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宵闇に捧ぐスノードロップ  作者: 空色 理
第二部

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19/47

19.残された謎

 ――「□□□!」

  「でも……」

  「"でも"じゃありません。あなたは――」

 

 ――………様!

 

 「……分かりました」

 

 ――……様!……ご……様!

 

 「それでこそ、□□の人間です」

 

 ――ご……人様!………アダム様!

 …

 ……

 ………

 

 「アダム様っ!」

 

 「――ッ!」

 呼ばれる声に反応して飛び起きると、「…ご主人様」と隣から控えめな声がした。

「――ああ――シュティレか…」

 いつも従順な俺の道具は、心配そうに顔を歪めていた。

 辺りはまだ暗い。夜明け前のようだ。

「…すみません……うなされていたので、起こしたほうがいいかと思って……」

 この少女はいつも自信無さげだ。自発的な行動はほとんどしない。たまにしても、申し訳なさそうにする。それは不幸な生い立ち故だし、道具として扱うにはもってこいの性質だったが、時に見ていて切なくなった。

「そうか。ありがとう」

 久しぶりに悪夢を見たようだ。動悸が激しい。

 どうやらすごく心配を掛けたようで、シュティレは何だか泣きそうな顔をしている。それで手を伸ばして頭を撫でてやると、シュティレは顔を赤らめて視線を彷徨わせながらも、嬉しそうにしていた。

「もう大丈夫だ。……だから、おやすみ」

「で、でも……すごく苦しそうでした……本当に、大丈夫ですか?」

 うちの道具達は基本的に従順で忠義に篤いが、時々融通が利かない。このシュティレも例に洩れず。根が素直だから他の二匹に影響されたのか、はたまた元からこうだったのかは分からないが、たまに口答えしてくる。

「おまえが気にすることじゃない。いいから、寝ろ。朝は早いから」

「……」

 それでもまだ、シュティレは渋面を作っている。まったく……心配性というか、頑固というか……。

「何だ?仮に俺が大丈夫じゃなかった場合、どうしようと言うんだ?」

 意地悪で質問してみると、案の定、シュティレは言葉に詰まった。「えっと…」と視線を彷徨わせながら、必死に考え始める。

 そのあまりに分かりやすい反応が、俺はなんだか面白くなってきた。

「……おまえが、慰めてくれるのか?」

 冗談のつもりでシュティレの左頬を撫でて、親指で軽くシュティレの唇をなぞると、シュティレはビクッと体を震わせた。驚いた様に目を丸くする。

「は、はい!何をしたら、良いですか?」

 予想通り俺のからかう意図は分かっていない様子だ。シュティレは、曇りのない真っ直ぐな瞳を輝かせて、こちらを見つめてくる。

(ああ……これはダメだ…)

 その純粋な瞳を見ていると、グチャグチャに壊してしまいたくなる。その一方で、そうすることへの罪悪感も同時に湧き上がって苦しくなった。

 ――初めて会った時、シュティレが少女だった事、素直だったことで御し易いと判断したことを思い出す。

 今思えば、とんだ誤算だ。

 別に自分の容姿に自信があった訳では無いが、優しくしてやれば、シュティレが恋慕のようなものを抱いて大人しく言う事を聞くのではないかという安易な考えで、からかった。しかし、結果は予想以上だった。

 今更ながら、純粋なシュティレを拐かして彼女の視線を独占していることを後悔した。

 復讐と称して複数の人間を手に掛けた俺に、まだこんな良心が残っていたのか……。

 自分の道具なのだから、好きに扱えばいいという声と、だからこそ大切に扱うべきだという相反する二つの声の狭間で、しばし葛藤する。

「――なら…」

 俺はシュティレに顔を近づけて、唇を重ねた。シュティレは一瞬体を強張らせたものの、すぐに力を抜いて、俺を受け入れた。

(ほんと、困ったものだ…)

 魔力を渡したり貰ったりする時にもキスをすることがあったから大丈夫だと、二つの声の中間を取ったつもりだったが、こうもすんなりと受け入れられたら、更に欲が出てくる……しかし、それはしてはならないと、再び良心が警告してきた。

 これ以上をすると、これまでの関係では居られなくなる――

「…これでいい。……おやすみ」

 なんとか欲に打ち勝ってシュティレから顔を離すと、シュティレに背を向けて横になり、目を閉じた。シュティレは少しの間動かなかったが、やがて横になり、俺の背にピタリとくっついてきた。

