20.心の距離感
「まずは、事情を話してちょうだい」
リビングに通され、ソファーに座った直後、姉さんは茶を出すわけでもなく俺の対面に座って、俺の瞳を凝視する。
(まあ、そうなるよな…)
姉さんとは両親の葬儀以来だから、約十年ぶりということになる。姉さんは、実の姉である母の死に相当ショックを受けたようで、葬儀の時は泣くでもなく無表情で、死んでしまうのではないかという程に危うげな様子だった。
姉さんと母は本当に仲の良い姉妹で、特に姉さんが、母を慕っていた。母の結婚が決まった時は反発した程だったとか。
「俺も色々あったんだよ。学校でしていた研究は横取りされた挙げ句、邪魔者扱いだったから、嫌になって退学してやったら、両親は事故死するし、お祖母様は捕まるしで、とてもまともじゃいられなかった……姉さんにもそいうの、分かるだろ?」
「……そうね」
姉さんは俺の説明に納得してはいない様子だったが、一応、感情に関しては似たところがあると思ったようだ。
「平たく言うと、絶望って言うんだろうな。そんな事があったから、俺は人を信じるのが怖くなって、一人で閉じこもってた。――正直、その時の記憶は曖昧だから、詳しくは話せないけど」
「クリスティアーネさんが亡くなってから、急に姿を消したって、親戚中が大騒ぎしていたわよ?ちなみに、どこに居たの?」
「お祖母様の家に引き籠もってた」
「ああ……あの家、まだあったのね…」
ウェスペル家の本邸と呼ばれていたあの家は、直近ではお祖母様しか住んでは居なかった。幼少期の父はそこで育ったらしいが、父が成人する前に祖父が病気で他界し、父が成人して家を出た後、貿易会社を手掛けて生活が安定したあとは、会社の側に家を構え、お祖母様はそこに呼ばれて俺達家族と暮らしていた。
元々ウェスペル家は人が少なく、子どもも一人がほとんどだったので、親戚と呼べるのは当時でもお祖母様の姉の家族位だった。そちらは魔法が使えなかったそうで、ウェスペルの名は継がなかった。だから実質、現在ウェスペルを名乗っているのは、俺だけということになる。
そちらの家族を頼る気にもなれなかった俺は、お祖母様の家でしばらく引きこもっていた。狙われていたし、招かれなければ辿り着けない魔法の掛かった家なら、誰にも見つからずに過ごせると思ったからだ。
実際には、傷心する傍ら復讐計画を練っていたのだが、姉さんにそれを話すのは面倒なので割愛する。
「じゃあ……シュティレちゃんとはいつ出会ったの?」
姉さんは俺の過去を詮索するのは野暮だと思ったのか、別の話を切り出した。
「ニ、三年前からあちこちを宛もなく旅していた時に偶然出会った。身寄りが無くて、養子として引き取られた家で奴隷のように働かされていたのを見兼ねて引き取ったのが出会いだ」
俺の話に僅かにシュティレが反応するが、あまり態度に出してはいけないと思い出したのか、目を伏せた。
その様子は、一見すると辛い過去を思い出して気分が沈んだように捉えることが出来る。
(だいぶそれらしい態度が取れるようになったじゃないか)
以前、ジャスパーにシュティレについて事実ではない事情を伝えた時の様子に比べたら、かなり成長している。
「ふぅ〜ん……ずいぶんと、カッコイイことするじゃない?」
(半信半疑ってところか)
まあ、これで納得するほうがおめでたいとも思っていたし、予想通りだ。
「まあ、そこは置いておいて……実は相談があるんだ」
「何?」
「この国に棲家を移そうと思っているんだが、良い場所が見つかるまで、ここに間借りさせてもらえないかと思って」
姉さんは一度目を瞬かせた後、大袈裟に溜め息をついた。
「なぁんだ!そんなこと?……そんなの、気にしないでずっと居れば良いじゃない!私、ちょうど一人暮らしに飽きてきた所だったし。……ちょっと待ってて。持て余して物置きにしちゃってる部屋を片付けてくるから!」
姉さんはそう言いながら、こちらが口を挟む間もなく、二階に上がって行った。
