みぃつけ た
聞こえていたにぎやかな笑い声が厳粛な読経に変わった。
一宿一飯どころか、客人としてかなり端田家に負担をかけている自覚があるため、今回の宿泊費を一応用意してきた僕だったが、なぜか強く固辞されてしまった。こういうものは普通用意するものだと思うのだが、「来てくださっただけでもありがたいのに」とどうしても受け取ってもらえていない。
せめて親戚が来るまでの間法事の準備を手伝わせてほしいと頼んだものの、それも結局断られ、僕は渋々ながら二階の客間に戻ってくるしかなかった。
手持無沙汰になることを考えて持ち込んでいたノートパソコンを開き、今回の出来事をテキストにまとめていく。日当たりのいい部屋で助かった。電気をつけなくても節電モードにしたパソコンの画面が十分見える。
改めて、昨日起きた騒ぎを思い出す。
夕方に現れるストーカーは、2メートルを超える生け垣の上から端田を覗き込んでいた。その生垣の外側には隣家のコンクリート塀。その空間はあまりにも狭く、人が入れるものではない。
本当なら、ありえないと断言すべきだ。端田はナーバスになっているだけ、視線は気のせい。
けれど……
僕はため息をつく。視線を感じたのは端田。しかし僕はポケットから、確かに何か、振動のようなものを感じていた。
なにより、ハナが歯をむき出しにして威嚇しながら激しく吠えていたあの様子は、とても「気のせい」で済ませていいものではない。
「……何がいたんだ、あの生け垣の向こうに」
と、僕の物思いをラインの着信通知が呼び戻す。着信元は「さかえ義兄さん」。どうしたんだろう、もしかして何かあったのだろうか。
「はい、もしも――」
「はるちゃん寂しいよぉぉ! 早く帰ってきてえぇぇ!!」
……とっさに、電話を切らなかった僕を、どうか誰か褒めてほしい。僕は必死に冷静さを取り戻そうとため息をつき、それから冷静さを取り戻した態で返事をした。
「どうしました、もしかして作り置きを食い尽くしましたか」
「失敬な! はるちゃんの手作りお惣菜は大事に大事に食べてるよ!」
「ああそうですか、それはよかった。それじゃ電話を切りますね――」
ああ待って、ストップストップ、という必死の声を聞きながら、なんとか通話終了ボタンから指を引きはがした僕は、二度目のため息をついて問いかける。
「じゃあ何です、早く帰って来いって言われたって、無理ですよ」
「いや、早く帰ってきてほしいのは事実だけど、調査はどんな具合かなってね」
どうやら義兄は、僕が法事の間中手持無沙汰になるだろうと思って電話をかけてきたらしい。さすが自称・元作家。洞察力に関してだけは高い。
僕はこれまでの話を順を追って聞かせた。すると、ふーん、と気のないような生返事をしながら義兄は僕に質問してくる。
「今回一番怖いのって、なんだと思う?」
「やっぱり生け垣から覗いてきたストーカーですよね。覗ける場所なんてないのに」
「……はるちゃんってマジでいい子だよね」
こんな時でさえ子ども扱いか。いい加減にしてほしい。
「いや、俺はそん――より――のほ……」
怒りを抗議に変えて放とうとしたところで、突然、電話口の義兄の声が遠くなった。
「義兄さん?」
問いかけても返事はない。ざざ、ざざざ、とノイズが混ざり始め、とうとうブツ、と音を立てて切れてしまった。ツー。ツー。ツー。むなしく耳に響く通話終了の音。何が起きたのか理解できず、僕は薄暗い部屋の中でスマホを覗き込む。
――薄暗い?
「――えっ」
おかしい。さっきまで日当たりがよくて、パソコンだってよく見えていたのに。
おかしい。なぜこんなに静かなんだろう。さっきまで、読経が階下から聞こえて来ていた。まるで密閉された空間にいるように、何の音も響いてこない。
とっさに窓の外に目をやる。茜色に染まった空から、西日が差し込む。その、手前。
張り付くように、白い顔が、こちらを見ていた。
僕はジャケットの中から帯留めを取り出し、ぐっと手の中で握りこむ。熱を帯びたその感触は、なぜかどこか、不吉な振動を返してきた。
――ぶ。ぶぶっ。
――ぽ。ぽぽっ。
振動に合わせて、どこからともなく、高いような、低いような、そんな音が聞こえてくる。
僕は訳も分からないまま、ただ確信だけしていた。
ストーカーは、人間じゃない。
帯留めは、お守りじゃない。
僕は――見つかってしまったのだと。