「おやすみなさい」

 そう呟いて、やがて規則的な寝息を立て始めた。

 俺を気遣っているのか、たんに甘えているだけか……いずれにしろ、なんともむず痒い……。

 シュティレの体温を背中に感じて、俺は何故だか哀しくなった。

 

 ここは、隣国ダキアのとある町の小さな宿屋。

 憲兵から逃げた日から一月が過ぎようとしていた。

 俺は貴族殺しを追う動きが鎮まるまで隠れる為と、シュティレがウィス・フォンスとなった原因を探るべく家を捨てて国境を越えていた。目立たないように、極力魔法は控えての旅だ。

 今回は、値段が安いから人気なのか部屋はこの一室しか取れなかった。ベッドと小さな棚があるだけの部屋。

 いつもなら二部屋取って、シュティレとクロを別の部屋にしてやるのだが、今回は無理だった。

 床で眠れる二匹はいいとして、シュティレにベッドを使わせて、俺は床に座って毛布に包まっていようか思っていたら、みんなから反発を食らい、挙げ句シュティレも、"ご主人様がベッドを使わないなら、私も使えません"とか言い出したので、仕方なく一緒に寝ることになったのだ。

 

「……参ったな…」

 疲れもあって最初は眠れたものの、今はもう眠れそうにない。

(夜明けまで、どれくらいだろう?)

 シュティレを起こさないように慎重にベッドから出ると、窓辺に向かう。閉めていたカーテンを少しだけ開けると、東の空が若干明るくなって来ていた。あと一時間もすれば日が昇るだろう。


 「良く我慢しましたね」

 ふと低い位置から声がした。目を向けると、黄金の瞳が二つ、こちらを見つめていた。

 部屋が暗い為、体は見えないので、知らない何かと会話しているような妙な感覚を覚える。辛うじて声音でクロだと分かるが、それが無ければ驚いただろう。

「何のことだ?」

「フフフ……てっきりシュティレに手を出してしまうのかと思いましたけど……ご主人様は、とても理性的ですね」

 クロはそう言っては、黄金に輝く瞳を僅かに細めた。

「人を発情期の猿みたいに言うな。自制くらい出来る」

「別に馬鹿にしたわけではありません。人間は状況が揃えばその気になるものですから。……特に、シュティレのご主人様に対する気持ちは、純粋で可愛いですし……むしろ感心したのです。やはりご主人様は、心の強いお方だなと」

「…フン」

 そんなところで持ち上げられても嬉しくはない。しかし、クロにとっては、俺の心の所在は最大の関心事だから、絡んで来ても仕方がないと言えば仕方がないのだ。

 

 クロは、他人の心の内を読む力がある。そんなクロを使役している俺にも、その力の恩恵があるわけだが、同時にクロとの契約の代償は、契約者の心――もとい、それを象徴する心臓を渡すことだ。俺の生死は、クロが握っていると言ってもいい。

 利害が一致しなければ、クロに心臓を喰われて死ぬ。そうでない限りは守ってもらうことも出来る。クロが俺を生かしたいと思えば、俺は不死身だ。体を傷つけられても死なない……それほど強い結びつきがある。

 そして、クロの面白い所は、実際には心臓を握っているだけなのに、心まで欲しがることだ。こと更に契約者が恋人や家族に心を傾けていると嫉妬する。最悪、契約者は殺されてしまう。だからクロを使い魔にした者は必要な時以外はクロを檻の中に閉じ込めた。

 ウェスペル家の十八番は使役魔法だというものの、実際は使い魔一匹もろくに制御出来ていなかったのだ。もしかしたら、クロを下したという初代が優秀だっただけなのかもしれない。

 ただ、祖母の場合は違った。俺のように自由にさせていて、友人のように近しく扱った。だからこそクロは、契約に関係なく祖母を敬愛していたのだと思う。

 

「拗ねないで下さい。私はただ、ご主人様の気持ちが知りたいだけです。ご主人様はいつも私を閉め出すので、ちょっと淋しいんですよ?」

 クロは人の姿になると、俺に腕を絡めてきた。

「クリスティアーネ様は、私に心を隠したりなさらなかった。いつも全てを見せてくれていましたけど……アダム様はちっとも見せて下さらない。別に心を覗いたからって、それで満足して命を取ったりなんてしませんのに…」

「このほうが、おまえは俺に執着するだろ?」

「意地悪ですね……まあ、そんなところも魅力的ですけど。……でも、私から心を隠すのは至難の業ですよ?いい加減、疲れませんか?」

「俺を誰だと思ってる。これくらい、平気だ」

「確かに、ウェスペル家の最高傑作とも謳われた貴方様なら、可能なのかもしれませんけど……それでも心配です。まだヒースの事があるのですから、少しは負担を減らしたほうが良くないですか?」

