27.手掛かりを追って
「ご主人様。それは削り過ぎです。そんなふうでは、芋がなくなってしまいます」
「……」
クロの指摘に、アダムは険しい顔で応える。
アダムの前には、分厚い芋の皮が散らばっていた。
アダムは包丁で芋の皮を剥く作業をしていたのだが、アダムが剥いた芋は、もとのサイズより一回りから二回りは小さくなっていた。
「仕方ないだろ。やったことないんだから……というか、なんで俺まで調理に参加しなきゃならないんだ」
「そんなの、みんなでやったほうが速いからに決まってます。……ですが、ご主人様は戦力に数えられそうにないですね…」
「そ、そんなことないですよ?段々と上手になっています。ご主人様は、上達が速いですね」
散々な言われようのアダムを、シュティレがすかさずフォローした。言われてみれば確かに、徐々に皮の厚さは薄くなって行ってはいる。……僅差ではあるが。
「シュティレは優しいわね。あまりご主人様を甘やかさなくていいわよ」
三人は現在、家にある食材で昼食を作っていた。芋やソーセージを使って、ジャーマンポテトを作ろうとしている。
「俺は主人だぞ。そんな口を利いていいのか?クロ」
「いいんですよ。ご主人様には、多方面に力を発揮してほしいですからね。これも愛の鞭です」
何故か胸を張るクロに、アダムはますます苦い顔になる。
「まるで保護者だな……クソ…後で覚えておけよ…」
しかし、恨み言を言いながらも引き続き芋と格闘するアダムを、シュティレは微笑んで見つめた。
「……おまえも何だ?その顔は」
「ご、ごめんなさい!悪気はないんです…」
そういうシュティレは、芋を切り分けている。
アダムはじっとその様子を見て、「切るほうが、簡単そうだな…」と呟いた。
「なあ、シュティレ。俺とおまえの作業、交換しないか?」
「え?」
「見たところ、俺は皮を剥くのが下手なようだし時間も掛かっている。切るだけなら俺も出来るし、あまり時間は掛からないと思う。芋を無駄にせず、効率を上げるためには、そのほうが良いと思うんだが」
「分かりました。良いですよ」
「流石はシュティレ。話が分かるな」
アダムが嬉々として皮を剥く前の芋をシュティレに手渡すと、クロはあからさまな溜め息を吐いた。「適材適所という言葉があるだろ」
「まあ、良いですけどね。――では、味付けは任せます」
クロは基本的には何でも食べる。昔は動物のように調理をしない肉や魚、野菜を食べていたが、最近では料理も食べている。グルメになったというか、今まで興味がなかった物に興味が湧いたという具合だ。
「そういえば、屋敷ではいつもシロがごはんを作ってくれていましたけど、シロはいつから料理が出来るようになったんですか?」
ふと疑問に感じてシュティレが訊けば、アダムは苦笑する。
「割と最初からだったような……俺が復讐の段取りを考えたり、魔法の研究なんかをし始めると寝食を忘れるタイプだったから、えらく心配してな。クロから俺が食べそうな物を聞いて、作ってくるようになったんだ」
「そうそう!ご主人様ったら、私が言っても聞かなくて……でも、シロが一緒に言うと、折れてくれましたっけ」
それはとても微笑ましい理由だと、シュティレは思った。そういえば以前シロに、ご主人様は押しに弱いと聞いたことがあったと思い出す。その一方で、そこまでされても使い魔達と一線を引こうとするアダムに、少しの寂しさを感じた。
(誰もご主人様を裏切ることはないんだし、もう少し素直になってもいいと思うけどな…)
シュティレがそう思っていると、ふとクロと目が合った。クロはシュティレの言わんとすることが分かって、小さく頷いて見せた。
全てはアダム次第だが、そんなに簡単には行かないことも、シュティレにもクロにも分かっていた。
他人から見てもらえなかった過去がありながら、見てもらうことを諦められないのがシュティレだったが、同じく他人に見てもらえず、見てもらうのを諦めたのがアダム。二人は似て非なる対極な存在だった。
