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宵闇に捧ぐスノードロップ  作者: 空色 理
第二部

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21.魔法使いの霊薬

 目を覚ますと、なんだか体が重かった。思うように起き上がれない。何かが、体の上に載っているような気がする……。

「…ん?」

 頭だけを動かして布団の上を見てみると、シロが俺の体の上に上半身を投げ出して眠っていた。

「おいシロ。起きろ。重い……シロ!」

 何度か呼んで、ようやくシロは目を開けた。「ふわぁ〜……あれ…?朝?」そう言ってキョロキョロする。

「ああ、朝だ。それより、早く退けろ」

「ん?……あ!ご主人様。おはようございます!」

 俺に急かされても、シロは全く悪びれる様子はなく、嬉しそうに尻尾を振っている。

「……う…うーん……?」

 シロの声に反応して、隣のシュティレも目を覚まし、眠そうな目を擦る。シロはそれに瞬時に反応すると、「シュティレも、おはよう!」と、ベッドの反対側に移動して、シュティレに頬ずりした。

「え?……シロ?……ふふふ……くすぐったいよ」

 シュティレは笑いながらシロの頭を押し止めた。なんだか、謎に微笑ましい光景である。

 なんとなく見ていると、シュティレと目が合った。

「あ、ごしゅ――アダムさん……おはようございます」

「ああ……おはよう」

 シュティレから名を呼ばれるのはまだ慣れないが、主人の俺が動揺していては示しがつかないから、努めて平然とする。

「みんな、やーっと起きたのね!」

 その時、ドアのほうから声がして目を向けると、エプロンドレス姿のクロが腰に手を当て、仁王立ちしていた。

「今、何時だ?」

「もうすぐ十時になるところですよ。……まったく。ご主人様が早く起きてくださらないから、朝からマリアに散々こき使われて困ってるんです。早く起きて、マリアに私の扱い方を教えてきて下さいよ!」

「いいじゃないか。おまえは使い魔なんだから、主人の代わりに働くのは当たり前だ」

「まあ!それはあんまりではないですか!私はアダム様の使い魔であって、マリアに仕えているわけではないのですよ!」

「それはそうだが、この家の主は俺じゃない。姉さんだ。置いてもらっている以上、多少の要求は呑むべきだろ?」

「それは……そうですけど……」

 クロは面白くなさそうに唇を尖らせる。そうしているクロは、俺よりも長い年月を生きているとは思えないほど、子どもっぽい。本当に見た目通り、十五、六の少女然としている。俺からしたら、たいそう面白くはあったが、このままにしておくと後々面倒なので、手招いてクロを呼んだ。

「なんですか?」

 まだ不機嫌そうながら、呼ばれればちゃんと来る辺り、流石は使い魔といったところか。

「俺の代わりに働いてくれて、ありがとう」

 そう言って微笑んで見せると、クロは頬を紅く染めて、目を瞬かせた。

「そっ!…そんな心にもないことを言われたからって、私の機嫌は治りませんよ!」

「心外だな。本当にそう思っているから言っているのに……クロが働いてくれているおかげで、ゆっくり休めたんだから、感謝するべきだろ?」

「いや……感謝だなんて、そんな…」

 クロはますます紅くなって、落ち着きなく視線を彷徨わせている。――さて、最後の一押しだな。

「良くやった。クロ」

 そう言って頭を撫でてやると、クロは気持ち良さそうに目を細めた。

「も、もう!本当に、しょうがないんですから……シロ、シュティレ。起きたなら、アンタ達も手伝って!」

 クロは照れ隠しのつもりか、捨て台詞を吐いては、部屋を出ていった。

「クロって、本当に分かりやすい性格してますよね〜」

 シロがニコニコと言うが、シロも似たようなものだということは、言わないでおこうか。

「よし!じゃあ、クロの機嫌がまた悪くならないうちに、ボクも行ってきますね」

「ああ。頼んだ」

「……」

 しかし、シロはそうは言ったものの、なかなか動こうとしない。何かを期待するように俺を見ている。

(まったく……おまえもか)

