第89話 精霊王夫妻
王城の最奥。
謁見の間。
世界樹の幹をそのまま柱とした神聖な空間の奥に、一人の男性が静かに立っていた。
長い銀髪。
深い翠色の瞳。
穏やかな笑みを浮かべながらも、その場を包み込むような威厳を纏っている。
精霊王。
アルディオン・エルヴェシア。
その隣には、一人の女性が静かに微笑んでいた。
長く美しい銀髪。
優しい翠色の瞳。
慈愛に満ちた笑みを浮かべる女性。
精霊王妃。
エルミニア・エルヴェシア。
フィオナは二人の姿を見るなり、嬉しそうに駆け寄った。
「ただいま、パパ」
「ママ」
アルディオンは優しく微笑む。
「久しぶりだね、フィオナ」
「おかえり」
そっと娘の頭を撫でる。
「元気そうで安心したよ」
「うん!」
エルミニアも優しく娘を抱きしめる。
「おかえりなさい」
「帰ってきてくれて、本当に嬉しいわ」
「ママ……」
百年ぶりの再会。
それでも母の温もりは、何一つ変わらなかった。
エルミニアは娘から離れると、リュカの前まで歩み寄る。
「あなたがリュカさんね」
リュカは慌てて深々と頭を下げた。
「は、初めまして!」
「リュカと申します!」
「本日は、お会いいただきありがとうございます!」
すると、エルミニアはにこりと笑い、リュカの両手を包み込むように握った。
「初めまして」
「フィオナの夫になってくださって、本当にありがとうございます」
「お会いできて、とても嬉しいです」
その笑顔は、太陽のように温かかった。
初対面とは思えないほど自然に迎え入れてくれる。
けれど。
その翠色の瞳の奥には、一瞬だけ、言葉にならない哀愁が宿っていた。
人間とエルフ。
寿命の違い。
母である彼女は、その未来を誰よりも理解していた。
アルディオンは少し困ったように笑う。
「本当に……」
「あまり心配をかけさせないでくれ」
「百年も帰ってこない娘を待つ父と母の気持ちも、少しは考えてほしい」
「ごめんごめん」
「反省してる?」
「ちょっとだけ」
「ちょっとか」
二人は顔を見合わせて笑った。
そのやり取りは、王と王女ではなく、どこにでもいる父と娘そのものだった。
その横で、リュカは深呼吸をする。
(落ち着け)
(まずは自己紹介だ)
一歩前へ進み、深々と頭を下げた。
「改めまして」
「リュカと申します」
「本日は、お時間をいただきありがとうございます」
アルディオンは穏やかに頷いた。
「顔を上げてくれ」
リュカが顔を上げる。
アルディオンは二人を見比べながら、静かに口を開いた。
「実はね」
「フィオナが帰ってきたと聞いた時は、とても嬉しかった」
「だが、そのあとで」
「人間の夫を連れて帰ってきたと報告を受けてね」
少しだけ苦笑する。
「正直に言えば、驚いたよ」
「そして」
「父親としては、少し複雑な気持ちだった」
リュカは思わず背筋を伸ばした。
アルディオンは優しく微笑む。
「嬉しかった」
「娘が心から愛する人に出会えたことが」
「でも同時に」
「相手が人間だった」
「エルフである私には、その意味がよく分かる」
寿命の違い。
それは、エルフなら誰もが知る現実だった。
「だからこそ」
「君に会いたかった」
「娘が心から愛した相手が、どんな青年なのか」
「この目で確かめたかったんだ」
リュカは静かに頷く。
「アルディオン陛下」
「一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「もちろん」
「怒らないのですか」
アルディオンは優しく笑った。
「怒らないとも」
「娘が選んだ夫を頭ごなしに反対しようものなら」
「娘に恨まれてしまうだろう?」
フィオナが吹き出す。
「それはあるかも」
「ほらね」
アルディオンも笑う。
「それに」
「フィオナは昔から、自分で決めたことは絶対に曲げない子だ」
「私が反対したところで、聞くような娘ではない」
「パパ、それひどい」
「事実だろう?」
フィオナは頬を膨らませる。
そんな娘を見て、アルディオンは目を細めた。
そして、リュカへ向き直る。
「むしろ私は」
「君にお礼を言いたいくらいだ」
「え?」
「お転婆姫と呼ばれ」
「百年も平気で家を空けるような娘を」
「妻として迎えてくれたのだから」
「ちょっと!」
「それは言わなくていいでしょ!」
フィオナが抗議すると、アルディオンとエルミニアは顔を見合わせて笑った。
「君がフィオナを選んでくれたこと」
「そして、フィオナが君を選んだこと」
「父としても」
「母としても」
「これほど嬉しいことはない」
リュカは真っ直ぐ二人を見つめた。
「ありがとうございます」
「フィオナを」
「必ず幸せにします」
アルディオンは静かに頷いた。
「その言葉だけで十分だ」
「だが、一つだけ約束してほしい」
「フィオナだけを幸せにしようとしなくていい」
「君も幸せになりなさい」
「どちらか一人だけが幸せになる結婚に意味はない」
「二人で笑い」
「二人で支え合い」
「二人で幸せになること」
「それが父として」
「そして母として」
「私たちの一番の願いだ」
リュカは深く頭を下げた。
「はい」
「約束します」
アルディオンは満足そうに微笑んだ。
「さて」
「堅い話はこのくらいにしよう」
「せっかく娘が帰ってきたんだ」
「今日は家族として、一緒に食事でもしよう」
「うん!」
フィオナは嬉しそうに笑った。
その笑顔を見つめるアルディオンとエルミニアの表情は、精霊王夫妻ではなく。
ただ娘の幸せを願う、一人の父と一人の母そのものだった。