「問題ない」

「つれないですね…」

 クロはさも俺の為のように言ってくるが、本当のところは自分が主人の手綱を握りたいという支配欲の表れだ。心を許し過ぎれば、あっという間にクロの傀儡に成り下がる。

「シロやシュティレには、もう少し寛容なのに…」

 クロはそう口を尖らせて言う。

 俺と二人きりの時は、クロは途端に絡んでくる。

 それがどういう心理での行動なのかは分からないが、なんだか本当に猫のようだと思う。

「シロとシュティレは、おまえと違って裏表がないからな」

 言外に今の絡み方を咎めるように言うと、その意図を理解したようで、クロは頬を膨らませた。

「あら。私はいつだって従順ですよ?あなたに仕えることを不満に思ったりしていません。ただ、ご主人様が好きなだけです」

 クロは甘えるように、絡めた腕に更に密着して来た。

「ですから……そろそろ、ご主人様のことをもっと教えて下さい」

 クロはそう言って上目遣いで見つめてくる。

 (まったく……どいつもこいつも…)

 シュティレが来てからというもの、クロもシロも欲を出すようになってきた。以前はもう少し静かだったものだが……これも、シュティレを側に置く為にわざと優しくしたのが原因だろうか?

(俺も舐められたものだな)

「クローディア。あまり頭に乗るな。おまえの役割は何だ?」

 感情を抑えた静かな声でクロに問う。

 するとクロは、ビクッと体を震わせて、組んでいた腕そっと外した。

「……私の役割は、ご主人様に他者の心の内を見せることです」

「そうだ。俺の内面を伝えることは契約にない。契約違反だ。……分かるな?」

「!…は、はい」

 "契約違反"という言葉は便利だ。使い魔の二匹にとっては、これ以上の恐怖はない。何せ、契約を破れば、死に直結する。

 それは契約者である俺も例外ではないからこそ、より重い言葉として響く。

 クロの表情はすっかり固くなった。恐怖と、少しの淋しさのようなものが滲んだ表情……こうすることで明確な線引きが出来る……。

 分かっているが、あまりこういう表情は好きではない。だが、そんな気持ちは微塵にも見せてはいけない。それは主従関係に於いては不要の長物だ。

「おまえは優秀な使い魔だから、これからも側にいて欲しい。だから、そんなに焦るな。必要なことはちゃんと共有する。……俺は、おまえを置いていかない。――最後は、ちゃんと一緒に死んでやるから」

「ッ!」

 クロは驚いた様に瞳を大きく見開いた。

 ――そう。クロは元々、お祖母様と一緒に死ぬつもりだった。

 実際、お祖母様の何がクロにそこまで言わせたのかは分からない。けれど、クロは確かに、お祖母様で最後にしようとしていたというのは事実だ。"俺が"その契約を書き換えたせいで、クロを苦しめているのは分かっている。

