17.選んだ答え
シロはあっという間に町を過ぎ、山を一つ越えた。途中人の多いところもあったが、誰もシロを気に留めない。というか、シロが速すぎて見えなくて、風が通ったくらいに思われているのかもしれない。実際、景色が全て横線の模様に見えるくらいに速く過ぎ去っていた。風圧で目を開けていられない。それで目を閉じて、轟々と鳴る風の音だけを聞いていた。
やがて、シロが止まった気配がしたのでゆっくりと目を開けてみると、そこは山の中の古い小屋の前だった。廃屋だろうか?人の気配はしない。
「シロ?」
屋敷に戻るわけじゃないのかと思って声を掛けると、シロは私に降りるよう促した。
「ごめんシュティレ。これ以上進むと夜になっちゃうから、今日はここで一泊しよう。ボクだけなら夜通し走ることも出来るけど、夜は寒いから、シュティレにはきついと思うんだ。……急いで来ちゃったこともあって、お金も持ってないから、休むにしてもこんなボロ小屋なんだけど…」
「そうなんだね。大丈夫だよ」
「ありがとう。ごめんね…」
シロは申し訳なさそうに耳と尻尾を垂れる。その様子を見ていると、とても切なくなって、私は自然とシロの両前足を握った。
「謝らないで。私を迎えに来てくれただけでも、充分嬉しいから」
そう言って笑って見せると、「ありがとう」と言いながら、シロの表情が少し明るくなった。
その後私が小屋の側で薪代わりの枝を集め、シロは狩りに出て、鹿を捕まえて来た。
「火打石なんて持ってないけど、どうやって火をつけよう?」
私が首を傾げると、シロは余裕の笑みを浮かべた。
「ボクに任せて!」
シロは集めた枝の上に一本枝を立たせた。どういうわけか、立たせた枝から前足を離しても、枝は立ったままだ。その枝に向かって、シロがふぅっと息を吹きかけると、枝がその場で高速で回転を始め、やがて積み上げた枝と接触している所から煙が上がり、火がついた。
「すごい!」
素直に感心していると、シロはえへへと照れ臭そうに笑った。
こうして焚き火が出来上がり、シロは取ってきた鹿を捌いて、串焼きにしてくれる。
「塩でもあれば良かったんだけど、今はこれで我慢してね」また申し訳なさそうにするシロに、「大丈夫。おいしいよ。ありがとう」と笑顔で返すと、シロは目を僅かに大きくして一瞬固まった。
それを不思議に思っていると、いきなりシロに抱きしめられた。シロは私の首に顔を擦り寄せる。
「し、シロ?…くすぐったいよ」
「ああ、ごめん。シュティレがあんまりにもかわいくて、つい…」
かわいいと言うなら、シロのほうがよっぽどかわいいと思うけど……。
シロは私から離れると、「そうだ!シュティレには状況を話してなかったね」と言っては前足を打ち合わせた。
「実はね……」
シロが言うには、私がジャスパーさんと屋敷を離れた後、憲兵が屋敷を訪ねて来て、またダッツ男爵について知っていることはないかと訊いてきたそうだ。当然、面識はないと答えたが、それでも憲兵は鵜呑みにはしなかった。かなりしつこく、ダッツ男爵が行方を眩ませた時間帯のアリバイを訊かれたらしい。
「なんでも、屋敷の方向に向かう男爵を見た人がいたらしいんだ」
「じゃあ、言い逃れは難しそうだね…」
「まあね。でもご主人様は、"死体は見つかってないわけだから、単純に身を隠しているだけじゃないのか"って言って憲兵を追い返していたけれど…」
それでもしつこいので、今は屋敷から離れて、クロと一緒にあちこち行っているらしい。
「もしかしたら、さっきのジャスパーさんやミアさんの言ってたことも、含まれてるかもね。シュティレが攫われた時、犯人はシュティレがダッツ男爵の所に居るのを知っていたんでしょ?」
「うん…」
「なら、シュティレを欲しがっているから、ご主人様にしつこく訊くのかも…」
その人は、憲兵も自由に動かせる人ということなのだろうか?