「マリアは、相変わらずね…」
クロがそう呟くと、シロが「相変わらず?」と訊いた。
「マリアは、昔からご主人様が大好きなのよ」
「へぇ~!ボクらと一緒だね!」
「…あ、あの……ご主人様」
そのとき、シュティレが小さな声で言った。
「どうした?」
「フィアンセって……婚約者ってことですよね?」
「そうだ。……悪いな。面倒な役回りで。姉さんも魔法使いの端くれだし、おまえの事情を知ったら、使いたくなるかもしれないから、不用意に手が出せないようにしようと思ったんだ。婚約者ってことなら、距離感が近くても怪しまれないだろ?」
「なるほど……それなら……あの……フィアンセのフリ、がんばりますね。………ちなみに、どうしたらフィアンセっぽいでしょうか?」
至極真面目に訊いてくるシュティレが可笑しくてつい笑いそうになってしまったが、なんとか堪える。
「……別に、変わったことはしなくていい。いつも通りにしていろ」
「そう…ですか…」
シュティレはホッと胸を撫で下ろしたが、「あら?大事な事が抜けていますわ。ご主人様」とクロが口を挟んだ。
「なんだ?」
問われてクロは、にんまりと笑った。
「フィアンセなのに、"ご主人様"と呼ばせるのは変ですわ。呼び捨てか、愛称で呼び合うのが良いかと思います」
(余計なことを…)
そう思ってクロを睨んだが、クロは素知らぬ顔。
本当にコイツは、反抗的だ。
「――アダム……さん」
「!」
シュティレは、なんだか恥ずかしそうに顔を紅くして俺の名を呼んだ。そのぎこちない様子に、一瞬息が止まった心地がした。
――良くない。これは非常に……。
クロはというと、そんな俺の反応に満足したように笑っている。
「あ、ご主人様。照れてますね!」
シロまで笑って余計なことを言うので、腹いせにシロの腹に拳を叩き込んだ。
「ぐへぇ!……なんで、ボクだけ……」
シロは変な声を出しては、衝撃で変身が解け、いつものイタチに戻った。腹を抱えて唸っている。
「ごめんなさい!……変ですね」
シュティレは申し訳なさそうに肩を丸める。
「…そんなことはない。――今のでいい」
つい、そう言ってしまうと、シュティレは何故だかパァッと笑顔になった。それを見たクロは更に上機嫌になる。……本当に何なんだ?コイツらは……。
「なんか楽しそうね!……あら?何その可愛いイタチ…」
「ボクです。シロです〜」
姉さんが下りてきて、シロを見て驚いた。シロはまだ腹を擦りながら答える。
「へぇ~!シロってイタチだったんだ!可愛い!ねぇ、ここに居るときは、その姿で居てよ」
「えへへ……そうですか?では、お言葉に甘えて…」
シロは照れたように頭を掻いた。姉さんはシロがいたく気に入って、しばらく撫で回していた。
かと思えばクロとシュティレを捕まえて、二階の部屋の掃除に向かい、俺とシロは、大きな家具や置物を運ぶのを手伝わされる。
(手っ取り早かったとはいえ、ここに来たのは間違いだったかもしれない…)
思いの外こき使われながら、一日は早足に過ぎて行った。
※
その後も、久しぶりに会った記念にと宴会じみた様子になって、結局ベッドに入ったのは夜も更けてからだったのだが……。
「あの……今夜も、一緒に寝ていいんですか?」
部屋の隅に置いたパーテーションの裏で寝間着に着替えをして出てくると、シュティレは内心嬉しそうに訊いた。それに溜め息交じりに頷いて見せる。
仕方がない。フィアンセだと言ったのは俺だし、そうでも言わなければ、シュティレは姉さんの部屋で一緒に……ということになりかねない。そうなると素直なシュティレのことだ。あれこれ訊かれて正直に自分について話してしまうこともあるだろう。取り繕う嘘だって、得意ではないし。
俺が溜め息交じりだったのが気になったのか、シュティレは少し悲しそうな顔をする。
「ご主人様は……私と一緒に寝るのは、嫌でしたか?」
「いや……そうではないが…」
