33.誰が為の……
「今年の春のダッツ男爵……夏に入ってカラン子爵……もしかして、その前のマレク先生もか?学校の関係者だし……」
薄暗い部屋の中、燭台の灯りを頼りに、ジャスパーは資料を捲っている。資料と言っても、新聞の切り抜きや、手書きのメモなどの細々としたものばかりだったが……。
ジャスパーは、アダムを見失ってから、独自にアダムが起こしたと思われる事件を探り始めた。
憲兵はアダムに、ダッツ男爵とカラン子爵殺しと、少女の誘拐の容疑を掛けていたが、初めは、アダムが殺人なんてするわけがないと否定したい気持ちが強くて、きちんと事件の概要に目を向けなかった。
しかし、アダムが去り際に見せた冷たい笑みを思えば、アダムがけしてシュティレを救ったわけではないであろうことは理解した。
少なくともジャスパーが知るアダムは、地位や名誉に興味を持つ人間ではなかった。そんなアダムが、国の貴重な戦力として数えられる魔法使いにとって、最強の存在と言えるウィス・フォンスを味方につけている事実に、明確な意図を感じずにはいられなかった。
まずダッツ男爵は、リィン国の中でも辺境の小さな領地を三年前に下賜されたばかりの新任の男爵で、ダッツが男爵になれたのは、当時その地域に居なかった魔法使いだったからだった。国としては、全土に魔法を広めたかったようで、ダッツ男爵に魔法使いの育成を任せていたようだ。
しかし記録によると、ダッツ男爵は魔力はあれど、魔法学校に通った経歴はない。本格的に魔法を使えるようになったのも三年前だ。それも、魔力にかなりばらつきがあったという。ある時は極大の魔法を放って見せたが、普段は初歩的な威力の低い魔法ばかりを扱っていたらしい。
これらのことを、ジャスパーは現地でダッツ男爵の生徒だったという人物に聞いた。
そして、気になる話がもう一つ。
ダッツ男爵は、細身で小柄な少女を伴っていることも多かったという。娘ではないし、いつもフードで顔を隠していたこともあり、どこの誰かも分からなかったが、使用人のようだったという。
そして今年の始め、ダッツ男爵の所に若い男が訪ねて来た後から、この少女を見掛けなくなり、ダッツ男爵の魔力が格段に下がったのだとか。
「きっとこの少女がシュティレちゃんで、ダッツ男爵を訪ねた男がアダムなんだな」
数ヶ月後にアダムの屋敷に向かったと見られるダッツ男爵が失踪しているので、恐らく間違いではない。遺体が見つからないので失踪となっているが、アダムが殺したとして、憲兵は動いた。
「証拠がないから、なんとも言えないけど…」
そもそも、とジャスパーは思う。
全ての魔法使いが魔法省に登録必須なリィン国が、ウィス・フォンスの存在を感知出来なかったのはどういう訳だろう?
