16.正義か悪か
その後、ジャスパーさんと一緒に家に戻って来た。
話とはなんなのかと身構える私とミアさんに、ジャスパーさんは何だか言いにくそうに「アダムのやつ、どっかに逃げた」と呟いた。
「「えっ?」」
私もミアさんも驚いて、つい同じ反応をしてしまう。
「家に行ってみたら、もぬけの殻だった。町の人に訊いても、知らないって言われるばっかりで…」
どこへ行ったんだろう?捕まらないように隠れているんだろうか……でも、そうだとしたら、どうやって見つけよう?チョーカーの効力はきっとなくなっている。呼びかけても反応はないだろう。
(もう…帰れないんだ……)
また涙が込み上げそうになって、私は慌てて頭を振って、なんとか気持ちを切り替えようとしたけれど、やっぱり落ち着きそうになかった。
「すみません。ちょっと…」
涙を見られたくなくて、私は早口に言っては、借りている部屋に駆け込んだ。
ちょっと不自然だと自分でも思ったけど、ジャスパーさんとミアさんの反応を気にしている余裕がなかった。二人が私を見ているのは分かったけれど、気を遣ってくれたのか、追っては来なかった。
「ッ!」
ベッドに飛び込んで、クッションに顔を押しつけ、声を殺す。涙が止め処なく溢れてきてクッションを濡らす。無理に声を抑えているせいか、喉が痛いし、泣き止みたいのに、自分の意思ではどうにもならなかった。
(親に置いていかれた子どもって、こんな気持ちなのかな…)
泣きながら、どこか冷静に自分の感情を分析する。悲しいとか辛いとかで泣く涙は、とっくの昔に涸れたものと思っていたのに……それだけ、ご主人様に置いていかれたのがショックだったのだろうか?
(私は、本当に知らないことばっかりだな…)
世の中のことも、自分のことも――。何もかも分からなくて、悲しさを通り越して怒りすら覚えた。
(ご主人様…)
利用されてるのか、そうじゃないのか、正義か悪か……なんて、どうでもいい。私はただ、知りたい。ご主人様が何を考え、どんな気持ちでいるのか。私は本当にもう、ご主人様にとって必要ない存在に成り下がってしまったのか……。
(どんな理由でもいい……本音を聞かせてほしい)
ちゃんと説明してくれるなら、それがどんな厳しい内容でも受け入れる。
要らないと言うなら、もう邪魔はしないで、消える。一緒にいてもいいなら、もう逆らわない。要らないと言われるまで、ご主人様の道具で居続ける。ご主人様がどうだからではなく、これは私の意思だ。
そう気持ちがまとまってくると、だんだんと涙が引いてきた。目元を手の甲で拭うと、少しヒリヒリした。きっと少し腫れているんだろう。
「すっかり泣き虫になっちゃったな…」
恥ずかしい反面、今まで殺していた感情が当たり前に出てくるようになったんだと嬉しくもなった。ご主人様の本心がどうであれ、私がこうなれたのは、他ならないご主人様のおかげだ。
だから、この気持ちだけでもちゃんと伝えたい。私は、ご主人様のおかげで救われたんだと、真っ直ぐに……。ご主人様がどうでも、正義でも悪でも関係ない。これは、私の気持ちだ。そこに良いも悪いもきっとない。
「……ワープって、どう使うんだろう?」
私の魔力があれば、使えない魔法は無いんだろうけど、使い方が分からない。ジャスパーさんやミアさんは、教えてくれないだろうか。
「でも二人は、私がご主人様に会おうとするのはいい顔しないよね…」
こっそり夜にでも家を出ようか。どちらに行けばいいかは、何となく覚えている。お金を持っていないから何日もかかるだろうし、ご主人様の屋敷に戻っても誰もいないかもしれないけど、屋敷に魔導書の類が残っていれば、それを読み解いて、いくつか魔法を習得できるかもしれない。独学でも学んでいけば、そのうちワープや探索の魔法が使えるようになるかもしれない。
