26.封印された記憶
時間はアダムとシュティレが出掛けた直後に遡る。――
その頃私は、ご主人様が使っていた部屋で横になっていたが、ドアの閉まる音がするのと同時に体を起こしていた。
眠るつもりでいたのに結局眠れず、かといって掃除を手伝うのも面倒で、これまで狸寝入りをしながら、掃除をする二人の会話に耳を傾けていた。
掃除を手伝えと言われるかと思ったけれど、気を遣ってくれたのか、ご主人様に呼ばれることはなかった。
(やっぱりご主人様は、使い魔に甘い)
その甘さが心地良く、見返りにもっと何かしてあげたくなった。
私は、ご主人様の成長をずっと傍で見てきた。
幼少期のご主人様は、男の子にしては大人しいほうだったが、本と動物が好きで、マリアに会いにこの家に来る時は、よくウサギやリスを追って森に出掛けていた。
そんな子どもだったから、当然猫の姿をした私には興味を示し、よく話し掛けてきた。
魔法の才能があったご主人様を、ウェスペル家の魔法使いとして、かつての主クリスティアーネ様は厳しく指導した。どんな魔法も極めるべく、徹底的に教え込んでいた。
その背景には、クリスティアーネ様が考える理想があったのだけれど、そんなことは子どもには分からない。訓練の時だけ厳しい祖母は、ご主人様からすれば脅威だったかもしれない。
そんなことだから、訓練が嫌だとご主人様が泣き出すのは必然で、そんなご主人様を慰めてその気にさせるのが私の仕事だった。
ご主人様は私の言う事を最終的には聞いてくれたけど、成長するに従って、その心に影を落とすようになった。魔法学校に通う頃には、私でさえも読めないように心を隠すことが出来るようになっていた。
人間が魔法に固執する意味が私には分からなかったけれど、仕えると決めたクリスティアーネ様がなさりたいことなら、私には考える必要はない。ただ――
(クリスティアーネ様は、何故私の記憶を封じたのかしら?)
レシピ帳に入っていた鉱石の事も、ご主人様が家族をどう思っていたのかも――
(あれ?)
クリスティアーネ様の立場で考えるなら、レシピ帳の鉱石の事は、隠す必要があったのかもしれないけれど、ご主人様の気持ちに関しては、どうだろう?
私は、ご主人様を魔法の特訓に行かせる為にご主人様と色々話していた。そこから得た言葉をヒントに、クリスティアーネ様に助言した事もある。
けれど今思い返せば、当時どんな会話をしたのか、はっきりとは思い出せない……。単に耄碌したわけじゃないと思う。私は、記憶力には自信がある。クリスティアーネ様と出会ってからのことも、それ以前も良く覚えている。ただ、ご主人様のことに関する記憶が曖昧だ。今言った細かな感情の機微が窺える記憶もそうだし、そういえば――
「私……どうやってご主人様の使い魔になったんだっけ……?」
獄中で病気になったクリスティアーネ様が、ご主人様を案じるあまり私との契約を書き換えて、クリスティアーネ様の死後、ご主人様に付くようにしたと、ご主人様から……聞い…た――
「っ!?」
そこまで考えた時、急な頭痛に襲われて、私は堪らず、頭を抱えて蹲る。
この頭痛はきっと、私が踏み込んではいけない領域に足を踏み入れようとしている合図……契約違反を侵すことへの、警告だ。
――ああ。そう言う事なんですね……アダム様。
ご主人様に関する記憶が曖昧なのは、ご主人様の力あってのことなんだろう。ご主人様が意図的に記憶を封じたんだ。それは、何故か?
