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宵闇に捧ぐスノードロップ  作者: 空色 理
第二部

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24/47

24.絡み合う想い

「あら、アダム。具合はもういいの?」

 マリアは努めて明るく振る舞った。けれど内心では、焦りを抑えるのに必死だ。

(さっき寝てたわよね?それに、どうしてクロまで…)

 アダムの右肩には、クロが乗っていた。丸い瞳を睨むように細めている。

 買い物に行ったと、シュティレは言っていたと思い起こして、ハッとする。

「もしかして…!」

 マリアが思わず呟いてシュティレを見ると、シュティレは申し訳無さそうに眉を下げた。

「ごめんなさい。マリアさん。ご主人様は、全てご存知です」

「え…"ご主人様"?」

「シュティレは俺の道具なんだよ」

「道具……使役してるってこと?」

「そう」

「……」

 マリアは苦い笑みを浮かべる。驚いた反面、やっぱりとも思った。

「――アダムも、ウェスペルの人間なんだね。人を道具として使役するなんて、非道なことしちゃうんだ」

「そういう言い方をするなら、姉さんもだろ?死者を呼び出して、シュティレを犠牲に復活させようなんて」

 アダムも冷ややかな目で言う。

「そこまで、分かってるんだ…」

「ああ。クロのおかげで、姉さんの事が良く分かるよ。ある程度予想はしていたけど、ここまで当って嬉しくない予想は久し振りだな」

「…え、"クロのおかげ"?」

 再びマリアが驚くと、アダムは面倒そうに溜め息を吐いた。

「姉さんも知ってるだろ。クロは他人の心を読める」

「いや、知ってるけど、でも――あ」

 魔法の類は家の敷地内では使えないようにと魔術を掛けていたはずなのにどうしてと思ってみて、気づいた。自分はどうやら、かなり始めの段階でアダムに考えを見透かされていただろうことに……。

「ここに来た初日は警戒していなかったし、魔法を使う必要もなかったから気づかなかったが、クロが念話出来なかった辺りで分かった」

 マリアが仕事に出たあと、アダムは起き出して家に掛けられていた魔術を解いた。そうしているうちに、マリアが帰宅するとシロからの念話を受けて、クロに外出してもらってアダムは寝ているふりをした。そうしてマリアの出方を待っていたのだ。

「……見逃してくれない?もう術が発動しちゃったし……一目見るだけで満足するから……生き返らせようとはしないから」

 そうは言ったが、マリアは生き返らせることを諦めるつもりはなかった。この方法が駄目でも、他を探すつもりでいた。なんとか言いくるめられないかと思ったがしかし、今のアダムには、クロがついている。きっとマリアの本心は筒抜けなのだろう。その証拠に、アダムは哀れむような目でマリアを見ている。

「死者は回帰しない。だから人は死を悼むし、人を殺すんだ。そんなことは、姉さんだって分かってるだろ?」

「そうだけど……そんなに簡単には割り切れないのよ。可能性があると言われたら、手を伸ばしたくなるものでしょ」

「だが、姉さんが呼んだものは母さんなんかじゃないぞ」 

「え?」

 マリアは魔法陣がある後ろを振り返った。

 立ち上っていた煙は消えて、代わりに人が立っていた。スラリとした体格で、赤毛を編み込んでふわふわと垂らしている。柔らかな金茶色をした瞳を優しげに細めて笑う女性だった。