 仕方なしに手を伸ばして、シロの頭を撫でてやる。

「えへへ……じゃ、行ってきます!」

 シロは嬉しそうに尻尾を振って、部屋を出ていった。

「二人とも、本当にご主人様が大好きですね」

 シュティレがニコニコしながら言う。

「まあ、そのほうが扱いやすいからいいが…」

 ふと、シュティレはどうだろうかと気になった。

「おまえも、撫でてほしいか?」

 つい、からかいたくなって訊いてみると、予想通りシュティレは紅くなって慌て出した。

「え!?…わ、私は……そんなっ!」

「そうか?……ああでも、おまえなら――」

 俺はシュティレに顔を近づけると、頬に軽くキスをした。

「今はフィアンセだし、こっちのほうがいいか」

「あ……いや…、あの……」

 シュティレは、瞳を潤ませて視線を彷徨わせ、口許を手で覆った。顔が更に紅くなっている。シュティレもシュティレで、とても素直だ。

「さて。起きるか。姉さんに怒られる前に」 

 面白い反応は見られたし、今日も頑張るか。



 その後、姉さんが用意した朝食を食べながら、これからの相談をする。

「ろくな仕事もせずに生きて来られたなんて……さすが金持ちね…」

 俺の顔を見ては、姉さんは溜め息を洩らす。

「親は会社を経営していたから、遺産もたくさんあったし、当分は困らなかった。それに、魔法薬の調合とかもしていたし」

「そう……でも、この国ではあまり魔法使いは歓迎されないから、魔法薬を売るっていうのは、おすすめしないわ」

「そうだろうとは思ってたよ」

 実際、そこだけは困ったところではあった。シュティレの出生地がある国でもあったので来てみたのであるが、そうでなくともこれから先、魔法に頼らない生活をしなければならないだろう。実際問題として、俺は魔法以外は出来ることが少ない。言い訳ではないが、幼少期から魔法を磨くことしかしていなかったせいもある。

「それは困りましたね…」

 クロは、何だかニヤニヤしながら言って俺を見る。日頃言い包められている仕返しでもしているつもりなのだろうか?

「なら、ボクが頑張って稼ぎます。今は人間に化けることも出来ますし!」

「あら、シロちゃんが?偉いわねぇ〜」

 姉さんは感心したように言う。

「なら、シロは姉さんを手伝うといい。姉さんは仕立て屋をしてるんだ」

 俺の言葉に、シロは瞳を輝かせる。

「え?シロちゃん、お裁縫が出来るの?」

「はい!服を作る魔法なら、得意です!……あ、魔法は使っちゃダメでしたっけ?」

「ああ。けど、おまえは人間に変身できるし、人間の状態でなら、裁縫が出来るだろ。少し教わればすぐだ」

「そっかぁ!」

 嬉しそうなシロを、姉さんが不思議そうに見る。

「イタチが、お裁縫を……」

 気持ちは分かる。俺もなぜシロがここまで服作りが好きなのか分からない。

「こいつは服作りが趣味だから、覚えはいいと思う。悪いけど、少し教えてやってくれないか?」

「うん。いいけど……肝心のアダムはどうするの?」

「町に出て、家と仕事をのんびり探そうかと……しばらく、ここに住まわせてくれるんだろ?」

「うん。それは構わないわよ。かわいい甥っ子の頼みですもの」

 姉さんはにっこり笑う。

「ありがとう。なら、俺が外に出ている間、シュティレとクロは家に居させてもらっていいだろうか?二人とも、家事なら出来るし、場合によっては使ってもらって構わないから」

