13.散歩と誘拐
それから、午前中はシロやクロと屋敷の掃除をして過ごした。ご主人様はまた町の人からの依頼で、魔法薬を売りに出かけている。一通り掃除が終わり、そろそろお昼にしようかと話していると、
コンコンコン!
玄関のドアのノッカーが鳴った。
「誰かしら?」
クロが応じると、「やっほー!」とジャスパーさんが顔を出した。
「あら。ご主人様でしたら、町に出ていますよ」
「え?そうなの?……なら、むしろ好都合かも」
ジャスパーさんはにっこり笑ってみせる。
「ちょっとシュティレちゃん、連れ出してもいい?」
「え?どこへ?」
「町へ。アダムったら、過保護なのかシュティレちゃんを全然遊びに行かせてあげてないでしょ?それじゃあ、あんまりだと思ってさ」
「ですが……ご主人様の許可がないと……」
クロが口を濁すと、ジャスパーさんは"分かっている"というように頷いた。
「そうだよね。君は使い魔だから、ご主人様の許可が必要だ。でも、シュティレちゃんはそうじゃない」
(本当は私も、使い魔みたいなものなんだけど…)
そうは思っても口には出さない。前にご主人様がジャスパーさんに説明した言葉の中には、私を道具としていることは含まれていなかった。ご主人様がなぜそうしたのか、今なら少し分かる気がする。
(きっとジャスパーさんは、私が道具扱いされていることを許さない。そういう人だ…)
けれど、私も立場を隠す為とはいえ、ご主人様の許可を待たずして行動出来ない……返事に困ってクロを見ると、クロは私を見て頷いた。
「少しお待ち下さい。ご主人様に確認を取りますから」
「ああ、そっか!使い魔なら、離れていても交信出来るんだ。いいなぁ〜」
ジャスパーさんが感心している間に、クロは目を閉じた。しばらくそのままジッとしている。
「…ジャスパーさんには、使い魔はいないんですか?」
気になって訊いてみると、ジャスパーさんは困ったように眉尻を下げた。
「うん。あいにくとそういう使役の魔法は苦手でね。僕の場合は、アダムと違って魔法使いが家業って訳じゃなくて、ちょっと魔力があるからって学校行って勉強したクチだからさ。自分が魔法を使うだけで精一杯だよ」
「そうなんですか…」
てっきり魔法使いというものは、みんなご主人様みたいな感じなのかと思っていたけど、どうやらそうではないらしい。思えば、元ご主人様達も使い魔のようなものはいない人のほうが多かったし、むしろ私の魔力無しでは魔法すら使えない人が多かった。きっと、元ご主人様達も、ジャスパーさんのようなタイプの人だったんだろう。
私が考えていることが分かったのか、ジャスパーさんはにんまりする。
「そうそう!だから、アダムはすごいんだよ。何がって、"得意魔法がない"んだから」
「?」
得意な魔法がないとは、どういうことだろう?それはすごいというより、むしろ悪い意味で使う言葉じゃないだろうか?
「つまりはね、全部の魔法が使えちゃうから、得意も苦手もないってことさ」
なるほど、それなら分かる。
「たしかに、すごいですね」
素直に感心していると、ジャスパーさんは嬉しそうに頷いた。まるでご主人様のことを自分のことのように自慢して、嬉しそうにしている姿が、なんだかとても印象的で、友達っていいなと思った。
「ご主人様から返答がありました」
ふとクロが言って、私とジャスパーさんはクロに目を向けた。
「アダムは何て?」
「"シュティレが望むなら、あまり遠くへ行かないこと、目立たないこと、夜までに帰ることを約束出来るなら良い"とのことです」
(私が、望むなら……)
何だかんだ言っても、いつも私の意思を確認してくれるご主人様の優しさに、なんだかむず痒い心地がする。
「なるほどね。ありがとう。……さて、シュティレちゃん、どうする?」
「私は……」
普通の人のように町を歩いて、何かを見たり買ったり食べたりしても良いというのには、すごく惹かれる。けれど、長年の生活環境のおかげか、私がそういうことをするのが、物凄く悪い事のように感じてしまって、どうしようもなく逃げ出したくなってしまう。私が私の思いのまま行動したら、次の瞬間、石に打たれてしまうのではという恐怖感が抜けない……。
「大丈夫よ。ご主人様が許されたのだし、ジャスパーさんならいいってことでしょ。行ってらっしゃい」
俯いていると、クロの声が降ってきた。驚いて顔を上げれば、クロが優しく微笑んでいた。
「その通り。アダム程じゃないけど、僕だってそこそこ腕の立つ魔法使いだからね。任せといて!」
ジャスパーさんも明るく声を掛けてくれる。それで少し、安心した。
「……じゃ、じゃあ……行きたい…です」
緊張して声が震えたが、なんとか返事をすると、ジャスパーさんはにっこり笑って、「そうこなくっちゃ!」と言った。
その日の町は、なんだかいつもより人通りが多い気がした。それになんだか、みんな楽しそうだ。
「今日はお祭りなんだってさ。収穫祭って言って、土地の神様に、作物の実りを感謝するお祭りなんだ。だから、食べ物の屋台とか珍しいものがいっぱいあるよ」