その可能性が、とても恐ろしいことに感じた。
「そう。――あの、シロ」
「ん?」
「ご主人様、私のこと、怒ってない?」
つい心配になって訊くと、シロはふるふると首を横に振った。
「ううん。怒ってないよ。"あいつも自分の意思をはっきり言うようになったな"って、なんかちょっと嬉しそうだった」
「嬉しそう?」
「うん♪ご主人様、なんだかんだ言ってシュティレのこと大事にしてるんだと思うよ。……まあ、さすがにシュティレに人殺しをさせるフリをしたのはどうかと思うって、ボクもクロも言ったけど」
「え?人殺しをさせるフリ?」
やっぱり、ミアさんの予想が当たっていたということなんだろうか?
シロは一瞬しまった!と言うように慌てて口を塞いでいたが、やがて観念したように息を大きく吐いた。
「……うん。ご主人様には言うなって言われてたんだけど、シュティレを操って、ミアって人の首を締めさせたのは、ジャスパーさんへの脅しだったから、殺すつもりは無かったんだって。程々のところで止めるつもりだったけど、シュティレが支配を自力で解いたから、会話出来なくなっちゃったんだけど」
「そうだったんだ…」
それを聞いて安心した。やっぱりご主人様は、簡単な理由で人を殺すような人じゃなかったんだ。
「シュティレはショックだったと思うから、すぐに迎えに行ってあげたらどうかって提案したんだけど、ご主人様は王都には近づきたくないって言うし、支配を解いたんだから自由になりたいだろうって拗ねちゃってるの」
「拗ねてる…」
シロが言うと、なんだかご主人様が小さい子どもみたいに聞こえる。
「それに今は、あちこち行ってるから、体が弱いシュティレを連れ回したくなくて、しばらくジャスパーさんちに預けようとしたのかもしれないなって、ボクは勝手思ってるんだけど、そうならそうで、シュティレの誤解は解いてあげないと可哀想だなって思ったんだ」
「そっか…」
シロが言うんだから、きっとそうなのだろうと思う。
「だから、速く走れるボクが来た訳なんだけどね。――だからさ、シュティレ…」
そこでシロは再び私に抱きついてきた。
「少しでいいから、ボクに魔力、ちょうだい?」
シロは私の耳元で甘えるような声を出す。
「…え?」
「だって、シュティレの魔力、おいしいんだもん。ボク、ちゃんとシュティレを迎えに来て偉かったでしょ?だから、ご褒美ちょうだい?……ああ、魔力がダメなら、血でもいいよ?女の子の血は、おいしいから…」
言いながらシロは、私の首筋をペロリと舐めた。
「ッ!!…し、シロ…」
どんなに友好的でかわいらしく見えても、シロはやはり魔物なんだと実感した。価値観が人間とは違うんだ。
(どうしよう……魔力をあげるにしてもどれくらいなら良いんだろう?)
魔力をあげたら毒になる魔法はまだ有効なんだろうか?有効なら、ご主人様の許可なくあげられないし、血にしたって、どれくらいあげたらいいのか――あげすぎると死んでしまう……でもさすがに私が動けなくなるまでは取ったりしない……よね?
「……ダメ?」
私が黙っていると、シロは不安そうに訊いてきた。もしかしたら、私がお預けだと言ったら、待ってくれるのだろうか?