逆に訊きたい。なぜ一緒に寝れるのがそんなに嬉しいんだ?屋敷にいた頃は、一人で寝てたじゃないか。
(あ…)
そこまで考えて、前までと今の違いを思い出した。
俺はあのとき、シュティレに"好きだ"と言ってしまったのだ。そう言ったほうがシュティレが喜んで俺についてくると思って言った言葉だったが、ちょっと……いや、かなり言い過ぎだったかもしれない。
「墓穴を掘りましたね。ご主人様」
黒猫姿のクロは、クッションの上で丸くなりながら、全てを察したように言った。
「うるさい……寝るぞ」
クロを睨みつつ、半ばヤケになってシュティレをベッドに引き込んだ。
「キャッ!」
いきなりのことだったので、シュティレは対応しきれずにバランスを崩し、俺の上に倒れ込む。意図せず、シュティレが俺をベッドに押し倒したような格好になってしまった。
「ご、ごごご…ごめんなさいっ!」
シュティレは真っ赤になりながら俺から離れた。
「いや。大丈夫だ。今のは……俺が悪い」
言いながら、不思議な心地がした。
今までシュティレは、俺がからかって距離を詰めても、なんとも思っていない様子だった。だから、てっきり男女の間のことには疎いのかと思っていたが……今のこの反応は何だろう?
気になって、シュティレの頬に右手を伸ばして撫でてみると、シュティレは更に顔を紅くして目を見開いた。
「…ご……ご主人…様?」
「今は"アダムさん"だろ?」
「――アダムさん…」
やはり恥ずかしそうに小声で言う。
「なんだ?緊張してるのか?」
「……ごめんなさい」
「謝るな。おまえは何もしていない」
「はい…」
頭を撫でてやると、シュティレはようやく緊張が解けた。
「今日は疲れたろ?ゆっくり休め」
「はい」
シュティレは横になると目を閉じ、程なくして寝息を立て始めた。
「……本当に、よくこんなに人を信用出来るものだな……こんなに無防備な姿を晒して…」
「ご主人様が優しいのが分かるんですよ。シュティレには。だから、懐くんですよ」
眠っていると思っていたシロが、体を起こして言う。
「……俺は、優しいか?」
「はい!」
俺は本心から優しくしている訳じゃない。それが分かっていてなお、俺に従うシュティレを見ていると、最初に会った頃のシュティレの表情を思い出す。
あの、全てを諦めたような光のない瞳……同じ人間とは思えないほどの希薄すぎる存在感……扱いやすそうだと思っていたが、今のシュティレは明確な意思がありながらも俺の側にいる……最初とは違い、自分で考えているからこそ、縛るのは難しい。
しかし、意思を持つように仕向けたのもまた、俺自身だ。人の手に余るほどの魔力を持つシュティレが、その魔力を自分の物として管理する為には、自分という存在が強固でなくてはならない。これで良かったのだが……
(こんなに真っ直ぐな好意は初めてだ)
友愛、家族愛、親愛、敬愛、恋愛……愛の種類は幾つかあるが、シュティレの場合、かなり盲目的で危うい。その瞳には、俺しか映っていない。そうしたのは俺だが、こうも上手く行くと、優越感があるのと同時に、罪悪感が頭をもたげる。
(俺もまだまだだな…)
道具として扱うと割り切っていたはずなのに、いざそうなったら、シュティレが不憫でならなかった。生き物を道具とすることは、ウェスペル家のお家芸だが、シュティレを見ていると、それがどういうことなのか身に積まされる。
「それなら……責任を取って、大事にしてあげればいいじゃないですか。シュティレはご主人様や私達と、平穏に暮らしていたいそうですよ。こうして別の国へ来たんですから、もう、良いんじゃありません?」
俺が気を抜いたのを良いことに、クロが嬉々として俺の心を読んできた。クロとの会話で頭を整理したくて、わざとそうしたが、クロは俺の意図をきちんと理解したようだ。
(そう……確かに国を離れれば、ヒースの手も届かない可能性がある。だが……)
「まだだ。――この世界に魔法がある限り、俺もシュティレも、自由にはなれない」