「……契約を書き換えたのは、クリスティアーネ様の意思…じゃ、ない……?」
何らかのトラブルか、あるいは強引にか……きっと私が知れば反発するであろう理由で契約内容は一方的に書き換わった……。それが出来るのは、当時の主人であるクリスティアーネ様だけだが、言い換えれば、クリスティアーネ様を上手く使えば、契約は誰にでも書き換え可能だということ。
そして、ウェスペル家は、"使役"の魔法を得意とする一族。使役出来るものは生き物全般。当然、人間も含まれる。
(アダム様は、当時のウェスペル家の中で一番優秀な魔法使いだった……)
「どうして今まで、気づかなかったんだろう…」
――『大丈夫よ。私で、最後にしてあげるから…』
クリスティアーネ様は、かつて私にそう言った。
クリスティアーネ様の死後、私はこの息苦しい生を手放して自由になれる筈だった。
私は、ウェスペル家の始祖に使い魔に下されてからは、代々ウェスペル家の当主に仕えてきた。使役の魔法を使うにあたって、私の人の心を読む力は、重宝されたからだ。
クリスティアーネ様に会うまで十二人の主人に仕えたけれど、どの主人も、あまり私と会話しなかった。理由は単純で、私と会話をすれば、自分も心を読まれてしまうからだ。心に隙があれば、立場が逆転しかねない。
他人の心は読みたがるクセに、自分の心は見せたくないなんて、人間は本当に傲慢な生き物だと思う。
それもあって私は早々に、使い魔としての生に飽いた。
何度か新しい主人に再契約するタイミングで契約を拒もうと暴れたこともあったけど、ウェスペル家の当主は代々魔力が高かった。使い魔として貰った『クローディア』という名前のせいで本来の力を発揮出来ない私では、太刀打ち出来ずに結局いつも使い魔になってしまった。
そんな中で、クリスティアーネ様だけは違った。
クリスティアーネ様が継いだ時のウェスペル家は、大きくなった家名を維持する為だけに存在していると言っていい状態だった。
他家に威張る一方で、実際には力が弱くなっていたことを隠すように、権力者に取り入り、後ろ暗い仕事をすることもあった。それをクリスティアーネ様は憂いていて、一族の在り方を変えようとされていた。
私のことも友人のように扱ってくれて、だからこそ、クリスティアーネ様は自分の死後、私を解放すると言ってくれたけれど、クリスティアーネ様が亡くなった後の自由に面白味を感じない気がしていた私は、一緒に死ぬ道を選んだ。
クリスティアーネ様もそれを了解してくれていた筈だった。
「私は、馬鹿だ……大馬鹿者よ!」
ちょっと考えれば分かった筈だった。クリスティアーネ様が、私とした約束を私の許可無しに反故にするなんてあり得ない。いくら孫のアダムが心配だったにせよ、ひと言くらいある筈だ。……いや、きっと抱えている心配の全てを私と共有して、一緒に考えた……クリスティアーネ様なら、そうする。
「アダムっ…!」
私は悔しくて、憤ろしくて、頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回されている心地がした。
アダムにも、自分にも腹が立つ。こんな感情は久しぶりだ。
ああ!クリスティアーネ様、ごめんなさい……私はずっと騙されていた……よりによって、あなたが手塩に掛けて育てたアダムによって――
――バタン。
「!」
その時、階下で物音がした。アダムとシュティレが帰宅したようだ。二人の話し声がする……。
私は居ても立っても居られず、階段を駆け下りた。
「……お帰りなさい」
叫び出しそうになるのを寸前のところで抑えて、いつものように出迎えた。
「ただいま」
シュティレが嬉しそうに微笑む。その首には、銀のネックレスが光っている。
(ああ……新しい"首輪"か)
私はそれをどこか冷めた目で見やる。シュティレは使役の魔法が解けていたし、きっとネックレスを媒介に、掛け直したんだろう。
アダムを見ると、「変わりなかったか?」と訊いてきた。
