28.旅は道連れ、世は情け
俺は乗合馬車に乗りながら、道の先を眺めていた。
緑と黄色と赤――進めば進むほど、黄色や赤が増えて行く。それぐらいしか特筆すべき点がない自然一色の景色だった。
(ワープが使えないのは面倒だな…)
ワープには、いくつか種類がある。
一つは魔法使いが作った"道"を使うこと。決まった場所と場所の間に魔力が川のように流れており、その流れに乗ることで繋がっている場所に行けるというもの。
もう一つは、地図などで目的地の位置を理解したうえで自分の魔力を流して道を作り、渡るというもの。
前者は道さえ見つける魔力があれば道に乗るだけで目的地に着くため、魔力の消費は少ないが、後者は自分の魔力で道を作るので、距離によっては膨大な魔力が必要になる。
俺が使うのは後者がほとんどだったが、今回は場所が遠いうえにシュティレを使えないので、地道な移動になっていた。普段ワープでの移動を使うことが多い俺にとって、馬車での旅は途方もなくゆっくりで遠大だった。
それで溜め息を吐くと、ふと肩掛けの鞄がモゾモゾと動いて、鞄と蓋の隙間からひょこっと猫の頭が覗いた。
「なんだ?クロ。他の客が騒ぐからあまり出てくるな」
「だって、鞄の中は退屈なんですもの」
「仕方ないだろ。あまり旅費を使うわけにはいかないんだから」
クロが人型で同行すれば二人分の運賃を払わなければならないから、旅費を節約する為にも鞄の中に居てもらったわけだ。
悲しいことに現在俺には収入源がない。前なら魔法使いとして依頼を受けることがあったが、この国ではそうはいかない。古くからいる魔法使いならともかく、流れ者に仕事を依頼する物好きはいないからだ。
「すっかり栄華は地に落ちましたね……」
「要らない栄華だから構わないが、金が無いのは困るな」
言いながらクロの頭を撫でると、クロは気持ち良さそうに目を細めて喉を鳴らした。
「終点までまだ一時間は掛かるから、眠っていろ」
「はい」
撫でられたことで満足したのか、クロは大人しくまた鞄の中に引っ込んだ。
乗り合い馬車の終点まで乗った後、別の乗り合い馬車に乗って更に三十分は北上してようやくエメラルドの採れる鉱山の麓に辿り着く。
鉱山へ入るには領主の発行した許可証を見張りの兵士に見せる必要があったが、麓の町なら特別な許可は必要ない。訪ね人であるお祖母様の元弟子は、そんな鉱山の裏側にある村の外れに住んでいるようだった。
鉱山の裏側にある村へは、鉱山を突っ切るわけには行かないため、きちんと整備された迂回路があるものの、この様子だと鉱山の麓の町に着いた頃には夜になってしまうので、今日のところは麓の町に着いたら宿を取って、翌日にワープで元弟子の家の側に飛ぶことにしようと思う。
俺は再び、窓の外に視線を移した。
とは言っても、森の中の街道を進んでいるので、景色はほとんど変わり映えしない。気を抜いたら眠ってしまいそうなほど、長閑な景色だった。
秋も中頃。ここらはそれ程でもないが、冬になれば雪が積もるから、この木立も冬には葉が落ちて、枝に雪化粧をするのだろう。
(こっちの冬は厳しいだろうか…)
思えば、冬に姉さんの家に行ったことはなかったな……。
冬になればクロは家から出たがらなくなるし、シロは逆に元気に雪に飛び込んで遊び出す。俺は寒さに弱いから、クロのように部屋に籠もって読書することが多い。――シュティレは、どうだろう?
「!」
そう思った途端に胸に締め付けられるような痛みが走る。
ああ、いけない。また余計なことを……。
直接的な脅威がないからだろうか?最近は余計なことを考える時間が増えた気がする。
特に、シュティレのことを気にしている気がするが、これ以上自分の心を分析しないほうがいい。
ガタンッ!!
