テン、ボロ雑巾になる
二人の言い合いも、ようやく終わった。
滅多に顔を合わせることのないイナミが、いったい何をしに来たのか。
気になったイザナが尋ねる。
「師匠が、全然顔を見せない弟子の様子を見てこいってさ」
「あの婆さんがそんなこと言うって珍しいな。もうすぐ死ぬのか?」
「知らねぇぞ。師匠は地獄耳だから、今言ったことも聞かれてるかもな」
「あんな婆さんなんか、もう怖くねぇよ」
イザナは軽い調子で言い放つと、肩を揺らして笑った。
どうやら、この話題はここで終わりらしい。
イザナはそれ以上追及することなく、途中で止まっていた修行へ戻った。
「イナミ、この三人の相手をしてくれ」
そう言って、テンたちを指差す。
「え?」
突然の指名に、テンは目を瞬かせた。
だが、断る理由はない。
先ほどまでの修行で身体は疲れているものの、三人ともまだまだやる気は残っていた。
むしろ、何度も叩きのめされたことで、負けず嫌いに火がついている。
そんな三人を見たイナミは、口元をニヤリと吊り上げた。
「へぇ……」
その顔を見た瞬間、テンの背筋に嫌な予感が走る。
――絶対、何か企んでる。
しかし、そんなテンの予感など気にする様子もなく、イナミは三人から少し距離を取った。
三人も、それぞれ構えを取る。
タケミは竹刀を握り締め、テンは剣を構えた。
フレイも、いつでも魔法を放てるよう意識を集中させる。
「遠慮せずにかかってきな」
イナミは余裕たっぷりの笑みを浮かべ、手をクイクイと動かした。
――かかってこい。
明らかな挑発だった。
「言われなくても!」
真っ先に飛び出したのはタケミだった。
地面を蹴り、一気に距離を詰める。
「おおおっ!」
イナミとすれ違う瞬間、横薙ぎに竹刀を振り抜く。
だが――。
カンッ!
乾いた音が響いた。
イナミの剣が竹刀を軽く弾く。
「なっ――!」
次の瞬間、タケミの足が払われた。
「うわっ!」
身体が宙に浮き、そのまま勢いよく地面を転がる。
それでもタケミはすぐに起き上がった。
「まだだ!」
竹刀を構え直す。
その様子を見たイナミが、再びタケミへ向かおうとした、その時だった。
「そこです!」
フレイが手を前へ突き出す。
地面からいくつもの石が弾けるように浮かび上がり、無数の石礫となってイナミへ飛んでいった。
「おっと」
イナミは剣を振る。
迫り来る石礫を、まるで見えているかのように次々と弾き飛ばしていく。
その隙を、テンは逃さなかった。
「今度は私よ!」
頭上から一気に斬り込む。
しかし――。
イナミは視界の端でテンの姿を捉えると、身体をわずかにずらした。
「甘いな」
「えっ――」
剣が空を切る。
そのまま着地しようとしたテンの首根っこを、イナミが掴んだ。
「ちょっと!」
ぐいっと引き寄せられる。
次の瞬間、テンの身体はイナミの前へ押し出された。
まるで盾のように。
「なっ……!」
フレイの魔法は、すでに止まらない。
「ちょ、ちょっと待って!」
飛んできた石礫が、テンへ向かっていく。
ドッ!
「ウォッ!」
ゴッ!
「ブヘッ!」
「ちょ、待っ――」
さらに一発。
「ヴァッ!」
野太い声を上げながら、テンの身体が大きく揺れる。
髪が乱れ、身体が左右に振られる。
やがて、ぐったりと首を垂れた。
だが――。
テンはすぐに顔を上げた。
その目には、はっきりと怒りが宿っている。
「ちょっと! 女の子を盾にするなんて酷いじゃない!」
「うるさい」
「うるさいじゃないわよ!」
怒り心頭のテンを、イナミはぽいっと放り投げた。
「きゃっ!」
テンの身体が地面を転がる。
その直後、背後からタケミが迫った。
「この野郎!」
イナミは振り返り、タケミの攻撃を受け流す。
それでも三人は諦めなかった。
何度も距離を詰め、攻撃を繰り出していく。
だが――。
「そこ!」
「くっ!」
テンが斬り込めば、イナミはひらりとかわし、その腕を掴む。
「また私!?」
気づけば、またテンがイナミの前に引っ張り出されていた。
「テン姉、ごめんなさい!」
「フレイ、止めて――!」
ドゴッ!
