35.それぞれの正義
ヒース・ジノンの領地は、湖の側にある自然豊かな土地だ。保養地として人気の高い場所で、たくさんの人が行き来する。
その為専らヒースの仕事は、国内外から休暇にやって来るお偉方の相手だった。基本的な領内の設備管理などは部下に任せられるとしても、接待の場には出なくてはならない。
(国境の町では交戦中だというのに、暢気なものだな…)
ヒースは溜め息をつく。
今日もまた、そうした仕事に追われながら、家に帰れる時間を逆算した。仕事は嫌いではないが、相手に合わせて気を遣うので、疲れるというのが本音だった。
それに今は、気になることがあるので、余計に早く仕事を済ませたかった。
日もとっぷり暮れた頃、ヒースは疲れた体を馬車に預け、屋敷に着くまで微睡んだ。
「ヒース様。お帰りなさいませ」
屋敷に着けば、ヒースお抱えの魔法使いガスパールが出迎えた。
ガスパールは、ヒースと同じく四十代半ばの男だった。癖のある黒髪を肩まで無造作に垂らした鷲鼻が特徴的な男で、得意魔法は自然を操る魔法だ。植物や風や水といった自然界の物を自在に操る。
現代の軍事登用されている魔法使いは、ガスパールのような魔法使いだ。それか、銃弾から身を守る為のシールドを張る防御魔法の使い手か……。
魔法学校では、そうした魔法の実践訓練が多い。精霊などと交渉する必要がないし、自分の魔力量次第で魔法の精度と威力が変わるので、自分の魔力の効率のよい使い方さえ分かっていればいいのだ。
何せ、自然界のエネルギーは常に循環しており無限大。人がいくら転用したところでまず、無くならないのが良いところだと、ヒースは思っていた。
「ガスパール。変わりはなかったか?」
ヒースにとってガスパールは、魔法の師であり友人であり、部下だった。屋敷に共に住み、魔法に関することを共にやっている。国王から依頼されて、魔法使いの育成に励んでいた。
「はい。特には。……例の『キャンディ』もまだ見つからないと、クラウスが言っておりました」
「そうか……あまり遠くには行っていないと思っていたのだが……『ジョーカー』は隠れるのが上手いからな。やはり『古の魔法使い』は侮れない…」
『古の魔法使い』とは、古くからいる魔法使いのことだ。精霊や魔物とも言葉を交わし、力を借りることが出来る。最近訓練している魔法使いとはまた違ったタイプだ。
『古の魔法使い』も自然界のエネルギーも使うのだが、彼らには独自のルールがある。暮らしの中で必要な分だけを使うという使い方で、大勢の為に大々的に使ったりはしない。天気や自然災害を読む力があるそうだが、森の奥など人里離れた場所に住む者が多く、国が戦争をしていようがお構いなし。どこか世捨て人のようなイメージを持たれがちだ。
ヒースから言わせれば、差別されても仕方のないほど、付き合いにくい人種だった。
だからこそヒースは、せっかくの力を有効活用出来るようにしてきたのだ。おかげで今や魔法使いは、国の重要な戦力になり、憧れを抱く者も増えた。リィン国は魔法使いの国になったのだ。
それでも『古の魔法使い』の中にはまだ、ヒースのやり方を煙たがる者もいるのが現状だ。
その声を消す為にも、あるいは国を守る為にも、『キャンディ』の協力は必須だった。
遥か昔、人類で初めて魔法を使った人物は、『ウィス・フォンス』と呼ばれた。他人に魔力を譲渡出来る魔法使いだったとされている。そうして魔力を譲渡された人々の子孫が、魔法使いであり、魔力を持つ人達だった。
そんな魔法使いの再来であるかのような『キャンディ』を、リィン国が所有していると各国に見せつける事が出来れば、良い牽制になる。
しかし、『キャンディ』は『ジョーカー』が独り占めしている。
(まったく……嫌がらせのつもりか…)