「姉さん!」

 その姿は生前のヘレナそのもので、ちゃんと実体がある。マリアに呼ばれて更に笑みを深くした。

「マリア……久しぶりね」

「ああ!姉さんっ!やっぱり姉さんよ!これのどこが違うって言うの?」

 泣き笑いを浮かべながら言うマリアに対して、アダムは変わらず哀しげなままだ。魔法陣に現れた母の姿を一瞥し、すぐ目を逸らした。

「あれは母さんを模倣しているだけだ。本人じゃない」

 アダムがそう言うと、魔法陣の上の『ヘレナ』は淋しそうに顔を歪めた。

「アダム…なのね……大きくなって…」

 その心底慈しむような声音に、マリアは震えた。

「ほら!アダムが分かるのよ!」

 そう言ってアダムに詰め寄った。『ヘレナ』も同調するように頷く。されどアダムは、静かに首を振った。

「そういう悪魔なんだ。故人の姿と記憶を読み取って見せる代わりに、術者の体を乗っ取る。だから、早く帰せ」

「そんな…せっかく会えたのに!」

「偽物でもか?」

「……」

 たとえそうでも、こうして目の前に姿があると、マリアはどうしても踏ん切りがつかなかった。 

「姉さんがやらないなら、俺がやる」

「駄目っ!!」

 マリアが叫ぶと、マリアを慰めるように『ヘレナ』がマリアの肩に手を載せた。驚いて振り返るマリアに、優しく微笑んで見せる。その笑顔は、マリアが幼少の頃、癇癪を起こして泣いた時に見せていた笑顔そのままで、マリアはますます離れ難くなってしまった。

「アダムは、どうしてそんな意地悪を言うの?叔母さんを困らせてはいけないわ……それとも、母さんのこと、嫌いになった?」

『ヘレナ』は今度はアダムに語りかける。アダムは一瞬、辛そうに目を伏せたが、すぐに笑った。


 「……ああ。母さんのこと、嫌いだったよ」

 

 アダムの言葉に、その場にいた者全てが言葉を失った。

「…ご主人様?」

 アダムの肩に乗るクロがアダムの顔を覗き込んだが、アダムが何を抱えているのか、窺い知ることが出来なかった。アダムはただ微笑んでいる。

 

――そう。母さんも父さんも嫌いだ。

 

 もちろん、愛情を感じることもあったし、大事にしてくれていたと思う。

 ただ、二人は自分をお祖母様に売ったのだという感覚が、アダムにはずっとあった。

 アダムの父アスベルは魔力を保たずに生まれ、そのことで親戚からのクリスティアーネへの当たりは強かった。魔法使いの一族として誇りを持っていたウェスペル家にとって、魔法使いの存在は必須だった。元々子どもの少ない家系だったうえに、クリスティアーネの姉は魔力を持たなかったことで一族は焦っていた。歴史の長い家系ほど、絶えてはならないという重責を抱えがちになるものだ。

 クリスティアーネにも、そんな焦りは伝染した。

 アスベル以外に子宝に恵まれなかった為に、孫こそはと、クリスティアーネはヘレナに子を早く産むよう迫ったとアダムはクロを通して聞いていた。聞いていたと言っても、皆が死んだ後、クロをアダムの使い魔とした時に、アダムが疑問に思ったことを訊いて得た情報の中の一つだ。もし子どもが授からなければ、離婚の可能性もあったという。

 とにかく、ヘレナはアダムを産んだ事で義務を果たし、夫と自由を手にしたのだ。アスベルも悪く言われることは減り、クリスティアーネとウェスペル家の関心はアダムへ移った。

(二人は、仲が良かったからな…)

 子ども目線に見ても、ヘレナとアスベルは愛し合っているのが分かった。

 だからこそ、どうしても考えてしまう。自分は、体の良い生贄だったのだと。

 

「けれど、姉さんは別だ。おまえにはやれないよ。『ミームス』」

「!!」

 ミームスと呼ばれた瞬間、『ヘレナ』は顔を歪めて後ろへ下がった。

「姉さん!?」 

 『ヘレナ』の姿は、まるで氷が溶けるように崩れて、のっぺりとした土人形のようになってしまった。

「さあ。在るべき場所へと帰るがいい」

 アダムに言われるがまま、ミームスはまた溶けるように姿を消した。それまで光っていた魔法陣も、光を失い、沈黙する。

「なんで……」

 マリアは、そんな魔法陣を呆然と見つめて床に座り込んだ。

「なんでよ……私は、取り憑かれたって構わなかった……姉さんに会えれば、それで……」

「悪魔を野に放つ訳にはいかないだろ。それに……姉さんには、生きてて欲しいから」

 アダムはしゃがんでマリアの肩に手を置いた。

「――嘘。面倒な女だと思ってるだけでしょ……シュティレちゃんを犠牲にしようとしたし…」

「俺は嘘つきだけど、姉さんには感謝してるんだ。姉さんが居たから、俺は自分の望みを諦めずにいられたんだよ。これだけは、本当だ」

「"これだけは"なんて言葉を使う時は、だいたい嘘よ」

「まあ、そう思いたいなら、それでも良いけど。……とにかく、姉さんを助けられて良かった」

「……ばか」

 俯くマリアの瞳から涙が零れ落ちる。

「ごめん」

 アダムはそう言ってマリアの背を撫でる。

 たとえ破滅に向かっているとしても求めてしまうほど、盲目的に姉を愛せるマリアが、アダムには眩しい。

(俺には真似できない)