魔法省の人間が魔法使いを探すのは、大概魔力を感知するところから始まるのだが、ウィス・フォンスほど膨大な魔力をどうやって隠していたのか……。
「ああ、でも、僕が初めて会った時も、そこまで多い魔力があるようには見えなかったし、ある程度抑える方法は知っていたのか……それに…」
――『――暗い……部屋に閉じ込められて、魔力を吸われる時だけ外に出されて、体に歯を立てられる痛みを知ってますか?飢え死にされたら困るからと、腐りかけの残飯を無理矢理流し込まれる苦しさは?魔力が足りないと気を失うまで殴られ、蹴られる痛みは?熱した火かき棒で肌を焼かれる痛みは?その時の私の気持ちが……ミアさんには、理解出来るんですか!?』
ジャスパーは、前にシュティレが言っていた言葉を思い出す。その言葉を、メモにも残していた。
「ダッツ男爵がいないから、彼がどういう経緯でシュティレちゃんを手に入れたのか分からないけど、少なくともアダムは、ダッツ男爵がシュティレちゃんを所持していることを知っていた……そして、憲兵は何故かアダムがシュティレちゃんを"誘拐した"として捜査を始めた」
ダッツ男爵が行方不明という話は広がっていたが、使用人の少女が行方不明という話は聞いたことがない。恐らく記事にもなっていない。
つまりは、ジャスパーの知らないところで、シュティレの存在は知れ渡っており、今回の捜査を後押ししているというジノン卿も、シュティレのことを知っている可能性が高いということなのだろう。
そんなジノン卿と関わりが深かったのが、カラン子爵だ。
カラン子爵は、王城で経理を担当する官吏の補佐のような役回りだったらしい。ジノン卿とは幼少期から関わりがある旧知の仲だったそうで、ジノン卿に国政のことや官僚の間を飛び交う噂話などを、流していたらしいという噂がある。
「憶測に過ぎないのが苦しいけど…」
アダムとの関係は不明だが、魔法学校時代、ジャスパーもカラン子爵を見たことがあった。学校に金銭的支援をしてた筈だ。
「待てよ……。アダムのしていた研究は、学校長からも頼まれていたものだったな」
個人の魔力量を底上げする方法を探す研究――そして、無限の魔力を持つ、ウィス・フォンス――そこまで考えて、ジャスパーの頭に火花が散った。
「そうか!学校長達は、ウィス・フォンスを作りたかったんだ!」
恐らくその頃には、シュティレの存在が一部の権力者の間で噂になっていて、争奪戦が行われていたのかもしれない。そして、学校長達は、優秀な魔法使いが集められている学び舎なら、意図的にウィス・フォンスを作れる可能性があると考えた。
そこで当時その中でも一際優秀だったアダムを使って、研究を進めたというわけだ。
そうすると、アダムが追われているのは、研究の資料を欲した権力者達の画策とも捉えることが出来る。何せアダムは、誰にも行先を告げずに学校を去り、十年の間、表舞台に姿を現さなかったのだから……。
「学校長もカラン子爵も亡くなっているし、動くとしたら、やっぱりジノン卿ってことになるか…」
カラン子爵からウィス・フォンスの噂を聞いて、ジノン卿が興味を持った可能性は高い。
「アダムは、なんで研究を止めたんだろう?」
口に出してはみたが、理由はすぐに思いついた。
当時研究に参加していたミアが、事故で入院している。何かの極大魔法を練習中に、魔力の暴走が起きて反動で魔法を体に受けてしまったらしい……。
だが、ミアは魔力のコントロールが上手かった。それを見込まれて、研究に参加していた筈だ。そんなミアが、自分から失敗する確率の高い極大魔法など練習するだろうか……?
ジャスパーとミアの仲が深まったのは、学校を卒業した後のことで、退院したミアが、魔法使いとしての力を活かした職に就けるように魔法省の職員としてジャスパーが支援したのが馴れ初めだ。
仲が深まるにつれて、事故の詳しい話は気になったが、事故のショックで事故当時の細かい記憶がないとミアは言っていたし、話すことで辛い過去を思い出すことになるので、詳しくは聞けなかった。
