとう」
「別に慰めていませんよ。私は愚かさを悔い改めて意志の強くなる人間に、増えて欲しくはないだけです。楽しみが減ります」
それは嘘だと、ジャスパーは思う。
そうでなければ、その慈しむような表情の説明がつかない。
(本当は、アダムを食べるつもりはないんだろうな…)
ウェスペル家は、当主が代替わりをする時に、前当主が『クローディア』と名付けられた悪魔に喰われて死ぬのだと、ジャスパーはアダムから聞いたことがあった。
これまでの様子を見ていて、クロがそのクローディアではないかとジャスパーも分かっていた。
だから、そんな悪魔との契約なんて止めたほうがいいと思っていたこともあったが、それは取り越し苦労だったようだ。
悪魔の中にも、損得無しに人間に味方をする変わり者がいるらしいというのは、聞いた事がある。ウェスペル家がクロを使役して力を伸ばしたように、権力者の中にも、悪魔の力を借りて財を成した者が少なからずいるし、悪魔に魅入られて魔界に連れ去られた女性の話も逸話として残っていた。
「やれやれ……お互い、妙な奴に関わっちゃったな」
自嘲的に笑うジャスパーに、クロは一瞬目を丸くしたが、ふふっと笑っては「そうですね」と頷いた。
お読み頂き、ありがとうございました。
何度も出すつもりはなかったのに、結局いつもウェスペル家の本邸を使うことになってしまうのは、ウェスペルの名を捨てられないという業のような気がする……というのは、私の考えすぎでしょうが、なんだかしがらみが多いようで、大変そうですね。




