22.歪な心
アダムがエイデンの家でエイデンの母親の病状を見ていた頃、マリアの家で留守番をしていたシュティレとクロは、暇を持て余していた。
「手分けすれば掃除はあっという間に終わったし、夕方までどうしようかしらね…」
クロは椅子に座ってテーブルに頬杖を付きながら言う。シュティレは返答に困って黙っていた。
時刻はまだ昼前。マリアが仕事を終えて戻るまでには五時間弱あるし、アダムに至ってはいつ戻るか分からない。何処で何をしているのか分からない以上、アダムに合流するのは得策ではない。
一瞬、昼寝でもしようかと考えたクロだったが、慣れない他人の家ではどうにも落ち着かず、眠れそうな気がしなかった。
「……探検でもしましょうか」
「探検?」
クロの口から出た言葉に驚いて、シュティレが首を傾げた。
「家の中の物をあれこれ見てみましょう」
「え?勝手に見て大丈夫なの?」
「見てほしくないものなら、鍵なり掛けているでしょう。それ以外なら平気よ」
クロは悪戯な笑顔を浮かべる。「でも…」と言い淀むシュティレを、「いいから、いいから!配置を変えなきゃバレないわ」と押し切り、クロは早速マリアの部屋に向かった。
「クロ、待って」
悩んだ末にクロを放っておくのも怖いと感じたシュティレは、仕方なくクロに続いた。
(悪いことをしそうだったら、止めよう)
シュティレはそう覚悟を決めたが、シロならまだしも、果たしてクロはご主人様以外の言う事を聞くだろうかと心配になった。
(もし何かあったら、一緒に謝ろう……)
情けないと思いつつも、シュティレにはこれくらいしか思いつかなかった。
「あら?これは……アルバムかしらね?」
クロは嬉々として本棚を弄っている。一冊の分厚い本を引き抜いては、中を見た。
「やっぱり写真だわ。……へぇ~。可愛い」
興味を引かれてシュティレも本を覗き込む。
そこには正装をして複数人が並んで写っている写真が貼ってあった。
マリアの両親であろう男女のツーショット写真に始まり、二人と共に写る赤ん坊の写真、その赤ん坊が幼児になったりと、何かの記念の折に撮影しているのか、家族の歴史が伺える写真の数々が貼られていた。
「これが、写真…」
シュティレは、生まれて初めて写真というものを見た。
絵を描くのとは違って、丸いガラスの嵌った四角い箱のような物の前に立ってじっとしていると絵が出来るというのは見たことがあったが、それがこの様な形になるのだと感動する。色味は明暗が分かる程度しかついていないものの、絵よりもかなりリアルで、まるで魔法のようだと感じた。
「そうよ。私もまだたくさんは見たことがないけれど、人間は面白い道具を作るわよね。今は一般的ではないけれど、これが普及したら、絵師は職を追われてしまうかもしれないわ」
クロは楽しそうに写真を眺める。
けして安価ではない写真を残すあたり、マリアの両親は、家族を大切にしていたのだろうとシュティレは思った。
「あ、この人がヘレナ――ご主人様の母親よ」
クロがそう言って写真の一つを指さした。まだあどけなさの残る少女が、更に幼い少女と一緒に写っている。恐らくマリアだろう。面影がある。
ヘレナという少女は確かに、どことなくアダムと雰囲気が似ていた。どこか憂いのある静かな印象だ。
「この人が、ご主人様のお母さん…」
どんな人だったのだろう?とシュティレが思っていると、「穏やかな人だったわよ。ピアノがお好きでね。ご主人様にピアノを教えたのは、ヘレナだった」とクロが説明する。
「そうなんだ…」
シュティレは微笑ましいと思いつつも、親子とは、そういうふうに時間を共にしていくものだという認識はあっても、そうはならなかった自分がいることに少し胸が痛んだ。
「シュティレ。今のあなたには、私たちが居るでしょ?」
シュティレの気持ちを読み取ったクロは、すかさずシュティレの背を擦った。
「うん……ありがとう」
それに少し涙声で返すシュティレを見て、クロは胸の奥がざわついた。むず痒いような苦しいような、おかしな感じだ。
「何泣いてるのよ」
茶化すように言いながらも、クロはシュティレをぎゅっと抱きしめる。
(私も、シロやご主人様のことは言えないわね…)
少し前に、皆を大切だと言ったシロに対して、自分はそうではないと言い切ったクロだったが、一緒に過ごせば過ごすほど、愛着が湧いてしまう自覚はあった。
かつてクリスティアーネに抱いたのと同じ気持ちを、アダムだけでなく、シュティレにも抱いている。