急に馬車が大きな音を立てて止まり、乗客も体のバランスを崩して驚きの声を上げた。
「おい!なんだ!」
俺の前の席に座っていた商人風の男が不満気な声を馭者に投げ掛ける。
この乗合馬車は吹きっさらしの荷車風ではなく、馬は二頭立てのしっかりとした箱型の乗り物になっている分、窓から見えない範囲のことは分かりづらい。ただ、馬の落ち着かない嘶きだけが聞こえている。
「ま、魔物です!だ、誰か、戦える人はいませんか!?」
馭者席から、慌てる声が聞こえてきた。
「…魔物?」
窓を開けて外を見れば、目が一つだけの野犬のような姿をした魔物が数匹、馬車を取り囲んでいた。
「…ッチ」
きちんと確認しなかったが、この乗合馬車には用心棒は乗って居なかったようだ。大体は魔物や強盗の襲撃に備えて一人は用心棒が乗っているものだが……。
そもそも、襲われること自体が稀だったのだろうか?
「……五匹居ますね。前後左右を取り囲んで、機会を伺っています」
鞄の中からクロの声が教える。
俺は乗客を見回す。先程怒声を上げた商人風の男、幼い子どもと母親、老夫婦、俺の六名。皆怯えたように体を寄せ合って、なるべく窓や扉から距離を取っていた。とても魔物との戦闘経験がある者がいるとは思えない。
馬が逃げようと落ち着かない物音がする。馬が暴れるのに合わせて馬車も揺れるので、まるで荒波の上の舟の中のように居心地が悪かった。
「仕方ない……俺がやろう」
「あら、ご主人様。人助けですか?」
俺が小声で呟けば、クロが瞬時に反応した。
「不本意だが、馬車での移動は必要だからな。……後で馭者にはたんまり礼を貰うことにする」
今この場でワープして俺だけ逃げることも可能だが、知らない土地で無闇に魔力を消費したくない。今はシュティレも居ないことだし。
「フフフ……流石はご主人様です」
褒めているのか、からかっているのか分からないが、クロは明るい声で言った。
それには応えずに、俺は今使えそうな魔法を考えた。
魔物は複数体いることから、一撃で終わらせるには広範囲な魔法が良いが、馬車への被害のないように、使う魔法は慎重に選ばなければならない。かと言って攻撃ではなく、飛行やワープのように逃げる魔法を使うにしても、運ぶ対象が大きいので、これまた魔力の消費が多い。
「――よし。決めた」
俺は席を立って馬車の扉に手をかける。
「あなた、危ないわよ!」
俺の行動に驚いて老婆が声を掛けてきた。それに笑顔で応え、「俺がなんとかしますので、皆さんはなるべく馬車の中央へ」と皆に声を掛けた。
「なんとかって……あんた、武器があるようには見えないが、大丈夫なのか?」と、商人風の男が引き止める。
「考えがありますので。俺の心配より、自分の安全確保を優先して下さい」
そう言って扉を勢い良く開けた。それで扉の側にいた魔物が驚いて下がる。
乗客達が固唾を飲んで見守る中、俺は馬車の上へとよじ登った。
「さて」
一度目を閉じて深呼吸する。
(この辺りは風の精が多いんだな…)
ちらほらと感じる小さな魔力を追って視線を向ければ、小さい何かがキラキラと光りながら飛んでいるのが見える。
風の魔法なら、シロを扱うから慣れている。きっとここらの風の精も、俺の呼びかけに応えてくれるだろう。
「〜〜♪」
妖精ってやつは音楽が好きだから、妖精の力を借りる魔法は歌が多い。俺が呪文を歌うと、すぐに数人の風の精が近づいて来た。
風の精は薄青い肌をした体長五センチほどの小さい妖精だ。皆興味深そうに、または楽しそうに俺の周りを回った。
「〜〜〜♪」
更に歌うと、風の精達はウンウンと楽しそうに頷いて、魔物の側へ散らばった。
それから風の精は頬を膨らませて空気を溜めては、魔物に向かって息を吐いた。風の精の口から放たれた空気はまるで銃の弾丸のように魔物の体を貫通する。
ギャンッ!!
