25.春を告げる花
それからは、なぜか姉さんが元気になった。
吹っ切れた……ということなのだろうか?悲願を達成出来ず、俺に弱みを握られた状態だというのに、なぜそんなに立ち直りが早いのかと不思議になったが、残念ながら、俺がそのことについて考えを巡らせている時間は無かった。なぜなら――
「アダム。あなた具合悪くないなら、家の掃除お願いね」
「なんで俺…」
「あなたが一番暇でしょ?……何?その顔は。この家の家主は私だし、居候なら仕事すべきでしょ。クローディアは休んでるのだから、主人のあなたが頑張りなさい。――あ、シュティレちゃんは何もしなくて良いからね。たまには休んで。いつもこき使われているんでしょう?」
「あの、私は、平気で…」
「ああ!あと、買い物行ってきて」
このように矢継ぎ早に指示を飛ばした。俺やシュティレが何か言おうとするのを意図的に遮ってくる。
「返事は?アダム」
「――はい」
逆らうと何を言われるか分からないので、仕方なく返事をすると、シュティレが目を丸くして俺を見た。……聞かなくても分かっている。俺が人に従うのが珍しくて驚いたのだろう。なんだか情けなくなってきた。
「よし!じゃあ、このメモに書いたもの、お願いね。私は仕事に戻るから」
言いたいことだけ言って、姉さんは再び出掛けて行った。
バタンとドアの閉まる音がしても、俺もシュティレもしばらく動けずにいた。
「……仕方ない。やるか」
仕方なしに物置から箒を取り出すと、シュティレが慌てて近づいて来た。
「掃除でしたら、私がやります。ご主人様は、座っていてください」
「それなら、俺もやる。二人でやったほうが早いだろ」
「それは……そうですけど……」
「面倒だから、さっさと終わらせよう。俺がハタキで埃を落とすから、おまえは箒で床を掃いてくれ」
「……はい」
そうやって二人で掃除を始めた。
一瞬クロを呼んでやらせようかとも思ったが、急ぐ用でもないから、寝たいなら寝かせておこう。
昨日もクロとシュティレで掃除していたこともあってあまり汚れている所はなく、掃除は簡単に進む。シュティレは言葉少なく、せっせと箒で掃き、それが終わると雑巾で家具や床の水拭きをして回った。
(本当に、文句も言わずに良く働くものだな)
掃除にしたって、俺の所に来てから覚えたことだし、屋内に閉じ込められていることが多かったせいで体が弱いはずなのに、本当に良く動く。
「……あ、あの……何か、変でしょうか?」
思わずじっと見てしまっていたらしい。視線に気づいたシュティレが不安そうに言った。
「いや。何でもない。……疲れていないか?」
「え?……いいえ。大丈夫です」
何をそんなに不安がることがあるのか……別に睨んだ訳では無いはずだが。――ああ、もしかして。
「おまえ、まだ暗示に掛かったことを気にしてるのか?」
「……」
図星か。なるほど。
「俺はもう怒っていないし、罰を与えるつもりもない。だからそんなに怯えるな」
「…ごめんなさい…」
シュティレは顔を伏せて謝った。
全く……怒っていないと言っているのに……他人に虐げられるのに慣れているせいで、何でも悲観的に捉えやすいようだ。
仕方ない。ここは少し慰めてやるとするか。
「シュティレ」
俺は名を呼んでは、シュティレの体を引き寄せて抱きしめた。
「ご、ご主人様?」
「いいから、楽にしろ」
頭をゆっくり撫でてやると、シュティレは徐々に体の力を抜いて、俺に身を委ねた。
「おまえは良くやっているよ。ただ、もっと自信を持てばいいだけだ。おまえは俺の道具でいることを選んだのだから、俺の言葉を信じて堂々としていればいい。そうすれば他人がつけ入る隙が無くなるだろう。……出来るか?」
極力優しく、ゆっくりと耳元に語りかける。
「はい」
「よし。良い子だ。……さて。掃除を終わらせたら、買い物に行くぞ」
「私も、行っていいんですか?」
「ああ。気晴らしになって良いだろう」
「…ありがとうございます」
シュティレは頬を赤らめて礼を言う。控えめだが、口角が上がっている。どうやら、余程嬉しかったみたいだな。
※
掃除を済ませてシュティレと市場へ向かう。
海も山もある地域とあって、市場には様々な食材が並んで活気付いている。
シュティレはそんな市場の様子を、目深に被ったフードの隙間から、目を輝かせて見ていた。