シュティレならともかく、頑なに心を閉ざすアダムにこそ惹きつけられるのは何故なのか、クロは説明出来なかった。
(まあ、理由なんて"可愛いから"で充分ね)
見ていると面白い。
クロは本来、そういう基準で動く性分だった。ウェスペル家の使い魔という窮屈な場所からは解放されたし、アダムは必要な時以外は縛ったりしないから、今は感覚に自由で良いのかもしれない。
「ついでに、夕飯も作っちゃいましょうか」
「あ、そうだね。シロもマリアさんも喜ぶかも」
クロの提案にシュティレは善意で頷いたが、
「と、いうわけで、ご主人様もお願いしますね」
「ハァ?!」
提案者のクロは、主人に対する嫌がらせを込めていた。
「おまえ……本当に覚えてろよ…」
「私、クリスティアーネ様のこと、許してはいませんからね。それをこれくらいで勘弁してあげているんですから、優しいでしょ?」
「……嘘だ。お祖母様のことはともかく、これは遊んでるだろ」
「バレましたか」
「おまえ…」
「あ、あの……大変でしたら、私一人でも、用意出来ますから…」
見かねたシュティレが間に入るが、その配慮の仕方だとアダムとしては、ただ自分の器が小さいことが露見しているようで面白くなかった。
「……いい。手伝いは、する」
なので結局、仏頂面でそう答えた。
「ありがとうございます。でも、無理しないで下さいね」
「ああ」
(ああ!ご主人様をイジるのは楽しいわ)
クロはひたすらニヤニヤしていた。
※
シロとマリアが帰宅したのは、だいぶ日が傾き、空が藍色に染まり始めた頃だった。
「ただいまですぅ〜♪みんな、変わりなかったですかぁ〜?」
シロはテンションが高い。マリアとの事の顛末を念話でクロに聞いていたから、芝居の必要が無くなり、嬉しいのだ。シロもシュティレ同様、隠し事が苦手な性分だったから、シロは自分がボロを出すのではと、内心気が気ではなかった。
「お帰りなさい。ごはん、出来てますよ」
シュティレが微笑むと、「あら、ありがとう!」とマリアは嬉しそうにシュティレの手を取った。
(本当にシュティレは味方が出来やすいな…)
アダムは半ば感心して二人の様子を見ていた。
「ご主人様。"取られる"って思ってます?」
その時、シロがサッとアダムに寄って来ては、耳元で囁いた。
「……違う」
「またまた〜。隠さなくてもいいのに……グフォ!」
アダムはシロの腹部に拳を叩き込んだ。
――対して俺の周りには、からかってくる奴しか居ない。
そう思いながらアダムは、それは自分が素直ではないせいだと自覚してもいた。
それから皆で夕食を囲みながら、他愛もない話に花を咲かせる。昼間の出来事が嘘だったかのように……あるいは、それがあったからこその会話なのか。
「これからのことを話したいんだが…」
皆の食事が済むのを待ってから、アダムが声を掛ける。それで皆の視線がアダムに集中した。
「まず、姉さんにはシュティレについて、前提として話すことがある」
「あら。教えてくれるの?」
「ああ。姉さんになら、問題ない」
「そう。それは嬉しいわね」
マリアは期待を込めて身を乗り出した。
「シュティレは、無限の魔力を持つ存在、ウィス・フォンスなんだ」
「うぃす……何?」
「ウィス・フォンス。膨大な魔力量に加えて、他人に与えても魔力が涸れない人間だ」
「……それ、伝説の話じゃなくて?」
「残念ながら現実だ。それ故にシュティレは色んな人間に使われて来た……だが、何故そうなったのかの経緯が不明だ。知っている人間が見つからない。だから俺は、その謎を解き明かしたいと思う」
「なるほど……でもさ、あなた魔法の特訓嫌いだったじゃない?何で、魔法の謎を追うみたいなことをするわけ?」
それは他の三名にも謎な部分でもあったので、皆の視線は引き続きアダムに集中する。
アダムは、何だか嬉しそうに笑った。