魔物は短い悲鳴を上げながら倒れていく。
妖精が見えない一般人にとっては、魔物が遠くから狙撃されているように見えたかも知れないが、それにしても魔物の体には蜂の巣のようにたくさんの穴が開いたことから、銃だと言うには弾数が異常だ。前に軍隊の演習を見たことがあるが、その時に使われていた銃は長くて、一度に一発しか弾を発射出来なかった。大砲が持ち運び可能なほど小さくなっただけに他ならない。
もしかしたら近い将来、連射可能な物が開発されるかもしれないが、今の所は難しいというのが常識だ。
乗客もそう思ったのか、馬車の中からは驚きとも感嘆ともつかない声が上がった。
「い、今の……まさか、あんたが…?」
魔物が全て倒れて動かなくなると、馭者の男がこちらを振り返って声を掛けてきた。それに頷いて見せながら、「ありがとう」と風の精に礼を言っては手を差し伸べる。風の精達は俺の手に触れて魔力を少しづつ抜いていった。
風の精達が満足して離れて行くのを見届けて、御者台に向かう。暴れていた馬も、魔物が倒れたことで少し落ち着きを取り戻していたが、まだソワソワと身じろぎしている。
「早くここを離れましょう。血の匂いで、他の魔物が来るかもしれません」
「あ、ああ…」
魔物を見慣れていなかったのか、馭者の手は震えている。――仕方ないな…。
「よろしければ、俺が操舵を代わりましょうか?」
「い、いいのか?」
「ええ。震えている状態では馬も不安にさせてしまいますから、無理せず中で休んでいてください。……この先を道なりに行けば停留所ですね?」
「ああ。そうだ……すまない…」
本当に怖かったようで、馭者はあっさりと馬車の中に入った。
「さて……おまえたち、よろしく頼むよ」
二頭の馬に声を掛けて首を撫でると、二頭は鼻を鳴らして頭を振った。
「……"早く行こう"だそうですよ」
鞄の中からまたクロが頭を出して言う。
「そうか。分かった」
俺は馭者台に上がり、鞭を入れて馬を促すと、やや速い速度で走り出した。クロの言うように、本当に早く離れたかったらしい。
周りに人目が無いからか、クロは鞄から抜け出して、俺の膝の上に座った。
「なんだよ?」
「ご主人様が、慣れない運転で心細いかと思いまして」
「別に心細くはない。確かに、馬車の運転なんてしたことはないが、馬には乗れるから、その応用だと思えばいい。今はこいつらも、大人しく走ってくれてるし、簡単だ」
「そうですか」
クロは膝の上で丸くなる。やがて寝息を立て始めた。
もしかしたら、単純に膝の上で寝るほうが心地良いと思って出てきただけなのかもしれない。
それからは特に魔物に出会うことなく終点に辿り着いた。馬車の停留所がある場所らしく、付近は旅人向けの店や宿があるちょっとした村のようになっていた。
「ありがとうございました。なんとお礼をしたら良いものか…」
停留所に着くなり馭者の男はぺこぺこと頭を下げながら酷く恐縮していた。
「あんた、ひょっとして『魔法使い』ってやつかい?俺、魔法なんて初めて見たが、凄いもんだな」
商人風の男も、周囲に聞こえないように小声で話しかけて来た。
「まあ…」
もはや隠しようがないので頷けば、商人風の男は目を丸くしながら何度か頷く。
「魔法使いなんていうのは、もっと陰湿で他の人間と交わらない奴だって思ってたが、あんたみたいなのがいるなら、なるほど。隣国が正式に軍隊に登用するのも頷ける」
「誤解ですよ。俺はただ、自分の身を守っただけ。目的地に着く為に馬車は必要だったので、結果的に皆さんを助ける形になっただけです。最初から人助けをしようとするほど、聖人じゃありません」
「それでも、助けてくれたことには変わりないじゃないか。…なあ!馭者さんよ」
「そうですね!」
馭者も大きく頷いて、更には他の乗客達も側へやって来ては口々に礼を言ってきた。
こういう状況は非常に気不味い……。
「魔法使いさんは、どちらまで行くおつもりで?」
そう老人が声を掛けてくる。
「この先の鉱山を越えた先にある『カント』という村までです」
「いっしょだ!」
その時、子どもが声をあげ、嬉しそうに笑った。
「なら、お兄ちゃんもいっしょにいこ!ねぇ、お母さん!」
母親の服の裾を引っ張りながらはしゃぐ息子を宥めながら、母親は少し困ったような笑顔を浮かべる。