変わりは大いにあったが、シュティレの前では話したくない。……事の次第によっては、話すだけでは済まない。
だから私は、努めて冷静な仮面を張り着けた。
「いいえ。何も。……ですが、ご主人様。少しよろしいでしょうか」
二人きりで話したいと、目線で訴える。元来察しのよいアダムは、すぐに私の意図を理解した。
「分かった。……シュティレ。悪いがクロと少し話してくる。買ってきた物の片付けを頼めるか?」
「はい。分かりました」
シュティレが素直に返事をすると、アダムは私を手招いて、外へ出た。
どこまで行くのだろうと思っていると、さっきマリアがいた小屋に入った。
「――その顔は、やっと違和感に気がついた……と言ったところか?」
小屋の扉を閉めるなり、アダムは言った。
小屋の中は薄暗い。アダムはランプに火をつけたが、それでも充分な明るさとは言えなくて、ランプの灯りが届かない範囲は、暗く沈んでいる。だから互いの表情も、見えづらい。
「察しの通りよ……アダム。私を騙していたわね?」
抑えていた怒りが漏れ出して、口調が使い魔らしくなくなってしまったが、今はそこに意識を向ける余裕が無かった。
アダムは一瞬驚くようにしたが、すぐニヒルに笑った。
「随分と遅かったな。おまえなら、割とすぐに見破ると思っていたんだが……所詮、お祖母様との絆もその程度か」
「!!」
アダムの発言の内容を看過出来ず、私はアダムを鋭く睨む。自分の姿を屈強な大男に変えてアダムを床に強く押し倒した。
私は変身の魔法が得意だ。一度見たものは模倣する事が出来るし、更に私が体感して理解した能力は使うことも出来る。よって今の私は、人間の男並みの力を出せている。
「……主人にそんなことをしていいと思っているのか?今、すごく背中と肩が痛いんだが…」
「煩い……もう、おまえを主人などと思うものか!」
この状況に動じないどころか、面白がっているように、アダムの顔から笑みが消えない。腹立たしくて、肩を押さえる手により力を掛けた。指が更に肩に食い込んで、ミシミシと音が鳴る。更に力を掛ければ、鎖骨を砕けるだろう。
流石のアダムも、痛みに顔が歪んだ。
「……痛いぞ。――『ダンタリオン』」
「ッ!?」
『ダンタリオン』……その名を聞いた瞬間、私の体は石のように硬直した。
それは、私が『クローディア』になる前に使っていた名前だ。私の、本当の名前……。
「離せよ」
私はアダムの言う通りにアダムから離れた。
私の意思じゃない。使役の魔法の成せる技だ。更に今、本名を呼ばれてした命令の為、より強い拘束力がある。
必死に抗おうとするが、今の私の自由になるのは、表情だけだった。歯を食いしばり、きっとすごく恨みの籠もった顔をしているだろう。
「そう早まるなよ。ちゃんと説明してやるから……」
ついには姿形も、黒猫に戻されてしまった。
アダムは苦しそうに呻きながら体を起こした。そのまま床に座った状態で、私と目線を合わせる。
「確かに、お祖母様とおまえの契約を書き換えたのは俺だ。お祖母様が牢獄に居るのを良いことに、書き換えさせた……ただな。俺もかもしれないが、お祖母様がレシピ帳に関するおまえの記憶を封じた事は、気にしなくても良いのか?」
「……それは別にいい。きっと私には関係ないことよ」
私がくぐもった声で答えると、アダムは呆れたように眉を下げた。
「おまえ、賢いのかと思ったら、変なところで思慮が浅いな……考えてみろ。おまえには何でも話していたお祖母様が、なんでおまえの記憶を封じたんだ?」
「知らない。きっと、事情があったんでしょ」
「それはそうだろうが、おまえは別だろ。おまえはお祖母様と一緒に死ぬ契約だったんだ。外部に漏れる心配はない。……なら、お祖母様は何を懸念していたのか?……普通、こう考えないか?クロにとっては、いくら主人の決めた事とはいえ、看過出来なかった。きっとクロは反対したんだ」
「反対って……何に?」
「あの鉱石を作ることに」