「ごめんね。シロ……私、ご主人様以外に魔力を渡したら毒になる魔法を掛けられてるし、それに魔力でも血でも、どれくらいの量をあげたらいいか分からないの。だから……ご主人様に訊いてからでもいい?」
恐る恐る言ってみると、シロは私から離れた。
「そうだよね。分かった。……ごめんね。無理言って…」
そう言ってシロは、耳と尻尾を垂れる。なんだか、しょんぼりしているように見えた。
「私こそ、ごめんね……」
せっかく私の為に、ご主人様の命令でなくても来てくれたのに、何のお返しも出来ないのが歯痒くて、謝らずにはいられなかった。それでもシロは、「大丈夫だから、そんなに泣きそうな顔をしないで。シュティレが泣くと、ボクも悲しい」そう言って、頭を撫でてくれた。
(不思議だな…)
こんなに思いやりがあるのに、みんなに恐れられた魔物だったなんて、想像が出来ない。ご主人様の使い魔になったからこうなのか、元からこうだったのかは分からないけれど。
※
その夜は小屋の中でシロに包まって眠り、翌日の早朝には出発した。
なんでも、明け方にクロからシロへ念話が繋がって、どうやら状況が良くないという話を聞いたからだ。ご主人様は復讐すべき最後の相手を襲うタイミングを計っていたそうなのだが、その相手がご主人様の狙いに気づいて、私を貴族から攫った誘拐犯として触れ回ったそうで、各地の憲兵が、ご主人様を逮捕、私を保護する流れで動いているという話だった。
「憲兵なんかに保護されたら、シュティレはまた貴族の道具になっちゃうからね。捕まらないようにしないと!」
シロはそう言って気合いを入れて走る。
「……ありがとう」
私はシロにお礼を言いながら、シロにしがみつく手の震えが止まらなかった。ご主人様は私を誘拐したわけじゃない……だけど、その証人はいない。仮にダッツ男爵が生きていたとしても、あの人は私を取り返そうとしていたし、きっとまともな証言はしてくれなかっただろう。
(なんでいつも、ご主人様が悪いということになってしまうんだろう?)
けして悪い事はしていないとは言わないけれど、ご主人様に色々と重ねすぎではないかと思う。
「!…この先に、ご主人様の魔力を感じる!」
シロは唐突に言うと、ジグザグに走り出す。いくつも路地を抜けているようだ。
やがて、ピタリと止まったので目を開けると、前方は様々な道の合流地点になっている少し開けた場所だった。器用に人の間を抜けながら、そんな道のうちの一つ、行き止まりになっている道の方へ、シロは慎重に向かう。相変わらず風のような素早さで、周りの人は旋風が通ったくらいにしか思っていない。私の姿さえ、見えていないようだった。
そんな道の奥、人気のない暗がりに、憲兵の制服を来た人達が数人いて誰かを取り囲んでいる。
私とシロは、そんな憲兵達の一メートル程後方にいた。気づかれないように、私とシロは自然と息を詰める。
興奮しているのか、シロの毛が少し逆立っている。呼吸も浅くて速い。耳をピンと立て、じっと道の奥を見ていた。
「もしかして……あの中心にご主人様が?」
「――うん」
私の問いに、シロは低い声で答える。
「何、してるんだろう?」
「わからない。けど、良くない感じがする…」
シロと様子を見ていると、やがて憲兵の声が聞こえてきた。
「アダム・ウェスペル!魔法省に登録無くして、魔法使いとして活動していたこと、貴族の殺害及び少女の誘拐・監禁の罪で逮捕する!大人しくついてきてもらおう」
"大人しくついてきてもらおう"と言いながら、憲兵の様子は妙だった。脅しているだけかもしれないが、皆剣をご主人様に突きつけている。今にもその剣をご主人様に突き刺しそうな勢いだ。更にその周りに、開いた本に手を翳しながら、ご主人様の様子を警戒している人が三人ほど。憲兵の制服ではなく、青いローブを羽織っていた。魔法使い……だろうか?
それにしても――
「…ご主人様…」
シロが泣きそうな声で呟く。
私たちが来る前に戦ったのかも知れない……ご主人様は地面に座り込んでいて、あちこち傷だらけだった。
「…魔術師だ…」
シロが呟く。
(魔術師?)