「お祭り…」
行ったことはないが、窓の外に広がる風景の一部として、垣間見たことはある。歌ったり踊ったり、とても楽しそうだった。
「せっかくだから、ちょっと覗いてみようか」
ジャスパーさんに促され、町の広場まで歩いて行った。普段は大きな噴水があるくらいで、あとは人が往来するだけだったが、今日は噴水の側に人だかりがあった。何か騒がしい音楽が鳴っていて、人々がそれを取り囲む様にして見ている。
「あ、旅のサーカスが来ているみたいだね」
「サーカス?」
「サーカスはね、ちょっとした芸を見せてくれるんだよ」
近寄ってみると、派手な衣装を着た男の人が、二つのボールを時間差で空に放っては、キャッチしている。まず、ボールを一つ空へ放っているうちに、右手にあったボールを左手へと持ち替える。それから落ちてきたボールを右手でキャッチしながら、左手にあったボールを空に放る……それを繰り返し、男の人の手を介して、二つのボールが空中で円を描いていた。更に、その男の人の側にいた別の男の人が、更にボールを投げて、それもキャッチして円に加えていく。二つだったボールが三つになり、更に四つになった。ボールが追加される度、観衆が湧く。
(すごい……)
驚いて目を丸くしていると、「あれはジャグリングっていう芸だよ」とジャスパーさんが教えてくれる。その他にも、帽子の中から鳩を出現させたり、手から花を出したりと、驚くことばかりだった。
「サーカスの人って、魔法使いなんですか?」
思ったことをそのまま言うと、ジャスパーさんは笑った。
「確かに魔法みたいな芸だけど、あれは手品って言って、ちょっとしたコツがあるんだよ」
「へぇ~」
「……ほんとに何も知らないんだね」
「……ごめんなさい」
「あ、違う違う!謝らないで!」
ジャスパーさんは慌てて両手を振る。
「アダムが保護者をしてるってことだったし、複雑な事情があるんだろうなとは思っていたんだ。だからさ、もっと色々見に行こうよ!アダムは何かやることがあるみたいだから、君を守るので精一杯なんでしょ?だったら、僕が外のことを見せてあげるよ」
ジャスパーさんは私がウィス・フォンスだと知ったうえで、それでも普通に接してくれる……魔法使いなら、私のような道具が欲しいんじゃないだろうか?元ご主人様も、今のご主人様もそうであるように……なのに、どうしてこんなにも優しいのだろう?ジャスパーさんが特別なのか、今までのご主人様のほうがおかしかったのだろうか?それとも……ジャスパーさんもやっぱり私を手に入れようと狙っているのだろうか?――
そんなことを考えながら市場を見に行って、ごはんを食べたり、デザートを食べたりした。
(やっぱり、私は……)
楽しい反面、大多数の人にとっては、こういう時間が普通なんだと理解する度、そうではなかった私がいかに特殊だったか思い知る。今の状況が表だとしたら、私はずっと裏の世界の住人だったのだと思う。
「どうしたの?暗い顔して…」
いつの間にか俯いていたようで、ジャスパーさんが心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「――ジャスパーさんは、なんで私に良くしてくれるんですか?」
堪らなく不安になってつい訊いてしまうと、ジャスパーさんは一瞬目を大きく見開いた。
「う〜ん……こういう事言うと、偽善だ!って怒る人もいると思うんだけど……なんかさ、ほっとけないんだよね」
ジャスパーさんはなんだか遠くを見るような目をする。
「アダムが世話を焼いているっていうのも気にする理由の一つではあるんだけど……なんかさ、シュティレちゃんの瞳は常に何かに怯えているように見えて、どうしようもなく気になるんだよね。きっと幼少期からあまりいい思いをしなかったんじゃないかって思えてさ、なんとか安心させてあげたいって気持ちになるんだ。――ウィス・フォンスだから気になるってわけじゃないからね」
「っ!」
ハッとしてジャスパーさんを見つめると、ジャスパーさんは寂しそうに笑う。
「やっぱり……君は今まで、ウィス・フォンスであることで苦労してきたんだね……たくさん人の悪意に触れてきたのかな…」
ジャスパーさんは本当に察しの良い人だ。私は何も言っていないのに、私の今までについて確信を持って話している。
「……今は、辛くないです」
ポツリと呟くと、ジャスパーさんは驚いた顔をした。
「そっか……なんとなく、アダムは暗いところに行こうとしているような気がするから、シュティレちゃんをどうする気なのか心配だったけど、シュティレちゃんがそう言うなら、心配ないのかな」
私は、ご主人様と一緒に居られて幸せだと思う。でも私は、復讐の為の道具だ。道具として価値があるから、私はご主人様の側に居られる……だから、ジャスパーさんが思っているほど、安全で温かい関係では、きっと無い……復讐が終わったら?そのあとも、一緒に居てもらえるだろうか?前にご主人様に訊いた時は笑われたけれど、もし捨てられたら、その時はどうやって生きて行けばいいのだろう?