「いいよ。けど、いいの?フィアンセをこき使っちゃって…」

「私なら、大丈夫です。お掃除とかしていたほうが、楽しいですから」 

 シュティレが微笑み、「なんでも言って下さい」とクロも続いた。

「あら!みんな、働き者ね!……分かった。じゃあ、私やシロちゃんが仕事で家を開けている間は、クローディアとシュティレちゃんに、家のことは任せるわね」

 

 そうして取り決めた通りに、俺と姉さんはシロを連れて、町に向かった。シュティレとクロは留守番だ。姉さんとシロとは仕立て屋の前で別れる。

「お一人で大丈夫ですか?」

 そう心配するシロに笑って見せる。

「大丈夫だ。何かあれば、すぐに呼ぶ」

「分かりました。お気をつけて」

 

           ※

 

 「さて……と。どこから攻めようかな」 

 町の様子を把握するため、宛もなく歩きながら考える。

 クロにも言った通り、シュティレがウィス・フォンスとなった原因を探りたい。その答えとなりそうなものは見つけていたが、証拠が足りなかった。

 その答えとは、お祖母様がレシピ帳に隠していた恐らくエメラルドであろう鉱石だ。

 あれには、途轍もない量の魔力が入っていた。

 お祖母様が鉱石を何に使うつもりだったのか、または使った後なのかは不明だが、なんとなく引っ掛かる。

 魔法使いや魔術師は、魔法を文字や術式などの情報として何かに写すことで、魔法具として簡単に使えるようにしたり、他者に伝える教科書代わりにすることが多い。つまり、あの鉱石を魔法使いが使えば、鉱石の中に書き込まれている魔力を自分の魔力として使うことが出来るのだ。

(自分の魔力量以上の魔法を使う場合の為に作った、ストックだろうか?)

 それにしたって、休めば回復する魔力を、いちいちストックしておく必要はないように思う。元々そんな大きな魔力を使う魔法など限られている。

 魔法使いは基本的に、自分の魔力量を計算して魔法を使うものだ。魔法使いだからといって、何から何まで魔法で解決することはしない。

 ならば、何のためか?全盛期のお祖母様よりも多い魔力……なんなら、シュティレに近い……と、そこまで考えて、頭の中に火花が散った。

「そうか……お祖母様はウィス・フォンスを作りたかったんだな」 

 ひょっとしたら、あの鉱石を使って、中の魔力を対象者に一気に写す……つまりは、対象者に"書き込む"ことによって、ウィス・フォンスを作ろうとしたのかもしれない。同じような理論なら、俺も考えた。

 しかし、そこで問題になってくるのが、個体差のある魔力量だ。仮に魔力を対象者に移せたとしても、それを収めるだけの器がなければ意味がない。

 ちなみに、その器を底上げする方法は上手くいかなかった。学校長達が勝手にミアを使ってやっていたが、魔力の調節が得意なミアですら上手くいかなかったのだから、魔力量は生まれ持った限界値を変えることは、現段階では出来ないという話になる。

 俺は自分の魔力を魔法陣を介して直接渡す方法を使ったが、鉱石から移せば可能なのだろうか?

「ゆっくり調べる為にも、早いところ拠点を見つけないとな…」

 姉さんの家にいるのもいいが、姉さんを欺き続けるのは疲れるし、そのせいで使い魔達の支配にも影響が出かねない。

 シュティレのこともあるし、あまり民家が多くないほうが良いのだが、そんなに都合良く空き家などあるだろうか?

 無ければ、魔法で作るか――

 

 と、そこまで考えていた時、何やら言い争う声が聞こえてきた。


「そんなのひどいよ!前は、あの薬一回で治るって言ったじゃないか!」

「容態が変わったんだ。仕方がないだろう」 

「あの薬を使ったあとから、より母さんの具合が悪くなったんだ!絶対、あの薬が悪いに決まってる!」

「言いがかりをつけるんじゃない!あの薬は、それはそれは高名な魔法使いの先生がお作りになった、貴重な霊薬なんだぞ。おまえのような貧乏人に、一度でも使ったことを感謝するのが先だろう?」