 恐ろしくて、そんなこと……と。

 アダムの周りにはいつも利害関係が存在していて、アダムへ向けられる愛情はどこか条件付きだった。家の為、自由の為……アダムを愛する前に、必ずと言っていいほど条件が存在する。それを恨みに思っていた訳ではないのだが、おかげですっかり他人に自分を一番に見てもらえないことに慣れてしまったし、居心地が悪いなら、離れればいいだけだと割り切っていたはずだった。誰にも深入りしない代わりに深入りされない……それくらいの距離感で生きて行こうと思っていたのだ。

 しかし今、マリアを眩しく思うのは、もしかしたらアダムも、無条件に『ただあなただから良い』という愛を求めてしまっている部分があるのかもしれない。

(そんなのは甘えだ。……許されない)

 アダムはもう、何の罪もない普通の人間ではない。今生きているのは、ただ自分の行動次第で、魔法によって起こる恨みの連鎖が止められるかもしれないと思ったからだ。復讐のついでに、試してみたい。それだけの力は、持っている。

「……私、これからどうしたら良いのかな…」

 子どもの様に、マリアは呟く。

 ヘレナを亡くしてからというもの、ヘレナを復活出来るかもしれないという希望を見出すまでは廃人同然だったし、見つけた方法も、阻止された……。

「旅にでも出たらどうだ?こんな狭い町にばかりいるから、卑屈になるんだ」

「何よ…それ…」

 ちっとも優しくない。"立ち直るまで傍にいるよ"くらい言えないのだろうかと、マリアは自分がしようとしていた事を棚に上げてむくれる。

「急ぎの用事もないし、一緒に居るのは構わないが……良いのか?俺で」

「!…ちょっと、勝手に心を読まないでっ!」

「ああ、ごめん……クロ。もういいぞ」

「はい」

 クロはそう返事をするとアダムから離れて、体を伸ばしては大きな欠伸をする。

「ご主人様。私、寝てきます」

 こういう時に、いいかどうか伺いを立てないのがクロだった。「分かった」とアダムが苦笑しながら返事をする頃には、クロは既に小屋を出ていた。

「クローディアって、本当に自由よね……」

「まあ、猫だからな」

「でも、本性は違うんでしょ?」 

「そうらしいが……猫でいる時間が長すぎたせいか、最近ますます猫っぽい」

「そう……フフ」

「?」

「ああ、ごめん。……アダムは別にいらないけど、クローディアとシロちゃんとは一緒に暮らしたいな……あ、シュティレちゃんも!」

「え…」

 急に名を呼ばれて、シュティレはオロオロしていた。

「……俺の使い魔なんだが」

「そっか……じゃあ、仕方ないから、アダムも居ていいよ。なんか、やりたいことがあるんでしょ?」

「……」

 何故か上から目線なマリアに納得のいかないアダムだったが、「良かったですね」とシュティレが素直に嬉しそうなので、毒気が抜けてしまった。

 シュティレとしては、今回の一件でせっかくの家族の絆が失われるのではと心配だったのだが、どうやらアダムとマリアの仲は悪くならない様子なのを感じて、安心していたのだ。

「……心を読まなくても分かるぞ、シュティレ。それは、余計なお世話だ」

「ごめんなさい…」

「ちょっと!シュティレちゃんを虐めないの!」

 シュティレが萎縮してしまうと、マリアが援護した。

「……姉さん。姉さんがそれを言うのか?」

「それは…その……ごめんね。シュティレちゃん……シュティレちゃんがアダムのフィアンセだって言うものだから、アダムが結婚したら、姉さんと同じように不幸になっちゃうかもって思って…」

「なんだ?その理屈は」

 アダムが呆れている中、シュティレが「あの…」と声を上げた。

「私は……気にしていません。…むしろ、私こそごめんなさい。私が簡単に暗示に掛かったりするから、マリアさんは悪魔を呼ぶようなことをしてしまいましたし、ご主人様にも苦労をかけました…」

