30.一方通行の願い
「…"即刻排除すべき"か……」
アダムがエルドラに着いた頃、マリアは職場の裏手で、小さい紙切れを眺めて渋面を作っていた。
あまり上質とは言えない古紙のようなその紙にはただ一言。『我らの間では禁忌として周知されている。禁忌は即刻排除すべきである』と書かれていた。
「魔法使いの世界も案外シビアなんだね…」
マリアはアダムに言われた通りに、実家が細々と関係を続けていた魔法使いに連絡を取っていた。
その魔法使いとは昔から、マリアやヘレナのように魔力を持った者が生まれた場合に、力を抑えられるように監督の役割をしてもらう形で関わっていて、用がある時は伝書鳩を飛ばしていた。
マリアが幼少の頃に一度会った魔法使いは、口数が少なく、フードを被っていて男か女かも判別しづらい人物だった。要件だけを感情の感じられない声音で淡々と話すだけの人で、マリアは人ではないのではないかと思う程怖かった記憶がある。
そんな魔法使いは名を"テス"と言い、人が入らず、妖精が好んで住む森の奥深くに代々住んでいる。あまり森から出ることはないらしい。
そんなテスとの関わりは浅い。マリアもヘレナも、テスの手を借りるほど魔力に振り回されることはなかったからだ。
いきなり手紙を送って応えてくれるかは疑問だったが、とりあえずウィス・フォンスと思しき"悪魔の子"という噂を聞いたのだけれど、存在を知っているか、もし実在する場合、どうすべきかと訊いてみた。その返事がこれ。
「…さすがに、シュティレちゃんには聞かせられないな…」
出会うもの全てがまず、自分に危害を加えると思っていると言わんばかりのあの瞳を思い出す。怯えているような、失望しているような、あの瞳……。
「あんなに寂しい目をする女の子に、これ以上辛い思いをさせたくないな」
きっとアダムも、それは望まないだろう。
「アダムが実家から逃げたがってたのは、これもあるのかな」
魔法を力の誇示に利用する人はシュティレを道具として欲しがり、同じ立ち場である筈の魔法使いは、シュティレの高すぎる魔力を『禁忌』と呼んで邪険にする――ならシュティレは、どこを拠り所として生きていけばいいのだろう?
きっとその一つの答えが、アダムの対応なのかもしれなかった。世間から隠し、ただ自分の為だけに使うが、守りもする。アダムがいる限りは安泰だ。
「魔法って、いつからこんなに窮屈な力になっちゃったんだろ」
マリアは溜め息をつきながら、気分を変えるように空を振り仰いだ。茜色に染まる空には、薄い雲が伸びている。
冬が近い今は、日が沈むのが早い。もう半分以上日が落ちている。日が落ちたら店仕舞いをして、家に帰る。今日はシュティレとシロが待っている筈だと考えて、マリアは頬を緩めた。
家に誰か居るというのはいいものだ。
「……さて。もう一仕事するか」
※
翌日の昼。
マリアの家の前、曇り空を見上げるシロの姿があった。
「そろそろ帰ってくるかな…」
竈に焚べるための薪を取りに出た帰りだった。
先日にクロからの念話を受け取り、それによると、アダムとクロはエルドラという町に一泊し、今日は目的地に行く予定で、早くても帰りは昼以降になるとのことだった。
「順調そうで良かったけど、さびしいなぁ〜」
数年前には一人でいるのが当たり前だったシロだが、今ではすっかり寂しがり屋になってしまった。
「シュティレも不安だろうから、ボクがしっかりしないとね」
シロは気合を入れるように頬を叩いて、家に入った。
「あ、おかえり」
家ではシュティレが、スープに使う野菜を刻んでいるところだった。邪魔にならない様に長い髪を後ろで三つ編みに縛り、腰にエプロンを巻いている。
「おまたせ♪今火を起こすね」
シロが竈に薪を焚べて火を付けると、シュティレは刻んだ野菜と水を入れた大鍋を抱えて竈に持ってきた。その様子に、シロは目を剥く。
「うわっ!重いでしょ?代わるよ」
「だい、じょうぶ。これ…くらいは…」
「大丈夫じゃないよ!貸して」
「……ごめんね」
鍋を竈に吊るすと、申し訳なさそうにするシュティレの肩に、シロは優しく前足を置いた。
「謝らないで。ボクが女の子に重いものを持たせたくないだけだから」
「うん……だけど、これくらいできなきゃ、役に立てないし…」