「痛っ!」
石礫がテンに直撃する。
タケミも負けじと斬り込む。
だが、その攻撃も簡単にかわされた。
そして次の瞬間には――。
「ちょっと! また私を使ってるじゃない!」
「隙だらけなんだよ」
「誰のせいよ!」
何度挑んでも、結果は同じだった。
イナミは三人を相手にしながら、まるで遊んでいるかのように攻撃をかわしていく。
タケミの攻撃をかわし、フレイの魔法を利用し、テンを盾にする。
三人が攻撃すればするほど、互いの動きまで利用されてしまう。
そして、最後には――。
「…………」
地面に、テンが倒れていた。
服はボロボロ。
髪は乱れ、口からは泡まで吹いている。
「あーあ。テンがボロボロじゃない」
ツクヨが駆け寄り、倒れたテンの姿を覗き込む。
さすがにこれ以上は続けられない。
そこで、模擬戦は終了となった。
イザナも、地面に倒れているテンを見て、今日の修行はこれで十分だと判断する。
「今日はこれで終わりだ。帰るぞ」
その声に、皆がそれぞれ荷物をまとめ始めた。
◇
帰り道。
模擬戦でほとんど良いところがなかったテンとタケミは、明らかに機嫌が悪かった。
特にテンは、自分だけが徹底的に盾にされたことが気に入らない。
歩くたびに、先ほどの光景が頭に蘇る。
フレイはというと、テンに散々石礫を当ててしまったことを気にしているのか、何度もチラチラとテンの様子を窺っていた。
クチミも同じだった。
タケミの機嫌が悪いのが気になるらしく、少し後ろを歩きながら、落ち着かない様子で彼の背中を見ている。
そんな中、イナミがテンへ声をかけた。
「それにしても嬢ちゃん、ボロボロにやられたな」
「誰のせいよ」
「嬢ちゃんが弱いせいだな」
「……!」
テンは足を止めそうになるほど腹が立った。
イナミを睨み付ける。
だが――。
「弱い」と言われると、何も言い返せない。
「…………」
悔しさに唇を噛む。
そして、その場で小さく地団駄を踏んだ。
――いつか必ず、神罰をくだしてやる。
テンが心の中で固く誓っている横で、イナミは楽しそうに笑っていた。
その笑い声が、さらにテンの怒りを煽る。
◇
しばらく歩いていると、テンはふと気づいた。
イナミが、ずっとついてきている。
「ねえ」
「あ?」
「何処までついてくる気よ」
「家までだ。今日は泊めてもらうつもりだ」
「帰りなさいよ」
テンが即座に言い返す。
しかし、イナミはまったく気にする様子もなく、楽しそうに笑った。
「嫌われたもんだな、俺も」
「当たり前でしょ!」
怒っているテンとは対照的に、イナミは上機嫌だった。
そんな二人を見ながら、皆も思う。
――テンが怒るのも無理はない。
何しろ、あれだけボロ雑巾のようにされたのだ。
◇
結局、テンが不機嫌なまま、一行はイザナの家へ戻ってきた。
今日の修行で身体を動かしたせいか、皆の足取りにも疲れが滲んでいる。
夕食の時間も近く、これから食事の準備をするところだったが――。
イザナはボロボロになったテンを見る。
「テン、お前は先に風呂入ってこい」
「……うん」
言われたテンは素直に頷いた。
疲れ切った足取りで、風呂場へ向かっていく。
◇
テンが風呂に入っている間に、残った皆は夕食の準備を始めた。
人数が多い。
それなら、バーベキューが一番手っ取り早い。
「これなら楽だな」
イナミが剣を抜く。
オーク肉とミノタウロス肉を手に取ると――。
シュッ。
一閃。
肉が次々と食べやすい大きさへ切り分けられていく。
「イナミは器用ね」
