04: 指輪のない指
図書館内は今日も、歴史と知が質量を持って沈んでいるみたいだ。
執務室へ歩いていたロアは、足を止めて、辺りを見回した。
埃が光を受けて、宙を彷徨っている。
音のない、変わらない景色の、本の森。
――ヤバい。どうしよう、……迷った。
見回しても、誰もいない。
迷子になって出てこられない人もいると聞いていたのに、昨日、アーネルの話をちゃんと聞かなかったことを心底後悔した。
「……どうしよう」
このまま本当に出られなかったら。
立ちすくむロアの隣を、一人の男が通り過ぎた。
日に焼けた肌に黒い髪。
ロアと同じく歴史保全課に配属されたグレイヴ・クラークだった。
彼が神様に見えた。
「あっ、あの、おはようございます!」
ロアはさっさと先を歩くグレイヴの後ろを歩きながら声をかけた。
助けてくれませんか?
実は道に迷ってですね。
状況を説明しようと思ったロアに、彼は一言。
「おー」
初めて聞いた彼の声が〝お-〟。
そしてグレイヴはやはり、ロアを気にすることなくどんどんと先を歩く。
「あのっ! 私……!」
グレイヴは真っ直ぐに歩いている。
「私、場所が……! ちょっと、聞いて……」
ロアが切羽詰まった声で言っても、彼は見向きもせずに歩いた。
段々と人が増えてきて、しばらくするとアーネルが立っているのが見えた。
彼のすぐ後ろには、開け放たれた執務室の扉がある。
「おはようございます。グレイヴくん、ロアさん」
「……おはよう、ございます」
グレイヴに必死に食らいついたロアは肩で息をしながら、アーネルに挨拶をした。
「最初は執務室までたどり着けない人が多いのに、優秀ですね。しかも二人とも」
「コイツ迷ってたけど」
間髪入れずにそう言うグレイヴを、ロアは唖然として見た。
コイツ。全然喋らないくせに、人を貶めるときは口開くのかよ。
アーネルは、ロアをじとりとした目で見た。
ロアはアーネルのその視線に、気付かないふりをした。
「ほら、あの子」
執務室の中から、潜めた声が聞こえた。
「新任騎士の女の子の方」
――新任騎士の女の子の方。
それが自分の事だと気付いて、心臓がドクンと鳴った。
昨日から感じている視線を思い出した。
てっきりグレイヴが見られているのだと思っていた。
気付かないうちに、先輩に目を付けられるようなことをしたのだろうか。
「あのリディアの孫らしいよ。それなのに――」
なんだ、祖母の影響かと、ロアは安心していた。
祖母リディアは本当に凄い騎士だったのだろう。
孫が注目されるくらいなのだから。
「――あの子、魔法が使えないんだって」
心臓が、嫌な音を立てた。
合格通知を読み進めていて、同じことを思った。
魔法試験で、一人だけ魔法発動経験がなかった時も、思った。
――魔法、使えなくていいんじゃなかったの?
ロアは声の方を見た。
執務室にいる騎士たちは、さっと視線を逸らせて自分の仕事に戻っていく。
彼らの手に、指輪はない。
通り過ぎる騎士も。アーネルも。
誰も、生活魔法に使う指輪をつけていなかった。
魔法を使える。
ここではそれが、当たり前らしい。
ロアはグレイヴの手を見た。
彼の左手の人差し指には、指輪がある。
ゆっくりと息を吐いた。
よかった。生活魔法に指輪を使っているのは、自分だけじゃない。
ロアは改めて自分の指輪を見た。
村では、指輪をつけているのが当たり前だった。
それがここでは、二人だけ――
「――ロアさん、聞いていますか?」
アーネルに声をかけられて、ロアは我に返った。
「……すみません。聞いてませんでした」
「グレイヴくんを送ってきます」
「……どこへ?」
「研究室です。グレイヴくんはすでに専門がありますので。あなたは、執務室で待っていてください」
「えっ、私ひとり!? ちょっと……!」
ロアがそう言う頃には、二人はもう廊下を歩いていた。
一人で執務室に入る勇気などあるわけもなく、ロアは廊下に突っ立っていた。
グレイヴにも指輪はあった。
しかし、彼にはすでに専門がある。
「おーい」
廊下に響く声に振り返ると、ガインが軽く片手をあげながらこちらに歩いてきていた。
「調子どう? まだルイスロスー?」
ガインの軽口に言い返す元気もないロアは、ふと彼の指に光るものを見た。
ガインの指に、指輪がある。
「……指輪」
「指輪?」
ガインは自分の左手の人差し指を見た。
「これがなんだよ」
「魔法、使えないんですか?」
ロアの問いかけに、ガインはフッと鼻で笑った。
そして親指で自分を指す。
ガインの自信ありげな顔が、不安だった。
ガタイはすごくいいし、なにより彼はいつも自信に満ちているから。
「火は起こせる」
「……火だけ、ですか?」
「火だけ」
「生活魔法は? 魔法石に共鳴させたり……」
「だから、火だけだって」
あっさりと言い切るガインに、ロアは思わず「よかった」と呟いた。
「……え、お前、もしかして。魔法使えないこと気にしてんの?」
図星を突かれて、また馬鹿にされると思った。
しかし、ガインは興味無さげに自分の指輪を見ている。
「こっちの方が楽だろ。魔法石にピッで、水がでるし、明るくなるし、風はふくし」
「そっか……。そうですよね。さっき〝リディア・リーヴの孫なのに魔法使えない〟って言われて、気になって……」
「いや、リディア・リーヴの孫は普通魔法使えるだろ」
一瞬で手のひらを返されて、グサっと刺さった。
せっかく納得しかけていたのに。
「なんでお前、リディア・リーヴの孫なのに魔法使えねーの?」
そんな純粋に聞かないでよ。
騎士の世界は、そんなに魔法が使えて当たり前なのだろうか。
村で魔法が使える人間なんて、祖母のリディアとルイスしかいなかった。
みんな魔法石の指輪を使って生活していた。
グレイヴには、専門がある。
じゃあ、私は?
魔法もない。
専門もない。
じゃあ一体、なにがあるんだろう。
「なんかよくわかんねーけど。教えてやるよ、ロア。この世はな……フィジカルだ!」
ガインの言葉が、耳を通り抜ける。
〝ロア・リーヴの好奇心に期待する〟と、ルーンは言った。
でもその好奇心は、この世界で、なんの役に立つというんだろう。