「ちょっと、ジャスパー。まだ起きてるの?」
その時、ちょうどミアが戸口に顔を覗かせた。
「ごめん。もう休むよ」
ジャスパーが慌てて資料を片付け始めると、ミアは側へ寄ってきて、ちらりと資料を見た。
「……アダムのこと?」
「ああ。……どうしても、気になっちゃって…」
「仲良かったもんね」
ミアは、昔を懐かしむように穏やかに目を細めたが、ジャスパーは頷きながらも少し顔を曇らせる。
「アダムが本当のところはどう思っていたのか、僕には分からないけど……僕は、親友だと思っていたよ」
魔法学校時代、しつこい難波に困っていた女生徒を助ける為にアダムと共闘して以来、何かと話をするようになった。共通点と呼べるものは少なかったが、不思議と馬が合った心地がしていて、チェスが好きだということで、よく二人で対局したのが良い思い出だ。
「流石にあの頃は、打算で付き合ったりしてないんじゃない?きっとアダムも、楽しかった筈よ」
ミアは慰めるようにジャスパーの肩に手を回す。
「ありがとう」
その手に自分の手を重ねながら、ジャスパーは暗い気持ちを押し流す。元来、くよくよと考えるのは苦手だ。
「ミア」
「うん?」
「アダムをどう思う?」
「……どんな理由があれ、私は医術の心得がある人間として、命を軽んじる行為は許せない。だから、アダムが殺人を犯したのなら、それは許せない。だけど――シュティレちゃんにとっては、アダムは救世主だったように、ジャスパーが『親友』と呼んだアダムも、ちゃんと居るんだと思う……変わった人だとは思ったけど、私にとってもアダムは友人だから、出来ることなら、アダムを助けてあげたい…かな」
「僕もだよ……アダムがこうなった原因があるなら、それもちゃんと暴きたい。アダムだけが悪かったなんて言わせない。――そうなったら、僕は権力者に喧嘩を売ることになってしまうと思うけど……」
「いいんじゃない?私は、何があってもあなたの味方よ。妻だもの。それに、私達の友人を貶めた奴がいるなら、放っておけないから」
ミアはジャスパーを背後から抱きしめる。
「ありがとう」
そう言ってジャスパーは嬉しそうに笑った。それから少し真剣な顔をする。
「ミア。……ミアが入院することになった原因の事故って、どんなだったか聞いてもいい?」
「……うん」
ミアも神妙な顔で頷いた。
リィン国は、ダキア国より内陸に位置する小さな国だった。四方を他国に囲まれており、山はあれど海はない。その代わり、国の東に大きな湖がある。
特にこれといった産業がないが、自然豊かな土地であり、物を加工する技術に長けていたので、それを武器に周りの国と上手く貿易して生き延びてきた国だった。
しかし近年、周りの国が領土を広げようとするのに巻き込まれるようにして、リィン国にも戦火がやって来た。それを魔法使いを使って防衛したことで、なんとか今まで、独立国として保っているという状況だった。
「だからこそ、ウィス・フォンスを国の為に使うべきなんだ」
今までにない強大な魔法で他国を圧倒出来れば、数年はリィン国は襲われずに済むに違いない……と、クラウスは熱弁する。それを聞くともなく聞きながら、アダムは紅茶を啜った。
クラウスと戦ってから数時間が経過し、夜が明けていた。
体調が回復するやいなや、クラウスはヒースに刃向かうのはやめるように、アダムに説き始めたのだった。
「魔法で牽制したって同じこと。いつかは戦火に巻き込まれるんだ。それに、魔法はそんなに融通の利く力じゃない。おまえも魔法使いの旧家なら、意味は分かるだろ?使う力には対価を払うものだ」
「そうだが、だからこそ、ウィス・フォンスが一度でも大立ち回りをしてくれれば、リィン国にはとんでもない力があるという牽制になるんじゃないか」
「そうなれば一度では済まない。きっと何度でもシュティレを戦場に送る羽目になる。力は力で捻じ伏せられる。魔法使いと言えど万能じゃない。剣や弾丸で簡単に傷つく。シュティレをそんな風に使うつもりはない」
「……まさか……ウィス・フォンスに情が移ったかか?」
