タカネサマ
「ここらの古いもんは、あのお方のことを『タカネサマ』と呼びましてな」
昨日法事が行われた、仏壇のある大広間で、僕と端田、それに端田の祖父は向かい合って座っていた。
あのお方。その言葉だけで、昨晩僕が遭遇したあの怪異が、この村の中で古く根付いた何かだということがわかる。端田の祖父は仏壇に背を向けたまま、僕のほうを沈痛そうな面持ちで見つめながら続けた。
「あのお方は我が家の裏手にあるあの山の頂から、この村をいつも見張っておられる。だから、村のもんはみな申します、『タカネサマに魅入られるゆえ、お山を見てはならん』と」
「……ちょっと待てよ祖父ちゃん、それじゃあ」
端田が僕の隣で身を乗り出した。高校卒業の日、裏手の山に入ってしまった端田は、「背の高い白い服を着た人」に帰り道を指し示してもらって帰ってきた、という。だが実際はおそらく、違っていた。
「最初に魅入られたのは、鯉兵君だったんですね」
僕の言葉に、気まずそうな顔をして端田の祖父は目をそらす。やはりそうだ。今朝感じたあの絶望感は勘違いではなかった。
この老人は、僕に孫の「やく」を移し、孫を守ろうとしている。昨日僕がと客間に閉じ込められたのもそのためだろう。
「『タカネサマ』は目がいい。村のどこで何が起きたか、すべてを知っておられる。あなたが拾ったその帯留めを起点に、あなたのことを見つけたのでしょう」
「ふざけんな!」
叫んで立ちあがったのは、端田だ。肩を怒らせ、鼻息も荒く言葉を続ける。
「祖父ちゃん言ったよな、俺に友達誰か連れて来いって言ったよな! それって最初から、小鳥遊を俺の身代わりにするつもりだったってことか!
ふざけんなよ……ふざけんなよ! そんなことなら、あんたの言いつけなんて聞かずに俺一人で帰ってこればよかった!」
顔を歪めての糾弾に、僕も思わず眉をしかめる。だまし討ちのような経緯で身代わりにされたのは確かに怒りもわくが、隣で本人が誰よりも傷ついているのを見れば、僕自身の怒りが収まっていくのは確かだ。僕は端田の腕を叩いて怒りの冷めやらぬ彼をたしなめた。
「……端田」
「ごめん小鳥遊! 俺本当に知らなかったんだ! 不審者も人間だとばっかり……お化けだとか言われてもまだ実感わかないくらいで……」
今度は僕に向けて続く贖罪の言葉。言い訳のように聞こえるのはきっと、僕がまだ人間ができていないせいというのもあるだろう。けれど、知らなかったというのは嘘ではないはずだ。実感がわかない、という言葉も。僕だって第三者なら「そんな馬鹿な」と鼻を鳴らして終わりだ。
でも、それではさすがにもう、すまされない。僕は魅入られた。おそらくもうすでに、『タカネサマ』のターゲットは端田から僕へ移っている。
「この帯留めが、その『タカネサマ』を呼び寄せているのはわかりました」
僕は息をついた後、顔を上げて端田の祖父を見上げる。自分でも不思議なほど、冷静に、彼のことをに
らむことができたと思う。
ポケットから熱を帯びたままの帯留めを取り出し、畳の上にゆっくりと置いた。それから、低い声で問いかける。
「問題は今後です。僕だって簡単に怪異に捕まるつもりはない。もし少しでも罪悪感があるのなら――助かる方法を、教えてください」
しばらく黙り込んだ後、端田の祖父は静かに言葉を絞り出した。
「……その帯留めは本来、『タカネサマ』がおられたといわれる山頂の社にあったものでしてな」
端田の祖父が言うには、『タカネサマ』の社で見つかったというその帯留めはなぜか端田家に伝わっており、捨てても捨てても、どこかから戻ってくるのだそうだ。そして、端田の祖父の代でも、何人か魅入られ、山で行方不明になっている。
「今まで、お山を見ることすら禁忌でしたからな、入ることなど考えもしませんでしたが……もしかすると、社に帯留めをお返しすれば、何とかなるかもしれません」
「帯留めを社のあるべき場所へ、ということですね」
僕の確認に端田の祖父は目を閉じ、どこか覚悟を決めたような顔をして、深くうなずいた。
「絶対に助かる、という保証はありませんが、それ以外に方法は考え付きません」
「わかりました。では――今から帯留めを返してきます」
「待てよ小鳥遊、俺も行く!」
立ち上がった僕の腕を、端田がつかむ。その指は恐怖か、あるいは緊張で震えていた。僕はできるだけ丁寧に、その手を振りほどく。
「心配してくれるのはありがたいけど、端田はここにいないと。また魅入られてしまうだろ」
「でも!」
「そうだ、昨日僕の兄と話しているうちに怪異に巻き込まれてしまったんだ。心配性な人だから、ここへ来るかもしれない」
僕はできるだけ何でもないような顔をして、笑って端田の肩を叩いた。
「もし『陽充の兄』を名乗る人が来たら、『ちょっと取材に行ってます』って伝えておいて」