魔術師と魔法使いの違いが私には分からなかったけれど、今の状態が普通じゃないのは、なんとなく分かってきた。
「魔術師は……魔法使いとちょっと違って、道具や魔術式を使って魔法を使う人達のことだよ。魔術は条件が揃えば、少しの魔力で使えるんだ……でも、魔法使いより弱いはずなのに……クソっ!ボクが傍にいたら、こんなことにはならないのに…!」
私が疑問に思っているのを察してか、シロが震える声で説明してくれる。
シロの様子から、ご主人様が追い詰められているのは可怪しいみたいだけど、一対一なら負けなくても、複数人が相手なら、苦戦するかもしれない。
「……"ついて来い"か……その割には随分な警戒具合だな。まさか、この場で殺すつもりじゃないだろうな?」
(ご主人様…)
苦笑交じりのご主人様の声がする。
「おまえは幅広く魔法が扱えると聞いている。万が一を考えての配備だ」
「そうか。こんな袋小路に追い込んで、挙げ句人の使い魔を捕まえたりして、憲兵も随分と乱暴な手段を使うんだな。これじゃあ、どちらが悪党か分からない」
(え?)
使い魔……シロはここにいる。と、いうことは……
「クロ!」
シロが体を強張らせる。シロの見ている方向に目を向けると、ご主人様を取り囲む憲兵の外側にいた魔術師の一人が、手に鳥籠のような物を持っているのが見えた。中に黒い物体が見える。私の目では遠くて分からないが、あれがクロだろうか?
「おまえが出頭令に応じないからだろうが!」
やや苛ついた様子で憲兵が言う。それでもご主人様はいつものように冷静だった。
「証拠も無いくせに、殺人だの誘拐だのと抜かすからだ。俺は証拠を持ってくれば応じると言ったんだが」
「証拠は現在探している最中だ。まずは拘束して取り調べを行う」
「――で、取り調べ中に病死するっと…」
「……」
憲兵は答えなかったが、少し目線を泳がせた。それが暗黙にご主人様の言葉を肯定しているように思えてならない。
「そんな…」
ろくに調べもしないで捕まえて、挙げ句病死に見せかけて殺すなんて、そんなことをしていい法律があるんだろうか?
「――助けなきゃ…」
シロが低い声で呟く。今にも飛び出してしまいそうだ。
「ま、待って!シロ。今行ったら、斬られちゃうよ!」
「大丈夫。ボクなら負けない。あっという間に全員殺せる。ボクはその為の道具だ」
その温度を感じない声音が恐ろしくなる。それでも私は、シロの毛を掴む手に力を込めた。
「殺しちゃダメだよ。ご主人様がもっと悪人になっちゃう……逃げるだけなら、すぐに動けないくらいの怪我でいいんじゃない?」
「周りの魔術師から、嫌な感じがする……たぶん、魔法を封じてるんだ。だからご主人様も手出し出来てない。怪我する程度じゃ魔術は解除されないよ」
「じゃあ、あの本。あれを斬れば?」
「それもいいけど……」
どこか迷うようにするシロ。シロが何を迷っているのか考えてみて、思いついた。きっと……私だ。私が足を引っ張っている。殺さないというなら、反撃される可能性がある。シロだけなら、もっと上手く立ち回れるに違い。
「――私、邪魔だよね…」
私が呟くと、シロは目を丸くして私を見た。自分でも気がつかないうちに、すごく不満そうな響きになってしまった。それで慌てて、ごめんと謝る。
「その……シロがご主人様を助けている間、私は隠れてるから、どこかで合流すれば良いんじゃないかって思って……」
「なるほど……シュティレ。気を遣ってるんだ」
「だって、私、何も出来ないし……」
「そんなことないよ。でも、今は確かに危ないから、隠れてちょっと待ってて」
「分かった」
頷いてシロから降りたが、そのとき動きがあった。
「分かった。行けばいいんだろ?」
溜め息交じりにご主人様が言って、ゆっくりと立ち上がる。体の傷が痛むのか、少しよろめいている。
憲兵は剣を仕舞っていたが、よく見るとご主人様の後にいた一人の憲兵が、剣を仕舞うと見せ掛けて鞘に仕舞っていなかった。それを不思議に見ていると、やがて憲兵は、その剣をそっと構えた。
(危ないっ!)