そこまで考えた時、ふと、窓のほうからコンコンと物音がした。
最初は風で木の枝が窓に当たっているのだろうと思っていたけれど、規則的に何度か繰り返されているのが不思議で、窓のほうへ目を向けると、そこには人が立っていた。
若い男の人で、色白ですらりとしている。白い髪だが、毛先数センチは黒い。
その男の人は、私と目が合うと、にっこり笑った。一瞬誰だろうと思ったが、首に巻かれた黒い蝶ネクタイを見て、すぐに思い出した。
「シロっ!!」
間違いない。シロの人型の姿だ。
急いで窓に駆け寄って窓を開けると、「シュティレ!会いたかった」とシロは両手を私に向かって伸ばす。私は迷わずシロの胸に飛び込んだ。
「私もっ!私も……ずっと会いたかったよ…」
せっかく止まっていた涙が、また溢れてくる。シロは私を抱きしめて、頭を撫でてくれる。
「よかったぁ〜。シュティレがチョーカーの支配を破ったって聞いたから、ひょっとしたら、ボクらのことが嫌いになっちゃったのかと思ったけど、違うみたいだね」
「……え?私が…?」
「うん。シュティレがご主人様の命令に反発したら、チョーカーにかけた魔法が切れたって、ご主人様が言ってたよ。元々、シュティレのほうが魔力が高いから、本気でシュティレが抗えば、どんな魔法も形無しなんだよ」
「そう…なんだ…」
なら、ご主人様が私を見限ったんじゃなく、私がご主人様を拒絶したと言うのが正しいのか。
「ご主人様は、シュティレが自分で離れたんだから、迎えに行く必要はないって言ってたけど、ボクはどうしても、シュティレがご主人様から望んで離れたって気がしなくて……クロもね、心配してた。だから、ボクが会って確かめようと思って」
「よく、ここが分かったね」
「シュティレが着ている服はボクが作ったものだから、ボクの魔力で追えるのと、シュティレの魔力は一度分けてもらったから覚えてたし、それで」
匂いを嗅ぎ分けているようなものだろうか?なんにせよ、おかげで助かった。これでご主人様のところに行けそうだ。
「来てくれてありがとう。シロ」
それに、信じてくれて……。何だか恥ずかしくて言えずに、私はそんな気持ちを込めて、シロに抱きつく腕に力を込めた。シロはそんな私の気持ちも分かっているのか、慰めるように、私の頭に鼻先を擦り寄せる。私からは見えないが、その動物のような仕草は、大人の男の人がするには違和感がある。それでシロを見上げて、「そういえば、どうして人型なの?」と訊いてみた。シロはクスリと笑う。
「この辺りは大都会だからね。目立たないようにこの姿で来たんだ。どう?今回は尻尾もちゃんと隠せたよ!」
シロは私から離れ、その場でくるりと回ってみせる。
「本当だ…すごいね!」
「えへへ……でも、シュティレは元のボクのほうが好みかな?」
「う〜ん……そうだね。どちらかと言えば…」
「分かった」
シロは頷いて、もう一度くるりと回ってみせた。すると、シロの回転に合わせて旋風が起こって、シロの姿が木の葉で一瞬見えなくなったが、旋風が消えた頃には、シロはいつもの真っ白なイタチの姿に戻っていた。
「もう一回、ギュッとしとく?」
シロはおどけた調子で言っては首を傾げる。
「うんっ!」
嬉しくて再び抱きつくと、フカフカの毛皮が心地良く、お日様の香りが鼻をくすぐった。そのまま眠ってしまいたくなるほど、安心する。
「ふふふ……シュティレはあったかいねぇ〜。かわいい……でも、あんまりこうしてると、ご主人様にやきもち妬かれちゃうかな」
「え?ご主人様が?」
何だか意外で訊き返したけど、シロは目を細めて笑っただけだった。
「――さて。シュティレは、ご主人様に会いたい?」