それはシュティレのウィス・フォンスたる能力に惹かれる魔物の性か、或いはシロが信じる"愛"というものなのかは分からないが、そんなことはどうでも良いと最近クロは思っていた。
(ただ、一緒に居るのが心地良いだけ。私は心地良い場所に居たいだけよ)
今も昔も、クロはそうやって生きてきた。心の赴くままに好きな事をする……ただ最近は、自分の好きよりも、周りにいる者達の好きを優先したくなる時がある。それは一体なんなのか、なんという気持ちなのか、クロには分からなかった。
「……あれ?」
ふとシュティレが声を上げた。
「どうしたの?」
クロは言いながらシュティレの視線の先を見る。
そこには、不自然な写真があった。
大人になったヘレナが椅子に掛けている写真だったが、その右隣の部分が破り取られていた。辛うじてヘレナの左肩に誰かの手が置いてあるのが見て取れるから、元は二人で写っていた写真だったと思われる。
「……まだページはあるわね」
不穏な気配を感じつつも、クロはアルバムのページを捲る。
「っ!」
次のページに貼られていた写真を見て、シュティレが小さく息を呑む。クロも表情を険しくした。
そこには、ヘレナとマリアが二人で写る写真もあったが、ヘレナの隣に立つ人物が、誰だか判別出来ない程に傷つけられている物もあった。何度もナイフで傷つけたような跡が付いていて、どこか狂気を感じる。更に別の写真では、ヘレナの隣の人物と、ヘレナの腰までの位置に写る人物に切り傷が付いていた。大きさから、子どもであろうと思われるが――
「これ、たぶん……アスベルと……幼い頃のご主人様ね…」
クロが苦い顔で言う。
「アスベル?」
「……ヘレナの夫。ご主人様の父親よ」
「……」
クロの説明を聞いて、シュティレも苦しそうに顔を歪めた。
「マリアさんは、ご主人様のこと……」
呟いては恐ろしくなったのか、シュティレはそこで口を噤んだが、クロはその続きを理解して頷いた。
「ええ……これは、早くご主人様に伝えたほうが良さそうね」
クロはそう言うと目を閉じて意識を集中する。アダムと念話をするようだと察して、シュティレはその様子を静かに見守っていたが、すぐにクロは目を開けた。苦い顔をしては、周囲に目を向ける。
「クロ。どうしたの?」
不安そうにシュティレが訊けば、相変わらず忙しなく周囲を観察していたクロは「……念話出来ない」と苦々しく呟いた。
「え?どういうこと?」
「この家の中では、特定の魔法が使えないようになってるみたい。試しに外でやってみるから、ちょっとそこで待ってて」
そう言うとクロは部屋から出て行った。残されたシュティレは所在なさげに部屋の中を見回した。
「魔法を使えないようにすることなんて、出来るんだ…」
知らないことが多いと自覚しているが、このままの調子で、自分は本当に道具として役に立っているのかとシュティレは少し不安になった。
クロやアダムから魔法を教わって、いくつか使うことが出来るようになってはいたが、自分の意思や判断では使えたことが少ない。
――もっと役に立ちたい。
シュティレは常にそう思っていた。だからこそ、この状況でもなんとかならないかと、考えた。
「本当に魔法が使えないのかな?」
試しに、小さな炎を生み出す魔法を唱えてみる。しかし、何も起こらない。どうやら、本当に魔法を封じられているようだ。
「なんで、そんなことを…」
そもそも魔法使いが少なく、あまり歓迎されない国だと聞かされていた。もしかしたら、魔法使い避けのような仕掛けなのだろうかと考えてみて、それではおかしいように思った。
マリアはアダムの叔母であるし、アダムの祖母は魔法使いだったそうだから、マリアにとって魔法使いは身近な存在だったはずで、警戒する対象ではないように思われる。
なら、なぜこんな仕掛けがあるのか……。
シュティレは、改めて部屋の物を見て回った。魔法を封じているものが置いてあるかもしれないと思ったのと、この部屋にある物で、マリアの内面を知ることが出来る物がありはしないかと思ったからだ。
部屋の中には、仕立て屋をしているというのが頷けるほど、布や糸がたくさん置いてある。まるで以前のアダムの屋敷のシロの部屋のようだ。
そんな仕事道具に紛れて、分厚い本がいくつかあるのが目に留まる。
「医学書?」
人間の体の仕組みや、病気の種類や治療法が書かれた本がある。それからもう一つ。黒い皮表紙の本があったが、なぜかそれには鎖が巻かれていた。
興味を引かれて触ってみると、
「痛っ!」
一瞬ビリッと電気が走るような強い衝撃を感じ、シュティレは慌てて手を引いた。
――パキン!