『ジョーカー』は家柄も魔力も申し分ない優秀な魔法使いの若者だった。上手く懐柔出来ればと思ったが、若い故に青すぎて、未来の発展の為の犠牲が理解出来なかった。それで袂を分ったが、『ジョーカー』しか知らない魔法陣の情報を持って逃げられたのが痛かった。その魔法陣をもう少し練れば、『キャンディ』に頼らずとも、幾らでも力を使えたというのに……。
基本的には思い通りに事が進みやすかったヒースの人生の中で、『ジョーカー』の存在だけが悩みどころだった。
「親族にあたる女の所に行かせたのですが、空振りだったようです……或いは、クラウスが見落としただけかもしれませんが……」
「ふむ……若い娘を連れているのだから目立つと思ったのだが、難しいようだな……憲兵が捕らえ損ねた時には、『キャンディ』も姿を現していたというから、見た目を変えたりはしていないはずだが…」
「そうですね……まあ、『ジョーカー』は使役魔法の名士ですし、人を欺きながら上手く隠れているのでしょう」
「そうだな……どうにかして引きずり出せないかと思っているのだが、何か良い手はないものか……」
ガスパールと連れ立って歩きながら、ヒースは頭を悩ませる。
戦争は激化しつつある。一刻も早く『キャンディ』が欲しかった。
※
二人がそんな話をしながら屋敷に入るのを、屋敷の横にある建物――使用人の暮らす、屋敷の離れから覗く者があった。
腰の曲がった老人だ。その位置では会話の内容までは聞こえていないはずだが、どういう感情でか、目を細めて二人をしばし眺めた後、暗い顔をして窓から視線を外す。
気を取り直すように視線を手元の花切り鋏に移して、刃の部分に研ぎ石を当てて刃を研いだ。
「よう。じいさん。随分とマメだな」
そう声を掛けたのはこの屋敷のコックのニックだった。短い金髪の快活そうな男だ。雑に見えるのだが、彼の作る料理は繊細かつ上品な物ばかりで、流石は貴族の屋敷のコックといった腕前だった。また、面倒見の良い性格で、他の使用人達からも慕われている。
老人は顔を上げて微笑んだ。
「商売道具の手入れはしっかりしておかないと、いざという時に良い仕事は出来ないものさ」
「確かにな!いいプロ根性だ。……そうだ。ほれ、スコーンでも食うか?今日のアフタヌーンティーのあまりだ」
そう言ってニックは菓子皿を差し出した。
「ありがとう。頂くよ」
老人は菓子皿からスコーンを一つ摘んでは口に放った。
「美味いな…」
「だろ?」
老人が微笑むと、コックは胸を張った。
「この屋敷のことで分からないことがあったら、遠慮しないで俺に訊けよ。年寄りには覚えにくいこともあるだろ?」
「そこまで老いぼれてはいないが……ありがとう。頼らせてもらうよ」
「あ!いいなぁ〜。ニックさん。私にも頂戴!」
そこへふらっとメイドのオゼットがやって来た。童顔で十代に見えるが、実際は二十代後半だった。
「あいよ」
ニックは笑ってオゼットにもスコーンを分けた。
「おいしい!……あ、ウエスさん、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
老人ウエスは、最近辞めた庭師の代わりに雇われた庭師だった。今までは小さな庭しか手入れしたことがなかったが、この屋敷で働いていても、全く不足がなかった。
屋敷は正面に広がる庭木の他に、温室やサンルームもあり、ウエスはそちらの花の手入れもしているが、この老体のどこにそんな力があるのかと思うほど、よく働いた。
他にも三人ほど庭仕事をする使用人がいるが、彼らですら知らない花に関する知識もあって、この屋敷に来て二ヶ月にも関わらず、使用人達から一目置かれている。
この屋敷の使用人達は、気持ちの良い人間ばかりで、仲も良い。皆、それぞれの仕事に誇りを持っていた。それは邸の主人が彼らの仕事ぶりを正当に評価しているが故だと思われる。
ただ――
「初めはクラウスの紹介だったから、どうだろうって心配だったけど、ウエスさんは本当に良い人で良かったわ」
オゼットが笑う。