そう思った刹那、シロが駆けた。
ワープしたのではないかと思うほどに、あっという間にご主人様の背後の憲兵を斬りつける。
憲兵は胸から血を流して倒れ込んでから、初めて事態に気がついたように悲鳴を上げた。見掛けほど怪我は深くないようで、胸を抑えて座り込んでいるが、意識を失う様子はない。
殺さないでほしいという私の願いを、シロは聞いてくれたみたいだった。
――しかし、シロのその判断は良くなかった。
他の憲兵や魔術師がシロを追い払おうと武器を向ける中、シロはその素早い動きで全ての攻撃を掻い潜っていたが、多勢に無勢。戦いに慣れている憲兵達は、あっという間にシロの速度に慣れ、斬撃を加えられるようになってきた。
掠り傷だったが、シロの真っ白な毛に、所々赤い色が混じり、ギャン!とシロの短い悲鳴が響く。
(シロ!)
ご主人様も混乱に乗じて動こうとするが、憲兵に剣を向けられ、動きを封じられてしまった。
そうしている間にシロは、魔術師の放った魔術によってか、不自然に動きをピタリと止めた。駆け出そうと姿勢を低くして足を伸ばしている状態から動けない。それでも唸り声を上げて、必死に抗っていた。藻掻けば藻掻くほどに、傷からの出血が増え、シロの体を赤く染め上げていく。
「……もういい。シロ。抗うな」
ご主人様の声を受けて、シロはピクッと反応した後、抵抗しなくなった。その代わり、すごく悲しそうな目でご主人様を見つめる。
「やはりおまえの使い魔か!今のうちにトドメを刺せ!」
「はっ!」
憲兵の一人が指示を飛ばすと、即座にシロの側にいた憲兵が反応し、動けないシロに向かって刃を振り降ろした。
「やめてぇえぇ―――っ!!」
私は咄嗟に叫んだ。恐らく、これまでの人生で一度も出したことはないだろう程に大きく、喉が裂けるかと思うほどに声を張った。それで周りは驚いたのか、憲兵達は動きを止める。
――いや、違う……。
よく見たら、動きを止めているというより、固まっているに近かった。
「……なんで?」
憲兵はおろか、魔術師達も、まるで彫刻のように固まっている。皆、時が止まったかのように、動いている途中の仕草で固まっていた。
「もし…かして……」
以前誘拐された時に掛けられた魔法と同じだ。一瞬ご主人様が掛けたのかと思ったが、ご主人様だって固まっている。この場で動いているのは……私だけ――。
何がなんだか分からなかったけど、今のうちに、なんとか出来るかもしれない。
私はまず、シロに剣を振り降ろす憲兵の体に、体当たりをしてみた。すると、憲兵は剣を振り降ろす姿勢のまま横倒しになる。横倒しになったからといって、再び動き出したりはしない。
「だったら!」
それから、ご主人様に剣を突きつけている憲兵も同じく倒し、魔術師が持っていた鳥籠を奪い取る。鳥籠の中には、黒猫が入っていた。
「クロだ……」
眠っているように体を丸めた状態のクロ。こちらもやはり動かない。
「――なんだ。俺から逃れて、自由になったんじゃなかったのか?」
「っ!?」
急にご主人様の声が聞こえて、驚いて振り返ると、ご主人様は困った様に眉を下げていた。
「ご主人様……」
近くで姿を見て声を聞いたら、もう、限界だった。私は反射的にご主人様に抱きつく。その時、ご主人様が小さく呻いた。
「ごめんなさい!…お怪我を…」
「掠り傷程度だ。心配ない……それより、こんな所に居ていいのか?」
「私は……反抗するようなことを言ってしまいましたけど、ご主人様から離れたいとは、思ったことがありません」
「随分と都合がいいな。俺の命令が聞けないくせに、一緒には居たいのか」
冷たい声に竦み上がる心地がしたけれど、ご主人様の手がそっと私の背中に添えられるのを感じて、少しほっとする。言葉程には、怒っていないみたいだ。
「ごめんなさい。でも、今回で思い知りました。もう二度と、ご主人様から離れませんし、命令にも逆らいません。だから……これからも側に置いてください」
決意を込めてご主人様を見上げると、ご主人様もじっと私の目を見つめた。その表情からは、何も分からない。