「え?」
と同時に何かが割れたような音がして、再び黒い皮表紙の本に目を向けると、鎖が壊れて外れていた。
「なんで?」
困惑しながらも好奇心に抗えずに、シュティレは本を手に取った。今度は衝撃は来ず、普通に本を開くことが出来た。
『558年 5月1日。雨。
天気は私の味方をしてくれているみたいだと思っていたのに……だって今日は、姉さんに見合い相手が来る日。せいぜい雨に濡れてみすぼらしい格好にでもなればいい。そうすれば、姉さんも結婚したいなんて思わないと思っていたのに……魔法使いじゃないなんて、あの男は嘘つきじゃないかしら?だってウェスペル家の人だし。きっと魔法を使ったわ。じゃなきゃ、姉さんがあの男と楽しそうにおしゃべりなんてするわけがないじゃない!私にはあんな男、ちっとも魅力的には見えなかったもの!』
「これは……日記?」
書き手はマリアだろうか?荒い文字の書き方から、書き手の怒りが伝わってくるようだ。
『558年 5月10日。晴れ。
ああ、姉さん……嘘だと言って。あの男とのデートが楽しかったなんて……これは陰謀よ!政略結婚なのよ?あいつらは姉さんが好きなんじゃない。姉さんの魔力が欲しいのよ。姉さんに、魔力のある子どもを産ませたいだけ。まるで家畜よ!
あの人の力になりたいなんて、優しい姉さんらしいけど、騙されちゃダメよ!あの男は姉さんの優しさに付け込んでいるだけ。きっと結婚したら、態度が豹変するわ!』
シュティレはページをめくり続ける。
どの日記にも、姉の交際を認められない悲しさと怒りが満ちている。二月分にも渡って妹の奮闘が書かれていたが、姉は結局、妹の願いに反して結婚してしまった。そこで日記を書く気力が絶えたのか、次の日付は二年後の560年だった。
『560年 9月12日。晴れ。
今日は姉さんが子どもを連れてやって来た。あの男が産ませた子どもなんて、正直どうでも良かったけれど、人間の感情とは不思議なものね……。
あの子を見た途端に、純粋に可愛いと思ってしまった……アダム……髪の色が違うだけで、全体的な印象が姉さんによく似ていた。……私、自分で思っている以上に、単純な人間だったみたい。』
…
……
…………
『564年 6月3日。曇り。
今日はアダムが遊びにやって来た。前に見た時よりまた背が伸びた。"お姉ちゃん"と無邪気に笑って私の所に駆けてくる姿が本当に可愛い。絵本を読んで欲しいとねだられて、たくさん読んであげたから、喉がカラカラだ。アダムは男の子なのに、外遊びより本が好きらしい。"誰に似たのかしら?"と姉さんは首を傾げたけれど、それはあなたよ。姉さん。』
アダムが生まれて以降の日記は、明るい話題が多く、シュティレは自然と笑顔になった。状況も忘れて読み耽る。
しかし、途中で気になる記述を見つけた。
『566年 10月10日。雨。
今日は姉さんが珍しく一人で帰ってきた。あまり芳しくない表情だったので話を聞いた。
クリスティアーネさんは、アダムを魔法使いにしたいらしい。姉さんたち親より、アダムはクリスティアーネさんと一緒に居て、修行することが多くなった。けれど、その修行がどうやら厳しいらしい。アダムも嫌がっていたから止めさせたいけれど、姉さんもあの男も、クリスティアーネさんには口出し出来ないらしい。アスベルの意気地なし!自分の妻も子どもも守れないなんて……やっぱり、あんな男と結婚なんかしなきゃ良かったんだ。
離婚を勧めたけれど、姉さんはアスベルを愛していると言って聞かなかった。それなら、アダムはどうするの?いっそのこと、クリスティアーネさんから逃げたらいいのに…』
…
……
………
『570年 12月24日。雪。
久しぶりにアダムがやって来た。来年から全寮制の魔法学校に通うそうだ。久しぶりに話すアダムは、なんだか大人びていた。姉さんに益々似ていると思ったけれど、男の子だからか、ふとした瞬間にアスベルにも見えて何だか複雑な気分だ。