「私たち、カント村に住んでいるんです。実家に顔を出した帰りでして……エルドラに行けば、夫が馬車で迎えに来てくれる手筈になっているのですが、よろしければ一緒行きませんか?」
「有難いお話ですが……良いんですか?」
『エルドラ』と言うのは鉱山の麓に広がる町の名前だ。
カント村へはエルドラからワープしようかと思っていたが、魔力を温存出来るならそれに越したことはない。
「いいよ!いいよ!いっしょにいこう!」
子どもは無邪気に俺の手を掴んでぴょんぴょんと跳ねる。
五歳くらいだろうか?子どもの相手は正直得意ではないが、精一杯笑ってみせる。
「ありがとう。なら、一緒に行かせてもらう」
「やったぁ〜!」
「エルドラまでなら、俺も一緒だ」
商人風の男も嬉しそうに話に入ってきた。
「では、お詫びと言ってはなんですが……私の仲間に掛け合って、皆様のエルドラまでの乗合馬車の代金をタダにさせていただきます」
「おお!気が利くじゃないか」
馭者の申し出に、商人風の男は笑った。
「では、私たちからはこれを」
老婆は俺に金の指輪を差し出した。
「魔法使いさんへのお代は、昔から貴金属や宝石か、植物の種と決まっていますよね?今あるものはこれくらいなのですが、受け取っていただけませんか?」
確かにそうだった。いずれも、妖精への対価になるので、妖精の力を借りる時は、自分の魔力の代わりに渡す為に持っていることが多い。
ただ、最近では魔法使いは迫害されて一般人との交流を絶っていたり、俺の母国で量産される魔法使いは、精霊や妖精に交渉することが出来ず、自然の力(水とか風とか)を使う魔法使いがほとんどだから、今ではある意味で本当の魔法使いは少ないのかもしれない。
まさか、そんな約束事を覚えている人が居たとは驚きだ。
「よくご存じですね」
「ええ。私の祖母から、よく話を聞いていました。祖母の若い頃、魔除けのまじないや、祝福の魔法を掛けてくれた魔法使いが居たと。その方への報酬は、決まって花の種でした。なぜお金ではないのかと訊いた祖母に、魔法使いが妖精に支払う代価だからと、教えてくれたそうです。ですから私は、こちらをあなたに」
「良いんですか?こんな高価な物を…」
訊けば老婆は、ちらりと夫であろう老人を見上げる。老人は老婆の意図を汲み取ったように穏やかに頷いた。老人が頷くのを見て老婆は安心したように笑ってはまたこちらに目線を戻す。
「良いんです。私たちは、本当に感謝しているのです。……実は、私共の息子がこの村で宿屋を営んで居るのですが、先月子どもが産まれたと知らせてくれまして、私共はその孫に会いに来たのです。息子夫婦にはなかなか子が授からなくて、ようやく産まれた子どもなのです。今日あなたがいなければ、私達は、孫に会うことなく、魔物の餌食になっていたでしょう。ですから今日の事は、この指輪の価値以上の出来事だったのです。どうか私達の気持ちとして、お受け取り下さい」
「分かりました。そういうことでしたら、有り難く頂戴します」
指輪を受け取ると、老婆は嬉しそうに笑った。
恐らくは、婚約指輪の類だったのだろう。よく見れば、同じタイプの指輪を、老人が着けていた。
なんだか重いものを託された気分だったが、まあ、報酬なんだし、本人が良いなら良いということにしておこう。
「じゃあ、俺は昼食を奢ろう!エルドラ行きの乗合馬車が出るのにはまだ一時間ある。この村には何度も訪れているから詳しいんだ。良かったら、奥さんと坊やもどうだい?」
「え、私達まで?」
「ああ。この幸運な旅路の仲間だ!共に無事を祝おうじゃないか!」
(なんか妙なのに捕まったな…)
あまり大袈裟にされたくはないが、邪険にすればそれはそれで変な噂を流されそうだ。
俺は仕方なく、商人風の男に続いた。
※
「――疲れた…」
俺は宿の部屋に入るなり、ベッドに大の字になった。
「フフフ……私は、ご主人様の面白い姿が見られて満足です」
クロはそんな俺の横に行儀良く座って言う。楽しそうに尻尾をパタパタと左右に振っていた。
あの後、昼食を食べてから再び乗合馬車に乗ってエルドラへ入ったのが夕方に差し掛かった頃。
