05:夢が覚めたあとは
家の壁には、昨夜と全く同じように水が流れている。
水が静かに壁を伝うその様子は、涙を流しているように見えた。
ガインは家を一瞥すると、新任騎士たちに向き直った。
「よーく聞けよ。魔法の暴発を止める方法はいくつかある。まず一つ目。共鳴源に魔力を流す」
「どのくらいの力を?」
「なんか、こう……」
アメリアの問いかけに、ガインは目を閉じ、なにかを感じ取ろうとしている様子で手を宙に彷徨わせている。
「……魔力を込める時ってさあ、こう……ツー、ツツツツー、ピタッ、バーって感じだろ? そのツツツツーの状態を維持するんだ。そうすれば暴発は止まる。わかったか?」
そんな説明でわかる訳あるか。
そう思ったロアをよそに、グレイヴは鼻で笑った。
「なんでそれで通じてんだよ」
「……的確ね、すごく」
グレイヴとアメリアの隣で、ルイスも頷いている。
ロアは驚いてガインを見た。
テキトーに見えて、結構ちゃんとした人なのかもしれない。
魔法は火しか使えないと言っていたから、もっと普通の人だと思っていた。しかし、任務中の彼は、思っていたよりずっと周りを見ている。
「天才じゃね? 俺」
せっかく上がった評価を自分で叩き落とし、ガインは得意げに胸を張った。
「次ー! 二つ目。共鳴者と共鳴源を引き離すこと。これは魔法石が埋まっている場合なんかには、現実的じゃないこともある。そして三つ目。魔法石を壊すこと。そうすれば確実に止まる。魔力を勢いよく流し続ければ壊れるし、物理的に割ってもいい」
暖炉上の鉱石を思い出した。あれは息子との思い出だ。絶対に壊したくない。
ロアは拳を強く握った。
「じゃあ、行くぞ」
ガインを先頭にして家の扉を開くと、昼間に訪れたときとは違う光景。
大蛇が這いまわったような、泥だらけの玄関だった。
ロアの足が、薄く張っていた水を踏んだ。するとその水は蛇のように細く持ち上がり、ロアの手に絡みついた。
床の泥が左右に分かれて、道を開ける。
道は、居間まで真っ直ぐに続いていた。
絡みついた水に促されるまま、ロアは歩きだした。
「ロア、」
「大丈夫、ルイス」
居間まで歩きながら後ろを振り返って言う。
少し怖い。でも、きっと昼間と同じように、彼女に招かれているのだろうと思ったから、水の流れに身を任せた。
ガインは一歩踏み出しながら、後ろを振り返った。
「ルイス、お前はここにいろ。医療課が怪我したら隊は終わりだからな」
「……わかりました」
「アメリア、お前は来い」
居間に着くと、水はロアを昼と同じ席に座らせた。
ロアは暖炉を見た。昼間と同じ場所に魔法石があった。それは暗い部屋のわずかな光を吸い取り、鈍い緑色の光を放っていた。
立ち上がろうとしたが、蛇のような水は椅子とロアの腰回りに巻き付いた。
絡みついた水は、力を入れてもほどけない。
逆らえない水圧だった。
流れるプールの噴出口に近付いたときみたいに。
逃げられない。
そう思うと、心臓が大きく胸を打ち付けた。
「縛られてんじゃん、ロア」
動けないロアを見たガインはそう言うと、ニヤリと笑った。
「束縛する男にも気をつけろよー」
ガインの戯けたような言葉で、ロアは少し冷静さを取り戻して口を開いた。
「魔法石、暖炉の上です」
ガインの視線に、アメリアが頷く。
アメリアは暖炉の側に移動すると、魔法石に触れた。
「……流しました」
ガインとロアは辺りを見回す。
なにも変化はなかった。
部屋は相変わらず泥にまみれていて、水が静かに流れる音も聞こえる。
アメリアは魔法石を手に取り、もう一度魔力を込めた様子だった。
「これ以上込めると、壊れそうです。……時間差がある可能性は、」
「しー」
ガインに止められたアメリアは、居間の入り口を見た。
水の女がいる。
ガインのすぐ隣を、水の女が通った。彼女は昨日と同じように、誰に構うこともなく部屋中を動いていた。
魔法石を抱えたアメリアの指先が、女の纏う水に触れた。
水の女は、腕の中のものを庇うように身を縮めた。
狭い居間に水が溢れて、水位が上がっていく。
ロアはとっさに声を上げた。
「魔法石を別の場所に、」
言い終わるより前に、身動きが取れないまま座っているロアを水が飲み込んだ。
息ができない。
体も動かない。
「アメリア! 石を壊、」
ガインが言い終わるより前に、アメリアの手の中でパキと、短い音が鳴った。
水が、女の足元に吸い寄せられるように、引いていく。
ロアは何度も大きく息を吸った。
すべて水が引くと、膜のように彼女を覆っていた水のベールは、形を崩した。
驚いた表情の婦人が、ぽつりと居間に立っていた。
彼女はわけが分からないといった表情で、自分の足元に吸い込まれて行く水を見た。
「私、いったい……」
彼女の腕の中で、なにかが崩れた。
婦人は大切な物が腕から滑り落ちたみたいに、反射的に身を乗り出して両腕で抱え込んだ。
しかし落ちかけたそれは、ただの重たい泥の塊で、重力のままに彼女の腕の中から零れ落ちた。
婦人の視線が、アメリアの手元で止まった。
「石が……!」
婦人はアメリアの持つ魔法石に近付くと、それを受け取り、膝をついた。
真ん中から二つに割れた魔法石。割れ目の周りから、ボロボロと小さな塊が床に落ちた。
「命の危険があると判断して、私が壊しました。申し訳ありません」
アメリアの誠実な言葉も、婦人は聞こえていない様子だった。
婦人は魔法石を抱えたまま、うずくまる様にして泣いていた。
音のない暗い夜に、彼女の泣き声だけが響いていた。
居間の泥は、全て消えた。
それならきっと、泣いていたように見えた家の水も止まっているだろう。
ロアはむせび泣く婦人と、割れた魔法石を見て思った。
もっと他に、できることはなかったのだろうか。
気を失い、その場に倒れ込んだ婦人。医療推進課の男が居間に入ってきて、彼女に駆け寄った。
それからルイスに声をかけられるまで、ロアは、とっくに縛りの解けた椅子に座ったまま、その光景を見ていた。