 声がするのはこの道の先にある、小さな医院の前だった。十歳前後の少年が、白衣の男に掴みかかっている。

 何故、病気を治せないのか?という患者からの理不尽な訴えは、よくある話だと聞き流そうと思ったが、"魔法使いが作った霊薬"という言葉に惹かれて、思わず足を止めた。

 魔法使いの存在が珍しく、忌避される対象にもなりかねないこの国において、魔法使いの作った薬に絶対の自信を持つ白衣の男の態度に、違和感を感じた。

「何かあったんですか?」

 声をかけると、白衣の男が複雑そうな表情で小さく笑った。

「いえ、たいしたことでは――」

「こいつ、ヤブ医者なんだよ!」

 男の言葉を遮って少年が言う。

「こら!滅多なことを言うんじゃない!」

「だって、ほんとのことじゃないか!」

「まあまあ、まずは落ち着きましょうよ二人とも。周りが何事かと見ていますよ」

 再びいがみ合い始めた二人の間に割って入ると、二人は気まずそうに口を噤んだ。

「まず前提として、医者だから全ての病気を治せるわけじゃないんだよ。どうしようもない事だってある」

 少年の肩に手を置いて言えば、白衣の男はホッとしたように表情を和らげた。

「でも……」

「噛みつくにしても、確かな証拠とベストなタイミングという武器が必要だ。ただ吠えているだけでは、誰も聞いてくれやしないよ。それに、君が今大事にしないといけないのは、病床に伏せる母の支えになることじゃないのかい?」

 不服そうに続けようとする少年の言葉を遮る。少年もそこまで頭が悪いわけではないようで、俺の言葉を聞いて思うところがあったようだ。苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、小さく頷いた。

「……わかった。今日のところは帰る」

 そう言っては、通りを駆け去って行った。


 「いやぁ~!どこのどなたか存じませんが、助かりました!私はこの医院で医者をしております。ミハイル・グランチェといいます」

 グランチェ医師は、揉み手を擦りながら言う。シャツがはち切れんばかりに太っていて、どこか作り顔めいた嫌な笑顔を浮かべている様は、ヤブ医者と揶揄されても納得のいく見た目をしていた。

 人は見かけに寄らないものだとは言うが、この男に関しては、見た目の印象はかなり人間性を推し量る判断材料たり得る気がする。今だって、別にグランチェ医師を助けたわけではないし、少年は"今日のところは"帰ると言ったのだ。何も問題は解決していない。手離しで喜んで良い状況とは言い難いのだが……。

「ジョセフ・ワグナーです。今は宛もなく旅をしているところです。――あまり大きな声では言えませんが、魔法使いです。ちなみに……霊薬とは、どのようなものを使っているのですか?」

 念の為、偽名を名乗る。どこまで捜査の手が伸びているか分からないし、魔法使いの霊薬について訊きたいこともあるから、グランチェ医師とはややしばらく関わらなければならない。その為にはいつでも距離の置ける状態でいなければならない。

 魔法使いと聞いて、グランチェ医師は更に気分を良くしたようだった。一度大きく頷くと、俺を医院の中へと導いた。

「それはそれは!これも何かの縁だ。お見せしましょう」

(この医者……あまり頭が良くないかもしれない)

 魔法薬を使っていると豪語してしまう辺り、大した医者では無さそうだ。それでも人通りの多い場所に医院を構えているからには、それなりの後ろ盾があるに違いない。

 だとすれば、警戒すべきは実際に魔法薬を作った魔法使いのほうか。一体、何者だろう?