この国では俺は追われることはないだろうが、シュティレの母国ではあるから、シュティレが目立たないようにしなければならない。ただでさえシュティレの容姿は目を引く。妙な輩に絡まれるかもしれない。
(早いところ、使役の魔法を掛け直さないとな)
使役の魔法には、契約の証として媒介する物が要る。無くても使役出来なくはないが、掛けられた相手の意思の強さで術者の支配を弾くことが出来てしまう。それは物を媒介した場合も同じだが、物を媒介にした場合は、それに術者の力を集中させて力を増長出来るため、鎖のような拘束力を持たせることが出来る。以前、シロにシュティレの魔力を渡した後に遠隔操作で首を締めたことがあったが、そのようなことが出来るわけだ。
シュティレの場合はチョーカーだったが、それはシュティレが自ら解いてしまった。再びチョーカーに掛け直すことも出来るが、気分を変えるためにも、違う物が良いだろう。この市場には装飾品も多くあることだし。
「欲しい物があったら言えよ」
「……欲しい…物…?」
信じられないと言った様子で俺を見つめるシュティレの瞳は、期待と不安がない混ぜになった不安定な色合いをしている。優しくしても、痛めつけられた時と同じくらいに不安になってしまう……この娘は真実人を信じきれない。そういう所は、俺と同じだ。
(……駄目だ。俺にとってシュティレは道具だろ)
つい同情的になりかけた心を律する。
そうだ。俺は扱い方が違えど、シュティレを都合良く使っているだけ。愛玩動物のように愛でたり、家族のように愛情を持って世話をしている訳じゃない。
俺の都合で使い、俺の都合で壊すだけの存在だ。そこに罪悪感も切なさも感じる必要はない。
「ああ。せっかくだから、買ってやる」
「……はい」
シュティレは戸惑いながらも嬉しそうだ。引き続き品物を眺めている。
俺は姉さんのメモに書いてあった物を買いながら、シュティレの視線にも注目した。
恐らくシュティレは、気になったものがあっても言わないだろう。心を殺すことに慣れているせいで、本人にも自分の欲求が分からなくなっているのだ。全くないわけではないが、小さ過ぎて気づきにくい。だから、会話や態度から、こちらが察するしかない。
先程は同情的になるなと自分を戒めたが、シュティレには定期的に飴をやって、心をケアしてやる必要がある。情緒が不安定だと、魔力が暴走しかねないからだ。だから戦略的とはいえ、一人の人間としての尊厳を守って慈しむ心も捨てる訳にはいかない……。
(疲れる……)
シロやクロのように、力の差で服従させるような真似が出来ない分、非常に神経を使う上に、俺の心が境界線を越えていきそうになることがある。やはりクロが言っていたように、異性というのは距離感が難しいようだ。気を抜くと、愛情に発展する。
今はヒースへの復讐の算段をするのに手一杯だからいいが、それが無くなれば目的はない。
そうなると、気を抜きやすくなる。捨てたはずの願いや欲が顔を出す。――愛情が、その最たるものだ。
"愛"なんてものは幻想だし、呪いでしかない。
人間は愛することで自分の所属するコミュニティを上手く平和に回しているだけだ。人間は一人で生きられない弱い生き物故に、愛は生き抜く為に本能的に植え付けられた概念に過ぎない。
愛を与えることで身の安全を保障出来る関係を手に入れる……ただの利害関係なのにも関わらず、人間は愛に特別感を出し過ぎた。生き残る為の手段でしかないというのに、愛の為に生きて死ぬような輩が存在するし、愛故に恨み、絶望する者もいる。
俺も例外ではないと思うが、少なくとも、愛が皆が思うほど崇高ではないと理解しているだけマシだと思う。
ふと、シュティレの視線が一点に集中した。歩みは止めないが、目だけで追う。しかしそれもほんの一瞬で、すぐに進行方向に意識を戻した。
それで何を見ていたのかとシュティレが見ていた方向に視線を向ければ、アクセサリーを扱う露店が目に入った。
(シュティレも女だもんな)
使役の魔法用のアイテムにも丁度いいし、欲しがってるなら好都合だ。
「シュティレ。今度はこっちだ」
シュティレの腕を引いて、来た道を引き返す。
「あ…」
始めは不思議そうにしていたシュティレも、向かう先がどこなのか理解すると、驚いた声を上げた。
「さっき気にしていただろ。何が気に入った?」