シロは急に真剣な顔をして訊いてきた。
そういえば、ジャスパーさんが屋敷はもぬけの殻だったって言っていたっけ……。
「……うん。会いたい」
「このまま、ここに居たほうが幸せかもしれないのに?」
「うん。私は、アダム様の傍に居たい」
今度こそ、役に立ちたい。救われた恩を返したい。――でも、きっとそれだけじゃない。私はただ、アダム様とシロとクロと一緒の生活が好きだった。だから、これからも変わらないでほしいと思っている。つまりは、ただのわがままだ。
シロはどこかホッとした顔をした。
「そっか……よかった。ありがとう。……それじゃあ、行こっか。ボクの背中に乗って」
シロはかがんで言う。それに頷いて、「あ、ちょっと待って」と声を掛けては、荷物を入れたトランクを取りに行く。それから、ジャスパーさん達に声を掛けようかと考えていると、部屋のドアが勢いよく開いて、険しい顔をしたミアさんが入ってきた。
「シュティレちゃん!」
なぜか慌てた様子で私の腕を引いて引き寄せる。
「ミアさん?」
不思議に思ってミアさんを見るが、ミアさんは窓の外のシロを睨んでいた。
「あれ?シロじゃん!」
ミアさんの後からジャスパーさんもやって来た。
「え?"シロ"?」
ミアさんは驚いてジャスパーさんを振り返る。
「ああ。アダムの使い魔のシロだよ。その子」
「ジャスパー……知らないの?あれは"疾風のウェルテクス"別名"白い悪魔"と呼ばれて、切り裂き魔と恐れられた魔物よ!」
「え…」
それを聞いて、ジャスパーさんの顔が固まった。
(シロはそんなに有名なんだ…)
「ウェルテクスって、こんなかわいい見た目だったの?」
ジャスパーは信じられないといった様子で訊いて、ミアさんは溜め息交じりに頷いた。
「私も直に見たのは初めてよ……アダム、こんなのを使い魔にしてるの?――悪趣味ね」
「!」
私は悪趣味という言葉に嫌悪感を覚えて、ミアさんの手から逃れて距離を取った。
「ミアさん、ジャスパーさん。良くして頂いてありがとうございました。私は、アダム様のところに帰ります」
「ちょっと待って!シュティレちゃんは知らないかもしれないけど、ウェルテクスは獰猛な魔物なの。本性は風の化身で不死身。殺戮を好んで生き血を啜るって言われてる。飼い馴らすなんて出来るわけがない。魔法使いの間では有名よ」
「似てるだけじゃないの?シロって、すごく陽気なやつなんだよ」
ジャスパーさんはまだ信じられないらしく、ひたすら首を捻っている。
「……私は、ウェルテクスに襲われたという使い魔を治療したことがある。その時に感じた魔力と同じ。間違いないわ!」
「マジか…」
二人が話している間も、シロは変わらずクリクリとした黒い瞳で、笑ったような表情で小首を傾げている。
「確かにちょっと前までは"白い悪魔"なんて呼ばれていたけど、今のボクはアダム様の使い魔の"シロ"だから。――シュティレ。行こう?」
シロはそう言って、私に前足を差し伸べる。うん。と返事をして前足を掴むと、グイっと腕を引かれて、私は窓の外へ降り立った。
「シュティレちゃん…」
「大丈夫です。きっと悪いようにはなりませんから……お世話になりました」
心配そうなミアさんに笑顔を向けると、私はシロの背に跨った。
「――シュティレちゃん。僕からも良いかな?」
「はい?」
ジャスパーさんが、いつになく真剣な表情で言う。
「さっきは、嘘を吐いた。……アダムは確かに屋敷には居なかったけど、代わりに言伝があった。"シュティレを頼む"って……だから、シュティレちゃんをシロが迎えに来るのは変だ…」
「……シロは、自分の意思で来たみたいですけど…」
「アダムの命令なしで動いたの?」