 だから、せめてもの慰めに、クロに微笑んで見せた。お祖母様と、よく似ているという顔で……。

 正直これだけで、クロを縛る鎖には充分だった。

「――ずるいです。ご主人様…」

 クロは泣き出しそうに顔を歪めては、顔を手で覆った。

「これに懲りたら、あまり反抗的な態度を取るな。心が読めなくても、俺がどういう人間かは、おまえが一番知っているだろう?」

 言いながらクロの頭を撫でると、クロは小さく頷いた。

「……ご主人様は、とても優しい人です」

「違う」

「シロのことも、シュティレのことも、本当はただ助けたかっただけですよね?」

「違う」

「本当に素直じゃない……でも、ご主人様の本心は、二人にもちゃんと分かっていますよ」

「……」

「いつか、ちゃんと私達を信頼して下さい。罪も罰も、一緒に背負いますから……」

 クロは顔を覆っていた手を離し、俺に近づいては、背中に両腕を回してきた。

「そういうのはいい。離せ」

 冷たくあしらうと、クロは短く溜め息をついて離れた。

「姿を変えても、魔物の私では、慰めには足りないですかね」

「慰めなんていらない」

「そうですか……いつまでその痩せ我慢が続くか見物ですね。――シュティレなら、あるいは…」

「いいから、もう放っておいてくれ」

 やけに食い下がるクロに苛立ちつつも、落ち着こうと窓の外に目を向ける。

 先程より白み始めた空は、雲一つなく澄んでいる。

 今日はいい天気になりそうだ。


 「ボクもお話ししたいです〜」

 いつの間に起きたのか、シロまで側に寄ってきた。ぬっと俺の前に立っては、胸に頭を擦り寄せてくる。

「何だ?おまえまで……服に毛がつくから、やめろ」

「え〜」

 不満そうに呟きつつも、シロは離れる。

「ったく……シュティレが起きるだろ。あまり騒ぐな」

「はぁ~い」

 まだ眠気が残っているのか、シロはのんびりとした動作で寝床にしていたラグの上に戻って丸くなった。

「おまえも休め」

「承知致しました」

 クロも猫の姿に戻ると、シロの横に丸くなった。


「すぐに近づくのは危険だが、またあの村を調べてみるとするか…」

 ようやく静かになった部屋で独りごちる。けれど、結局することがないので、再びベッドに戻った。シュティレを起こさないようにそっと布団に潜り込むと、「……ご…しゅじん…さま…」と小さく呟く声がした。一瞬、シュティレを起こしてしまったかと身構えたが、シュティレはさっきと変わらない寝息を立てている。

「なんだ。寝言か……」

 思わず頬が緩んだ。ほとんど反射的にシュティレに手を伸ばし、頬にかかった髪を、そっと払ってやる。

 しかしその瞬間、胸がつかえたような息苦しさに襲われた。それで慌ててシュティレから目を逸らし、背を向けて横になった。

 何度か深い呼吸をするうち、徐々に息苦しさは消えたが、気分は晴れないままだった。

(駄目だ。俺は、何を考えている…)

 今過った感情の正体に辿り着く前に、思考を切り離す。

 ――大丈夫。もう落ち着いた。

 

           ※

 

 「次はどっちに行くんですか?右ですか?左ですか?」

 丸い瞳をキラキラさせて、青年は通りを見渡した。

「右だ」

「は〜い」

 それに短く返答すると、青年――シロは、意気揚々と歩き出した。だいぶ慣れてきたが、シロの人型はやはり少し違和感がある。

「なんか、シロが人型だと変な感じね…」

 クロも同じ感想を洩らした。

「そんなに変?町を歩くのに、元の姿じゃ目立つでしょ?」

 シロは首を傾げる。シロ本人は、とても楽しそうだ。少し前までは、こうして町を歩くのに連れ歩いたりしなかったから、余計なのかもしれない。

「変じゃないよ。シロ。楽しそうでいいね」

 シュティレはシロに笑顔を向ける。それに応えて、「うん!楽しい♪」とシロも笑った。

 

 シュティレとシロは、前にも増して仲良くなったようだ。時々、兄妹のように見える。または、姉弟。

 微笑ましい光景だが、気をつけないと危うい関係でもある。

(シュティレは使い魔との距離感に鈍感だからな…)

 単純にシュティレの存在は珍しいし、魔物や妖精寄りの魔力だから、使い魔達にとっては親しみやすいのだろうが、それ以前にシュティレの持つ魔力は質が高い。魔力が食事のように扱われる魔物からしたら、ご馳走なのだ。ご馳走だからこそ丁重に扱い、魔力を吸い取る隙を伺っているというのが、二匹の本音だろう。

 ただ、二匹は俺という縛りがあるから、シュティレに手は出せない。だから、ただ大事な獲物を他者に奪われないようにする為だったり、シュティレに警戒されないようにする為の行動だけが可能で、そんな状態が、今の家族のような雰囲気を生み出しているだけに過ぎない。

(魔物に、人間に向ける心なんてありはしない。あるのはただの利害関係だ)

 ただ、愛情を知らずに育ったシュティレには、どんな小さな親切でも過大に評価して恩義を感じてしまう節がある。前に俺が二匹の本質を話した時にも、あまり堪えた様子がなかったし、まだ理解出来ないのだろう。

 それに、シュティレは自分の価値を認められていない。自分がない人間など、まさに恰好の餌だ。ならば一層、俺がよく見ておかなくてはならない――

(まあ、俺も同じなんだがな…)

 甘い言葉を囁いて、シュティレを縛っている。やり方が違うだけで、今までシュティレを使っていた人間達と何も変わらない。だからせめて、愛されているという錯覚を抱かせたまま使ってやるしかない。

 