「ご主人様には、何でもお見通しですね」
「おまえが分かりやすいんだよ」
「そうですか…」
シュティレは何だか恥ずかしそうに顔を伏せる。それからおずおずと、一つのネックレスを指差した。
「これ、何という花なのかなって思って……」
そのネックレスには、一輪の花を模した銀色の飾りがついていた。細長い葉は真っ直ぐ上に伸びているのに、花は下をを向いている。そんな花の茎の部分には、アクアマリンのような色をした、小さな石がついていた。あるいはガラスかもしれないが、角が多い複雑なカットの仕方をしているおかげが、日の光を乱反射して、キラキラと輝いている。
けして派手ではないが、安っぽくもないデザインだった。
「そういえばおまえ、花が好きだったな。……よし、これにしよう」
「あっ!は、花の名前が、気になっただけですから!」
ネックレスを買おうとすると、途端にシュティレが騒いだが、無視して購入する。購入してしまうと、シュティレは諦めたように静かになった。
そのままシュティレの手を引いて、休憩がてら手近なベンチに腰を下ろした。
「ほら」
ネックレスを着けてやると、シュティレは顔を紅くしては「……ありがとうございます」と、小さな声で礼を言った。ペンダントトップを摘んでは、眺めている。
「『スノードロップ』という花だな。マツユキソウとも言うらしい。昔、寒冷地で見たことがある。早春に咲く花だから、春を告げる花という意味合いで、希望の象徴にされがちだな」
そういえば、巷では涙滴型の真珠のイヤリングが流行っていたが、それもモチーフはスノードロップではなかったかと思う。ネックレスになっているものは初めて見た。
「素敵な名前ですね……さすがはご主人様。物知りですね」
「……お祖母様が花好きだったから、何となく覚えてしまっただけだよ」
魔法については厳しい人だったが、花について語る時は優しくて、魔法の特訓が辛い時はそれで特訓の時間を減らそうと、名前を教えて欲しいという名目で花を持って行ったりしたものだった。
「そうなんですね。私も、お会いしたかったです。……あ、ご主人様は、そうではないですか?」
「どうかな……嫌いだと言い切るほどではなかったが、好きとも言い難いな。魔法に厳しい人だったから、小さい頃は怖かった」
「そうですか……」
「あ、そうだ。チョーカーは外せ」
とっくに効力は無いから自分で外せるし、外していいと前にも言ったことがあるのだが、何故かシュティレは着けたままだった。
「…はい」
流石にネックレスを着けた状態でチョーカーまで着けているのは変だと思ったのか、大人しく外した。受け取ろうと思って手を差し出したがしかし、シュティレは躊躇った。
「あの……チョーカーは、私が持っていても良いですか?」
「なぜ?」
「――初めて、ご主人様に貰ったものなので…」
「……」
瞳を彷徨わせながら、シュティレは小さく呟く。
(何だよ…それは…)
チョーカーはプレゼントなんかではない。シュティレを支配する為に着けた物だ。そんなに大切にする物じゃない……。
条件反射のように胸が苦しくなったが、それを無視する。
「…分かった。好きにしろ。……どれ」
無視をしたのに、苦しさは悪化した。呼吸すら苦しい。それすらも無視して、俺はシュティレのネックレスに手を伸ばす。ネックレスに触れながら、声は出さずに呪文を唱えると、ネックレスは僅かに熱を持ち、すぐに何事もなく熱が引いた。
「……使役の魔法……ですか?」
「ああ。おまえの忠誠心を疑うわけじゃない。ただ、今回のような事からおまえを守る為だ。俺が離れている時でも、大丈夫なように……嫌だったか?」
(何を確認しているんだ?俺は…)
必要なことだ。嫌だとかは関係なく、使役の魔法を掛ける。シュティレは道具だ。意思など必要ない。
――そう、思っているのに……。
「嫌じゃ、ありません。必要なことです」
そう微笑んで答えるシュティレの顔を、俺は直視出来なかった。
「今度こそ、大事にします」
もう逆らわないと、離れないとシュティレの瞳は言っていた。
これこそが俺が望んだ事であり、最善の筈だったのに、どうしょうもなく暗い気持ちになった。
シュティレという人間が腹立たしく、恐ろしい。
"なぜ"という問が頭の中をループする。
なぜ、シュティレは逆らわない?
