07:火しか使えない男
ロアとルイスとガインの三人は、木や背の高い草に紛れながら、ガタゴト音を立てる荷車の後を追った。
「最後の最後にラッキーだったな」
荷車を押す男はそう言って、隣の男と笑い合った。
動く荷車に手を伸ばしたロアだったが、手が届かない。
ガインは〝俺に任せとけ〟とでも言いたげに、親指で自分を指さした。ロアが場所を変わると、ガインは荷車に手を伸ばす。
あと少しで、届く。
ガインは大きく一歩踏み込んだが、そのつま先が草に隠れていた石に引っかかる。
バランスを崩したガインは、二歩、ロアの方へよろけた。反射的にガインを支えようとしたロアの足元には、彼の白いマント。
「あっ」
まずいと思った時にはもう、ロアはガインのマントを踏みつけていた。
「あ」
ガインがそう言った時にはすでに手遅れで、ロアとガインは盛大に荷車に倒れ込んだ。
荷車はひっくり返り、積まれていた木箱は地面に叩きつけられた。
辺りに散らばったのは、魔法石の指輪。
ガインはその指輪の上で天を仰ぐと、悠長に呟いた。
「最悪」
鉱山にいた男二人は、ロアの顔とガインの制服を見て青ざめていた。
ロアから制服を奪った鉱夫は、散らばった指輪を手あたり次第に拾い上げて、左手いっぱいに身に着けた。
「おっ、おい……! そんなモン、使ったことあるのかよ!」
「あるわけねーだろ!」
鉱夫の男は指輪が付いた左手を三人に向けた。
ルイスはそれを見て、二人へまっすぐ告げる。
「違法改造された魔法石の使用は重罪ですよ」
しかし指輪を身に着けた鉱夫は、左手を下ろさないまま、小さく震えていた。
ガインはむくっと体を起こすと、「頭打ったし」と言いながら打ち付けた自分の頭を撫でた。
「動くな!」
ガインは鉱夫の制止に耳を貸さず、立ち上がって服の砂を払った。
鉱夫の身に着けた指輪から、水が溢れ出した。それはやがて、水の女の家で見た濁流のように膨れ上がる。
彼は制御できないまま後ずさりし、水の重みに耐えていた。
あの恐怖を思い出す。
動かない体で、水に呑まれて、なにもできなかった。
「ガインさん。得意魔法はなんですか?」
「火。ってか、俺、火しか使えねーし」
ルイスとガインの会話の短い間にも、男の腕から溢れた水は勢いを増している。
男が水の勢いに押されて後ずさるたび、水は平原の草木を押し沈めて、地面を抉り、泥がはねた。
ロアはガインを見た。火は絶望的に、水に弱い。
ルイスがどんな魔法を使えるのかも知らないし、今はもう一人の戦闘防衛課の騎士もいない。
そして思った。
原因を作ったくせに、また、なにもできない。
「また後悔か? ロア」
ガインにそう言われて、ロアは顔を上げた。ガインは真面目な顔で水に振り回される鉱夫を見ていた。
「それが今までのお前の結果だろ。諦めろ」
「……ごめんなさい。本当に……私のせいで、ルイスとガインさんまで」
「いや勝手に全滅確定にすんなよ。まだ生きる気満々なんですけど」
ガインはロアを見ると、口元に笑みを残して言った。
「今回のお前、よくやったと思うよ。土地勘のない場所を自分で調べて、ここにたどり着いたんだから。あとは、〝できないから助けて〟で、いいんじゃね?」
いつものテキトーな彼とは思えないくらい落ち着いた声だった。
鉱夫の指輪から放たれた水が、細くなる。
圧を増した鋭い水は、木の幹を真っ二つに裂いて、岩を砕いた。
「本当に全滅しますよ、ガインさん。体のどこかに触れられれば、動きを止められます。考えがあれば指示をください」
「おー相変わらず大正解だな、ルイス。でも、今回は待機!」
「……じゃあどうするんですか?」
「こうすることにした」
ガインの右腕に、薄衣のような炎がゆらりと踊る。
ルイスは鉱夫から目を離し、ガインを見た。
「水に火は無謀です!」
「じゃ、俺が死んだらお前に頼むわ」
ガインがそう言った途端、細長い水が薙ぐように彼を襲う。
ガインは顔の横で、槍のような水へ軽く手をかざした。