「そんなことないよ。いつもシュティレはがんばってるじゃない。体だって弱いのに」
「…ごめんなさい」
「わわ!謝らないで。シュティレは悪くないよ」
何かとすぐに謝る癖があるシュティレが、シロは心配だった。それは今までの環境のせいだというのは理解していたが、付き合いが長くなってきた自分に対してもまだ遠慮する様子を見せる辺り、環境というのは、人格形成に非常に重要なのだと思い知る。
(それでも、だいぶ自然になってきた気がする)
シロは鍋の中身を混ぜるシュティレの穏やかな表情を見て口角が上がった。
「そうだ。シロ」
「うん?」
「ご主人様とクロ、そろそろ帰ってくるかな?」
「予定では、そのはずだけど…」
「じゃあ、ごはんは食べるかな?一応、多めに作ったけど…」
「それはいいね!」
シロはシュティレと顔を見合わせて笑う。
(ほんと、かわいいなぁ〜)
シロはそんなシュティレが可愛くてしょうがなかった。家族という感覚が強い。魔物は自然発生だから親はいないし、子孫を残そうという本能もないものだったから、シロには自分の気持ちが何ゆえに湧いてくるものか分からなかった。アダムという主人の下に協力し合う仲間だから、他には抱かない感情を持ったのかもしれないと、ぼんやりと思っている。
そんなシロが向ける気持ちの温かさを、シュティレも端々に感じていて、いつもどこか擽ったいような気分になっていた。それはクロにもアダムにも感じる気持ちで、シュティレは感謝する反面、この現実が夢ではないかと不安になった。
続いてほしいと願う程に全てが壊れる最悪も想像してしまって怖くなる。怖くて堪らなくなりそうになるけれど、今に目を向けて、思ったことは伝えようと努力することにしている。だから今日も、
「いつもありがとう。シロ」
そう、出来る限りの笑みを見せてハグをする。
「どういたしまして!」
最初は「大したことはしてないよ」と返していたシロも、なんとなくシュティレには必要なことなのだと思うようになって、シュティレの言葉をそのまま受け取るようにしていた。
「ずいぶんと楽しそうだな」
「「ご主人様!!」」
突然キッチンの横からアダムが顔を覗かせ、シロとシュティレは全く同時に同じ言葉を発した。
アダムは目を丸くして、やがて声を上げて笑った。
「息ぴったりね」
そんなアダムの肩の上からひらりと降り立ったクロは、呆れたように言ったが表情は優しい。
「クロもおかえり」
シュティレがサッと屈んでクロを撫でると、クロは気持ち良さそうに喉を鳴らした。
「もう少しでごはんが出来ますよ♪」
シロも楽しそうに尻尾を振って、食器の用意を始めた。
「シュティレ」
「はい?」
シュティレが振り返ると、アダムはそっとシュティレの髪を撫でた。それだけでシュティレの顔は朱色に染まる。
「後で魔力を貰っていいか?ちょっと魔力を使い過ぎてな」
「それは大変!なんなら、すぐ渡しましょうか?」
「……いいのか?」
「はい」
シュティレはそう言って手を差し伸べる。アダムはそれをしばし見つめて、笑みを浮かべる。
「なら……遠慮なく」
アダムはシュティレの手を掴むと、自分の方へ引き寄せる。
「え?」
驚くシュティレの唇に、アダムは自分の唇を重ねて魔力を吸った。
(ご主人様…)
その様子を見たクロは溜め息を吐く。
(魔力を貰うだけなら、キスでなくてもいいのに…)
問えばアダム本人は"このほうがシュティレが喜ぶ"などと言うのだろうが、クロにはただアダムがキスをしたかっただけのように見えた。
二人は何度かキスをしている筈だが、シュティレは毎度初心で可愛らしい反応をしているので、アダムもからかいがいがあるのかもしれないと思った一方で、アダムがシュティレに癒しを求めている気がして、クロはなんだか切なくなった。
「……何だ?そんなにとろけた表情をして」
シュティレから顔を離すと、アダムはわざとらしく言う。
「いえ…その…」
魔力を吸われただけなのに、アダムとキスをしていることに意識が向いてしまい恥ずかしかった……とは言えずに、シュティレは言葉を詰まらせる。けれど、アダムはそれを分かっていて言っているのだろうという気がして、シュティレは余計に顔を上げることが出来なかった。