 二人の視線を受けて、シュティレはもじもじと落ち着き無く、小さな声で話した。

「やだぁ〜!シュティレちゃん、かわいいっ!やっぱり、私に頂戴!妹にするわ」

 先程までの涙は何処へやら。マリアはシュティレを抱きしめる。

「シュティレは俺のだ。やれない」

「人を物みたいに使役するなんて、良くないよ。シュティレちゃんも、こんな横柄な男、嫌じゃない?」

「いえ…そんなことは…」

「遠慮しなくていいよ。私がシュティレちゃんを自由にしてあげる!使役の魔法なんて、解いてあげる」

「姉さんには無理だ」

「ちょっと!アダムは黙ってて。私はシュティレちゃんの気持ちを聞いてるの。……どう?シュティレちゃん」

「……私は…」

 シュティレは二人の間で迷ってしまった。心はとうにアダムに捧げているが、マリアの好意も無下にはしたくない……。

 ひたすら困惑していると、アダムと目が合った。

「気を遣わなくて良いんだぞ」

 そう言われて、シュティレはホッとした。

「あの、マリアさん」

「ん?」

「私は、アダム様の物です。アダム様が決めた道が、私の道です」

 それまで揺れていたシュティレの瞳が、マリアの瞳にピタリと焦点を合わせ、はっきりとした声で答える。桃色をした神秘的な瞳も相まってその姿が切なく、マリアのほうが目を逸らした。

「……本当、アダムは性格悪いわ。純粋な子に、こんなこと言わせちゃうなんて……やっぱり魔法使いなんて嫌い」

「俺も魔法使いは好きじゃないよ。だが、俺には必要な力だから使ってるだけだ」

「そう……」

 マリアは、少し不思議に思った。

(使役の魔法を掛けられた人って、こんなに真っ直ぐな気持ちを持つものなの?)

 シュティレが自分はアダムの物だと言った時の瞳の真っ直ぐさは、とても言わされているようには見えなかった。

(まるで……)

 まるで、心の底から信頼しているような――愛が、あるような……。

(アダムは、気づいているのかしら?)

 魔法に詳しくないマリアでも、これは魔法の範囲を超えているのではないかと思ってしまう。

「ところで、姉さん」

「うん?」

「この町の、グランチェという医者に魔法薬を渡しているのは姉さんか?」

「あ…」

 そうだった。人の生気を材料に、別の人の治癒能力を高める霊薬……それを活用して、ヘレナの遺体を蘇生できないかと思っていたのだが……。

「やっぱりそうか。材料となった患者と知り合ったんだが、魔法陣を外して、滋養をつければ治るか?」

「ああ…うん……死んでないなら、また生気を抜かない限りは徐々に回復するはず」

「なら、良かった。……ただ、あの医者にはもう渡すのは止めたほうが良いぞ」

「あ、それなら大丈夫。すごく貴重なものだから、何回も作れないって話してあるし、作り方も教えてないから」

「本当に?」

「本当に。……霊薬を渡したのだって、半年くらい前の一回だけだし。材料となる人材確保にだけ、協力してもらったの。出来た霊薬は結局死者には効果無かったから、それきり作ってない。……まあ、十年も前の死体になんて使っても意味なかったのかもね」

 そう自嘲するようにマリアは言った。

「転送の魔法陣の描かれた湿布薬を使っていたな。素人でも陣くらいは真似れば描けるが、そこはどうなる?」

「それは……」

 あれは生気を集めて、もう一方の陣に送るものだった。もう一方のほうに生気を入れる壺があれば簡単に集められる。壺は魔法具だから、どこにでもあるわけではないが、探せば見つけられる。

「グランチェ医師は強欲そうだったぞ。作り方を探しかねないが、その辺りはどうするんだ?」

「……見つけられっこないわよ。念の為、やり方を書いた本は燃やしたし、グランチェに会うときは顔を隠していたから、私を探しようがないわ。それに、魔力が無かったら、霊薬は作れないもの」

「どうかな。俺の母国に行けば、いくらでも魔法使いが居るから、方法を知っている魔法使いを探しに行くかもしれないぞ」

「あなた……なんでそんなに霊薬に拘るの?」 

「霊薬に拘ってるんじゃない。世の中が混乱するのを恐れているんだ」

「……正義の味方気取り?」

 訊かれてアダムは一瞬固まった。

(確かに、俺は何を気にしているんだろう…)

 確かに霊薬の存在は危険だし、表に出ていない禁術の類だ。けれど、それが何だと言うのだろう?アダムには関係ないし、実害がある訳でもない……。

(俺は正義の味方でも、善人でもない)

 ――ただ傲慢に自分勝手に生きているだけだ。

 まさか、世のためになる良いことをして、他人に認めてほしいなどと思っているのだろうか?