この屋敷で同じく使用人の扱いのクラウスは、度々魔法使いということで高飛車になっている所があり、使用人の間ではあまり評判は良くなかった。しかし、魔法使いが重用される時代だから、邪険にするわけもいかず、こうして本人の居ないところで愚痴を言うのが常だった。
「私も、あの態度はもう少しなんとかならないものかと思っているよ」
ウエスが同調すると、オゼットは「そうよねぇ?それになんか……私に対してしつこくない?」と言って眉根を寄せた。
「あいつ、オゼットに気があるんじゃないか?」
「えぇ~!それは困るんだけど…」
「オゼットは、坊ちゃんにお熱だもんな?」
「ちょ!それは、言わない約束でしょ!」
オゼットは慌てて周囲を見渡す。
「今更気にしても遅いぜ。この屋敷の使用人なら、全員知ってる」
「うそ……」
オゼットは頬を薔薇色に染めて手で顔を覆った。
"坊ちゃん"とは、ヒースの息子のカスピアンの事だ。ヒースには三人の子どもがいるが、その長子で、オゼットより少し年上だった。物静かな印象の持ち主だが、算術に長けていて、父親からは貿易や会計の仕事を任されている。物腰柔らかに話す青年で、けして人に線引きをするタイプではないが、少々仕事人間なけらいがあって、なかなか見合いが上手く行かないのだとか。
「そういえばオゼット。今朝私が薦めた花は、カスピアン様のお部屋に飾ってみたかい?」
ウエスが訊くと、オゼットはまだ赤い顔をしながら頷いた。
「うん……"いい花だね"って、褒めてくれたわ。ありがとう。ウエスさん」
「それは良かった」
ウエスが屋敷に来た時に、あれこれと教えて世話を焼いてくれたのがオゼットだったので、ウエスとしては、お礼のつもりだった。
書類仕事が多いカスピアンの為に、疲れを癒す効果のある香りのある花を選んだ。それをオゼットの思いつきということにしたのだ。
貴族の嫡男とメイドの恋路は簡単ではないが、実らないとも限らない。
「へぇ~。そんな洒落たことが出来るのか、じいさん……俺にも今度、花を教えてくれよ」
「分った」
「ニックさん、誰にあげるの?」
「いいだろ。誰でも…」
「え〜!教えて下さいよ。女性が喜ぶプレゼントとか、相談に乗れると思うんだけどなぁ〜」
先程カスピアンとのことを茶化された仕返しのつもりか、オゼットはしつこく食い下がる。
それをウエスは、穏やかな表情で眺めていた。
「さて。では私は、先に休ませてもらうよ。明日も早いんでね」
「おう。おやすみ」
「おやすみなさい」
ウエスは自室に下がる。明日も日の昇った頃には起き出して、花壇の水やりをしなければならない。
「ふぅ〜……やはりこれだけの大きな屋敷の庭仕事は大変だな…」
子どもの頃からやらされていたので慣れているとはいえ、一般家庭の花壇とはわけが違う。
ウエスは軽く腰を伸ばした。
「おまえでも、真面目に働くんだな」
その時、戸口から声がした。ウエスが目を向けると、そこにはクラウスの姿があった。
「"おまえでも"というのは分からないが、自然に触れるのは良いことだよ。癒やされるし……ディオンさんは、そういう趣味はないのかな?」
クラウスは少し眉根を寄せる。
「生憎と。俺は育ちが良いんでね。土いじりなんていう、低俗な趣味はないよ」
「そうか……魔法使いはもう少し自然に寄り添って生きていると思っていたのだが、人によるのだな」
ウエスはしみじみと言ったが、クラウスはそれを嫌味と取ったようで、更に険しい顔をする。
「そんな与太話はいい。……おまえは良い庭師のようだとガスパール様も褒めていた。それを言いに来ただけだ。俺が紹介したから、結果として俺の株が上がったわけだからな。おまえにも共有していたほうがいいだろ?」
「それはそれは……ありがとうございます」
「"あの件"、いよいよ明日みたいだぞ」
「そうですか」
「まあ、それだけだ。じゃあな」
「はい。おやすみなさい」
クラウスは踵を返して部屋を後にする。
「――さて…どうなるか…」
ウエスは小さく呟いては、はぁと大きな溜め息をついた。
※