「それは……お祖母様だって、魔法学校の関係者だって分からない謎を解いたら、俺のほうが格上ってことになるだろ?寄ってたかって俺の事を都合良く使おうとした報いだ。みんなが欲しがってたウィス・フォンスは手に入れたからな」
「……性格わる…」
マリアが頭痛でも感じたように額を抑える。
「姉さんには言われたくないな。他人の道具に勝手に悪魔を取り憑かせて、自分の人形にしようとしたくせに」
「それは……謝るけど……あまり"道具"って言わないであげてよ。シュティレちゃん、可哀想でしょ」
マリアが悲しげにシュティレを見たが、シュティレは「私は、平気ですよ」と微笑んでいた。
「……」
シュティレにそう言われては、マリアも黙るしかない。
「大丈夫ですよ。ご主人様は優しいですから」
シロはそう言って屈託なく笑った。イタチの姿で口角が上がっているという表情は本当に愛くるしい。マリアは堪らずシロを撫で回す。「わわわっ!」とシロは困って悲鳴を上げた。助けを求めるようにシロはアダムを見たが、アダムは素知らぬ顔をする。
「で、話を進めると、シュティレの出生地がこの町より北の山奥にあるんだが、姉さんは何か聞き覚えないか?『悪魔の子』とか」
『悪魔の子』という単語に、ピクリとシュティレが反応する。
「うーん……ないかも。この町も港はあるから海外の話は良く入ってくるけど、同じ国の中とはいえ、離れていればいるほど情報は入りづらいからね…」
「そうか。……まあ、地道に調べるしかないな」
「…私も手伝う?良く分からないけど、あなた今、あまり自由に歩けないんでしょ?」
「そう言ってもらえると助かる。シュティレを狙う奴は多いから、あまり連れ歩く訳には行かないし、俺のことを狙う奴も少なからず居る可能性もある」
「……何やったらそんなことになるのよ」
「殺してるからな。数人」
「――は?」
あまりの言葉に、マリアの思考が停止する。
「なん…で…」
言いながら、それは愚問だとマリアは思った。研究を取られて学校を辞めた後に家族が事故死……たまたま悪い事が重なったと言うより、誰かの意図があったと考えたほうが自然かもしれない。だとしても――
「…人殺しは駄目よ……アダム」
混乱するなか、マリアは結局、そんな無難な言葉しか出て来なかった。
どういう心境なのか、アダムは笑う。
「もう遅いよ。けど、あと一人で終わるから大丈夫」
「……」
何が大丈夫なんだろうかと思いながら、マリアはちらりと使い魔達を見た。何かを言いたそうな顔で黙る彼らを見ていると、アダムの状態が分かる気がした。きっと誰が何を言っても、アダムが自分の考えを曲げることはないのだ。
「はぁ~……たった一人の甥っ子が殺人鬼だということは、取り敢えず置いておきましょう。私も誉められないことしてるし……」
「助かる。……それで、明日はお祖母様の弟子で、この国に住んでいる人に当たってみようと思ってるんだが、姉さんは魔法使いに知り合いは?」
「うちと古い付き合いの人が一人……後は知らない。だけど、この国の魔法使いは、神域とかを守ってる人が居たり、たまに集会を開くことがあるらしいから、そういう場所に潜り込めば、情報が手に入るかもね」
「なら、そっちの情報を頼んだ。仕事の合間で構わないから」
「分かったわ」
それからあれこれ動きの確認をして、この日は休むことになった。
「…ねえ、アダム」
手分けして食事の後片付けや戸締りを確認する中、マリアはアダムに声を掛けた。
「ん?」
「結局、シュティレちゃんがあなたのフィアンセって話は嘘だってことで良いのよね?」
「ああ。それが?」
「……あなた、シュティレちゃんに変なことしてないでしょうね?」
「変なこと?」
「シュティレちゃんが逆らえないのを良いことに、エッチな事とか…」
マリアが言うと、アダムは鼻で笑った。それから意地悪そうに「さあ?どうだろうな」と濁す。