「ご主人様。シュティレがかわいいからって、あんまりからかっちゃダメですよ?シュティレが困っているじゃないですか」
シロがそう言って腰に前足を当てる。
思わぬ方向からの言葉に、アダムは一瞬面食らう。
「おまえ、本当にシュティレと仲良くなったな…」
「そうですよ。だけど、ご主人様が大事なのも変わってないですから、安心して下さい♪」
「別にそこは疑ってない」
「そうですか?……はい!ごはんが出来ましたよ」
そうこう言っているうちに昼食の用意が終わり、皆テーブルについて食事する。
「ところで、元御弟子さんには会えたんですか?」
シロが首を傾げると、アダムは頷く。
「ああ。そして当たりだった。どうやら元弟子のボルツは、お祖母様が作った魔力の結晶……前にお祖母様のレシピ帳から取り出したエメラルドだが、あれを複製して持ち出して、他者に使った。それがシュティレだ」
「わた、し?」
驚くシュティレに頷いて見せながら、アダムは懐から本を取り出した。革表紙の古びた本。先程ボルツの家から拝借してきたものだ。
「きっとこの中に詳しい経緯が書いてあるだろう。あとで解読する。それから……エメラルドに籠められていた魔力は、俺のものだった。つまり、シュティレがウィス・フォンスとなったのは生まれつきではなく、間接的ではあるが、俺のせいだ。それをどう捉えるかは、おまえに任せる。シュティレ」
「…え…」
シュティレは呟いたきり固まる。
情報量が多くて、整理するのに時間が掛かった。
エメラルドを複製して持ち出した……つまりは盗んだということだろうが、そうまでして自分のような存在を生み出して何がしたかったのか?何か目的があるなら、なぜ今ボルツは自分の所有者になっていないのか?……様々な疑問がシュティレの頭を過る。
「ご主人様」
シュティレの内面を感じ取ったクロが口を開くと、分かっているというようにアダムは頷いて、本を軽く開く。いくつかのページを流し見ては閉じた。
「やはり中身は暗号化されているな。解読するにはまた少し時間がかかるが、解読出来たら内容を教える。歯痒いだろうが、シュティレ。それまで待ってくれ」
「……はい。大丈夫です」
シュティレは神妙に頷く。真実が垣間見えても、変わらずに従う様子に、アダムは内心苦しかった。
(シュティレ……おまえは見かけによらず、強い精神力を持っているんだな…)
だからこそ今まで生きていたのかもしれないとアダムは思ったが、アダムが与えたものがどれだけシュティレを救っていたのか、アダムは知らない。
「えーっと……つまり、シュティレはたまたまウィス・フォンスになったわけじゃなくて、そのボルツさんって人が、シュティレをウィス・フォンスにしたってことですか?」
普段細かい思考をしないシロにとって、この事実はややこしくて難しい。
「ああ。そうだ」
アダムからの返答を受け、シロは更に困惑したように首を捻る。
「じゃあ、なんでそれが、ご主人様のせいってことになるんですか?」
「アンタ、話を聞いてなかったの?ボルツが作ったエメラルドの複製に籠められていた魔力は、ご主人様のものだと言ったでしょう!」
クロが言ってはシロの首を絞める。
「うぐぐ……ぐるじい〜」
「クロ。やめろ」
「す、すみません!…シロが馬鹿すぎてつい…」
クロが手を離すと、シロはぜぇぜぇと息をつく。それからじっとりとクロを睨んだ。
「それはボクにも分かったよ。ボクが言いたいのはそこじゃなくて、なんでご主人様の魔力だったからって、ご主人様が悪いって話になるの?ってことだよ……ご主人様。ボルツさんは勝手に魔力を使ったんですよね?ご主人様とか、ご主人様のお祖母様が使えって指示したわけじゃないんですよね?」
「ああ」
「なら、ご主人様は悪くないですよ。知らなかったんですから!」
「たとえ知らなくても、関係ないとは言えないでしょ」
クロが呆れると、シロはますます不機嫌そうに顔を歪めた。
「そうだけど……それでも、ご主人様は悪くないと思う。もし、悪いのだとしても、ちゃんと罪滅ぼしはしてると思うよ……だって、シュティレはご主人様と居ると幸せそうだもん」
「それは…」
クロは口籠り、シュティレに目を向けた。
「!」