アダムと二人きりで話した時、魔法使いに本当になりたいのかと訊いてみたけれど、"これぐらいしか取り柄がないから"と、妙に淋しそうに言っていたのが苦しかった。私は、アダムに何か出来ないだろうか?』
「っ!!」
シュティレは順当にページをめくっていたが、後半の数ページを開いて絶句した。
書きかけの文字の上から、ぐちゃぐちゃとした線が書かれ、紙を埋め尽くしていた。感情に任せて書かれたように見える線の隙間から辛うじて見えるその日の日付は、576年。今までの文面からすると、アダムは十六歳くらいだろうか。
「もしかして……ご主人様の研究が盗まれた事件があった年…」
そして、両親が事故死している。つまり、ヘレナとアスベルが亡くなった後の日記と思われた。
それから先のページは、もう日記とは言えなかった。日付はなく、ただマリアの気持ちを赤裸々に書き殴ってあるだけだ。
『姉さん、どうして!』
『なんで?死んだなんて嘘だ』
『あのクズ男!どうして姉さんを守れなかったの!』
『クリスティアーネさんも死んだ。ざまあみろ!姉さんとアダムを泣かせた報いだ』
『アダム、どこ行ったの?あなたも死んじゃったの?』
『返してよ!姉さんを返して!』
『姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん 姉さん』…………
字の大きさも書いている場所もバラバラな文章が乱暴に続く。
恐怖を覚えながら、シュティレは最後のページを開く。
『姉さんが死ぬなんて間違いだ。間違いは正さないと。待っていて。姉さん。私が姉さんを救うからね』
「どういう意味だろう…」
探してみたけれど、そこで文章は終わっていた。それで諦めて本を閉じると、シュティレはふと我に返った。
(どれくらい時間が経ったんだろう?クロは?)
家の中が静か過ぎる。念話をしに外へ出たにしても、戻るのが遅くはないだろうか?
シュティレは、クロを探そうと後ろを向いて、
「あ…」
そう声を発したきり固まった。
そこには、部屋のドアを開け放し、マリアが立っていた。
「見たんだ。封印してあったんだけど、どうやって解いたのかな?」
マリアの声は静かだったが、顔は無表情に近い。その得体の知れない雰囲気に呑まれて、シュティレは言葉を発することが出来なかった。
そんなシュティレの状態をどう捉えたのか、マリアはにっこりと笑った。
「まあ、いっか。見たなら仕方ない。協力してもらうよ。シュティレちゃん」
※
「クソッ!油断した!」
シュティレの所にマリアが現れたのと同時刻。クロは森の中を黒猫の姿で彷徨っていた。
この状態になる少し前、念話をしようと外に出たクロは、念話を試みた途端にワープした。クロの意思ではなく、突然森へ飛ばされたのだ。
(魔力を感知したら発動する魔術が仕込んであったのね)
こんなことなら、マリアの心を読んでおくんだったと後悔する。これが自分たちに向けた魔術だと関連付けるのは時機尚早とも思うが、あのアルバムを見た今となっては、意図はどうであれ、マリアは危険だとクロは思っていた。
――シュティレを一人にはしておけない。
「仕方ない。まずはご主人様に合流しないと…」
クロはワープは使えないが、主人の居場所なら分かる。アダムは使い魔を召喚することが出来るので、今すべきは念話をし、アダムの傍に召喚してもらうことだった。
「……あれ?ご主人様、意外と近いわね」
同じ森の中の北西の方角にアダムの魔力を感知したクロは、集中してアダムに念を送る。
それほど間を置かずに『どうした?』とアダムの返答があった。
『少しマズい状況かもしれません。説明しますので、お傍へ呼んでください』
『分かった』
アダムから返事があると当時に視界がぼやけ、一秒程あってもとに戻る。すると目の前にアダムの姿があった。
「マズい状況とはなんだ?」