「勘違いするな。俺の道具だから、他所に使う気がしないだけだ。おまえらはのんびりと、自力でウィス・フォンスを作る方法でも探してろ」
「……それを知っているのも、おまえじゃないか。アダム」
「気安く呼ぶな。おまえは今、俺に使役されてるんだぞ」
「フン!こんなもの、すぐに…ぅああ!!」
魔法を解こうと抗ったクラウスは、突如として激しい頭痛に見舞われ、床に蹲った。それを冷たい目でアダムは見下ろす。
「ヒースが何をしたいか大体分かった。つまりは、シュティレをリィン国の為に使い、シュティレを所有していることで、確固たる地位を得たいというわけだな」
「……そうだ」
頭痛から解放されたクラウスは、苦々しげにアダムを睨みながらも答える。アダムに使役されているせいで、偽りを述べる事も黙秘する事も出来ないのだ。
「くだらない……地位や名誉がなんだって言うんだ。協力しないと周りの人間を殺すまでして追い詰める……そうまでして守りたいだなんて、貴族という人種には本当に辟易するよ。国の危機でも所詮は保身が最優先なんだから……シュティレは、人間だ。簡単に使ってくれるな」
「なら……おまえは、ウィス・フォンスをどう使うつもりなんだよ?おまえを追い詰めた貴族を消すだけなら、ウィス・フォンスはいらないだろ」
クラウスが問うと、奥にあるキッチンで食器を洗っていたシュティレが手を止めた。それとは気づかれないように、アダムを盗み見る。
アダムは、不敵な笑みを浮かべた。
「この辺り一帯を更地にでもしてやろうかな。そうしたら、戦争どころじゃないだろ?」
「……真面目に答えろよ」
「おまえに答える必要はないだろ。逆に訊くが、どうして俺がシュティレを使って何かをすると思うんだ?」
「は?だって…」
「無限の魔力があるからといって、使わなければいけない決まりなどないだろ」
「じゃあ、おまえはウィス・フォンスをずっと隠すつもりなのか?そのせいで国が滅ぶとしても?」
「国がどうのは俺には関係ない。人を使い潰すことしか脳がない連中なんて、どうにでもなればいい」
「……」
「知っていて黙っているのか、知らないのかは分からないが、魔法は人の手には余る。悪戯に自然界の力を使い過ぎると大地が疲弊する。自然災害の元だ。遅かれ早かれ、戦争どころではなくなるぞ」
「……それは何百年も先の話だろ。今すぐじゃない」
「今じゃなければいい…か。人間は愚かだ。争いを止めることは出来ない。慢性的にウィス・フォンスや大多数が魔法を使うなら、何百年も待たずして異変は起きる。確かにリィン国は魔法を使うのに適した国なんだろうと思うが、本当にリィン国を守りたければ、さっさとどこかの国の属国にしてしまえばいい。小国として抵抗するより、よっぽどマシだ。属国になっている間に力を蓄えて、いつか独立を勝ち取ればいい」
「どうあっても、ウィス・フォンスを使いたくないんだな…」
クラウスは皮肉めいて言ったが、アダムはそれには答えない。
「傷が治ったのだから、さっさとヒースの所に帰って状況報告して来いよ。"アダム・ウェスペルもウィス・フォンスもまだ見つかりません"ってな」
「……分かった…」
アダムに真っ直ぐ瞳を睨まれて言われては、クラウスは逆らう事が出来ない。結局素直に頷いてしまう。それは、蛇に睨まれたカエルの如く。
(逆らえない……使役魔法とは、凄まじいな…)
自身の魔力でもって相手を縛る。精霊からも自然界からも力を借りない。ただ、術者の強い意思のみで相手を服従させる。術者の魔力を上回る力が無ければ、抗えない。
クラウスは憎々しげな表情ながらも、そのまま家を出て行った。
「普通に帰して大丈夫だったの?」
マリアがクラウスの出て行った玄関を眺める。
「ああ。あいつはここであったことを誰にも話せない。俺が許可してないからな」
「そう……使役魔法ってすごいのね」
「ですが、クラウスも馬鹿ではないです。なんとかして、自分に起きた異常を他者に伝えようとするのでは?」
クロが心配そうにアダムを見上げる。