「なっ!あんたって子は!シュティレちゃん。今日から私と寝ましょう!道具だからって、理不尽な扱いに耐えることはないのよ」
マリアは息巻くが、当のシュティレは不思議そうに首を捻った。
「……ご主人様は、いつも優しいです。リフジン?は、良く分かりませんけど、私を痛めつけるようなことも、嫌なこともしません…」
「本当にぃ?」
「はい」
迷いのないシュティレの返答に、マリアは大袈裟な溜め息をついた。
「シュティレは代えの利かない大事な道具だから、丁寧に扱ってる。いつも傍に置くのは、盗まれたり悪用されたりしないようにする為だよ」
「……」
アダムが面倒そうに補足するが、マリアはまだ納得がいかなかった。それでシロとクロに目を向けるが、二匹も主人に同意するように頷いただけだった。
「そう……そこまで言うなら信じるけど……シュティレちゃん。嫌だったら、私の所で寝ていいわよ。何もされないにしても、アダムと一緒じゃ落ち着かないんじゃない?」
「…えっと……」
シュティレは困ってアダムを見上げる。しかしアダムは、「好きにしろ」と投げやりな解答だった。
おかげでシュティレはますます悩む。
(また、試されてるのかな…)
なんと答えるのが正解なのかと考えてもよく分からなかったので、結局素直な気持ちを伝えることにした。
「……私、ご主人様の傍に居たいです」
「…!」
しかしシュティレがそう言うと、なぜかアダムは一瞬、目を見開いてから苦しそうにした。
(…あれ?私、答えを間違ったかな?)
けれどアダムはすぐにいつもの余裕そうな笑みを浮かべる。
「シュティレが言うなら、問題ないな」
「……愛されてるわね。アダム」
アダムは、なんでも無いように言ったが、シュティレ同様にマリアもアダムの様子に違和感を覚えていた。
「そんなんじゃない。躾が良いだけさ」
「躾…ねぇ…」
主人としてのプライドのせいか、単なる照れ隠しか……いずれにしても、面白いものを見たとマリアはしたり顔をする。
「話は終わりだな。俺は部屋に戻る」
少々ばつが悪くなったアダムは、サッと二階に引っ込んだ。
それを残りの面々がどこか微笑ましげに見送る。
「ここへ来て、ご主人様は少し正直になってきましたね♪マリアさんのおかげですかね?」
シロが楽しそうに言って、クロも相槌を打った。
「そうね。この調子で、少し気が抜けるようになるといいのだけど…」
「アダムは幸せ者ねぇ〜。こんなに使い魔に想ってもらえて…」
マリアは自分の事のように嬉しくなる。
「私、何か変なことを言ってしまったんでしょうか?」
シュティレは困ってマリアに聞いたが、「全然。むしろ、アダムを好いてくれてるのが分かって安心した。ありがとう」とマリアは笑った。
「そう…ですか…」
けれど、ご主人様はそうは思っていないかもしれないとシュティレは思い、後で謝ろうと独りごちた。
※
翌日。
皆が起きて朝仕事に取り掛かる中、アダムだけが部屋から出て来なかった。
「アダムは何してるの?」
若干の怒りを込めながらマリアが言うと、「昨日話していた、クリスティアーネ様の弟子の居場所をサイコメトリで探しているそうです」とクロが説明した。
「サイコメトリ?……まったく……朝仕事を手伝って朝食を食べてからでも良くない?何をそんなに急ぐことがあるのかしら…」
「興味が湧くと、いつもそうなんです。酷いときは徹夜もしてます」
シロがニコニコと話に参加する。
「そう……じゃあ、せめて朝食だけでも食べてもらいましょ」
「私、運びます」
シュティレが立候補し、マリアからトレイを受け取る。ポーチドエッグが載ったトーストと、レンズ豆のスープだ。
「シュティレなら適任ね。前も怒られなかったし」
クロが頷いて、「え?何それ?」とマリアが食い付いたので、クロは以前クリスティアーネのレシピ帳を解読する為に、アダムが籠もっていた時の話を始めた。
シュティレはそんな話し声を背に、階段を上がる。
(確かに前は怒られなかったけど、今日はどうかな?)