この主人はいつも冷静沈着だ。そうあろうとしているうちに身に付いた特性ではあるし、もう少し主人が幼い頃には、子どもらしくないと心を痛めたものだったが、現在となっては頼もしい限りだ。
主人が冷静なおかげで、クロも頭の中を整理出来た。
「マリアさんは、ご主人様のお父上やご主人様に良くない感情がある様です。……掃除の最中に見つけたアルバムに、特定の人物のみ切り裂かれた写真を見つけました」
かなりショッキングな報告になるため、クロは言葉を選んでいたが、当のアダムは平然と聞いていた。まるで、自分の事ではないかのように……。それを些かクロが不思議に思っていると、アダムは僅かに微笑んだ。
「――知ってるよ」
「…へ…?」
耳を疑う返答に、クロはいつもの使い魔としての振る舞いを忘れて、素っ頓狂な声を上げていた。
その様子に、アダムの笑みは深くなる。
「おまえは当時、今ほど周囲に関心が無かったから気づかなかったんだろうが、俺は子どもの頃から気づいていたよ」
それからアダムは、どこか遠くを見るように目を細めた。
「姉さんは、実の姉である母さんが全てと言えるような人だった。俺は子どもだから好かれていたようだが、父さんやお祖母様に向ける目は冷ややかだった。そのあまりの違いに、幼い俺は姉さんが実は二人居るんじゃないかと思ったくらいだ。ただ、俺に対しても手放しで可愛がってくれていたわけじゃなかったみたいだが…」
「…そう…ですか…」
クロは当時を思い出そうとしてみたが、何となくこうだったかもしれないという程度の、朧気な記憶しか浮かんで来なかった。
(あれ……なんでだろう?)
何か、違和感がある――
思い出せないというより、覚えていないに近い感覚に、クロは戸惑った。いくら主人以外に関心が無いからと言っても、クリスティアーネの家族のことまで無関心だったつもりは無い。むしろ、最大の関心事だったはずだ……。
アダムは、そんなクロの様子を気にした様子もなく、話を続ける。
「母さんが死んでからは、魔法を使えなくなったと聞いていたから、あまり警戒していなかったんだが……まあ、おまえが言うなら、警戒しておくか」
「……そういえば、ご主人様はこちらで何を?」
自分についての、何かとんでもない秘密の片鱗に触れたような気がして恐ろしくなったクロは、唐突に話題を変えた。それにもアダムは突っ込まない。
「町医者に万病を治す魔法薬を渡している魔法使いがいるという話を聞いてな。その魔法使いと医者との待ち合わせが、この森だったんだ。近くに畑のようものがあったが、何を栽培しているのかは分からなかった」
アダムは言いながら自身の左肩を軽く指で叩く。"肩に乗れ"という合図だ。
クロはそれに従って、アダムの肩に乗った。
「この森は姉さんの家の裏手だから歩いても帰れるが……まあ、シュティレが一人で居るのだから早く帰ってやるか」
その瞬間、空間が歪み、すぐにマリアの家の前に戻っていた。
「あら?おかえり」
ちょうどタイミング良く家のドアが開き、マリアが顔を覗かせた。
「ただいま。姉さん、仕事は?」
アダムが応じると、マリアはどこか含むように笑った。
「ちょっと忘れ物を取りに来たのよ。そうしたら、シュティレちゃんとお話して盛り上がっちゃって……ね?」
そう言ってマリアは背後を振り返る。そこにはシュティレが居て、「はい」と答えては笑っていた。
クロはその様子を怪訝に思ったが、黙っていた。
「それは良かった。……けれど、うちのシロに仕事を押し付けて出てきたのには感心しないな」
「悪かったわよ。今から戻るから。戸締まり、よろしくね!」
マリアはそう言って丘を駆け下りて行った。
「シュティレ。大丈夫だった?」
マリアが見えなくなってからクロが訊くと、シュティレは一瞬きょとんとしていたが、すぐに「うん。何もなかったよ」と返した。更に、
「それよりアダムさん。紅茶を淹れるので、飲みませんか?」
と、アダムに近寄っては手を取って引いて、家の中へと誘う。