(本当のことを話したら、ジャスパーさんは、なんて言うかな…)
復讐なんてやめてしまえばいいと言っていたクロの言葉を思い出す。
道具である私達には無理でも、ジャスパーさんなら、力になってくれるのではないかと思った。でも、ジャスパーさんに協力してもらうということは、ご主人様の意思に反することになる……それは、嫌だ。
「シュティレちゃん、どうかした?」
黙ってしまった私を心配して、ジャスパーさんが私の顔を覗き込む。
「……いいえ。何でもないです」
結局、私一人で判断することが恐ろしくて、ジャスパーさんに話す勇気が出なかった。
きっと私は、ご主人様に愛想を尽かされないようにしたいだけなんだと思う。だから、ご主人様がしようとしていることが、世間的に間違っていようが関係ない。
前に殺しはやめて欲しいと聖人ぶったけれど、本当の私は、そんなまともな人間なんかじゃないのだろう。まともな人間なら、すぐにでもジャスパーさんに事情を話して、ご主人様を止めてもらうはずだもの……。
(私は、悪魔の子だから…)
親にも愛されなかった、呪われた子だから……それでも、優しくしてくれたご主人様くらいには、恩返しがしたい。だからやっぱり、ご主人様の意思に逆らう事が出来ない……。
「少し疲れたんじゃない?座って休もう」
ジャスパーさんは私を、近くのベンチに導いた。
ベンチの側には色とりどりの花が色分けされて植えられた花壇がある。座りながらぼんやりと花壇を見てみたけど、気持ちはちっとも沸き立たなかった。
「何か飲みものでも買って来るから、ちょっと待ってて」
「はい」
私が返事をすると、ジャスパーさんはベンチの向かい側の通りに居た、移動販売の荷車のところに向かった。そこでは、果物を搾って作ったジュースが売られている。
そんなジャスパーさんの様子を目で追っていると、突然風が止んだ。それどころか、周りの物音の一切が消えていた。
「え?」
よく見ると、ジャスパーさんも、お店の人も歩いている人も……様々な人々の動きが止まっている。まるで絵や彫刻であるかのように、ピクリとも動かない。
「私は、動ける……」
慌てて手足を動かしてみたが、いつもと変わった様子はない。
「私だけ…動ける…?」
辺りを見渡してみても、他に動く者がない。鳥や虫も同様だった。
「なんで…」
どうしたら良いのか分からずにウロウロしていると、突然背後で物音がした。
「この魔法が効かないとは……流石はウィス・フォンスといったところか…」
「?…ッ!?」
振り返ろうとしたら、突然鼻と口が塞がった。布のような肌触りがする…ハンカチか何かを押し当てられているようだ。
(息が、出来ない……)
それに、布から何だか変な匂いがする。酢のような、香辛料のような、ツンとする匂い――
匂いを意識した瞬間、私の視界は、真っ黒に塗り潰された。――
※
「――ん……?」
目を開けると、最初に見慣れない両開きの扉が目に入った。それも扉の下の方しか見えない……。
私はどうやら、床の上に横になっているようだ。意識を失っていたらしい。起き上がろうとしたが、何かに固定されているようで腕も足も動かせない。
それで頭を動かして見てみると、腕も足も、ロープで縛られているのが分かった。更に口にも違和感があった。何かを噛まされている……ロープだろうか?外そうと藻掻いたが、きつく縛られているせいで外れない。むしろ、藻掻けば藻掻くほど食い込んできて痛かった。
(ここ、どこなんだろう?)
この部屋に置かれている棚も机も、見覚えが無い。
ジャスパーさんはどうしたのだろうと考えてみて、意識を失う前のことを思い出した。周りが急に動きを止めていて、私だけが動けていた……あれは、魔法だったのだろうか?そのあと……
(誰かに、捕ま…った?)