 

 案内された医院は、一階は診察室、二階が入院病棟になっているそうで、診察室の方へ通される。医者と呼ばれるのはグランチェだけで、他に見受けられるのは看護師のようだ。皆俺を不思議そうにちらりと見たが、すぐに仕事に戻っていく。待合室にも患者がちらほらと見られた。診察もせずに、客を招いている場合だろうかとも思ったが、誰もグランチェを咎める様子はない。

 診察室には、壁一面が薬品棚になっている箇所があり、大小様々な瓶が置いてある。その中に、一際変わった色の液体が入っている瓶があった。深緑色かと思えば琥珀色に見えたりと、光の辺り具合で違う色に見える。その不思議な光沢や、微かに感じる魔力の気配で、これが魔法薬であろうと察しがついた。

 グランチェ医師は、俺の視線の先に気がついたのか、にんまりと笑った。

「魔法使いだというのは、本当のようですね。そうです。そちらが、どんな病も治せる魔法薬です」

「…どんな病も?」

「はい」

 そんな都合の良い薬など聞いたことがない。本当にそんな物があるなら、今ごろ世界中からあらゆる病気が無くなっているだろう。

「ありえないと思われるでしょうが、可能なのです。……ちょっとした条件がありまして」

「条件?」

 そこでグランチェ医師は、どこか暗い笑みを浮かべた。

「この薬を作る為の材料が、手に入りにくいものなんです」

「へぇ~?」

 少し待ってみたが、グランチェ医師は笑顔を浮かべるだけで続きは教えてくれなかった。

(まあ、普通は教えないよな……)

 どんな病も治すと言うくらいだから、金持ち相手の商売だろうし、魔法使い絡みなら、慎重になるのも頷ける。

「これを作った魔法使いは、どこにいるんですか?」

「実は私もよく知らないのです。いつも突然現れては試験的に魔法薬を置いていくものですから…」

「そうですか」

「ただ……」

 グランチェ医師はそこで声を潜め、俺の耳元に口を寄せる。

「いつも会う時は、丘の上の森の中を指定されるんです。ですから、森の中に住んでいるのではないかと…」

「なるほど……ちなみに、次はいつ会うのです?」

「それが、不定期でして……いつもは伝書鳩から手紙を受け取るんです。ただ、今回使った薬の効果を知りたがるでしょうから、そろそろ連絡して来るかもしれません」

「今回使った……ということは、先程の少年の母親ですか?」

「いいえ。別の患者です。あの子どもの母親には、別の薬を使いました」

「先程の様子では、薬は上手く作用していないようですね」

「まあ……そうですね…」

 グランチェ医師は言いながらもどこか含みのある笑みを浮かべた。

「おっと!つい話し過ぎてしまいました。他言無用と言われていたのですが……あなたにはつい話してしまいますな……まあ、興味があるのでしたら、魔法使いを探してみたらいかがでしょう?待ち合わせの場所をお教えしますから」

 グランチェ医師はそう言って紙に素早くペンで文字を書き付けると、渡してくれる。

「ありがとうございます」

 

 そのまま医院を出て、道を行く。

「さっきの少年は確か…」

 先程少年が走り去った方向に歩き、少年を探した。

 この辺りの家はどこもシンプルだ。近くに海のある町だし、漁業か造船か……近隣の工場に出て働く職人階級が多いのだろう。平日の昼間とあって、家々から見える住人は女や子どもが大半だった。

(もう少し奥か…)

 先程の少年の服は汚れてくたびれていた。何度も補修した跡もあったし、服を新調する余裕がないのだろうと伺えた。

 そんな状態の子どもがいる家庭なら、家ももう少し古くてみすぼらしいだろう。そういう家があるとすれば、大通りを過ぎた脇道……陽当たりのあまり良くない場所の可能性が高い。

 