(まだそんな甘えがあったのか……くだらない) 

 アダムは一度頭を振って、考えを切り替える。

「いや……俺は正義なんかじゃない。……ただ、姉さんが破滅しないように見ておきたいだけだ」

「……アダムは意地悪ね。私の幸せは考えてくれないんだ……」

「母さんの亡霊を追うことは、幸せなんかじゃない」

「私には幸せなのっ!…あんただって、私の事なんかどうでもいいクセに、都合の良い時だけ、身内面しないでよ……助けたいと思ってたなら、なんで十年前に来ないのよっ!!」

 世界はちっとも自分に優しくない……とマリアは思う。

 子どもの頃は両親に構ってもらえず、姉が親代わりだった。だから必然と言って良いほどに姉に執着した。姉はマリアの全てを受け止めてくれた。そんな姉を、マリアも支えたいと思っていたのに、姉は結婚してあっさりマリアの元から去った。

 ひょっとしたら、姉は本当は纏わりつく妹が内心では煩わしかったのかもしれない……。

(だからと言って、私が姉さんを軽蔑することはないけれど…)

 一度は、姉が幸せであれば良いと思った時期もあった。

 政略結婚だったけれど、姉が本当に夫を愛しているようだと感じた時には、自分もしっかり姉離れしようと思ったのだ。

 だから、自分も結婚をしようと、幾人かの男性と付き合った事があったけれど、どの男性も、マリアが魔法を使えると分かると、気味悪がって離れて行った。なら、気味悪がられないように、姉と同じく隣国へ移ろうとしたら、両親が倒れて、実家の仕立て屋を継がなければならなくなった。

 そんなのは知らないと言えたら良かったけれど、仕立て屋で働く従業員達は、マリアの幼い頃から遊び相手になってくれたりなど、家族のように思える人達で、そんな人達から職を奪うことが出来なくて、結局実家に残って仕立て屋を継いだ。

 仕事自体は嫌いじゃなかったし、たまに姉家族も遊びに来てくれたから寂しくはなかった。アダムが生まれてからは、その成長を見守る楽しみも出来た。出来たのに――

「……姉さんの所に行ったりしたら、親戚に見つかる可能性が高いから、行けなかったんだよ」 

 アダムは淡々と話す。アダムの言いたいことが分からなくて、マリアは目を瞬いた。

「…最初に言ったろ。色々あったって……追われていたんだ。魔法学校の教師やら貴族やらに」

「なんで?」

「俺が学校でしていた研究が欲しくて、俺を消そうとしていたから」

「……へ?」

 マリアには分からなかったが、アダムにもどうやら深い事情があるようだというのは理解出来た。もっと話を聞きたいと思ったが、アダムはマリアから目を逸らす。

「遅くなったかもしれないが、大事にならなくて良かった。……姉さんが立ち直るまで、俺が支える」

 アダムは再びマリアに目を合わせる。アダムは柔らかく微笑んで見せるが、マリアは逆に警戒するように表情を固くした。

「……何が狙い?」

 固い声でマリアが訊くと、アダムは一瞬目を丸くしては、観念したように息を吐いた。

「姉さんには通じないか」

「ええ。さっきのアダム。クリスティアーネさんと同じ目をしてたわ。……人を騙す時の目よ」

 クリスティアーネは人当たりの良い柔らかな印象の人だった。

 けれど、マリアは知っている。その裏に抱える大きな闇を。その闇のせいで、姉もアダムも不幸になった……。

「あなた、クリスティアーネさんのこと恨んでるんじゃないの?なのに、しっかりウェスペル家の魔法使いやってるじゃない。どういう風の吹き回し?」

 マリアが言うと、ずっと様子を見ていたシュティレがびくりと反応して、アダムを見た。その様子に、マリアも目聡く気づいた。

「……シュティレちゃんには、話してないの?」

「シュティレは俺の道具だ。俺の過去なんて、余計な情報は要らないだろ」

「アダム…」

「とにかく俺は、今は拠点が欲しい。だから、ここにしばらく置いてくれ。その代わり、姉さんがしたことは誰にも言わないし、気に入ったのなら、俺の使い魔達を使わせてやる。嫌だと言うなら、俺は姉さんを通報する」