町の広場からは遠いのだろうか?早く帰らないと――
ガチャ
考えていると、目の前の扉が開いて、複数の足が見えた。
「これがそうか?」
少し高い男の人の声がして、「はい」と低い声が答えた。
部屋に入ってきたのは二人。他にも人が居たようだったが、扉の前で立ち止まっている。見張りをしているんだろうか?
ふわりと甘い香水の香りがした。良いものなんだろうけれど、近づくにつれて臭いが濃くなって、気分が悪くなった。
その香水の主は、私の直ぐ側まで来るとしゃがんで私の顔を覗き込む。色白で細い顔をした男の人で、癖のある金髪で青い瞳をしている。まだ若い青年だ。私と年も近いかもしれない……その瞳は好奇心に輝いていて、瞳いっぱいに私の顔を映している。
「割とかわいい顔をしているじゃないか。これなら、別の使い道もありそうだな…」
「旦那さまは、"好きに使え"と仰せです」
「そう。それはいいね」
青年は楽しそうに言って、私に手を伸ばして頬に触れた。
「っ!」
頬を撫でられる感覚に、激しい嫌悪感を覚えて体が強張る。
「そんな顔するなよ。大人しくしていれば、優しくしてやるから」
青年は言いながら、隣にいた男の人に目線を送る。青年と違い、がっしりと体格の良い男の人は、頷いて私に手を掛けると、あっという間に私を抱き上げて、ベッドの上に放った。
「拘束も解いてあげてよ」
「よろしいのですか?暴れるかもしれませんよ?」
「うーん……それもそうか……じゃあ、まずは口だけ外して。縄を噛まされたままだったら、会話にならないし」
「承知致しました」
男の人は私の口の縄を外して、ベッドの脇に控えた。
青年は私の側に膝をつく。
「いきなり拐ってごめんね?ウィス・フォンス。君の噂は聞いていたから、興味があって探していたんだ。ダッツ男爵が別荘に隠していたって聞いたけど、ダッツ男爵は行方不明だし、別荘に君はいなかったしで、苦労したんだよ。君が自力で逃げたんなら、そう遠くには行っていないとは思ったけど、まさかあんな田舎町に居るなんてね。真反対の方向にも程があるよ……でも、そうか。誰かに逃がしてもらったのかな?町で男と一緒に居たよね」
青年は一人で喋っては、勝手に納得している。端から私の回答は必要ないようだった。
「ま、いっか。とにかく、君はこれから僕の物ね。さっきも言ったけど、大人しく僕の言うことを聞くなら、拘束も外してあげる。……立場は分かるよね?」
何だか妙に懐かしい展開に、私は恐怖も不安も通り越して、何とも思わなかった。出会い方は様々だったが、幼い頃から呆れるほど繰り返された展開だ。
いつもなら、もうどうにでもなれと、無感情に従順にしていた。けれど……
(アダム様…)
今はまだ、アダム様がご主人様だ。初めて、傍にいたいと思ったご主人様。
ご主人様が私を手放さない限り、誰のものにもなる訳にはいかない。
(でも、今抵抗しても逃げられない)
それどころか、もっと拘束が強まる恐れがある。牢屋にでも入れられてしまえば、いよいよ出られない。
(…言うことを聞くしかない…か…)
「……はい」
私は心の中でご主人様に謝りながら、青年に返事をした。それで青年はたいそう気分を良くしたようで、にっこり笑う。
「よしよし!良い子だね。……じゃあ、手始めに魔力を貰おうかな。君から魔力を吸えば、僕の魔力量が上がって、今よりも高難度の魔法が使えるようになる。これで家名も上がる」
正確に言えば、魔力量が上がるのは一時的なんだけど……という言葉は、面倒なので黙っておこう。
「どっかを噛めばいいんだっけ?」
「そのように伺っております」
「なるほど……女を噛んでいいなんて、何だか背徳的で興奮するね」
青年は「どこがいいかな…」と、舌舐めずりをしながら私の体に目を向ける。
私は無表情を貫いたが、内心では今すぐ走って逃げ出したい衝動に駆られていた。
「手っ取り早く、首にするかな」
青年は私の首を指でなぞる。
その瞬間、全身が粟立った。心臓の鼓動が速くなって、激しい嫌悪感に、吐き気を覚える。なんとか堪らえようと、唇を強く噛みしめた。
「じゃ、いただきます」
青年が私の首に顔を寄せる。
(いやだ……いやだ、いやだ、いやだ、いやだっ!!)