「ご主人様は、余程のことがない限り基本的には自由にさせてくれるんですよ」
「そう…」
シロが会話に割り込んでくると、ジャスパーさんは複雑そうに押し黙った。
「私、思うんだけど……」
そんなジャスパーさんの言葉を引き継ぐように、ミアさんが声を上げた。
「シュティレちゃんを欲しがっている人が、シュティレちゃんがアダムの所にいるって勘づいちゃったんじゃないかな?」
「え?」
「だからアダムは、私を殺すような無理な命令をして、シュティレちゃんを自分から離した――綺麗な話をするとそう解釈出来るわ」
"綺麗な話"という言葉に引っ掛かった。それで顔を顰めていると、ミアさんは続ける。
「だけど、結局シロがシュティレちゃんを迎えに行くのは止めなかった……使い魔の行動なら、主人は分からないことなんてない。どこで何をしているのか、正確に把握出来る。だから、アダムが本当は何を狙っているのか分からない」
「……」
「それでも、アダムの傍がいいの?」
「はい」
私の心は決まっている。
ミアさんもジャスパーさんも、本当に良い人だと思う。ご主人様に出会う前に二人に会っていたら、もっと違う人生だったんだろう。二人の言うことを聞いて、普通の女の子として生きていたのかも……だけど二人はきっと、奴隷のように囚われていた私は見つけられなかっただろうとも思う。
(良い人すぎる…)
暗い所にはそもそも足を踏み入れない類の人達……私が居たのは、普通の人の目には触れない暗い所だった……それこそ、人の闇を知っていて、わざとそこを覗いて見ようとしなければ見えない場所――。
自分で声を上げることを諦めていた私を救うには、やっぱり、アダム様のような人でなければいけなかったのだろう。
それは、アダム様の作戦の一部で、私は利用されているだけだというのは頭では理解できる。でも、私の心は、出会った時からアダム様の物になってしまった……こればかりは、もう自分の意思ではどうにもならない……。
「なら、これだけは覚えておいて」
ミアさんは、睨むような険しい顔で私を見つめる。
「ウェスペル家は、うちの実家と似たり寄ったりの旧家なの。そういう家は、代々得意魔法を継承しているもので、私は治療魔法、そしてウェスペル家は使役の魔法が得意。その気になれば、魔物や妖精だけでなく、人だって使役出来る」
「…え?」
「だから、同じ魔法使いの間でも、ウェスペル家は敬遠されていた。"ウェスペル家の人間は嘘つきだ"って。言っている言葉が本心か、相手を絡め取るための嘘か分からないと言われていたの。アダムは継承した魔法以外にも幅広く使えるから、必ずしもそうとは言わないけれど、そこも理解したうえで、アダムの言葉を聞いて。アダムは魔法使いすら恐れるウェルテクスすら手懐けた……それだけの実力者よ。ただ、あなたはウィス・フォンス。その気になれば、アダムをも凌駕する魔法使いになれる。だから、自分を強く持ってね」
「……わかり、ました…」
「幸運を祈っているわ」
ミアさんは最後にフッと笑った。
「シュティレちゃん。僕らも味方だから、アダムがダメだったら、頼って良いからね」
ジャスパーさんも重ねて言った。
「はい」
私は二人に頭を下げる。心配してくれているのはよく分かる。それでも私は、アダム様とちゃんと話したい。
「……そろそろいい?飛ばすから、しっかり掴まっててね」
「うん」
私が掴まっているのを確認すると、シロは走り出す。それは疾風の名に相応しく、風のように滑らかで、速かった。
お読み頂き、ありがとうございました。
シロが出てくると、良いふうに気が抜ける気がします。
この物語の一つの節目が近づいて来ました。どんな展開を見せるのか、お付き合い頂けたら嬉しいです。