商人風の男とは町の入り口で別れて、俺は親子と共に宿に入った。夕食を親子と共に露店で済ませ、俺と遊びたがる子どもを宥めて、それぞれの部屋に戻って現在に至る。
ここまで他人と行動を共にしたのは久しぶりかもしれない。えらく疲れが溜まった心地がする……。
「ったく……おまえはすぐに俺をからかうよな……」
「ご主人様は素直じゃないですから、つい。――お疲れでしたら、マッサージでもして差し上げましょうか?」
クロはいつもの少女の姿に変身すると、俺の肩に手を掛ける。そんなクロを横目に見ながら、何となくいつも思っていたことが頭を掠めた。
「……おまえ、人型の時はなんでいつも、その姿なんだ?」
悪魔であるから年齢は無いに等しいし、性別や体格を問わずに変身出来るのだから、わざわざいつも同じ姿を取る必要もない筈だ。
「ご主人様の好みかと思いまして」
クロはそう言って笑っては片目を瞑ってウィンクする。
「おまえに好みの話なんかした覚えはないが…」
「そうですね。冗談です。――これは、私のデフォルトです」
「デフォルト?……その姿が本来の姿だと言いたいのか?」
「まあ、そんな所です。悪魔は人と関わることの多い種族ですから、人間の形になることは必須項目なんですよ。私の場合は、この見た目の人型が一番しっくりくるというか、楽なんです」
「ふーん」
「何ですか?私に興味がありますか?……アダム様になら、もっと教えてあげますよ?」
クロは嬉々として俺に顔を寄せる。互いの唇が触れそうな程近づいて来たので、体の向きを横向きに変えた。結果的にクロに背を向ける形となる。
「…私には……構って下さらないんですか?」
少し拗ねたような声音でクロは言う。
「そうやって心を読むつもりだろ。その手には乗らないぞ」
深い接触は無防備になりがちだ。隙が生まれやすい。
「そんな事……しませんよ」
クロの声が少し小さくなる。
「読まれたくないなら、読みません。私は、ご主人様の使い魔ですから、ご主人様が心底厭われることは物理的に出来ない契約になっています。……ですから私は、そこを曲げてまでご主人様のお心を読みたいなんて思いません」
その気になれば、出来るってことなんだな。やはりクロは侮れない。
「じゃあ、何がしたいんだ?」
「――信じてほしいだけです。私が、あなたの半身のつもりであることを」
クロの声が震えるのを聞いて、仕方なしに体を起こして振り返れば、クロは大きな瞳に涙を溜めてこちらを見ていた。
――悪魔でも泣くことがあるのか。
同情を引く為の罠か、本心か……どちらにせよ、主導権は俺にある。その軸さえしっかりしていれば、押し負けることはない。
「信じているだろ。……飴が足りないと思うなら、それはいつも俺をからかうおまえの性根のせいだ。もっと素直に従順にしていれば、いくらでも優しくしてやるぞ」
手を伸ばして指で涙を拭ってやれば、クロはその手を掴んで、頬ずりする。
本当にどうしたんだ?やけに甘えてくるな。
「飴が足りないわけではないですが……久しぶりに二人きりだからですかね……今夜はなんだか、もっとご主人様が欲しい気分です」
そう言ってまた距離を詰めて来るので、仕方なしに抱きしめてやると、「ふふ…」とクロは嬉しそうな声を漏らした。
「やっぱり、ご主人様にこうされるのはいいですね。安心します」
ああ……これは"このまま一緒に寝ましょう"とか言うパターンだな。昔、まだシロもいなかった頃はよくそうやって俺のベッドに潜り込んで来たものだった。
シュティレが俺と一緒に寝た時は立場がどうのと騒いでいたが、クロも大概だ。つまりは、やきもち。自分がしていたことを他人にされるのが嫌だっただけだ。
「俺はそろそろ休みたいんだが…」
「なら、一緒に寝ましょう」
ほら。やっぱり。
「分かった。好きにしろ」
「はい」
俺が横になると、クロもピタリと寄り添って横になった。
「…明日はいよいよカント村ですね。クリスティアーネ様の元弟子と言えば、ダニエル・ボルツですか?途中で袂を分かちましたが…」
「ああ。そうだ。恐らくは鉱石のことを知っているだろう」
「なるほど……エメラルドの山地ですもんね。この辺り」
「簡単すぎる推測だが、何かしらの収穫はあるだろうと思う」
「収穫は絶対ありますよ。私が居ますから……その為に私を連れて来たのでしょう?」
