既知と実家と、
「頼む小鳥遊! もうお前しかいないんだ!」
それは義兄に旅行の話をする、さらにその数時間前のことだ。
ごく普通の街の居酒屋で、テーブルの向こうで手を合わせて僕を拝むのは、端田鯉兵。鯉兵と書いて「リュウヘイ」と読む、ちょっと変わった名前の持ち主だ。
「頼むって言われたって……普通人様の帰省について行くような真似しないだろ」
端田と僕は大学時代の同期だ。鯉兵と陽充。変わった名前同士で、大学の新歓の日に新宿駅で一緒に遭難してからの仲だ。
それはともかく、今回端田が僕を居酒屋に誘ったのは、ただ再会を喜ぶためだけじゃなかった。
父方の祖母の法要で帰省することになった端田は、一人では帰省しないようにと釘を刺されたと言うのだ。
「祖父ちゃんが『誰か友だちを連れてこい』って聞かなくてさ」
「だから、その理由を教えろって」
それがわかんないんだよ、と枝豆を食べながら端田は天井を仰ぐ。僕は梅酒を舐めながら頬杖をついて端田を睨んだ。
「ご両親は?」
「あっちで住んでるよ。だから帰省は俺一人になるはずだったんだ……あ」
何か思い出したのか、端田は顔を輝かせて僕を見る。
「アレかも。高校ん時の不審者騒ぎ」
◆ ◆ ◆
「つまり、その友だちが高校生の頃に変な人に付き纏われたから、戻るにあたってのボディガード役を頼まれたと。はるちゃんじゃ荷が重くない?」
「そりゃ僕じゃ役者不足なのは承知してますよ。ボディガードっていうか……複数の目があったほうが不審者も近付きにくいだろうって話です」
ところ戻って、現在。まだどこか面白くなさそうな顔をしている義兄に、僕も合点がいかない顔のまま食後のお茶を注いで湯呑みを差し出す。
「職場の友人にも話したそうなんですが、さすがに断られてしまったそうで」
「そりゃ面倒ごとのオイニーがぷんぷんするもん。で、はるちゃんはその面倒ごとを断りきれなかったわけね」
そう言われてしまうと、僕としても否定できない。
義兄はため息をついて、それからデザートに出した牛乳プリンを口に入れた。
「山陰かぁ。あっちは海鮮が美味しいよね。あとソバとか? いいなぁ。俺がぼっちメシしてる間にはるちゃんはお友だちと美味しいごはん食べるのかぁ……」
チラリチラリとこちらを見ながら恨めしそうに「ヨヨヨ」と泣く義兄の姿は、思わず手が出そうになる程鬱陶しい。鬱陶しい、が。甘やかした僕にも責任はある、ような気もして来るのだから不思議だ。
仕方ない。少しは義兄の言うことも聞いておいたほうがいいか。
「じゃあ、出るまでに作り置きいくつか作っておくので、それをあっためて食べるとかしてくださいね」
「えぇー」
ため息混じりの妥協案にもどこか面白くなさそうな義兄。置いてもらっている身の僕としては、この辺りで手打ちとしてもらいたいところだ。
「……でも、気をつけな、はるちゃん」
ふっと、声のトーンを落とした義兄が僕の方を見る。
「『やく』っていうのは、誰かが引き継ぐものだからね。そのお人よしのせいで、引き受けなくていい『やく』まで引き受けないように」
その言葉は、僕を心配しているようでいてどこか冷たく、そしてどこか底知れないものを感じさせた。
でも、僕は予測できなかった。
この週末が、まさか後戻りの効かない「境界線」になるだなんて。