昨夜、シュティレが部屋に戻った時には、アダムは珍しく眠っていた。そしてシュティレが目覚めた頃には、すでに机に向かっていたのだ。それですっかり謝り損なってしまっていた。
考えすぎかもしれないが、それが何だか会話を避けられているように見えて、シュティレは不安だった。
実のところ、それを確かめたくて朝食を運ぶ仕事を買って出たわけなのだ。
シュティレは、部屋の前で一度深呼吸をしてから、ドアをノックする。
「……」
少し待ったが返事がない。念の為もう一度ノックしてから、「シュティレです。入ります」と声を掛けてからドアを開けた。
アダムはいつかの時と同じように、こちらに背を向けて机に向かっている。右手を頭の高さまで上げて、微かに動かしていた。
シュティレは、アダムの集中を切らさないようにゆっくりと近づいて左横までやって来た。どこかにトレイを置く場所はないかと探したが、アダムが机一杯に何か模様のたくさん描いてある紙を広げていたため、机には置けそうもない。かといって床に置くのもどうかと思ったので、シュティレは仕方なくアダムに声を掛けることにした。
「…ご主人様」
「……」
「ご主人様」
「……ん?」
二度呼んでようやくアダムはシュティレを見た。
アダムはシュティレが手に食事の載ったトレイを持っているのを見て、すぐに状況を察すると「ああ。悪い」と手に持っていた物を置いて、シュティレからトレイを取り上げた。
「わざわざ運ばなくても良かったのに」
「呼んでも、来てくださらないと思ったので…」
「そうか。ありがとう」
「あの…」
「ん?」
「サイコメトリ……って、どういうことをするんですか?」
つい気まずくなって、シュティレは目の前の話題を振ってしまった。内心しまったと思ったものの、この話題で会話が進めば、自然と切り出せるかもしれないと考え直す。
「興味あるのか?」
「はい」
シュティレが頷くと、アダムは机の上に軽く息を吹きかける。すると紙が宙に浮き上がり、目線より少し高い位置に留まった。その隙に机にトレイを置くと、今度は右手の人差し指を宙に浮いている紙へ向けたかと思ったら、すっと指を後ろの床に向けた。するとアダムの指に釣られるようにして、紙は床の上に落ちる。
アダムは机の上に置いた鎖の付いた細長いクリスタルを手に持つと席を立ち、紙の側に行って座っては、シュティレを手招いた。乞われるままシュティレがアダムの隣に座ると、アダムは紙の上にクリスタルを垂らす。クリスタルの角が紙に触れるか触れないかのギリギリの所を保って持つ。
「このクリスタルには魔力が籠められていてな。こうして探したい物や人を思い浮かべながら地図の上を移動させていくと、探し物がある位置で回転して教えてくれるんだ」
「……『ちず』ってなんですか?」
怒られるかもしれないと思ったが、知っているふりで聞き流すのも悪いと思って訊けば、アダムは目元を和らげて微かに笑った。
「地図を見たことなかったか……まあ、高価な物だしな……これが、そうだ。この絵柄が山や川や海だったり、町並みだったりの位置や名前、大きさを表している。空から町を見れば、こんな風に見えるだろうな。地図にもいくつか種類があって、特定の場所を詳しく描いた物もあれば、もっと広い視点……国の位置を描いた物まであるんだ」
「へぇー!」
それはすごいと、シュティレが素直に思っていると、アダムは笑みを深くする。
「それで、今はこの辺り周辺の地図を使って、かつてお祖母様の弟子だった人を探している。この地図で見つからなければ、また別の場所の地図が必要だな」
「……見ていてもいいですか?」
「ああ」
アダムは再び地図に集中して、ゆっくり少しずつクリスタルを動かし反応を見ていくが、移動させる時の揺れ以外でクリスタルが動くことは無かった。
それでアダムは小さく息を吐いて、鎖を巻き取った。
「そんなに簡単にはいかないか」
「お疲れ様です。……一度休憩にして、朝食でも食べませんか?」
「そうするか――ところで、シュティレ。俺に話でもあったのか?」
「…え。あ…えっと……」