内心で悲鳴を上げながらも、実際には目を固く閉じるに留める。そのせいで余計に、青年の口が迫ってくる様子を肌感覚で感じてしまった。
青年はゆっくりと私の首に歯を立てる。痛みと共に、魔力が首から抜けていく感覚がする……今すぐ青年を突き飛ばしたいのを懸命に堪えていたが、すぐにその痛みは消失した。
「?」
まだほんの少ししか吸われていないのにどうしたのだろうと不思議に思って目を開けると、青年が目を見開いて首を押さえていた。
「う…があ…!」
青年は、呻きとも声ともつかない音を発しながら、ベッドに倒れ込む。そうして、口から泡を吹きながら悶え始めた。
「…え?」
何が起こったのか分からずにぼーっとしていると、側に控えていた男の人が慌てて青年に駆け寄った。
「坊ちゃまっ!坊ちゃま!どうされたんですか!」
その叫びを聞きつけたのか、扉が開いて「どうした!?」と別の男の人が入ってきた。
「分からない!急にこんな状態に……毒かもしれん!すぐに、先生を!」
「分かった!」
入ってきた男の人は慌てて部屋を出ていった。
「貴様っ!!……何をした!?」
男の人は私を睨みつけると、私の頬を思い切り叩いた。
「うっ…!」
その勢いで、私はベッドから落ちてしまったが、縛られているせいで起き上がることが出来なかった。
その間にも、青年の苦しそうな声と、必死に声を掛ける男の人の声が響く。
(一体、何が……)
私は何もしていない……と思う……魔力を渡すのは嫌だと思ったけど……。
(……まさか…)
まさか、私が拒絶したせいで、なんらかの魔法が発動したのだろうか?自分でも知らずに、魔法を使ってしまったのだろうか?
ご主人様は以前、私が本気で魔法を使えば、自分でも敵わないと言っていた。だから魔法は教えない…と。
魔法は大体の場合、呪文を読み上げる必要があるけれど、ご主人様は詠唱なしで魔法を使っていることも多かった……と、いうことは、そうしたいという想いが魔法になる場合もあるということなんだろうか?
(じゃあ、私が、あの人を…)
拒絶が毒のような魔法を呼んだのだろうか?
(ど、どうしよう!)
嫌だとは思ったが、殺したいと思った訳じゃない。そんなことは、したくない。手遅れになる前にどうにかならないだろうか?治癒魔法は、どうやったらいいのだろう?
「…他人のモノを盗んだりするから、そんな目に遭うんだよ」
私がパニックになりながら考えていると、ふと、扉から誰かの声がした。しかし、私はその声に聞き覚えがあって、可能な限り首を回して扉のほうを見た。その人物は、フードを目深に被っていて、顔は見えない。
「なんだお前は!」
青年を介抱していた男の人が鋭い声を上げる。それでもフードを被った人は動じる様子もなく、この場には不釣り合いなほどゆったりと構えている。顎の下に指を充て、考えるようにした。
「俺のモノを返して貰おう。素直に応じるなら、そこのガキを助けてやってもいい」
「誰だか知らないが、お前のような奴に頼りはしない。今に先生が――」
「医者ではそれは治せない。それは毒ではなく、呪いだからね。それを掛けた当人にしか解けないよ」
「なに!?」
そう言って男の人は私を睨んだが、フードの人は「違う違う」と笑いを含みながら言った。
「その子じゃない。呪いはその子の意思に関係なく発動する」
「…てことは……」
男がフードの人を見ると、フードの人の口元が笑う。
「その通り。俺なら、解呪出来るよ。さあ、選んでいる時間はない。早くしないと、後数分でそいつの命は尽きるだろう。それが嫌なら、俺にウィス・フォンスを返せ」
「…っく……分かった。ウィス・フォンスはお前にやろう。だから、坊ちゃまを!」
「……最初からそう言えばいいんだよ」
フードの人が苦しむ青年に指先を向けて、小声で何事か呟くと、青年は藻掻くのを止め、ぐったりする。
「坊ちゃまっ!!」
「騒ぐな。気を失っただけだよ」
「――ッウ!?」
叫んだ男にフードの人が指先を向けると、男は気を失って倒れた。二人が倒れたことで、一気に室内は静まり返る。
そういえば、この家に他に人は居ないのだろうか?なんの物音もしない……医者を呼びに行ったはずの人だって戻って来ない……。
不思議に思っていると、フードの人が私の側へやって来てしゃがみ、フードを取った。紫掛かった黒い髪に、金の瞳――
「ご主人様っ!!」
ご主人様は、私を縛っていた縄を解いてくれる。
「遅くなって悪かったな……シュティレ」
ご主人様の声で名を呼ばれた瞬間、今まで堪えていたものが溢れるように、涙が両頬を伝った。
「どうして…ここが?」
泣きながら尋ねると、ご主人様は、笑って私の首を指さす。
「そのチョーカーがあれば、おまえの位置が分かるんだよ。急におまえが遠くへ移動したから、何事かと思って来てみたんだ」
「あ…」
そういえば、そんなことを言われていた気がする。
(よかった…)
私は嬉しくなって、衝動的にご主人様に抱きついた。ご主人様は一瞬驚いたようにしたが、すぐに私の背中に手を回して、抱き返してくれる。