 そんな裏通りを歩いていると、

「あ…」

 ちょうど良く、井戸で水を汲む少年に出くわした。俺を見て驚いた顔をする。

 この辺りは寂れているとはいえ、貧民窟と言う程ではないようだ。井戸も綺麗だし、付近の雑草も刈られていたりと、手入れされている様子が伺える。

「やあ。さっきぶり」

「……どうも」

 少年は若干警戒しながらも、軽く会釈する。

「ちょっと気になって、君を探してたんだ。お母さんの様子はどうだ?」

「……あんた、医者かなんかか?」

「まあ……似たようなものかな」

「なんだそれ」

 俺は警戒を解こうと、少年に笑顔を向ける。けれど、まだ少年の表情は硬い。

「さっきの医者と少し話してきたけれど、あれはヤブ医者と言われても仕方がないかもしれないな」

 だから、少し共感して距離を詰めることにした。すると途端に少年の表情が変わった。何かに期待するように瞳を輝かせる。

 子どもってやつはいつも単純だ。

「だろ?だけど、この辺りじゃ、医者はアイツしか居ないから、困ってたんだ。もう少し町の中心地に行けば、いい医者も居るんだろうけど……」

 少年は途中で言葉を噤んだ。

 言いたいことは、なんとなく分かる。病人を運ぶ足も無いし、中心地ともなれば、それなりに診察代も掛かるということだろう。

 少年の身なりを見れば、生活に余裕がないのは一目瞭然だ。

「良ければ、君の母親に会わせてくれないか?」

「良いけど……」

 半信半疑といった顔だったが、それでも少年は頷く。こんな得体の知れない男を信じようとするほど、グランチェ医師のことが嫌いなようだ。

 

 少年の家は、壁に罅が入って、雑草の蔦が絡んでいる、今にも朽ちそうな家だった。

「……父親は?」

 つい訊いてしまうと、少年は「逃げた」と肩を怒らせながら呟いた。

「そうか」

 二人を捨てて家を出たと言う事なのだろうか。

 では、経済面はこの少年が担っているのだろうか……。

 今時、子どもの労働者は珍しくない。むしろ、大人より安い賃金で働かせるので、人件費を減らしたい所は積極的に子どもを使うくらいだ。

 そんなことだから、この辺りでは学校に通えている子どもはほんの一握りだろうと思う。


 「……母さん。調子はどう?」

 家の奥まった所に置かれたベッドの上に、青い顔をした女が眠っていた。少年が声を掛けると僅かに目を開け、少し口角を上げて微笑む。

「エイデン……おかえり」

 か細い声で言っては、すぐに息子の背後の俺に気がついて、慌てて身を起こそうとする。

「ああ、奥さん。大丈夫です。どうか、そのままで」

 俺が止めると、「すみません」と謝った。

「エイデン。そちらの方は…?」

「医院の前で会った。母さんの病気の事が分かるかも知れない……ええっと…?」

「ジョセフ・ワグナーと言います。医者ではないですが、似たような知識はあるので、お力になれるのではないかと」

「……有り難いお話ですが、家には……」

「代金を請求したりはしません。単純な興味なので。少し、様子を診させてくれませんか?」

「……分かりました。どうぞ」

 エイデンの母親は、金銭絡みでないと分かって安心したように息を吐いた。

 エイデンの母親の症状は、訊いていくと、倦怠感や目眩が大半のようだった。風邪を引くと長引いたり、普通より症状が重くなるということもあるという。

(栄養失調……かもな)

 詳しくは分からないが、そんな印象を受けた。ただ、この親子に滋養のある物を……というのは憚られる。だが――

「エイデン。おまえ、野菜を育てられるか?」

「え?……花なら、母さんが好きだから育てたことあるけど…」

「そうか」

 よく見ると、部屋の隅に植木鉢が積んであった。

 俺は懐から小瓶を取り出す。中には深緑色の液体が入っている。

「これは植物を育ちやすくする薬だ。あそこの鉢を使って、野菜を幾つか作ろう。それで栄養をつければ、母親は良くなるだろう」

 これは魔法薬。前に住んでいた町でも時々依頼を受けて作っていた。多少土の状態が悪くても育つし、普通に育てるより早く育つ。野菜なら栄養価は高いし、花なら綺麗に大きな花をつける。