"ご主人様は察しが良い"とシュティレは恥ずかしくなったが、聞かれたからにはこちらもきちんと答えなければと勇気を振り絞った。
「その……昨日の夜、私がこれからもご主人様と一緒に寝たいと言ったら、ご主人様は少し苦しそうな顔をされていたので、本当は嫌だったんじゃないかと思って……」
言いながら段々と答えを聞くのが怖くなったシュティレは、無意識に背中を丸めて俯いた。
そんな様子に、アダムは短い溜息をつく。
(嫌という訳じゃないが……)
気が緩むと手を出してしまいそうで恐い……というのがアダムの本心だった。
何度同性であればと思ったか分からない。
もちろん、好意を持つよう仕向けたのは自分であるのは分かっている。使い魔の二匹にもそうしたように……。ただ、二匹は動物の姿を取ることが多いし、本性は魔物や悪魔である事から、特別な情は持たずに済んでいた。だから、シュティレに対しても同じように出来る自負はあったはずだが、同じ人間同士であることで、こうも気持ちの持ち方が変わるとは予想外だった。
だからと言って、今更シュティレに過去の主人のように辛く当たることも出来そうになかった。
認めたくはないが、どうやら自分にとってシュティレは、好ましい部類のようなのだ。苦痛に歪む顔は見たくないと思うほどには。
(まあ、もうシュティレは手に入ったのだから、以前よりは気楽に生きてもいいのかもしれないけどな…)
人を殺しているのにという良心の呵責を無視して、好きに生きれば良いのかもしれないし、きっとシュティレは自分を拒まない……だからこそ、余計に踏み込んではいけない気がする……と、アダムの胸中は複雑だった。
優しい、優しいと言ってくれる周りに感化されたのか、はたまた本当に自分がそんな人間だったのかは分からない。分からないが――
「おまえが取る行動が、俺にとって不快だったことは一度もないよ」
せめて傍に置く者には、なるべく誠実でありたいと、アダムは思っている。だから、努めて優しくそう言った。
「……本当に?」
けれど、本心を素直に見せることが恐ろしいばかりに嘘を吐き過ぎているのも事実で、シュティレはアダムの言動を、気を遣われていると取っていた。
「本当だ。ただ……」
アダムはそっとシュティレの頬に手を伸ばして、軽く撫でた。
「あまりに従順だと、こういう事をしたくなるから、気をつけたほうがいいぞ」
これで少しは警戒するだろうと思ったアダムだったが、それはあまりにもシュティレの気持ちを汲み損なっていた。
「……ご主人様。私は、ご主人様に触れられるのは、嫌じゃないですよ」
シュティレは頬に触れるアダムの手に、自分の手を重ねて微笑んだ。
「私は、ご主人様のものですから」
――好きだから。というのがシュティレの本音だったが、そう言うとまたアダムに距離を置かれる気がして、シュティレは言えなかった。
一度口にしてから、どんどんその気持ちが実感を伴ってきた気がしている。しかし今はただ、アダムに使われる道具として、主人の意思を尊重したいという言葉で止めておいた。
アダムには、じゅうぶん優しくしてもらっている。これ以上を望むのは、過ぎた願いだとシュティレは自分に言い聞かせる。アダムが望むならまだしも、自分が先にそれを願ってはいけない……。
「…そうか」
アダムはそっと手を下ろしながら、シュティレから視線を逸らす。
(分かってないな…)
読もうとしなくても、シュティレの心はなんとなく分かっていたが、その気持ちを無防備に自分へ向けるということの危険性を、シュティレは微塵も理解出来てはいないとアダムは思った。
一度気持ちを解放すれば、"触れる"なんていう可愛い言葉では済まなくなる。
「食事はちゃんと食べるから、おまえは戻っていていいぞ」
これ以上おかしな空気になる前にと、アダムはそう言って地図を丸めて片付けた。
「はい」
シュティレも言われた通り立ち上がって、部屋を出て行く。
シュティレの足音が遠ざかり、階下に降りたであろうと確信が持てると、アダムは部屋の隅に立て掛けてあった別の地図を取り出して広げる。
それからトーストを噛じりながら、クリスタルで地図の上をなぞった。しばらくは何の反応も示さなかったが、