「……そんなことはどうでもいい。私が今話したいのは、あなたのやったことよ。アダム」
「おまえからすれば、俺が悪なのか?」
「当たり前でしょう」
そこでアダムは何故か、酷く傷ついたような顔をしたが、「まあ…それもそうか…」と小さく呟いた。
「分かった。認めるよ。俺が悪かった」
「謝って欲しいわけじゃない。……もう、取り返しがつかないし…」
「そうかもな……でもな、クロ。お祖母様が封じた記憶を解放したら、見方が少しは変わるかもしれないぞ」
「……どういうこと?」
「見たほうが早い」
アダムはそう言うと、私の首輪に触れた。首輪は一瞬赤く光り、すぐに光を失った。
「!?……これ…は……」
しかしその瞬間、靄が晴れたように唐突に思い出した。幼少のアダムと過ごした日々を……。
…
……
………
『ねえ、くろぉーでぃあ』
『なんでしょう?』
『くろぉーでぃあは、ねこさんなの?』
『違いますけど、アダム様は動物がお好きだと伺ったので、猫になってみました』
『すごいねぇ〜!じゃあ、とりさんとか、りすさんとかには、なれるの?』
『成れますよ』
『みたい!みたい!』
『仕方ありませんね……少しだけですよ。見たら、お稽古再開です。約束出来ますか?』
『うんっ!』
…
……
………
『クローディア』
『はい』
『……これからは、"クロ"って、呼んでいい?』
『構いませんが、何故でしょう?』
『そのほうが呼びやすいし……なんか、特別感があるでしょ?』
『特別感…ですか?』
『うん。友達っていうか……仲良しみたいな』
『アダム様は、不思議な方ですね。私は使い魔ですよ。ご主人様からの命令を受けて、アダム様とこうして話しているだけです』
『そうだけど……クロには俺の気持ち、分かるでしょ?』
『分かりますよ。私と話すのが楽しいからと、わざと訓練をサボって、私を探しに来させていますね。先程も言った通り、私だって暇じゃないんですよ』
『ごめんって……お祖母様との訓練が大事なのは分かるけどさ。俺、友達居ないし、たまには遊びたいんだよ……それがダメってことだから、せめてクロとだけは、気楽に話したいんだ。お祖母様の悪口とか…』
『私はご主人様に対して不満はないので、愚痴の相手には向きませんね』
『釣れないなぁ〜』
…
……
………
『アダム様。ここを開けて下さい』
『嫌だ』
『後もう少しで、教えたい魔法の全てを教え終わるそうです。ですから――』
『嫌だよっ!そんなことどうだっていい!出来るまで食事も抜き、休むのも許さないなんて、最近お祖母様おかしいよ!』
『それは……持病の肺の病が出ているので焦っておいでなのです』
『そんなの、俺には関係ない!』
『しかし、アダム様は将来ウェスペル家の当主に成られるお方ですから…』
『家なんか知らないっ!俺は家督を継いだりしない!』
『それは貴方様の自由ですが、せめて力だけはしっかり持っていなければ、中途半端では身を滅ぼします』
『……継がなくていいの?』
『私からすれば、家督を継いで、それから自由にすれば良いと思いますけどね。今のままでは、アダム様はご主人様には敵いません。文句を言うなら、それなりの実力を持っていなければ、誰にも話を聞いてはもらえませんよ』
『――分かったよ。やればいいんでしょ。やるけどさ……俺が当主になったら、クロは一緒にいてくれる?』
『さあ……そこは、保障出来かねます』
『えー……クロは当主に仕えてるんじゃないの?』
『当主に仕えていますが、私は今のご主人様で最後にしようと思っているのです』
『………クロは、俺のこと嫌い?』
『そんな!好きですよ』
『じゃあ、待っててよ。俺が、当主になるまで待ってて。俺が当主になったら、ちゃんと、今までありがとう。ご苦労さまって言って、使い魔じゃなくしてあげるから』
『ふふ……ありがとうございます。楽しみにしてますね』
…
……
………
『ご主人様』
『クローディア。アダムはどう?』
『今日は、なかなかその気になりません』