「あの…ご主人様。ところで今、どこに向かっているんですか?」

 ふとシュティレが声を掛けてきた。

「俺の親戚の家だ。母の妹にあたる」

「お母さんの妹さん…」

 不思議そうに首を傾げるシュティレ。それに対して「マリアの所ね」と、クロは納得したように頷いた。


 叔母であるマリア・ライズは、この町の町外れに住んでいる。

 母の一族も魔法使いなのだが、魔法使いとして生計を立てている訳ではなく、家業は仕立て屋だった。

 俺の母国リィン国では魔法使いは表沙汰にされて重宝されたが、この国では魔法使いは数が少ない上に、あまり歓迎されない。よって母の一族は、魔法を伝えることはしておらず、魔法が使える子どもが時たま生まれるので、生まれた場合どうするか?という、能力の制御の仕方のみ共有しているという。

 母も叔母も魔法が使えた人で、転送の魔法が得意だった。簡単に言えばワープがそれに当たる。

 そんな母の一族とは逆で、魔法使いを必要としていたウェスペル家は、少しでも魔力の高い人材を得る為に、魔法使い同士の婚姻を望んでいた。それに母が引っ掛かったわけだ。

 言わば政略結婚だったが、少なくとも俺が見る限りでは、両親の仲は良かった。父は全く魔法が使えない人で、それ故に肩身の狭い思いをしたそうだが、母のおかげで笑顔が増えたと、お祖母様はよく言っていたものだ。

 

 住宅地を抜けて畑の広がる道を行くと、やがてレンガ造の小さな家に辿り着いた。俺の記憶が正しければ、ここに叔母が一人で住んでいた筈だ。

 ドアをノックすると、すぐに「はぁーい!」と若い女の声がして、やがてドアが少しだけ開く。

「どちら様で――あ……」

「久しぶり。姉さん」

 叔母と俺は十歳しか違わない。それで昔から、"お姉ちゃん"と呼ぶのを強制されていた。さすがに二十五になってまでお姉ちゃんは気が引けたので、"姉さん"で勘弁してもらおう。

「あ…あ…アダムぅ〜っ!!」

 長い赤毛を振り乱しながら、叔母は俺に突進して来た。なんとか倒れずに抱き止めると、叔母は俺にしがみついて、声を上げて泣き始めた。

 仕方なく、背中を擦ってやりながら落ち着くのを待った。

「…ぅう……なんで、ひっく……連絡、寄越さないのよぉ!…心…ひっく…配、したんだからぁ!」

「ごめん」

「"ごめん"で済んだら、憲兵なんて要らないわよ!」

 怒りながらもだいぶ落ち着いた叔母は、ようやく泣き腫らした顔を上げる。

 その淡い金茶の瞳を見て、一瞬亡き母を思い出した。

「……取り乱してごめん。お連れさんも居るのに…」

 言いながら叔母は俺から離れ、改めて来客を見回した。

「あなたは確か……クローディア?」

「はい。お久しぶりです。マリアさん」

 クロはワンピースの裾を軽く持ち上げて優雅に礼をして見せた。

「良かった。クリスティアーネさんも亡くなったと聞いたけれど、クローディアはアダムに付いてくれたのね」

「はい」

「えーっと……そっちの二人は初対面ね?」

 シロとシュティレを見て、叔母は首を捻る。

「ボクはシロって言います!クロと一緒で、ご主人様の使い魔です」

 シロはニコニコと愛想良く笑った。 

「私は――」

「こいつはシュティレ。俺のフィアンセだ」

 シュティレが名乗るのを遮る。

 突飛な発言だが、叔母の目を誤魔化す為には、このほうが都合が良い……皆の反応は予想通りに驚きで固まっていたが、シロとクロは使い魔らしく口を挟まず黙った。問題はシュティレだけだ。

「え……フィアンセ?アダムの?」

 叔母がまじまじとシュティレを見つめると、シュティレは困った様に視線を泳がせた。

「ああ。ただ、すごくシャイな子だから、細かい事情は、あまり聞かないでやってくれると助かる」

「そう……分かった。取り敢えず、中に入って」

 叔母はそうしてドアを開け、家の中に招き入れてくれる。

 家の中に入りながら、「悪い。合わせてくれ」とこっそりシュティレに耳打ちすると、シュティレはコクンと頷いた。本当に従順なやつだな。


 ――さて、次の拠点を決めるまで、なんとか叔母の家でやり過ごさなければならない。しばらくは気が抜けないな……やはり、家を捨てなければならないような動きはするべきじゃなかったか……。

お読み頂き、ありがとうございました。

アダムについて少し分かって来たような来ないような……。語りをアダムにしている筈なのに、相変わらず掴みにくいのはなんなんでしょうか……。

こんなことを言われても読者の皆さんは困るばかりでしょうが、作者のぼやきだと思って流して下さると助かります。

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