「――見つけた」
ある一点に差し掛かった時、クリスタルが大きく円を描いて回転を始めた。
「この辺りには確か……エメラルドの鉱脈があったな…」
呟いてアダムは口の端を上げて笑った。
どうやら、大量の魔力を封じた鉱石の出所はここらしいと思いながら、案外真相に早く辿り着きそうだと、アダムは少々つまらなくなった。
「クロでも連れて行くか……シロにはシュティレを見ていてもらおう」
この国ではあまりシュティレを連れ歩けないのが難点ではあるが、魔法使い自体が表に出ない地域故に、シュティレの力を使うまでもない。
アダムは素早く食事を終えると、簡単に旅装を整え、空のトレイを持って部屋を出た。
「え、何?もう出かけるの?」
下りてきたアダムの様子を見てマリアが眉を上げる。
「ああ。弟子の居場所が分かったから行ってくる。シロとシュティレは置いていくから、シロは姉さんの仕事は手伝えない」
「分かった…」
マリアは複雑そうに、それでも了解する。
「シロ」
「お任せください」
主人であるアダムと使い魔のシロには詳しい会話は不要だった。
アダムに名を呼ばれ、シロは察したように神妙に頷く。
アダムが自分に求めていることは、聞かずともシロはよく理解していた。
アダムが傍にいない分、シュティレから目を離さずに傍にいて守ること、場合によっては危険因子の排除も厭わないこと。
(ボクは、ご主人様の"武器"だから)
武器たる自分がアダムから離れることは多少の不安が残るが、自分がシュティレの傍に置かれるということは、普段はアダムに向けているものをシュティレに向けろと言われているに等しいことだ。それほどシュティレが大切で、危険な立ち位置にいるのだろうとシロは思った。
「よし。頼んだぞ」
アダムは少し表情を和らげては、シロの頭を一撫でする。
「はい!」
これだけで、シロにはじゅうぶんだった。主人に頼み事をされている事自体、嬉しくて仕方がないのだ。
「…ご主人様」
対するシュティレはアダムを心配そうに見ていた。意見するのは良くないとなんとか堪えている様子なのが、アダムには可笑しい。
「大丈夫。あまり時間を掛けずに戻るから」
アダムはシュティレに優しく言った。
その甘い声音にマリアは驚いて、「……いつも、こうなの?」と近くに居たクロに耳打ちした。
「まあ、こんな感じですね。シュティレは今までの人生経験上、不安や恐怖を感じやすいので、ご主人様は極力優しくして安心させているのですよ」
それだけではなくなってきている気がするが、クロはそこは黙っておく。
「……そう」
アダムの優しさは戦略的だと言うのがマリアには歯痒かったが、偉そうなことを言える立場ではないと思い直す。
「じゃ、行ってくる。……クロ」
「はい」
黒猫の姿のクロがアダムの肩に跳び乗ると、アダムは家を出た。
「ほんと、急なんだから…」
マリアは溜息を吐きつつ、「私も仕事に行くわ。悪いけど、シュティレちゃん、シロちゃん。留守をお願いね」
「「はい」」
二人が行儀良く返事をすると、マリアも家を出て行った。
「二人だけになっちやったね…」
シロが呟く。寂しいのかと思ってシュティレはシロの顔を見上げたが、シロはなんだか瞳をキラキラさせていた。
「シロ?」
それで声を掛ければ、シロはシュティレに笑顔を向けて、手を取った。
「シュティレに似合いそうな服をいくつか思いついたんだ。試していい?」
「うん。いいよ」
「やった!」
シロは上機嫌に尻尾を振ってシュティレを二階の部屋に引っ張っていく。
「昨日マリアさんに綺麗な布をもらったんだ♪」
シロは言いながらワインレッドの布を広げる。それから絹糸のように輝く糸束を取り出して、布の横に置く。同様にボタンや黒いレースも並べられた。
「家の中だし、今日は魔法でいいよね。――♪〜」
(…歌…)
シロの魔法は、歌だった。
風を操る時は何の呪文も唱えていなかったが、今は歌を歌っていた。
穏やかな声で、浮き立つような楽しいリズムを刻んでいる。そうしてシロの歌に合わせるように、布や糸がくるくると宙を舞う。まるでダンスをしているようで、シュティレはその様子に釘付けになった。