「おまえはもう、誰かに使われて終わる程弱くはない。自分の意思で道を切り拓ける。俺の支配を解き、今こうして、魔法を使えているように」
「え?魔法?…私が?」
「ああ。今皆の時間を止めているのはおまえだ。シュティレ。俺はなんとか解けたが、並の魔法使いではまず解けない。しかも無自覚でこれだけ長い時間時を止められるとは、流石はウィス・フォンスだな」
確かに、全ての人が止まっている中、魔法を使える可能性があったのは私だけだ。けれど、あまりのことに気持ちが追いつかない――。
私が固まっていると、ご主人様は一瞬可笑しそうに笑ったが、すぐに厳しい顔に戻った。
「おまけに、シロに変な入れ知恵をしただろ?シロが峰打ちだなんて珍しい……シロは基本、俺以外の言うことは聞かないんだ。けれど、おまえの言うことは聞いた……そこまでの力を持ってしてもまだ、俺の物でいる気があるのか?」
「――はい」
力があろうとなかろうと関係ない。私の望みはただ一つ。これまで通り、ご主人様やシロとクロと一緒に暮らしたい……一緒にごはんを食べたり、出掛けたり……そんな、普通の暮らしをしたいんだ。
その為なら、ご主人様の道具で構わない。
「……ふむ。なるほど……俺は良い人間じゃないというのは、ミアから教わってなかったか?」
「言われました。その……使役の魔法が得意だから、騙されてるんじゃないかって……私も、人殺しは嫌です。嫌ですけど……ご主人様には、そうする理由があるんですよね?だったら、協力します」
「なぜ?」
「……ご主人様のことが………好き……だからです」
もっと上手い言い方はないかと考えたけれど、結局こういう言葉しか浮かばなかった。使役の魔法を掛けられていたからかもしれないけれど、好きだと言いたくなるほど、ご主人様の事を考えているのは事実だ。きっと今の私の気持ちを表す言葉は、これじゃないかと思う。
「ふぅ〜ん?……なら、これ以降取り消しは無しだ。今後、俺から離れようとしたら死ぬと思え」
「はい」
「即答か……おまえは変わってるな」
ご主人様は軽く笑う。
「なら、すべきことは分かるな?」
「はい」
私は少し伸び上がると、ご主人様と唇を重ねて、魔力を流し込んだ。
自分からこういうことをするのは恥ずかしかったけど、このほうが速く多くの魔力を渡せるのだし、緊急時だからと割り切った。それに今は、ご主人様とこうしていると、とても安心する……。
(好きだと思っているからかな?)
今はよく分からないけれど、もっと一緒にいれば、分かるようになるだろうか?
ご主人様の元の魔力量を思い出しながら魔力を渡す。これで満タンだと思ったところで、体を離した。
「おまえ、いつの間にか必要な量が分かるようになったのか?」
「そう……みたいですね」
「成長したな。流石は俺の道具だ」
「ありがとうございます」
礼を言うと、ご主人様は微笑んだ。そうして、「シュティレ」と優しく私の名を呼んでは、私の頭を撫でる。やがてその手がゆっくりと私の頬に触れた。
そうする意図が分からなくてただご主人様を見つめていると、ご主人様の笑みは一層深くなる。
「俺も、おまえが好きだ。……戻って来てくれて、ありがとう」
「!!」
ご主人様の言葉に、一瞬心臓が止まったかと思うほどの衝撃を受けた。『好き』……ご主人様は、そう言ったのだろうか。
「……ご主人様!」
呟いては、衝動的にまたご主人様に抱きついてしまった。涙が頬を伝う。
ご主人様が、そういう言葉を使うのを初めて聞いた。なんとなく、『好き』とか『愛』とかいう言葉は、使わない人だと思っていた。クロやシロに言われても、うざったそうにしていたし……。
だったらきっと、私が傷付かないように、喜ぶことを言っただけかもしれない……それでも、泣くほど嬉しかった。
(でも、もしかしたら……)
魔力を渡す事と関係無しにキスをしてくれたことがあったから、ちょっとは、気持ちがあるのかも……。
――胸が、苦しい……嬉しいのに苦しくて、頭がおかしくなりそうだ。