『そう……困ったわね。あと少しなのに…』
『……あの、ご主人様。もう少し、妥協されては如何でしょう?今のレベルでも充分、同世代の子どもより良く魔法が扱えています』
『それじゃ、駄目なのよ…』
『駄目…とは?』
『このエメラルドに、アダムの質の高い魔力を込めている最中なの。だから、大変だとは思うけれど、私より魔力の高いアダムに頑張って欲しいのよ』
『何故、そんなことをする必要があるのです?』
『……あなたは、私やアスベルが今まで身内でどんな扱いだったか知っているでしょ?』
『はい……』
『このエメラルドに書き込んだ魔力を人に書き込めば、自動的に強い魔法使いが誕生するの。……もう、魔力が無い子どもは生まれないわ』
『それは……画期的ですが、だからと言って、今アダム様に苦痛を強いるのはどうなんでしょうか?』
『……随分とアダムに肩入れするのね……ウェスペル家の未来の為には必要なことよ。アダムもいつか、分かってくれる』
『……ご主人様。あなたは、そんなことを言う人ではないと思っていました…』
『人は変わるものよ』
『そうですね。ですが、過ぎた力は、いつか不幸を呼びます。人間にそんな膨大な魔力は扱いきれません』
『分からないわよ。適応出来る人間が現れるかも…』
『そうまでして、家名を守るおつもりですか?』
『家名を守りたいんじゃないわ。私は、魔法使いの家に産まれながら魔力のない状態で産まれる子を、なくしたいのよ』
『だからと言って、こんなやり方をしなくても……これではアダム様がどう思われるか…』
『何かを変える為には、目先に囚われていてはいけないわ。もっと先を見なくては』
『……ご主人様。あなたとこんなに意見が合わないのは、初めてですね』
『そうね。クローディア。残念だけれど…』
―――
「……思い…出しました……」
そう。私はクリスティアーネ様とアダム様の扱いについて対立した。きっとそのあと、エメラルドについて話した記憶に蓋をされたんだろう。エメラルドに魔力は込め終わり、レシピ帳に封じられた……。
「私は……あなたを救いたかったのです。アダム様…」
言葉にすると、気持ちが溢れるように涙が湧き上がり、頬を伝った。
「……随分と都合が良いな。さっきはもう主人とは思わないと言っていたのに……で?結局あの鉱石はなんなんだ?」
私は、思い出したままを語った。それを聞くと、アダム様は顔を顰める。
「……何だか、きな臭くなってきたな。やはりお祖母様も、同じことを考えていたのか……」
「……私がしっかりしていれば、アダム様がクリスティアーネ様を恨まずに済んだかもしれないのに…」
「さあ?それはどうかな。エメラルド絡みでなくても、ウェスペル家の次期当主としての教育の段階で嫌っていたとは思うけど…」
「……では、契約の書き換えは必然だったと?」
「あれは、復讐の為に必要だった。お祖母様が断固としてクロを譲らないので、お祖母様を使役して、書き換えさせた。そのうえで――毒で殺した」
「……」
不思議と、驚かなかった。きっと、そういう事だろうと分かったからだ。
アダム様が復讐の為動くタイミングで契約が書き換わり、その後クリスティアーネ様が亡くなるなんて出来過ぎている。これが、私が手に入ったから復讐を考えたなら分かるが、アダム様は復讐の計画のほうが先だと言った。
「――幻滅したか?」
アダム様は軽く言ったが、表情はどこか不安を滲ませていた。ここまで明かしてくれたのだ。私の出方次第では私と敵対すると思っているようだった。
(確かに腹立たしい。腹立たしいけど…)
それと同じくらい――愛おしい。
記憶に蓋をされていて忘れていたけれど、きっと私は、もっと前から、アダム様の使い魔として生きる未来を夢想していた。せめて当主となる姿を見届けたいと、そう、思っていたんだ。そして、アダム様にとっての私は、ただの使い魔じゃない。――たった一人の友人だった。