急に飛び火したシュティレは驚いて体をビクリと震わせたが、少しはにかみなから頷いた。それを見てクロもシロも表情を和らげる。
「ね!だから、自分を責めちゃダメですよ。ご主人様」
シロは明るい笑顔で主人を見つめるが、当の主人は、「そうだな」と答えはするものの、いつもの余裕は感じられなかった。暗い表情で目を逸らす。
(ああ、やっちゃったかも…)
シロはその様子を見て後悔する。
シロの主人は、他者に気持ちを向けられることを極端に恐れている。そして、自分が他者を愛することすらも拒み、感情に蓋をする。
その意志は強固で、他者の心を読む事が得意なクロにですら暴かれないほどだ。それ程までに、主人は傷ついた経験があるのだろうとシロは察して、無理にこじ開けまいとしていたが、最近の主人の様子が、自分達使い魔の前でだけは少し開放的に見えるようになったせいか、つい、余計なことを言ってしまった。
きっとそれは、主人も意図しない行動だった筈だ。出すまいとして仕舞い込んでいたもの。
主人は誰に対しても心を開かないと決めているのだ。その決意はシロの目から見れば悲しいけれど、主人自らがその悲しさに向き合うべきで、こんなふうに他者から指摘されるべきじゃない。
特に、使い魔として一番近くにいる自分達こそが、一番してはいけないことなのだ。おそらく一番信頼されているからこそ、いつか主人が自ら壁を破って自分達の所へ来てくれるまで、待たなくては……。
クロがシロを無言で睨む。
(ごめん…)
シロは心の中で謝りながら、また主人が心を閉ざさないかと心配していた。
当のアダムは、それからは黙々と食事をして、サッと席を立つ。
「上の部屋で解読している。集中するから、余程の事がない限り邪魔するなよ」
そう事務的に言っては二階へと上がって行った。
「……」
残された三名はしばし無言で顔を見合わせる。
「あの……ごめん……ご主人様を怒らせたかも…」
シロはそう言って肩を落とす。なんだか体が小さくなってしまったようで、シュティレは痛ましく思った。
「まったくよ。せっかく最近、無自覚に優しくしてくれてたのに。……また心を閉ざしちゃったらどうするの!」
「ごめん……」
そんなシロとクロの言い合いを聞いて、シュティレは「大丈夫だよ」と笑った。二匹は驚いてシュティレを見つめる。
「私は、何があってもご主人様のものでいるって決めたから。今更私の秘密がご主人様に関係があるって分かったくらいじゃ、気持ちは変わらないよ。だから、またご主人様に距離を置かれても、傍を離れない。私は、『シュティレ』だから。……二人も、そうだよね?」
シュティレの言葉を受けて、二匹の表情は明るくなる。
「うん!ボクも『シロ』だからね!」
「そうね。私も今はクローディアじゃなくて、『クロ』。他の主人は考えられないわ」
主人に貰った名前を誇らしげに言いながら、一人と二匹は決意する。
使役の魔法という縛りで繋がった者同士だったが、使役の魔法は心までは操れない。それぞれがアダムに向ける気持ちは、紛れもない本人達だけの心だった。
心を閉ざし孤独に歩む主人の為、主人にとっての最後の光であろうとする使い魔達は、今までもこれからも、主人の道を照らすのだ。
※
その頃、解読の為部屋に籠ると言ったアダムは、部屋に入るなり、扉を背に座り込んでいた。
「……」
目を閉じ、一度深呼吸をしてからゆっくり目を開ける。それで少し、胸のつかえが取れたように感じた。
「……危なかった…」
――ご主人様は悪くないですよ。
先程のシロの言葉がリフレインする。
その言葉と、その後のシュティレの恥ずかしそうな様子を見て、素直に嬉しいと感じてしまった自分を、アダムは慌てて封印する。
それは、怒りの感情を飲み込む様子に似ている。
一度息を整えて冷静に、客観的に感情を理解する。そうして、衝動に任せて感情をそのまま吐き出すことがないように制御する。
ただ、アダムの場合はそれが怒りなどの負の感情だけでなく、楽しいや嬉しいという正の感情ですらも飲み込む必要があること。
負の感情は時には必要でも、正の感情は自分に隙を作ることになる。ヒースのような大貴族に牙を向くと決めた以上は、隙は命取りだ。
――そこまでして、おまえは何がしたいんだ?