ご主人様はそんな私の背を、優しく撫でてくれる。
(ああ……もう、このまま死んでしまってもいいかもしれない…)
本気でそう思うくらい、私は幸せだった。
※
「これは…!」
アダムが見つかったらしいという情報を受けて、ジャスパーは、首都から五キロほど離れた町にやって来た。
教えて貰った情報を頼りに路地を抜ける。魔力の気配を感じて路地裏に向かえば、その場の様子は異常だった。何かと交戦中の憲兵や魔術師……けれど、それら全ての人の動きが止まっていた。
「時間停止の魔法か」
そんな高度な魔法を操れるとしたら――そう思ってジャスパーが奥に目を向けると、
「いた!」
アダムと……アダムに抱きつくシュティレの姿があった。
この状況下で、あの二人だけが止まっていない。
(まさか、こんなに早く合流してたなんて…)
シロと一緒にアダムの元に行くと出て行ったので、可能性としては考えていたが、こんなに早くに追いつくとは思っていなかった。出来れば、こうなる前にアダムを捕まえたかった。
(シュティレちゃんはアダムに傾倒していたから、誰に何を言われても、アダムの味方をするよね…)
シュティレがいれば、魔法は使い放題だ。魔術師ごときじゃ、魔法の天才とウィス・フォンスのタッグは止められない。
自分が間に合ったことでどうにか出来ないだろうかと、ジャスパーは必死に頭を回す。
しかしその一方で、捕まれば確実に死刑が決まっている親友を、正義の遂行の為とはいえ、捕らえることにも抵抗があった。今捕まえたら、シュティレまで罪に問われかねない。素性や能力なども、徹底的に調べられるだろう。それでウィス・フォンスと分かれば、そのあとどうなるだろうか?いつかアダムが言ったように、研究材料として国で保護され、使い潰されてしまうか、それとも、どこかの権力者に掠め取られて、今までの彼女のように幽閉されながら道具として使われるか……良くない未来ばかりが頭をよぎる。
それらを回避出来る力が、ジャスパーにはない。
魔法省に勤めている以上、国や権力者と近すぎる。かといって魔法省を辞めても、残っている経歴から足がついてしまう。シュティレを守るためには、身分を捨て、異国に逃亡するしかないのだが、そんな度胸が無いことは、本人がよく分かっていた。
(偽善者って、僕みたいな奴を言うんだろうな…)
口では散々、シュティレが可哀想だとか、アダムのしていることは悪だと言いながら、明確な救いの道を用意しなかった。
(アダムにはきっと、分かっていたんだろうな…)
だからこそ、学校で起きた事件の内容を話しもせず、一人で復讐を決めて学校を去った……していることの善悪を抜きにすれば、アダムのほうがよっぽど上手く生きている。復讐も順調に果たし、ただ道具としているだけとはいえ、扱い方で言えば、一番シュティレを救っている……。
どこか幸せそうにアダムに寄り添うシュティレを見て、ジャスパーは気分が沈んだ。自分がしていることの、善悪の判断基準が揺らぐ。
「アダムっ!」
声を掛けたところで、どうしようという計画も何も持っていなかったが、声を掛けずにはいられなかった。ただ、会話をしたかったのかもしれない。恐らくは、これがアダムを見る最後のような気がしていたのかも――
アダムは、ゆっくりとジャスパーに顔を向けた。
「っ!」
アダムは――笑っていた。けれどそれは、温かみを感じない、冷ややかな笑みだった。
まるでチェスの終盤、自分の勝ちが確定し、全て思惑通りに進んでいると言わんばかりの、他者を見下し、余裕すら感じる笑みだ。
「ま、まさか……おまえ……!」
恐らくはジャスパーだからこそ気づいたのかもしれないが、その笑みが全ての答えであるかのように感じた。
ジャスパーと再会したのも、シュティレをジャスパーに預けたのも、シュティレが自力で支配を解くことも、憲兵に見つかり、ピンチの場面にシュティレが助けに来ることも……その全てが、アダムが意図した通りに進んでいるとしたら――
全てが、シュティレを手に入れる為の布石だったのだとしたら?