「はぁ?ヒース・ジノン卿が、僕に?」
朝出社するなり、ジャスパーは上司に呼ばれて、ジノン卿が直接話したいと言っていると伝えられた。
「なんでも、貴族殺しのウェスペルを探す為に協力して欲しいんだとさ。……おまえ、ウェスペルの友人なんだって?」
「まあ…」
「そうか……まあ、ジノン卿も親しい貴族を殺されて思う所があるんだろうな。一刻も速く事件を解決したいんだろう」
「そうでしょうね……だけど、ジノン卿は憲兵ではないし、捜査権もないですよね?僕と話すことに意味あるんですかね」
「まあ、そう言うなよ。何かしてないと気が済まないんだろう。それに、俺たち魔法省の人間は、ジノン卿の部下みたいなもんだ。要求には応えないとな」
「はい…」
結局ジャスパーはそのまま迎えに現れた馬車に乗って、ジノン卿の屋敷に向かうことになった。
「……あれ?」
馬車から現れた人物を見て、ジャスパーは声を上げる。細身で長い黒髪、細い瞳……ジャスパーはこの男に見覚えがあった。
「なんだっけ……えーっと……あ!"ナンパ男"!」
ジャスパーが叫ぶと、相手は眉をつり上げた。
「なんだその不名誉な呼び名は!俺はクラウス・ディオンだっ!」
「ああ、そうそう!クラウス!久しぶりだねぇ〜。今は何してるの?」
「……ジノン卿の屋敷で働いている。ガスパール様の手伝いだ」
「へぇ~。ガスパールさんって、有名な魔法使いだよね。魔法部隊の編成と指揮もやってるんでしょ?」
「ああ…」
「良かったじゃん!君、家から勘当されてたからね」
「いちいち傷を抉るな!嫌味のつもりか!」
「ごめんごめん。知っている人に会ったから嬉しかったんだよ」
「まったく……調子の良いやつだな……おまえ、何でジノン卿がお呼びになったのか分かってるのか?」
「聞いたよ。アダムでしょ?何か情報は見つかったの?」
「……見つからないから、おまえが呼ばれたんだろう」
「そっか……」
今ひとつジャスパーの内面を読めなくて、クラウスは困る。
「おまえは……どちら側なんだ?」
ジャスパー共々馬車に乗り込むと、クラウスは低い声で問いかける。
「ん?どちら側って?」
「だから、ウェスペルを庇うのか?それともジノン卿に協力するのか?」
神妙な様子のクラウスに対して、ジャスパーは少しおどけた様子でうーんと腕を組んで唸る。
「アダムが何か罪を犯したなら償って欲しいけど、アダムが罪を犯すに至った原因もほっとけないかな。本当にアダムだけが悪いの?この事件って…」
「百パーセント、ウェスペルが悪いだろ。ジノン卿は国の為に動いておられる反面、ウェスペルは自分の都合で動いているだけじゃないか」
「なるほどねぇ〜……だけど、僕は大した情報は持ってないよ。学生時代仲が良かっただけで、どこにいるか分からないし――あ、ひょっとして、僕って"餌"?」
「……」
「やっぱりそうか……でも、僕なんかで釣れるかなぁ?アダムって結構ドライだからさ。捕まる危険を冒してまで、僕を助けになんか来ないと思うよ。それにもし……僕を餌にして釣れてしまうなら、アダムは悪人にはなり得ない人間ってことだよね?」
「わからないぞ。仲間だけは大切にして、あとはどうでもいいから、簡単に殺せたのかもしれない…」
「そっか……それもあるか……アダムは、どっちだと思う?」
「さあな…」
そうしているうちに、馬車はジノン邸に到着する。
「こっちだ」
クラウスに案内されて、ジャスパーは屋敷の敷地に足を踏み入れた。
薔薇の花を纏わせたアーチや、道の両サイドに等間隔に置かれた、良く整えられた植木、邸の右手奥に広がる庭の中央には、人魚が水瓶を傾けた像を配置する噴水があり、その周りにも色とりどりの花が植えてある。人魚の頭には、花冠まで載っていた。その周りを、白や黄色の羽根を持つ蝶が飛び交っている。
「見事な庭だね〜。妖精とか、居たりするのかな?僕は見えないんだけど…」
「さぁな。少しは居るんじゃないか?」