 これなら、少しは栄養の足しになるだろう。後は肉や魚だが、そこはエイデンの稼ぎ次第だ。

「そんな高そうな薬、貰っていいの?」

「ああ。その代わり、グランチェ医師の使った魔法薬について、知っていることを教えてほしい」

「わかった」

 エイデンは生真面目に頷いた。

 エイデンによると、グランチェ医師は魔法使いと知り合いで、度々新薬として魔法薬を貰うらしい。色んな効能があり、効果は抜群らしいが、いずれも金持ちや貴族にしか使ったことはないという。

 それを今回は珍しく、母に使ってくれたのだそうだ。

「ただの風邪だったんだけど、その魔法薬を使ったら、もっと悪くなった気がして……というか、日に日に悪くなって行くんだ!」

「ちなみに、使った薬はどんな見た目だった?粉か?液体か?」

「違う。なんかよく分からない模様が描いた紙を背中に貼ってた」

「模様…」

 ふと嫌な予感がして、俺はエイデンの母親に向き直った。

「少し、背中を見せてもらっても良いでしょうか?」

「はい…」

 エイデンに手伝われながら、母親は服をはだけて背中を見せてくれる。

(やっぱり……)

 その背中には、拳大の魔法陣が描かれていた。今も発動している様で、文字が淡い緑色を放っている。

 様子からして、転送の魔法陣に似ている。

 転送の魔法陣は、同じ魔法陣を二つ用意し、一方の陣の上に置いたものをもう一方の陣の所へ移す魔法だ。それが発動中ということは、何かが送られて来るのか?……いや、これは"送っている"ほうだ。

(一体何を……!) 

「エイデン。母親は、これを貼った日から具合が悪くなったと言ったな。それも、日毎に悪くなると」

「うん。あからさまに食欲が落ちたし、歩くのも億劫になって行った……ねえ。やっぱりこれが原因なの?」

「……ああ」

 俺は言いながら背中から陣を剥がした。それは湿布薬の様相をしており、粘着質ではあったが、簡単に剥がすことが出来た。

「……呼吸が…楽になった…」

 途端に母親が驚いた声を出す。

(…悪趣味だ…)

 この陣が転送していたものは恐らく、エイデンの母親の生命力だ。貼られている限り発動し続け、やがては命を奪っていただろう。転送の魔法陣をこんなふうに使う例は初めて見た。

 嫌な想像でしかないが、こうして送られた生命力は何かに保存され、誰かに気力を与える魔法薬に生まれ変わる。それこそ、『万病に効く魔法薬』だろう。

 あの医者は、貧乏人にはこの魔法陣を貼って魔法薬の材料にし、金持ちには魔法薬を使って儲けているのだろう。それも、医者自体は魔法使いではないと来た。どういう目的かは知らないが、一般人に魔法を教えて使わせている魔法使いがいるということだ。

「きっと、これで大丈夫だ。後はさっき言った通り、鉢植えで作った野菜を食べさせろ」

「うん!分かった!ありがとう」

 明らかに母親の顔に生気が戻り、エイデンも明るい声を出す。

 俺はたまに様子を見に来ると告げて、二人の家を後にした。

(一体、どこのどいつだ?)

 こんな悪どいことをする魔法使いが、しかも魔法使いの少ないこの国に居るとは……。

 これはなんとしても、顔を拝みたいところだ。

 俺は早速、グランチェ医師に教わった場所へと足を向けることにした。

お読み頂き、ありがとうございました。

魔法を消せば良いと言いながらも、結局魔法絡みのことに首を突っ込んでしまうし、結果人助けをしているアダムでした。

話は変わりますが、昨夜はストロベリームーンでしたね。私の所では綺麗に満月が見えました。皆さんの所はいかがでしょう?

アメリカの呼び名なので、日本にはあまり関係ないかもしれませんが、季節の移ろいに目を向けて鑑賞する余裕は大切にしたいなと感じました。

急な世間話、失礼しました。次回も読んで下されば、嬉しいです。

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