魔法そのものが悪い訳ではない。しかし、人間はどうしたって、魔法を正しく使えない。強欲さが邪魔をして、必要以上に魔法を求めてしまう……その結果、沢山の歪みや恨みが生まれた。それらが更に、人間をより邪悪なほうへと変化させていく……。
「じゃあ……どうしたらいいんですか?」
シロが不安そうに首を傾げた。
「魔法なんて、無くなってしまえばいいのさ……シュティレなら、それが出来る。ただ……魔法が無くなったら、俺はおまえたちに殺されるだろうから、延命の為にも、のんびりやるさ」
まだ仮説の段階だが、魔法使いを消す方法をいくつか考えている。魔法の使い方を忘れさせるか、国に組する魔法使いの魔力を奪うか……ただ、そちらは数が多いし、魔力を抜かれた人間は死ぬのだから、結果大量に人を殺す事になるので、追われる身なのは変わらない……。
なんでもないことのようにそんなことを言うと、シロは目を丸くして驚いた。
「え?どうして魔法が無くなったら、ボクとクロがご主人様を殺すんですか?」
「アンタ、馬鹿なの?私もアンタも、ご主人様の魔力を代償に契約してるでしょ?ご主人様の魔力が無くなったら、条件が満たされないんだから、主従関係が無くなるのよ」
「……ああ…」
クロにどつかれて、シロはようやく理解したようだが、酷く悲しそうな様子になった。
「……ボク……ご主人様の命なんか要らないです。ご主人様が魔法使いじゃなくたっていい。一緒に、いたいです」
「……は?」
俺は夢でも見ているのだろうか?魔物であるシロが、そんな思考をするわけがない。特定の人物に執着する……なんてことが……。
「――そうね。私もきっと、殺さない。魔法が使えないなら、心が読み放題でしょうから、それをからかって遊ぼうかしら」
てっきりツッコむと思っていたクロすらも、この反応だ。――まあ、クロは死にたがっていたし、分からなくもないが――
「からかっちゃダメだよ!もしそうなったら、ボクが許さないからね!」
「あら?私より魔力の弱いアンタに、私を止められるのかしら?」
「力なら強いよ!」
「おまえら、煩いぞ。シュティレが起きる」
二匹を叱りながら、俺は動揺する心を必死に宥めていた。
冷や汗が、止まらない。
(なんの条件もなしに、一緒に居るだなんて、そんなこと……)
――そんなこと、あってたまるか!
認められない――認めたく…ない……。
「…ご主人様?どうかしましたか?」
シロが首を傾げる。
「いや……何でもない。俺も寝るから、静かにしろ」
それに雑に答えながらも、シュティレを起こさないように慎重にベッドに潜る。
目を瞑ったが、心臓の鼓動は早鐘のように脈打ったまま、一向に落ち着く気配がなかった。
(魔力がなくても、これまで通りに……なんて)
どんな人間の間にも、利害関係がある。……少なくとも、俺の場合はそうだった。魔法の才能があったことで、俺に対する評価や態度は、魔法に関係することで決まっていた。
幼い頃は、まだそれが分かっていなかった。
家族が優しいのは、愛ゆえだと思っていた。
しかし、俺の家族の場合はそうではなかったこと……むしろ愛が呪いであることに気づいてから、俺は他人を信用出来なくなった。だから、使い魔に対する態度だって、必要以上に優しくなんて、していないはずだった。なのに――
「ご主人様。……苦しいですか?」
ふと、シロの声がしたかと思うと、頭を撫でられる感触がした。「添い寝しましょうか?」と、クロの声もする。
「……いい。大丈夫だから…」
苦しさを堪えながらそう言っても、二匹はなかなか離れて行かなかった。シロは頭を撫で続けるし、クロは枕元で丸くなる。
今日は珍しく疲れたみたいだ……二匹を諌める力がない……払い除けるのも、面倒だった。
(……たまには……いいか)
そう思ってみると、嘘みたいに呼吸が楽になり、心臓の鼓動も落ち着き出した。
――本当は、分かっているんじゃないのか?