アダムが感情を飲み込む度、心の中に誰のものともつかない、そんな問いが浮かんでくる。きっとそれは、自分が自分に問うているのだろうと、アダムは理解している。
「俺は……自由になるんだ」
アダムは問われる度にそう答える。
願わくば、誰も自分を知らない場所で、誰にも利用されずに生き、心のままに行動すること。それがアダムの夢だった。
その為に追い縋ってくる邪魔なものを排除した。それは身勝手とも無責任とも言うのかもしれないし、もしかしたら、誰を排除することもなく、生きる道もあったのだろうと思う。
だが、当時のアダムにはそこまで堪える力はなかった。アダムは、自分は心が弱いのだと認識している。
だからこそ、失敗する仮説が立っていた魔法陣を強引に使われてミアが瀕死に陥った時は、その原因となった教師や学校長や貴族を消さないと気が済まなかった。
自分の研究が、血も涙も無い人間に悪用されることがただ恐ろしくて、記憶を消す程度では安心出来なくて殺した。記憶を無くしても、人格までは変わらない。一度でも危険な思想を持てば、また何度でもその思想を持つに違いないと思ったのだ。
現代の魔法界を作り上げた立役者である大貴族、ヒースが関係していたのは後で分かったことだ。
魔法学校の運営に関わっていたのだから、当然と言えば当然なのだが、当時のアダムにはそこまで見えていなかった。その不覚が父の会社を潰し、両親を死に追いやり、祖母を監獄送りにした。そうして、その罪悪感に蓋をするように、アダムは復讐計画を練ったのだ。
ヒースに楯突く為に祖母からクロを奪い、当分の間クロを誤魔化して言うことを聞かせる為に祖母を毒殺した。
ヒースも欲しがったウィス・フォンスを手に入れることで、敵の戦力を削いだつもりだった。思った以上にシュティレの人生は絶望に満ちていたから共感出来たし、自分の元で羽を伸ばす姿を見たら、救世主になった気すらした。
――おこがましい。
(分かっている。俺は愚かだ)
シュティレを見ていて救われた気すらしていたのに、結局それは幻想だったと思い知った。シュティレは、アダムのせいで不幸になったのだ。
正確には祖母のせいだが、あらゆる人間を手に掛けた自分の手は穢れすぎていて、とてもシュティレを救うなどと言える人間ではない。
それでも、始めてしまったことは取り消せない。
どんなに愚かでも、ヒースを始末しないことには、自由は手に入らない……。
それに、丁度いいとも思った。自分がどうしようもなく罪の意識に苛まれたら、シュティレかクロの手に掛かって死ねばいい。死に方を選べるとは、何とも幸運だ。
「その為にも、シュティレが一人でもやっていけるようにしないとな…」
ようやく気持ちが落ち着いたアダムは、机に向かってボルツの研究データを解読し始めた。
解読作業は深夜まで続いていた。その間、アダムは飲まず食わずで集中しており、使い魔達はリビングで休むことになった。シュティレはマリアの強い希望でマリアと一緒に眠った。
「……う〜ん……」
早朝。まだ日が昇らない時間に、シュティレは目が覚めた。熟睡するマリアを起こさないように慎重にベッドから抜け出すと、キッチンで水を飲んだ。
「ご主人様……大丈夫かな?」
心配だが、邪魔をするなと言われている。覗きに行けば怒られるかもしれないと思いながらも、シュティレは余計に気になってしまった。
「紅茶とか、飲まないかな?」
前にも食事を運んで怒られたことはなかったし、喉は渇くだろうと、シュティレは紅茶を淹れて持って行く事にした。
「えーっと……確か……」
