廃社に眠る
山頂までの道は整っていて、僕は迷わず社の前まで来ることができた。
「タカネサマ」は一度も僕に接触してくることはなかった。ただずっと、全身を見つめられているような、奇妙な居心地の悪さだけがあった。
山に入ってからずっと、ポケットの帯留めは震え続け、熱を発し続けている。振動は少しずつその勢いを強め、山頂に到着するころには震えっぱなしの状態になっていた。
かつては厳粛な雰囲気をしていたのだろうその場所も、今は寂れている。社はもうずいぶん前に朽ちてしまったのだろう、変色した木の柱や瓦が散乱した廃墟になっていた。それでも、最も大切であっただろう場所については想像がついた。崩れた木材や壁材をよけながら進むと、僕は村が見える場所まで進む。
あたりには風もなく、僕が崩れた廃屋を進む足音だけがしていた。ようやくたどり着いたのは、村を一望できる広間のような場所。
なぜかとても懐かしく、そしてなぜか、とても寂しさを感じる場所だった。
僕はその場で帯留めを取り出す。先ほどまで震えっぱなしだったはずのそれは、なぜか今振動が止まり、帯びていたはずの熱もなく、手のひらの上でひんやりとした感触を返している。
「『タカネサマ』、帯留めをお返しします」
僕は一言つぶやいて、それをかろうじて崩れていない床材の上に置いた。ずっと見つめられている感触が、ふと和らいだ気がする。
これで大丈夫だ。帯留めは戻るべき場所へ戻り、端田も無事だろう。僕も、おそらくはもう大丈夫。
踵を返したところで、騒がしい足音が近づいてきた。とっさに身構える僕の目の前に、細い手足を窮屈そうに折り曲げながら、黒いステッキみたいな人が姿を現した。
「……義兄さん!」
とっさに叫ぶ。それは確かに、東京で僕の帰りを待っているはずの人だった。こんなステッキみたいな高身長、見間違えるはずがない。
義兄――さかえ義兄さんは顔を上げ、次の瞬間「ぐしゃり」と効果音がしそうなほど顔面を歪めて、無言で僕の方へ抱き着いてきた。
「ど、どうしたんです、こんなところまで」
僕が問いかけても、返事もしない。ただ、ぎゅう、と音がしそうなほど強く、僕を抱きしめてきた。両手がガタガタと震えている。
「大丈夫ですよ、もう大丈夫です」
僕はとっさに、義兄の背中に腕を回してぽんぽんと叩いた。まるでいつもと立場が逆転したようだ。いつもなら子ども扱いは義兄の仕事なのに。
義兄は無言で何度もうなずいた。それから大きく深呼吸をして、僕に抱き着いた腕を緩める。
「もう……もう、心配させないでよ、はるちゃん」
「はい、すみません。でももう大丈夫ですから、たぶん」
そういって帯留めを振り返る。振り返った先の帯留めは、日の光を浴びてきらりと輝いていた。本当に、何事もなかったかのように。
義兄は帯留めに見向きもしなかった。僕のほうだけを見てうんうん、と何度もうなずき、それからいつものようにへらりと笑いながら、僕の腕を引く。
「じゃあ、帰ろっか、はるちゃん。後のことは村の人たちに全部押し付けちゃおう」
「そうですね。いったん端田の家に戻って荷物を取って――」
――こないと、と言いかけたところで、かたん、と小さな音がした。
「……えっ」
振り返ると、帯留めが僕のほうに向かって転がってくるところだった。