「あれ?クラウスにも分からないの?」
「……俺はその辺りは専門じゃない。召喚で呼べる者しか知らない」
「ふぅ〜ん」
ジャスパーは興味深そうに庭木を観察する。花の精は、花の花粉を運んで受粉を手助けしたりするという。アダムはそういうのが見えたり会話できたりしたそうだ。
ふと、庭の隅に老人の姿を見つけたジャスパーは、何となくその老人を目で追った。見た目からすると、七十代くらいだろうか?曲がった腰を時折伸ばしながら、花の選定をしている。
その眼差しが優しいのと、何やら独り言を呟いているのが気になった。まるで、誰かと会話をしているようだ。
(なんだろう?あんな雰囲気を、どこかで見た気がする……)
「ねえ、クラウス。あのおじいさんって…」
「ああ……庭師のウエスだよ」
言ってから、クラウスはどこか意味ありげに笑った。
「変わったじいさんだろ?」
「変わってる……かな?」
結局ジャスパーの問いには答えず、クラウスはジャスパーを屋敷の中に案内する。
ヒースの待つ応接間に通すと、「……やばかったら、花の話をしろ」と、小声でジャスパーに告げて去っていく。
「へ?」
ジャスパーは言葉の意味がまるで分からなかったが、「仕事の時間を奪って済まないね」とヒースに声を掛けられたので、仕方なくヒースに向き合った。
「いいえ。私でお役に立てることがあれば、協力致します」
ジャスパーはいつもの人当たりの良い笑顔を浮かべる。ヒースはそれに安心したように頷いた。
「助かるよ。どうぞ掛けてくれ」
「はい。失礼します」
ジャスパーが椅子に掛けると、メイドが紅茶を出してくれる。
「では早速本題といこう。ウィットマン君は、最近アダム・ウェスペルには会ったのかね?」
穏やかな声音だが、眼光は鋭く威圧的だ。
(素直に答えるべきか、誤魔化すべきか…)
ジャスパーは密かに葛藤する。威圧的な態度を取る辺り、偽りは許さないといったところだろうが、ジャスパーもヒースに完全に協力すると決めたわけではないので、答え方は慎重にすべきだった。
しかし――
「一度憲兵がウェスペルを追い詰めた時に、現場に居合わせているのを見た人が居るんだが、それは間違いじゃないかな?」
どうやらヒースは、ある程度調べをつけてきているようだ。
「……はい」
「では、その際に少女が居たのは見たかな?」
「少女…ですか?」
「十代後半の娘だそうだ。ウェスペルが誘拐した」
「誘拐……アダムがですか?」
「ああ。どちらかと言うと私は、貴族を殺されたことより、その少女を救いたくて動いているのだよ」
「ちなみに……その少女は、一体何者なんですか?」
「それは機密事項だ。君が我々に協力してくれると確約が出来るなら、教えよう」
「……私は正直、アダムが人を殺したとか、少女を誘拐したとかは信じ難いです。私の知っているアダムは、良くも悪くも人に深入りをする人間ではありませんでした。無関心というほどではないにせよ、いつも適切な距離を保っていた印象があります」
「そうか……君の中のウェスペルはかなり善人なのだな……しかし、彼は国の提唱した研究を捨てて、逃げた。戦争が激化する今こそ必要な研究だったのに…」
「それは……魔力量を増やす実験ですか?」
「そうだ。魔法軍の魔力量を底上げすることが出来れば、他国を圧倒出来る。小国と侮られることなく動けるのだ」
「そうでしょうね……」
(たぶん…アダムといるシュティレちゃんがウィス・フォンスだと分かっているから、欲しいんだね…)
いつかアダムが言っていたように、これはシュティレの争奪戦なのだとジャスパーは理解する。アダムはシュティレを"道具"と呼んでいたが、シュティレを手にして何をするのかまでは語っていない。現在も逃げているだけで、もう誰を殺したようだという情報も入ってはいなかった。
(どうしようかな…)
世間的にはヒースは悪人ではない。ただ、国の未来の為に尽力しているだけだ。しかし、ミアとアダムの言葉を無視して、ミアを使っての実験の強行による事故を起こした事は、些か個人の尊厳を無視しており、危険だと感じた。