シュティレは水を沸騰させる魔法があったことを思い出し、ティーポットに水を入れて呪文を唱えた。温度を確認しようとポットに触れて――
「あつッ!!」
温度を間違えたようだ。紅茶を淹れるなら、もう少し冷ましたほうが良さそうだ。
それからも蝋燭の灯りのみの暗がりで試行錯誤を繰り返し、ようやく紅茶を淹れる事が出来た。
紅茶を持って階段を上がり、アダムがいる部屋のドアをノックしようと手を上げると同時にドアが開いて、アダムが現れた。
「あっ!」
驚いてバランスを崩したシュティレを、すかさずアダムが支える。
「…大丈夫か?」
「は、はい……すみません」
「こんな時間にどうした?」
「目が覚めてしまって……ご主人様に紅茶でもと…」
「…そうか。入れ」
「あの、どこか行かれるところだったのでは?」
「水でも飲みに行こうかと思ったんだ。おまえはタイミングがいいな」
アダムは上機嫌に言ってシュティレから紅茶を取り上げると、シュティレに机の椅子を勧めた。シュティレが座ると、紅茶を一口飲んで満足そうに微笑んだ。
シュティレは机の上に広がる紙束を見て目を剥く。十枚…二十枚はあろうかという紙に、びっしり文字が書かれている。以前エメラルドをレシピ帳から取り出すのにも紙束が量産されていたが、それよりは少ないにしろ、紙の両面に文字が書かれている様は圧巻のひと言に尽きた。これほどのものを書き続ける胆力に、尊敬すら覚える。
「解読は順調ですか?」
「ああ。もう終わった」
「え…」
「お祖母様のレシピ帳に比べれば大したことない暗号だったからな。おかげで、おまえのことが色々分かったよ。少し長くなるが、今聞いていくか?」
「はい。お願いします」
自分の秘密についてとあって、シュティレは好奇心から二つ返事で頷いた。
「分かった。まず前提として、お祖母様が作った魔力入りのエメラルドは、そもそもウェスペル家の為に使われる物だった。ウェスペル家は年々魔力のない子どもが産まれることが増えてな。それを憂いてのことだったんだ。だから、あのエメラルドを使って、子どもに膨大な魔力を与えて、魔法使いを絶やさないようにするつもりだった。それをボルツは、もっと世のために使うべきと考えて複製を作って、持ち出した……ここまでは大丈夫か?」
「はい」
「ここからは、ボルツがどうやってシュティレを誕生させるに至ったかの経緯を説明する。研究データによると――」
元のエメラルドを使う様子を見ることがなかったボルツは、複製を作ったはいいが扱いに困った。実際に魔力を渡せるかどうか実験する事にして、隣国へと移り住む。
始めは自分に魔力を移せないか試してみたが、元の自分の魔力に鉱石の魔力は馴染まず、上手く行かなかった。それで、そもそも少しでも魔力がある人間には使えないようだと分かる。
そこで、友人の医師の手を借り妊婦の検診に同行すると、神父を装い、祝福を授けると称して魔力を持たない妊婦に移してみたところ、流産か、妊婦もろとも死亡するかの二択だった。
それで思考を変えて、魔力を日を置いて少しずつ移して見ることにした。すると大きな異変も無く移すことが出来て、無事生まれたのがエマ・ドーソン……シュティレだった。
その後は貴族に目をつけられてエマの取り合いが始まり、初めはウィス・フォンスを生み出す魔法の第一人者として名を売るつもりだったが、あまりに醜い争いに恐れをなして、エマが人為的に生まれたウィス・フォンスであることを隠し、協力してくれた医師の記憶を消して逃げたという。
ちなみに鉱石はエマに使い終わった頃に割れてしまい、魔力を失っていた。