なぜ、そんな生き方を許容出来る?
なぜ、笑顔でいられる?
なぜ、なぜ、なぜ――
――なぜ、俺はこんなにシュティレを気にするのだ
ろう?
(あぁ…そうか……)
俺はきっと、誰かに罰して欲しいんだ。許して欲しいんじゃない。
理不尽を押し付けられて反発してきて欲しかったんだ。シュティレなら、そうすると思ったのに、そうはならなかったことに戸惑っている。
お祖母様を手に掛けたあの日から――いいや。もっと前から俺は、"良い子"でも"良い魔法使い"でも無かった。
もっと汚い何かだ。
それは俺だけのせいではないのかもしれないが、俺が考えて一人で実行したのだから、俺が悪いということになる。
もっと前に下されていてもいいはずの罰は、今だに下らない。それは生きていたいと願う本能ゆえに逃げているからに他ならないが、逃げる為の条件が揃い過ぎているのも事実だ。
恵まれていると、素直に思えないところがまた、苦しい。自分のしていることに後悔していないつもりなのに、俺にもその生き方を訝しむ良心があるのだ。
ひょっとすると、憲兵なりに捕まってしまえば、諦めもつくのだろうか?俺は勝手に、今捕まってしまえば、俺がなぜヒースに連なる者に手を掛けたのかという部分を掘り下げてもらえないと思っているが、そうではない可能性もある。俺は捕まれば死刑だが、俺が死刑になることで世間に問題提起のきっかけを作ることになるかもしれない。
(いや……それはないな…)
俺はそもそも自由になる為に行動しているんだ。世間への問題提起なんて、自分の復讐行為を正当化する為の被せ物に過ぎない。
自分さえ良ければそれでいいんだ。他の奴らだってそう生きている。なぜ俺が世のために行動する必要がある?
何かの為に行動することは結局、欲深い誰かの餌になることと同義だ。俺やシュティレがそうなったように………。
――それでも……。
それでも良心は時々、正義を成せと俺に訴える。"隣人を愛せよ"と流行りの宗教は謳う。
人間社会における『正義』と『愛』は、権力者に隷属することを納得させる為の罠だ。人間がコミュニティを重要視する本能を持っていることを逆手に取っているだけ。
けれど本当は『正義』も『愛』も、美しいものなんだろう。それが扱い方によって歪んでしまうだけで。
――俺が、認められないだけで。
「ああ。そうしろ」
胸の奥がぐちゃぐちゃしているが、シュティレには余裕のある笑みを見せた。
俺は結局、嘘ばかり吐いている。
シュティレは俺に嘘を吐いたりしないのに……どこまでも対極で、笑えてしまう。
だから俺は、シュティレが気になって仕方がないのかもしれない。
お読み頂き、ありがとうございました。
タイトル回収と言うわけではありませんが、この物語の内容が、なんだかスノードロップの花言葉を思わせるなと思っていたので、どこかで登場させたかったので、やっと出せました。スノードロップには作中で言っていた綺麗な言葉と反対の怖い言葉も当てられています。この物語がどちらの花言葉のスノードロップを指しているのか……見守って下さると嬉しいです。