るりが感心しながら、前日のシャーモンを切り分けていく。
あとは少しの野菜を用意するだけ。
大人数分の食事は、あっという間に整っていった。
◇
しばらくして、テンが風呂から出てきた。
「……え?」
目の前に広がっていた光景に、テンは目を見開く。
長風呂をしたわけではない。
それなのに、風呂から出てきた頃には、バーベキューの準備がすっかり終わっている。
驚いた。
だが、それ以上に嬉しかった。
これなら――。
イナミのために、ご飯を用意しなくていい。
それだけでも、テンには十分嬉しいことだった。
その時、イザナがテンの服へ視線を向けた。
「テン、その服……ボロボロだったよな?」
確かに先ほどまで、戦いのせいで服はボロボロだった。
それなのに今は、傷一つない。
「ついでに身体も」
「……」
テンの眉がピクピクと動く。
――身体はついでなのね。
そんな不満を飲み込み、テンは胸を張った。
「この服は特別なので、力を注ぐと治るんです。私達の身体は丈夫なので、多少の攻撃では傷つきませんし、傷ついてもすぐに治ります」
少し自慢げに説明するテン。
実際、先ほどまでボロボロだった服も身体も、今では元通りだ。
「なるほどな」
イザナが納得したように頷く。
「どうりで最初に会った時、頭をかち割るつもりで竹刀で叩いたのに無事だったわけだ」
「…………」
テンたちは顔を引きつらせる。
今さらながら、あの時のことを思い出した。
文句の一つでも言いたい。
だが、何とか堪える。
そんな中、イナミが口を挟んだ。
「じゃあ、もっと痛めつけても大丈夫だったな」
「女の子を痛めつけるのが好きな変態」
テンが即座に言い放つ。
「……ひでぇ言われようだな」
イナミは呆れたように呟いた。
しかし、テンだけではない。
他の女性陣からも、冷ややかな視線が突き刺さっている。
「…………」
イナミは何とも言えない顔になった。
◇
食事前だというのに、話が逸れてしまった。
しかし、時刻はすでに夕食時。
辺りも暗くなってきたため、一行はバーベキューを始めることにした。
網の上に肉や魚を次々と並べていく。
ジュウジュウと音を立てながら、香ばしい匂いが辺りへ広がっていく。
焼き上がった肉を、フレイが小動物のように頬張る。
「……!」
幸せそうに頬を膨らませて食べる姿を見て、ツクヨの目が輝いた。
「フレイちゃん、可愛いわね」
「……ん」
ツクヨはフレイの頭を撫でる。
さらに頬をペタペタと触る。
食事中のフレイは、明らかに食べづらそうな顔をしている。
「……食べにくいです」
「ふふっ、ごめんなさいね」
そう言いながらも、ツクヨは嬉しそうだ。
どうやらツクヨは可愛いものが大好きらしい。
初対面の時は遠慮していたようだが、ここにきて完全にリミッターが外れたらしい。
そんなやり取りを交えながら、バーベキューの時間は楽しく過ぎていった。
◇
そして、バーベキューも終わりを迎えようとしていた、その時――。
町中に、鐘の音が響き渡った。
ゴォォォン……。
食事をしていた全員の動きが止まる。
イザナが空を見上げた。
「おいおい、最近の頻度おかしいだろ」
「確かにそうね」
ツクヨも立ち上がり、町の方へ視線を向ける。
「しかも夜に来るなんて、久し振りね」
そう呟いたツクヨの口元が、ゆっくりと吊り上がる。
舌先で唇を軽く舐める。
その表情には、先ほどまでの穏やかな雰囲気とは違う、妖艶な戦意が滲んでいた。
「……楽しめそうね」
夜の町に、再び鐘が鳴り響く。