歌いながら指揮を執るようにシロの右前足が揺れると、布が切れて形を変えていく。更に左前足を動かすと、糸が布を縫い合わせた。それらを繰り返し、ものの数分で、シックな雰囲気のドレスが仕上がった。
「よし!あとは…」
シロが続けて歌うと、黒いレースで出来た肘までの長さがある手袋と黒の小さい丸帽子にレースをつけたヘッドドレスも出来上がった。
「どうよ!」
それらが挨拶をするように宙で一回転しては留まった。
「すごい……」
仕立て屋も真っ青な仕上がりの速さに、シュティレは他に言葉が思いつかなかった。
「シロは、すごいね」
結局繰り返しになってしまったが、なんとかシロの魔法を褒めたくて、精一杯の笑顔をシロに向ける。
けれどシロは、それだけで満足だった。
「えへへ。ありがとう♪」
そう言って照れたように頭を掻いた。
「魔法には、色んな種類があるんだね…」
生き物を傷つけたり、縛ったりするだけではなく、こんなふうに形を作り変えたりも出来る。
魔法を消そうと思うくらい嫌っているアダムの手前言いにくいが、シュティレは魔法は悪いものばかりではないと思った。
今まで自分の魔力を対価に使われていた魔法は、どこか力を誇示するような傲慢さが滲む荒いものだったが、今シロが使った魔法はそうではない。使う目的や理由がそもそも違うからかもしれないが、シュティレの目にはとても優しく、温かく映った。
皆がこのような魔法の使い方をすれば、魔法はもっと素敵なものになる気がした。
しかし、そう出来ないのが人間なのだという現実も、シュティレは知っていた。力を持てば、使わずにはいられないし、もっと欲張りになる。
「本来の魔法は、空気みたいなものだよ」
「空気?」
「そう。当たり前にあるけれど、無くてはならないもの。誰にとっても必要なものさ。だから、独り占めしないで、みんなで仲良く使えばいいんだよ」
「そうだね…」
シュティレが頷くと、シロはそれまでの笑顔を収めて、どこか淋しそうに虚空を見つめた。
「……ご主人様は魔法を無くしたいみたいだけど、それはなんだか、悲しい気がする」
「!」
シュティレは知らなかった事実に、弾かれたようにシロを見つめた。けれどシロの目線は、まだどことも知れない虚空に留まっていた。
「どうしても争いの武器になってしまうのが、辛いみたい……でも……ボクはご主人様が使う魔法、好きなんだよね…」
「え?」
シュティレは、アダムの魔法といえば、使役の魔法やワープ、攻撃の魔法しか思いつかなかったので不思議だったが、それを察したようにシロはシュティレに目線を合わせて、嬉しそうに尻尾を振った。
「シュティレは復讐で動くご主人様しか知らないもんね。……ご主人様は、"みんな"とお友達になれるんだよ」
「"みんな"…?」
「動物とか、妖精とか……なんなら、山とか海とかの自然も」
それは使役の魔法のことだろうかとシュティレが思っていると、シロはまた少し淋しそうにする。
「使役なのかもしれないけど、なんか命令するのと違って、普通におしゃべりする感じかな〜。相手に合わせて、話しかけたり歌ったり踊ったり……あ、ピアノみたいに、演奏で会話するってこともあるよ。魔法は本来、"自然や精霊と心を通わせる力だ"ってご主人様は言ってた。人間も自然の一部として捉える……とか、なんだか難しいことを言ってたけど」
「へぇ~」
シュティレは以前、魔法は自然界から力を"借りる"行為だと聞いたことを思い出す。
シロが言うのが本当なら、人間は間違った使い方をしていることになるのだろうか……。
「難しい話してごめんね。気にしないで――ほら!このドレス着てみてよ」
「うん」
もしそうなら、ウィス・フォンスである自分に出来ることはないだろうかと、シュティレはシロの作ったドレスに袖を通しながら考えた。
お読み頂き、ありがとうございました。
アダムは魔法のおかげで苦しむことが多かったようですが、本来の魔法はもっと優しい力だったようです。いつか、魔法は優しい力に戻ることが出来るのでしょうか……。
次回も読んで下されば、嬉しいです。