ふと、そんな言葉が浮かんだ。
お祖母様を敬愛していたクロ、シュティレを大切にするシロ……普段の二匹の様子は、俺が常識として捉えていた事実と少し異なる。
(分かっている……だが、認めてはならない…)
二匹が持つ感情の名を、俺は意図して見ないようにする。それを見てしまえば……認めてしまえば……もう、後戻りは出来ないから――
※
「……寝ちゃったわね」
クロがご主人様の寝顔を見つめて目を細めた。その優しげな表情が、クロがご主人様と紡いできた日々の長さを思わせて、少し胸が痛む。
(ボクも早く、二人みたいになりたいな)
ボクは、ご主人様と出会ってまだ三年と少しくらいだ。クロは、ご主人様を小さい頃から知っている。年数の溝はどうやっても埋まらないのは分かってはいるけど、やっぱり悔しい。
「絆の深さは、年数では測れないわよ」
ボクの気持ちを読んだのか、クロはそう言ってボクのほうを向いた。
「うん。そうだね」
「大丈夫よ。ご主人様は……ただ、人一倍怖がりで……優しい心を持った人だから…」
「うん!だから、ボクらが支えるんだよね?」
「ええ」
ふと、出会った頃のことを思い出す。
縄張りに入って来たご主人様を刻もうとして、逆に魔法で返り討ちにあったあの日。
ご主人様は、何故かボクにトドメを刺さなかった。そればかりか、連れ帰って治療してくれた。
後で分かったことだけど、ボクは人間達の間では、"ショウキンクビ"というやつになっていて、ボクを殺したら、たくさんお金が貰えたんだそうだ。ご主人様も最初はお金目当てだったらしい。なのに、結局ボクを殺さなかった。
あのときも、どうしてボクを殺さなかったのか訊いたっけ。
――生きるのが辛いって、顔に書いてあったから。
そう、ご主人様は言っていたっけ。
魔法使いさえ恐れたウェルテクスを手駒にしていたら、ハクがつくとも。……
"ハク"ってなんなのか、ボクにはよく分からなかったけど、自慢になるってことみたいだ。前にミアって人がボクを見て驚いて話してたことから考えたら、そういう意味っぽい。
(ああ、ご主人様……ご主人様は気がついていないんですね。ボクがどれだけ、ご主人様に感謝しているのか、ご主人様のおかげで、ボクがどれほど変わったのか……。ボクはあなたのおかげで、愛を知ったんですよ)
初めは、ご主人様にどうやっても勝てなかったから、諦めて使い魔になっただけだったけど、怪我をすれば治してくれて、毎日ごはんをくれて……そうやってご主人様と過ごすうちに、いろんな楽しいことや、魔法を教えてもらった。
そのうち、だんだんと心からご主人様の力になりたいと思うようになってきて、いつだったか、ご主人様の命を狙ってきた暗殺者にボクがいち早く気づいて倒したあの日、これがボクの生きる意味だと思った。そうして、今がある。
ボクやクロと違って、ご主人様は相当な嘘つきだった。きっとそのせいで、愛が分からなくなったんだと思う。
でも、分からなくても仕方がないか……ご主人様は、たくさん、裏切られて来たんですもんね。知っていたはずの愛はみんな、どこか歪んでいて……だから、分からなくなっちゃったんですよね?ご主人様だって、愛されているんだって、愛していいんだって、きっと、忘れちゃったんですね……。
なら、ボクがまた教えてあげます。何回だって教えます。"ご主人様は、愛を知っている優しい人"だって……だから、もう苦しまないで……。
ボクも、クロも、シュティレも……ご主人様を愛していますよ。
初めはご主人様のサクセンで、ご主人様の言うことを聞くようにされたのかもしれないけれど、ボクのご主人様への気持ちは、それだけじゃない。