「まあな」
正直に答えれば、クロは満面の笑顔を見せる。
「明日が楽しみですね…」
そう言ってクロは目を閉じた。
「――ご主人様」
「なんだよ」
もう眠ったと思って俺も目を閉じていたが、再びクロの声がしたので目を開けて横を向いた。すると同じく横を向いていたクロと目が合う。黒曜石のような深い黒の瞳は、半月のように半円を描いた。
「ご主人様は、どんな容姿の女性が好みですか?」
「どうした?急に…」
「分かっていれば、私がその姿になろうかと。目の保養になるでしょ?」
「……そういうのはいい」
「ご主人様、本当に女性に興味を持ちませんよね……あ、もしかして……男性に興味を…」
「違う」
「ですよね。じゃあ、教えて下さい」
「嫌だ」
「意固地な人ですね…」
「そもそも必要ないだろ。そんな情報」
「私は、興味あります」
「なら、俺の心を読んでみろよ」
そう言えば、クロは不貞腐れた。
「読めないから、訊いてるんじゃないですか」
「なら、諦めろ」
「……いじわる」
こいつは何を考えているのだろうか?さっきからやけに食い下がってくるというか、妙な話題選びをする。仮に俺が女の好みを言ったとして、それでクロが姿を変えてどうなると言うのだろう?恋愛ごっこでもするつもりか?
――ん?"恋愛ごっこ"……?
(ああ。そういうことか…)
クロは独占欲も執着心も強い悪魔だ。これまでは知らないが、少なくともお祖母様と俺に関しては、自ら下僕となることを望んだ。つまりそれほど関心が高いはず。
その証拠に、クロは殊更俺の傍に居たがった。それに加えて、シュティレとの関係の在り方を茶化すような咎めるような発言をする……。
それからさっきの、"私には構って下さらないんですか"という発言と俺の好みを聞き出そうとしたこと。これらが示していることは何なのか……。
「おまえ……俺に触れてほしいのか?」
まだ半信半疑ながら訊いてみると、クロは更に笑みを深くした。
「さあ?どうでしょうね?」
本当に素直じゃない。明確な答えを言わないくせに、こちらが意図を察することが出来ないと機嫌が悪くなる……。
「……分かった」
俺はクロに顔を寄せると、唇を重ねた。クロの髪に手を伸ばして軽く梳く。
一瞬ビクリと体を震わせたクロだったが、唇が離れる頃には、いつものからかうような笑みを浮かべていた。
「……悪魔にキスなんてしちゃ、ダメですよ。身も心も、全部吸い付くされちゃいます」
「元より俺の生死はおまえが握っているだろ。それに……そんなことはしないんだろう?」
「ええ。……信じて下さるんですね」
クロは嬉しそうに笑う。
「満足したなら寝ろ」
「ご主人様ったら、ムードがないですねぇ……まあ、悪くはなかったのでいいです。……ただ」
「ん?」
「少し、心配にもなりました。こんなに無感情に、優しいキスが出来るなんて…」
「それはおまえだったからだろ。情が無いわけじゃないが、恋ではないし……他の奴には、頼まれたってしたくない」
「そうですか?それならいいですが……ご主人様は、もっとご自分の心を守るべきです。せめて私や、シロやシュティレといる時くらいは、気楽になさって下さい」
「今は出来ない――まだ」
復讐を終わらせるまでは……。
「難しいのですね……ですが、惚れた弱みです。最後まで付き合います」
それには応えず、俺はクロから視線を外し、拒絶するように目を閉じた。
やがて大きな溜め息が聞こえ、クロは大人しくなった。今度は休むことにしたようだ。
(気楽に…か…)
完全に心を許すのは、少なくとも復讐の後だ。今はなるべくヒースに足元を掬われないように注意しなければ……しっかりと警戒していれば、けして遅れを取るようなことにはならない。クロもシロもシュティレも、とても優秀な道具だ。最適のタイミングで最大の力を引き出してやれれば、無敵だ。
だからこそシュティレの謎を解明して、シュティレの使い方を確立しなければならない。
お読み頂き、ありがとうございました。
普通に旅をしたり、魔法を使う様子を書いてみたくて書いた回でした。余計な部分だったかなとも思いましたが、とんとん拍子に話が進むのも、彼らの気持ち的には違う気がするので結局書いてしまいました。