「怖かったろう?よく頑張ったな」
「…はい…」
「やっぱり、呪いを掛けておいて正解だった」
「!」
ご主人様に会えた嬉しさで忘れていたけれど、ご主人様はさっきの青年の状態を呪いだと言って、掛けた人にしか解けないとも言っていた。それを解いたということは、そもそもご主人様が掛けた呪いだったということになる……。
「……ご主人様。呪いって…」
恐る恐る訊くと、ご主人様は私から体を離して目を合わせた。
「ああ。おまえが他の奴に魔力をやれないよう、呪いを掛けてあったんだ。お前から魔力を吸おうとしたら、死ぬ呪いをな」
何でもないことのようにそう言うご主人様が、私は何だか遠い人に感じた。
「もしもの時の為にと思っていたが、案外使い道があったな。今回のようなこともあるわけだし…」
どこか得意気に話すご主人様を見ていると、胸の奥が冷たくなっていく心地がする。
(聞いてない……)
そんな恐ろしい呪いが掛かっていたなんて知らなかった。そもそもご主人様は教えるつもりは無かったのだろうけど、と思ったところで、やはり私には自分の意思なんてものは不要なのだと再確認する。私が何を言おうが、どう感じようが、ご主人様には関係ないし、私の意見など必要無いのだ。
何度も確認したし諦めがついたと思っていたのに、どうして私はご主人様の言動一つで、まだこんなにも心を乱されるんだろう……。
「…どうした?」
俯いた私を訝しんで、ご主人様が首を傾げる。
「……この家の他の人達はどうしたんですか?」
そんなことは正直もう気にしていなかったけれど、私の胸の内を悟られたくなくて嘘をついた。
「ああ……ちょっと気絶してもらっている。あんまり目立ちたくないからな。だから、起き出す前にここから出るぞ」
「はい」
殺した訳ではなかったことに、少しホッとする。
(そうだ。ご主人様は復讐に関係のない人を殺したりしない)
私を取り戻そうとしたダッツ男爵は例外だったけど……。
「ほら。来い」
ご主人様は私に手を伸ばす。意図が分からなくて固まっていると、ご主人様は焦れたように私の肩を掴んで引き寄せる。それから私の膝の裏に手を回すと同時に立ち上がり、私を抱え上げた。
「ご、ご主人様?」
「いいから、俺の首に手を回して掴まってろ。ワープするから」
「…はい」
私が大人しくご主人様の首に手を回すと同時に、空間が歪んだ。
気がつくと、いつもの屋敷の前だった。玄関先には人型のクロと、青い顔をして俯くジャスパーさんの姿があった。二人はご主人様と私を見るなり駆け寄ってくる。
「ごめん!シュティレちゃん!僕がついていながら…」
今にも泣き出しそうなジャスパーさんの頭をご主人様が軽く小突く。
「全くだ。おまえだからシュティレを預けたのに、まんまと拐われるとはな」
「ごめんなさい…」
「ま、俺はそういう時のことも想定してあったから大事には至らなかったが、前にも言った通り、シュティレには敵が多い。連れ出すなら注意が必要なんだ」
「……だけど、いつまでもおまえがついていられる訳じゃないだろ?……まさか、一生屋敷に縛り付けるつもりか?」
「ああ。必要ならな」
ジャスパーさんの問いにすぐに答えたご主人様を見て、ジャスパーさんは目を剥いた。
「それは守るとは言わないだろ!シュティレちゃんをなんだと思ってるんだ!」
「……道具だよ。おまえには言ってなかったが」
「なっ!」
ジャスパーさんは、驚いてしばし固まった。それから一度大きく息をついては、ご主人様を睨みつける。
「シュティレちゃんは、人として生きる権利があるだろ!やりたいことだってあるはずだ」
「それこそエゴだ。能力を隠していれば普通の人間として生きられるかもしれないが、それでも今回のように拐われることがある。残念ながら今の社会では、ウィス・フォンスであるということは不幸でしかない。欲深い人間に目を付けられ、利用される……シュティレが生きる為には、こうやって隠れ住むのが一番なんだよ」
「う……そうかもしれないけどさ!」
話は並行線を辿る。どうしたってお互いの意見は噛み合わない。
「分かったなら黙っていろ。おまえが勤めている魔法省も、その上に控えている国も、シュティレを欲しがっているからな。道具扱いが嫌だと言うなら、このまま放っておいてくれ」
「アダムっ!」
ご主人様はそう言っては、私を抱えたまま屋敷の中に入ろうとしたが、ジャスパーさんはそんなご主人様の前に立ちはだかった。
「まだ何か?」
「シュティレちゃんにも、選ぶ権利を与えるべきだ」
「シュティレは、望んで俺と居る」
「……選択肢を見せなかっただけじゃないのか?連れ出すのは危険だと言いながら屋敷に囲って、何にも触れさせず、何も見せなかった……そうされたら、誰だって視野は狭くなる」
「おまえなら、正しく導けると?」
「断言は出来ない。けど、僕は試したい。今日のシュティレちゃんを見ていて、そう思った」
「フン…」
(ご主人…様…?)