「だそうだ」
「……」
シュティレは、身勝手な研究のせいで複数人が命を落としていることにまずショックを受けた。こんなことなら、原因は分からないが生まれたらウィス・フォンスだったと言われていたほうがマシだったと思う。
興味本位で生まれ、好き勝手弄ばれた……シュティレの中に、そのことに対して感じていた懐かしい哀しみが思い起こされる。その哀しみは涙となって、シュティレの頬を伝って流れた。
「シュティレ…」
アダムは反射的にシュティレに手を伸ばして、指で涙を拭った。そうしてしまってからハッと我に返り、慌ててシュティレから距離を取った。
(俺はシュティレを慰められる立ち場じゃないだろ)
何せ、全ての元凶なのだから……。
けれど、シュティレは離れたアダムを切なそうに見つめた。
「ご主人様……私、ご主人様が好きです。だけど、この気持ちは、同じ魔力を持つからなんでしょうか?」
「――いや。魔力はあくまで力だ。感情や記憶を引き継ぐようなものじゃない」
いきなり何を言い出すのかとアダムは思ったが、正直に答えると、シュティレは笑顔になった。
「……よかった」
(何がだ)
アダムにはシュティレの気持ちが理解出来ない。
自分の不幸の原因が目の前に居て、尚且つ今まで道具扱いされてきているのに、何故まだ慕うことが出来るのか……。なんだか体がむず痒いような感覚がしてくる。だが、そんな感覚に身を委ねる訳にはいかない。だから――
「とにかく、おまえが俺の魔力を写されたというなら、正真正銘、おまえは"俺の為の道具"だったわけだな。……こんなことなら、機嫌を取ったりなんてしないで、もっと堂々と使えば良かった。これから死ぬまで扱き使ってやるから、覚悟しておけよ」
結局アダムは、心にも無い言葉を吐き捨てた。
それを受け、シュティレは苦痛に顔を歪ませる。
(ご主人様は、やっぱり嘘つきだ)
流れた涙をすぐに拭ってくれるほど優しいのに、"扱き使う"だなんて思うはずがないとシュティレは思っていた。
もちろん、シュティレを傍に置くために過剰に優しくしてくれていたのも感じていたが、その中に戦略ではなく、真心があるとシュティレは信じている。使い魔達の言う通り、優しい一面があるからこそ、アダムがなぜ突き放すような言葉を使うのか、シュティレには理解出来た。
理解出来たが、それ故に苦しかった。アダムは罪悪感を抱くが故に、シュティレに恨みを抱かせようとしているのではないかと思ったからだ。
「――それでも、私は…」
「ほら。俺は休むからおまえも戻れ」
アダムはシュティレの言葉を遮って、さっさとベッドに向かう。
「ご主人様…」
最初は、たとえ気持ちを受け入れてもらえなくても、傍に居られればそれでいいと思っていた。けれど最近は、つい、見てほしいという気持ちが溢れてしまう。けれどアダムは、そんなシュティレの気持ちを、どこまでも見えていないフリをする。
「――失礼します」
シュティレは仕方なく部屋を後にした。
(私は今の状態でも、充分幸せだ。これ以上を望んじゃいけない…)
アダムの望まないことはしてはならないと自分を律して、気持ちを抑える。アダムにも事情があるのだ。自分の気持ちばかりを押し付けては、今まで自分を使ってきた主人達と変わらない。
それだけはしたくないとシュティレは決意した。
お読み頂き、ありがとうございました。
シュティレがどんどん意思が強くなっている一方で、アダムはなにやら揺れているようです。
自分で書いていてなんですが、なんだか、もどかしい関係ですね……。