ジャスパーがミアから事故の概要を聞いた時にまず浮かんだ感情は、怒りだった。
自分の妻が当事者であることを差し置いても、研究者が凍結しようとしていた魔法陣を、わざわざ使うという身勝手さに対する怒りだ。
「……逃げるなら、わざわざ追わなくてもいいではないですか?その研究だって、完成はしていませんし……その少女だって、好きでアダムと一緒にいるのかもしれませんよ?私が居合わせた時に声を掛けたりもしましたが、応じてもらえませんでしたし…」
ジャスパーが言うと、ヒースはどこか楽しそうに笑った。
「やはり君は、ウェスペル君を庇うのだね」
「いえ!庇う…というか…」
「それとも、気にしているのは少女のほうかな?」
「!」
基本的にジャスパーは、駆け引きなどは苦手だ。図星を突かれて素直に反応してしまう。
「やはり……君は少女とも面識があるのだね。……それなら分かるだろう?何も知らない子どもだ。幾らでも染められる。今頃はウェスペル君にあることないことを吹き込まれている頃だろう」
「……では、少女は、ジノン卿が保護をされたほうが幸せだということでしょうか?」
「もちろんだ。少女には身寄りがないからね。私が養子にする。そうなればここで使用人に世話を焼かれながら贅沢な暮らしが出来る。貴族の令嬢として、最高の教育だって受けさせてやれるのだ」
「……その代わりに、魔法で他国の兵士を殺させるんですか?」
もはや隠すのを諦めてジャスパーが言うと、ヒースは眉を顰めた。
「まさか。戦闘などさせないよ。魔法使いとて無敵ではない。殺されてしまっては困るからね。……少女は無限の魔力を有しているという。ならば、魔法軍の"回復"をしてもらえばいい。戦闘中、魔力不足にならない、もしくはなってもすぐに回復してくる魔法使いがいれば、より戦況は良くなると思わないかい?」
ジャスパーの顔がみるみる青褪める。
「それは……あまりにも少女の負担が大きいのでは?」
「もちろん休みを取らせながらするさ。一日中戦闘をするわけじゃないしね。……それが嫌なら、研究を続けて、今度こそ完璧な魔術を完成させろと、ウェスペル君には言おうと思っているんだよ。……協力してくれないか?ウィットマン君」
「……」
「今一度言おう。これは国の危機なのだ。防衛するにも限界がある。他国を退けるには、この策が最善なのだよ。大を生かすには小を切り捨てる覚悟も時には必要だ。君とて、戦争が長引いて夫婦共々徴兵されたくはないだろう?……上層部のほうでは、"魔法使い皆兵"の案も現実になりつつあるそうだよ」
「!?」
アダムに研究をさせて、魔力量底上げの魔術を編み出すか、シュティレを使って魔力の減らない魔法軍にするか……。
ジャスパーの中では、そのどちらも現実的ではない。第一、リィン国が徹底抗戦の姿勢を崩さない様子であることが恐ろしく感じた。
たまたま魔法使いが多い小国……そして、魔法使いが兵士として徴用可能だという理由だけで、強気になってしまった……。
「ひょっとして……この戦争は防衛戦ではなく、侵略戦なのですか?」
青褪めた顔のままジャスパーが訊けば、ヒースは口の端を上げた。
「いずれは、そうなることを目標としている。少女やアダム君の協力が得られれば、他国など恐るるに足りない。我が国が世界の中心になる日も夢ではなくなる」
(そんなことの為に…)
国を大きく出来れば国益となるのは理解出来るが、わざわざ他国の地を侵略などしなくても、条約を交わして上手く付き合えばいいだけではないのか?
ジャスパーは特別学があるわけではないので分からないが、少なくともアダムら古くからいる魔法使いは、そんなことの為に魔法を使いはしなかった。――そう、世界の覇権を握ろうとすれば、いつでも出来た筈なのだ。しかし魔法使い達は国を持つようなことはしなかった。それは何故なのか?