鼻で笑うご主人様に、何故だか身が竦むような怖さを感じた。それでご主人様の顔を見上げれば、ご主人様は冷たく細められた瞳で、ジャスパーさんを見ていた。
(……怖い)
そう思った時、ご主人様が一瞬私に目を向けた。しかし、その目はすぐにジャスパーさんに戻る。
「…このまま話していても埒が開かない。シュティレの治療があるから、屋敷に戻らせてもらう」
「――分かった」
ジャスパーさんは小さく呟くと、進路を譲った。けれど帰るつもりはないようで、ずっとこちらを見続けている。
クロは、そんなジャスパーさんを気に掛けるように何事か声を掛けていた。
「シュティレ!大丈夫?」
屋敷に入るや否や、シロが駆けてきて、私の顔を覗き込む。
「うん……大丈夫」
無理矢理に笑顔を作ってシロに向けると、それでシロは安堵したようだった。
「シュティレには、少し休息が要る。部屋まで連れて行くから、おまえはクロのフォローをしろ」
「分かりました」
シロは真面目な様子で頷くと、外へ出て行った。
ご主人様は私を、私の部屋のベッドに下ろしてくれる。
「……ありがとうございました」
礼を言うと、ああと短く返事を返された。それからご主人様は、スッと私の首に手を伸ばす。首の左側、付け根の辺りを撫でられた。
「……頬を叩いたうえに、こんな目立つところを噛みやがって……見えにくいところだとしても癪だが…」
ご主人様は、ぼそりと低い声で呟いて顔を歪めた。鏡を見ていないので分からないけど、赤くなったりしているのだろうか?
そう思っていると、頬と噛まれた辺りがじんわりと温かくなってきた。前に噛み跡を消してもらった魔法と同じ感覚だ。
「……これでよし。あと、怪我をしている所はないか?」
「はい。大丈夫です」
私が頷くと、ご主人様は私に顔を寄せる。急なことに驚いて、反射的に体を引いたら、ご主人様はフッと笑った。
「…なあ、シュティレ」
「は、はい?」
「俺が怖いか?」
「…え……い、いいえ」
今のは驚いただけで、ご主人様を拒絶したわけじゃない。それとも、さっきのジャスパーさんとのやり取りの時のことを言っているのだろうか?
「……気を遣わなくていい。実際、俺が何を考えて何をしているか、分からないだろ?」
ご主人様は伏し目がちに言う。
(確かに、わからない。わからない…けど……)
「――私は、ずっと道具として、何も知らされないまま、光の当たらないところで生きてきました。私にとって無知は当たり前で、知る機会を得られないことは既に諦めがついたことでした。だから、ご主人様が何を考えて何をしたいのかを隠していても、そういうものだと納得は出来ます。ただ……」
「ただ?」
私はご主人様の目を真っ直ぐに見つめた。
ご主人様は本当に、秘密の多い人だと思う。今見せている表情も雰囲気も、作り物だと言われても驚かないくらいには、本心が見えない……道具であった私が出会った人達は、もっと正直に感情を表現していた。私がモノである安心感からなのか、そもそも私を使う事自体が強い欲望の表れだからなのか、どの人も、真っ直ぐに私にぶつかって来た。
けれど、ご主人様は違う。時に高圧的で、時には寄り添ってくれて、迷いがないように見えても、たまにすごく迷っているようにも見えた。自分の行動に自信があるようでないような、掴みどころがない人だ。私を"モノ"ではなく"人間"として扱うからこその壁を感じていた。
そんな人だから、余計に気になって、目が離せなくなってしまうのかもしれない。
――悪魔の子。あなたは騙されている……
ふと、ご主人様のお祖母様の家で聞いた声を思い出した。
(たとえ、騙されているのだとしても……)
「ただ、私は……ご主人様が良いんです。ご主人様の行動に違和感や恐怖を覚えても、ご主人様に協力する道を選んでしまうくらいには……だから、ご主人様が不安に思うことはありません」
「……俺が、不安を感じているように見えるか?」
「ちがい…ましたか?」
訊き返すと、ご主人様は困ったように笑った。
