第73話 結婚してください
数か月後。
二人は買い物のため、街を訪れていた。
賑やかな通りを歩きながら、いつものように他愛もない話をする。
穏やかな休日。
そんな時間が、リュカは好きだった。
「フィオナ」
「ん?」
「少しだけ待ってて」
そう言って、リュカは一人、宝飾店へ入っていく。
店先に並ぶ指輪。
以前、フィオナが「綺麗だね」と足を止めて見つめていたものだった。
あの日から、ずっと心に決めていた。
今日、この指輪を贈ろうと。
リュカは小さな箱を受け取り、深呼吸をして店を出た。
「お待たせ」
「何買ってたの?」
「その……」
リュカは緊張した面持ちで、フィオナの前へ立つ。
鼓動が速い。
逃げ出したいくらい緊張している。
それでも。
勇気を振り絞り、小さな箱を開いた。
陽の光を受けて、一対の指輪が静かに輝く。
「フィオナ」
リュカは真っ直ぐ彼女を見つめた。
「僕と」
一度息を吸う。
「僕と結婚してください」
街の喧騒が遠のいたように感じた。
フィオナは目を見開く。
胸が熱くなる。
嬉しい。
本当に。
心の底から嬉しかった。
「……ありがとう」
自然と笑みが浮かぶ。
「すごく、嬉しい」
でも。
笑う。
笑わなきゃ。
泣いちゃだめ。
泣いたら。
全部、壊れてしまう。
フィオナは優しく微笑んだ。
「でも」
「今のままでいいじゃん」
リュカの表情が少しだけ曇る。
「どうして?」
「僕は」
「家族みたい、じゃなくて」
「ちゃんと家族になりたい」
その言葉が胸へ突き刺さる。
フィオナは何も答えられなかった。
人間とエルフ。
同じ空を見て。
同じ食卓を囲み。
同じように笑い、同じように恋をする。
それでも。
生きる時間だけは、決して同じにはならない。
その時だった。
幼い頃、故郷エルシオンで聞いた昔話が脳裏によみがえる。
人間を愛した、一人のエルフの物語。
二人は結ばれた。
子どもには恵まれなかった。
それでも互いを責めることなく。
毎日笑い合い。
支え合い。
誰もが羨むほど幸せに暮らした。
けれど。
人間にとっての一生は。
エルフにとって、一日一夜にも満たないほど短い時間だった。
人間は老い。
最後まで笑顔で、愛するエルフへ「ありがとう」と告げて旅立った。
残されたエルフは。
その墓の前で泣き続けたという。
百年。
二百年。
千年経っても。
愛する人を忘れることはできなかった。
幼い頃は、ただの昔話だと思っていた。
でも。
今なら分かる。
あれは恋を否定する物語ではない。
愛する人との別れが、どれほど残酷で、どれほど苦しいものなのかを伝えるための物語だったのだ。
フィオナは微笑んだまま、リュカを見つめる。
嬉しい。
誰よりも嬉しい。
それなのに。
その未来を受け入れる勇気だけは、どうしても持つことができなかった。