(魔法は自然界の力を"借りる"術……)
魔法学校では、魔法使いは自然界の力を"操る者"だと教わる。それは間違いではないが、説明が足りない。自然界の力は人間の為だけにあるわけではないからだ。
――「例えば、晴天に雨を降らせようと雨雲を呼ぶとする。そうすれば、気流の流れが変わる。一瞬ならそこまで影響はないが、時間や量によっては大きな乱れを呼ぶ。それがひいては異常気象に繋がるわけだ」
いつかのアダムの言葉が、ジャスパーの頭を過る。
だから使う魔法は、目の前の状況に合ったものにすべきだという。
「不服そうだね」
「当然ですよ!魔法を他国を牽制する為の道具として使うなんて…」
「では、逆に魔法使いはなぜ魔法を使うのだね?」
「…え?」
「人の力では叶えられないことを叶える為の力だろう?ならばどちらも同じじゃないか。身の回りの小さな事に使おうが戦いに使おうが、それは魔力を持つものの自由なのだよ。だからこれは善し悪しではない。個人の好みの話だ。そして今、国を守る為、発展させる為に魔法を使おうという声が多い。それに抗うのはむしろ、旧時代の古い考えから抜け出せていない、ということになるのではないかね?」
「そう…かもしれませんが……」
言いながらジャスパーは悩む。
確かに、ヒースの言う通りでもある。ジャスパーはアダムやシュティレに同情するからこそ、ヒースの考えが悪に見えるが、逆の立場から考えれば、アダムは私利私欲の為に国に貢献することを拒んでいるということだ。
(だけど……シュティレちゃんは……)
アダムの側にいようが、ヒースの側にいようが、結局誰かの何かに使われる運命は変わらないという話のようで、ジャスパーには辛かった。
「心配しなくても、先程言ったように少女は私の養子とする。生涯暮らしに困る事はないのだ。対してウェスペル君の所にいた場合はどうだ?犯罪者として、ずっと日陰者だ。憲兵に追われ、皆に後ろ指を差されてしまう……果たして、どちらのほうが幸せかな?」
「それは……本人でないと分かりませんね」
苦し紛れにジャスパーが言うと、ヒースは嬉しそうに頷いた。
「そうだ。だからこそ、私は少女と話したいのだ。その為に、ウェスペル君にその機会を設けてもらいたい。すぐに憲兵に引き渡したりしないし、協力してくれるなら、罪は不問にしよう。君が居場所を知っているなら、彼にそう伝えてくれないか?」
「居場所は知らないんです。残念ながら…」
「では、探すのを手伝ってくれるね?少女だけでも、救いたいだろう?」
有無を言わせない雰囲気でヒースは迫る。
互いに理があるというふうに話を持っていくのが、ヒースの常套句だった。権力に物を言わせて、無理に従わせるのは簡単だが、それをされて良い気分になる者はいない。逆にヒースのような権力者が、まず相手の言い分を理解している様子を見せることで、相手の警戒を解きやすいというのがヒースの経験談だった。
「先程言われていた通り、ちゃんと少女に選ばせると言って下さるなら、探すのを手伝います」
「分かった。約束しよう」
その時ふと、ジャスパーはクラウスに言われたことを思い出した。
("やばかったら花の話をしろ"って、何のことだったんだろう?)
"やばかったら"というのは、ジャスパーにとって不利な状況になる事を意味するのではないかと思うが、その場合の合図としての会話だとしたら、クラウスはジャスパーを助けてくれるのだろうか?
(でも、クラウスはガスパールさんの手伝いをしていると言っていた…)
この邸の者なのに、邸の主人の意思ではなく、ジャスパーの意思を尊重して動くと言うことは――
(もしかしてクラウス……アダムと繋がってる?)
魔法学校時代の頃を考えればまず協力しそうにないが、もしそうなら、アダムは以外と近くにいるのかもしれない……。
(試してみる価値はあるかも…)
アダムがジャスパーの為に動くとは思えなかったが、もし動いてくれるなら、もう少しアダムと話をしたかった。
「あの……ジノン卿」
「なんだね?」
「アダムの話は、聞かなくていいのですか?」
「犯罪者の理論を聞いたところで、罪を償わせる以外に選択肢はない。罪を犯すまでにどんな事情があったにせよ、それを擁護していては、罪を犯さずに真っ当に生きている人間に示しがつかないだろう?」
それは正しいと、ジャスパーは思う。思うのだが――
(結局、この論争には終わりがないのかもしれない…)
大義の為に個人に負荷を掛けるヒースのやり方も、それに抗い、自分の為のみに生きるアダムも……それぞれが大事にしているものが違ったというだけのこと。本来なら、違いを尊重して距離を置けば良いだけだったはずだ。
しかしそこに、双方が共通して欲しがるシュティレという少女が現れた為に、互いを無視できなくなっている。
(僕は、誰の言葉に耳を貸せばいいんだろう?)