「え?…あ、ああ…」
これにはアダムも驚いたが、結局シュティレの言う通りにすることにした。
「……ご主人様。何だかシュティレ、可怪しくないですか?」
キッチンで紅茶の用意をするシュティレを横目にクロが小声で言う。
「だな。暗示か何かを掛けられているかもしれない」
「!…なら、早く解かないと!」
「……いや。様子を見よう。下手に解くと、更に手の込んだことをしてくるかもしれない。姉さんが尻尾を出すまで、泳がせておいたほうがいい」
「でも…シュティレが…」
「心配するな。シュティレが簡単に他人の思うようになるものか。本当は暗示にすら掛からない筈だが、シュティレはまだ自分に自信がないからな……同情でもしたか、素直に話を聞いてしまったんだろう」
「でも…」
シュティレ自体は問題がないとしても、シュティレを操っているなら、ターゲットはアダムである可能性が高いのではないか……そんな心配を込めてクロはアダムを見つめるも、アダムは全く焦る様子がない。
「何となくだが、俺が調べていた霊薬も姉さん絡みかもしれない」
「え?」
驚きながらも、クロも思い当たる節があった。
姉であるヘレナに過剰に執着するマリアが、素直に立ち直ったとは考えにくい……そう考えると、今は使えないとはいえ、多少魔力があるのなら、魔術を駆使して出来ることに目を向けるかもしれない……。
残念ながら、アダムがいれば条件が揃ってしまうのだ。
(そこまで愚かだとは思いたくないけれど…)
禁術と呼ばれているものの中に、使えそうなものはある。だが、人間に伝わっているものは代償などの都合の悪い部分が省かれている場合が多い。
クロが考えていることが分かったのか、アダムは気怠げに息を吐く。
「一晩様子を見れば、はっきりするかもしれない。それまで、知らないふりで頼む」
「……分かりました」
主人が"頼む"と言えば、それは命令だ。使い魔である以上、クロは命令されることにはなんら抵抗はない。しかし、アダムはここぞという時には大抵、今のように、まるで断るという選択肢があるかのような言い方をする。それが意図的なのか無意識的なのかは分からない。何せクロは、アダムの心を読むことが出来ないという縛りがある。
だからクロはいつも、大半の生き物がそうであるように、アダムの心を想像することしか出来ない。
(本当に、罪な人…)
アダムの言い方は、忠義を試しているようにも聞こえるが、クロにはやはり、本来のアダムが他者に強制することを厭う性格であることから出る言葉ではないかと思えてしまう。
もしかしたら、そう思わせることでよりアダムに執着させようとしているのかもしれなかったが、クロにはどちらでも良かった。
クロにとってアダムは、身を捧げる主人なのだから……。
クロは、アダムがこれ以上、心に傷を負わないでほしいと願っている。アダムを傷つける者には、たとえ身内であろうとも容赦はしない……。
「クロ。敵意を出し過ぎだ」
「す、すみません…」
(本当にうちの下僕は、感情的なやつばかりだな…)
落ち着かせようとクロの背を撫でながら、アダムはシュティレを見やる。
(全く……俺に逆らわないと言いながら、あっさり暗示に掛かるとは……後でよく言って聞かせないとならないな)
正直、魔法を駆使して刃向かわれれば、アダムに勝ち目はない。今はチョーカーを使って掛けた使役の魔法が解けている。解けた状態でもアダムの傍にいると言っていたので魔法を掛け直すことはしていなかったが、シュティレが自我の弱い人間である事を失念していた。他者と関われば、こういう事態も想定される。
(早いところ、掛け直すとするか…)
――やる事が多い。
自分が蒔いた種とはいえ、アダムは気が滅入っていた。
お読み頂き、ありがとうございました。
マリアを通して、少しアダムの背景が見えて来るのと同時に何か不穏な様子になってきました。
次回も読んで下されば、嬉しいです。