「不安というのとは違う。俺はただ、おまえに必要以上に怖がられたくないだけだ。たまに嫌がる者を無理に服従させることに快感を覚える奴がいるが、俺がそれと同類だとは思われたくない。俺は俺の都合でおまえを使うが、できる限りフェアな条件で扱いたいとは思っている。まあ……おまえは結構、無条件で尽くしてくれているが…」
そこでご主人様は少し、苦しそうに顔を歪めた。
「俺はおまえと同じだと、最初に言ったのを覚えているか?」
「…はい」
確か、出会ったばかりの頃だ。同じだからこそ、与えたいと言われたっけ…。
「その言葉の通りなんだ。俺は。お祖母様のレシピ帳にあった宝石を見て確信した。俺は人形だった。人生の最初から、こうあるようにとプログラムされ、作り手の都合で生きていた人形だ。ただ、そのことは今更どうでもいい……俺が許せないのは、そうなってしまった原因のほうだ。強いていうなら、魔法そのものが憎いのさ。魔法という力に取り憑かれ、様々な人が思想を歪め、判断を誤り続けている……だから俺は、そんな悪習の権化たる存在として、終止符を打ちたいんだ」
もしかして……ご主人は、あまり魔法が好きじゃないのだろうか?
(なるほど……)
少し、分かってきた。ご主人様はウィス・フォンスではないけれど、それに近いくらい魔法の才能があった……けれどそのせいで、周りから期待される一方、自由もなかったのだ。誰もが魔法の才能ばかりに目を向けて、アダム・ウェスペルという人間には目を向けない……だから、私と同じなのかもしれない。
「復讐はあと少しで終わる。おまえには最後に大仕事が待っているから、今はなるべく力を使わずに穏やかに過ごせ」
「大仕事?」
「ああ。少し、考えていることがあってな……理論上は可能なところまで来ているから、あとはおまえ次第」
「え?…私…?」
ご主人様は私の目をじっと見つめる。
「何があっても、俺に忠誠を誓えるか?」
「はい」
「……その結果、おまえが死ぬとしてもか?」
「え!?」
驚いて答えられずにいると、ご主人様は僅かに目元を緩めた。
「大丈夫。そうなる可能性が僅かにあるというだけだ。おまえが自分の力を信じられれば、魔力に飲まれたりはしない。そうなる前に、俺が何とかするから」
「……私…」
死ぬのは怖い……けれど、ご主人様の為になるなら、無駄死にではないんだろうけど……。
(道具としてしか生きていられなくても、私は、生きていたいんだ……)
自分でも気づいていなかった本音が浮かんできて戸惑う。ご主人様の力にはなりたい……けど、ご主人様にとって私は道具だ。何か失敗をしたり、死んでしまいそうになった時、本当にご主人様は私を助けてくれるんだろうか?
(でも、ご主人様は…)
今までに、私をここまで守ってくれた人は居なかった。ご主人様の元を離れたとして、同じように優しくしてもらえることがある保証はない。私が、ウィス・フォンスである以上は……。
――悪魔の子。あなたは騙されている……
また、あの言葉を思い出してしまう……どこの誰の言葉かは分からない。だけどもし、この言葉が真実だとしたら?私が見えていないだけで、何かとんでもないことに足を踏み入れようとしているんだとしたら――
生まれて初めて、無知が恐ろしいと思った。知らないから、分からないから、判断出来ない……。
「わかった」
不意にご主人様の声が聞こえて我に返る。
「え…?」
「迷いがあるようでは魔法は使えない。無理矢理に実行しようとすれば、間違いなく失敗する。だからおまえに、考える時間をやろう」
ご主人様はそう言って私から離れる。
「丁度いい……おまえをジャスパーに預けるから、ちょっと世間を見てこい」
「え…」
急な展開に、頭が追いつかない。私が答えられなくても、ご主人様は構わず続ける。
「俺がすることが正しいのか、それともジャスパーが言うような理想が可能なのか……その目で見て判断してくればいい」
「…え、待っ――」
ご主人様はそのまま踵を返して私から離れていく。引き留めようと手を伸ばしたが、私の手が届くことはなかった。
お読み頂き、ありがとうございました。
外の世界を見て、改めて自分の状況を理解したシュティレ。自分の意思が出てきた彼女が選ぶ道とは?
次回も読んでくれたら嬉しいです。