もっと、良い答えはないものだろうか?
双方の意見は極端過ぎて、どちらかを自信を持って選び取ることが、ジャスパーには出来ない。
協力すると言ったものの迷うジャスパーに対し、ヒースは余裕のある笑みを浮かべた。
「君は人情に篤い様だから、迷うだろうことは想定ていたよ。だから……その迷いを私が払ってあげよう」
「え?」
ジャスパーが首を傾げると、ヒースは卓上に合ったベルをチリンと鳴らす。するとヒースの背後、応接間と続き部屋となっている部屋の扉が開いて、ガスパールとミアが現れた。
「ミア?どうして……!?」
現れたミアの首には犬の首輪のような物が巻いてある。意識がないのか、ジャスパーと目が合っても表情一つ変えない。それが良くないことを意図するものとして、ジャスパーの目に映った。
「ウェスペル君が捕まらないのなら、彼と共に研究していたミア・ラクリス君……君の妻に協力してもらって、魔法陣の完成を急がせることにする。彼女の首輪は傀儡の証。ガスパールの命に従う様に出来るのだ。ウェスペル君の使役魔法には劣るが、それに近しい力はあるものだよ。ウェスペル君が見つかるまでの間、彼女にはこの邸に居てもらう。ウェスペル君が見つからなかった時の保険だね。見つかれば解放しよう」
「そんな……」
それは人質ということではないかとジャスパーは青褪めながら、自分の甘さを呪った。
(少し考えれば分かった筈なのに…)
アダムの研究に興味があるなら、研究の協力者だったミアにも矛先が向くのは自然なことだ。むしろ今まで、よく何もなかったと思うべきだったのだ。
(……ごめん。アダム……僕は君を、助けられない…)
目の前の事態に困惑しながらも、ジャスパーの心はすぐに定まった。
ジャスパーにとっては、どんな綺麗事を言っていたとしても、妻より大事なものはない。だからこそ、妻を盾にされては、もう選択肢は残されていなかった。たとえそれが、親友の命運でも、憐れな少女の運命を決めることでも――。
「……そういえば、こちらの邸の庭園は見事でしたね。もうすぐ冬だというのに、色とりどりの花が植えてあって……私の出身地ではこの時期にはそろそろ雪が降る頃なので、花なんて咲いていないのが当たり前でしたが、多少寒くなっても咲く花が、こんなにあるなんて驚きましたよ」
急な話題の切り替えに、ヒースすら反応出来ずに困惑した表情を浮かべる。
(どういうからくりか、知らないけど…)
クラウスの言う通りにはした。
クラウスが来るのか……あるいはアダムが来るのか……。しかしこういう場合、アダムが直々に現れるという気が、ジャスパーにはしていた。
ただの勘に過ぎない発想だったが、アダムは基本的に何事も自分で行うことが多い。それは他人を信用しないからだとジャスパーは理解していた。
ここでアダムが来れば、ヒースの要求は叶えられる。アダムが捕まるなら、それでジャスパーとミアは用無しだ――と、ジャスパーは卑怯な考えを頭に浮かべながら、悪人と罵られるアダムよりも、保身の為に友を売る自分のほうが、とても醜悪で小さい人間なのではないかと悟って、胸が僅かに痛んだ。
お読み頂き、ありがとうございました。
今回は説明の多い回となりましたが、読みにくくはなかったでしょうか?
善悪の判断基準は人それぞれ……そんなことを言われているようで、自分も辛くなりましたが、久しぶりに登場したジャスパー君がどうなるのか、次回も楽しみにして頂けたら、嬉しいです。




