第93話 それでも愛してる
部屋を、長い沈黙が包んでいた。
誰も口を開かない。
窓の外では、世界樹の葉が風に揺れ、優しい音を奏でている。
やがて。
フィオナが静かに顔を上げた。
「それでも」
その一言で。
アルディオンは娘へ視線を向ける。
フィオナは真っ直ぐ父を見つめた。
「私はリュカを愛してる」
その声に迷いはなかった。
「苦しくても」
「後悔しても」
「いつか別れが来るって分かってても」
一度言葉を切る。
そして、隣に座るリュカの手をそっと握った。
「それでも」
「私は、この人と一緒にいたい」
「この人と生きたい」
リュカは驚いたようにフィオナを見つめる。
フィオナは優しく微笑んだ。
どこか泣きそうな笑顔だった。
「私は一度」
「リュカを愛したくないって思った」
「人間だから」
「いつか必ず、私を置いて逝ってしまうから」
誕生日。
風邪を引いた日。
夜空を見上げた夜。
村のおじいさんの葬儀。
眠るリュカの寝顔。
未来を想像して流した涙。
そのすべてが脳裏をよぎる。
「でも」
フィオナは静かに首を横へ振った。
「もう無理だった」
「私は」
「リュカを愛してしまった」
その言葉に、リュカは何も言えなかった。
ただ、繋がれた手を優しく握り返す。
アルディオンは二人を静かに見つめていた。
そして。
ゆっくりと口を開く。
「ならば」
一拍置く。
「その苦しみもまた」
「其方が選んだものとなろう」
その声は穏やかだった。
娘の恋を肯定するわけでもない。
否定するわけでもない。
父として感情を挟むこともなかった。
ただ。
悠久の時を生き。
数え切れない命の始まりと終わりを見届けてきた精霊王として。
一つの生命が、自ら選んだ道を認めた。
フィオナは静かに頷く。
「うん」
「私は、この人と生きることを選ぶ」
アルディオンも静かに頷いた。
その瞳には、どこか寂しさが宿っていた。
娘がこれから歩む道の果てを、誰よりも知っているから。
それでも。
親が子の人生を歩いてやることはできない。
選び。
悩み。
苦しみ。
それでも幸せを掴みに行くのは、子自身だ。
アルディオンは父としてではなく。
精霊王としてでもなく。
一人の親として、娘の決意を静かに見守るのだった。