「それなら、それでもいい。ヒースが出てきてくれたりすれば、さっさと片が付く」
クロは瞳を瞬かせる。自分の主人の発言に違和感を感じた。
「お言葉ですが……それは、"ヤケになっている"と言いませんか?」
クロの言葉が可笑しかったのか、アダムは少し表情を和らげた。
「妙な言葉を知ってるな……大丈夫。どうしようか迷ってはいるが、自暴自棄になっているのとは違うから」
「迷って…?」
クロは質問しながら瞳を輝かせる。
「それって…」
「ボク、相談に乗りますよ!」
クロの言葉を遮って、シロが風の如くアダムの前に躍り出る。
「アンタ、いつの間に帰って来たのよ!」
「今だよ!……イテッ!」
シロはさっきまで庭で薪割りをしていた。
クロはシロを睨んでは猫パンチを食らわせる。
「ほんと、仲良しね〜」
マリアはそれを見て微笑みつつ、アダムにも視線を向けた。恐らく使い魔の二匹が感じたであろうことを、マリアも思っていた。
"迷っている"という言葉をアダムから聞くのは、かなり珍しい事のように感じたのだ。
「相談、か……たまにはいいかもな」
これには皆の視線がアダムに集中した。
「ご、ご主人様?…まさか、どこか具合でも……!」
そう言ってクロがアダムの額に触れると、
「あつっ!熱がありますよ!ご主人様!」
「……騒ぐな。うるさい……こんなのは、少し休めば、治る」
アダムはクロの手を邪険に払うと椅子から立ち上がったが、その瞬間よろめいた。
「ご主人様!?」
シロがすかさず支えたので倒れはしなかったが、苦しそうに顔を歪めた。
「大変!シロちゃん、アダムをベッドに寝かせて!」
「はい!」
「……だから、平気だって…」
「ご主人様は黙ってて下さい!」
珍しくシロがアダムの言葉に逆らって、問答無用でアダムを抱き抱える。アダムは抵抗するが、力が入っていなかった。
「ご主人様…」
不安そうにオロオロするシュティレ。その手をマリアが握る。
「大丈夫よ。とりあえず、水で濡らしたタオルで、頭を冷やしてあげて。私は、医者を呼んでくるから」
「それなら、私も行きます」
「え?クローディアも?」
「はい。ワープは無理ですが、私が馬に変身しますから、乗って下さい。そのほうが速く着きます」
「わかった。ありがとう」
皆が慌ただしく動き出し、やがてマリアとクロは外へ、シロはアダムを寝室に運んで、シュティレは水の入ったタライを持って、シロについていった。
「平気だと言ってるのに…」
ベッドに寝かされたアダムはまだ文句を言っていたが、「どう見ても平気じゃありませんよ!」とシロに一蹴される。
「まさか、クラウスに毒を盛られたとかじゃないですよね?毒の匂いはしませんでしたけど…」
「いや、違う。珍しく疲れただけだ。……だから、殺気立つのはやめろ」
「……すみません」
アダムがシロの頭を撫でると、シロはピン!と立てていた尻尾を寝かせて目を細める。
「やっぱり、クラウスまで使役したのはやり過ぎだったのでは?」
「かもな…」
「シロ。"やりすぎ"って?」
黙っていたシュティレが不安そうに訊くと、シロはシュティレを振り返る。
「ご主人様はボクとクロとシュティレに加えて、マリアさんにも制限を掛けていたよね?使役魔法は掛ける相手が増えれば増えるほど、維持するのが難しくなる魔法なんだ」
「そんな…」
「おい、シロ。あまりシュティレを不安にさせるな…」
「でも……他にご主人様が熱を出す理由が分かりませんし…」
「あの、ご主人様。私、何でもしますから、出来ることがあったら、教えてください」
結局いつも、聞かなければ分からない……その無知さがシュティレは嫌になる。
「そんな顔するな……寝てれば治る」
そうして、こんな時でもアダムは優しかった。もう気遣わなくても、シュティレはアダムから離れないと決めているのに…とシュティレは不思議に思ったが、アダムの中で、シュティレに対する態度として、この優しさが定番になってしまっていたのかもしれないと思い直した。
(それなら……本当のご主人様はどんなだろう?)