自力で支配を解ける程、魔法を扱えるようになったシュティレはもはや敵無しだ。アダムをも凌駕している。
アダムは、わざとシュティレに葛藤を与えて成長させ、精神的な繋がりでもって自分についてくる道を選ばせた。そうして、最強の敵になりえた存在を、最高の相棒に変えたのだ。素直なシュティレのことだ。さぞ容易かったろう。
「シュティレちゃん!駄目だ!アダムは君を騙しているんだ!」
無駄かもしれないが、ジャスパーは叫ばずにはいられなかった。
甘い罠……そんな言葉が頭を掠める。
優しくしているようでいて、相手の選択肢を奪い、視野を狭める……仕掛けられたほうは自分で思考しているようでいて、実際は全て仕掛けた側に計算された結果をなぞっているにすぎなくなる。
(シュティレちゃん……君はもっと自由に生きなきゃ…)
そうだ。海外にでも亡命させればいい。魔法使いが軍事転用されていない国に。一緒には無理でも、シュティレだけなら……。
今、シュティレがアダムを拒絶してくれるなら、何とか出来るかもしれない。
「ごめんなさい。ジャスパーさん…」
しかし、シュティレはアダムにしがみついたまま、悲しげに首を横に振った。
(ああ…シュティレちゃん……君にも、今のアダムの笑顔を見て欲しい。あんな冷ややかな表情が出来る人に、自分の人生を預けていいのかい?
世界は広いんだ。その広さを見る前に、心を閉ざさないで……)
「道具なんて生き方、間違ってるよっ!」
(もっと時間があったなら、シュティレちゃんを説得するだけの材料を集められたのかもしれないのに……)
結局今のジャスパーは、子どもが駄々を捏ねるかの如く、声を張ることしか出来なかった。
それでシュティレの気を引ける訳もなく、シュティレは対話を拒むように視線を逸らした。
「もういいかな?…じゃあな。ジャスパー」
「ま、待てっ!アダム!」
ジャスパーは慌てて手を伸ばすが、その瞬間、アダムは姿を消した。シュティレや使い魔の二匹も同時に消える。
それと同時に、止まっていた時が動き出し、辺りは一気に騒がしくなった。
「僕は、なんて……」
混乱する路地裏に立ち尽くし、ジャスパーは一人、天を仰ぐ。
今の状況では、アダムはシュティレを人質として扱ったのだと、ジャスパーは思う。ジャスパーが手を出せないことも、アダムにはきっと分かっていた。
確かにジャスパーは、シュティレが傍にさえ居なければ、アダムを捕まえることを迷いはしなかったのだ。
「アダム……」
自分は一体、アダムの何を見ていたのか……。
親友と思っていたのは自分だけだったのだろうか?
(……でも、それなら……)
アダムは何故ジャスパーに姿を見せ、戦略的とはいえ、一時シュティレを預けたりしたのか……。
「アダムなりの、SOS……だったのかな…」
復讐をすることでしか、まともでいる方法が思いつかなかったのかもしれない。本心では、アダムはずっと誰かに救いを求めて泣いていたのかも……。
「僕は、大バカ野郎だ」
ジャスパーの前から消えたということは、アダムはもう、迷いを捨てたということなのだろう。きっともう、止まらない……。
自己嫌悪に陥りながら、ジャスパーは何処かに消えた親友を想った。
お読み頂き、ありがとうございました。
立ち場や視点が変われば、物事の正義も悪も反転する……この物語に出会った時、最初に見えた情景がこのエピソードでした。
ここまでは、『シュティレが自分の居場所を手に入れる』までの物語でした。シュティレ目線が大半だった故に見えていない部分が多かったですが、次回からは、『第二部』として更に深掘りしていきたいと思います。