説明しろと言われたら難しいけれど、ちゃんとボクの意思だって確信が持てる。
もしかしたら、ご主人様に歯向かおうと思えば、いくらでも機会はあるのかもしれない。でも……したくない。
(いつか、伝わるといいな…)
だけどご主人様は、本当は分かっているのかもしれない……でも、それを認めたら、ご主人様はきっと、今までの自分の態度を後悔する。優しい人だから……。
でもね、ご主人様。愛っていうのは厄介で、ちょっとやそっとのことじゃ、無くならないみたいなんです。ご主人様が何を言おうが、どう思っていようが、その全てを受け入れられるくらいに、強いものみたいです。だからどうか、安心して下さい。ボクはいつまでも、傍にいますからね……。
よくご主人様がそうしてくれたように、ボクもご主人様の頭を撫でる。そうしていると、なんだか自分が偉くなった気がした。
(ご主人様が幸せになれますように…)
カミサマなんて居るのかは知らないけど、なんとなくお祈りしてみた。
お祈りしたくなる時って、こういう気持ちなんですね。
今まで、ボクに殺されそうになると、人間はよくお祈りしていたけど、どうしてなのか分からなかった。でも、やっと分かってきた気がする。
変わらない運命をなんとかしたい時、自分の力だけではどうにもならない時……そんな時に人間は祈るんですね。
だけど、きっとボクがカミサマに祈ったって聞いてはもらえないと思うから、これは祈りというより、決意かもしれないな。誰が何と言ったって、ご主人様を守って幸せにする……そんなボクの決意。
「たいした決意ね」
またボクの心を読んだクロが、呆れたような溜め息をついた。
「そういうクロはどうなのさ?ご主人様のこと」
「……人生の暇潰しよ。ただ、クリスティアーネ様が命じたから、遺志を汲んでいるだけ」
「そうなの?」
それだけには見えないけど、それを言ったらクロに叩かれそうだから、止めておく。クロは心を読むくせに、自分の心はあまり明かさない。そういうところはご主人様に似ているから、二人は仲良しなんだろうと思うけど……。
クロは素っ気なく言いながらも、ご主人様に寄り添っている。
体をピタリとくっつける、その慰めるような仕草は、クロの気持ちの表れのような気がした。
「……なによ。私は使い魔の義務を果たしているだけよ。人間じゃあるまいし、私はアンタほど執心していないわ。アンタ、本当に魔物らしくなくて変ね」
クロは不機嫌そうに言っては目を閉じる。そのまま眠ったようだった。
クロは猫の姿をしているけれど、本性は猫じゃない。だから、猫と違って夜に眠る。
ボクだってそう。イタチと呼ばれているけれど、イタチじゃない。見た目が似ているだけだ。
魔物って呼ばれるボク達は、確かに同族ならまだしも、人間に対して愛情は抱かないのが普通だ。
ボク達にとって人間は、餌みたいなものだから。
(確かにクロの言う通り、ボクは変なのかも)
でも、それでもいいや。ボクは好きに生きているだけだもの。
ご主人様の頭をもう一撫でしてから、ボクも目を閉じた。
明日はどんな一日になるだろう?思わず笑っちゃうくらい、楽しいことがあるといいな♪
お読み頂き、ありがとうございました。
アダムが歪んでいる分、使い魔達はどこまでも真っ直ぐです。
よく『悪魔は嘘を吐かない』とか、『動物は本能のままに生きている』とか言われているのを耳にしますが、行動の理由や自分の感情にあれこれ理由をつけて複雑にするのが人間なのかもしれないなと思い、難しい生き物だなぁと自分の事は棚に上げて思っていました。
さて、新天地にやってきたアダム達がどうなっていくのか、次回も読んでくれたら嬉しいです。