「アダム様がどう思おうと、クリスティアーネ様は私にとって特別でした。だから、アダム様がしたことは許し難いです。ですが――クリスティアーネ様がウェスペル家の栄華に囚われたことも、アダム様がクリスティアーネ様を恨んだことも、私は最も近くで干渉出来る立ち位置にいたにも関わらず、何もしなかった。その咎は、受けるべきだと思うのです」
「……なぜ?」
アダム様は、心底不思議そうにした。
私は自嘲するように笑う。
「私にもよく分かりませんが、きっとシロと同じなのでしょう。……私はもう、ただの悪魔でも使い魔でもなく、人間に愛情を持つほど深入りする"何か"になってしまったのです」
「――結局、そう来るのか……」
アダム様は心底嫌そうな顔をする。
「アダム様には信じられないようですが、本心なので仕方ありません。……ですから、私は罪滅ぼしの為にも、アダム様と共に居て、結末がどうなるのか、ちゃんと見届けようと思います。ですから、これからもよろしくお願いします。ご主人様」
「――分かった」
ご主人様は私と目を合わせることなく呟いたが、チラリと盗み見た顔が一瞬嬉しそうに緩むのを、私は見逃さなかった。
変わったと思っていたけれど、私を使い魔にしたいと言っていた幼いアダム様は、まだ確かに、ここに居た。
「ご主人様」
私は嬉しくなって、ご主人様の胸に飛び込んだ。
「うわっ!何だ?」
急な事に対応し切れず、ご主人様は床に仰向けになったが、私は構わずご主人様に頬ずりする。
「……あの……ご主人様。クロ。大丈夫ですか?」
その時、恐る恐ると言った様子でシュティレの声がした。心配で見に来てくれたようだ。
「大丈夫よ」
私が答えると、シュティレは小屋の戸を開けて入って来たが、目の前の光景に驚いて目を丸くした。
床に倒れたご主人様の上に、猫の私が乗っている……確かに妙な光景だ。
「あの…」
「大丈夫だ。問題ない……クロ。退けろ」
「はい、はい」
ひらりとご主人様から下りると、ご主人様は仏頂面で身体から埃を払いつつ、起き上がった。
「そうだ。お腹が空いたわね。何か食べましょう?」
私はいつもの少女の姿になると、シュティレの手を取って小屋の外に出た。
「俺は無視か…」
後ろで小さく毒づくご主人様の声をあえて聞かなかった事にする。
ご主人様をからかうのは楽しい。
「ご主人様」
しかし、優しいシュティレはちゃんとご主人様を振り返り、手を差し伸べた。ご主人様は、少し迷うようにしてから、シュティレの手を取る。
こうして、シュティレの手を私が引き、ご主人様の手をシュティレが引くという奇妙な手繋ぎ状態で家に戻った。
(やっぱり、ご主人様はシュティレのこと…)
訊けば否定するだろうから言わないけれど、私やシロがそうであるように、ご主人様もシュティレをかなり気に入っている。
辛い過去がありながら……いや。あるからこそ、貰ったものを大切に受け取り、誠実に気持ちを返してくるシュティレは、つい後暗い道を歩きがちなご主人様には眩しい反面、救いがあるのかもしれない。だからいつも結局は、シュティレに優しくしてしまうのだろう。口では戦略的と言っているが、それは嘘だ。
(ご主人様は、シュティレには敵わない)
だからきっと、ご主人様は悪に成りきれない。
それでいい。――そう、あってほしい。
今度こそ、私はご主人様を救ってみせる。クリスティアーネ様に出来なかった分まで、アダム様に――
お読み頂き、ありがとうございました。
今回はクロとアダムについて知れる回でした。
余談ですが、『クロ』はアダムがつけた名前です。クロが心酔する程だったクリスティアーネも、先祖がつけた『クローディア』という名前で呼んでいたにも関わらず、アダムはその名前を使いませんでした。
そのことからも、アダムの意思を感じる気がします。
多くを語らないアダムですが、周りとの関わり方から少しずつ、彼の内面が見えてくるようで、作者としては楽しいです。
皆さんにとって面白いものを提供出来ているかは不安ですが、少しでも興味を持ってくれたら嬉しいです。