ふとそんな疑問が浮かんで、途端にシュティレは苦しくなった。
アダムはかなり無理をしていたようで、そのあとすぐに眠ってしまった。
「私……役に立たなくてごめんね…」
いたたまれなくて謝ったシュティレだったが、シロはそんなシュティレを抱きしめて、あやすように体を揺する。
「なんで謝るの?誰も役立たずだなんて思ってないよ?」
「…私、ご主人様に感謝してるから、力になりたいのに……いつも、言われたことしか出来ない……教えてもらわないと、何も出来ないから、お荷物だなって……」
言いながら泣きそうになってしまって、シュティレは慌てて口を閉じる。深く息を吸って、なんとか涙を堪えた。
「それは……仕方ないよ。シュティレはずっと閉じ込められていたんでしょ?これからゆっくり勉強して、シュティレのなりたい自分になればいいだけだよ」
「ゆっくり…なんて……そんな時間、あるのかな?」
アダムが動けなくなる前に出来なければ意味がない。そう思うシュティレに、「大丈夫。ご主人様は、簡単に死んだりしないよ」とシロが力強く言った。
「え?」
驚いてシロを見上げるシュティレに、シロは口角を上げて見せる。
「病気じゃない限りは、クロがご主人様の死を回避出来るからね。なんでも、ご主人様とクロの契約の対価が心臓だから、らしいんだけど」
「心臓……なら、シロの場合は?」
「ボクはね……"ご主人様の方からボクを捨てないこと"」
「捨てないこと?」
「うん♪ボクはご主人様のことが好きだから、ずっと一緒に居てくれるなら、ご主人様の敵を全部斬ってあげるって約束したの」
(私は、なんだっけ……?)
シュティレ少し考えたが、そもそも離れないと決めたのだから、思い出さなくてもいいのかもしれない。
「とにかく、大丈夫。シュティレの出来ることは、ゆっくり見つければいいから。無理だけはしちゃダメだよ?」
くしゃりとシュティレの頭を撫でて、シロは離れた。
「うん。…ありがとう」
(みんな、本当に優しい…)
こんなに甘やかされていて良いのだろうかと、シュティレはむず痒くなった。
「私……このまま生きていて良いのかな?……あ」
シュティレは無意識に言ってしまってから、慌てて口を噤んだ。シロを見れば目が合った。その表情から、聞こえていたのは明白だった。
(言っちゃった…)
それは、シュティレの中にずっとあった問いだった。けれど、その問いに答えられる者はいないだろうし、困らせるだけだと思っていただけに、口にしたことはなかったのだ。
難しいことはシュティレには分からない。ただ、いつも自分を取り合って人死にがある争いが起き、今は戦争にも求められている。
そして、自分の存在は作られたとはいえ、偶然に近い状態で、すぐに同じ状態の人間は生まれないことも分かった。だからこそ、自分を欲しがる人間が後を絶たない……。
そうなってくると、シュティレはむしろ自分が居ないほうが争いが減るのではと考えるようになった。
「生きている価値があるか、なんて、ボクには分からないけどさ。ボクは、シュティレと一緒に居られて楽しいよ♪今からシュティレが居るのと居ないのとを選べるとしたら、シュティレが居るほうがいいって答えるもの」
「……私、魔法のことも良く分ってないから、もっと出来ることあるんじゃないかなって…」
「たぶん……シュティレが出来ることはいっぱいあると思うよ。魔法に限らず……でもさ…」
そこでシロは首を傾げる。
「それは、シュティレがやりたいことでいいんじゃないかな。シュティレは、どうしたいの?」
「私は……ご主人様や、シロとクロと一緒に居たい。ずっと、ただ穏やかに暮らしたい」
「なら、その為に必要なことをすればいいだけだよ」
確かにそうなのだろうが、シュティレにはその必要な事が分からない。自分が我儘を通すせいで周りが混乱するのかと思うと、悩みどころだ。
シュティレが素直にそう言うと、シロはますます首を傾げた。
「シュティレは我儘言っても良いんじゃない?だって今まで、言わせてもらえなかったんでしょ?」
「……うん」
「ご主人様だって、シュティレが言う我儘なら、聞いてくれるんじゃないかな」
「そう?」
「うん!ご主人様が元気になったら、聞いてみなよ」
「うん…」
その後、マリアとクロが医者を連れてくるまで、シロとシュティレは、アダムの側に付き添っていた。
アダムはなかなか目を覚まさなかったが、疲労による発熱だろうと医者は言っていた。熱冷ましを飲ませた後から呼吸も落ち着いて来たので、ひとまず皆は安心するのだった。
お読み頂き、ありがとうございました。
語る人によって様々な理屈や正義があるものだと思います。正義の対義語は正義と言いますから、シュティレをどうすべきかは、難しい課題のようですね。