水は、ガインに触れるより先に、消えた。
炎に呑まれた水は白く沸き立ち、形を失い、蒸発する。
甲高い水の断末魔と、腹の底を震わせる炎の轟音。
本来なら、短い音と共に火を飲み込む水は、今、火の前で形を保てない。
「弱めんなよ。骨が残る保証はねーぞ」
水が勢いを増しても、ガインは表情一つ変えずに炎を強めるだけだった。
「指輪外せ。一つずつな」
鉱夫はガインに言われるまま、一つずつ指輪を外していく。
しかし、指を離れた指輪は宙に浮いたまま、狂ったように水を吐き続けていた。
「全部外したら走って離れろ。逃げたら火葬な」
男はすべての指輪を外し、走った。
ガインが拳を握ると炎はさらに盛り、そのまま真っ直ぐに伸びて水を喰らっていく。
揺らぎすらしない高密度の炎は、あっという間に指輪を飲み込んだ。
炎に圧されて木の幹まで押しやられた指輪は、真っ赤に熱を持って形を変える。
炎は太陽のように平原を照らし、影は濃く長く地面を這っていた。
目と喉を焼くような熱風が、辺りに満ちている。
ガインが腕を払うと、炎は彼の腕を撫でるように舞い、消えた。
残り火が、静けさを取り戻した夜の中でパチパチと爆ぜていた。
目は昼と勘違いしたのか、夜闇に慣れないまま、ちかちかと痛む。
息を吸うと、乾いた空気が喉に張り付いた。
燃え尽きた木々は炭となって土へ返り、指輪は小さな黒い塊となって火花を散らしていた。
岩の表面は溶け、地面は黒く焼けて抉れ、さっきまで泥水だった場所には亀裂が走っている。
地形が変わるほどの、炎。
二人の鉱夫は、座り込んで呆然と景色を眺めていた。
ガインは燃え続ける景色を見回すと、首に手を当てて苦笑いを浮かべた。
「……やっべ。ちょっとやりすぎた」
「絶対やると思いましたよ、ガインさん!!」
戦闘防衛課の男がそう言って、ガインに駆け寄った。
医療推進課の男は「……すごいな」と呟いて笑い、グレイヴとアメリアは呆然とした様子で辺りを見回していた。
「ごめんって。悪気はなかったんだって」
ガインはそう言うと、思い出したように声を上げた。
「そうだった。……おいルイス。今何時?」
ルイスは息をつくと、制服のポケットから小さな水晶盤を取り出した。
二本の細い光は星の軌道のように、決められた円をなぞっていた。
「……0時を回ったところです」
「よし!」
ガインは自らの肩に手を当てる。彼の纏う白いマントはぱちぱちと音を立てながら燃え、色を変えた。
彼の背中で翻ったのは、赤いマント。
マリンカが身に着けていた、魔法研究課の施設長の青いマント。
ルーンが身に着けていた、歴史保全課の施設長の黄色のマント。
ロアはそれを思い出して、口を開いた。
「ガインさん、戦闘防衛課の施設長なんですか?」
「そうですー」
戯けた様子に、ロアは唖然としたまま問いかけた。
「なんで隠してたんですか?」
「隠してたんじゃねーよ。役職取られたの! 一週間もな!」
「……どうして?」
「ルーン達に賭け麻雀で負けた!」
ガインは堂々と胸を張って言う。
言葉を返せないロアをよそに、ガインは放り出された制服を拾い上げてロアへ歩みよった。
「ほーら制服が戻ってきましたよー。俺のおかげで!」
ガインはそう言うとロアの肩に制服をかけた。
白いマントが、熱風に揺れる。
ガインはロアの肩を強く叩いた。
ロアの身体が、少し沈む。
そしてガインは踵を返す。彼の背中で、赤いマントが揺れた。
『火。ってか、俺、火しか使えねーし』
最初は、火しかなかったのかもしれない。
でも今の彼はもう、火しか必要ないんだ。
消火活動をする仲間に、決まりが悪そうに「俺なにしたらいい?」と声をかける彼の背中を見た。
――この人が、戦闘防衛課の施設長。
『ここは苦手を人並みにする場所じゃない。得意を最大値にする場所だよ』
ルーンの言葉を思い出した。
自分の持っている〝なにかひとつ〟で、ここまで行ける。
世界がまた一つ、おもしろくなった。