「!」

 人体に関する魔法は禁術が多く、マリアの作った霊薬もその一つ。更に、悪魔を召喚することも重罪だった。

 霊薬の言い逃れは出来るにしても、今ミムールを召喚した魔法陣は消していない。決定的な証拠になってしまう。

「……私に感謝してるとか、言ってなかったっけ?」

 これでは脅迫だとアダムを睨むが、アダムは全く悪びれずに「もちろん。感謝はしている」と言った。

「けれど、それとこれとは別問題だろ。禁術を扱ったくらいじゃ死刑にはならないし、姉さんが術を使うまでに至った経緯を悲愴感たっぷりに語れば、牢に入っても懲役年数が減るかもしれない。俺は、姉さんに破滅されたんじゃ寝覚めが悪くなると思っただけだから、姉さんが死なずに済んでいれば満足だ」

「……悪魔」

 悪口を言ったのに、アダムは何故か楽しそうに笑った。

――いつからこの子は、こんな思考をするようになったのか……。

 マリアは今更ながら、甥が恐ろしくなった。

 道具と貶す少女や使い魔達から純粋な信頼を得ている所から見て、身内には誠実であろう一方で、他者に冷酷な態度を取る。どちらの姿がアダムの本心なのか分からない。 

 こんなに本心が見えない人間も珍しいと思いながら、ひょっとしたら、本人でも分かっていないんじゃないかと思った。

「で、どうする?俺の提案に乗るか?」

「そんなの、乗るしかないでしょ……捕まるなんて、御免よ」

「よし。交渉成立だ」

 アダムはマリアに手を差し伸べる。マリアは溜め息を付きながら、その手を取った。その瞬間、金色をした鎖状の光が現れ、マリアとアダムの繋いだ手を結ぶように巻き付いた。一秒程の短い時間が過ぎたのちに、光は跡形もなく消失する。

「今言ったことを契約の鎖に書き込んだ。お互い、約束を破れば命はない。必要なくなったら解除出来るから、そこは心配するな」

「……」

 アダムはそう言ってマリアの手を離した。マリアは無言で繋いでいた手を見つめるが、見た目には何も見えない。痣がある訳でも、何がついているわけでもなかったが、少しだけ体が拘束されているような違和感を感じた。それが魔法が掛かった故なのか、マリアの気持ちのせいかは分からない。

 朧気に、最初からアダムの狙いはこれだったのではないかと思った。

 危ない所を助けて恩を売り、見返りに手駒に加える……考えて見れば、契約に際してマリアがアダムに掛けられる脅しが存在しない。契約を反故にされて困るのは、マリアだけだ。けれど、そうは思っても特別嫌な気がしなかった。

(私、やっぱり……)

 久しぶりに会ったアダムはさらにウェスペル家らしくて嫌悪感がある一方で、幼少の頃のアダムも頭から離れなかった。更に、"助けられて良かった"と言う言葉には確かな慕わしさを感じて嘘には思えない。――いや。それがなくても、やはりマリアは、アダムを突き離すことは出来なかっただろう。

 姉さえ居てくれれば幸せだと思ったことも嘘ではない。そして、それと同じくらい、アダムのことも愛していたのだ。

 かつては、姉との繋がりを絶やさない為に向けていたアダムへの愛情は、いつしか心からのものとなっていた。ただ、アダムに幸せがあることを願ってしまう。たとえアダムがそれを望んでいなくても……。

(……もう少し、頑張ってみようかな…)

 マリアは、姉を蘇らせることが叶わなければ、今度こそ死のうと思っていた。しかし、それはもう少し先でもいいかもしれない。せめて、アダムが成したいことを成せるまで……あるいは、どうしようもない闇に堕ちる前に止めることが出来るまで……。

「私の人生は、本当に上手く行かないわ…」

 そう呟くマリアの表情は、言葉とは裏腹に、とても穏やかだった。

お読み頂き、ありがとうございました。

マリアの思惑を阻止することで拠点を得たアダムですが、彼のことだから、この件がなくても、何かしら断りきれない理由をつけては、マリアの家に居たのだろうなと思います。

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